作品評価・研究とは? わかりやすく解説

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作品評価・研究

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伊豆の踊子」の記事における「作品評価・研究」の解説

伊豆の踊子』は川端康成初期代表する名作というだけでなく、川端作品中でも最も人気高く、その評論膨大な数に上る。それらの論評は、様々なニュアンス差異持ちながら川端孤児生い立ち青春体験視点伊藤初代との婚約破談事件との絡みから論考するものや、主人公語り構造分析から作品世界論じるものなど多岐にわたっているが、川端という作家を語る際の、この作品の持つ重み大きさへの認識はみな共通している。 竹西寛子は、『伊豆の踊子』は川端作品の中では比較爽やかなもので、そこでは「自力超えるものとの格闘真摯な若者だけが経験する人生初期この世との和解」がかなめになっているとし、この作品が「青春文学と言われる理由を、「この和解切実さ」にあると解説している。そして別れ場面〈私〉の涙は「感傷ではなくてそれまであった「過剰な自意識」が吹き払われ表われであり、それゆえ〈私〉が、少年の親切を自然に受け入れ融け合って感じるような経験を、読者もまた共有できうると考察している。 奥野健男は、川端幼くして肉親次々と亡くし死者親しみ両親温かい庇護のなかった淋しい孤児生い立ちがその作風影響及ぼしていることを鑑みながら、川端の心にある、「この世の中で虐げられ差別され卑しめられている人々、特にそういう少女へのいとおしというか殆んど同一化するような感情」が、文学大きなモチーフになっているとし、そういった川端要素顕著な伊豆の踊子』を、「温泉町ひなびた風土と、日本人誰でも心の底抱いている(そこが日本人不思議さであるのだが)世間からさげすまれている芸人、その中の美少女への殆んど判官びいきとも言える憧憬同一化という魂の琴線触れた名作」と高評している。 そして芸人徳川時代に「河原者」と蔑まれた反面白拍子愛で後白河法皇『梁塵秘抄』編纂したように、古くから芸人上流貴族とは「不思議な交歓」があり、能、狂言歌舞伎などが上流階級にとりいられてきた芸能史奥野解説しつつ、『伊豆の踊子』は、そういった芸人対する特別のひいき、さらには憧憬という日本人古来からの心情」が生かされ、その「秘密の心情」は「日本の美隠れた源泉」であると論じている。 北野昭彦は、この奥野の論を、数ある伊豆の踊子』論の中でも日本芸能史、「旅芸人フォークロア」をよく踏まえているものとして敷衍し、漂流者芸人定住者との関係性マレビトである漂泊芸人来訪が「神あるいは乞食」の訪れとして定住民にとらえられ芸能演ずる彼らの姿に「神の面影」を認めながらも「乞食」と呼ぶこともためらわない両者の関係性に発展させた論究展開しながら、「異界」への入り口象徴である〈峠〉や〈〉で旅芸人一行遍歴民)と再会した〈私〉トンネル抜け、彼らと同行することで「遍歴人生疑似体験」をするが、芸と旅が日常である彼らと、それが非日常である〈私〉とは「別の時空生きながら道連れになっている」と解説している。 また北野は、この物語進行するにつれ、主人公が「娘芸人ペルソナ外した少女の〈美〉」自体を語ることが主となり、小説タイトル通り踊子そのものを語る展開になることに触れ踊子〈私〉対すはにかみや羞らい天真爛漫な幼さ、花のような笑顔〈私〉の袴の裾を払ってくれたり下駄直してくれたりする甲斐甲斐しさなどを挙げながら、踊子何気ない言葉で、〈私〉が「本来の自己回復していたこと」に気づく解説し、「〈私〉踊子像」がその都度多面的に変容する」ことの意味ユングの『コレー像心理学的位相について』 を引きつつ説明している。 彼女は、ユング元型的形象の一つとしてあげた「コレー像」に似ているコレーとは、少女、母、花嫁三重の相において現れる永遠乙女である。「コレー像未知の若い少女として登場」し、「しばしば微妙なニュアンスを持つのが踊り子である」 とされている。 — 北野昭彦「『伊豆の踊子』の〈物乞ひ旅芸人〉の背後――定住遍歴役者演劇青年、娘芸人学生三島由紀夫は、川端全作品通じ重要なテーマである「処女主題」の端緒あらわれている『伊豆の踊子』において、〈私〉観察する踊子様々な描写の「静的な、また動的なデッサンによつて的確に組み立てられ処女内面」が「一切読者想像委ねられてゐる」性質指摘し、この特性のため、川端同時代の他作家陥ったような「浅はかな似非近代的心理主義感染」を免かれている考察しつつ、「処女内面は、本来表現対象たりうるものではない」として、以下のようにその「処女主題」を解説している。 処女犯した男は、決し処女について知ることはできない処女犯さない男も、処女について十分に知ることはできないしからば処女といふものはそもそも存在しうるものであらうか。この不可知の苦い認識、人が川端氏の抒情といふのは、実はこの苦い認識不可知のものへ押しすすめようとする精神或る純潔な焦燥のである焦燥であるために一見あいまいな語法が必要とされる。しかしこのあいまいさ正確なあいまいさだ。ここにいたつて、処女性秘密は、芸術作品この世存在することの秘密の形代かたしろ)になるのである表現そのもの不可知作用に関する表現努力ここから生れる。 — 三島由紀夫「『伊豆の踊子』について」 勝又浩は、物語導入部天城峠茶屋で〈到底生物とは思へない山怪奇のような醜い老人の姿が描かれる意味を、『雪国』で主人公が〈トンネル〉を抜けて駒子に会うように、『伊豆の踊子』でも踊子に会うために越えなければならなかった「試練」であり、「異界」への入り口である天城峠の〈暗いトンネル〉を抜けることは「タイムマシンとしての儀式」を暗示させるとして、こういった川端文学幻想的な一面泉鏡花永井荷風とも異なる点を説明して幻想世界伝える「媒介者」(主人公)が、鏡花場合物語世界同様「稗史的なまま」で、荷風は「近代住人」であり「知識人全能存在」だが、川端場合川端自身が「異界」の人物であり「幽霊のような人物」「まれびと」だとしている。 天下一高生が、たまたま鬼の番するトンネル潜り抜けて、遠い島から来た舞姫邂逅して魂を浄化する物語と読むのが鏡花風だが、世を拗ね一人インテリ田舎旅芸人関心持って現代都市では失われた古きよき時代純朴な娘を発見して旅情慰めるというのが荷風式、そして川端文学場合は、異界はむしろ主人公の側にある。「私」は、トンネル向こう人々にとっては神秘的なまれびとであって、彼は訪れ先々歓迎されるが、そのことによって、健気に生きる人々祝福し、彼自身は、その民俗的約束に従って々の不幸を、汚濁なるものを身に受けて去って行かなければならないそれ故伊豆の踊子』には、その結末至ってもう一度老人登場するであろう。 — 勝又浩「人の文学――川端文学源郷」 そして勝又は、この小説表面的には「孤児意識脱却物語」であるにもかかわらず最後にまた老人登場し、3人の孤児道連れにすることを村人から合掌懇願される箇所に、川端の「孤児宿命」が垣間見えるとし、「〈孤児根性〉、〈息苦しい孤児意識からは解放されたかもしれないが、孤児としての宿命そのもの決して彼を解き放ちはしなかったはず」だと解説している。また、三島由紀夫川端を「永遠旅人」と称したことや、川端処女作から諸作に至るまで見られる心霊的要素鑑みながら、こうしたこの世定住の地を持たない川端が、トンネル越えまれびととなって人界訪れ」て、「踊子純情」をより輝かせられる特異性考察している。 橋本治恋愛的な観点から『伊豆の踊子』を捉え主人公青年最後に泣き続ける意味について、「いやしい旅芸人」と「エリートの卵」という「身分の差」の垣根さえも越え冷静に相手をじっと観察する余裕なくなって「ただその人ひれ伏すしかなくなってしまう、恋という感情」を主人公内心認めたくなく、冷静に別れたつもりが、遠ざかる船に向ってはしけから一心に白いハンカチを振る踊子正直な姿を見て、「プライドの高い〈私〉は、ついに恋という感情認めた」と解説している。 そして橋本は、主人公が「ただ彼女といられて幸福だった」という真実感情認め自分と同じエリートコース少年を「踊子とつながる人間でもあるかのように」思い、その好意包まれ終わる結末は、「恋という垣根目の前にして、そして越えられるはずの垣根に足を取られ自分というものを改め見詰めなければどうにもならないのだという、苦い事実」を突きつけられ、その「青春自意識のつらさ」を描いているため『伊豆の踊子』は「永遠作品となっていると評している。 川嶋至細川皓)は、『伊豆の踊子』の底流に、みち子(伊藤初代仮名)の「面影」があるとして、初代から婚約解消され川端動転綴った私小説『非常』との関連性看取し、川端初代元へ向かう汽車の中で別れの手紙を一心に読み返している時に落とした財布マント拾ってくれ、〈寝ずの番〉までしてくれた〈学生〉(高校受験生)の好意甘えて身を委ねる場面と、下田港踊子別れた帰り汽船で、〈親切〉な〈少年〉のマント包まれ素直に泣く共通項指摘しながら、「一見素朴な青春淡い思い出」を描いた伊豆の踊子』は、「実生活における失恋という貴重な体験代償として生まれた作品」だとして、踊子は、「古風な髪を結い旅芸人に身をやつした、みち子に他ならなかった」と考察している。 ちなみに川端本人はこの川嶋至論考関し、〈まつたく作者意識にはなかつた〉として、草稿湯ヶ島での思ひ出』を書いた時には伊藤初代のことが〈強く心にあつた〉が、『伊豆の踊子』を書いた時に初代は〈浮んで来なかつた〉としている。そして『非常』での汽車場面との類似指摘されたことについては、以下のように語っている。 「伊豆の踊子」の時、「非常」に受験生好意書いたのは忘れてゐた。細川氏川嶋至)に二つならべてみせられて、私はこれほどおどろいた批評めづらしいが、それよりもさらに、これは二つとも事実あつた通りなので、いはば人生の「非常」の時に二度、偶然の乗合客の受験生が、私をいたはつてくれたのは、いつたいどういうことなのだらうか、と私は考えさせられるのである。ふしぎである。 — 川端康成「『伊豆の踊子』の作者林武は、川端伊豆踊子会った頃には、中学時代後輩同性愛的愛情持っていた小笠原義人文通続いていたことと、草稿湯ヶ島での思ひ出』での踊子記述が、清野少年小笠原義人)の「序曲」的なものになっていることから、『伊豆の踊子』での「踊子」像には小笠原少年心象が「陰画」的に投影されているとしている。 事実川端多く作品で、少女あるいはそれに近い女に少年イメージ探し求めている。それ故清野少年の俤を心に抱く川端が、大正七年伊豆での初旅途中実在踊り子清野少年イメージ探し求め大正十一年の「湯ヶ島での思ひ出執筆時に清野少年登場序曲存在としての踊り子部分において、「踊子」に清野少年イメージオーバーラップさせていたとしても不思議ではない。即ち、両性混入による「踊子」の一方からの中性化である。 — 林武「『伊豆の踊子』論」

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城のある町にて」の記事における「作品評価・研究」の解説

城のある町にて』は基次郎存命中に発表され作品の中では最も長く比較明る作品である。三島由紀夫はこの作品を、基次郎小説の中で最も好きな作品だとしている。 飯島正浅野晃は、『城のある町にて』の描写各所映画的カメラアングル角度変えて移動ズーム近づく)が見られるとし、遠く見え花火上がるころなどなどを挙げている。そして映画的手法ダンテ『神曲』など古典にも胚胎していることなどを語りながら、基次郎場合それよりもカラフルであり、色彩映画的だとしている。 柏倉康夫は、『城のある町にて』の風景描写特性を、「最初無音だった梶井のパーンニング・ショットに、やがて音がついてくる」とし、コオロギの声、往診から帰ってくる医者オートバイの音に反応する子供たちの〈ハリケンハッチのオートバ〉という喚声など、その「音の伴奏風景一段と生彩のあるもの」にしていると評している。 そしてその基次郎の「感性」が感知するものは単に、「目に見える静止した光景」だけではなく、「その光景時間の経過とともにみせる、ごく微妙な変化」こそが、時や自然の移り変わり敏感な次郎「心」を最も深く捉えたものであり、基次郎がこの土地で「視覚聴覚触覚のすべてを働かせさらには想像力動員して周囲とことん堪能する術を会得しつつあった」と解説している。 また、観察没頭するだけでなく、法師蝉鳴き声を〈文法語尾変化〉のように聴き分けた瞬間から変貌する情景、以下のような子供たち場面で、基次郎が「感覚の微妙なずれから生ずる、現実歪曲」を楽しみ、それが「幻視梶井面目」だとし、「感覚の一部肥大してそれだけ機能する」という基次郎特異な感性がこの作品にも看取され、「現実を一層興味深いものにしている」と評している。 取竿や虫籠持った子どもたちあちこちする動きが、ふとした拍子舞台上の無言劇のように見え、そう感じたとたんに無類面白いものに思えてくるといった箇所である。このとき峻の耳には、子どもの叫び声も、降るような蝉しぐれ聞こえていず、子どもたち動作だけが、まるで音を消したテレビ画面のように見えている。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」 そして柏倉は、基次郎惹かれる〈単純で、平明で、健康な世界〉の象徴である、井戸洗濯に励む若い女たちの瑞々しい描写場面や、京都鴨川河原スケッチから鑑みられる基次郎の「観察者としての立ち位置を、「結核という病のせいで、現実世界関与できないという諦念悲哀、そのためにいつし現実を距離をおいて眺め地点」だと考察している。 美しく健全なこうした生活は、かつては梶井のものでもあった。しかし胸を患い、その不安を退けるために、頽廃的世界へ足を踏み入れてしまった者にとっては、もはや何くわぬ顔で自分のものとして生きるのが不可能な世界であることを、梶井いやでも自覚させられている。それだからこそ、なお一層うらやましくも心ひかれる世界なのだ。梶井一個観察者としてじっと目を注ぎつつ、それが不可能と知りつつ、その営み共有しようとする。単純で平明な、生活にしっかりと根をおろした女たちありさまが、かけがえもなく貴いものに思われるのだった。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」 なお、印度人の三流手品や、観客をからかう下品な笑い不遜な態度腹を立てた峻(基次郎)が、次第に心を鎮めて不愉快な場面非人情に見る、――さうすると反対に面白く見えて来る――その気持がものになりかけて来た〉という心構え習慣づけていることについて柏倉は、基次郎愛読していた夏目漱石の『草枕』の中の、「おのれの感じ、其物を、おのが前に据ゑつけて、其感じから一歩退いて有体落ち付いて他人らしく之を検査する余地さへ作ればいゝのである」という意識転換からの影響ではないか考察し、その〈非人情〉の境地は「詩的な態度維持することにほかならない」としている。 阿部昭は、『城のある町にて』で梶井表現した〈今、空は悲しいまで晴れてゐた〉という文章について、今日ではこういう類の表現法珍しくはなく、誰もが簡単に書くであろうが、その巷に溢れている類似の文章には、もはや「梶井希求し精神」が見失われ、「通俗化した修辞パターンだけが普及した」ものになってしまったと考察している。

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幸福号出帆」の記事における「作品評価・研究」の解説

幸福号出帆』は、過去栄光生きる芸術家醜悪さ混血児密輸オペラ世界など、様々な要素盛りだくさん描いた娯楽小説であるが、反響少なく、ほとんど論究なされていなかった作品であるが、近年になってフランス文学影響や、『鏡子の家』との関連性で、その価値問い直されている作品である。なお、三島自身は『幸福号出帆』について、〈完全に失敗した新聞小説であるが、自分ではどうしても悪い作品と思へない〉と述べている。 遠藤伸治は、三島を「方法意識明確な作家」とした上で、「彼が新聞掲載エンターテイメント小説に関してどのような小説技法戦略意識し実践したのかを究明することは、三島文学におけるエンターテイメント性の問題につながる」と提起している。 鹿島茂は、三島が「大衆小説という隠蓑」を利用し西欧近代小説から学んだ様々な技法理念密かに幸福号出帆』で「実験」していたとし、そこで有効性確認した技法様式は、次作純文学作品『鏡子の家』パースペクティブ入れて実験されたものだった指摘している。しかしそれはそのまま移行し利用されたのではなく『鏡子の家』では「それと一目では見抜けぬほどソフィスティケイト洗練)されたもの」になり、「『幸福号出帆』は、『鏡子の家』に対してプルーストの『楽しみと日々』が『失われた時を求めて』に対するのと同じような関係」を持ち前者実験なければ後者生まれなかった関係だと鹿島解説し、「舞台使われているのが、晴海月島勝鬨橋など、共通しているのも、両者類縁性を感じさせる」と述べている。 藤田三男は、主人公兄妹について、「兄妹近親相姦的な、ほとんど性愛によって結ばれた関係とも思えるほどに親密である。そこに三島由紀夫終戦直後に妹美津子失い、その死を『敗戦より痛恨事』とした思い深さ重ねることができる」と述べている。そして、ヒロイン三津子が兄・敏夫との「絶対的な関係」を失いかけると、自分の「純潔」を他の男に与えると、兄に宣言することに触れ、「この異形兄妹愛がこの物語の〈幸福〉のキイワードである」と解説している。 鈴木靖子は、『幸福号出帆』の主人公兄妹愛と、三島短編水音』で綴られている兄・正一郎と妹・喜久子の、〈この兄妹の愛は恋愛に近いもので、二人の間を妨げてゐるものは、羞恥怖れ他ならぬと思はれた〉という関係と同じであるとし、「敏夫と三津子近親相姦危険な兄妹愛は、真の兄妹であると信じて疑わないところに成りたっているのである。だから、最後に明かされる〈敏夫は歌子の子であったという事実を、兄妹が知ることがないかぎり二人は、甘美な危険な〈愛〉を生き続けることができるのである」と解説している。

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軽王子と衣通姫」の記事における「作品評価・研究」の解説

軽王子と衣通姫』は、発表当時一般読者などから好評だったようであるが、文壇からは「時代ばなれの歴史小説」「皇室関係のことを忌憚なく書いた好奇好古作品」と受け取られてほとんど注目されなかった作品である。 本多秋五は、『軽王子と衣通姫』が発表当時文壇から注目されなかったことに言及しつつ、『三島由紀夫選集』にも収録されなかったことを不思議がり、「これは芥川歴史小説伍して毫も遜色のない天晴作品であった」と高評価し、以下のように解説している。 「軽王子と衣通姫」は、時代錯誤作品であったとしても、それは故意時代錯誤意図した戦後の作品であった。そこには恋愛まじり気ない陶酔絶頂あらわれる死の願望語られている。これは三島主題である。なんの人生経験のない少年三島由紀夫が、空想絵の具空想ものがたり彩った夢想浮遊小説菟と瑪耶」にそれは糸ひくものといえる。これはずっと後の話になるが、深沢七郎『楢山節考』原稿を、あの新人募集選者として三島夜中によんでいて、ぞっと背筋寒くなった、と選考座談会語っているのをみて、それはそうだろう三島はあれで虚をつかれたのだろう、と思ったことがあったが、それは私の間違いであった。「軽王子と衣通姫」のなかで、三島古代「神」という観念ふくまれる恐怖とらえている。 — 本多秋五物語 戦後文学史田坂昂は、父帝寵姫であり叔母である姫と密通する禁を犯すのは罪ではあるが、罪であるがゆえに逆に極めて美しいこと」=「無垢喜悦」であるという構造となっており、その論理アイロニカルにもう一歩進めれば、「禁を犯すことの喜悦」は、「禁あればこそたのしさもあるという逆説生む」とし、さらにそれを極限的進めれば、禁を犯してしまえば、そこにあるのは「死」だけであるという構造いきつく論考している。そして、こういった論理構造含みながら展開する軽王子と衣通姫』の主題は、三島のいう「欠乏自覚としてのエロス論理」に繋がってゆくと田坂解説している。 また田坂は、軽王子生きた時代が、神代人の世移り変って、「死と愛への神の支配がやうやく疑はれて来た」時代であり、「祭事軍事が恋と共に心の中親しく住うた」時代ではなくなり、王子の心には「人の世虚しさと死への希い」だけがある考察し、母皇后託宣を、「柔らかな甘美な死」への誘いの声と王子聞いたことに関して夜見の国黄泉の国)が「妣(はは)の国」を意味し、「怖ろしい国であるが、また懐かしい国でもある」ということ触れながら、そこから呼びかけてくる声は、『仮面の告白』の「根の母の悪意ある愛」の声と同じ場所から聞こえてくるものだと論考し、それは、「存在の母たちの国からの声」であり、「死とはその国へかえりゆくこと」だと解説している。 そして、その王子時代に、戦後社会における、「悲劇的な死の希みが絶たれている」という三島の苦い感慨寓意的重ね合わされ託されていると田坂考察しながら、『軽王子と衣通姫』は「“悲劇的なもの”を可能にした時代への挽歌」とみることができると解説している。そして、王子最後に剣で咽喉を貫く直前言伝には、「悲劇理会しあった過ぎし時代への記憶殉じ、もはや悲劇的な死を死になくなった時代に矜りたかく別れ告げて黄泉の国旅立っていった者の声がきかれる」と田坂述べている。 またそこには、敗戦同時に訪れたしらじらしい虚無感」で、「日常生活復帰支配時代」が一層耐えがたいという、戦後社会へのアイロニー重ねられ、「愛をものりこえこの世夢みるなにもなくなった時代への訣別の声をひびかせながら死んでいった軽王子のように、ただ王者の矜りをもって死ぬことだけが残されている」と三島語っているのようだ田坂考察しながら、『軽王子と衣通姫』は一見「反時代的」だが、「意外に時代の影を陰画的に宿している」作品だとし、「戦中虚無感敗戦によるもう一つ虚無感との、いわば虚無感自乗のなかで、三島氏の身に迫ってきた戦後の人生重さとの格闘はじまりつつあった」と論考している。 小埜裕二は、この田坂の論を敷衍し、さらに三島評論日本文学小史』や、『軽王子序詩』を分析しながら、『軽王子と衣通姫』には「戦後天皇対す三島切実なある思い込められている」と推測できるとし、「戦争参加における〈死の甘美な夢想〉から即日帰郷および敗戦といった〈弛緩した日常〉に移ることにより生じた自己の空洞埋めるために」、三島自身を「貴種流離譚主人公」として創作した作品だと考察している。 そして小林和子は、その小埜の論を踏まえながら、「昭和天皇人間宣言」という戦後現実や、「自らが王子たちのような陶酔のなかで死にゆくことも叶わなくなった現実」の中で三島は、軽王子と衣通姫思い託し、〈激しく急湍のやうに生きて年若くみまかつた美しい〉王子や姫に英霊たち重ねて、彼らへの思いを胸にし、自らは、皇后純粋な生と死に対して羨望秘め亡き天皇への「常住の愛」を抱いている)のように生きてゆくことより他ないことを、この作品の中で描こうとしたのではないか論考している。

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真夏の死」の記事における「作品評価・研究」の解説

真夏の死』は発表当時に、創作合評などで「小説らしい小説」、「時間人間事件」の「三つの関係を直覚的につかんでいる」として好評され、同時代的にも総じて高く評価され作品である。本格的な論究としては、主人公朝子仮託された三島内面主題考察するものが多い。 野口武彦は、三島世界旅行から帰国したばかりで、エーゲ海耀き明るさの「陰画のような海と〈死〉の影がさした『真夏の死』を書いたことに触れ三島にとり「終戦の日」が「終末にして始まりの年の〈夏〉」のイメージとして刻印されているとし、「三島由紀夫氏の内面世界にあっては、〈夏〉は〈死〉を触媒にして永遠季節にまで明るく凍結してしまった」と考察している。そして『真夏の死』というタイトルは、「夏の訪れる死」という意味でなく、「〈夏〉と〈死〉とはこの作家辞書のなかでは、たとえ同義語ではないにもせよ、完全な等価物なのである」と野口論じている。 さらに野口は、三島戦争末期青空夏雲見た死神の姿」が作品描写の中で告白されているとし、作品として「戦後社会平凡な死の事件をいわば形而上化して見せること」で、改め三島が自らの「〈死〉の主題」を「再確認」していると考察し、『真夏の死』をその後三島後継作品系譜の「予感作品」として位置づけている。 『真夏の死』で緻密に語り進められている心理綾目、「死」の追憶がいつか「死」の待望へと、微妙にさりげなく転調されてゆく心の経緯は、その実何を隠そう、『愛の渇き』・『青の時代』・『禁色』などの一連の仕事戦後作家として確固たる地位築いた三島氏が、さてその戦後世界内部自己の本来の主題をいかに追尋するかの原型獲得したことを表白する一箇里程標だったのである戦後平穏無事な日常世界、平和と物質的繁栄堅固な支配確立したかに見え日本市民社会に「死」の強烈なレントゲン光線透過して見せ、そこに立ちあらわれ異形の者たちを妖しくも美しくも発光させること――そうした三島氏の文学的主題がいまここに明瞭な輪郭をとるにいたるのである。 — 野口武彦三島由紀夫世界田坂昂は、ヒロイン朝子最後の場面で、海岸の波打際に立って見つめる夏空印象的な描写について、それは単なる風景描写だけではなく、「作者本然心象風景」だとし、それは『仮面の告白』で見られ夏の海や沖の想起される風景であり、「三島文学の最も根源的な方法内容形態と構造」を語っているようにみえる論考しながら、〈何事かを待つてゐる〉朝子三島自身でもあるとし、朝子もう一度味わいたい無意識のうちに待っている〈死の強ひ一瞬感動〉は、戦争末期おぼえた作者三島自らの〈死の恐怖甘美〉の忘れることのできない記憶通いあうのではないか考察している。 そして、夏空中に一度あらわれた怖ろしい大理石彫像〉は、三島戦時にみた怖ろしい〈死の魔神の姿〉であり、朝子一家をおそった〈真夏の死〉が日常生活支配的な時代のなかで薄れながらも記憶中に呼び覚まされるのは、三島にとっての「敗戦真近の酷烈な死」を湛えた夏の記憶蘇り象徴していると解説しボードレールの『人工楽園』の一節〈夏の豪華な真盛の間には、われらはより深く死に動かされる〉がエピグラフ掲げられている『真夏の死』を支配しているのは、〈怖ろしい風姿〉の「死の魔神から放射される死の視線」だと評している。 「真夏の死」とは、いかにも象徴的題名である。夏と死と、しかも背景は海である。「花ざかりの森以来くりかえしあらわれてくる三島文学の原イメージ。そして日本の敗戦が夏であったことは、これまたなにかの暗号でもあるかのようだ。夏と海のイメージあらわれてくるときは、この作者最深情念が死の魅惑にゆすぶられているときである。そこにはしばし敗戦の年の夏のイメージダブらされているにちがいない。たとえば、「夏といふ言葉そのものが、死と糜爛聯想を伴つてゐた。かがやかし晩夏光りには糜爛火照りがあつた。」というような表現には、作中朝子内面をこえて、戦争末期苛烈空襲の火に焦土化した廃墟のうえに充満する「死と糜爛」の終末の日のような光景記憶投射みられるように思えるからだ。 — 田坂昂「三島由紀夫論西本匡克は、磯田光一三島文学における基本的テーマ一つとして指摘した現実の〈人生〉が不完全かつ曖昧なもので、華麗な〈死〉においてこそ〈美〉と〈完成〉が具現する」という考察踏まえながら、戦争中動乱中に召集を受け、「死を賭けた戦い情念」や、医師誤診による「即日帰郷という運命」に出逢った三島が、「御国為に命を投げ出す純粋なあの時心境」を再び見つめようとしたのが、『真夏の死』の主題ではないか論考し、「日本の敗戦という事実を知った時のあの「挫折感」は、青年三島にとってあまりにも大きすぎたのである解説している。 そして西本は、戦後繁栄平和な日常生活安定して確立しだした1952年昭和27年)の執筆当時の「小市民社会」の中、敗戦夏の日の「沸き立つ入道雲」の中、世界旅行中の「ギリシャエーゲ海」の中、海をバック逆なでするような『真夏の死』の「逆構成知的場面」の中に三島が「〈死〉をダブルイメージ化して形象化」したと考察しながら、それは、極限状態における「生の実在感」であり、死を描くことによって「生の現象的な意味」を探ろうしたものだとし、「死によって、生を可能ならしめるという論理は、三島そのもの気質と体験の見事な結晶」であると論じ、『真夏の死』の脱稿日が1952年昭和27年)の「8月15日」であることも指摘している。

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作品評価・研究

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雨のなかの噴水」の記事における「作品評価・研究」の解説

雨のなかの噴水』は三島作品の中では目立たないものではあるが、完成度の高い洒落た短編コント)として多くアンソロジー採用されている作品である。 佐渡谷重信は、巧みに描かれ少年の「一人よがりな心理的側面」や、少女の涙と噴水対比の中の風景相まってロマンチックな味」が醸し出されていると評し、「最後に雅子の涙が英雄的別れ話無関係であったというオチによって人生というものはこうしたコミュニケーション欠落によって支えられていることを教えている」と解説している。 佐藤秀明は、噴水が「皇太子ご成婚記念噴水塔」であることから、男女別れ話噴水の意味との皮肉の効果について言及している。また、明男別れの言葉聞えなかった雅子態度を「意図的」なものとして捉え、彼女の可愛らしさに「したたかな奥行き」を看取し、「光彩している陸離たる人生夢見た明男だったが、人は不如意を知ることで大人になるという主題がここにはある」と解説している。 川村湊は『雨のなかの噴水』について、三島の『潮騒のような典型的な青春小説」や、『春の雪のような古典的な恋愛小説長編とは、また違った趣の、「しゃれた都会的なコントスケッチのような青春恋愛」を扱った短編一つだとしている。そして、安岡章太郎の『ガラスの靴』や『ジングルベル』と同じように、「繊細で、脆いガラスの器のような青春の日々一齣映されている」作品だと評している。 川本三郎は、現代作家の描く男の子少年像は従来のものよりも、「複雑で屈折」し、子どもながらすでに「大人社会悲しみ」を知って、「心のなかに闇を抱えこんで」いるとし、その理由は、現代社会における子どもの生活環境厳しくなったことや、子ども(少年)が「保護すべき対象」だというイメージ作家自身からなくなり多様化しているからだと前置きしつつ、子ども時代は、それがたとえ苦い思い出だったにせよ、「安定した距離」を持ちながら懐かしくその時代が大人連続性ありながらもその一方で、「子どもと大人連続性断ち切られている」という見方や、少年他者未知なるものとして捉える見方もあると論考し、『雨のなかの噴水』も、「〈子ども=未知なるもの〉というイメージの濃い作品」だと評している。 そして川本は、作家にとって子ども(少年)は、「未熟的、未成形」ゆえに興味深くまた、多様に変幻し、浮遊し大人常識意表を突くからこそ想像力掻き立てられる存在だとし、『雨のなかの噴水』は、「そういう子どもに刺激され大人想像戯れから生まれた作品」だと解説しながら、三島が、冷静に子ども(少年)を「実験動物眺めるように」観察し、「不可解な他者」として見つめ、そこでは「大人と子どもの連続性」は明確に断ち切られ、「大人誰でもかつて子どもだった」ゆえに「大人は子どもの喜び悲しみ」が理解出来るという「安易な連続性」が否定されていると考察している。 『雨のなかの噴水』の中には高みをめざす噴水の力の動き詳細に描写している以下のような一節があるが、松本徹はその一節を、「三島重要なモチーフ」とし、「噴水喩えて絶えざる挫折描いている」としている。 一見、大噴は、水の作り成した彫塑のやうに、きちんと身じまひを正して静止してゐるかのやうである。しかし目を凝らすと、そののなかに、たえず下方から上方馳せ昇つてゆく透明な運動の霊が見える。それは一つ棒状空間を、下から上へ凄い速度順々に充たしてゆき、一瞬毎に、今欠けたものを補つて、たえず同じ充実を保つてゐる。それは結局天の高み挫折することがわかつてゐるのだが、こんなにたえまのない挫折支へてゐる力の持続は、すばらしい。 — 三島由紀夫雨のなかの噴水

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作品評価・研究

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愛の渇き」の記事における「作品評価・研究」の解説

愛の渇き』は、その「完成充実」の高さの評価大方一致しており、松本徹は、三島の「24歳若書きといったところが、文章端々見られないわけでは」ないとしながらも、「古典的ともいってもいい緊密な構成持ち最後に訪れ破局力強さは、文句つけよう」がないと解説している。そして、当時文壇では、「自分厳しく描き、女を魅力的に描いてこそ、作家として一人前」だという暗黙の了解事項があったと松本前置きしつつ、ヒロイン悦子のような嫉妬激しい女を描いた三島は、「それに十二分に応えた」と評している。 吉田健一は『愛の渇き』について、三島作品中でも、「最も纏ったものの一つである」、「この作品は、我々に小説というものそのものについて考えさせる気品備えている」と評している。そして三島がそこで試みているのは、「一つ持続廻って実験」であり、ヒロイン悦子が「幸福を求めている」ことは、「彼女が退屈しているということ同じなのである」と提示しながら、それを描くことは容易ではなく、「退屈の正体」である「忍耐」に費やされる力が烈しけれ烈しいほど、その表現は「退屈」を生々したものとして感じさせることができ、悦子廻る一家の生活は、彼女の「幸福に対す欲求絶え堰き止めて自分生きているという意識を一層烈しく掻き立てるための装置となっていると吉田解説している。 そして吉田は、〈何かの抵抗なければ芸術作品生れない〉というヴァレリー言葉を引きつつ、「抵抗なければ人間自分生きているという実感を持つこともできない」とし、その点で作者三島は、「一人の女が生きて行く上で完璧な条件」を実現したことになると解説して、「しかしそれを完璧にしているのは悦子自身性格強さなので、それだけ彼女は特異な存在のであるが、この人物とその環境取合せから起る生命の実感があまりに新鮮なので、個人的な特色などというものを我々は忘れてしまうのである」と、その構成巧みさを説明している。 松井忠や富岡幸一郎は、現実世界から「拒まれた者」であった仮面の告白』から、『愛の渇き』では、現実世界を「拒む者」へ移行していることを指摘し富岡は、その悦子行為認識の距離に二律背反見て秋元潔は、「精神肉体葛藤」があることを考察している。 『愛の渇き』を初期の作品で最も完成度が高い長編だと評する田坂昂は、悦子は「外界にたいしては無限に受容的」であり、彼女の存在自体が「虚無であり無神」であり、その内部で育てた「幸福の観念」は、「幸福の固定観念」〈ロマネスク固定観念〉にまで成長して、それにひたすら縋って悦子生きている解説している。そして「目的のない情熱」(虚無情熱)こそが、「戦国のある武将の血をうけついだ末裔としての無意識の矜り」を持つ悦子の「幸福」であり、それは「実存的脱自にまでゆきつく漂白され情熱」だとし、三郎背中を〈深い底知れない海のやうに思ひ、そこへ身を投げたいとねがつた〉悦子には、「超人間的世界へ渇望」、「死への希み」にまで繋がるものがあると考察しながら、悦子が、鍬の刃先自分向かって落ちてくる危険を空想する場面と、悦子周りの「退屈な日常生活」を鑑みながら、『愛の渇き』には、戦中と戦後状況変化とらえているところがありはしないか」と述べている。 柴田勝二は、『愛の渇き』と、モーリヤックの『テレーズ・デスケイルゥ(フランス語版)』を比較しテレーズの「受容性」に対し悦子現実受容性自意識強く、「自身外界違和意識的に封じ込める」という対自的イロニストの面があることを考察し、そのアイロニー外界応じながらも、悦子三郎には惹かれるという分裂した空無存在であり、その空無化した情念が、『テレーズ・デスケイルゥ』の影響下にある自由間接話法的な文体表現されていると解説している。 花﨑育代は、悦子が〈何も希はない〉、〈渇いてなぞゐはしなかつた〉人物として描かれ第一章冒頭付近から頻繁に出てくる〈何事もない〉という言葉が、最後一行にも出てくることに触れ、これは、花田清輝言及していた「絶望者といふものの凄惨な在り方としての悦子の「平静さ」 の分析となるものを孕んでいると解説している。

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作品評価・研究

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煙草 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

雑誌人間』に掲載され当時の評判としては、川端康成友人でもあった横光利一がしきりに『煙草』を褒めていたとされるしかしながら、この賞讃三島の耳には届いていなかった様子で、他の文壇人からの論評も特になかった。そのため三島は、〈評判はといふと、まるで問題にもされなかつた〉とがっかりしている。 ただし、村松定孝当時煙草』を初め読んだ時の衝撃を、「年少者に先きを越され歯がゆさ」、「しまったと狼狽した気持」だったと振り返り、「俺だって、こういうものを嘗て書いてみたいとおもったこともあるのに、時代不向きだというおもわくから捨ててしまって、……一生の不覚だったと、もう居ても立ってもいられないくらい取り乱した」と吐露している。 本多秋五には村松定孝受けたような衝撃的な感動はなく、作者三島何を狙っているのか判定できなかったが、「素直な虚偽分子のない作品思えた」と述べている。そして本多は、筑摩書房三島原稿持ち込んだ時に臼井吉見いくらか評価し中村光夫が全く見向きもしなかったエピソード触れつつ、戦後まだ無名だった三島に対してそうした見方一般的だったろうとした上で、「無名大学生三島の『煙草』を、あえて『人間』に推薦した川端康成は、さすがに新人発見名人だけのことが、どこかあったのである」と述べている。ちなみに川端はこの三島の『煙草』を推薦した2年後1948年昭和23年5月号から、自身大阪府茨木中学校現・大阪府茨木高等学校時代同性愛的初恋の思い出綴った作品少年』を同誌で連載開始している。 三島没後の作品研究としては、「生命力反逆兆し」を看取ようとしている田中美代子評価をはじめ、「学習院背景とした精神的自伝」だとして、「大人への精神構造変換と、同性愛一本煙草微妙に象徴されている」と評価する長谷川泉や、「戦後耽美派としての三島側面から論考している山内由紀人と評価などがある。 山内由紀人は、三島本格的な小説出発点1940年昭和15年11月執筆の『彩絵硝子』だとみて、「『彩絵硝子』の世界戦後になってさらに洗練され一つ文学的結実をみせたのが『煙草』」であるとしている。そして、『煙草』には「戦後耽美派としての三島側面が「最も理想的なかたちであらわれている」と評価した上で、「デカダンス雰囲気淫蕩的な気分同性愛的な匂い、そして変身願望ストイックな文体描かれるその世界」が、のちの中井英夫作品世界通底しているとしながら三島述べた純然たる現代小説は、むしろ『彩絵硝子』から『煙草』への線上にある〉という言葉補記して解説している。 その他の高橋新太郎は、末尾段落火事眺め描写表現を、「夢か現か定かならぬ境位表現は、きわめて象徴的でもあり、美しい」と評価し校内散歩する場面みられる静謐〉の感覚など、この頃三島初期作品(『花ざかりの森』など)に共通してみられる「〈静謐〉への志向」に注目している渡部芳紀解説もある。 なお、『煙草』には異稿があり、伊村との後日談などが書かれ続き原稿存在している。その異稿には、春以後伊村とすれちがうこともあったが伊村手を上げ合図する程度挨拶となり、「私」4年生になった伊村高等科3年)ある初夏の日、森の中で伊村1人セーラー服女学生一緒にいるところを見てしまい、烈しい嫉妬苦しめられる心理描かれている。 ※上節と同様、三島自身言葉引用部は〈 〉にしています(他の作家評者論文からの引用部との区別のため)。

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作品評価・研究

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青の時代 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

青の時代』は、三島の他の大作問題作比べる注目度低く小ぶりなものとなっているために相対的に評価はあまり高くなく、三島自身失敗作だと認めている作品である。肯定的な論としては、「貴重な同時代の証言であり記念碑のである」という日野啓三評価や、「充実した〈生〉を喪失した戦後青年自意識自己の贋物性を自覚する過程」を書く作品意図看取しつつ、「戦後一時期知的青春の姿」を鮮明に描いていると述べ磯田光一の評があるが、総じて作品完成度からの観点評価は辛いものが主で、少年期から戦後の間を結ぶ6年間の空白と、それによる前半後半分裂指摘する声が多い。 当時文壇評価低めで、中村光夫は、前半生い立ち描き方はいいが、後半になると、「剥製みたい」と評し臼井吉見も「同情よりも、ひどくひやかし半分やっつけてしまってるという感じがする」と述べている。本多秋五は、「中途半端な作品」としている。 西尾幹二も、前半における「心理小説典型」を思わせる生い立ち分析が「性格悲劇」の序章として「ヴィヴィッド」で「新鮮」に描かれているにもかかわらずに、その明晰さ後半において徹底されておらず、「戦後青年虚無感」という一般的な主題混じり込んでしまっているとし、本来の主題であった贋物英雄譚」という「抽象的情熱」が埋没してしまい、「完璧な観念小説になり得ていない」と解説している。しかし、この作品中に、「ふんだんに投げこまれているアフォリズム切れ味」の良さ魅力的であると西尾評し三島余裕持って縦横シニシズムたのしんでいる作品」だと評している。松本徹も、作品出来不出来越えて、その「野心的な若々しさ」が魅力的だとしている。 守谷亜紀子は、『青の時代』の当時の評価否定的なものが多いのは、同じ「光クラブ事件」を題材とした北原武夫の『悪の華』や、田村泰次郎の『東京の門』などが、戦争傷痕負い破滅的な人生向う主人公悲劇を「痛ましく同情的描いているのに比し、『青の時代』の主人公は、「滑稽喜劇的」に描かれている箇所見受けられるためだとし、北原武夫田村泰次郎もっぱら、「時代悲劇性」に重点置いているのに対し三島は、時代性によらない人間の「本質的な〈生〉の問題性」を主題にしていると解説している。そして守谷は、三島が、悲劇性帯びた自明ストーリーから「〈悲劇としての印象」をあえて取り去り反対の意味表現したり、逆に資料にある卑俗性の挿話真摯にアレンジしたりして、その底の真意相対性示そうとしている「アイロニー性」の構造論考しながら、『青の時代』は、「人間性そのものまでも虚偽とする世界観が、悲劇喜劇混合の内に」描かれていると解説している。 柴田勝二は、『青の時代』でモデル消化しきれていないという評価が多いのは、「山崎晃嗣という素材に対して三島が、「取り込みつつ否定する二面的な距離の取り方をしている」からだとし、三島山崎という「時代生きつつ時代生かされてしまった人間」を作中造型する際、「この時代との密着超克する方向性」をあえて付与しているため、「素材生かし方が〈中途半端〉」だとする本多秋五印象は、三島が「意図して仕組んだ属性そのものであり、あえて「山崎逆行する側面」を、三島主人公誠に色濃く付与していると解説している。 そして実際山崎が「哲学的な知の権化ではなく、「世俗的な欲望多量に抱えた青年であり、軍隊では物資横流しをし、戦後の混乱珍しくもなかった闇金融の「物欲担い手であったその反面で、「数量刑法学」の学究意欲を持つという「清濁両面」の人間であったが、『青の時代』の誠には、そういった多方面にわたる欲望感受する体制」はなく、「物質的な欲望」が捨象されている人物造型となっている違い柴田指摘し、誠は山崎異なり、「自己複数欲求相互に相殺することによって、それらのいずれにも没入しいとする人間であり、その主観操作によって〈人々は生活を夢見てゐた〉と規定される1940年代後半〉という時代対峙ようとしている」と考察している また、前半で誠が、自発的な欲望物事決定しない性格造型されている一方、「数量刑法学」の主張では、〈主観的幸福〉にこだわり見せているといった、「観念的な主体としての主観〉」と、「外部価値観排する個的な実感としての主観〉」が野合されているため、『青の時代』の「不統一印象」がもたらされていると柴田説明しながらも、その両者西尾幹二が言うような「別個のもの」でなく、誠は「矛盾はらんだ存在」としてあり、「内面指向性無関係に外界事象惹かれてしまう傾向」が見られるとし、それは『愛の渇き』の悦子や、『親切な機械』の猪口同様に、〈主観的幸福〉(主観的不孝)に敏感なつきやす人間だと考察している。そして柴田は、後半での誠の行動無目的でなく、山崎という実在人物下敷きにすることで、「時代背景裏打ちされ動機の層を濃密備えている」とし、野口武彦主張するような、「距離をもって現実世界眺め下ろす視線に、(三島の)ロマンティック・アイロニーの表出」を見る解釈疑問呈しつつ、以下のように論考している。 おそらく三島意図は、時代の波に身を託しつつ、そこで超越的な自己保持しようとする人物の像を仮構することにあっただろう。この時期他の作品当為としての道徳律」を備えた人間登場させているのはそのためである。けれどもそのためには『青の時代』の主人公あまりにも外側世界動かされやすい人間であった。(中略三島内面託され人物たちは、現実世界に距離を取ろうしながら我知らず外界魅せられてしまうのであり、その不如意分裂のなかに彼らは生きている川崎誠分裂示しているものは、まさにその主観的な距離が外界牽引によって崩壊させられるアイロニーほかならないのである。 — 柴田勝二跳梁する主観――『青の時代』論――」 山中剛史は、『青の時代』はアプレゲールによる「悪漢小説」でなく、主人公・誠は「金の亡者でも、間貫一(『金色夜叉』の主人公)のようなセンチメンタリズム」でもなく、そこに描かれているのは、金という紙束に何の価値すら認めていない「虚無直面した青年破滅譚」だとして以下のように解説している。 三島が、戦後の混乱と不安とに満ちた中での大層つきやす孤独な青春描いて川崎にまとわせたのが合理主義という鎧であった川崎の「合理拘束する」という金科玉条である。他者から身を守るために誂えられたそれは、外界から身を守る代わりに己をも束縛する外界から自己律しようとすればするほど、ますますそれは川崎自身自己統御ストイシズム要求することになる。そこでは金も女も合理主義要求する自己統御の証明としての意味しかないのであり、果ては自らの命さえも差し出すことになる。 — 山中剛史「『青の時代』――事件定着させた自らの青春

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盗賊 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

盗賊』は発表当時にほとんど反響がなかった作品で、敗戦直後乱世時代には「他愛のないお話”」の人工的な物語としか見なされずに低評であった個別作品論もほとんど無い傾向にあり、包括的な作家論一端として言及される場合が多い。 武田泰淳三島自評言葉を受け、「決して〈無慙結果〉ではない」とそれを否定しつつ、「稚心などという単語と、これほど無縁な作品はない」として、小説技術である「作家自己の精神吟味し表現する操作に関して豊富な手がかり提出している点では、『仮面の告白』より大切な長編だとも言える」と考察している。そして『盗賊』は「やや神経過敏のため、肉色が蒼ざめたきらいがある」とし、論理説明主張警句才智である「骨」があらわとなっているため、「骨をあらわに示さずに、肉づきだけでよく骨格知らせる」ようなツルゲーネフ『初恋』の域には至っていないが、「骨なし小説の多すぎる日本にあっては多少骨のきしみが耳ざわりでも、三島氏の長編の骨格の正しさ尊重し宣揚したい」と評している。 磯田光一は、戦後直後三島中に青年期異性対す喪失感世代内包されていた喪失感とが交錯」していたとし、「〈金閣と共に滅びうる〉という幸福」(完璧な愛の実現)が無くなった戦後三島にとって、『盗賊』の主人公たちは、「三島思いえがいた理想の生の形式」であり、過ぎ去った「〈愛〉と〈死〉との饗宴」を「人工的に構築しようとした作品」だと解説している。そして磯田は、『盗賊』の創作自体が「エゴイズムヒューマニズム旗印をおし立てた戦後進歩主義思想対する、逆説にみちた兇悪復讐行為」であり、「エゴイズム抹殺する楽しさ描いた作品」だとして、「戦後進歩主義思想根底にあった有効性〉の観念への果敢な挑戦」だと考察している。 川端康成は、三島最初長編小説で、「恋人結婚その日心中するといふ心理」に陥り、その作品を『盗賊』と名づけ創作意図触れつつ、「自殺する二人盗み去つたもの」は、「すべて架空であり、あるひはすべて真実であらう」とし、以下のように語っている。 私は三島君の早成才華眩しくもあり、痛ましくもある。三島君の新しさ容易に理解されない三島自身にも容易に理解しにくいのかもしれぬ。三島君は自分作品によつてなんの傷も負はないかのやうに見る人もあらう。しかし三島君の数々の深い傷から作品出てゐると見る人もあらう。この冷たさうな毒は決して人に飲ませるものではないやうな強さもある。この脆そうな造花生花の髄を編み合せたやうな生々しさもある。 — 川端康成「序」(『盗賊』) また、川端は、三島作家として将来について、「人生確実にし、古典近代虚空の花と内心悩みとを結実するやう、かねて望んでゐる」と述べながら、「『盗賊』のやうに青春神秘と美とを心理構図盗み切らうとする試みも、三島君の歩みには必然の嘆き呼吸であらうか」と評している。 なお、これらの川端評言は、三島中に半歩間違えば、あちらの世界へ行ってしまう」ようなものを、川端直感し、「脆そうな造花」は、三島を「生に繋げる細い細い糸」と見ていたと松本徹解説している。この川端文章は、その後三島作家活動運命暗示していたものとして、三島死後数多く三島論で引用されている。

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岬にての物語」の記事における「作品評価・研究」の解説

渡邊一夫は、『岬にての物語初出当時文芸時評において、「三島氏のふしぎなくらゐ幻想充ち字句用ひかたも、その配列も、実に美しいものを持つてゐた」として、時折ランボーの詩を思わせる高評価している。 野口武彦は、『岬にての物語』を「戦争期に培われた三島氏の作家心情、その美学主導動機をじつにストレートに語った小説」だとして、三島投影である主人公体験に、「まぎれもないロマン派情動初心」を見てとり、「〈死〉―〈夏〉―〈海〉」という三島文学主題が、その後の作品連なっていくことを指摘している。 田坂昂は、〈美〉と〈海〉と〈死〉という要素鑑みながら『岬にての物語』を考察し主人公が〈神々笑ひ〉の中に見い出した一つ真実〉が、『花ざかりの森』で言及される秀麗な奔馬の美〉と同義であるとしている。 渡辺広士は『岬にての物語』の、「自己省察から飛翔への移行」(現実から夢想への移行)の構成は、「すでに少年習作ではなく物語として見事に組み立てられている」とし、その導入部における自己分析明晰さ可能にしているのは、「〈私の本来のものなる飛翔〉への信頼というプリズム」だと解説している。そして「その〈憂愁のこもつた典雅な風光〉にふさわしい古典的な文体」で海や岬の自然が描かれ作中少女には、同じ三島作の『菟と瑪耶』の瑪耶と同じように、永遠マリヤ面影があるとし、〈青年少女頬笑みには甚く相似たものがあつた〉というくだりには、「兄と妹の愛」が暗示されているという神秘化があると考察している。 売野雅勇は、『美徳のよろめき以来三島作品馴染んできたと語りつつ、「主人公たちの耳にも聴こえる音楽といえば、『岬にての物語』の「一音だけ鳴らない音がある壊れたオルガン思い出す」として、「聴こえない音楽を聴くことが、三島由紀夫作品を読む最大快楽ひとつになっている。言葉音楽である」としている。 三島作品接してきたが、主人公たちの耳にも聴こえる音楽といえば即座に岬にての物語」で海岸断崖に近い草叢を歩きながら少年聴いた、一音だけ鳴らない音がある壊れたオルガン思い出す。最初に読んだときから、少年聴いたその音を想像するよりも、聴こえない音の方に想像力働いた陰画を光にかざして眼を凝らすおなじ身振りで、その失われた音に意識集中してしまう性癖のようなものがこころのうちにあるのだろうか、――あるいは、そのように意識誘導する意図のもとに書かれたものなのだろうか。 —  売野雅勇言葉音楽村松剛は、『岬にての物語』で主人公遭遇する事件が、ガブリエーレ・ダンヌンツィオの『死の勝利』を思わせ、少女百合の花を摘む場面似ていることを指摘し三島蔵書にも『死の勝利』があることから、三島執筆する上でその作品への意識があったと考察している。 三島の『岬にての物語』の少女清純そのものであり、相手の男も少女と「眼の涼しさを争」う青年であり、肉慾はここにはかげもない。『岬にての物語』は、いわば南国富裕階級倦怠感肉慾とを捨象した『死の勝利』だった。媚薬マルク王介在しない『トリスタンとイゾルデ』、という形容も可能かも知れない。 — 村松剛三島由紀夫世界筒井康隆もまた村松指摘踏襲し、『岬にての物語』がダンヌンツィオの『死の勝利』の文体描写ディテールなどの影響受けているとして、両者どちらも男女情死扱い心中方法断崖から海へ投身である共通点挙げている。しかし、『死の勝利』の方は無理心中であり、「世紀末懐疑主義頽廃」的な作品なのに対し、『岬にての物語』の方は、「極めてロマンチックなもの」で、三島自身モデルある少年の眼で、美し若い男女情死行を、「日常のようになごやかに眺めている」と解説している。

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作品評価・研究

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海と夕焼」の記事における「作品評価・研究」の解説

海と夕焼』は、三島自解で〈私にとつてもつとも切実な問題秘めたもの〉と述べていたが、三島死後もあまり本格的な論究なされていない傾向にある。ちなみに三島後年、『海と夕焼』を振り返って、「あの作品がもし、発表当時から正確に理解されていたら、それ以後自分生きかたも変ったかもしれない」と虫明亜呂無語っている。 鈴木晴夫は、三島作品では〈海〉が多く描かれているが、『海と夕焼』の〈海〉は自然背景としてのではなく、「人間の暗い情念呼び醒ます黙示役割負っている」として、その〈海〉は真昼や暁の光り輝く海とは違う「神秘的な暗さ」を湛え異郷日本回想して生きている老人にふさわしい〈海〉となっていると解説している。 佐藤秀明は、『海と夕焼』の〈奇蹟〉を、「現実許容しない詩の幸福」(奇蹟信じて疑わない〈詩〉の〈幸福〉)のことだとし、これは『詩を書く少年』での〈詩〉を紡ぎ出す時の〈幸福〉であり、「〈現実〉と相渉らない〈言葉〉の〈幸福〉」と同じだ解説している。そして、この「現実許容しない詩」は、三島がしばしば〈人生〉と対比して芸術〉と呼び、〈小説固有の問題〉だと言っていたものだとして、奇蹟待望とその挫折を〈私の一生を貫く主題〉と吐露し三島が、『豊饒の海』に至るまでのあらゆる作品でこの主題描いていることを指摘しながら、「三島の言う小説とは、人生現実)と詩(「現実許容しない詩」)との対立含み、それを描いたもの」と論考している。 石井和夫は、『海と夕焼』の主題を、〈いくら祈つても分れなかつた夕映え海の不思議〉、〈奇蹟幻影よりも一層不可解なその事実〉にあるとして、その主題は『真夏の死』で朝子最後に再び悲劇を〈待つ〉思い通じるものがあると考察し安里語り2年後に「文永の役」があることなども鑑みながら、安里が〈不思議〉の再来待ち望んでいるとしている。一方根岸一成は、安里の〈不思議〉に捉われ続ける姿に、「神の死せる世界で神を探し求めることの必然的挫折」、「絶対者不在深淵追いやられた虚無」を看取している。 田中美代子は、遠藤周作の『沈黙』の主題転換(「あの人沈黙していたのではなかつた」とした所)について三島疑問呈し、〈神の沈黙沈黙のまま描いて突つ放すのが文学〉としつつも、別のエッセイで、〈「神」といふ沈黙言語化〉こそ〈小説家最大野望〉だと吐露していた複雑な心理挙げて、『海と夕焼』の主題について考察している。 近代末世にあって奇蹟などありえないのが当然の合理的科学的現実であるのに、なぜ人は飽かず奇蹟待望し、神の不在自明なのに、神への祈りをやめることができないのか。それはただ、人間絶望的な祈りだけが逆に神を証かす唯一の行為だという信仰秘儀ではないのか? — 田中美代子海と夕焼」 また田中は、この三島の〈一生を貫く主題〉が『豊饒の海』の第2巻奔馬』の神風連挫折にまで繋がっていくことに触れながらも、『海と夕焼』で注目する点として、「安里が、現実失墜を経ながらも、再び現在の境遇に、慎ましいある安らぎ感じていること」を指摘し三島作品の変遷鑑みている。 執筆当時三島文学十全開花して時代迎えられて、作家生活頂点きわめていた。だが彼にとってはどんな地上の幸福も魂を癒すに十分ではありえない呼べこたえぬ神の似姿こそ耳もきこえず言葉発せぬ安里傍ら無心少年存在であろう。 — 田中美代子海と夕焼」 小埜裕二は、従来の論で〈海〉と〈夕焼〉が一対取り合わせとして、主人公過去想起なされていると捉えられていることにやや異論唱え2つ異な概念を表わしているとして、〈夕焼〉は「奇蹟待望抱かせる象徴」(キリスト教世界観における「永遠」の象徴)で〈有限性〉を表わし、〈海〉は「奇蹟的世界へ誘いつつもそれを拒むもの」(仏教的世界観における「久遠」の象徴)で〈無限性〉を表わしていると解説している。さらに、西洋キリスト教世界観有限性対し東洋仏教的(禅的)世界観・無限性の時間優位示され預言者発した東へ行くんだよ〉という言葉もそれを暗示するものと考察している。 〈夕焼〉は終末という〈有限性〉のなかで最後の輝き復活の後の永遠)をしめすキリスト教世界観象徴として理解できる一方仏教的世界観にはものごとには始め終わりもないという縁起考え方がある。マルセイユの〈海〉が示した沈黙は〈無限性〉を基とする仏教的世界観響きあう。本作結末においても、安里回想終了時に〈夕焼〉が終わり「闇」とともに梵鐘の音」が響く。その音は「久遠」へとすべてのものを導いていく。(中略三島解説奇蹟自体よりもさらにふしぎな思議といふ主題」は、作中において「不思議」へのこだわり消し去ろう周到に用意され仏教的世界観枠組みのなかで捉え返される必要がある。「奇蹟自体よりもさらにふしぎな思議」を現出させるのも〈海〉であれば、「不思議」への思い消し去ろうとするのも〈海〉なのである。 — 小埜裕二三島由紀夫海と夕焼』論:「不思議」を消し去るもの」 そして最後少年眠りが、「安里回想への執着相対化する役目」を担い聾唖少年感覚がここで全て閉ざされている意味は、禅宗における「ものにこだわらない自由な精神」「無の境地」を示していると解説し最後の場面臨済宗禅問答ともなっているとしている。また、少年は能のワキ役どころでもあり、シテ安里語りは「死後の時点から生の時間眺め夢幻能回想形式」に似ていると小埜は述べている。 禅では忘れること捨て去ることが大切となる。とらわれのない心を禅は目指すのであり、そうした境地仏教説く諸行無常教え輪廻転生教え与えペシミズムニヒリズム断ち切るものとなる。(中略過去体験した「不思議」を呼び返す山頂での安里語りは、〈眼の少年〉に向けて語るところから始まった。〈眼の少年〉が安里過去引き出させるスイッチであったとすれば、〈眠る少年〉は安里を再び現在へ連れ返すスイッチとなった。 — 小埜裕二三島由紀夫海と夕焼』論:「不思議」を消し去るもの」 また小埜は、『海と夕焼』の翌年に『金閣寺』が発表され繋がりの意味辿りつつ、『金閣寺』の終盤で、溝口放火後に突然と究竟頂で死のうとすることに触れ、そこに「『海と夕焼』の語り手安里語り現在の設定に際して秘かに示した奇蹟待望祈念と同じもの」が読み取れるとしても、その三島の「延命せられた〈不思議〉の到来を願う思い」が重要な意味を帯びてくるのは後年の作品においてだとして、2作品書かれ昭和30年頃の三島には、「〈不思議〉へのこだわり消し去り乗り越えていく自信満ちあふれていた」と考察している。 「不思議」の到来をもはや願わなくてもよいと言いうる枠組み物語内部構築しえた力業を、三島奇蹟待望不可避であることの告白以上に戦後一貫して感受性化け物コントロールしようとしてき努力成果として読み手理解してもらいたかったではなかろうか。「不思議」へのこだわりをいかに制御するかが三島にとっての「切実な問題であった。 — 小埜裕二三島由紀夫海と夕焼』論:「不思議」を消し去るもの」

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作品評価・研究

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夏子の冒険」の記事における「作品評価・研究」の解説

夏子の冒険』は軽いタッチ恋愛コメディ娯楽小説として楽しめる作品で、冒頭から突然ヒロイン修道院入り決意するという突飛な展開に特徴がある。少女小説古典文学では、波乱万丈運命翻弄された末、ヒロインが世を儚んで修道院尼寺へ入るという結末珍しくはないが、『夏子の冒険』では「出家決意」から物語始まって結末向かっていくところに独自性がある。 夏子願望は、『仮面の告白』の〈私〉や、『愛の渇き』の悦子欲望反復して発展させたものだと見ている千野帽子は、夏子前半見せていた「わけのわからないことをする人物」の魅力中盤において、恋敵不二子嫉妬したりするなど、「わけのわかることをする女」となり、逆にミステリアスな不二子の方が魅力的に描かれるが、最後どんでん返しで再び夏子が「わけのわからないことをする女」となり、「正→反→合」の作用物語与えていると解説している。 木村康男は、夏子が「熊狩りという冒険」に恋し自身情熱対象が「〈ますらおぶり〉を喪失した男性にはないこと」に気づくという主題解説しつつ、「恋の本質冒険であり、冒険の終わる時に恋も終わる」としている。松本鶴雄は、「井田を見る夏子の眼に三島ロマンチシズムイロニー横溢している」と解説している。 十返肇は、『夏子の冒険発表から約3年後に、「若く溌溂とした夏子魅力」は、そのまま作者三島魅力だとし、以下のように解説している。 死を決意した彼女の演ずる生へ冒険を、三島由紀夫は心にくいまでにまでに巧みに描いてゆく。彼女をめぐる風変りな環境私たちを笑はせ、彼女が燃やす恋の情熱私たち蠱惑する。原始的な風土の中で都会夏子冒険結果生きる歓びを知る。若い女性読者は、みんな自分中に一人づつ夏子が棲んでゐることを痛感するであらう。そして、新し青春生き方をここに見るに違ひない。 — 十返肇青春生き方」 『夏子の冒険』は2000年代以降村上春樹の『羊をめぐる冒険』(1982年)との関係性文学的に論及されることも多く佐藤幹夫は、村上が「熊をめぐる冒険」である『夏子の冒険』から『羊をめぐる冒険』を着想し、〈女秘書のやうなまじめ顔つきになつて拝聴〉する夏子相当するのが、「耳のガールフレンド」だとし、〈導き〉という言葉や、今や村上専売特許となっている〈やれやれ〉という言葉も、すでに三島がこの作中使っていることを指摘している。 高澤秀次また、村上の『羊をめぐる冒険』は三島の『夏子の冒険』の「書き換え」であると唱え大澤真幸も、高澤秀次の論を敷衍して、三島村上関連について論じ、「三島自殺こそ、理想時代行き詰まり対する、最も先鋭な行動である。このことを考慮すると、三島村上こうした繋がりは、実に暗示的である」と述べている。 大澤真幸は、夏子の〈冒険〉が、「〈植民地〉的なエキゾチシズムを誘う土地」である北海道向けられることに着眼し東京(の青年)に倦怠していた夏子が、修道院への旅の途上仇討ち青年共鳴し、「逆説的な仕方で、冒険理想)を発見」することを、「〈復讐〉というネガティヴ形態でのみ、理想活きているのだ」とし、以下のように考察している。 したがって青年が熊を倒したとたんに夏子青年への情熱醒めてしまう。三島のこの小説は、すでに、理想理想として維持することの困難を表現していると解釈することができる。この約20年後に三島は、実際に理想時代破綻を自らの自殺をもって体現することになるわけだが、そこへと向かう問題意識は、この時点で、無意識の内に孕まれていたとも言えるだろう。 — 大澤真幸不可能性の時代」 そして大澤は、村上が『羊をめぐる冒険』の冒頭の章「1970/11/25」で、三島事件を、〈我々にとってどうでもいいこと〉としての言及していることについて、「無論、それは〈どうでもいいこと〉ではないからこそ言及されるのである」とし、主人公〈彼〉が、二人の女性の死を契機に、やはり『夏子の冒険』同様、北海道へ冒険に出ることを指摘しながら、以下のようにまとめている。 「我々はおだやかな、引き伸ばされ袋小路中にいた」という表現示唆するように、『羊をめぐる冒険』は、冒険の──理想主義的なユートピアの──不可能性をめぐる冒険である。この自己言及的・自己否定的な冒険内容は、複雑をきわめるが、目下文脈において重要なことは、小説タイトル暗示しているように、それが、幻想的フィクショナル冒険という形態取っていることである。要するに、村上の『羊をめぐる冒険』は、三島から直接バトン受け取るように小説書き三島作品中に孕まれていた可能性徹底させることで、理想から虚構への移行果たしているのだ。 — 大澤真幸不可能性の時代

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作品評価・研究

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恋の都」の記事における「作品評価・研究」の解説

恋の都』は娯楽的な恋愛小説ありながらその背景には、国粋主義者だった青年敗戦によりアメリカスパイ要員となっていたという展開にも表われているように、戦後の日本アメリカ関係性色濃く随所描かれヒロイン・まゆみが、ホテル監禁され楽団員松原を救うため、〈口髭たくはへいかにも正義派的〉な〈恰幅のよい米国人マシュウズ威光借りて事件解決しそういった自身のことを〈日本政府みたいな遣口〉だと考え見返りをまゆみに求めたマシュウズ出方を、〈アメリカ人一般の例洩れずMSA式なやり方〉と思うなど、寓意所々ちりばめられている。 こういった『恋の都』で描かれている寓意について武内佳代は、「帝国西洋)と植民地東洋)の関係がジェンダー非対称性」として表象され、その挿話には、「GHQ撤退後戦後日本がいまだ米国植民地であることが前景化」されているため、「まゆみの貞操死守はまゆみ個人的な復讐劇超え、「戦後日本における米国支配への抵抗そのもの寓意」と読解できるとし説明している。そしてそれは、『潮騒』の中で、新治沖縄荒波で船の危機救った挿話見られる寓意同じだ武内考察し、まゆみが下心のある米国人たちから処女守りつつ、見事に賃上げ交渉成功させた時の楽団員たちの反応(まゆみへの尊敬信頼)に明白なように、「貞操死守という占領国への抵抗こそ、彼ら敗戦国男性を〈喜ばせ、元気づけ〉」、胸に五郎への「弔合戦」を続けるまゆみの「イマジナリー領土では、いまなお戦中天皇の〈法〉は命脈を」保ち、「いまだ戦争終わらない」とし、『恋の都』は『潮騒』よりもさらに明瞭に、「純愛天皇の〈法〉との連繋や、そうしたものと米国支配の影と対立関係」が描かれていると解説している。 そして武内は、〈五郎さん肉体抱きしめるやうに〉、その思想抱きしめてきたまゆみが、〈フランク・近藤〉という米国スパイとなってしまった五郎再会し五郎への純愛との葛藤の末に、そのプロポーズ(「米国人男性に自らの性を奪われること」)を承諾したのは、まゆみの心中においては「〈日本〉の敗北」をも意味し同時に、「〈天皇陛下への絶対の愛日本人としての絶対の矜り〉という〈生きる糧〉を喪失し本当の〈敗戦〉を迎える」とし、まゆみが結末で〈イエスですわ〉と返事をする場面には、「米国受け入れて敗北抱きしめ〉た当時戦後日本趨勢そのまま透視することができる」と解説している。また、英語混じり承諾したまゆみの態度には、「占領国」(男)「被占領国」(女)というジェンダー配置比喩にすれば、「米国救済によって存続した、矛盾満ちた戦後天皇それ自体表象」に換言され、その承諾を〈感情をまじへないはつきりした声〉と三島表現し、まるで交渉臨んでいるかのようにまゆみに仮託させているのは、「まゆみの諦念」だけでなく、「作者諷刺的眼差しをも滲ませている」と武内考察している。 油野良子は、右翼青年丸山五郎アメリカスパイ転向するという設定が他の三島作品にはなく、後の三島文学描かれる「純粋右翼青年悲劇」と一見違うようではあるものの、三島が『林房雄論』の中で〈右翼とは、思想ではなくて純粋に心情問題である〉 と言っていたことを鑑みれば、「矛盾するものではない」と解説している。 田中美代子は、アメリカ人になることで辛うじて生き延びている丸山五郎は、姿を変えてその後『鏡子の家』深井峻吉や『奔馬』の飯沼勲に繋がる系譜人物であるとし、三島占領時代振り返り、〈しかし占領時代が、青年精神的成長に、今から考へると、或るおづおづした、不透明な制約加へてゐたやうにも思はれる〉 と言っていたことを見て五郎生き方を「精一杯のこれが抵抗だった」と考察できるとしている。 そして作中の〈大東亜塾〉のモデルであろう大東塾」について三島が〈終戦時における大東塾集団自決が、一体何を意味するかといふことは、私の念頭離れなかつた〉、〈神風連攻撃であり、大東塾は身をつつしんだ自決である。しかしこの二つ事件背景相違を考へると、いづれも同じ重さ持ち、同じ思想根から生れ日本人心性にもつとも深く根ざし、同じ文化本質的な問題触れた行動である〉、〈剣を失へば詩は詩ではなくなり、詩を失へば剣は剣でなくなる……こんな簡単なことに、明治以降日本人は、その文明開化病のおかげで久しく気づかなかつた〉と述べていた『一貫不惑』 に触れつつ、田中は以下のように論考している。 大東塾は、「恋の都」の宮原大東亜塾のモデルになったものと思われるが、彼(三島)にとってそれは、〈西欧対す日本最後果敢な抵抗としての文明史意義有するものであり、〈日本人心性にもつとも深く根ざし、同じ文化本質的な問題触れた行動〉 と考えられのである追い詰められ日本人の魂の抵抗――それはいぜんとして戦後思想史背後隠されたままであった。敵はむしろ祖国内部にあった。〈大正以降西欧教養主義がこの病気拍車をかけ、さらに戦後偽善的な平和主義は、文化のもつとも本質的なものを暗示するこの考へ方を、異端思想として抹殺するにいたつたのである〉 — 田中美代子三島由紀夫 神の影法師――夢の疲れ――『潮騒』『恋の都』『につぽん製』」 千野帽子は、『恋の都』の中に込められていた「国家」と「処女」の帯びる意味は、現在の日本社会では様変わりしてしまったが、『恋の都』は今でも純粋に恋愛小説として楽しめるとし、作中盛り込まれている当時時事ネタや、〈ハニー・紙〉というトニー谷をもじったコンサート司会者ギャグ流行語などの風俗について触れ、「〈古くなった〉と思われがちな『恋の都』が、いまとなってはなんと愛おしく見えることか」と懐古している。また、帝国ホテル行なわれるハロウィーン仮装舞踏会場面で、まゆみが束髪と袴の明治女学生扮して優勝するという皮肉に触れながら、三島がそこで、「民主化なんて、しょせん敗戦忘れるために」、「日本の〈世間〉に米国文化植えつけているだけではないか」という「哄笑」が文脈無視して聞えてきそうな場面だとし、「発表時期が近いだけで一見接点なさそう娯楽小説恋の都』と戯曲鹿鳴館』を並べてみると、明治近代化戦後民主化との共通するトホホ感が、浮かび上がってくるではありませんか」と解説している。

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女神 (三島由紀夫の小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

女神』は、一見通俗的な筋で展開するが、その深層にある主題三島文学全体関わる要素含まれている作品である。当時新聞評では、成功とはいえないものの「作者ゆたかな空想力才気は、だれも否定出来ないだろう」と評している。 奥野健男は、「日本的湿潤から全く隔離された、乾燥したふん囲気と論理は、矢張り新し世代先駆者として際立っている」と評し作者長所と短所はっきりした作品だと解説している。 十返肇は『女神』の主題を、「物質のように堅牢な美の存在確認しようとするもの」とし、それは「作者観念中にのみ存在する」と考察しながら、三島が、滅びゆく生命中にではなく生き続けてゆく生命中に〈美〉の存在があると考えているとし、その意味で、三島特質顕現している作品だと解説している。 『女神』は初出誌では、激昂した周伍がピストルで俊二を叩きのめそうとして弾が暴発し、俊二を撃ち殺してしまうという筋書きとなっていたが、初版単行本刊行の際に大幅に書き換えがなされ、その改稿により、終結部が単に偶発的な外的事件によってではなくヒロインの「内的必然性純化」によってもたらされることで、心理小説として、より完成度の高いものとなった田中美代子解説している。また田中は、三島が「まわりの選良たちを劇画化し、嘲笑するため」に、上流社会作品素材としたと考察し馬場重行は、それを敷衍して、「上流社会社交中に自閉し、美を観念の中で変形させ、その歪んだ鏡に映る像に固執する周伍の醜さ」は、〈劇画化〉するため背景として巧みに機能していると解説している。 また田中美代子は、妻や娘を「生きた芸術作品仕立てようとする怖ろしい審美家」の周伍には谷崎潤一郎イメージされ、一方彼女たち人生を「体当たり」で「攻略しようとする破滅型」の芸術家には太宰治イメージされるとし、男たちから独立して化身する朝子の姿には、両作家方法論への三島批評重ねられていると解説しつつ、暗い家庭環境や不幸をくぐり抜け精錬窯変して永遠の「美の彫像」となる朝子の姿には、作者である三島分身的に移乗されていると考察している。 自然に介入し人生懐柔し、理想鋳型にはめこもうとする芸術家二人それぞれの仕方夢想の城を築こうとして敗退する。それまで男たちなすがまま教育されていた美し生き人形は、このとき客体であることをやめ、意志をもち、敗北踏みこえて雄々しく立ち上がる不死鳥のやうに。……ここに三島文学の、両先輩作家へささやかな方法論的批評含まれているのだろう。 — 田中美代子三島由紀夫 神の影法師――女人変幻――『沈める滝』『女神』『幸福号出帆』」 磯田光一は『女神』の主題について、周伍の芸術家情熱を単に「非人間的」と捉えてしまうのは容易なことで、「人間性という名の無定形のものに理想様式与えようとする願望は、だれの心にも多少宿っている」とし、〈文化〉は〈自然〉と対立し、「〈自然〉を否定克服したところに成立するもの」であり、「女性美の創出理想化も、人間の反自然的情熱所産」だともいえると考察し、「女を“女神”になるようにつくりあげるということは、女を不可侵存在にしてしまうことであって、じつは奇妙なことに女の本質とは矛盾してしまうことなのである」と解説している。 そして朝子が、〈パパ教へてくれたのは、心の形骸の生活の作法だけだつたんだわ。しかもそれが今の私の、唯一の支へになつてゐるなんて、本当に妙だこと〉と思うのは、その女としてのディレンマ告白」であり、朝子は、斑鳩一婚約者・俊二との「心理的な絆を断ち切られる体験」を経ることで、「人間悲劇愛慾などに決し蝕まれない、大理石のやうに固く明澄な、香はしい存在」に化身する磯田説明しながら、以下のように解説している。 人間界超えて女神”に化身するという主題は、日常性超えた大理石彫像のような美に現実人間上の意味を与えということである。芸術家にはつねにそういう願望があるであろうとし、芸術作品人間界超えているといえばいえる。しかし「芸術」の絶対美からみれば「人生」は卑俗であるかもしれないが、逆に人生」の側からみれば「芸術」にとりつかれた人間社会生活不適格者ならざるをえまい。 — 磯田光一解説」(文庫版女神』)

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白蟻の巣」の記事における「作品評価・研究」の解説

白蟻の巣』は三島書いた初の長編戯曲であるが、総じて高い評価なされている。 福田恆存は、「三島氏の小説と同じ水準達した作品」と高評価をし、北原武夫も、「三島君はこの作品初め戯曲書いたと思うんです」と述べている。吉田貞司は、「小説劣らぬ豪華なモラル開花見せてくれた」と評しヘンリー・スコット・ストークスは、「この作で三島劇作家として地位確立された」としている。 荻久保泰幸は、〈白蟻の巣〉とは「安直人道主義世俗的美徳むしばまれ真に人間的なものを喪失した状態の象徴」であり、やがてその後世人気づく戦後民主主義もたらした精神的頽廃マルクーゼいわゆる寛容抑圧象徴」でもあるとし、「戦後10年という曲がり角における反時代的考察」がなされている作品だと解説している。越次倶子は、荻久保の論を敷衍し、〈白蟻の巣〉とは日本の国の象徴であり、「戦後十年にして、白蟻の巣見てしまったところに予見三島悲劇がある」と解説している。 佐藤秀明は、寛容刈屋義郎内実無気力倦怠感を、執筆当時昭和30年代)の三島の「空虚感」に裏打ちされたものとし、それは『鏡子の家』鏡子が担う「空虚な中心形成する役割」に通じ贅沢な社交場の〈鏡子の家〉が実は敗戦後廃墟通じているのと同様、刈屋邸の食堂もそうだと考察している。 山中正樹は、佐藤の論を敷衍し、三島が『太陽と鉄』の中で、自身の〈言葉蝕まれ肉体〉を、〈白蟻蝕まれ白木〉に喩えて自身言葉と〈特攻隊美し遺書〉を対比させていることを鑑みて三島様々な作品の〈言葉肉体〉、〈認識行為〉という「根本問題」に関連した主題として論究することも可能だ考察している。 また作中で、刈屋義郎が〈生ける屍〉、百島健次が〈古い死んだ鼠〉など、啓子以外の人物はすでに〈死人〉と表現されていることに、「散華することができずに生き残った三島の〈絶望幻滅〉が看取できるとし、刈屋夫婦渇望しつつも拒否されている〈太陽大地の意味も、三島が、〈自分小説はソラリスムというか太陽崇拝というのが主人公行動決定する太陽崇拝は母であり天照大神である。そこへ向っていつも最後に飛んでいくのですが、したがって、それを唆すのはいつも母的なものなんです〉と語っていたことから、「三島終生求め続けていたもの」は何だったのか、〈白蟻の巣〉とは何なのかを含め三島敗戦から自決に至る過程において、『白蟻の巣』の位置づけ考察する方法もあると山中解説している。

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愛の疾走」の記事における「作品評価・研究」の解説

愛の疾走』は、登場人物の関係図も『禁色』の配置類似したもの見られ小説家大島十之助青年田所修一目を付けて、裏から観察して操ろうとするところや、大島夫人修一庇護者として配置させているところなどにも共通項がある。また、読物として娯楽的な趣向中にも三島人生観文学観がさりげなく書かれており、最終章には、〈かういふ天才若死するのが普通だが、四十七歳になつてまだ生きてゐるところを見ると、何事にも例外といふものはあるらしい〉などという意味深な文も散見される清水義範は、「三人称」で進行する通常の章に間に、登場人物のうちの3人が「一人称」で語る章が入れ込んでいる点に着目し、その普通の小説には見られない形式を、「これだけでも、ちょっとした実験である」と述べその人違いの章を、うまく書き分けるだけでもかなり難しく、それを、「破綻なく小説中に組みこむのは至難の技である」と解説している。 また清水は、主人公2人と、彼らをモデル小説書こうとする作者と、作者思い通りになりたくないと考え主人公という、「メタ・フィクション」的な複雑な二重構造について説明しながら、「どう考えてもこれは、三島由紀夫にしては軽い通俗恋愛小説なのだが、この構造持っているところが只物ではないわけだ」と述べ例えば、小説ヒロイン美代作者大島意識し、「くそっ、作者が私を観察してやがる、と思う登場人物心理」を、「ゾクゾクしてしまうところ」だとして挙げて、以下のように評している。 こういう手はほかにはあまり見たとがないうまいものです。そういうきわどい遊びをやりながら、物語最後までよくできた恋愛物として成立している。うまいと言えば風俗時代性取り入れ方も見事なのである都会田舎問題時代の変化という社会性までもが、実に巧みに組みこまれている。素直に脱帽するしかない。 — 清水義範二重構造小説たくらみ横尾忠則は、三島随筆ポップコーン心霊術横尾忠則論』の中で、幼い頃便所見ていた片脳油樟脳白油防臭殺虫液)の壜のレッテルについて回想している以下のような箇所を引きながら、この『愛の疾走』という小説が、登場人物大島十之助書いている小説だという「入れ子構造になっている点に触れて三島の「モノマニアック趣味」が導入されているとし、そこがこの小説に「不思議なマジカル空間張り巡らしている」と評している。 片脳油レッテルには、子供にとつて最大宇宙的無限の謎を誘起する当時はやりのデザインがあつたかもしれない。それは、人が何か手にもつてゐる図柄中に、又、人がそれを持つてゐる図柄があり、その中に又、人がそれを持つてゐる図柄がある、といふ無限小数的なデザインである。さういふ悲しくなるほど永遠に遠ざかり深まつてゆくものを暗示したデザインこそ、あの糞臭と片脳油の匂ひのなかで鑑賞すべきものであつたのだ。 — 三島由紀夫ポップコーン心霊術横尾忠則論」 また横尾は、主人公修一美代が、小説家大島の策略思惑から逃げてやろうと企むところは、作者三島自身様々な小説執筆中、思惑通り登場人物動いてくれず、彼らが独自の行動し始めるという体験を、図らずも告白してしまっているようだ考察している。そしてこの小説の「最大見せ場」は、この「十之助の小説題名」を、「三島由紀夫愛の疾走』」と、三島自身が「パクって」しまうところだとし、それを、「歌舞伎舞台で三島由紀夫扮する大泥棒石川五右衛門大見得切ったように思える」と喩えてそういった三島遊び心おちゃめ性格垣間見られ、同じ小説家大島十之助という登場人物弄ぶところが面白いと評しながら、それは、三島大嫌いな想像力欠落した私小説作家カリカチュアライズして皮肉っている」と説明している。

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作品評価・研究

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夜会服 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

夜会服』は作品全体として評価はあまり芳しくなく、娯楽小説として分類されているが、登場人物心理描写力評価されている傾向がある。 松本鶴雄は、『夜会服』を「上流階級扱った心理葛藤劇で、所々クレーヴの奥方』を思わせる光った描写もあるが、全体メロドラマ通俗小説」と評し鈴木靖子は、「人物の心理的葛藤巧みに描かれているが、カタカナ外国語随所にみられ、括弧付き解説施されていて、それが文章生硬感じ与えているのは否めない」と述べている。 篠田一士は、登場人物描き方扱い方見られる三島の「劇的才能」を評価し、特に最後花山宮妃の登場を、「作劇術で、デウス・エクス・マキーナという、便利だが、きわめて危険な方法」と解説し演劇の演出関連させている。 田中和生は、「勤勉な作家であった三島を、「敗戦後日本焼け跡から回復して高度成長実現し、〈東洋の奇跡〉と呼ばれる戦後復興なしとげたことを思わせるようなきまじめでひたむきな勤勉さだった」と表現し、それは明治期森鷗外さながら、「敗戦後日本生きた三島由紀夫はおそらく自分原稿用紙に記す一字一字戦後日本つくりあげていくという使命感をもっていた」と述べ、そんな三島の「勤勉さ惜しげもなく注がれ純文学としての短編長編」の次に21世紀において新し読み方期待されるのが、三島純文学余剰気軽に執筆した娯楽小説」かもしれないとして、『夜会服』もその一冊だとしている。 そして『夜会服』の〈俊男〉は、母の〈滝川夫人〉の生き甲斐である〈夜会服〉の世界日本近代化象徴する場)に批判的で、〈絢子〉との結婚機に、そこから自由にろうとしているが、「近代そのもの」から逃れることは不可能であり、〈俊男〉の「どこか虚無的ありながら近代社会における万能の力をもっているように見え男性魅力は、日本近代化矛盾体現するかたちで造形されているところ」にあり、〈俊男〉の万能西欧文化模倣した世界で得られたもので、彼自身がその〈夜会服〉の世界建前としての日本)における「本音奪われロボット」を意味していると田中説明しこうした〈俊男〉の人物造形には、「三島由紀夫自己イメージ」が投影され三島は〈俊男〉を描きつつ、「戦後日本という〈夜会服〉の世界から出ることができず、本音隠して建前をなぞるかのように生きざるをえない自らの存在悲哀深く感じていたかもしれない」と考察している。 また、そうした現実的すぎる悲哀和らげる場面」が、世界で翻訳されうる三島純文学では書かないような造形方法で、西欧人たちが「醜悪滑稽なもの」として描かれているところに散見され、彼らが一様に欺瞞と耐えがたい特徴そなえた人物たち」となっているのを田中指摘し、さらにもう一つの「現実的すぎる悲哀和らげる場面」は、物語末尾で〈俊男〉と〈絢子〉を救い、「〈俊男〉の本音聞き届けてくれる〈宮様〉の存在」だとし、以下のように解説している。 そこにはおそらく、戦前二・二六事件敗戦後人間宣言によって昭和天皇に対して生涯屈折した感情抱きつづけた三島由紀夫夢想した戦前から戦後へと変わらずにつづく近代化という建前強いられる世界において日本人本音守ってくれる天皇という、理想的なイメージ投影されている。こうした本音をさらけ出した心の避難場所愛すべき娯楽小説のなかにつくりながら、現実三島由紀夫辿りついたのは1970年割腹自殺だった。「俊男」とその孤独理解する絢子」の「愛」が成就される『夜会服』の甘すぎる末尾わたしたち突きつけるのは、そうしたとりのすぐれた作家自死させてしまった日本現実欠けていたものなにかという問いである。 — 田中和生愛すべき三島由紀夫避難場所

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作品評価・研究

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おわりの美学」の記事における「作品評価・研究」の解説

『をはりの美学』は、日常的に女性関心のある話題題材にして、その〈をはり〉をユーモラスに軽い文体綴ったもので、若い女性向けの人生恋愛の手引書的な趣のあるエッセイであるが、その中には三島本音垣間見られ、随所死に方についても語られており、「男の美学」も盛り込まれている人生論となっている。 荻久保泰幸は、「三島一流の皮肉・警句適当に糖衣包んだ行間に、現代社会への怒り噴出している」のが、〈満天下青年男女よ、一日早く動物卒業して日本文化本質にかへりたまへ〉と三島が言うところに見られるとし、さらに、「笑いくすぐりをふりまきながらいか生きるべきかを語っているようにみえて、実はいかに死ぬべきかを語っている」と解説している。 中野裕子は、三島が〈芝居のをはり〉の中で、〈人生のをはりと芝居のをはり〉を比較しながら、芝居成功の後の幕が下りた舞台に立つ劇作家として自身感慨を〈何か人生大きなガランとした虚無とつながつてゐる〉と語るくだりは、三島創造した芸術作品と、実生活虚無との関係が暗示されているとし、〈童貞のをはり〉の中で、性交の後に雌に食い殺されるカマキリの〈雄の宿命〉や、特攻隊が死の前夜女を知る例えから〈男にとつては生へぶつかつてゆくのは、死へぶつかつてゆくのと同じことだ〉と語る論理は、三島影響受けたバタイユエロティシズムの形」(生と性と死を結ぶもの)であると解説している。

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反貞女大学」の記事における「作品評価・研究」の解説

反貞女大学』は、〈反貞女〉とはどういうのであるかを、その条件など考察して面白く説いたエッセイであるが、同時代評としては、〈貞女〉観に縛られていた「動脈硬化」的な女性たちの肩を揉みほぐすような意図として受け入れられ評価されている。 田中美代子は、三島終始一貫し、「見えざる婦徳しばられ貞女たちに対して、できる限りリラックスして夫の呪縛放れ精神的な自由を獲得し活きいきと生活をたのしむよう」に教授していると解説している。なお、『反貞女大学』が執筆された同時期には、小島信夫の『抱擁家族』などが発表され夫婦関係文学的に社会的に話題とされていた背景があると広瀬正浩解説している。 ちなみに三島は、産経新聞連載第32回目の「第11同性学{2}」に筆者によるコメントとして、〈連載途中から突然あらはれるといふのは、気の利かないお化けみたいな出方恐縮〉としながら、以下のように述べている。 わけても、この万事正道をゆく「反貞女大学」のうち、もつとも逆説的な同性学」の講義途中から入つてこなければならない方々は、めんくらつてばうぜんとされるではないかと心配します。しかし、どうか、講師のいふことにしばらく静かに耳を傾け教室ドタバタ足を踏み鳴らすやうなことはないやうにお願ひます。日本全部とりすましたPTAムードへ傾いていかうとするとき、私だけは「反貞女大学」の名のもとに、何とか退屈な常識に足をとられないやう、そして笑ひながら人間真実を語るやう、これ努めてゐる良心的講師をもつて、自ら任じてゐるのです。 — 三島由紀夫新しく読まれる読者に」

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葉隠入門」の記事における「作品評価・研究」の解説

葉隠入門』は、三島美意識思念を知る上で重要な随筆一つであるが、同時代評でも「三島文学入門」の書であると林房雄評し村上兵衛も、三島らしい見解表れているとみなしている。山本太郎は、「死と凝視」「生の尊厳」が書かれている解説している。 野口武彦は、三島が『葉隠入門』の中で〈このいはゆる戦後文学時代は、わたしに何ら思想的共感も、文学的共感も与へなかつた。ただ、わたしと違つた思想的経歴持ち、わたしと違つた文学的感受性を持つ人がちの、エネルギーバイタリティーだけが、嵐のやうにわたしのそばを擦過していつた〉と述べていることに着目し、「(三島が)その時代を否定するために作家として時代関係した」と考察しながら、その唯美主義的あるいは反語逆説的な作品世界現実対峙した三島が、「自己の異端者的な〈エステティック〉に固執することで時代否定し、その否定において〈連続性〉と〈論理的一貫性〉(すなわちモラル・アイデンティティ)とを堅持した」とし、三島を「勇敢な否定的なもの形而上学的騎士〉だった」と、キルケゴール表現用いて解説している。 山本常朝の『葉隠』を、「戦国戦士死にぞこないが、天平世にその失われたユートピアへの哀切憧憬託した倫理書」だとする橋川文三は、三島剣道五段を取得し、〈剣道七段の実力〉を目指す姿勢に、『葉隠』で説かれる作法と「三島ダンディズム」の共通性見て、「様式化された倫理への哀切あこがれを示すもの」とし、三島アンケートで「あなたが欲しいもの三つ?」と問われ、〈もう一つの目、もう一つの心、もう一つの命〉と答えたことの背後暗示されるロマン的な変身への熱情世界崩壊へのいたましい傾倒」を、「『葉隠』の倫理相補関係をなすもの」だと、1964年昭和39年時点考察している。 そして川は、三島が『林房雄論』(1963年)において示した歴史との対決」の姿勢が、「晩年芥川龍之介似た場所」あるいは「明治終焉期森鷗外」の境遇通じものかは予測できないしながら、それはむしろ『葉隠』の中の「一種透徹し恐怖感」を湛えている一節引いた方がいいとし、〈道すがら考ふれば、何とよくからくつた人形ではなきや。糸をつけてもなきに、歩いたり、飛んだり、はねたり言語迄も云ふは上手の細工なり。来年の盆には客にぞなるべき。さてもあだな世界かな。忘れてばかり居るぞと〉という現世の幻を説いている部分との共通性見出している。 田中美代子は『葉隠入門』を、三島が「現代社会病根深く洞察診断し身をもってその打開心を砕いた体験的臨床的処方箋」、「万人にとって最後現実である『死』を凝視」した書物だとし、その現代文化特徴を、「従来まで人々人生向かって鼓舞していた様々な幻想が(どんな理想規範イデオロギーも)ことごとく潰え去ったこと」、「かつてモラル基礎形成していた絶対観念失われ人間すべての意匠剥ぎとられた等身大の、赤裸かの、即物的自然的な生命直面することを強いられている」ことだと説明しながら、そのことが「現代社会侵している救いがたいニヒリズム」の原因であり、「人生いかに生くべきか、というかつての求道倫理的な問題」の代わりに、「日進月歩する科学的な生活改良健康法姑息な処世技術」といった「瑣末な日常生活への関心ばかりになってしまった現代は、「博学多識と、細分化された『ハウツウもの』の全盛時代」だと田中三島言わんとすることを敷衍しながら考察している。 さらに田中三島が、「われわれは西洋から、あらゆる生の哲学学んだと言ったことを受け、実際のわれわれの「生活自体への関心」は結局、「利殖保身享楽追求」に終わり、「与えられた『生の哲学』によって十全人間性の自然を解放し、富益を求め奢侈飽食放埓に身をゆだねたのちに、やがて等しく老衰死にきわまる運命にさだめられて」、「生とはついに死に到る不治の病だとすれば病んでいるのは『生の哲学そのものだ」と言えなくもないと考察しつつ、「民族国家社会」などの一つの「共同体」が、他文化侵蝕受けた場合に、「人々の生活支柱をなしていた掟や慣習がすたれ、道徳的精神的に荒廃して、その共同体徐々に崩壊解体してゆく」という現実考慮すれ、人がそれぞれの、「生の充実」にいかに励んでも、「生それ自身自壊作用くいとめる手立てありえない」とし、そういった近代合理主義人文主義偏重危機を『葉隠入門』の中で示唆していた三島は、「敗戦後日本人の魂の危機と『生の哲学』の行きつく果てを、いち早く予言した」と解説している。

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第一の性」の記事における「作品評価・研究」の解説

第一の性』は、女性にとって謎の多い男性的な原理の解明平易な文章で分かりやすい例を挙げて説明しているエッセイであるが、〈男らしさ〉が女性から見た理想的男性ではなくて元来本質含めての〈男らしさ〉であることを女性たち問いかけていると中野裕子解説している。 奥野健男は、『第一の性』を書いた三島について、「齢毎に若くたくまし男性になって行くようだ」として、以下のように語っている。 十七年前はじめて会った時は、貧血症の青白い顔をした、ハンサムではあったが、髪を七三にわけた柔弱な文学者であった。しかし無名学生であるぼくに、おたがいに筒っぽ書生として交際しようなと、男らしいこまやかな心づかいを示してくれた。その頃腕角力しても負けはしなかったのだが、ボデイビルや剣道自衛隊鍛えた最近彼には、口惜しいけれど中年肥りぼくはかないそうもない。自らの哲学忠実に不屈の意志文武両道達人自己つくりあげた胸毛三島は、精神的に肉体的に今や男性中の男性の「第一の性」にふさわしい爽やかさとりりしさを体顕している。 — 奥野健男男性中の男性田中美代子は、三島が『第一の性』の中で、〈男は一人のこらず英雄であります〉と教授していることに触れ、この〈一人のこらず〉というところが重要だとし、それは「たとえそれが潜在化しているとしても、〈男はとにかくむしように偉い〉」のでなければならず、「彼の個人としてプライド問題」であり、お互いに男同士がこれを尊重しなければ、「男は男として自立しえない」ということ意味していると解説している。そして今やこの「男の英雄性」は、「女性平等主義踏みつけられて泥にまみれ、そのため、セクシャルハラスメントなどに内攻して、反動化しているのかもしれない」と考察している。 また田中は、三島の言うように男の〈英雄ごつこ〉は、世界政治・経済思想芸術哲学事業生み出した元で、それが善かれ悪しかれ、「男性築き上げてきた文化本質であり、ボーヴォワール女史をして、甘んじて自から女性を〈第二の性〉と呼ばしめたところのもの」だと考察しながら、それゆえ女性が「性差別」をなくすことに躍起になり、「男性男性なるが故に突出する奇癖や、精神的偏向撲滅しようとばかりするのは、ある意味暴挙というべきかもしれない」とし、『第一の性』は、そういったことの「反省」を女性促し、「女性理解寛容訴えている」と解説している。

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サーカス (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

サーカス』は、団長心理焦点当てられ少年と少女心理描写はないものの、その童話風の人工的な作風サーカスの世界相まっているため、概ね好評得ている作品である。渡部芳紀は、「〈危機〉〈死〉、こころの〈かがや〉きへの憧憬語った小品」と解説している。 村松剛は、三島初稿執筆当時の「召集をまぬがれて、帰ってたばかり」の心境顧慮し、「令状はまた来るかも知れなかったけれど、ともかくもしばらくの猶予得たという解放感が、『中世』にくらべればスタイルの上はるかに明る童話風の物語へと、三島導いただろうか」として、即日帰郷前に遺書として書かれた『中世』と比較考察しまた、少女〉には、その当時三島心を寄せていた三谷邦子(三谷信の妹で『仮面の告白』の園子モデル)が投影されていると見るのが自然だとしている。 K子嬢への慕情は、前年の秋いらい彼の心の中に根を降していた。手紙やりとりこの段階ではまだ少かったにしても、その脳裡に影を落す少女はほかにはいなかった。『サーカス』はK子嬢を思い浮かべながら書かれた、と考えるのが自然だろう。べつの角度からいえばK子嬢という実在恋人また、三島童話中の一人物にしてしまった。『サーカス』の少女は、眼下横たわる少年の胸に緋色百合の紋章見たとき、「王子」に殉じて死へと跳躍する貧し少年少女は「王子」「王女」として死にそのことによって二人の恋は気高く完成されるのである三島由紀夫作中曲馬団とともに夢みたのは、生をこえたところに輝く愛の姿だった。 — 村松剛三島由紀夫世界」 小埜裕二は、団長の〈大興安嶺〉での経験と、最後の〈俺もサーカスから逃げ出すことができるんだ。「王子」が死んでしまつた今では〉という台詞検討しながら、三島即日帰郷直後初稿書いていたことを考え合わせ三島の「戦争抱いていた死のイメージ即日帰郷取り残され体験形象化」が団長重ねられているのではないかとして、三島文学における『サーカス』の重要性考察している。 興安嶺での同時代若者の死とそれに取り残され団長構図は、三島戦争抱いていた死のイメージ即日帰郷取り残され体験形象化ではなかつたか。(中略即日帰郷の後、夢想王国破壊を「サーカス」で宣言した三島は、終戦以前から、すでに空虚な気持ちいだいたまま、戦後スタートをきっていたことになる。 — 小埜裕二三島由紀夫即日帰郷――『サーカス』論」 井上隆史は、2005年平成17年)に発見され三島の「会計日記」が、三谷邦子が別の男性永井邦夫(永井松三息子)と結婚した1週間後からつけ始められ、『サーカス』の完成記してその脱稿日で終っていることと、三島三谷邦子と偶然再会したことを記したノート書かれていた今後執筆方針自伝小説向けて過去幼年少年・青年時代自作資料再読して総括着手する抱負) に着目し、この時期に「精神的危機」に陥っていた三島がそれを乗り越える打開策探っていたことを検討しつつ『仮面の告白』の成立背景探り、『サーカス』の初稿から決定稿への改稿変容に、『仮面の告白』に繋がる前駆的な小説方法考察している。 井上は、初稿では、出奔する少年と少女と、サーカス火事という2つ結末があることで焦点ぼやけてしまっていることを意識した三島が、「悲劇的な死という一つ結論にすべてが収斂するように、ストーリー組み立てなおした」とし、決定稿初稿比べて格段に素晴らし出来栄えとなった評しつつ、そうした書き直し通じて三島が「一定の秩序従い物事一つ焦点向けて引き絞らなければならない場合がある」ことを学んだとして、『サーカス』の位置づけ解説している。 「サーカス」を完成させた段階で、三島次のように考えたのではないでしょうか幼年時代の、さらにはそれ以降資料再読し、これを一定の秩序に従って書き直すことによって、自分存在全体正面から捉え直すような自伝小説書きはじめたい。そうすることによって、精神的な危機乗り越えることが出来るのではないかと。 — 井上隆史「新資料から推理する自決に至る精神軌跡 今、三島問い直す意味―『仮面の告白再読―」 田中裕也も、初稿から決定稿に至る改稿について、井上隆史考察同様に仮面の告白』の構想影響論考している。また、その改稿変化には、戦後GHQによる検閲三島考慮したではないかともしている。 中元さおりは、小埜裕二の論の時点ではまだ初稿決定稿との異動詳らかでなかった点などに言及しつつ小埜の見解とは違った視点考察し即日帰郷直後書かれ初稿での少年少女汽車での出奔場面には、即日帰郷告げられ入営検査の場所(本籍地兵庫県)から父親平岡梓逃げるように東京行の汽車に乗って帰った時の緊迫感や、「移動行為重なるもの」だとし、夜間空襲日本本土空襲)にさらされる戦時下東京で「破滅思想」を秘かに抱きながらも、小説書いていくという三島の「新たな生」への志向性反映されたものだと論じている。 そして中元は、決定稿では2人が死ぬ結末変化することについて、『仮面の告白』との関連や〈殺される王子〉のモチーフとの接点考察する井上隆史田中裕也の論などを敷衍しつつも、『サーカス』の2種の稿自体内在する官能性」の変容問題をより重視して決定稿では2人の「生」への逃走劇が省かれ、その出奔が「死」への要因として組み込まれて、少年と少女直接的な異性愛的な官能性」からリアリズム排して虚構性」が高まり団長観念的な物語同性愛的な視点変容していることを解説しながら、「虚構性を担保することで、同性愛的な官能性一つ叙情性富んだ美的世界として完成させようとする(三島の)意識」が推察されるとしている。 田中美代子は、初稿からの決定稿全体経緯検討しつつ、「サーカス団めぐる、妖しくも心蕩かすくさぐさの挿話」の中から、決定稿が「ひときわ選りすぐられた、哀愁あふるる、その顚末となった」として、その破局に至る作品主題について、同世代特攻隊痛ましい死を見ていた戦争末期三島状況照らし合わせて、「祖国屋台骨がゆらぎ、その瓦解目前に」していた頃や、敗戦間近から〈冒瀆〉され出した特攻隊への思いを、〈一切価値判断超越して人間性峻烈発作促す動力因正統存在せねばならない〉 と綴った終戦4日後の三島随筆との関連考察している。 悍馬から振り落とされ少年大天幕の一角から落下する綱渡り少女サーカス団終り演出する団長とその腹心、その来歴、その憧憬、全存在賭けて破滅へとなだれゆく至上興奮、……このとき観客もまた声を合わせ、〈きちがひじみた嗚咽をあげて喝采〉する。(中略挙国一致の、祭りさながら大悲劇。それは、目交い繰り広げられつつある、祖国壊滅シナリオでなくて何だったか?(中略少年たちある日垣間見た天空奈落を、次々と蒼穹吸い込まれていった仲間たちを、忘れることはできないだろう。それがあってこそ、〈たゞ我々の所在の只ならぬことを知り自己軈て容易ならぬ開花遂ぐべき植物の予感似たもの感じた〉 のであり、〈我々は非業な、冒瀆的な、自己決定権もたらしめる詩人メカニズムについて思考しはじめた〉 のだから。それは断じて敗北論理ではない、と彼(三島)は主張する。〈たゞその行ふ処によつてのみ生き、その行ふ所以によつて行ふ自己に於て廻転輪廻する宇宙図を、(非業にも!)意図した〉 のであったから。 — 田中美代子三島由紀夫 神の影法師――『サーカス』と特攻隊――『サーカス』『昭和廿年八月記念に』『重症者の兇器』」

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行動学入門」の記事における「作品評価・研究」の解説

行動学入門』は三島評論・随筆の中では、雑誌読者向けに書かれ軽めのものであるが、その中で要約的に語られている「行動むなしさと、行動むつかしさ」の感慨は、その後に起こる三島事件への「決定的な予言役割をはたしている」と虫明亜呂無三島の「あとがき」の言葉着目しつつ解説し三島初期作品(『仮面の告白』)以来からの小説主題にしてきたものを「より複雑な人生体験苦汁絶望裏打ち」させながら、「いかにして自分行動至ったか」ということ吐露されていると考察している。 この随筆の中で三島は、行動目的最大効果得て、〈最高の有効性〉を発揮する時まで待機忍耐し、〈全身全霊〉を賭けて最後の瞬間行動意思が最高度にならなければならないとし、行為者主体)の充溢感と有効性との合致に、理想の〈純粋行動〉を希求しているが、その有効性性質には、個人けでない集団や、全体世論絡んでくる問題孕み、もしも合法的な行動だけしか是認されいとすると、現代社会では、行動は単に冒険スポーツ世界にしかなくなり、それにより〈純粋行動〉が侵蝕され、真の意味での〈行動ではなくなるというジレンマ同時に示し、〈純粋行動〉の性質犯罪性が帯びてくることを語っている。そのため高橋博史はこの随筆を、「ありうべき行動の姿を語ろうとして、同時にその不可能性をも語ることとなった文章」だと解説している。

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弓浦市」の記事における「作品評価・研究」の解説

中河与一は、幽霊や魂というような「不可知世界」についての事実のようなものを書いていた神秘主義者カミーユ・フラマリオン心霊学の書を、川端愛読していたことに触れ、そのフラマリオンの影響川端において重大なものであった考察しながら、川端の『弓浦市』や『無言』には特にそれがあるとし、そういう部類作品には、「不思議優れたものが多い気がする」と評している。 生涯にわたり「心霊」と「性愛」というモチーフ憑かれたように追い求め、それを「幽艶凄美を極める恋愛怪談」の数々結晶化させた「稀有作家」だと、川端評する東雅夫は、『弓浦市』を「幽玄な怪異譚」だとし、その後発表された『片腕』、『不死』、『白馬』などと共に作者川端到達しえた「妖美極み」が思うさま堪能できる作品だと解説している。また同年発表された『無言と共に弓浦市』には、「実話怪談系サイコ・ホラー」とも一脈通ずる、川端の「怪談嗜好」があり、それが晩年にいたるまで衰えていなかったことが見られる作品だとして、「一驚喫する」ものだと推奨している。 長谷川泉は、『弓浦市』が川端若き日恋人伊藤初代思い出と『伊豆の踊子』の思い出融合したものとし、舞台地伊豆大島波浮港イメージされると考察している。 原善は、金井景子が「弓浦市」という空間実態のない「箱庭化され日本」「架空日本」だと論じたことを、焦点が「日本」の方に偏ってしまい肝心の「架空」という本質絞られていないとして、「(川端にとっては)日本のみが架空なのではなくテクストという架空時空間問題」だと考察している。そして『弓浦市』という小説は、「記憶という形の虚構小説が、事実ではなくともかえってリアリティ与えてしまう在りようを通して小説の持つ意味を追求するメタ小説」だと論じている。 森本穫は『弓浦市』が、「狂気隣り合わせ異様な世界」を読者前に提示しているとし、その世界とは、私たち日常生活の中で忘れている「冥(くら)い裂目」のような、「もう一つ空間」であると解説している。そして、1人婦人言葉によって、読者主人公香住と共に、「虚と実のあわいの空間」に誘われてゆくとし婦人の語る過去の出来事が「妄想から描き出した夢」であろう容易に推測できるにもかかわらず、その真実らしいディテールにより、読者次第に「あやしい時空引き込まれてゆく」と考察している。また森本は、「五十を少し出て」いるが、歳よりも若く見える婦人の「残り火のような妖艶さをにじませた雰囲気」や、突然ひらめくように「狂気」が顔を覗かせる瞬間(「台所刃物研いで……」の一節など)が、全体みなぎっているとし、こういった緊張感も、『弓浦市』を「ただならぬものにしている点」で、見逃せない評している。 そして作品眼目として、婦人帰った後に、「弓浦市」がどこにもない地だと判り婦人の話が「妄想」だと断定されその瞬間から、主人公香住が、「なかったはずの遠い過去時間を、ほとんど生きはじめる」ところだと森本解説し作品最後一節と、川端が『十六歳の日記』(1925年)の「あとがき」で語った次のような一節類似性指摘している。 私がこの日記発見した時に、最も不思議に感じたのは、ここに書かれ日々のやうな生活を、私が微塵も記憶してゐないといふことだつた。私が記憶してゐないとすると、これらの日々何処へ行つたのだ。どこへ消えたのだ。私は人間過去の中へ失つて行くものについて考へた。 — 川端康成あとがき」(『十六歳の日記』) 森本はこれに関連し婦人が「思い出」のことを神の恩寵(「神さまのお恵み」)であるとする言葉重要だとし、主人公香住最初婦人対し、「その国の生者と死者のやうな隔絶」を覚えていたのが、終結部では、むしろ婦人描き出した虚妄世界」に共鳴していることを挙げ、それは明らかに現実とは次元異にする時空超越したのような別世界」だと論考しながら、こういった「底知れぬのような不気味な世界」に読者放り出したまま、鮮やかに作品閉じられる弓浦市』は、「みごとというほかない」と評している。 鈴村和成は、『弓浦市』を「見えない結婚」をアレゴリカルに描いた作品だと評し実在しない弓浦市」の思い出話婦人の「幻想妄想」と片づける同席の客たちとは違い主人公作家川端とほぼ等身大)は「自分の頭もおかしい」と思わずにいられない点に触れながら、主人公は、自分自身忘却しているが、「他人に記憶されている」過去を、「どれほどあるか知れない」と考える、と説明し、「弓浦市」での「結婚」の申し込みは、一笑にふされるのではなくて一種心霊領域移される解説している。そして、婦人にはこの「結婚」は見えているが、主人公作家には見えないとし、この「透視」のレベルでは、「弓浦市」の実在はもう問われず、婦人見て作家には見えないという、「見える、見えない境目」に、「弓浦市」が立つことになると論考している。

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名人 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

川端作品としては、女性がほとんど出てこない点で地味な印象作品だが、碁という「静」の世界激しさ静けさを、強く張り切った冷徹な筆で綴り勝負世界生きて、〈一芸執して現実多くを失つた人〉の、その純粋な人生結末的確に描いている。『名人』は、東洋の「芸」に一途であった名人と、名人に「敬尊」を抱く川端の、同じ〈芸道〉に生きる同士の「鬼気」、「幽気」が相通じ成った作で、その念は1953年昭和28年)に書かれた『呉清源談』などにも流れている。 川嶋至は、川端が秀哉名人を語る際に、〈芸〉という言葉多用していることに着目し、それは川端自身と同様、名人中に「〈芸〉に苦悩する姿」を見出し、「文芸にすべてを投入して生きるみずからの生命をもかえりみていたにちがいない」としている。そして川嶋は、秀哉名人引退碁を観戦中の川端は、「名人のうちに、この世ならぬ〈真実〉で〈無垢〉な、没我の境にある純粋な人間の姿を発見したのである」と解説している。 作品冒頭置かれた秀哉名人の死は、川端氏にとって、世に稀なひとりの純粋な人間の姿が消滅したことを意味していた。現実世にある純粋のかたち、それは純粋ゆえに脆弱でこわれやすい。(中略川端氏を「名人創造駆りたてたものは、芸道努力精進する厳し人間の姿ではなく、秀哉名人天性有する芸道への没我の純粋性なのである世俗一切拘束忘れ、みずから努力することなく自然に一筋の道に没入できる名人純粋さは、小説家としての川端氏の常に求めてやまぬものであった。(中略観念的な純粋の世界は、現実の世界に引き下ろせば氷解し霧散なければならない文字によって創造された、川端氏の観念的な非現実世界も、同様の運命を辿る。それは川端氏のもっともよく知るところであろう。その氏は、現実生身有しながら、純粋の観念世界に遊ぶ名人発見した驚き大きかった。 — 川嶋至川端康成世界 第六章 現実からの飛翔―『雪国』と『名人』―」 今村潤子は、『名人』には名人死顔対する、〈一芸執して現実多くを失つた人の、悲劇果ての顔〉という感慨モチーフとなっていると解説し長年をかけて創作された『名人』へのエネルギー生み出したものは、川端文学テーマ一つである「魔界」の主題とも無関係ではないとしている。また、名人』が、「戦争」敗戦」という社会状勢背景の中で、執筆改変完結していった経緯から、そこに主題根底があることが、小林一郎により指摘されている。 今村は、川端が秀哉名人敗北を、「一つの時代の終焉(死)としてはっきり描き、更に意識の底で日本の敗戦強く係わらせて捉えている」とし、現代合理主義代表する人物である大竹七段に、〈いにしえの人〉である秀哉名人が、あえて現代的な対局法で勝負臨み、名誉や命を賭けて生涯最後飾ろうとした姿や戦いぶりを、〈一つ血統滅びようとする最後の月光の如き花〉(「嘘と逆」)、〈残燭の焔のやうに、滅びようとする血がいまはの果て燃え上がつた〉(「末期の眼」) 姿として川端捉え確信していたと解説している。 しかしながら合理主義新し戦法の〈卑怯で陋劣〉〈狡い〉手に負けても、〈一筋乱れもなく戦つた〉名人には、敗着敗戦そのものこだわり薄く勝負には負けても「芸術として面」を創ろうとしたその姿勢に、「精神高雅さ」を見る川端の『名人』の描き方は、決し悲観論終わっていないと今村考察し、「真に芸に生きた人の雄姿」である名人生涯最後勝負碁における負け戦いぶりは、「新し合理主義日本持ち込まれても、日本の古い伝統中に潜む美は微動だにしない」という矜持繋がっていると解説している。 そして、名人敗着折から日本の敗戦重ね合わせ名人の碁を「日本の古い伝統芸術象徴」とした川端は、その名人生き方に、「戦後の日本人の在り方一つ理想像」を示して描いていると論考し、またその「名人自己投企の純粋性」は、川端文学モチーフでもある「魔界」にも通じ、それを川端は「美の勝利」として捉えていると今村述べている。 羽鳥徹哉は、東洋古くから伝わる「芸道としての碁が、近代合理主義戦法敗れる姿に、川端が秀哉名人への挽歌、「古い日本への挽歌」として捉えようとしたと解説し山本健吉も、「もう秀哉名人のような古風な芸道”の人として対局に臨む人はなくなった」 と、囲碁でも将棋でも、スポーツ同じように単に「選手権を争う仕合」と化した時勢触れつつ、合理世界非合理世界の関係から生じる「“いにしえ”の世界崩壊であった解説している。 また山本は、川端名人大竹七段生活態度性格対比的描きながらも、碁盤世界は、そういったものから離れた打合う黒と白とによってだけ構成される抽象的な世界」であることを表わしているとし、その上でなおかつそこに「人が移調された人生象徴読み取った」と考察している。

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作品評価・研究

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古都 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

古都』は、京都という古き伝統が残る地を舞台とし、各地名所年中行事絵巻楽しめる作品でもあり、映画化ドラマ化多くなされ知名度はあるが、他の代表的川端作品の『雪国』や『山の音』などに比べると、文学的にはあまり本格的論及対象はなっていない傾向がある。失われてゆく日本の美とどめておきたいという、川端自身創作意図観点から論じられることが多く構造的な読み他の川作品よりは少ない。 三谷憲正は、「すみれ」の可憐さをもつ女性として登場した千重子が、〈北山杉〉の素直さをも同時に合わせ持つイメージとして物語進行してゆくが、千重子が〈北山杉〉のの中で、苗子胎内双生児のように抱き合った後には、次第に〈〉の力強さを身につけてゆくと解説している。 また『古都』は『竹取物語』との類縁指摘されることもしばしばあり、三谷はそれに関し千重子の養父太吉郎」(takitiro)の名は「竹取翁」(taketori okina)のアナグラムであるという学会発表会場からの指摘記している。さらに高橋真理は、このアナグラム敷衍し、「竹取翁」(taketori okina)から、「太吉郎」(takitiro)をマイナスすると、イコール苗子」(naeko)であることを指摘し、「この二人人物にまたがるようにtieko(「千重子」)の名はある」と考察している。 田村充正は、姉と生き別れ両親失った苗子の姿には、幼い頃両親失いおぼろげな姉の記憶しかない川端自身境遇投影され苗子思慕する会ったことのない姉とは、川端の姉・芳子への「秘められた思慕」であり、姉に会いたかったという苗子の「心情ほとばしり」は、そのまま川端の「心情真実であろう考察し、それが『古都』を「既成モチーフ借用だけで作られたのではない、川端にとって創作必然秘めた作品」にしていると解説している。 川端は、『古都刊行後執筆した随筆で、〈山が見えない、山が見えない近ごろ、私は京都の町を歩きながら、声なくさうつぶやいてゐることがある〉、〈山の木はなくなり、山は削りくづされて分譲地になつてしまはないか。自然の美の尊びも、町づくりの美も踏みやぶつてゆく、今の日本人すさまじい勢ひ、おそろしい力である〉と記して都市景観破壊的変化危惧し、後に東山魁夷京洛四季』に寄せた序文でも同様のことを述べ、〈京都は今描いといていただかないなくなります〉と東山にしきりに勧め、〈みにくい安洋館」が建ちはじめて、〈町通りから山が見えなくなつたのである。山の見えない町なんて、私には京都ではない〉という歎き記している。 野口祐子はこういった川端危機感踏まえて川端が『古都』を四季構成したのは、安易な方法ではなく時代への批判精神であり、そこで試みたのは、高度経済成長期日本対する「ささやかな抵抗」であるとし、川端東山送った言葉を自ら行なった創作が『古都であった解説しながら、「『古都』の、時代から遊離したかのごとく感じられる古風な京都イメージ登場人物、そして円環時間間隔物語性欠落は、川端京都古都として描き残そうとする使命感のなせるわざだったと言えるだろう」と論じている。 呉悦は、『古都』の書かれ当時急速な近代化日本社会鑑み川端がその流れ反して主人公少女たちを「単純」「純潔」に表現し、「少女特有の恥じらい」を溢れさせているとし、他の登場人物も古い土地代々伝わる家業守り暮らしている設定であり、その主題中には徐々に失われてゆく伝統風景や自然の生命人間社会への厭世裏腹人間愛、近代化の波による過去対す懐かしさなどが入り混じっていると解説している。そして戦後世の中価値観変動目の当たりにした川端述べていた以下の随筆言葉を引きながら、川端が〈現実信じない結果、「日本の伝統故郷対する愛を徹底的に描き出すことに情熱傾けたのが『古都』だと論じている。 戦争中殊に敗戦後日本人には真の悲劇も不幸も感じる力がないといふ、私の前からの思ひ強くなつた。感じる力がないといふことは、感じられる本体がないといふことであらう。敗戦後の私は日本古来悲しみのなかに帰つてゆくばかりである。私は戦後世相なるもの、風俗なるものを信じない現実なるものをあるひは信じない。 — 川端康成哀愁」 そして呉悦は、川端が『古都』において、「懸命に理想的世界作り純粋な人物登場させているにも関わらず人物悲哀に富んだ人生を辿ることから、川端現実社会対す失望不信感窺える」とし、作中に漂う哀愁や、〈運命〉という言葉繰り返しは、「変えられない運命左右される時の作者感嘆」であり、その後幻想的な世界観の『片腕』を描き現実からかけ離れた道を辿っていったのは、西欧近代化の波と伝統との葛藤強まった川端の、「日本の伝統必死に守ろうにも守りきれなかったという現実対す無力感現れではないか考察しながら、新感覚派旗手として西欧思想取り入れ欧米学んだ後に日本伝統回帰経て不思議な作品創出し最後自殺してしまった川端自身運命について言及している。 山田吉郎は、川端巨木愛していたことから北山杉との関連などに触れつつ、『古都』の物語深層に「霊界との交信」を看取し、川端主治医だった栗原雅直が『古都』の双子について、「やはりナルシシスムとは言うものの見ぬ母へ空想的な愛情要求変形としてとることができ、見る自分と見られる自分という鏡の世界二重身の問題との関連をもつもの」と論じたことに示唆を受けつつ、以下のように心霊的霊界通信的な要素絡めて姉妹2人考察している。 本質的なことは、川端が『古都』という作品において、知らず知らずのうちに霊界との交感をおこなっていたということである。北山杉には現世隔絶した霊界磁場張られその内奥に〈未生〉および〈死後〉の世界ひそんでいた。その霊界からあらわれたのような苗子は、主人公千重子を北山杉へといざない千重子に〈未生の時〉をかいま見せるのであるこうした現世霊界との交感を、川端眠り薬侵されたうつつない薄明世界で、何ものかに促されるように書いていったのである。 — 山田吉郎「『古都』の精神構造」 また山田は、作中見られる魔界〉の要素として、北山杉向うバスの中で、手錠かけられている若い男千重子に声をかける場面などを指摘している。

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Kの昇天」の記事における「作品評価・研究」の解説

Kの昇天』は、他の梶井基次郎作品比べるフィクション的な要素構成されているため、『檸檬』『城のある町にて』『ある心の風景』『冬の日』といった代表的な私小説心境小説作品のようには、正面から本格的に論究される作品として取り上げられることが比較少な傾向にあるが、月を扱った作品幻想文学一種としてアンソロジー取り上げられることが多く人気の高い短編でもある。 池内紀は、西洋では夢遊病者月に吠える人を「月光のなせるわざ」とされ「月の光理性狂わす」といった言い回しがあることに触れつつ、K君が月へ徐々に登っていく描写について、「歩一歩と、まるで黒い小悪魔引かれるように、あるいは生の深淵に口をあけた黒い穴向うよう」と評し、『Kの昇天』を「名作短篇見本のような作」と賞揚している。 川本三郎は、エドガー・アラン・ポーの『ウィリアム・ウィルソン』、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』などドッペルゲンガー主題にした作品19世紀から出現した影響で、日本でも大正期リアリズム小説対し幻想小説増え芥川龍之介などがドッペルゲンガー主題扱っていることに触れつつ、基次郎の『Kの昇天』も「世紀末文学通じ美しく病める感受性」が看取できる作品だと評している。 鈴木沙那美は、『Kの昇天』を「K君溺死原因をめぐる語り手推理小説」であると同時に、「ドイツロマン派風の神秘で染めあげられ作品」であるとして、その「二重の意味」で「魂のミステリーとでもいうべきもの」に仕立てられていると解説している。 島村輝は、鈴木沙那美指摘敷衍し、語り手〈私〉にとって〈あなた〉という存在は「探偵」の役割が担わされたものであるとし、「探偵」の〈あなた〉に向って「容疑者」の〈私〉が話す「釈明」や「弁明」に相当する作品構造内包されているミステリー要素鑑みながら、〈私〉K君の〈溺死の意味を〈昇天〉として語ることによって、〈私〉自身がそこにどう関わっているのかという「別の何かを《告白》しようとしている」と考察している。 そして島村は、〈私〉K君話しかけた瞬間K君目線には〈私〉逆光影絵見えていた位置であることから、その第一印象錯覚により、K君にとっての〈私〉は、「自分(K)の影が受肉した姿」となり、N海岸出来事振り返る〈私〉そのことに気づいたとして、それにより「〈Kの溺死〉は〈私〉にとって紛れもないKの昇天〉と意味付け」られ、「Kの影」である〈私〉が健康を回復し此方〉に適応して実体化していく代りに、K君は〈月の方〉に登ったと考察している。 大切なのは、「私」がそれを「昇天」と意味付けたとき、それに関わった「私」役割を、自分意味付けているということだ。「Kの昇天」という「物語」の中で「此方」という「現実」の真っ直中帰っていった「影」としての自分意味付けることによって、殆どKと重なりあるような道を辿ってきた「私」は、自分分身としてのKの昇天」を冷徹描き出し、彼を月世界葬った。(中略)「影がK君を奪つたのです」という言葉によって、「私」は、「影」である自身が「Kの昇天」に深く関与していることを物語ってしまっている。しかも「私」そのように「Kの溺死」を描き出すことで、今自分が「現実」の中で生きていく道を歩んでいることを、高らかに宣言しているのである「私」「あなた」に、「Kの昇天」を語ることによって、現在の自分についての見事な告白》と《弁明》を、「あなた」に対しても、自分自身に対してなしとげたのだということができるだろう。それはまた、通説とは逆に、「新潮」からの依頼原稿プレッシャーから解放され梶井新たな生へ向かう心を映し出してもいるはずである。 — 島村輝梶井基次郎Kの昇天或はKの溺死』(読む)」 水島佑は、島村輝論じるように〈私〉がKと異な世界で生きることになるという考察異議唱え〈私〉不眠という精神的安定抱え、Kと出会う前から〈影〉を意識していた複数描写指摘し、Kに話しかける前に12回もKを〈人影〉と表現していることや、想像から確信へと転換していく〈私〉語り口調の特色着目しつつ、〈私〉もK同様に現実とは異な世界持っている」とし、手紙返信という形式物語末尾破綻する構図看取し以下のように評している。 この作品は、冒頭手紙返信という形を提示しながらも、最後はKの死に立ち会ったのような臨場感のある語りへの変化することや、その途中途中で「私」がこの物語を語るために作りあげた「あなた」という人物に対して同意求めるような、非常に意識的な一言挟み込まれていること、語り手である語りが不安定であることが実に巧妙に描かれているということが、一つ魅力であるとわたしは考える。 — 水島佑「梶井基次郎Kの昇天或はKの溺死)』:「私」二重性について」 柏倉康夫は、『泥濘』の終章でのドッペルゲンガー体験では、主人公・奎吉が〈漠とした不安〉を感じ、すぐに意識自分自身戻っているのに対し、『Kの昇天』のKは意識的に何度もその状況作り、〈影のなかの自己〉を出現させることにより、自己抜けようとしている違いがあることを鑑みつつ、Kの目的を、「意識トリックによる現実変様などではなく別の世界身体消滅し魂だけが存在する理想世界への離脱」であると解説している。 そして柏倉は、『Kの昇天』を「透明感そなえた悲愴作品」と評し、それがシューベルトの歌曲などの影響受けて「ドイツロマン風の神秘感」を醸し出しながらも、横溢するその「透明感」は基次郎独自のものであり、「(基次郎が)死に対して抱く不安と憧れ照射のせいである」とし、地上離れることがなかった『泥濘』の「影法師」からの主題変化考察している。 「Kの昇天」では、主題あきらかに影法師から、喪失されていく自我方に移っている。そしてこの変化の裏には、いうまでもなく病気進行働いている。雑誌編輯友だち一緒にいるときは忘れてはいても、ふと気づく胸のラッセル音や痰にまじる血に、いやでも死を思わずにはいられない肉体滅んでも魂は昇天するというこの作品には、切ない梶井願い反映していると言えいだろうか。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」

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冬の日 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

冬の日』は、梶井基次郎特質的なものが全面的に押し出されている作品で、自身避けがたい死の宿命正面から見据え、その絶望感深い闇から自覚的に自己の崩壊を描くことにより、文学者としての方法をも掴み取ろうとしている作品で、『冬の日以後では作品の傾向変化していることが看取され、一つ転換点的な作品として位置づけられている。 そして、それまで描かれてきた感覚的な世界に、より客観的な自己認識立った心象加味され比喩象徴多用した詩的世界醸し出されており、他の作品(『泥濘』『Kの昇天』)にも出現したドッペルゲンガー的な表現見られ幻視的な要素深まっている。 三好達治は、『冬の日』の季節描写言葉一つ一つが「極度に吟味され注意深く排列されてゐる」と指摘し、その「一見して即ち眼を射る描写ぎりぎりまでに切りつめられ修辞は、「一種象徴的な域にまで迫らうとするかの如き意気込みにさへ見える」と解説している。そして『冬の日』を基次郎作品の中で「最も愛するものの一つ数へ憚らない」とする三好は、種々の詩的表現数々仔細に見つつ、以下のように評している。 ぎこちなさをも時に敢てしようとする位、やや露骨な位に直接で、その直接切羽つまつた詩的衝動は、肉体危機をこらへて絶望と闘ひ戯れる堯の、しきりに場面挿話とを交替するこの単調にして変化に富んだ一篇に、一貫した主題となつてゐる。(中略梶井詩的衝動は、堯の悲痛訴へ叙するに熱心である傍ら、また屡々優雅な余暇を楽しむやうに、しきりに微物への観察試みるそのいくらか道草めいた点に於ても、副産物的な彼の余情展開してゐる。 — 三好達治梶井基次郎」 なお、三好は『冬の日前篇時点感動し、この作品掲載された『青空24号に手紙添えて見ず知らず室生犀星送ったが、室生もこの作品褒め、基次郎讃辞の手紙を出している。阿部知二もこの作品に、『方丈記』や松尾芭蕉散文連想し、「こんな作品は、昔からの日本文学の最高の伝統の列のうちに加わるであらう」と評して、基次郎讃嘆の手紙を送った阿部藤沢桓夫にも基次郎の話をすると、藤沢は、「羽賀一心のようだね」と基次郎評したという 。 武田泰淳は、基次郎その後の作品冬の蠅』で、死にかけている冬の蠅微妙な変化室内凝視し、〈死んだやう〉という言葉何度も繰り返されている「ピアノ弾奏者の微妙な指さき」のような絶妙な描写と、『冬の日』における銀座街中での、〈何をしに自分は来たのだ〉というリフレイン3回重ねられる場面醸し出す効果違い触れながら、以下のように高評している。 「何をしに自分は来たのだ」が、三回くりかえされている。この問いは、言うまでもなく死んだようではあるが、まだ死んでいない生物自分対す問いかけである。「やがて自分は来なくなるだらう」と言う予感が、くりかえし浜べへ押し寄せた問いを、ふたたび遠い海の胎内おくりかえす。(中略ジッととまって動かないの方は、むしろ外界から遮断されて、うちへうちへともぐって行く彼の視力が、室内とらえた対象であるからくりかえしの手法も、おのずから異なっているのであるくりかえずにはいられない彼の必死想い。どうしても表現したい彼のモティーフが、二つ全く同じなのに、やはりかすかな視角のずれにも敏感にちがった反応をする。こうした彼の手法は、まことにすぐれているではないか。 — 武田泰淳微妙なくりかえし柏倉康夫は、フランス人が『冬の日』を読んだ際に、主人公自我soi)と外界風景関係性があいまいと感じ風景描写いつのまに心理描写心象的な幻視になっていたりするところが、フランス小説表現方法異なりボードレール散文詩似た印象を持つことに触れつつ、『冬の日』の象徴的な文体の特性について解説している。 「ある心の風景」のなかの一節、「視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部或ひは全部がそれに乗り移ることなのだ」という梶井自身による定義は、「冬の日」の叙景文においても真実であって、ここには不可視のものを見たいという内心の強い欲求表現されている。視線はいわば肉体のりこえて、風景のなかにのびて行く。そしてその視線がとらえるものは、もはや実景とも幻視ともつかぬものである。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」 また柏倉は、主人公・堯が自身吐いた血痰客観的に眺めようとする態度には、基次郎三好達治に、自分喀血葡萄酒だとして見せた態度相通じるものとし、その深い絶望そのものと言える血の〈一塊彩り〉が、ある美しさ伴って表現されているのは、〈生きる熱意〉を失くした主人公が、距離感持って現実見直すことで意識変化し現実との関係にわずかなズレ」が生じることにより、凝視する風景から「幻の光景」が生み出される解説している。 そして柏倉は、絶望から堯が見る様々な幻視ドッペルゲンガー自己の二重化)は、堯が密かに待望し、それにより生きる力得られるとし、「幻視の火によって燃えあがった生命」はその火が消えた時、前よりも一層「死」を身近に引き寄せてしまうが、そうした「死の危険」を賭してまで「光と闇の両極の間に、さまざまな幻の光景を見ようとする」堯にとって、それが「唯一の生きている証」となり、「文学成立する条件」になると考察している。 季節の推移呼応するように、主人公心身次第衰えて行く。はじめは「崩壊屈しようとする自分堪へてゐた」主人公堯も、第六章ではついに、「冬の日に、もう堪へることが出来なくなつた」と告白せざるをえなくなる。「冬の日」は、こうした自己の崩壊冷静に見つめ、それを報告した書でもある。梶井にとって、死がどうやら避けることのできない宿命であり、幻視はこの宿命逃れる唯一の手段であるとともに、それを引き寄せる麻薬であるのは明らかであった。「冬の日」を書きつつ、それを悟ったのだった。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」 遠藤誠治は、基次郎が『冬の日』の前篇発表した青空24号に同時掲載され同人北川冬彦シュールな短詩「馬」(軍港内蔵してゐるという一行詩)をしきりに激賞していたことに着目し、その「内蔵」という語が下宿窓のドッペルゲンガー場面生かされていると考察している。 そして北川の「馬」の構図を基次郎が、〈物質不可侵性を無視することによつて成り立つてゐる〉と評していたことに触れつつ、その概念が『冬の日』の作中の〈風景俄に統制を失つた。そのなかで彼は激しい滅形を感じた〉や、〈薄暮包まれてゐるその姿は、今エーテルのやうに風景に拡がつてゆく虚無に対しては、何のでもないやうに眺められた〉という一節関連していると遠藤誠治考察し、〈滅形〉という言葉と〈虚無〉の「侵透力」について注意促している。 また遠藤誠治は、基次郎が『筧の話』の草稿中でも、〈影〉について〈物質不可侵性を無視して風景のなかに侵透〔ママ〕してゆく〉と書き、同じ草稿友人近藤直人への書簡大正15年6月12日付)で、松尾芭蕉の『野ざらし紀行』の「霧時雨富士見ぬ日ぞ面白き」の句を引いていたことなどに触れ、『冬の日』に散見される芭蕉影響論考している。また、堯が歳末の街でつぶやく〈何をしに自分は来たのだ〉の緊迫感と、芭蕉の句「何に此師走の市にゆくからず」の「何に此」に込められた「五文字意気込」(『三冊子』での芭蕉言葉)が通底していることから、「梶井銀座旅人であった」としている。 〈物質不可侵性を無視する〉のが〈透視とすれば霧時雨〉のかなたを想像するのは〈幻視〉と呼んでもよい。梶井芭蕉の句にも〈透視〉的な要素のものと、〈幻視〉的な要素のものとがあることに気づいていたようである。(中略芭蕉がその『冬の日に於て開拓した新風が〈蕉風とすれば梶井がその「冬の日に於て開拓した新風は、〈リヤリスチック シンボリズムであった。〈芭蕉精神の近代的表現〉なのであった。 — 遠藤誠治梶井基次郎における芭蕉受容:―「冬の日」を中心に―」 遠藤祐は、芥川龍之介評論文芸的な、余りに文芸的な』において論じた芸術家」(芸術)と「生活者」(人生)の相剋触れ梶井基次郎という作家もまた生涯通じて、その二つが「離れ難い問題であったとし、三好達治が基次郎生涯について、「以前は必ず眼を蔽ひたいやうな悲痛な感じを伴つてしか思ひ浮べることができなかつた」と語っていたことを鑑みつつ、その「悲痛な感じ」が「(基次郎の)内心奥深いところにあった〈芸術家〉と〈生活者〉とのもつれあい」から起因するものと考察して、その「痛ましさ」が絶頂達している作品が『冬の日』だとしている。 また遠藤祐は、習作瀬山の話』、『檸檬』からの作品の変遷を見ながら、基次郎事物風景凝視し、「自身そのものになり切ってしまう」ような「純粋感覚」の境地に立ち、次第にその二重の感覚性ドッペルゲンガー的なもの)を自覚的に感受ようとしてきた流れ解説しながら、その「生の破綻をのり越えるための必然営み」が、『冬の日』では、自身の死が逃れられない現実として迫って虚無」として確実に認識される状況となり、「死と生とをめぐって、その何れにも牽引反撥とを感じている」として、「死へ傾倒していく生の事実」を認めざるをえない複雑な構造性が『冬の日』にはあると考察している。 そして作中で堯が、〈冷静といふものは無感動じやなくて、俺にとつては感動だ。苦痛だ。しかし俺の生きる道は、その冷静で自分肉体自分の生活が滅びてゆくのを見てゐることだ〉と語る一節を引きながら、そこには、この作品書き綴っていた最中の基次郎の「切実な感慨託されている」と遠藤祐は述べている。 逃れ出るべき外界信じられないとすれば残されているのはたゞ現実自己即してその状況見守ることの他にない。(中略)それは甚し苦し作業だったに違いない。しばしば語られたこの作の書き難さもそこに原因があったのであろう彼にあってはほとんどの作品が何かに魅せられることを契機として書き出されていると見えるのだが、もし『冬の日』において彼を魅したもの求めとすれば、それは他ならぬ自身存在であったということになるであろう。 — 遠藤祐「『檸檬』より『冬の日』まで : 梶井基次郎における内心の展開の一面

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作品評価・研究

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蒼穹 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

ボードレール影響受けた蒼穹』は、梶井基次郎短編中でも短い小品だが、比較評価の高いものの一つである。ドイツロマンチック作家ジャン・パウルの趣にも似ているとも評されている。また、マラルメ影響もみられ、主題骨格マラルメの詩蒼空」などに似ており、細かい言いまわしは、ボードレール散文詩集『パリの憂鬱』中の「お菓子」などから学んだ形跡みられる鈴木貞美は『蒼穹』について、「〈安逸悲哀〉のなかをたゆたっていた魂が、空の高み吸い込まれてゆく幻想を、視覚身体感覚リアルな描出によって」書かれているとし、「青空虚無の闇」を見てしまう〈不幸〉を、「清澄なニヒリズム」と評している。 三島由紀夫梶井文章の特徴を、「志賀直哉影響を受けながら、志賀氏のやうな現実対す関心を、むしろ積極的に捨てて、その詩人側面強く示し作品一つ一つ象徴詩のやうな高さ」に高めているとし、『蒼穹』の自然描写が、「写実的な描写のやうでありながら、彼(梶井)の鋭い神経の感じた内的風景であり、実に誠実に微妙に観察してゐながら、その観察超えて自然の事物が一つ一つ象徴的色彩をおびて」表現され、そこには単なる自然描写超えた、「精神深淵をのぞかれるもの」が表出されていると解説している。 そして三島はこういった「文体効果」を見せ梶井を「日本文学に、感覚的なものと知的なものとを綜合する稀れな詩人文体創始した」とし、その優れた自然描写は、「西洋文学における人物描写勝るとも劣らない独立した価値をもつ」と考察して、『蒼穹』を「一篇散文詩」であると賞讃しながら、梶井について、「この人小説家になれるやうな下司人種ではなかつたのである」としている。 「蒼穹」は、青春憂鬱の何といふ明晰な知的表出であらう。何といふ清潔さ、何といふ的確さであらう。白昼只中に闇を見るその感覚は、少しも病的なものではなく明晰さのきはまつた目が当然見るべきものを見てゐるのである健康な体で精神病的な作家もゐれば、梶井基次郎のやうに病気でゐながら精神が健康で力強い作家もゐる。同じ病気でも、梶井には堀辰雄にない雄々しさと力のあるところが好きである。 — 三島由紀夫捨て難い小品平井修成三島由紀夫の『蒼穹』評を、正鵠射ているとして敷衍し、「全体風景描写しかないようなこの〈散文詩〉を通じて作者梶井)の精神読者三島)の前に立ち現れた」点に着目しながら、「外界を“風景”として捉えるとは自己了解一つ方法である」という命題典型的な例が『蒼穹』であると解説している。 平井は『蒼穹』の風景描写が、「自我全体性との濃密な関わり持っている」ことを考察しつつ、梶井の『ある心の風景』の一節の、〈視ること、それはもうなにかなのだ。自分の魂の一部分あるひは全部がそれに乗り移ることなのだ〉を引いてそうした現象生じ場合、それが「現象主体である精神何をもたらすのか」を論考し、主人公最後に〈不幸〉を感じながらも、その「内的なもの」が外化、対象化されているところから、『蒼穹』を、「風景眺めること――真に主体的に風景眺めることが、人間救済もたらす、その機制描いた物語」だと解説している。

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作品評価・研究

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のんきな患者」の記事における「作品評価・研究」の解説

のんきな患者』は梶井基次郎最後小説ということだけでなく、それまで作品異な作風文体変わり本格的な客観小説目指していることから、基次郎人生終盤までの変遷と共に作家論的な観点から論じられることが多く処女作の『檸檬』に次いで論考自体多くなされている作品である。『のんきな患者以前一連の詩的な作品群高く評価する作家などからは、作品評価低くなる傾向にあり、作者健康状態限界から未発展に終わってしまった感もあるため、賛否別れる作品である。また、次郎タイトル付した〈のんき〉の意味巡って解釈なされてもいる。 田中西二郎は、基次郎から『のんきな患者』の生原稿送られ最初に読んだ時にそれ以前異な作風題材文章拡がりがあるものの、『闇の絵巻のような珠玉の名編」を期待していたため少しがっかりした。さらに、作中に「結核患者対す社会扱い抗議的な感想」が含まれていることについて、「内容だれでも思っている事でしかない。これは、プロレタリア文学全盛風潮便乗しているのではないか」と思い編集部内でも『のんきな患者』は不評だったという。 正宗白鳥は、『中央公論掲載で基次郎の名を初め知ったため「懸賞小説応募原稿」のように思いつつ読み進めていたが、従来文壇意識小説的作法捉われていない作風などに「親しみ」を感じ肺病患者苦しみ生涯描きつつも「書き方因循でない」「筆がのんびりしてゐる」と高評価している。またエピローグの基次郎の「詠嘆」についても「私も同感である」としている。 人間健康な時よりも、病気をした時に却つて人間生存真相痛切に考へられるもので、此作者病人の心を通して世相見たところに 我々の心に触れるものがある。「病人達が何としてでも自分のよくなりつゝあるといふ暗示得たい」ためのいろいろな迷信にも、宗教団体勢力拡張のため病人仲間に引込まうとする努力にも、この世生きようとする人間の強い本能が感ぜられる。 — 正宗白鳥文藝時評東京朝日新聞)」 直木三十五も『読売新聞』の文芸時評で、横光利一川端康成堀辰雄作品並べてのんきな患者』を取り上げ、「シャッポをぬいだ」と高評し、宇野浩二会った際にもしきりに「いい作だ」と褒めていたという。宇野浩二は、もしも基次郎生きてのんきな患者』を出発点として本格的小説方向に進むことができていたら、「同時代のどの作家よりも、真に芸術的な小説作られたであらう」と好評している。 北川冬彦は、『檸檬』などのそれまで散文詩作品高く評価していることから、『中央公論』にも従来のような短い作品連作のように掲載すればよかったとし、「何かテーマ大きく出そう」として途絶した感のある『のんきな患者』については評価低くしている。 三島由紀夫も『檸檬』『城のある町にて』『蒼穹』で発揮された基次郎類いまれ詩人文体高く評価しているため、『のんきな患者』には不評で、「死の直前本当小説家にならうとして書いたのんきな患者』をほめる人もあるが、私には、(梶井)氏は永久に小説家にならうなどと思はなかつたはうがよかつたと思はれる。この人小説家になれるやうな下司人種ではなかつたのである」としている。 瀧井孝作は、それまで散文詩的な作品も「鍼の如し」でいいが、『のんきな患者』も「格がどつしりと落付いて悠然と厚味がついてゐたので、これは大したものになつたと敬服した」とし、「れもんの各短篇は、余りに文学的なと云ふやうなものだが、のんきな患者は、余りに人間的なと云ふ方へ一歩二歩踏出してゐる」と好評している。 小林秀雄は、創作収録梶井作品諸作に対して小林自身としては稀な親近感じ」を受けたとし、「感情親近性は氏の作品にしかと表現され存する」としながら新作の『のんきな患者』を読みなおかつそれまで作品再読して、「氏の作の憂鬱冷徹な外皮の底に私がさぐり当てたものは、やはり柔らかい感情であつた、人なつこく親密情感と云つてもいゝ程の柔軟な感情流れであつた」と評している。そして〈のんき〉に込められ作者の意図について以下のような示唆している。 「のんきな患者」、これは正月雑誌小説中でも佳作であるがこの作に就いて私は述べまい、ただ私は人々が氏の前作読みどんな思ひで氏がのんきといふ文字を使ひたくなつてゐるのかを知つて欲しいと思ふ。「冷静といふものは無感動ぢやなくて、俺にとつては感動だ、苦痛だ」 と氏はどこかで書いてゐた。「ある意力ある無常感」 と、どこかで書いてゐた。又は氏に寝られぬ夜がどのくらゐ訪れたか。でももう充分だ。私は氏の健康を祈りたい。 — 小林秀雄文藝時評 梶井基次郎嘉村礒多菱山修三は、「はらはらしたり、急に微笑感じ出したり」しながら、「(作品透し)無の底を割つた魂と魂とが相触れ合ふ」という読書醍醐味を『のんきな患者』に感じ、その「苦患愉楽両極」に惹かれたとし、描かれる「不幸」が「確実性を持つて写されてゐる」と高評している。そして読後自身気持ピラトキリスト死後、自らの掌上一面血を見た人物)に喩え、「梶井基次郎負傷そのまま私の負傷でした」と語っている。 また山は、基次郎プルースト読んで、その「摂取すべき核心的なもの」を摂取しているとし、誇張ではなくボオドレエル耽美とフロオベルの清澄とプルウストの優雅とが」、『のんきな患者全体文脈基調をなし、特に第3章見られる数々無類挿話」によって綴られた「確実性満ちた回想描写」は、「最も結晶化した文章」だと評しながら、その第3章性格により、それまでの『冬の日』『冬の蠅』などと趣を異にしているが、それらの作品に続く「その後著し発展物語るもの」もこの第3章からうかがえるとしている。 井上良雄は、或る左翼評論家が『のんきな患者』を、「これまた肉体的敗北によつて、一切積極性を奪はれてしまつたインテリの姿で、そこには写真乾板のやうな鋭い受動性見出されるばかりだ」と低い評価をしたことに異を唱え、「実は梶井氏のレアリズム程、積極的なレアリズムといふものはない」として、その態度は単に物を眼で視て受動的に対象を映すのではなく乗り移るレアリズム」であり、「対象白熱的に生活」し、「肉体視る――といふよりも行動する」という「実践的な活人レアリズム」、真の意味の「プロレタリア・レアリズム」だと反論している。 若し観想的文学に対して実践的な文学といふものがあるなら、梶井氏の作品こそそれだと、私は今憚りなく云ふことが出来る。(中略客観主義主観主義対立といふ、観想的人間にとつては乗り越え難い閾も、自ら対象世界の中での実践的な活人である近代プロレタリアートにとつてのみ、始めて無意味なり得るのだ。これはプロレタリア文学理解にとつて根本的であると私は信ずる。プロレタリアートレアリズムは、どの様な意味でも単に観想的な「視るレアリズムであつてはならない梶井氏の積極レアリズムこそ、近代プロレタリアートのものなのだ。 — 井上良雄梶井基次郎を継ぐもの」 柏倉康夫は、「肺結核患者肉体的苦しさとその心理、そして患者たち家族運命」を描こうとした『のんきな患者』で基次郎主題としたのは、「死と隣り合わせ生きていながら一見のんきに構えているしかない」という基次郎自身含めた庶民現実」だと解説し最後にその現実強調させるために基次郎統計数字紹介しているが、その「真の狙いはそうした格差などを糾弾するためでなく、「不治結核が皆を同列に並ばせて死のゴールまで引っ張ってゆくという感慨にあった」としている。 しかし柏倉は、この統計のくだりが、田中西二郎抱いたように「プロレタリア文学全盛風潮便乗しているのではないか」と思われてしまうのも仕方ない部分であるとし、「少なくとも普通の小説作法では、この後主題患者個々の生活の描写をこえて、社会的格差批判への発展するのが筋」であるが、基次郎は「死の平等を前にしての詠嘆作品閉じた」と考察している。 伊藤央郎は、〈のんき〉の意味を、吉田(基次郎)の知識人的な階級意識自己認識しているものだとし、それは迷信的療法暗示縋る下町庶民切実さや〈肺病対す手段絶望〉への必死さに対す己と距離感自覚していることの表れでもあるとし、「同じ病を背負った他者と、彼等生きる世間〉を知ろうとすることは、また同じ病を生きる自身の〈現実〉をも確認するということ」であり、その「自己認識」が作品結末繋がり、〈のんき〉な患者自身も「〈世間〉の中で同じよう苦しみつつ生を求める、〈庶民であったという事実に辿り着いたことを終結部示そうとしていると考察している。 そしてその「帰結」の認識は、大阪の〈町人の子〉という出目劣等感抱きつつも、エリート街道迷いもなく突き進むことにどこか躊躇感じかといって町人の子〉に戻ることもできなかった基次郎が、その矛盾放蕩の中で〈見すぼらしくて美しい〉 庶民文化慰められ、〈丸善の客〉という自分と町人の子〉の自分と狭間触れ動きながら様々な作品模索し綴って来た意識終着だと伊藤考察している。 それはつまり『のんきな患者』で、梶井自己の死を半ば覚悟しつつ、なお生を求めて「生活」の中で生きる庶民共感し自分またそうした「現実的な一生懸命な」「生活」の中でその生を生き切ろう意志したということである。それが梶井の、結果的に最後の、「意志であった。そしてそのように近づく死を覚悟してまでも市井病者の、「死に急ぎつつある」「現実」の方に入ってこうという「意志」の在り方は、正に「ある意力ある無常感」(『ある崖上の感情昭和三年)であり、僕はそのような梶井の「意志」がある点において、『のんきな患者』という作品肯定するのである。 — 伊藤央郎「梶井基次郎のんきな患者』論」 河原敬子は、基次郎が〈結核〉という語を友人への書簡初め明確に用いたのが、1929年昭和4年12月で、この〈結核〉または〈肺病〉という自明病名記したのが全書簡中でわずか3通、日記では全く用いていないという意外性から、それまでの基次郎がいかに自身病名忌避し遠ざけたい心理」があったか考察しながら、『のんきな患者執筆の頃から自身の病を真正面から見据えリアリズム〉を志向し背景に、こうした過去自分作品超えるリアリズム文学構築しようとする強い意欲」の変化があったとしている。 そして河原は、基次郎自身含めた他者客観的に描き、「従来梶井作品頻出し比喩化や象徴化ではなくあるがまま現場再現という手法」や、抽象的な統計数字から、「〈豪傑〉も〈弱虫〉も全て死ぬしかないという死について真実」を具象化洞察することによって実現され新たなリアリズム〉を解説しながら、そこには、『冬の日』『冬の蠅』(同じく結核題材)での「観照という存在根元突き入る心象風景」はないが、それに代わって、「病者生身として肉付けされた吉田母親中心にそこから世間他者とも関係を持ち生き抜こうとする彼らの思いへの認識」が重ねられ、「大阪天下茶屋という平俗性に満ちた土地暮す梶井が同じ地平立って市民を見つめ、そこに病者全体的実在見出そうとする理念実践されている」と論考している。 死んでいく荒物屋の娘の「淋しい気持」を思い遣り、自らの死の姿を見詰めもしたが、その孤独はるかに超える現実死の非情さを吉田は今直視している。「――といふことであつた。」という沈思断定表現にも、生死の境界のはかなさというような平準化された感慨ではなくこれ以上ない重い実感が込められているのであろうその意味でも、梶井新しリアリズム実現のためにも、この〔エピローグ〕は重要な意味を持っているのである。(中略)たとえ全て死に持ち去られるという実相逢着するとしても、統計数字ら抜き差しならない個別の死の姿を見出していることが大切である。吉田の「のんき」は、このような死についてリアリズム掴み取った人間求め境地である。絶望と言ってしまえば全て閉ざされるが、「のんき」であることによって個別生死具象化する作品書き始めたという点で、ぎりぎり生の場と繋がるのである。 — 河原敬子「梶井基次郎のんきな患者』:リアリズム文学への新たな志向」 谷彰は、まず基次郎自身作家論背景を一旦置いて作品それ自体構造表現について分析し第1章語りでは、吉田の〈不安〉の原因自体読者伝えることが目的ではなく、「(不安の原因を)自意識逡巡によって追求することの不毛性」を語っているとし、それ以降の章ではほとんど「吉田意識寄り添ったもの」だけになり、相対化するような方法見られない解説している。また荒物屋の娘の死を知った吉田が、自身の〈病んだ身体〉の行く末現実痛感しそれまで自身の〈病んだ身体〉を他者のように眺めていたことを〈のんきな患者〉と表現したではないか考察している。 そして谷は、世間人々迷信縋って生きようとする「真剣であるが故に滑稽でもある」様子に、知識人吉田徐々に共感持っていく心理描かれているものの、その回想部ではまだ同じ次元立っているとは言えないとし、最終的な感慨示されエピローグにおいて、吉田個々病人苦しみ自身のものとして実感しつつ、〈病んだ身体〉と自分自身自己同定し、「死によって閉ざされた〈時間的な〉を超えられないこと」を認識していると解説している。 最終的に言えることは、吉田が、「病んだ身体」を拒否して現実超えたある種永遠に回帰することよりも、「病んだ身体」を現実として受け入れることの方を選択したのだ、ということである。これは、死を直前控えた者が迫られるギリギリ選択であって余人軽々しく口を差し挟む領域問題ではないと思われる重要なのは、『のんきな患者』という作品が、このような吉田最終的な選択読者示し得るように、構造化されているかどうかということであろう。その点に関しては、これまでの作品分析がそれを証明している。『のんきな患者』は、主人公が「病んだ身体を介して「他者」との連帯可能性見出していく物語として確かに読むことができるのである。 — 谷彰「梶井基次郎のんきな患者』論:身体他者をめぐる物語

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愛撫 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

愛撫』は、梶井基次郎作品の中では比較軽く書いた随筆的なものであるが、雑誌掲載時から好評で、中には当時初め日本翻訳され話題となっていたプルーストよりも〈偉大〉だと基次郎直接褒め人物もいたという。今日でも短編名品として評価が高い作品で、動物扱った作品など各種アンソロジー取り上げられる人気作品でもある。 小林秀雄は、『愛撫』の「病的な観察正常な愛撫あふれてゐる」と評し鈴木貞美は、との戯れ中に「生の時間いつくしむような」ものが感じられるとしている。 川端康成は、伊豆湯ヶ島で基次郎と共に過ごしてみて、その自然(植物動物)を観察する見方(「冬の日射し」のようで「そこに、ユウモア厳し深さとがまじつてゐた」こと)を学んだとし、その頃から『青空』で発表される次郎作品注目していたが、「その感情の手余りに暗鬱」で、「危険」や「逞しい生活の意力」がひそみ、爆発しそうであったため、「膝を崩して書くこと」「多く書くこと」を基次郎アドバイスしていた。 そして「書くこと」が「病気障り」になることより彼の慰め」になるとして、「書かないでゐることは、彼の生活の力を衰へさせはしないか」、「彼はさういふ男だと信じてゐる」と作品発表滞っていたことを案じていたが、久しぶりの『愛撫』を読んで驚き、「私の意見は顔を赤らめた」として、以下のように高評している。 この傑れた、短い散文詩風の作品は、説明すべき種類のものではないけれども、とにかくこれは、少し書く人が書け作品である。多く書く人の書けない作品である。このやうな気品は、書かないでゐることからしか生れないのではないか思ふ作品気品といふものは、今日余りに忘れられ過ぎた一匹と足とを書いたに過ぎない小品が、私を打つた所以である。作者感覚異常に冴えてゐる。これだけ常識離れて、しかもおのづから温かいのは、驚くべきことである。しかし何より気品。 — 川端康成梶井基次郎氏の『愛撫』」

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真珠 (坂口安吾)」の記事における「作品評価・研究」の解説

発表当時文芸時評において宮内寒弥は、12月8日のことを書いた作品は他に、上林暁の『歴史の日』、伊藤整の『十二月八日記録』、太宰治の『十二月八日』があることを言及しながら、その中で坂口安吾の『真珠』は「小説の結構を備へてゐるもの」とし、他の12月8日描いた作品が「感激の早取写真的傾向」を持っているのに比して真珠』は、「始めて完璧な小説へのかたちとなつて現はれた」秀作だと評している。そして、「軍神勇士」を〈あなた方〉と呼びかけることに「一番感服した」とし、こうしたコロンブスの卵」的なアイデア小説化した坂口の手腕は貴重だとしている。 平野謙も同じ文芸時評で、『真珠』の読後感を、「大東亜戦争勃発以来、はじめて芸術家の手になる決戦下の文学らしい文学」を読んだ気がする高評価し、以下のように讃辞述べている。 この美しい題名を持つ小説は、ある意味大胆不敵な作品である。「あなた方九人であつた。あなた方命令受けたのではなかつた」といふ直截書き出しにはじまるこの作品は、最近私ども国民全体を魂の底から感動させたあの軍神取材してゐるのだが、その国民的感動神聖さは、それをすぐさま一篇文学作品織りこむのを憚かるやうな一種敬虔な性質含んでゐる筈なのに、坂口安吾惧れ気もなくただひとすじに押しきり、却つて見事な作品世界造型したのであつた。凡庸な作家なら当然失語症に陥らざるを得ない神話」の絶対世界に、坂口安吾は見事手ぶら推参したのであつた。彼が純正芸術家だつたからである。つねに魂の感動求めてやまぬ生粋文学者だつたからにほかならぬ。 — 平野謙文芸時評七北数人は、9人の「決死行」の特攻と、安吾自身の「自堕落」な生活の「対比」と見るにはコントラストが弱すぎ、二極対立描かれているのではないとし、「命を捨てて突撃する若者たちの、壮烈澄んだ精神」に分け入っているが、安吾は彼らを「理想人間」としているのでなく、自身日常卑下しているわけでもない解説し、そこに描かれているのは「日常落ちてくる霹靂」、「暗い予感」だと述べている。 そして七北は、平凡な安吾12月8日にも、わずかながらに「九軍神決死時間」が、不安や「緊迫した空気」として共有され戦後発表の『堕落論』の中に見られる人々透明な心情、死を前にした幻影のような明るさ」が、すでにこの『真珠』の時代から広がり初めていたとして、そういった時代心象」を同時代いながら安吾描こうとしていたと考察している。 奥野健男は、坂口安吾自身の「無頼」の生活と、特攻隊勇士たちの「死を前にしたゆえの透明な明るさ」を対比させて、「むごたらしいものの美しさ」を追求した作品にしていると解説している。そして、安吾戦時下日本の「壮大な滅びの宴をすべて眺めながら自分滅亡しよう」と考え疎開もしない空襲下の東京居残った考察している。

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花ざかりの森」の記事における「作品評価・研究」の解説

学習院国語教師で、同人雑誌文藝文化』の一員であった清水文雄は、教え子平岡公威三島由紀夫本名)から渡された『花ざかりの森』を初め読んだ時の感動を、「私の内にそれまで眠っていたものが、はげしく呼びさまされ実感味わった」と表現している。同じく文藝文化』の同人で、『花ざかりの森』に感動した蓮田善明も、少年三島将来期待をかけて次のように賛辞呈した。 「花ざかりの森」の作者は全くの年少者である。どういふ人であるかといふことは暫く秘しておきたい。それが最もいいと信ずるからである。若し強ひ知りたい人があつたら、われわれ自身年少者といふやうなものであるとだけ答へておく。日本にもこんな年少者生まれて来つつあることは何とも言葉に言ひやうのないよろこびであるし、日本の文学自信のない人たちには、この事実信じられない位の驚きともなるであらう。この年少の作者は、併し悠久日本の歴史の請し子である。我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。此作者を知つてこの一篇載せることになつたのはほんの偶然であつた。併し全く我々の中から生れたものであることを直ぐに覚つた。さういふ縁はあつたのである。 — 蓮田善明編集後記」(『文藝文化昭和16年9月号) なお、この上記の蓮田言葉は、その後三島作家活動運命にまで影響及ぼし三島死後の数多く三島論で、それを示唆するものとして引用されている。 田中美代子は、『豊饒の海』のラストによく似た花ざかりの森』の大団円は、また「エピグラフに絡ってゆく」と指摘し、「〈かの女花ざかり死んで行った〉、なぜなら、〈かの女余所にもっと青い森のあることを知っていた〉から」だとして、エピグラフ言葉と、ラストから想起されるものについて、「読者はここに展開され花ざかりの森一場の幻であったことを知るのである。それはあたかも女性コーラスによる海へ賛歌であり、また葬送曲あるようにも思われる。それは、静謐、その心設けだったのだろうか」と論考している。 野口武彦は、『花ざかりの森』で三島文学の〈海〉の「二重性」が先取りされているとし、〈海〉は「憧憬そのもののメタファア」であり、また同時に憧憬否定するイロニイ」でもあると指摘している。また、日本浪曼派などの影響受けた三島を「ロマン主義者」と規定して、そのロマン主義傾向論考しながら、「ロマン主義文学はじめから挫折約束させられている文学」であり、「この到達不可能な高みをめざす魂の飛行をわれわれは〈憧憬〉と呼ぶ」として、『花ざかりの森』には、成就不可能と知りながら憧れずにはいられないという「両極の間を揺曳するいわば魂の振幅」の構造備わっている解説している。 この野口の論に対して小埜裕二は、「憧れ成就永続的把握不可能であるという意味においては正しい」としながらも、それだけでは『花ざかりの森』を十分に把握したことにはならないとしている。小埜は『花ざかりの森』を、〈憧れ〉が成就した一瞬間梃子」にして、「ロマン主義現世における不可能を可能とすることに挑んだ物語」であるとし、〈憧れ〉が成就された一瞬は、「〈追憶〉のなかで生死超える新たな認識へと変化していく」と考察している。そして物語登場人物する「煕明夫人平安朝の女、祖母叔母」の3人の女たちは、「祖先会いたい、海を見たいといった純粋体験求める」憧れ持った主体であって、〈愛〉や〈献身〉などの「純粋体験」ともいうべき出来事は、「〈追憶〉されることによってはじめ理解される」と解説している。

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作品評価・研究

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冬の蠅」の記事における「作品評価・研究」の解説

冬の蠅』は梶井基次郎代表作中でも評価高く近代日本文学史中でも名作位置付けられているが、初出当時文壇からの批評はなく、ほぼ無視されていた。しかし作品集檸檬刊行により文芸評論家の目にとまり徐々に評価されていった作品構造的には、作品冒頭作者存在明示されており、その意味で他の梶井作品とは異例である。作品的に高い評価ながら、他の代表作冬の日』『闇の絵巻』などと比べる本格的な論究少ない。 小林秀雄は、「梶井氏の暗鬱明朗から直接流れ出たもの」として、以下のように『冬の蠅』を寸評している。 「冬の蠅」の暗胆たる気持には憎悪もない、冷笑もない、空しい足掻もない、寧ろ肉体疲労そのものがある。無駄のない謙譲とでも形容したくなる様ないかにも自然な疲労がある。そしてかういふ疲労一種健康な感情を私によびさますのである。 — 小林秀雄文藝時評 梶井基次郎嘉村礒多河上徹太郎は、ボードレールの「倦怠精神(『悪の華』)を表現した梶井文学近代性触れ、基次郎出現により「〈西欧風〉な文脈啓示が与へられた」として、『冬の蠅』の序章が「〈日本的センス持った厳密な名文」でありながらも、その「密度細かさ」は日本美術細密画のような空間的視覚的なもの(観察よるもの)でなく、「時間的音楽的なもの」、「意識の流れ沿って生きたもの」だと解説している。 そしてそれは、「描いた」のではなく、「自分生きる時間で測った」ところに鮮やかさがあり、従来日本文学になかった「劃期的なもの」があるとして、基次郎プルースト読んでいたことも鑑みながら、『冬の蠅』や『闇の絵巻』などに定着されている「意識の流れ」について、「単なる日本的抒情といったのではすまされない近代文学原型」が見られる河上評している。 武田泰淳は、死にかけている冬の蠅微妙な変化凝視し、〈死んだやう〉という言葉何度も繰り返されている描写を「ピアノ弾奏者の微妙な指さき」のようと譬えつつ、「文章構造ヴァリエイションをあたえるようにして、効果的なリフレインがつづく」と評して、こういった美し効果は、基次郎秀でた意志凝視力」によるもの解説している。そしてそれとはまた異なる趣の繰り返し見られる冬の日』の、〈何をしに自分は来たのだ〉という3回リフレインとの効果違い触れて解説している(詳細冬の日 (小説)#作品評価・研究を参照)。 河原敬子は、『冬の蠅』の「ゼロ段落」(序章)での〈一篇小説を書かうとしてゐる〉という形で導入する自覚的な意味と、その後の章における〈私〉内面基本構造多様な手法使った筋の流れ考察し〈私〉結末向けて一人人間追い詰められる生の転換点」に立たされ、「これまでの生を打ち破るしかない状況になっていくことを解説しながら、「自意識超える世界人間実在があること」を小説寓意的描いてみせているのが『冬の蠅』の構造だとしている。 そして河原は、同様に「死の運命」「自意識」を扱った先行作品の『蒼穹』『筧の話』にはなかった「他者」港町娼婦など)の現実触れている点を鑑みながら、基次郎本当の意味での「小説」を新たに構築することを模索していたことを指摘している。 人間とは運命操られる不確かな存在だと認識したことで、新たな視点から生死問題を見つめ始めることになる。勿論、〈きまぐれ条件〉は運命の一側面過ぎず、それを認識できたとしても運命全体像把握できたわけではない。しかし、人間存在一端であれ、それに触れたことに意味があったのであり、運命宿命について視野を拡げて考えて行くことが今後の生の目的となるはずである。落ち込んだ壜と同様の閉塞空間にいる自分掬い上げるものは、他人にまみれ、自分自身実在触れ得た直観の力だけであることを知るであろう。(中略ゼロ段落〈私〉は、作品世界〈私〉対象化し得て今、他者問題踏まえた現実の中でという、本当の意味生きている主人公小説世界新たに構築する必要を直感しているはずである。 — 河原敬子「『冬の蠅』論」 柏倉康夫は、『冬の蠅』で基次郎描きたかったものを「人間存在をこえたある力、運命呼べば呼べるもの」に他ならないとし、主人公〈私〉が〈其奴幅広い背を見たやうに思つた〉と表現されているが、それは「諦念」に捉われているわけではなくて彼もまた日向の中で生き返る冬の蠅のように、運命運命として命あるかぎりそれを生き抜こう」としていると考察している。

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作品評価・研究

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たんぽぽ (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

絶筆となったたんぽぽ』は、川端文学重要な要素一つである〈魔界〉を描いた作品系列(『みづうみ』『眠れる美女』『片腕』など)に連なり、それをさらに方法論的に新しく発展させようとした実験的な試み看取され、人間の愛や性、精神交流言葉など複雑なテーマ描こうとしている作品である。 そういった作者意欲途絶して終わってしまったことで、川端の筆の衰弱を見る向きもあるが、従来川端創作姿勢(どこで終っていいよう短編積み重ね的な作風)から、執筆途上であっても一つ完結した作品だと見なし高評する論者も多い。 また、稲子が何故〈人体欠視症になったのかを考察するにあたり、〈魔界〉をめぐる中心的主題への複雑な解釈見られる作品で、それらを総合的に大別すると、「醜・魔性魔界」と「美・純愛仏界」という負と正の2つイメージ概念対立的に捉えつつ前者後者により救済浄化され方向性を見る解釈と、両者の対立解消統合されていく方向性を見る解釈がある。 秋山駿は、『たんぽぽ』で表わされている主題独創的な展開、緊張感のある対話連続する文体などに「作家断乎たる決意による新し創造」の感を受けたとし、川端の「畢生の大作」「窮極作品」「正しく命を削る仕事」と評している。そして、三島由紀夫川端論で触れられていたニーチェワグナー評の「大きな壁と大胆な壁画愛する」(『ニーチェ・コントラ・ワグナー』)を鑑みつつ以下のように考察している。 いったいこの作品川端氏は何を果たそうとしたのだろうか。この作品にはずっと、諸行無常響きとはまた別な、心狂える者の思い伝え鐘の音がしている。天使のような少年、また問罪者が一瞬出現する。私は、これは、心の狂いという生の奥へ分け入るとともに、その「癒し」を書こうとしたのだと思う――そうならば、それが川端氏が直視してこうとした大きな壁と大胆な壁画であった。 — 秋山駿不思議な作家」 しかし同時に秋山は、この未完作行方想像し、「人間同士結局は一人一人別け隔てるところの亀裂深淵男と女の間に口を開くそれこそ真率にして沈痛なドラマ」が展開されるではないかと、川端横光利一の『悲しみ代価』を評して言った全編を貫く真率沈痛な調子〉〈真髄露岩〉という言葉川端自身のこととして引き取っている。 吉村貞司は、父の死に傷ついた稲子の純粋性の発現が〈欠視〉だと捉え、これを川端三重苦少女描いた美しい旅』(1939年)の視覚聴覚欠如バリエーションだとしながら、〈欠視〉を「聖少女」を完成させるための装置だと解説している。こういった先行作品との関連では、岩田光子も、『美しさと哀しみと』のヒロイン音子大木との性行為エクスタシー瞬間大木見えなくなる描写があることや、『眠れる美女』の少女たちの眠り視覚欠如)との系譜指摘している。 小川洋子は、未完であっても本質的十分に完結した小説」だと評し久野との肉体の愛がもたらすものに対する不安が、稲子の〈欠視症〉の原因だとしている。武田勝彦は、〈欠視症〉の原因を、父の不慮の死の他、久野サディスティック愛し方に理由があると見ている。 今村潤子は、稲子の母が出会う〈黄の濃いたんぽぽのやうな少年〉や、父・正之が敗戦時に山中出会った天女のやうに気高く〉〈神さま巫女か、神さまのお使ひの妖精のやうな〉美し少女が、「異常な状況中にいる者を正常へ引き戻す力を与えられ存在」として造形されていることに着目し、彼らが〈魔界〉の世界の「出入り口」のところで、「両方世界へ仲介者としての働き」を持つ存在として居ると考察しながら、こうした妖精〉の属性持った「〈魔界〉の誘引としての役割」を担った中性的人物が、他の〈魔界〉をテーマにした作品群『舞姫』『美しさと哀しみと』にも登場することを指摘している。 瀧田夏樹は、『たんぽぽ』が川端ノーベル文学賞受賞後も、約3年放置されたまま絶筆になってしまった本当理由は、〈師友であった三島由紀夫衝撃的な突然の死あったからだとし、木崎正之という元旧陸軍中佐に、自身戦後虚脱感重ねた川端内面は、三島同様に敗戦による深い傷を負い、その「自覚的再生結実」の戦後の活躍は、三島という後輩との邂逅刺激によって保たれていたために三島失った隙間埋めるものは、「彼の余生にはもう残されていなかった」と解説している。 そして瀧田は、三島との出会いの時から川端が〈三島自身にも容易に理解しにくいのかもしれぬ〉と、その〈早成才華〉の〈結実〉への希望持ち最後まで抱き続けた三島由紀夫恐るべき可能性への期待」の大きさゆえに、その死は同時に川端自身にとっての絶望になったとし、三島への計り知れない期待イメージは、〈たんぽぽのやうな少年〉に対する、〈人間の子〉とは思えない〈小妖精〉〈利発うな子〉〈盗んで帰りたい〉という「もどかしさ」の印象表われていたと考察している。 原善は、『たんぽぽ』で語られる様々な主題の中から、〈言葉〉について焦点当て川端それまで随筆評論など語ってきた一貫する言語観言葉への不信)を踏まえつつ、川端目指し続けた表現革命〉として最後に手がけた『たんぽぽ』を、「言葉によって〈仮りの姿に装はれ〉た道徳文化といったものの仮象性を痛烈に暴くことでそれらを批判し、さらにそれらによって抑圧されているものの発現実相描こうとしている作品として読まれるべき」とし、「〈悪〉〈狂気〉」と「〈愛〉〈純粋性〉」と二元的分けて呼ばれるものの「分裂止揚」し、〈根元生命〉〈人間実存生命本然復活〉を志すのが〈魔界〉の世界観だと解説している。 そして原善は、作中地名関連のある謡曲生田敦盛』『三井寺』の2篇に共通する親子間の愛のモチーフが『たんぽぽ』にもあるとして、稲子の〈欠視症〉が〈自分のある部分を見まいとする愛する人のある部分を見まいとする人生のある部分を見まいとする〉病だと記述されていることに着目しつつ、稲子中には、「潜在的インセスト」(近親相姦としての禁忌の「父恋」があると考察し物語二重の構造性(主人公不在と欠視)が、「不可視の世界幻出させる」という文学機能をより際立たせ、読み手に、稲子恋慕対象である「非在の父を視ること」が強いられていく作品の構成意図解説している。 森本穫は、川端物語下敷きにしたと思われる生田川伝説」(菟原処女の伝説)や謡曲生田敦盛』、三井寺伝承謡曲三井寺』『求塚』、民話三井の晩鐘』などの親子間の情愛モチーフや、『たんぽぽ』での仁徳天皇御陵大仙陵古墳白鷺挿話や、稲子入院する病院の建つ丘が〈皇陵〉に喩えられていることなどを統合的考察しながら、稲子の〈欠視症〉が、死の世界にいる父への愛と、現前恋人久野への愛という2人の男の狭間稲子苦悩することに原因があるという導きをしている。 また森本は、〈魔界にはいらうとつとめて魔界にははいりがたかつた〉という西山老人には芸術家として川端思い込められていて、最後の『たんぽぽ』で自身の〈魔界〉の新展開描こうとした実験意欲看取されるとし、画家ゴヤ晩年に、自身内面世界棲む暗黒の〈魔界〉を仮託し川端が、もう1人自身分身でもある木崎正之を崖から海中墜死させる意味や、稲子造型に、川端養女黒田政子(麻紗子)があることを探りながら以下のように考察している。 深い罪障感と異様な孤独こそ、晩年の康成を覆っていた世界である。康成は、自分そのような世界住んでいることを、ひそかに読者告白したかったのではなかろうか。だが、そのような内面苦悩にもかかわらず、康成には、自分が〈魔界〉に入って、その境地芸術作品表現し得た、という実感はなかったのであろう。「魔界入り難し」という痛恨想いが、康成には深くあったにちがいない。(中略半面、康成は長大な「たんぽぽ」を構想するにあたり、みずからの生涯これまでの全て賭けて、この作品で〈魔界〉を縦横描こうとしたのにちがいない。〈魔界〉への挑戦――それが「たんぽぽ」に賭けた康成の決意であった。だが、稲子の母と久野との対話によって、稲子深層意識描き出し併せて木崎中佐悲痛な願望表現しようとする大胆な構想は、挫折した。 — 森本穫魔界の住人 川端康成 第十章 荒涼たる世界へ――〈魔界〉の終焉富岡幸一郎は、川端の『眠れる美女』『みづうみ』などの底流流れる〈愛〉の交流不可能性の主題鑑みつつ、〈過度の、極度の、愛から〉久野の体が見えなくなる稲子の〈人体欠視症の意味探りながら、「日常時空間において、人間互いに相手侵犯することも、蹂躙するともなく果して愛し合うことができるのか」という命題を可能たらしめるには、「その瞬間地上相手の『体』は、消え失せてなければならないではないか」とし、この「不可能な可能性追求した実験小説」が、川端最後に辿り着いたたんぽぽ』であり、川端文学中でも最も前衛的西洋的価値基準による近代小説から遥か遠く見据えた作品だと解説している。 そして富岡は、川端がこの物語で「不滅少女」を描こうとし、川端自身がその「聖性同一化」することを目指そうとしているとし、川端理想少女像に元々ある「両性具有的な要素」が垣間見える稲子存在を、「〈性〉に到達することのない〈純潔過ぎるほど〉の愛の透過性――すなわち愛する者の生命永遠に侵犯することのない、抽象としての〈男〉であり〈女〉である」と考察しながら、父の事故死と、久野との関係で現実には聖性失い〈女〉になった稲子が、久野前に桃色の虹のやうな弓形〉を見るのは、性愛浄化し透明な聖少女」への回帰意味するものとしている。 また『たんぽぽ』で川端試みたのは、〈小説言葉〉をさらに逸脱し文学以前の「声の世界」を求め日本の古典詩歌〉に近づくことであったと、川端考えた近代小説崩壊観から富岡考察している。 『たんぽぽ』が、稲子の母と久野の切れることない会話叙述、つまり声(パロール)によって構成されたのは偶然ではない。この作家の“前衛”とは、つまり文字としてのこの国の千年文学奥底にある、隠された声の響き耳を傾け、そこから原初的愛欲根源つながっていくという、「新しい」試みのことである。川端描こうとする「魔界」も、この声ゆらめき(それは『雪国』の葉子の「悲しいほど美しい声」からすで始まっている)のなかに現出するものであろう。 — 富岡幸一郎川端康成 魔界文学 第9章 抱擁する『魔界』――たんぽぽ

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作品評価・研究

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特攻隊に捧ぐ」の記事における「作品評価・研究」の解説

戦後メディア研究者有山輝雄は、2000年平成12年)に『特攻隊に捧ぐ発見ニュース受けた際、「戦時中言論統制敗戦終わりさまざまな文学作品言論噴出した。そこでGHQ民主主義化の名分の下に表現制限するという矛盾した構図があり、作家記者たちも矛盾抱えていた」と、終戦後GHQによる出版界規制について言及している。 プランゲ文庫中にあった、「suppress削除)」と大きなバツ印付けられていた『特攻隊に捧ぐ』を実際に読んだ時の感想について岩田温は、「一人一人特攻隊真の姿迫ったまことに生き生きとした名文」だと評し、以下のように述べている。 坂口大東亜戦争否定する立場立ちながらも、特攻隊精神気高さというものに圧倒されているのだ。これはその正直な気持ち吐露したものだろう。別段戦争肯定したり、美化しようという箇所など何もない自分の中で美しく気高い感じた特攻隊の姿を淡々と記述しているだけである。この坂口文章GHQによって削除命じられていたのだ。特攻隊に対して自身心の内の声を文字にした、この文章削除させられたのだ。 — 岩田温真実歴史復活求めて検閲東京裁判史観―」 岩田温は、坂口文章から、知覧特攻平和会館特攻隊員たちの遺品遺書を目にした時に、彼らが書いた昭和維新貫徹」、「米英撃滅」などといった国策的なイデオロギー行間から、本当死にたくなかった若者たち苦悩葛藤と、その心のまま出撃したかもしれない切なさ」、その「高貴さ」に思いを馳せたことを思い出したとし、しかしながら資料館廻った人たちの感想文中にいかにもGHQ「東京裁判史観」沿ったような意見もあったことに触れて戦後GHQ支配下で、「東京裁判史観」合致する出版記述だけに統制されていた日本人は、生きるがためにそれを受け入れ自分たちの「素直な感情」の表現禁止されているうちに、次第にその感情そのもの忘れ去っていったのではないか論考している。そして坂口の『特攻隊に捧ぐ』に対すGHQ削除命令を目にした時のことを、「歴史断絶とその原因明らかになった瞬間」と表現している。

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作品評価・研究

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永すぎた春」の記事における「作品評価・研究」の解説

永すぎた春』は、『金閣寺』と同時に連載開始された作品であるが、文学的に評価の高い『金閣寺』の硬質な趣とは全く異なっている。しかし軽快娯楽作品ながらも連載中評判となり、刊行本となるやベストセラーとなった虫明亜呂無は、『永すぎた春』を三島が「あえて健康な市民挑戦した作品」だとし、「健全さもっている不健全さ、幸福のもっている不幸、社会的位置与えられ栄光翳り家庭的充足欠落断絶」といったものを、作者三島が「市民の側にたつという偽装描いていった」と考察しながら、作品明るさについて「意識の裏側から逆光浮きあがった作品明るさにほかならなかった」としている。 西本匡克は、『永すぎた春発表当時から40年上の時が経ち世の中に「できちゃった婚」や「バツ一」「バツ二」といった言葉が表すように、それが当たり前に変化した今日社会風潮の中では、もはや「永すぎた春」という「ストイックなタイトル」が流行語にはなりえないことを鑑みて、『永すぎた春』で描かれたものを「世俗対す純粋さ結婚までの愛の成熟へのプロセスとしての価値」として作品捉えてみるのも一考だと解説している。 十返肇は、『永すぎた春』が大衆向けに書かれ作品ではあるが、他の純文学作品同様、三島の「人生観」や「人間観」が表われ、「永すぎた春」という逆説含んだ主題そのものが、三島らしい「洒脱なもの」だと評しつつ、恋愛は、周囲反対が強いほど、「愛人同士感情密着して結ばれ」、周囲理解示し祝福されると、「敵を失った情熱は、愛そのもの倦怠させてしまう」性質を持つため、主人公2人の愛も、周囲公認され永い婚約間中、「緊迫した激しさ」が失われ相手強く惹かれなくなってゆく様相説明し、それを、「〈幸福〉そのもの一種の〈不幸〉と化しつつある状態で、三島氏らしい狙いである」と解説している。 そして、そういった作者三島の観方が「逆説的」だと言われがちなことについて十返肇は、「本当逆説ではなくきわめて順当な観察」だと述べ、「敵を失った青春などは、実に張り合い」がなく、「青年青年たらしめるには、大人は頑固であり保守的であるほうが、むしろいいぐらいだという、それこそ逆説”が生れそうである」としながら青年にとって、「物わかりいい大人」こそ、実は「眼に見えざる敵」かもしれないという視点から、主人公・郁雄の母親である宝部夫人存在が、この作品において「二重の意味をになっている」と指摘し、宝部夫人が「物わかりいい大人」だと自負しながらも、身勝手な振舞いをする点に触れて、以下のように解説している。 彼女(宝部夫人)は、自分では、こよなく若い者理解のある物わかりいい大人だと信じているが、実は彼女はなんにも青年たちを理解してはいないのだ。こういう人物こそが、本当は、青年見えない敵であり、また、これが世にいうものわかりのよい大人本質なのだ、つまりは子供同じなのだという三島由紀夫の“逆説”がここにあるわけである。 —  十返肇解説」(文庫版永すぎた春』)

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薔薇刑」の記事における「作品評価・研究」の解説

薔薇刑』は、「日本写真批評家協会作家賞受賞するなど反響呼んだが、国内のみならずドイツでも評判となり、フランクフルト国際図書展での人気独占した安部公房は『薔薇刑』について、以下のような言葉寄せている。 芸術家真の願望芸術生み出すことにあるのではなく、あんがい、自分自身が、芸術そのもの変身してしまうことだったのかもしれない沈黙せよ沈黙して生理開放せしめよ。この一人きりの組織、ひとりきり秘密結社に、いさぎよく加盟して、壁とともにひたすらたわむれるべきではあるまいか。 — 安部公房三島氏、芸術変身す――細江英公写真集薔薇刑』に寄せて山中剛史は、三島が〈ぼくはオブジェなりたいと言って、「モノとしての強い存在感」を求めていたことや、世界旅行ギリシャで、〈美し作品作ることと、自分美しものになることとの、同一倫理基準発見〉をしたことを鑑みながら、『薔薇刑』で三島が、「作家という肩書き取り去った三島自身客観性帯びたモノとしての肉体それ自体求められ筋骨逞しい自身裸体惜しげもなく曝すことで、三島存在感充溢感じることとなる」とし、その後三島が「オブジェとしての三島像」として、矢頭保篠山紀信被写体となって、「最終的に自己のオブジェ化を突き詰め果ては自己の死体扮装写真集『男の死』(未刊)として結実することとなる」と解説している。

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音楽 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

音楽』は娯楽的な趣で、三島由紀夫主要作品はないた本格的な論考はほとんどなされていないが、1960年代の〈人口一千万大都会東京舞台とした都市小説として位置づけられ、神経症患者増加という社会システム歪みに対して鋭敏に反応していた当時三島時代抱いていたニヒリズム絶望感一端垣間見えるものでもある。小笠原賢二は、三島同時期に発表していた二・二六事件三部作憂国英霊の聲十日の菊)などと併せ総合的な論究必要性指摘している。 澁澤龍彦は『音楽』を、「あたかも推理小説のごときサスペンスもたせて一女性の深層心理にひそむ怖ろしい人間性の謎が、ついに白日のもとに暴き出されるまでの過程」がじっくり描かれているエンターテイメントとして上出来作品だと評し冷静な合理主義者分析医が、虚言壁のある美貌患者図らずも惹かれる様は、名探偵犯人女性惹きつけられていくのと似ており、そこに作品ふくらみ増している起因があるとしながら、以下のように作品解説している。 私が言いたいのは次のようなことだ。つまり、この小説一面から見ればたしかに精神分析理論則った小説ではあるけれども、もう一つの面から見れば従来精神分析理論のみによってはなかなか割り切れることのできない人間精神不条理さを描き出そう試みた小説である、と。したがって、これは既成精神分析学批判小説であるとともに現存在分析一派いわゆる「愛の全体性到達する」とはいかなることであるかを、小説家想像力媒介とした、具体的な症例によって検討しようとした、きわめて野心的な小説でもある。 — 澁澤龍彦解説松本徹は、精神分析学徹底した否定論者であった三島が、『音楽』では逆にそれを利用し、「性の諸相」を展開させているとし、「近親相姦への恐怖」は三島の性を考察する上で重要であるため、その意味でも「見逃せない作品」だと解説している。

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剣 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

佐伯彰一は『剣』を「かくべつ充実した作品」と評しクライマックス主人公自殺となっているが、「一種妙な透徹感が全体つらぬいていて、爽やかな後味さえのこす」と述べて、その「恐ろしいほど透き通った澄明度主人公剣道構えそのまま一分の隙もない均斉ぶり」において、『憂国』よりも上だと賞讃している。そして剣道動作表わす描写を、明澄で「フィジカルな力にあふれた描写」とし、そこに見られる鮮明なイメージ」を、「無駄のない直截さ」と評しながら、その文体は「必要なものは、くまなく形象化されながら、一切贅肉思いきりよく剃り落とされ」て、柔軟かつ張りつめているとしている。 そして、主人公を〈稀な孤独な人物だと簡素に表現している三島描き方について佐伯は、人物像綿密に描かないことによって、「緊張一貫性効果」を生み、「鋭利な一瞬疾駆のような見事な虚像となっているとし、ヘミングウェイが〈稀な孤独な漁師闘牛士を「鋭利な筆致」で「古き良きアメリカの魂」を描いたように、三島また、『剣』のような見事な主人公通じて古き良き日本の魂をとらえ得た」と評しつつ、その「抽象化し純化して、ほとんど余白暗示に頼るという筆致また、古き良き日本芸術方法であった解説している。 佐藤秀明は、最後主人公合理的に割り切れない決意には、三島が『林房雄論』や、『剣』と関連して円谷幸吉への献辞でも述べる〈純潔誇示する者の徹底的な否定外界内心すべての敵に対するほとんど自己破壊的な否定、……云ひうべくんば青空とによる地上否定〉という〈変革原理〉へと結びつく情念があり、それは三島文学見られる現実許容しない詩」とも言い換えられると考察しながら、それを三島は、〈もつとも古くもつとも暗く、かつ無意識的革新的であるところの、本質的原初的な「日本人のこころ」〉として掘り起こしていると解説している。 松本徹は、『剣』や『林房雄論』などを書いていたこの時期三島心境について、思想イデオロギー越えた、「われわれの内を強く流れ心情とでも言うべきもの」へと関心向けていたと解説している。また、ささいな裏切り許さず自決した主人公最後を、「剣の強さガラスのように繊細透明なものとなり、砕け散るところ」が捉えられていると評している。 菅原洋一は、「三島短編のみならずその作品中でも屈指の作品のひとつである」と『剣』を評し、〈青年だけがおのれの個性の劇を誠実に演じることができる〉と考えていた三島言葉を引きながら、「(三島自身分身ともいうべき次郎の死は、むしろ完成であった」と解説している。 そして、〈ただ一点添加することによつて瞬時にその世界完成する死〉という、三島語っていた言葉挙げ、「次郎唐突な死」がそれであった指摘しつつ、それは作者三島の「浪曼」であり、「次郎心情顕在化」でもあると共に、『剣』の幕切れにふさわしい「強烈な完成」だと論考している。また、冒頭結末部において、次郎の黒胴につけられた「二葉竜胆の金いろの紋」が、意図され符牒のようになっている点を解説しながら、竜胆の花言葉(強い正義感、的確、誠実、悲しんでいるあなたを愛する)と『剣』のクライマックス重なり印象的だ評している。

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機械 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

『機械』は、発表当時その画期的な技法注目され高い評価受けた横光代表作である。その複雑で精緻な心理描写は、ジョイスプルーストシェストフ谷崎潤一郎などの作品からの刺激みられる小林秀雄『機械』を、第二の『日輪』と位置づけ、「世人語彙にはない言葉書かれ倫理書だ」とし、「この作品の手法は新しい。それは全然新しいのだ。類例など日本にも外国にもありはしない。といふ意味は、其処に立つてゐるのは正しく横光利一だといふ事だ抜き差しならぬ横光利一が立つてゐる」と激賞した川端康成も、『機械』を『時間と共に、「横光作風心理的になった初め名作であり、問題作」だとし、「心理横糸図式、あるひは交響波動は、人によつていろいろ解釈されるだらうが、その根底横光仏心を私は感じる」と評している。そして「文字がぎつしりつまつてゐる」読点のない文章については、「作者がかういふ形式選んだのは、人間共を息苦しく結晶させるためだつたのだらう。工場全体一つ生きものとして取り扱ふためだつたのであらう」と考察しながら以下のように高評価し、また作品純粋な結晶のやうに隙がなく、人間作中運命のやうに生きて行く」といった小説としての純粋さが、ジャン・コクトーの『恐るべき子供たち』と似通っているとしている。 工場人間共の、心理の、性格の、運命複雑な交錯に、この作品終始してゐる。交錯といふ言葉では足りない人間のそれらのものが、深く食ひ込み合つてゐるのだ。そして歯車のやうに動いて行くのだ。工場はそれらの人間で、組み立てられ精巧な機械である。その機械動き書いたものだ。(中略)それなら、その機械動きはどういふものであるか。性格心理書き方異常な力に打たれたと云ふ以上に、私はそれの簡単な説明出来ない人間人間交錯を書くとは、余りに古くからのことであり、またそれ以外文学はなかつたと云へるが、われわれはその文学本質の全く新しい試みを、この作品に見るのである。少くとも、それに与えられ飛躍的な進歩認めのである。 — 川端康成横光利一氏の作品」 また『機械』海外でも注目されサルトル実存的な不安を文学化する方法として『機械』賞賛し、それは「もはや自分自分が分らなくなった知識人」を描いており、最後他人の死が自分の罪なのか他の男のせいなのか、自分が誰なのかも分らなくなる状況となり、不安の中にとどまるとし、「これは“廻転装置(トウルニケ)”として、まったくよくできていて、見事なものでした」と評している。 小林秀雄とは違った側面から『機械』を見る伊藤整は、人間関係社会条件組み合わせの中で生きている現代人実体描写する方法弁証法的であるとし、それは、「ひとつの存在、それに対立して現れる別の存在、その二つの間に生まれる力の関係のバランス、さらに別な存在事件が加わることで、バランス実体変わっていく。すなわち人格中心とする永続的実在否定である」ようなものであり、その点で『機械』使われている描写法も、「心理主義的であるよりも弁証法的であり、または心理主義であることにおいて弁証法的である」と考察している。そしてこういった「人間関係実在道徳人格押しつぶす」という考え方は、極めてニヒリスティックであるとし、この認識当時日本社会人間実体に肉薄したのだった述べ、「なんらかの新しい道徳を設定しない限りこの認識の不安は耐えがたいものなのである」と現代人相対的不安定性について指摘している。 篠田一士『機械』について、横光の「文学的独創性確立」したという意味で、現在でもこの作品なくして横光文学語れないほどの「重要、かつ本質的な作品である」と評し一見20世紀ヨーロッパ文学新たな合理精神から生まれた現代小説の器」を取り入れていながらも、そこに横光は、「四人称設定」という「柔軟な美学的基軸」で全体統合し私小説支えている「感覚的な倫理感」を密かに苦心して生かそうとしていたと解説している。 「人工的なスタイル文体)の作家」として、泉鏡花芥川龍之介川端康成と共に横光利一の名を挙げる三島由紀夫は、どちらかといえば川端鏡花同様、その「人工的な天性そのまま人工的文体」に生かしているのに比し横光芥川同様、「人工的な天性から逆の自然的なスタイル生み出そうとして苦悶した作家だと系列的に位置づけ『機械』文体については、「故意句読点段落極度に節約し文脈には飜訳調を故意にとり入れてゐる。すべてが、この小説主題の展開にふさはしいやうに作り上げられ文章である」と述べ、その終結部も、「機械の鋭い先尖がぢりぢり」読者狙って来るように感じられる表現している。 そして三島は、日本人日本語文章を書く際の通例として、「日本語一語一語が持つてゐる伝統的ニュアンスといふもの」に多く依存しているという特性言及しながら、横光試みた実験は「日本語から歴史伝統悉く捨象して、意味だけを純粋につたへるところのいはば無機質文章書くこと」だったとし、日本明治期哲学者が、ドイツ観念論用語を翻訳し漢語新しい「抽象的な日本文」を作ったものの、それが経年すると、「苔が生えるやうに、日本語としての複雑なニュアンス帯びてくる」不思議さ触れつつ、以下のように解説している。 「機械」の文章は、今日日本の歴史つかないふしぎな乾燥した抽象的性格保持してゐる。それはまた題材乃至主題との幸福な出会ひでもあり、横光はかうして作つた文体いくつかの短篇を書くが、それが彼の固有の文体にまではならないのである。 — 三島由紀夫横光利一川端康成」 また『機械』と違う形で成功した『寝園』の文章比較しながら、『寝園』の文章一見『機械』より「リアリスティック感じ」であるが、それは「全く歴史性をもたぬ」文章登場人物風俗生活に由来し、「抽象への情熱」は、「装飾的な心理分析陥る危険を示してゐる」と前置きし、以下のように評している。 横光到達しえた最もリアリスティック文章は、したがつて、「機械」の文章――氏の技法上の冒険が、人間性探求冒険と、最も無垢歩調を合はせたときに生れ文章――であるといへよう。 — 三島由紀夫横光利一川端康成

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作品評価・研究

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禽獣 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

禽獣』は川端自身が非常に〈嫌悪〉を表明している作品であるが、逆にそこから「川端康成」という作家本質的なものを探る批評作家論発展することが多い作品である。発表当初から様々な評論があるが、三島由紀夫の論などを経た後から本格的な作家論が活発的に展開されるようになった。 王婷は、川端主人公〈彼〉同じように、当時純血しか飼っていなかったことや、舞踊少年少女文章にも強い関心示していたことを鑑みて、「舞踊少女文章」を〈純粋なもの〉と定義している川端が、その中に存在する〈美〉と〈生の喜び〉について語り当時「生が衰弱へと傾斜していた」川端にとり、そういった純粋なもの〉は「救済」だったとしている。 そして王婷は、〈彼〉の家で飼われているのは、すべて〈人工的に畸形的に〉育てられ愛玩動物であり、〈彼〉求めているのは、「人工的な〈純粋〉」だと解説し川端自作禽獣』への〈嫌悪〉を繰り返して語った理由は、自身多く共通性を持つ主人公〈彼〉との間に「引くことのできない境界線」をあえて引き、「〈人工の美〉に拘泥する〈彼〉醜さ」を批評するためだと論考している。 藤本正文は、『禽獣』の中で川端自身の〈嫌悪〉をいかに処理、定着しているかについて、主人公〈彼〉の「毒々しい眼」は世間一般人間向けられ他人を刺す一方、その眼は〈彼〉自身にも向けられ、それは「そのまま当の己をも刺す両刃の剣のような構造をしていると解説している。また、人間にない生命純粋さ」を小鳥見出したときの〈彼〉の眼には、「嫌悪の毒」が全く無いが、しかしながら同時に、「〈彼〉の眼がその瞬間どう浄化されようが、本質的に人間の眼でしかないというところに越え難い淵が横たわる」と考察している。 そして藤本は、千花子合掌の顔に〈虚無ありがたさ〉を感ず〈彼〉祈りは、「禽獣純粋な生命讃歌」に通じ人間千花子ではなく、「無心生命」に向けられ〈彼〉の「共感感謝」は「禽獣世界」に注いでいると説明しつつ、川端〈彼〉の眼を通して、「自己の資質たる感性両極」を見事に使い分けているとし、〈彼〉の「感性の翼が飛び交う世界」を設定し保護する知性」は、「観念的な論理先行するような類のもの」ではなく、「感性自体特質知悉した精神批評性」とでも言うべき性格の「知性」だと考察している。 また、禽獣の命の讃歌の裏側」には常に「暗闇にも似た死の深淵」が横たわり、「死の闇の中瞬間的に浮ぶ生命は、その瞬間瞬間はかなさ一点時間による風化とは無関係あり得る」とし、以下のように解説している。 「彼」の見つめている禽獣の命の明りは、まさに生が死の闇へと燃え尽きんとする瞬間残光のである。命の純粋さはこのはかなさによって感覚的に保証される虚無と死が密着してしまえば「彼」感性飛び交う空間消滅してしまう。死と相接しているが死ではない虚無信じてともされる無心生命明り「彼」を生の側に留めているのである。この一点感覚的緊張によってのみ「彼」空虚な内部は、形骸化すことから免れている。 — 藤本正文川端康成研究――『伊豆の踊子』から『禽獣』まで」 三島由紀夫は、『禽獣』には「小説家という人間畜生腹悲哀凄愴奏でられてゐる」とし、幼くあどけない雌犬自身でもよく分からないまま分娩をする眼差には、「自分生んだ作品眺め作家眼差」との「残酷な対比」が寓意的示され、そこには、「作家は本来この眼差をもつ権利がある」という川端の「絶望的な夢想」が見られる考察しながら、その雌犬の「あどけない無責任な眼差」(「造物主眼差」)を有する権利欲する芸術家人間ありながら人間洞察する宿命負った作家という存在)が、「人間眼差をもつて生れたことに呵責」を感じつつも、そのどちらも「捨離」できないという「二重性」のジレンマについて論考している。 また三島は、川端作品中でも特に『禽獣』を傑作高く評価し川端思想論じ時に欠かせない重要作だとしつつ、そこではと女の生態重複していることを指摘し、以下のように解説している。 このあからさまな禽獣生態と、女の生態とが、しばしば重複する幻覚として描かれ短編の中では、女はイヌのやうな顔をし、イヌは女のやうな顔をしてゐる。作家自分のうちに発見した地獄語られたのだ。かういふ発見は、作家一生のうちにも、二度とこんなみづみづしさ新鮮さで、語られる機会はないはずである。以後川端氏は、禽獣生態のやうな無道徳のうちに、たえず盲目生命力探究する作家になるいひかへれば、極度道徳的無力感のうちにしか、生命力源泉見出すことのできぬ悲劇的作家になる。これは深く日本的な主題であつて、氏のあらゆる作品思想は、この主題ヴァリエーションだと極言してもいい。 — 三島由紀夫川端康成ベスト・スリー――『山の音』『反橋連作』『禽獣』」 そして、川端がそこで「地獄」をのぞき、「もつとも知的なものに接近した極限作品」が『禽獣』であると三島指摘し、「鋭敏な感受性」を持つ川端のような作家が、もしも救い求めて西欧的・批評的である「知力」にすがろうとすれば、「知力」は「感受性」に「論理知的法則」を与え、「感受性」が論理的に追いつめられ、「極限」(地獄)へ連れていかれることを説明し川端同様の契機横光利一『機械』で「知的」なものに接近し成功するが、それ以降は「地獄」「知的迷妄」へと沈み才能があったのにもかかわらず本来の気質反し作家人生失敗終わってしまったのとは対照的に川端はその「極限」(地獄)の寸前で、あえてそこから身を背け、「情念」「感性」「官能」それ自体法則のままを保持する無手勝流」の文学になった考察している。 川端氏は俊敏な批評家であつて、一見知的大問題を扱つた横光氏よりも、批評家として上であつた。氏の最も西欧的な、批評的な作品は「禽獣」であつて、これは横光氏の「機械」と同じ位置をもつといふのが私の意見である。(中略)私がことさら昭和八年、氏が三十五歳の年の「禽獣」を重要視するのは、それまで感覚だけにたよつて縦横裁断して来た日本的現実、いや現実そのものの、どう変へやうもない怖ろしい形を、この作品で、はじめて氏が直視してゐる、と感じるからである。氏は自分作品世界整理し崩壊から救ふべく準備しはじめるが、いふまでもなくこれは氏の批評的衝動である。 そのとき氏は、はじめて日本の風土の奥深くのがれて、そこで作品世界調和成就しよう、西欧的なものは作品形成技術乃至方法だけにどどめよう、と決意したらしく思はれる。そして昭和十年に、あの「雪国」が書きはじめられる。 — 三島由紀夫川端康成東洋と西洋

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作品評価・研究

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雪国 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

雪国』は川端文学代表する名作呼ばれている。海外でも評価高く川端受賞したノーベル文学賞審査対象となった作品でもある。また書かれ当時は、日本国外にいる日本人故国郷愁を誘う作品として愛されていたという。川端そのことについて以下のように語っている。 私の作品のうちでこの「雪国」は多く愛読者を持つた方だが、日本の国の外で日本人読まれ時に懐郷の情を一入ひとしお)そそるらしいといふことを戦争中に知つた。これは私の自覚深めた。 — 川端康成あとがき」(完本雪国』)、「独影自命――作品自解」に再録 小林秀雄は、「火の」の章が発表され時点で、作品主調形成しているものを川端の「抒情性」として、その本質を以下のように解説している。 こゝに描かれ芸者等の姿態も、主人公虚無的な気持交渉して思ひ掛けぬ光をあげるといふ仕組み描かれてゐて、この仕組みは、氏の作品のほとんどどれにも見られるもので、これはまた氏の実生活仕組みであるのだ。川端氏の胸底は、実につめたく、がらんどうなのであつて、実に珍重すべきがらんどうだと僕はいつも思つてゐる。氏はほとんど自分では生きてゐない。他人生命が、このがらんどうの中を、一種の光をあげて通過する。だから氏は生きてゐる。これが氏の生ま生ましい抒情生れるゆゑんなのである作家虚無感といふものは、こゝまで来ないうちは、本物とはいへないので、やがてさめねばならぬ夢に過ぎないのである。 — 小林秀雄作家虚無感川端康成の『火の』―」 伊藤整は、『雪国』の「抒情の道をとおって潔癖さにいたり、心理きびしさの美をつかむという道」という「美の精神」は、『枕草子』や俳諧などの脈に通じているとし、その日本の抒情古典は、川端の『雪国』において「新し現代人中に、虹のように完成して中空かかった」と評している。そして『雪国』の随所終結部見られる微妙な描写の特徴的な手法は、「現象から省略という手法によって、美の頂上抽出する」という仕方とっているため、「初歩読者はそこに特有の難解さ感じ進んだ読者自己の人間観汚れ残酷に突きつけられる。そういう点からは、大変音楽的な美しさ厳しさ持っている」と解説している。 福田和也は、『雪国』を「20世紀10大小説の一作」、「ヨーロッパの世紀末文学理想ボードレールワイルドリラダン求めて果たさなかったデカダン理想実現してしまった作品」だと評し、以下のように解説している。 デカダンスにはいろいろな見方があると思いますが、近代的人間性徹底的に否定するインヒューマニティ、その残酷さ持っている美を極限まで押し進めるとあの小説世界になるのだと思いますね。主人公の設定そうですし、それから自然の描写ですね。人間性をはっきり拒絶したところから出てくる自然を描いていて、メタリックといっていいよう突き抜けた力があって、ニヒリズムすら必要としない無情さが溢れている、これは本当におそろし作家がいるという感覚持ちました。 — 福田和也本人コレクションおそろしい」 三島由紀夫は、『雪国』の冒頭汽車窓ガラス反映描写を、「川端文学の反現実的なあやしさが、一つ象徴としてかがやいてゐる」とし、それはあたかも哲学書の序論」で、「各種哲学用語」が定義されているように「全篇序曲」となり、この作品中における「人物」「風景」「自然」「事件」が何であるかが、「あらかじめ提示されひそかに答へ尽くされてゐる」と説明している。 そして全篇読了した後に気づく、その序曲の意味について三島は、作中の人物たち(駒子葉子)が〈不思議な鏡のなか〉で、〈夢のからくり〉のように眺められる存在で、読者島村に〈悲しみ見てゐるといふつらさ〉を与えず作中風景は〈夕景色の鏡の非現実な力〉の支配下にあり、作中事件も、火事葉子2階から転落しても、汽車の窓に反映した葉子の顔に火が点ったのと同様の、「人間自然と継ぎ目なく入りまじる静かな奇蹟瞬間」に他ならないことだと解説している。 さらに、その葉子失心した姿を見る島村が、〈島村はやはりなぜか死は感じなかつたが、葉子内生命が変形する、その移り目のやうなものを感じた〉と表現されていることに三島触れ、以下のように解説している。 定めない人間のいのちの各瞬間の純粋持続にのみ賭けられたやうなこの小説に、もし主題があるとすれば、この一句中にある。(中略)それは女の「内生命の変形」の微妙な記録であり、焔がすつと穂を伸ばすやうなその「移り目」の瞬間デッサン集成である。駒子葉子も、ほとんど一貫した人物すらない。一性格すらない彼女たち潔癖に生命諸相、そのゆらめきそのときめき、その変容のきはどい瞬間通してしか、描かれないのである作中何度かあらはれる「徒労」といふ言葉は、かうして無目的に浪費される生のすがたの、危険な美しさ対す反語である。 — 三島由紀夫解説 雪国」(『日本の文学38 川端康成集』) また、放り出すやうに」突然と川端が〈空と山とは調和などしてゐない〉と書いているように、川端の描く自然描写単なる美し描写ではないことを三島指摘しながら、ディテールの「純粋な持続」が、読者自らがそれを綜合してしまうような作用もたらす雪国』を「ユニークな小説」とし、「同時に又、もつとも普遍的な小説のである」と評している。 梅澤亜由美は、川端が『浅草紅団』で都市描いた直後に『雪国』が書かれ視点から考察し、「あきらめ世界である都市」から逃避してきた島村は、「非現実的な雪国世界」を求めたが、そこにも「東京散った男を巡る三角関係東京背負いながら雪国埋もれてこうとする女」を見ることになり、「美し非現実世界」だけでなく、島村逃げてきた「東京の影」がそこに付きまとっていると解説している。 そして雪国を立ち去らなければならない島村が、美し天の河見た直後に、雪国最後に見た火事虚しい光景は、絶望失意秘めているが、ラストにおいて島村の中へ天の河が音を立てて流れ落ちるように感じたのは、そういったもの全て超越したものを感じたとし、「そこには全て圧倒し包み込んでしまうような“自然の力”がある」と梅澤考察している。

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作品評価・研究

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豊饒の海」の記事における「作品評価・研究」の解説

謎の多い『豊饒の海』への論究は非常に膨大な数があり、様々な観点から研究論がなされている。三島他の作品との共通点を探る比較論的なもの、典拠となった『浜松中納言物語』との比較論や、作品世界構造論じたナラトロジー的なもの、『竹取物語』や『源氏物語』重ね研究論、個別作中人物本多、清顕、勲、ジン・ジャン、透、聡子、みね、蓼科鬼頭槇子)の行動内面探ったもの、誰が贋物転生者であるかを探ったもの、輪廻転生唯識論宗教論的な観点からのもの、結末部の解釈巡って解釈論日本近代史などの歴史社会的な背景神風連二・二六事件天皇)との相関関係から論じたもの等々多岐にわたって論究されている。 奥野健男は、最終巻『天人五衰』の終り方が、三島初刊小説花ざかりの森』の終結部老婦人が、〈どこへ行つてしまひましたやら。あんなものずきなたのしい気分。……わたくしのどこかにでも、そんなものがのこつてゐるやうにおみえでせうか〉と言った後に、客人を庭に案内し、〈生がきはまつて独楽の澄むやうな静謐、いはば死に似た静謐ととなりあはせに。……〉という末尾酷似していることを指摘している。奥野は「三島由紀夫文学華やか激し三十年は、同じ空夢幻影から空夢幻影への夢のまた夢というであったであろうか。それが真の文学というものなのかもしれない」と述べている。 井上隆史は、三島自死の日が、『仮面の告白』の起筆日の日付と同じことに着目し、『仮面の告白』の執筆動機が、〈私が今までそこに住んでゐた死の領域〉を超克することで、〈飛込自殺映画にとつてフィルム逆にまはすと、猛烈な速度谷底から崖の上自殺者飛び上つて生き返る〉ような〈生の回復術〉だと三島位置づけていたことから、以下のように論考している。 三島が死の日付として、また『天人五衰』の擱筆日として11月25日選んだのは、フィルム逆回転する前の状態、つまり自殺者谷底死んでいる状態に戻るということ意味する象徴的行為ではないだろうか。すなわち、『天人五衰』において『春の雪』にまで遡ってすべてを虚無覆い尽くそうとしたのと同様に三島はその文学活動最後に自分作家アイデンティティ確立させた『仮面の告白』まで遡りその後創作活動のすべてを解体し虚無へと導いたのである。 — 井上隆史虚無極北小説佐伯彰一は、三島が「純粋情念こそ歴史ふみこえ時間のりこえ得るという思念」に繰り返し惹かれていた作家であったことを鑑みて、『豊饒の海』の「時間の流れ自体定着三島意図はなく、むしろ「時間から脱け出し時間超えること」に三島の的があり、「時間超克棄却」が目指されていたとし、「近代小説大前提常識に向って正面切った反抗くわだて作品」で、「三島流の壮大な反・小説試み」がなされていると解説している。 柴田勝二は、『金閣寺』や『憂国』『英霊の聲』など三島文学には、主人公行動駆り立てる他者的な精神霊魂的な浸透」や、「別個の人間間で、その精神や魂が憑依する関係性」があるとし、『春の雪』の煮え切らなかった清顕が、聡子への強い恋情自覚する変身」も、「烈しい恋愛者の霊魂入り込んだ場面だと考察し、その〈みやび〉の烈しさ荒々しさは、倭建命王朝貴族底流し、〈非常の時には、「みやび」はテロリズム形態をさへとつた〉 という三島が『文化防衛論』で言及している意識同じだ解説している。 また、サド侯爵夫人』にも見られるように、三島作中の年や日時メッセージ込め傾向鑑みながら、聡子皇族婚約勅許が下るのが5月15日で、清顕が月修寺の聡子訪れる日に降り2月26日だという、「五・一五事件」と「二・二六事件」との連携性を柴田考察し転生する主人公たちの寿命が〈二十歳〉であるのは、伊勢神宮式年遷宮20年ごとに行われるという神道的な意味合いで、三島が『文化防衛論』で展開している、〈いつも新たに建てられ伊勢神宮オリジナルなのであつて、オリジナルその時点においてコピーオリジナル生命託して滅びてゆき、コピー自体オリジナルになる〉 という関係性がそこに反映されているとし、本多が勲を見て〈清顕がよみがへつた!〉と感銘するのは、清顕が勲に「再生」していることの表われだと柴田解説している。 そして『天人五衰』の入稿日と自決11月25日の意味については、「昭和天皇摂政就任した日」という安藤武の考察と、松本健一の「(三島が)じぶんだけの〈美し天皇〉を抱きしめ、その〈美し天皇〉の歌をもはや誰にもわせまいとして、一人あの世へと走り去ってしまったのではないか」という考察敷衍しながら、「時代への抗議と共に三島が、昭和天皇事実上〈神〉になった日に自決することで、人間天皇代りに自らが「〈神〉の連続性」を掴んで、「神になる」行為であったとし、自国主体性なくなった時代背景基調書かれ最終の意味について柴田は以下のように論考している。 『天人五衰においては転生受け継がれず、憑依狂女の上劇画的にしか現われない。それはとりもなおさず転生者たちに秘かに託されていた「天皇霊」の継承を、主人公ではなく三島自身が担おうとしたからであっただろう。作品末尾記された「昭和四十五年十一月二十五日」という、四部作完結決起の日を結びつける日付は、自身最期の鍵がこの作品自体にあることの表明にほかならなかった。また藤原定家主人公として、人間が「神になる」主題追求する作品はついに書かれなかった。それは三島自身が「神になる」行為全うするゆえに、書く必要がなくなったからでもあったに違いないのである。 — 柴田勝二「〈神〉となるための決起――『天人五衰』と1970年11月25日松本徹は『天人五衰』の最終場面について、生まれ変わり連鎖にずっと立ち会い、それに囚われてその連鎖から脱け出せない本多と、輪廻連鎖から逃れたところの解脱立場にいる聡子が「向き合っている」ということ肝心だとし、最後の〈何もない記憶なければ何もないところ〉は、「世界すべて消えるのではなく輪廻一つの輪が終わろうとしているところ」だと説明しながら、そこには「輪廻する生を根底成り立たせているところのものが、露わになっている」と解説し、以下のように論じている。 冒頭の、透が望遠鏡見た、なにも見えず、「いつもしたたかに存在用意蓄えてゐる」海に照応する、阿頼耶識そのものが、露わになって日に晒されているのです。さらに言えばもろもろ存在出現させるべく用意している存在基底が、露出しているのです。唯識論に拠った「究極小説」にふさわしい最後です。また、それだからこそ『豊饒の海』は、なにがなんでも完結させなくてはならなかったのです。この世なるもの、さらには小説なるものを出現させている、大本大本が、ここには顔を覗かせているのです。 — 松本徹究極始まり豊饒の海(二)佐藤秀明は、この松本の論を敷衍しながら本多自意識の〈悪〉(直接手を下さず世界を〈虚無〉に陥れる)についても考察し本多聡子再会しようとしたのは、聡子から世界肯定されることで、「その時本多自意識は、世界を無に陥れようと図っていた」とし、以下のように論じている。 聡子によって世界肯定され、本多自意識がそれを無に移し変える、ただそれだけのことに老齢本多賭けたのである本多気配異様なものを察知したかどうか門跡唯識立場で話をした。〈松枝さんといふ方は、存じませんな〉。世界肯定されず、空である。本多最後目的潰えた世界は空である。しかし、阿頼耶識世界存在させる。だから〈庭は夏の日ざかりの日を浴びて〉そこに存在するのである。 —  佐藤秀明「〈作品解説豊饒の海宮崎哲弥は、第三部暁の寺』でさかんに説かれている仏教は「中観ではなく唯識仏教」だとして、「(阿頼耶識個我根本識、対象世界諸法根本因と看做す唯識説仏教哲学精華として礼賛されて」いるとし、ナーガセーナ見解も「不徹底な立場決めつけられている」と批判しつつ、「かかる仏教観が、そっくり三島自身のものでもあったとしたら、彼の仏教理解は、極めて浅薄なものであったと断ぜざるを得ない」としている。 小室直樹は、第三部暁の寺』について、「仏教エッセンスは、ここにつきていると言ってよい」とし、三島が『ミリンダ王の問い――インドギリシャとの対決』の一節説明して、〈ナーガセーナ長老は、はるかはるか後世になつてイタリア哲学者説いたのとほとんど等しく、《時間とは輪廻生存そのものである》と教へるのであつた〉と導いてゆく件りについて、以下のように評している。 日本人はすぐに『般若心経』こそ仏教真理ダイジェストと言いたがる。(中略三島由紀夫仏教理解が、いかに徹底したものか。三島決して、そこらへん日本人やりたがるように、『般若心経』の解説なんぞしはしない宗教音痴日本人仏教の神髄を理解せしむるために、『ミリンダ王の問い』を引用し解説する。これのみにて三島仏教理解深さはるかに日本人超えていると評せずんばなるまい。 — 小室直樹戦後天皇制挑戦した三島由紀夫」 また小室は、第四部天人五衰冒頭三島が海の波を描き万物流転」を表現していることについても、「仏教における因縁ダイナミズムを、これほど見事に表現した文章をほかに知らない」と評している。

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作品評価・研究

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舞姫 (川端康成)」の記事における「作品評価・研究」の解説

舞姫』は川端文学の中ではあまり注目度高くはないが、のちの川端の重要モチーフとなる〈魔界〉というものを意識し始めた作品として、言及されることが多い。しかしその主題結実することなく未完様相終わり登場人物真に川端的な〈魔界〉の住人として動き出すところまでは描かれてはいない。川端作品には、踊子舞姫の生活を扱ったものが多いが、この『舞姫』は、ヒロインバレリーナであるという意味よりも、「むしろ、美しいもの、充たされたものを求めて乱舞する人間永劫回帰の姿の象徴」として描かれていると三島由紀夫説明している。 『舞姫』の登場人物それぞれに無力感配分されてゐる」とみる三島は、ことに導入部波子が見つめる「不気味な白い鯉」の姿を、「あらゆる人間関係端緒とざされてしまふやうな、或る美的な虚無象徴」として作品全体の「不吉な主題」のように遊弋しているとし、この冒頭波子竹原あいびき挿話が、全体大きな伏線をなし、結局二人は「熱情的結ばれることなく終る」という予感となっていると解説している。また、舞姫』の主題である「仏界入り易く魔界入り難し」に三島触れ矢木に「センチメンタル」だと憫笑される波子品子母子は、〈魔界〉に入れるほどの踊り天才ではなく矢木また、「強い意志で、生きる世界」という意味での〈魔界〉の住人でなく、「無力」な「観察悪魔」であり、「登場人物すべての無力は、この矢木無力から流出し矢木呪縛下にある」と考察しながら、最後に品子香山元へ向かうことに、「その呪縛一角崩れたことが暗示される」と解説している。 今村潤子は、物欲執着している矢木が、「科学者冷厳な眼」「第三者的な立場」で一家眺めるだけで、「自らの生きる姿勢煩悶していない」点に触れ、それが三島由紀夫いうところの昆虫学者」的な「観察悪魔」であると補足し、その矢木魔界煩悩)の属性は、「川端の〈魔界〉からは切り落とされていく面(デモン的な面)の要素大きい」としながら川端の〈魔界〉は「悪や醜」ではないことを指摘している。そして世俗的にみればモラル反した不倫」である波子行為は、「〈魔界においては愛の純粋性ということ肯定される」ものであるが、世の中道徳社会性背き、その束縛破り、「〈魔界〉を生きる」のは容易でないゆえに、それが〈魔界難入〉という意味であると今村考察し、〈センチメンタリズム排し世界〉、〈強い意志〉という作中繰り返し言葉は、人間が「煩悩」、「本然の生」を生きぬくことがいかに難しいかを指し示していると解説している。 ヒロイン波子人物造型を、「能の鬘物シテのやうに、優婉に、哀れふかく」描かれているとみる三島は、波子願いが「片端から崩れてゆく」にもかかわらず、彼女は、エマ・ボヴァリイのような不満に燃えつづける魂」でなく、「ある意味ではもつと不逞であり、罪を罪のままに、悲哀悲哀のままに、絶望絶望のままに享楽するすべを知つてゐる」と考察している。そして、そういった川端執筆態度には、「独特のリアリズム」があり、「作者自分の目で人生眺め人生がどうしてもかういふ風にしか見えないといふ場所に立つて書くのが、要する小説リアリズム呼ばれるべきである」としつつ、ロマン派のネルヴェルも、心理主義プルースト川端同様、「自然主義リアリズム二流作家よりも、ある意味では透徹しリアリスト」だったと三島指摘し、以下のように解説している。 およそ通念反して川端氏は女に何の夢も抱いてゐない作家相違ない波子描法そのこと暗示する。女というものを、これほどただ感情的に女らしく女に何の夢も抱かず書いた小説はないのである。フロオベルは愚かなエマ・ボヴァリイに己れの報いられぬ夢を託したが、川端氏は何ものをも託さないリアリストと私が呼ぶのは、このへんからだ。 — 三島由紀夫解説」(文庫版舞姫』) また、川端特有の、「何度も足をとめるやうな文体」には、「底に固い岩盤」が隠され、「〈俺にはかういふ風にしか見えないのだぞ〉といふ作者注釈」が常に付いてまわっているようで、その認識無縁読者は「たえず隔靴掻痒の感を抱かせられる」のも、川端が「おのれに忠実なリアリスト」だからだと三島解説し、その川端の「隔靴掻痒リアリズム」が最も成功している登場人物が、「ゾッとするやうな男」の矢木であり、それが、波子矢木に抱く恐怖焦燥に「異様な現実感」を帯び効果出していると考察している。そして、矢木子供たち面前波子難詰する終盤場面を、「古典劇大詰を思はせる明晰な悲劇頂点」だとし、それは、敗戦後矢木家に表われた「日本の〈家〉の徐々たる崩壊過程最後大詰に来たこと」で可能となった悲劇であり、「日本民主化に伴つたこの一般的現象は『舞姫全篇きはめて微妙に精細に描かれてゐる」と評しつつ、とりわけ、この矢木一家崩壊急ぎ時代と関係なく「崩壊の種」を宿していた節もあり、この悲劇頂点において、「はじめて各個人が正面からぶつかり合ひ、愛情によつてではなく憎悪によつて結ばれた見事な家庭典型成立させる」と解説している。

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作品評価・研究

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美徳のよろめき」の記事における「作品評価・研究」の解説

美徳のよろめき』は『金閣寺』の後に発表されたために、それと対比されて、三島純文学作品芸術活動合間息抜き書いた余技的な大衆向け作品だと当時みなされ傾向があり、三島自身も以下のように軽く語っているが、その大衆小説的な作品純文学系の作品書き分ける三島優れたバランス感覚評価する論もある。 僕はあの小説はね、何もムキになつて書いた小説ではないんですがね。シャレタ小説書きたいと思つてゐたんでね。だけど日本ではああいふ、ただシャレタ小説を書かうといふんでは、たちまちやられるわけで――つまり、「金閣寺」とくらべてどうだとか、かうだとか。しかし、僕はまあさういふ意味でとても一生懸命書いたんです。ただ、意図とか主題とかさういふものはたいしたもんぢやない。 — 三島由紀夫三島由紀夫渡米みやげ話―『朝の訪問』から」 同時代文芸評価としては、平林たい子円地文子佐多稲子女流作家面々から、ヒロインに「魅力」がなく夫の影が薄いなど、現実感無さ批判され不評となり、山本健吉も、本来的に戒律禁忌のない日本社会風土では、「姦通小説」が西欧のように心理的葛藤の劇にはなりえないことを指摘し、「古典的形式模造品」に終わった大衆向け作品だとしている。それに対して吉田健一小説技術的に三島の「腕の冴え」が見られ作品として10年後に肯定的な評価している。 北原武夫は『美徳のよろめき』について、「(三島)氏が自分力量心ゆくまで発揮し自分技能ほしいままに愉しんで、丁度声量豊かな大歌手が、お気に入り聴衆前にして即興小曲歌い上げるような、気楽にのびのびと」書いているとし、三島谷崎潤一郎の「作家として生活態度」や「才能広さ」が似ているしながら2人共通性を、「審美的乃至は耽美的傾向を、果敢に実生活中に持ちこみ、よほど確乎とした合理的精神と、習俗恐れぬ強い意志とがなければ容易に実行できないこの両者融合を、何の支障もなく、実にやすやすと実行している」ことだと考察している。 そして、そういった作家精神なければ、『美徳のよろめき』のヒロイン節子のような、「姦通という悪徳犯して穢れることを知らない優雅な人間」や、『鏡子の家』鏡子のような、「どんな時代汚れにも染まない自由で真率人間」の持つ、「真の意味で贅沢な魂」は創造できないとし、その筆を見事だ評している。また北原は、節子優雅な姿に三島青年時代愛読していたレイモン・ラディゲの『ドルジェル伯の舞踏会』のヒロイン・マオの優雅さ影響があることも鑑み、「淑徳というものを実に微妙な手つき扱ったラディゲラファイエット夫人ラディゲ影響受けた作家の手法にも劣らず三島が「繊細な手つき背徳というものを扱っている」とし、作中描かれる節子の〈聖女の意味汲み取れない読者は、この「精緻な技巧凝らして作り上げた極度に人工的な美の世界」とは「無縁衆生」であり、『美徳のよろめき』は、「彼(三島一流錬金術によって、背徳という銅貨を、魂の優雅さという金貨見事に換金」されていると解説している。 売野雅勇は、『美徳のよろめき』を読んだときの印象を、「言葉書かれた、言葉精確組み立てられ音楽のように感じた」とし、売野自身の「粗野な感受性」が直感した「その言葉」を、「コクトー言葉連なりのなかで不意に鳴りはじめる、あの聴きなれた音楽であったしながら、以下のように回顧している。 表象宇宙的連関魔術にも似た真面目さ透視させたり、世の中価値常識一撃にして転覆させてしまう、比喩警句が、繊細な風景描写明確な心理描写とともにそれを鳴らしていた。詩人秘密裏共有するコードでもあるかのように。なんて贅沢な小説だろうと、読み終えたばかりのページをふたたび開き何度もため息をついたことを憶えている。 — 売野雅勇言葉音楽小笠原賢二は、『美徳よろめき』がその当時の社会の「繁栄」の雰囲気吸収した娯楽的な大衆小説ではありながらも、一般的理解よりも「難解であり、必ずしも口当り良いというわけでもない」とし、ヒロイン節子の、「享楽身を任せているようでいながら時代容易に受け入れようと」せず、「むしろかたくななほどに自分強固な城を築き現実から一線引こうとしている」態度や、「優雅に暮し自由にふるまっているかに見えながら、本当に人生楽しんではいない」身振りから窺えるのは、「むしろ苦しげ表情」で、そこには作者三島の、「サービスポーズを取る一方で、窮屈で退屈な時代呑みこまれまいとし構え緊張する表情」が透視されると考察しながら、『美徳のよろめき』は本質的には「反俗的な作品」で、通俗小説風であるにもかかわらず、「これほど時代とおり合わない作品も珍しいのではないか」と述べている。 また小笠原は、三島が〈内界〉〈外界〉、〈認識〉〈行為〉といった「二元論克服」という「難問」、「存在論問い」を初期からずっと抱え、『金閣寺』では、その難問不完全燃焼のまま終わり、その問いそのまま美徳のよろめき』にも引き継がれているとし、麻酔なしの堕胎手術を受ける節子が「徹底した受苦姿勢」の果て、魂に〈有益なもの〉がもたらされ、〈非凡な女〉となり、〈甘美〉や〈光りかがやくほど充実〉した状態がもたらされる箇所について、〈苦痛〉が「かけがえのない支え」になり、「観念肉体不可分に結合」し、「確かな存在の証明」に至った場面だと考察しながら、それを手に入れた節子は、〈幸福〉を見出したため、もう「よろめくことはなくなり、『美徳のよろめき』は、「〈美徳のよろめき〉が克服されるに至る経緯描いた小説」だとしている。 そして、こういった三島の「二元論解消」は、バタイユ影響受けた憂国』の自作解題での〈至上肉体的快楽至上肉体的苦痛が、同一原理の下に統括され、それによつて至福到来を招く〉という志向であり、この危険な「〈肉体精神二元論〉の超克」は、『太陽と鉄』における、〈林檎外側を、いかにしてその林檎見得るか〉、〈林檎外側か見る目が、いかにしてそのまま林檎の中へもぐり込んでなり得るか〉という〈ひたすら存在の形にかかはる自意識〉のあり方希求する問題 と同じであることを小笠原解説しながら、「見るために存在犠牲にする行為破壊によってこそ存在保障される瞬間局面において三島流の“存在革命”は成就する」としている。 さらに小笠原は、それは『美徳のよろめき』で語られる、〈観念肉感移りゆく〉と、〈肉感がまさに観念化して〉しまうことを同時に兼ね備えた局面であることを指摘しつつ、様々な作品において、「執拗に内と外の、表と裏の、観念肉体境界という障壁解消し新鮮な現実〉を手に入れる“存在革命”を夢想して来た」三島軌跡省みる際に、『美徳のよろめき』は「三島美学中核をなす“存在革命”のまことに過激に実験の場」として、看過しがたい意味合いを持つ作品だと論考し、「存在論的な難問」と格闘した三島から、プリニウスエンペドクレスといった歴史的人物想起されるとしている。 純然たる博物学者興味をもって噴火したウェスウィウス山至近距離から観察しようと、危険をかえりみず近づき過ぎて溶岩呑み込まれ死んだり、不死なる神であることを証明すべくアトナイ山の火口飛び込んだりした彼らは、愚直な程に絶対性や不可能性に憑かれた存在革命家であった。彼らの死は謎めいたはなはだ哲学的な命題含んでいる。三島結局はそのような系列属す表現者でなのではあるまいか。私は、このレベル三島文学関心抱き高く評価しているのである。 — 小笠原賢二「『幸福』という存在論―『美徳よろめき』を中心に―」

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作品評価・研究

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アポロの杯」の記事における「作品評価・研究」の解説

佐伯彰一は、「時代がついた」旅行記思わぬ味が出て面白く値打ちがあり、時に書き手無智偏見がある旅行記もあるが、鬼才三島の『アポロの杯』にはそういった鈍感」や「不用意」は見られず、筆致はしばしまで「若々しい才気気負い」が匂い立ち、その記述滑らかに進行して旅行結末には、「ほとんどオペラ芝居終幕のようなドラマチックな緊張、また花やいだもり上り」が漂っていると評している。そして、仕組まれ団体旅行とは違い小説家らしく旅程プラン一切三島好み関心によって組み立てた「ほとんど孤独なひとり旅」は時代流行とは無縁だが、時を経ると、その「時代色」や「歴史的背景」の方に感慨そそられる佐伯述べ三島が船で最初に太平洋渡ったという時代的背景、その船旅により三島が〈太陽〉に親しきっかけとなり、後年にまで影響及ぼしたことを、「時代生み出す偶然のいたずらというものは面白い」と考察している。 また、三島船旅知り合った日系移民一世老女の話が、「北米紀行」の冒頭据えられているのも敗戦後まだ6年という時代忍ばせ、「注目すべき因縁」だと佐伯述べ、その挿話部分引用しながら、こういった公的な歴史からは無視され忘却されてしまうような細部が「移民一世心情一面」を浮かばせていることが興味深いだけでなく、その老女語った戦争中抑留生活挿話を、三島が「北米紀行」の「序曲」として書きとめておこうとした、その気持ちも、今では「一つ歴史証言」というのに近いと解説している。 太平洋戦争がはじまつたとき、彼女は即日抑留され一人である。そこの監房には、彼女を入れて九人の女がゐて、誰もが日本海軍が遠い真珠湾攻撃するに留まつて、米本土攻め上つて来ないことを残念がつてゐた。米本土上陸作戦が行はれるその光景一目見れば、彼女は喜んで犠牲になつて、自分の体が日本軍砲弾のために粉微塵になつてもいいと思つた。彼女たち昂奮し、死を心に決め自分のゐる監房なんぞを攻撃場合に気にかけてもらふまい、自分の死は歴史書かれるにちがひないとめいめいが思つた。もしまた、自刃羽目に陥つたら、みんなで首を括つて死なうと相談した監房には縄がなかつたので、彼女たち靴下をほぐして、その糸で細い縄をなつた。 — 三島由紀夫北米紀行 序曲」(『アポロの杯』) 佐伯は、三島さりげなく文末で、その日移民老女が今ではテレヴィジョン持ち独立して手許離れた息子代りに、5歳ポメラニアン愛していることを付記して、特に老女が「アメリカ嫌い」や「反米主義者」だということではないことを示唆している点も加味しつつ、戦争当時愛国的な昂奮も今では遠い話にすぎないが、「こうした変転の無数の実例をうちに含みこんだまま滔々と流れてゆくのが、時間であり、歴史というものだ」ということ改めて、この挿話から納得させられる論考している。 また、ハワイの自然から服装まで一せいの原色調を〈天然色広告写真〉と重ねてワイルド理論〉を借り正面切って説明する三島印象記について佐伯は、現在のようにハワイ旅行日本人にとり大衆化ししまえばこうした議論自体がすでに「歴史一部」に見えるが、「さすがに炯眼にして先見に富む」三島洒脱なところは最後オチだと佐伯指摘し三島が、ハワイで一番印象的で〈凡庸であればあるほど一層尽きない詩情〉を味わわせてくれた景色を、〈私の今乗つて来た巨船碇泊してゐるさまを、町の一角から眺めた風景〉だとし、それを眺めているうちにどこかで見た風景だと思い出して、実は汽船会社発行パンフレットの〈天然色写真図柄〉そっくりだったというオチの「セルフ・パロディ」とでもいう「批評的な機知」のユーモラス挙げてこういうものは「わが国作品ではめったにお目かかれない」と解説している。そして三島の「喜劇的センス」や「パロディ才能」、「機知ゆたかで、廻転早いブリリアント語り手であった一面が、「一層ナマ動きとかたちにふれ得る」ところにこの古い旅行記アポロの杯』の功徳があると評価している。 佐藤秀明は、三島サンフランシスコ日本人経営粗末なホテル不味い日本料理食べさせられ、〈ここでは日本といふ概念が殊のほかみじめなので、まるでわれわれは祖国情けない記憶だけを強ひられてゐるやうな気持〉になり、身をかがめて不味い味噌汁啜りながら、〈私は身をかがめて日本のうす汚れた陋習のやうに啜つてゐる自分感じた〉と表現していることについて、その時その地サンフランシスコでの講和条約の締結が、三島訪れたつい4か月前だったことに着目し、「日本からの旅行者は、敗戦国としての屈辱貧しさゆえのみじめな気持ちいやがうえにも感じざるをえない」と説明している。そして、三島みじめな気持ちで啜った不味い味噌汁の味は、食文化として外国浸透したのでもなく、経済力背景高圧的に上陸したでもない複雑なの意味をもってしまったものとして、何度も言葉換え表現していると解説している。 柴田勝二は、『アポロの杯』から垣間見える「非西洋的世界」を重ね三島意識着目し三島世界旅行動機自身過剰な感受性を靴を穿き減らすように使い果たし感受性依存から脱却し作家として足場を固めることであったが、結果的には4か月半に及ぶ諸外国での見聞体験が、「三島意識あらためて〈日本〉に振り返らせる端緒になった」とし、「それは単に異質な風土文化触れることが、自国のそれを再評価する眼差しもたらしたというだけではない。濫費すべき感受性捉えたものが、間接的な形で三島に〈日本〉の起点的な在り処喚起することになったのである」と解説している。

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作品評価・研究

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千羽鶴 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

千羽鶴』は『山の音』と並ぶ川端戦後代表的作品一つであるが、文学的評価圧倒的に絶賛された『山の音』と比べると、倫理的な面や現実感のない女性造型から、低い評価散見され林房雄川嶋至辛口評価をしている作品である。 作中には随所日本の伝統美の古雅見られるが、後年川端自身は『千羽鶴』について、以下のように語っている。 私の小説千羽鶴』は、日本心と形の美しさ書いた読まれるのは誤りで、今の世間に俗悪となつた、それに疑ひと警め向けた、むしろ否定作品なのです。 — 川端康成ノーベル文学賞受賞記念講演」 しかしある意味川端独自の目線で〈日本心と形〉を小説として表現していると保昌正夫解説している。 三島由紀夫は『千羽鶴』を「川端擬古典主義様式一つ完成品であり、谷崎潤一郎でいうなら、『盲目物語』や『蘆刈』の作品系列該当する」と評し悪役のちか子に「性わるな命婦」、主人公治に「光源氏」の面影見られ治の婚約知り服毒自殺をする太田夫人や、夫人の娘が母の罪を背負って治に抱かれた後、身を隠して生死不明となる結末など、全般的に王朝物語人物物語情趣風味があると解説している。 そしてそれと同時に、『千羽鶴』の面白さは、「日本的風雅の生ぐささの諷刺になっているところ」でもあると三島述べ、「俗悪な茶人」ちか子が催す茶会披露される美し茶道具は、ちか子の「俗な職業的知識」の関心でしかなく、その道具一つ一つが、「醜い情事秘めて伝承され」、太田夫人志野茶碗にも、口紅のあとが罪のように染みついているころなどが、「小説小道具として生ぐささにおいて申し分ない」としながら、以下のように解説している。 茶道におけるひどく俗なもの、茶道具授受鑑賞にまつはる秘められたエロティシズム、……美的形式経てゐるために、ただの人間関係よりも、さらに深く澱んで生々しい肉感的な人間関係暗示するさういふ日本的美学独特の逆説を、「千羽鶴」は抜け目なくロマネスク仕立ててゐる。それがこの小説を、ただの唯美主義作品上のものにしてゐるのである。 — 三島由紀夫解説 千羽鶴」(『日本の文学38 川端康成集』) 山本健吉は、主人公治には、『禽獣』の主人公や『雪国』の島村共通したものが見られ、「その実生活は完全に捨象された存在であり、美に対す感受性だけが生きて動いている」存在で、シテである「太田夫人あでやかな舞姿」を、「ワキとして、見所代表する者として眺めている非行動人」だとし、以下のように『千羽鶴』を解説している。 太田夫人美しさは、すぐその後崩壊待っているような、はかない美しさであり、ここではその滅び美しさが、絶えず死を意識することによって鋭ぎすまされ虚無的な眼によって捕えられるのである。死ぬことによって生きる外ない無償美しさである。だが、現実的に見れば、それは中年女匂うような肉感性である。(中略)それは肉感的なものであればあるだけ、罪の意識があとに残り、母の口紅がついたように赤みがかって見え志野筒茶碗は、その死後、娘の文子によって打ちくだかれねばならない。 — 山本健吉解説」(文庫版千羽鶴』) 梅澤亜由美は、『千羽鶴』の終局近くに、治が処女文子結ばれることで、〈純潔そのもの抵抗〉を知り太田夫人の〈女の波〉から解放され、父の〈不潔〉との同化や、ちか子の〈あざ〉に象徴される過去の負の記憶からも解放されて、そこで「治の自己浄化物語」は完結するはずであったとし、成就しかけた治の物語破綻させたのが、「文子失踪」であるとしている。 そして、なぜ川端が『千羽鶴』の結末を壊さなければならなかったのかについて梅澤は、続編波千鳥』に挿入されている文子長い手紙の中で綴られる、母の不倫による少女時代文子の「罪の意識」と、母を死なせてしまった悔恨悲しみ、また自分治を愛し関係を持ってしまった文子苦悩心情焦点当てながら、文子は、ゆき子と結婚する治の幸せのために、母と文子自身情念象徴である「志野湯呑み」を割って全てを終らせ、遁走するしかなかったと解説している。 そして梅澤は、未完となった波千鳥』の川端構想中に、「治と文子再会」や「心中」があったことを鑑み、「川端は、治と文子二人救済できることなら二人の再会による救済成就という形を目指して、『波千鳥』の執筆へと向かったのだ」とし、それまで川端作品見られるような男性のみの自己浄化の形でないものを川端考えていたが、今度はゆき子が不幸になり、その自責治が再び負うことになってしまうことに気づいた川端が、治と文子心中という方向構想変化せざるをえなくなり、やがて書き継ぐ意思なくなり未完となったではないか考察している。

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憂国」の記事における「作品評価・研究」の解説

憂国』は、三島初期作品から内包されていた認識行為精神肉体内側と外側一体化といった「二元論」の解消克服といった「存在論的な問い」、〈至上肉体的快楽至上肉体的苦痛が、同一原理の下に統括され、それによつて至福到来を招く〉といった志向根源的な情念、あるいは反時代的情熱露わになった転換的な作品として論究されることが多く三島文学にとって重要な作品であるが、発表され時期60年安保翌年1961年昭和36年ということもあり、存命中を通して皇国内容などから嫌悪を示す評者もいた。 一方肯定的な論評では、山本健吉などに代表されるように、三島皇道主義若い男女中に、「思考停止ニヒリスト的な世界」における「美」魅惑」の「造形化」を試み、「現代人一つカタルシスもたらそうとしている」と捉え否定的なものでは、「才気溢れた有能な作家」の三島が、「とてつもなく大きな錯誤陥穽おちこんでいる」ため、早く危険地帯」を脱出してほしいと古林尚提言し花田清輝は「こういう小説は非常にくだらない」と断じている。この花田の発言については具体論点不明なため、神谷忠孝は、「花田真意がどこにあったかについてはまだ研究されていない」と説明している。 野口武彦は、『憂国』の切腹描写や、死の情念エロティシズムマゾヒスティック化合根源に、「江戸頽唐期のデカダンス芸術」があることや、文体に「爛熟期の江戸歌舞伎草双紙」の感受性通じていることを指摘し田中美代子も、浄瑠璃心中といった「日本人深層にひそむ美意識を、もっとも暴露的な仕方で、刷り出したもの」が『憂国』だと解説している。また田中は、蹶起から外され中尉境遇アイロニカル至福の死で賛美することにより、「歴史彼方に葬り去られた無数の犬死、かつて栄光信じて栄光から見捨てられ人々痛恨」の救済試みている作品だと考察している。 伊藤勝彦は、三島が『憂国』において、露わに時代的嗜好情熱示したことについて、「戦後精神対す拒絶姿勢をはっきり表に出したのである」とし、それまで嫌々ながらも、「戦後日常生活との〈軽薄な交際〉をつづけ、否定しながらそこから何らかの利得をえて暮してきた」三島が、『憂国以降、「思想殉じて死ぬ人間至上美しさ」を主題にするようになったが、それは思想そのもの扱ったではなく、「〈死にいたるまでの生の称揚〉(バタイユとしてのエロティシズムの美」が描かれていると解説している。 江藤淳は、『憂国』を「三島氏の数ある作品なかでも秀作のひとつに数えられるもの」とし、以下のように解説している。 作者目的は、中尉夫人が「大義殉ずる」という公的に聖化」された喜びのために、「私」超えて一層高く燃え上がる性の歓楽をつくす――そしてその光芒明るさは、正確に前提とされる自害という事実の暗さ比例する、という過程出来得るかぎり細密にたどるところにあるからである。「帝国陸軍叛乱という政治的非常時頂点を、「政治」の側面からではなくエロティシズム」の側面からとらえようという、三島氏のアイロニイ構成意図は、ここで見事に成功している。割腹した夫の返り血をあびて白無垢を紅に染めた中尉夫人が、血にすべる白足袋ふみしめ死化粧に立つ姿などは、三島流のエロティシズム極致ともいえるに違いない。 — 江藤淳エロス政治作品磯田光一は、「鴎外以来、〈義〉のための殉教これだけ密度をもって描き出した作品はないだろう」と述べ、「死のリアリティ問題を、第三者の心への反応としてではなく直接に死を選ぶ者の内側入って描いた作品として評価しバタイユへの共鳴があることを指摘している。 鎌田広巳は、三島が『憂国執筆前に書いたバタイユ著「エロティシズム」の書評触れながら『憂国』との関係を論じ、そこにおいて三島は、「生殖連続性=死をこの思想核心をして捉えているばかりではなく非連続性な生および生活の解体という、そのラディカル作用可能性着目している」とし、三島バタイユ共感寄せる、大きな理由一つとして、この思想核心に、「〈われわれの生〉の限定性三島によれば、それは同時に非連続性を超えることができない主知主義限界)」を打ち破る、「新たな原理的な可能性」を三島が見いだしていると解説している。 佐々木幸綱は、『憂国』における武山中尉の家の1階には日常があり、2階には非日常があると分析しながら、その「反発する両極引き寄せる何か」は、「〈絶対〉的な力を持った何か」でなければならないとし、三島はその〈絶対〉的な力を持つ何かとして「片恋」を想定した解説している。そして、「天皇への片恋、妻への片恋さらには状況への片恋強烈な意志的な片恋」の前には「という〈絶対〉」も相対化されるとし、「片恋貫き通すことさえできるならば、そこでは、生も死も、男も女も、肉体精神も、永遠の瞬間も、政治も性も、公も私も、非日常日常も、清潔も猥せつも、静も動も、炎もも、主観的に重ね合わせることが可能である」と論考している。

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肉体の学校」の記事における「作品評価・研究」の解説

肉体の学校』は、三島作品の中では娯楽的恋愛エンタメで、主人公魅力相まって概ね好評のものとなっている。本格的な論考ほとんどないが、三島文学見られる二元的な構図」がベースになっているものとして言及されているものもある。 奥野健男は、終章において、遊園地ウォーターシューター乗った妙子が言う「今私たち何かをとおりぬけでしょう」という言葉は、全編見事に象徴しているとし、「さわやかな決然たるこの終末は、このエンターテイメント芸術作品昇華している」と解説している。そして『肉体の学校』は、「ため息のでるような美と倦怠と、恋愛小気味よい心理描写に魅せられた多く三島ファン裏切らない」とし、「『美徳のよろめき』に匹敵するはなやかに楽しい小説」だと評している。 川村湊は、スタンダールの『赤と黒』に代表的見られるように「階級間の恋」は近代小説好まれる主題であり、三島ロマン小説)の基本主題も「身分超えた愛」が多くあることに触れつつ、「通俗的なストーリー通俗的書くこと」によって、三島が「そうした大衆社会にある、本質的に“俗なる”文芸ジャンルである〈小説〉に復讐しようとした」と考察している。 許昊は、三島が〈われわれの二元論的思考薄弱は、両性対立を扱つた近代文学傑作が、ほとんど皆無である点からも、首肯されよう〉と、日本人に〈二元論的思考〉が薄いことを指摘した文を引きつつ、『肉体の学校』も三島文学見られる二元的構図ベースにしていることに言及し、「こまやかな女性心理」が軸になっている点に違いがあるものの、「階級間の恋」「男女間の心理的なかけひき」「年上女と年下男との不倫」「日常における非日常的人間関係」といった『禁色』と類似したテーマ盛り込まれていると解説している。

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禁色 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

禁色』は、同性愛者美青年堂々と主人公にし、その美貌描写ギリシャ彫刻喩えて美の化身のように表現しているが、そういったものは明治以降近代日本文学には見られず、従来的な私小説的なものの大きく越えていたものだった。そのため様々な反響があったが、それも含めて三島作家地位強まった作品である。 三島にとって『禁色』は野心作で、〈廿代(20代)の総決算〉として力を入れて書いたため、力を入れすぎていて読みにくいなどの中村光夫批評もあるが、ホモセクシャルの「アンダーグラウンド」や風俗を単に描いているだけでなく、「セクシャリティや美の観念芸術論社会風俗社会批判などがぎっしり詰まっている」と佐藤秀明解説するように、作品の構成も本格的であった本多秋五は、作品言葉が「芝居がかっていすぎる」としながらも、「濃厚強烈な言葉をおめず臆せず縦横駆使することによって、われわれの文学絶えて久しい金屏風描け画人をえた」とし、当時反響を以下のように解説している。 この作品迎えた当時世評には、客観的にそれが妥当する上の熱っぽさがあった。それは、この作品前提にあるものへの共鳴からきていたように思える。つまり、あらゆる既成観念既成価値いわゆる正常なるものに対す偶像破壊の、高らかな弦音への共鳴である。 — 本多秋五物語 戦後文学史臼井吉見中村光夫との対談の中で、「とにかく、ふてえ小説だね。あんなの、今までいんじゃないかな。あれだけ挑戦的なあれだけ本格構想をもって挑みかかった小説は」という感想述べている。石原慎太郎は、既成価値への「挑戦復讐」を、「面白くてぞくぞくして読んだ」と回顧している。 『仮面の告白』(1949年)を高く評価した花田清輝は、『禁色』にも好意的な評価をし、「男色というものが一つプロテストとして出されている」と解説して男色社会から見た異性愛社会図柄浮き彫りにされ、世間一般市民社会秩序基盤のあやうさが露呈していく様が表現されていることを指摘している。 野口武彦は、『禁色執筆の頃の三島が、自身の〈感受性〉〈気質〉を整理し、それが〈ルネッサンス的なヘレニズム感性〉として作品表われているものの、後年には再び、その顕在化していた〈感受性〉が、「現存するもの一般形而上的否定というロマン主義美学のかたち」になっていくと前置きし、この『禁色』の時期三島中にも三島の本来的な〈感性的〉なものである戦時中に〈日本浪曼派〉に育まれ作家気質」は、「早くも俗悪な現実への復讐と〈美〉の征覇によるその成就という二つ契機モメント)を抱懐している」と解説している。そして『仮面の告白』の〈私〉後身とも言える同性愛者南悠一は、老作家檜俊輔という「現実への復讐者」「〈作品〉の創作者」「劇の演出者」によって、「独自の〈生〉」を与えられ存在であるとしている。 かくしてヘレニズム理想」を体現した美青年は、俊輔が構図するラクロ風の心理幾何学世界で生活しはじめることになる。「現実存在としての資格欠いた悠一が俊輔の復讐パトスによって生きさせられることで生きること開始するという設定巧妙であり、作者はこの器用に物語化」された虚構中に私(ひそ)かに『仮面の告白以来主題戦後社会不適格者である自分の「感受性」と「気質」との救済問題盛り込むのである。そしてまた同時に戦後現実対す兇暴な復讐意欲をも。 — 野口武彦解説」(文庫版禁色』) 筒井康隆は、作家目指していた頃に読んだ禁色』に衝撃を受け、「こんな凄い文章書けなければ作家はなれないのかと思い絶望した」とし、軽い気持ち作家になろうと考えていた自分気持根本から変えさせ、「それなりの修業」の必要性痛感させてくれたとして、「そのお蔭でぼくは、マスコミによって便利に消費されてしまうような作家には、ならずにすんだかもしれない」と語り、それ以後三島新作発表されるたびに読むようになったと述懐している。 その文章たしかに美文ではあるが、論理性持った美文で、警句箴言ちりばめられていた。その才能驚くべきのだった描写力表現力さることながら実社会裏社会知識もまた作家年齢からは考えられぬほどの豊かさ満ちていた。テーマ男色だったが、まだ日本では知られていなかったゲイというアメリカ俗語もただ一か所、ゲイ・パーティということばで紹介されていた。こんな最近風俗まで熟知しているのかとぼくは感心した。 — 筒井康隆漂流 本から本へ」 瀧田夏樹は、老作家檜俊輔の「耽美的執念」が、川端康成の『眠れる美女』の江口由夫の「枯れはてた老人化けて禁断の場所に潜入し、性の冒険試みる」嗜好共通し江口の「“由夫”という名もなにか気にかかる」として、『禁色』の発表当時に「禁色驚くべき作品です」「しかし西洋行かれればまた新しい世界ひらける思ひます」と三島勧めている川端の手紙に触れつつ、「この〈西洋〉で、川端何をおうとしただろうか」と述べている。

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作品評価・研究

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微笑 (横光利一)」の記事における「作品評価・研究」の解説

遺作となった微笑』は、未完として終った長編大作旅愁』との関連によって、その真意がより味わえるものとも言われ横光最後傑作として位置づけられている。また作中には、しばしば数学的用語が使用されているが、作者横光利一は、排中律的な、AかBかと選択するときAとBの中間をいく選択はないとする思考法のような第三可能性否定する二者択一思考」に反発覚えていたと日置俊次説明している。 篠田一士は『微笑』を、「これこそ横光文学的生涯最後をかざるにふさわしい作品である。敗戦至った過ぐる大戦を彼がどんなに真摯に生きたかを、心の隅々まで照らしだしてみせた、じつにすがすがし傑作といっていだろう」と評している。そして、横光挑んだ未完長編小説旅愁』を未読読者でも、微笑』や『比叡』、『厨房日記』、『睡蓮』、『罌粟の中』を読むことにより、後年横光文学の「豊かな成熟」を堪能できるとし、『旅愁』は、最後短編微笑』のなかに「ようやく安息の場所をいだしたともいってみたいよう作品だ」と解説している。 河上徹太郎は、『微笑』の青年栖方には、これに近い人物実在していたと思われるとし、「モデル二十歳位の一高校生で、数学天才であり、そのために一躍海軍大佐級に抜擢され原爆類する新兵器研究している。それが又俳句嗜み作者句会らしいものに出席するのである」と述べその事実関係がどこまで本当かは保証しない前置きした上で、以下のように評している。 この青年数学天才でなくて特攻隊員であっても構わない横光氏はこういう端正な頭脳美し意志持った日本青年愛惜しているのだ。『微笑』という題がそれを現し、これが戦後の作品であることの意味もそこにある。 — 河上徹太郎 「『夜の靴』と『微笑』」 『微笑』について三島由紀夫は、「(横光)氏の晩年の作品では、『微笑』が傑作と思はれ、又その文章は、青春時代叙情をよみがへらせたふしぎなみづみづしさをもつてゐる」と高い評価をしている。 芹澤光興は、大東亜戦争に夢を託した横光の「自分自身への鎮魂」の作品だと『微笑』を見ている。

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作品評価・研究

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堕落論」の記事における「作品評価・研究」の解説

堕落論』は、坂口思想とその生き方決定した評論であり、一つ達成作品となっており、多く作家評論家にも高く評価された。 同じ坂口安吾評論である『青春論』と共に堕落論』を折りにふれ何度も読んだという檀一雄は、「安吾のあの強烈な孤独表情を軸とし、ある時は、わが身に絶望の鞭を加えまた、切ない気持ち言い知れない勇気与えられてきた」と述べ、『堕落論』をはじめとする作品に、「安吾の生活の情熱思考表裏一体した真摯な様相」が見られるとし、その声を、「おおらかな詩人規模を恃し、世俗おもねらない苦行者の精神燃えていた人の滅びない新しい声であったまた、我々の日常として滅びない新しい声は曲解されすいものである」と解説している。 磯田光一は『堕落論』を、「旧来のモラル否定という次元読まれるべきものではない」とし、安吾の意味する「堕落」とは、「虚飾捨てて人間本然の姿に徹せよということだ述べている。そして、そういった姿勢貫き戦中戦後現実生きてきた安吾にとって、「世のリアリズム文学は、たんなる感傷としか映らなかった」とし、「人生には科学的合理主義によってはとらえられない領域確かにある。安吾ただそういう領域のうちに人間見据えていたのである」と解説している。 また磯田は、「人間の“救いのなさ”と“絶対的孤独”」と、「偉大であるとともに卑小な存在」である人間の姿を、安吾の心は「永遠の相の下に見つめていた」とし、以下のように安吾世界観考察している。 そういう立場に身を置いていた安吾してみれば戦争でさえも、人間有史以来繰り返してきた偉大にして卑小な所業見えた人間愚劣存在であるかもしれぬ。しかし愚劣さのゆえに人生見捨てるか、あるいは愚劣さにもかかわらず、その愚劣さを引き受けるかによって、人生への態度は相当に異なものになるであろう。 — 磯田光一坂口安吾――人と作品」 そして、そういった安吾考え方は、「現にある日本の姿を、日本人現実を、あるがままの姿で受容する態度」を示しているだけで、「戦後進歩主義思想とは、明確な一線を画している」と磯田述べ、その両者の違いを、「進歩主義者は、“進歩”という幻影生きているが、安吾の目には、あるがまま現実こそが問題であった」と解説している。 中畑邦夫は、柄谷行人安吾思想的位置づけを、左翼的右翼的かという軸でなく、啓蒙主義的かロマン主義的かという軸で見られるべきであると主張していることを敷衍しながら安吾言説から「天皇制批判」の主張読み解く研究者や、安吾左翼だとする見方否定して、「安吾自身がみずからの思想への社会主義の影響をはっきり否定しているのであって安吾思想左翼的であるとは断じて言えないのである」と述べ安吾思想を「右翼的であるとする観方も左翼的であるとする観方もともに一面的」であり、そういう観点作品捉えることは、「安吾思想のもつはるかに広い射程」を見失ってしまうと解説している。 西部邁は『堕落論』の本質最後数行にあるとし、そこで坂口が言わんとしていることについて、先に戦争における「偉大な破壊、その驚くべき愛情偉大な運命、その驚くべき愛情」は実に讃嘆値するものであったが、それは、「堕落ということ驚くべき平凡さ平凡な当然さ」と比べれば、「泡沫のような虚しい幻影にすぎないという気持がする」という意味だと説明し西部はその安吾言い分をさらに補足し、「しかし人間幻影なしには生きられぬほどに弱いのであるから、いわば、限界点まで堕落したところで自分是が非でも持ちたい思うよう幻影をみつけ出せということである」と解説している。 七北数人は、『堕落論』をはじめとする安吾評論について、「メッセージ性、というより、伝えたい思いが強いのだろう。言葉時に刃のように、時には喉をうるおす泉のように、ストレートに胸に響く一言半句だに魂のこもらぬ言葉はない。別世界構築必要な小説では、こうは行かない」と述べている。また、その安吾言葉思想家評論専門言葉とは違い、「骨の髄から小説家である人にしか書けないものだ。小説家ならではの視点で、人間心理曖昧さ複雑さ深くえぐり込んでいく」と解説している。 三島由紀夫安吾とは直接には対面する機会はなかったものの、安吾仕事にはいつも敬愛の念を寄せていたとし、安吾戦後生き方を以下のように解説している。 戦後一時期に在つて、混乱を以て混乱表現するといふ方法を、氏は作品の上にも、生き方の上にも貫ぬいた。 氏はニセモノ静安断じて欺かれなかつた。言葉真の意味においてイローニッシュな作家だつた。氏が時代との間に結んだ関係は冷徹なものであつて、ジャーナリズムにおける氏の一時期狂熱人気などに目をおほはれて、この点を見のがしてはならない。 — 三島由紀夫「私の敬愛する作家

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作品評価・研究

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熱帯樹 (戯曲)」の記事における「作品評価・研究」の解説

熱帯樹』の論究自体少ないが、題材現代にも通じ古典的素材用いていることを評価するものが多い。鈴木晴夫は、「兄妹相姦から心中にすすむ勇と郁子悲劇が、詩的な台詞いろどられ原田義人のいう〈アモラル夢幻的な味わい〉を感じさせる」と評している。 中村光夫は、三島創作意図を、「演劇外面的な写実から脱出」させて、「視覚的要素代る映像喚起の力を持たすこと」にあるとし、「現代劇一極点を形造る作品」だと評している。また中村は、舞台設定限定せず、限られた登場人物と、近親相姦という神話的精神分析学テーマ扱ったことなどが、古典的詩劇現代舞台作り上げた要素だと解説している。中村真一郎同様の観点から、「風俗劇のふりを多少した夢幻劇」という印象持ったことを述べている。 村松剛は、『熱帯樹』のヒロイン妹「郁子」の名前に対す三島思い入れについて、『純白の夜』のヒロインの名も郁子であったことに着目し、『純白の夜』のヒロインを「郁子」としたのは、〈初恋人の名前と字の感じがよく似てるんでそうしたのだ〉と三島から聞いたことから、『熱帯樹』の郁子にも「初恋の人のイメージ」があり、設定兄妹ということから「妹のイメージ」とも重なって出てきていると考察している。そして、三島短編『罪びと』(1948年)で、リヤカー荷物運搬中に飲んだ原因チフスになり亡くなるミッションスクールの「郁子」(IKUKO)を登場させ、三島の妹・美津子MITSUKO)をモデルにして、「郁子」が主人公許婚という設定となっていることと、「郁子」にを飲むことを勧めた同級生が、主人公夏休み避暑地あやまち犯したという設定で、三島軽井沢接吻をした三谷邦子(KUNIKO)(『仮面の告白』の園子)がモデルとなっていることを村松解読しつつ、「妹の死」と「失恋」という二つ主題が、この小説群では混ぜ合わされていると論考している。 そして村松三島に、「『純白の夜』の女主人公郁子で、これも郁子で、何か意味があるのか」と直接訊ねたときのことを回想し、〈そんなことに気が付くのは君ぐらいのもんだよ〉と三島笑い、それからぽつんと、〈昔つきあっていた女で良く似た名前のがいた〉と言ったことから、三島明らかに両者作品に同じ名前のヒロイン使ったことを意識していたと説明しながら、『熱帯樹』では兄妹最後に海へ心中しに行くことに触れて、「愛と死」の主題がここで復活し、その復活行く手が、『憂國』になると考察している。また、この名前のことについて訊ねたとき、三島そのことについてあまり言いたくないという感じだったので、村松話題をすぐに転じたという。 集英社三島担当した編集者の粉川宏は『熱帯樹』を観たときの感想について、「私は、文学座加藤治子演ずるところのこの芝居を観ながら、心の痛み感じたのだった内容内容だからだろうが、氏の、亡き妹・美津子さんに寄せ思いが、戯曲のかたちで告白されているように感じられてならなかったのである。これは私の思いすごしだろうか」と述べ、それを感じた劇中一節引用しながら以下のように語っている。 氏の精神の、いわば核エネルギーともいうべきものが、戦争中死にそこなったという恥の意識からきているように、美津子さんの存在――その死は、多感な年ごろだっただけに大きな影響を氏にもたらしていたのではないか。氏はほんとうに思いの心のやさしい人だったのだ。終幕近く劇中郁子がこんなせりふを語る。「……私今日一日で、生きてゐることの苦しさ甘さも、みんな底まで味はいつくしてしまつたんだわ。明日一日生きてゐられるかどうかわからない明日の朝はあの愚かなお医者様が来て……」 — 粉川宏「今だから語る 三島由紀夫

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作品評価・研究

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眠れる美女」の記事における「作品評価・研究」の解説

眠れる美女』は、『古都』や『千羽鶴』などの伝統的な日本の美基調とした作品とはやや趣が異なる、前衛的幻想的な作風で、川端後期代表する作品として総体的に評価が高い。また「老人の性」を描いたものとして、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』とも比較されることが多い。 海外でも注目されており、コロンビアノーベル文学賞作家ガルシア・マルケスは、この作品触発されて、エッセイ眠れる美女飛行』(1982年)を書き長編小説『わが悲しき娼婦たち思い出』(2004年)を書いている。 エドワード・G・サイデンステッカー三島由紀夫は『眠れる美女』を「文句なし傑作」と呼び、この作評がその後文芸論評多く引用されることが多い。三島は、「形式的完成美を保ちつつ、熟れすぎた果実腐臭似た芳香を放つデカダンス文学逸品である」、「デカダン気取り大正文学など遠く及ばぬ真の頽廃横溢してゐる」と高く評価をし、川端中編のうち、最も「構造布置」の整った作品で、後期代表するものだとしている。 そして三島は、「秘密クラブ密室終始する」という作品世界自体に、「精神閉塞状態」が象徴され川端の「地獄」に慄然としたとしつつも、そうした極端な形表現されてはいるが、その主題川端文学全般通底し、『禽獣』の「愛の形」も、以前から見られた「少女嗜好」も、『眠れる美女』に「帰着すべきもの」だったとし、川端文学では処女小鳥も、自らは語り出さず、「絶対に受身存在純粋さ」を帯びていると説明しながら、以下のようにそのエロス構造解説している。 精神的交流によつてエロティシズム減退するのは、多少とも会話が交されるとき、そこには主体出現するからである。到達不可能なものをたえず求めてゐるエロティシズム論理が、対象内面へ入つてゆくよりも、対象肉体の肌のところできつぱり止まらうと意志するのは面白いことだ。真のエロティシズムにとつては、内面よりも外面のはうが、はるかに到達不可能なものであり、謎に充ちたものである処女膜とは、かくてエロティシズムにとつては、もつとも神秘的な外面」の象徴であつて、それは決し女性内面には属さない川端文学においては、かくて、もつともエロティックなものは処女であり、しかも眠つてゐて、言葉発せず、そこに一糸まとはず横たはつてゐながら、水平線のやうに永久に到達不可能な存在である。「眠れる美女」たちは、かういふ欲求論理的帰結なのだ。 — 三島由紀夫解説」(『日本の文学38 川端康成集』) そしてこういった「実在観念との一致企むところに陶酔見出してゐる」状態は、性欲が「純粋性慾」に止まり、「相互感応」を前提とする「愛」から最も遠いため、ローマ法王庁カトリック教会)が最も嫌う「邪悪」となるはずだが、その概念反し最後に宿の女が、「この家には、悪はありません」と断言することで、川端考える〈悪〉が何であるかが「朧ろげに泛ぶ」と三島考察し、その川端概念従い、「眠れる美女世界は、無力感によつて悪から隔てられてゐる」と考えれば川端規定する〈悪〉が、「活力対象愛するあまり滅ぼし殺すやうな悪」「すべての人間的なるものの別名」であることが判り、これと「反対方向世界」に魅せられ、川端同じくらいの厭世家作家が、『カルメン』の作者メリメであるとして、その〈悪〉の意味相関関係指摘している。 上田渡は、江口が〈最初の女は母だ〉とひらめく場面触れ少年江口瀕死の母の胸をなでたとたんに、母が多量の血を吐き絶命したことが罪悪感として江口老人潜在意識残ったとし、「性的回想が母に還元されていき、〈最初の女は母だ〉という結論到達した時、それは母の死直結していく」と解説している。そして、江口現実に母と近親相姦の関係持ったけでないが、死の床の母の胸をなでた時の江口心理状態」は「母を犯した」ことと同義であるとしつつ、江口が〈右と左との娘のちぶさにたなごころをおいた〉時に母の胸をなでたことを思い出すのは、「胸にふれる行為が娘と母を結びつけている」と考察している。 春木奈美子は、江口が母の夢の中で見た赤いダリアのような花に囲まれた家や、深紅カーテン囲まれ部屋は、「母胎内の暗喩」だとし、「世界と私との接続点、生の起点が、女性身体というトポス間借りして現れる」と考察している。 最後の女として娘の処女を犯そうと夢想し最初の女としての母のイマージュ回帰した後に運ばれてくる夢は、やはり血の赤によって破られる。眠る美女駆り立てる愛撫強迫と、死に行く母に無言呼びかけられる強迫。死が性の衣を脱いで死の床無言呼びかける母と、今宵眠れる美女の家で無言愛撫を誘う娘とが、ここで交わる。死という受け取りきれない贈与は、夢の中で形を変えて反復される応答不可能な限り、この故なき責めは止むことはない。はじまり可能にした死の痕跡は、拭い去されることはない。女主人によって跡形もなく運びだされる娘の遺体、そんな娘の一点染みも残さぬ消失も、江口のうえに重くのしかかることになる。 — 春木奈美子「〈告白〉の現代川端康成の『眠れる美女』を通して―」 そして春木は、「性の中に漂う死の匂い」に惹きつけられる江口が、最後には、死に取り残されることを鑑み、「死は、誰ひとり追いついてくる者もいないほの暗し地帯」であり、「われわれを惹きつける同時に跳ね除けるもの」だと解説しつつ、「深紅ビロードカーテン部屋にも、赤い花の家にも、歓待はない」としている。 深澤晴美は、佐川一政画家ギュスターヴ・クールベの『眠り』(白い娘と黒い娘が全裸抱き合っている絵)と『眠れる美女』との関連言及していたことに触れクールベが「一個の眼」と評され、「夢の世界へ、あるいは、世界満たす生命へと開かれている」只中眠る女クールベ重要なモチーフであること(阿部良雄の評)を鑑み、「赤い帷に蔽われて洞穴めいた空間の中」で目覚める娘が、まだ寝ている娘を起そうとしている『目醒め』や、『まどろむ糸つむぎ女』『死女の化粧』など、クールベ川端主題との共通性指摘しながら、『片腕』論で前衛画家との関連論じられたように、『眠れる美女』と絵画との関係の研究展望示唆している。 瀧田夏樹は、「枯れはてた老人化けて禁断の場所に潜入し、性の冒険試み江口老人あり方」には、三島由紀夫の『禁色』の主人公檜俊輔の「耽美的執念」を思わせ、江口の「“由夫”という名もなにか気にかかる」とし、『禁色』が発表され当時川端が〈禁色驚くべき作品です〉と三島伝え、〈しかし西洋行かれればまた新しい世界ひらける思ひます〉と勧めている手紙触れて、この〈西洋〉で、「川端何をおうとしただろうか」と述べている。 森本穫は、平山城児小林芳仁、中嶋展子らが、作中江口老人が〈昔の説話〉〈遊女妖婦が仏の化身だつたといふ話〉〈秘仏〉といった仏教的なものに言及していることから『十訓抄』の説話性空上人現身普賢菩薩事」「神崎詠歌往生極楽事」や、謡曲江口』との関わり指摘していることを敷衍し、こうした古典舞台の「江口」「神崎」「島」が川端生誕地付近淀川べりの湊であることも考え合わせ、「普賢菩薩へと化した遊女と、西行性空上人といった男性僧との対比」が『眠れる美女』の構想になったとし、そういった色欲悩む男を救う遊女が仏の化身であった」という物語テーマに、川端自身の「根源的な願い」が込められていると考察しまた、川端交流のあった石本正の絵の「裸婦」に触発され可能性推察している。 そして森本は、江口老人が己の中の〈魔界〉を自覚しながら、〈眠れる美女〉らのぬくもりの側で死ぬことを願うが、少女の方が死んでしまうという予期せぬ事態と、それに続く宿の女非情言葉により、初めてこの館が「非人間そのものの家であることを体験」するとし、そんな場所に自ら赴いていた江口自身も「人間性一切喪失した」ことを知ると解説している。 もはや江口行手には何も残されていない。あるのは、非人間黒々とした虚無の淵である。彼はこの先非人間としての不毛の道を際限なく歩きおさなければならない。それが江口における〈魔界〉である。(中略)この物語は、老人魅惑してやまぬ秘密の家がその恐るべき正体露呈したところで、突如幕を閉じのである老人における生(性)の回復とは所詮畸形夢にすぎず、その夢すら醒めてしまえば何物残されていないという冷酷な真実認識――。江口老人とともに作者川端康成がこの物語最後に行きついたのは、このようなところであった完璧な物語描ききった作者円熟背後に、恐ろしい衰徴がしのび寄っている。 — 「魔界の住人 川端康成 第九章 円熟と衰徴――〈魔界〉の退潮

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作品評価・研究

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みづうみ」の記事における「作品評価・研究」の解説

みづうみ』は発表当初川端作品愛読者追随者の間でも、困惑し嫌悪示した者も多かったが、後期川端思想如実に表わされている作品という評価多く、その〈魔界世界がよく示されている作品でもある。またこの作品主人公の「意識の流れ」を描いているが、こういった試み初期作品の『針と硝子と霧』(1930年)、『水晶幻想』(1931年)などにも見られ自由な時間移行構成を「反・時間的小説」として評価されている。 三島由紀夫は、「因縁の糸がそれぞれ全部つながっていて、偶然をものともせず人物がみなつながっていて、すべて因果応報理によって動くようなところ」が、草双紙だと思うとして、『みづうみ』を「川端氏が草双紙風の筋立て書いた華麗な暗黒小説」だと表現しつつ、以下のように評している。 美少女の腰にゆらめく蛍籠の仄明りみづうみに映る対岸夜火事の火……、美的な官能的な関心と、悪への関心とが、桃井銀平といふ奇怪な男の中で、あわただしく手を携へて、彼をして神出鬼没せしめる。この男の妄念にみたされた目に映る世界には、何一つ不可能なものはない。現実障壁を完全に取去つた幻妖物語世界出現する。 — 三島由紀夫川端康成著『みづうみ』」 そして三島は、その「悪」は、「まったく感性的な悪」、「全然無害な無気力な悪」であり、「日本的な悪というのは背徳ではなくて感性そのままほっぽり出しておけば人間は悪になるという考えであるから主人公銀平のような「普通の日本的な男をほっぽり出して彼の感性のままに行動させれば必然的に悪になる」とし、その悪が他の人間ぶつかり合う時には人間関係生じずに「美学だけが生じてしまう」というのが、川端文学モチーフとなっていると解説している。 中村真一郎は、その三島から『みづうみ』の「不快な読後感情熱的に」、「独特の繊細な表現」で聞かされ興味そそられ読み三嘆」し、「この作品は私にとっては戦後の日本小説の最も注目すべき見事な達成だと感じられた」と述べている。そして主人公の「意識の流れ」の描写美しさ驚き従来的な19世紀客観主義の手法で描けば、ただの「偏執者」になりかねない人物を、西欧20世紀主観的表現方法の「意識の流れ」を用い、心の動きを「内部」から描くことにより、「その執念、その情念が、永遠憧れの姿にまで、象徴化されることができた」と解説しつつ、その川端独特の「抒情的感覚的映像」の断片により、一つ小説に「幾つかの華やかな布地綴織のような面影」が作られているとしている。 また中村真一郎は、『みづうみの手法と似ているクロード・モーリアックモーリアック息子)の『全ての女は宿命的』も、主人公意識から多く女性思い出混合し超現実主義的であることに触れつつ、モーリアックとは異な川端特徴を、「日本的超現実主義――中世連歌における“匂い付け”と呼ばれるような、不思議な微妙な連想作用によって行われている」とし、「夢」作用似ているみづうみ』が、ノヴァーリスティークドイツ浪漫派や、それに連なるフランスネルヴァル作品とも、「遥かに通い合っている」と考察して以下のように評している。 この作品は、西欧の最も新し文学的冒険照応しながら、一方で古い日本の美学の最も本質的なものの現代的再現と云える。それは屢々ホアン・ミロ幻想似ている。と同時に、我国王末期頽唐期の物語の世界でもある。この小説の構成も、映像も、筋立ても、そしてまたその後味も、夢に似ている大概小説現実似ていることで迫真性を持っているとすれば、この小説はその逆なのである私たち夢によって、日常生活では忘れている、私たち内部入って行く。この小説はそうした心の奥底への遍歴に、私たちうながす作用をする。 — 中村真一郎解説中村光夫は、三島由紀夫川端人生を「旅」に喩え、「永遠旅人」と呼んだことに関連し川端にとって、旅が人生象徴あるように、「すべての人間関係」が〈ゆきずり〉であるという思想老年まで根を張り、それをすべての事象川端実感していることが見られるとし、『みづうみ』で銀平が、〈ゆきずり〉の人を〈ゆきずり〉のままで別れてしまうことを哀惜し、〈この世の果てまで後をつけてゆきたい〉という願望不可能を、〈この世の果てまで後をつけるといふと、その人殺してしまふしかないんだからね〉と語る場面触れながら、そこで川端が広い意味での親子夫婦含めた全てのゆきずり〉の人間関係人間誰しも偶然に出会い必然に別れる)を示唆していると解説している。 そして中村光夫は、どんなに世渡り上手で利口な人間でも、現実衝突し破れた経験はある筈ゆえ、社会の外にいる銀平の「社会的存在感の喪失」は何らかの共感誘い川端は、そこに社会生活での「人間存在形式」を見つめ、「すべての人間関係が〈ゆきずり〉である以上、人間救いがあるわけはない、ただ我々は銀平のように馬鹿正直でないから、適当にあきらめているだけではないか」という暗黙問いかけがあると考察している。 田村充正は、『みづうみ』を「時空間拘束」にとらわれることなく主人公銀平幼少時負った心の傷ひたすら追っていく物語であるとし、その方法が、分析解明主とする西欧的な小説違い様々な感情を「芸術言葉」に変えて、「和歌への結晶志向する歌物語」と同様の方向性持っているため、「西洋前衛日本の古典」の融合という川端作品の特質見られる考察している。 そして田村は、初出連載時では終結部が、再び冒頭部へ繋がる円環構造となっていたことを鑑み宮子視点第2章以外は、物語が「信州から信州へという構成においても、やよいからやよいへという主人公意識においても完全な円環性をその特徴としている」と説明しながら、その「円環中心にある〈みづうみ〉」に立ち返って自身受けた心の傷の謎を解明しようとする志向銀平には無く、もし解明されても自分の傷が癒えるとがないことを知っているため、「癒やし過去訣別する方途がない」ならば、「銀平宮子のあとに続く第四第五の女を追い続け宿命にあるはずである」と論考し、それゆえに、単行本刊行際し削除され結末部分は、あえて削除する必然性がなかったと述べ、以下のようにまとめている。 作品内的生命初出のとおり銀平永遠彷徨示唆してその輪を閉じようとしていた。いやすでに閉じたのである。この永遠堂々巡りを、作品内では自壊ていない円環構造を、力づく断ち切ったのは作家川端康成であり、その意味でもこの「みづうみ」という作品は、作家川端の生を反映しているのかも知れない。 — 田村充正「川端康成みづうみ』の基礎研究――作品みづうみ』はいかに構築されているか」 原善は、『みづうみ』に登場する女性系譜発端「母」があり、『反橋三部作(「反橋」「しぐれ」「住吉」)で顕在化した「母恋」のテーマ流れ共有があるとし、それは、孤児生い立ち加え子宝にも恵まれなかった「不妊」(最初死産を含む、妻の数度流産)の状況により、本当の意味での「孤児」の悲哀、「孤独」の感を強めた川端が、自己救済発展としていった母恋」という形の「魔界」であるとしている。そして『みづうみ』の「魔界」では、「行為者そのもの中に共存する淪落浄化志向の、拮抗する緊張関係」がより明確になり、銀平思い浮かべるみづうみ〉は「母性」の象徴で、女の中に見出す母なるもの」と「性なるもの」は、『眠れる美女』の女性たち向けられた〈冒瀆憧憬〉の共存する対象であると解説している。 また、川端自身分身である銀平美女追跡者)の「美への追跡」は、「作家川端文学における美の追求」の具現化であるとし、川端文学の〈魔界〉について、「一見するとそれと誤認される皮相背徳や悪の世界のみではなくそういった淪落への志向同時に自己浄化志向をも持った人物の、その両志向二律背反的な拮抗によって裏打ちされるところの、美と倫理の危うい均衡の中で燃焼するエロス世界だとする理解導ける」と原は考察している。 さらに原は、三島が『みづうみ』を「草双紙と言ったことと、宮子パトロン銀平にも繋がりのある人物だという「因果」、「因縁の糸」を所々含めている川端の「運命因縁」へこだわり見て辻邦生指摘した「“孤児”という宿命的な状況は、氏をして、生の底面にある、動かしがない何ものかの存在を、いや応なく認めさせずにはおかなかった」という言葉を引きながら、多く血縁の死を経験した川端が、新たな血縁求めるも子宝恵まれなかったという、「自らを支配する暗い宿命」を意識せざるをえなかったゆえに、「運命因縁」が作品主題となることが多いと考察している。 林武志は、『みづうみ』において、「自失」(「忘我」)と「狂気」に注目し、「〈自失〉の追跡といい、〈狂気〉の世界といい、いずれも人間的日常的時間切断された〈虚の時空〉、非日常的な〈幻の時空〉」であるとし、銀平追い求め続けた魔界〉とは、「この〈虚(幻)の時空〉」であり、「常住不能な非連続世界」だと論じて、〈秘密がない〉という点では少なくとも「〈天国〉(仏界)即〈地獄〉(魔界)」であり、銀平にとって〈一瞬〉の〈狂態〉が「至福の時空」だと考察している。 岩田光子は、『雪国』の「温泉」と、『みづうみ』の「トルコ風呂」との類似性指摘しながら、それを「現実から非現実への移行」のための「通路」だとし、『みづうみ』を「魔界礼讃」の作品だと評している。

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作品評価・研究

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詩を書く少年」の記事における「作品評価・研究」の解説

詩を書く少年』は三島自伝的作品で、三島少年時代窺い知るにあたって大きな参考となるものの一つであると同時に三島にとっての「詩」と「小説」の関係性論じ上で取り上げられることの多い作品である。また、森鷗外エッセイサフラン』や、谷崎潤一郎小説神童』など、作家自身早熟な少年期回顧したものとして、三島の『詩を書く少年』もそれらと同じ位置づけ作品とみられている。 野島秀勝は、「『金閣寺』に至る三島文学傑作の底に響く主調音」として、「被疎外意識」といった概念考察し、「『仮面の告白』は、三島が、『詩を書く少年』の詩人として贋物性の認識と共に、その幸福の贋物性を明視したところに成立した」とし、三島自己を「贋物性」と見る「外部定位」し、その自己の外部対する関係を「被疎外」という概念捉えている、といった構図考察している。佐藤秀明は、この野島規定した「被疎外」が、神西清の言うところの「否定呪われたナルシシスム」に当るとし、神西の場合は、それを三島の「自己内部問題」として捉えていると解説している。 高橋和幸は、『詩を書く少年』を分析しながら、「三島文学初期から中期への移行は、このようなそのものの幸福から、詩と詩人分離し外界内界醜悪さ不完全性、不足を批判攻撃することが文学創造原動力となっていた」とし、「詩そのもの」と「詩人」の分離を明らかして、三島のなかに成立した批評家的な目」により、「小説家として独り立ちする」ことを論考している。 佐藤秀明は、『詩を書く少年』で語られる、詩が生れるときの〈幸福〉に、「冷水を浴びせる」ものが、「〈現実〉すなわち〈僕も生きてゐるのかもしれない〉という予感」であることから、この〈詩〉の〈幸福〉や、『海と夕焼』の〈奇蹟〉を、「現実許容しない詩の幸福」と呼び、『仮面の告白』の〈私〉の「セクシュアリティ」(高橋和幸のいう「詩そのもの」に相当)を「現実許容しない詩の幸福」の比喩だと捉え、『愛の渇き』の悦子の〈底しれないロマネスク固定観念〉や、『沈める滝』の「石の世界」もそれと本質的に同じものだと論考している。 そして三島評論小説家の休暇』で述べた以下のような一節を引き、そこでは、「生きながらなお小説書くこと問題として設定され生きること小説との間に一種齟齬見出されていた」としつつ、しかし〈小説〉は、〈詩〉のように、「生きること」とは対立せず、三島の言う〈小説〉は、「人生現実)と詩(「現実許容しない詩」)との対立含み、それを描いたもの」だと定義している。 小説書くことは、多かれ少なかれ、生を堰き止め、生を停滞させることである。私は、二十代に、かくもたびたび、生を堰き止め、生を停滞させたことを後悔しない。しかし純然たる芸術的問題も、純然たる人生問題も、共に小説固有の問題ではないと、このごろの私には思はれる。小説固有の問題とは、芸術対人生、芸術家対生、の問題である。 — 三島由紀夫小説家の休暇」 そして佐藤は、他の三島あらゆる小説戯曲にも、この「芸術=詩」(「現実許容しない詩」)と「人生現実」との関係性様々な形描かれているとし、『仮面の告白』では自己の〈詩〉を否定的に捉えた三島が、その後の作品では逆に、「その〈詩〉を救済している」と考察し、それは一見〈美〉を滅ぼしたのような金閣寺』においても、「金閣火を放った〈私〉究竟頂で死のうという考え閃いた」のは、放火只中主人公が、「現実許容しない詩の幸福」を目指しということで、〈究竟頂〉は「〈比びない壮麗な夕やけ〉の世界」「現実超えた世界」を指すと解説している。 また、卒塔婆小町』では、老婆美女変身するのを見た詩人が、「現実許容しない詩」を生きてしまったため、「ここで死ななければならない」という構図となり、その8年後に発表された『弱法師』になると、俊徳幕切れ台詞は、彼の〈詩〉に抗した桜間への妥協」となり、これから現実の世を生きなければならない異人」の「苦い覚悟」が示されていると説明している。三島自身が、『鹿鳴館』に比して「私流にずつとリアリスティック芝居」だと言った薔薇と海賊においては1970年10月再演見て三島が涙を流したという「興味深いエピソードがあることから、その時期すでに「〈現実許容しない詩〉を、現実として生きること、死の準備密かに進めていた」三島にとって「楯の会」の計画どういう意味であったかが窺われるとし、この作品それまでのものと異なり、「〈海賊〉という現実をうち破って、〈薔薇〉という虚妄現実として成立する点で注目される」と佐藤解説している。 そして、それをより徹底させ、「〈詩〉そのものに近い作品」にしたものが、『憂国』や『英霊の聲』であり、『美しい星』の〈処女懐胎〉を信じる暁子、『午後の曳航』の「独自の論理」の少年たち、『絹と明察』の「泥くさい〈詩〉」を生きる駒沢登場する作品は、「〈現実許容しない詩〉を、まさに現実許容しかったにかかわらず生き延びさせる小説」であると佐藤解説し、『剣』の国分や、『奔馬』の勲が自殺する作品では、「〈強く正しい者〉という〈詩〉を現実許容しないならば、〈詩〉が〈詩〉であるうちにそれを断ってしまえば、〈詩〉は生き残る」としている。 遺作の『天人五衰』では、自分を「絶世の美女」と信じ絹江は〈詩〉を生き続け、透は失明することで絹江一部となり、絹江自己認識は、「(だと信じた)鼠にあった主観客観分節」を無効にしてしまうため、そこでは「〈現実許容しない詩〉が現実であるという堅固な一元性しか存在しない」と佐藤考察し三島小説は「〈詩〉への批評」から始まったが、最後まで〈詩〉は生き延びていたことを以下のようにまとめ、『詩を書く少年』の主題三島一生貫いていたことを論じている。 三島少年時代の詩を否定し、しかし〈詩〉は生き延び背理である〈詩〉こそが現実であるという小説書かれ、『豊饒の海』に至った。『豊饒の海』で、〈現実許容しない詩〉と現実はさらに上位レベルである唯識によって相対化され、反転繰り返すことになる。〈詩〉と現実絶え間ない反転は、「小説固有の問題」を変質させ、もはや小説成立不可能にする地点に来たことを証するのである。 — 佐藤秀明「〈現実許容しない詩〉と三島由紀夫小説

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作品評価・研究

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サド侯爵夫人」の記事における「作品評価・研究」の解説

サド侯爵夫人』は発表当時概ね肯定的な評価迎えられた。当時文壇評価としては、江藤淳が、小説よりも「説得力があり、暢達」な文体評価している。山本健吉は、「三島氏の戯曲として、きわめて結晶度の高いもの」と賛辞し、「欠点言えばサド著書(『ジュスティーヌ』)を夫人回心きっかけとしていることだと思う。事実としてでなく、解釈としてでなく、戯曲プロットとして言うのである。劇のクライマックスに〈書巻の気〉は避けたい」と述べつつ、「三島氏の目をくらますような修辞が、巧みにいぶされてあって、しかも対話の妙を尽くしているのがよい」と評している。 その後サド侯爵夫人』は、1994年平成6年)末に発表され演劇評論家が選ぶ戦後戯曲ベスト20アンケート第1位作品となり、「戦後史上最高傑作戯曲」という評価なされた主人公サド侯爵夫人ルネ演じた丹阿弥谷津子俳優金子信雄夫人)は、演劇人生で「もっとも想い出深い作品」と回想している[要出典]。同アンケートの「劇作家部門では、井上ひさし三島由紀夫が1位に選ばれたが、井上ひさし三島戯曲高評価し、中でもサド侯爵夫人』は傑作だ述べ、「観客が7人目登場人物としてのサド侯爵観』をつくっていく。非常に明晰な台詞明晰な構造明晰な心理分析組み合わせたがっちりした芝居です」と評している。 また、サド侯爵夫人』は日本国外でも上演されており、「007シリーズ」の主人公ボンドの上司「M」役で知られるイギリス女優ジュディ・デンチ主役演じた。特にフランスで人気があり、各地でしばしば上演されている。1977年昭和52年)にパリオルセー小劇場行なわれ公開討議会で、聴衆から「日本人作品とは思えない」という声があがった芳賀徹は、パリウェイトレスが「ミシマ見た? 『サド侯爵夫人すてきだったわよ」と言うのを耳にし、あのウェイトレスは「ミシマ日本作家ということさえ知らなかったのかもしれない」と記している。 伊藤勝彦は、もっとも感動したサド侯爵夫人』の舞台としてスウェーデンイングマール・ベルイマンによって監督・演出された東京グローブ座舞台だと評している。フランスでマドレーヌ・ルノー劇団舞台その他いろいろの『サド侯爵夫人』を観たという中村雄二郎も、イングマール・ベルイマン舞台の方がはるかにすばらしかったと言っていたという。 なぜ夫人最後に夫・サドとの面会拒んだのかという「謎」について柴田勝二は、「ルネが〈貞節〉を尽く相手としてのサドは、あくまでも手の届かない距離の中に置かれ存在であり、たやすく手に触れうる身近な相手になった時、サドはすでに彼女の〈貞節〉の対象ではなくなっている」とし、サド風貌が〈醜く肥えて〉、凡庸な老人になってしまい、「超越性失った」ためだと考察している。そしてその終幕帰結には、『午後の曳航』の「龍二処刑」や、『絹と明察』の後半における「駒沢への叛乱」と同様の意味合い見られ、そこは、「日本という〈家〉の〈家長〉でありえなくなった戦後天皇への否認」という主題込められているとし、サド醜く肥満した帰還の姿には、龍二よりも「色濃い形」で、「戦後憲法下における天皇と、それが象徴する戦後日本照応」が映し出されていると柴田解説している。 また柴田は、ルネ哀れなヒロインジュスティーヌ』に自分なぞって、その世界を〈私たち住んでゐる世界は、サド侯爵の創つた世界〉と断定するところは、三島その後述べるようになる富裕な、抜目ない、或る経済大国〉 と照応し、〈悪の結晶〉は、物質的繁栄のみに励んできた「戦後日本」を指していると考察し太宰治の『斜陽』のかず子恋する上原変貌した姿と同様、そこには「〈神〉としての光輝失った戦後天皇」が「みすぼらしい肉体イメージ」によって表現されている共通性があるとし、太宰が〈天皇倫理儀表として之を支持せよ。恋ひしたふ対象なければ倫理は宙に迷ふおそれあり〉 と述べていたことに触れながら、かず子上原の子供を孕むのに比して三島の『サド侯爵夫人』のルネ結末の方は「サド侯爵」=「戦後天皇に対してはるかに厳しい」と解説している。

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作品評価・研究

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薔薇と海賊」の記事における「作品評価・研究」の解説

薔薇と海賊』は週刊読売新劇賞を受賞しているが、他の三島戯曲比べる相対的に論究自体少な作品である。 奥野健男は、「美と夢の創造者」が「美そのものなり得るか」というテーマが、場違いなところで「ひとりよがり」に出されていると辛口評価をし、山本健吉は、童話世界現実の世界の「大時代的な会話」が交錯するレトリック生み出す三島機智が、「夜空の花火のように」ひらめいていると讃辞している。 埴谷雄高は、「さながら原子核のごとき微小な現実一点とらえて凸レンズ彼方にこれ程拡大して見せた鮮やかな新しさ敢えて祝したい」と述べている。日下令光は、「目覚めた人間幕切れセリフ三島ドラマのすごみをきかせてたのしい」と評し、(川)の著名ある日本経新聞評は、「肉体性を奪われることでしか純潔な愛は成り立たないかと問うような作者主題ドキッとさせるような鋭さ浮かび上がってくる」と論評している。

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器楽的幻覚」の記事における「作品評価・研究」の解説

器楽的幻覚』は、『愛撫』『闇の絵巻』『交尾』に移行する以前の、〈絶望への情熱〉を主題としている『蒼穹』や『冬の蠅』と同種の心理的状況下で書かれ作品であるが、主要な代表作比べる作品論少な傾向にある。しかしながら魅惑的な短編として評価されている。また、梶井文学では視る」ことで、対象との一体化自己喪失の状態を示しているが、それが唐突に破られて我に返ってしまう孤独瞬間があり、『器楽的幻覚』も、『路上』『筧の話』などと同様にそれを描いている作品である。 小林秀雄は、「『筧の話』や『器楽的幻覚』は、極めて精緻な抽象的解析を語つて、色彩音響そのもの実質感に充ちてゐる」と高評している。今日出海は、基次郎の「微妙なそして鋭敏な知覚作用の底に、いたましい魂の歌声聴く」として、「『器楽的幻覚』は苦しい『交尾』への旋律へと昇つて行つた」と位置づけている。 高橋英夫は、清岡卓行随想『手の変幻』で語られる芸術観鑑みて芸術表現は、「発する存在受け取存在の間に張り渡された糸みたいなもの」だとし、音楽場合、「発信者」(作曲家)と聴者の間に「媒介者」(演奏家)がいることが「本質的な緊張関係」を形成していると説明しつつ、しかしながら聴者が「発信者」(作曲家)と「媒介者」(演奏家)の2者と相対しながら、「緊張の糸」を保つことも可能とし、その時聴者起る幻覚幻惑は、聴者が「緊張の糸」を通じて2者を吸収してしまった必然の結果だとして、それは「最大幻想としての聞き手聴衆)の成立」だと解説している。 そして高橋は、そうした幻覚描いている『器楽的幻覚』で、基次郎が異常知覚した遊離感覚を、「奏者意志からも、音楽作曲者意志)からも何かが遊離していった」ものとし、その「孤独感」を「聞くことの極限だ」と評しその音楽体験が、近現代音楽新しさ対すインパクトからではなく、基次郎音楽体験変容本質性を言葉として描いたことの重要さ新しさ指摘している。 曲目ドビュッシーラヴェルオネゲルミヨーだったから新しかったのではなかった。音楽受け止め聞く人間の側に、異常や逸脱が行きつく最後の場所まで行く過程発生したこと、それが作品言葉となって定着したこと、それが新しい。新しいというよりも、それが本質的なことだった。 — 高橋英夫母なるもの――近代文学音楽の場所」 山田桃子は、『器楽的幻覚』における近現代フランス音楽音楽体験が、その当時ラジオ放送開始映画交通網発展などの「メディア・テクノロジーの浸透知覚変容過程」でもあった急速な東京都市化関東大震災契機とした大規模改造)と関連させ、「知覚変容という同時代問題系を共有する聴取像」として分析し、この作品音楽領域だけではない「同時代問題系へと接続している」と考察している。 山田先ず、基次郎が「義太夫の会」の体感を〈器楽幻想〉と称していたにもかかわらず、〈幻想〉というロマン主義的な言葉避けて幻覚〉に変えていることに着目し、その語彙変化を「音楽体験における、音楽知覚する身体という領域前景化と明白に関わっている」とし、これと異なベートーヴェンピアノソナタ熱情アパショナータ)』の音楽体験との対照対立関係意図して体験語られていると考察している。 そして、フランス近現代音楽の「非連続性」と対応する新たな主体性の再領域」が示唆されている音楽体験では、「主体性解体擬似的全体性仮構とともに新たな再編成へと向かう変容の場を未だ可視化している」と山田論考し、内田百閒の『旅順入城式』(1925年)との共通性鑑みつつ、共に1920年代後半時代変化の「問題系を浮上させ照射」している作品だとし、さらに基次郎の『橡の花』の「知覚変容」も同時に鑑みている。 乗車中の電車響き都市喧噪音楽に聴こえ、それが止まらなくなると記述する橡の花」(一九二五年)など、梶井作品にはメディア・テクノロジーの浸透伴った社会編成の変化における知覚変容――加速する消費生産循環対応し組み入れられ新たな主体性――の問題系への関与見られるが、「器楽的幻覚」はその問題系に、フランス近現代音楽というそれ自体音楽史における瓦解刻まれ非連続的音楽によって生じた聴取経験内側からの解体記述することによって接続している。 — 山田桃子梶井基次郎器楽的幻覚』:知覚変容音楽一九二〇年代諸相から」 柏倉康夫は、演奏会休憩時間誰かが吹いた口笛嫌悪覚え挿話入れていることを、「劇作家としての手腕」として、それが次の展開への巧い導入になっている評している。また、聴衆から孤立していく自分感覚説明する場面で子供の頃誰もがやった覚えのある両耳塞いだ開けたりして、周囲喧噪や親からの説教音を聞いてみる悪戯比喩に使う巧さを指摘しつつ、その状況の意味を、「子ども心には判然としなくても、人間無意味さその本来的な孤独に触れている」とし、「人間存在のこの不条理性」を基次郎が『器楽的幻覚』で描こうとしていると解説している。 視覚聴覚のちょっとした齟齬から発した幻覚は、ついには人間の「涯もない孤独」を開示するにいたる。日常的な意識では絶対に捉えらない真実の相を、幻覚的意識垣間見せてくれたのである。実はここにはファシズム群集心理通じ魔力ひそんでいるのだが、「私」そこまで気づかないただ一度このメカニズムに気づいた「私」には、現実秩序はまったちがって見える。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」 柏倉は、最後に〈私〉出口に向かう時、眼前侯爵背広の〈威厳充ちた姿〉が〈仆れて〉しまうのは、日常では権威象徴である人物も、「非日常的な眼を獲得した〈私〉」にとっては、その威厳の意味失われてしまうことだと解説し、「表面下の本来の孤独暴かれ突端」に〈たちまち萎縮してあへなくその場に仆れて〉しまうという鮮烈なイメージに、〈服地の匂ひ〉という嗅覚で、「人間本来の孤独」を感得していることが基次郎らしいとしている。そして、「一度真実知った〈私〉」が意志とは無関係に同様の犯行何人もの心に加へ〉て、「多勢の人をその場打ち倒してしまう」様相帯びたクライマックス説明し、そこには、2度目の冬も湯ヶ島迎えざるを得なかった基次郎孤独感反映されているとしている。

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喜びの琴」の記事における「作品評価・研究」の解説

喜びの琴』の評価賛否両論分かれ否定的なものとしては、三島戯曲の中で「芸術的な鮮度の高い作品ではない」と尾崎宏次評し野村喬は、「主題題材との間」に調和欠いていると述べている。肯定的なものとしては、奥野健男が、「反共どころか革命讃美劇のように見える」とし、その反俗性を評価している。 磯田光一は、三島の『林房雄論』で語られた「〈純潔誇示する者の徹底的な否定青空とによる地上否定〉の情念こそ、かつてのマルクス主義運動支え、また戦時下ナショナリズムをも支えていた日本的な心情」という要旨が、『喜びの琴』にも通底し、その主題は、「人間生きるために如何に〈生を意味づける超越原理〉を必要とするかという認識」でもあり、「戦後進歩主義盲点は、このような戦争二重構造に対して全く盲目だった」と断じている。 そして磯田は、戦後進歩主義者ヒューマニストらが、戦時下青年たちを単に「だまされた」という語で還元してしまうことの浅薄さを指摘しながら、「人間本質的にファシズム渇望し、〈美しい死〉にあこがれという事実を、なぜ直視しようとしないのか」と述べ本質的原初的な〈日本人のこころ〉という意味では、保田与重郎心情小林多喜二心情同じだ論じている。また、片桐の「〈信頼〉の悲劇」は現代社会悲劇であるが、彼はドン・キホーテにすぎないとし、その素朴な信仰者片桐が、松村という凶悪なニヒリスト糾弾され、〈清純さの罪、若さの罪、この世きれいな心が負はなければならん罪〉を告発される場面は、「現代包蔵している背理すさまじ迫力をもってえぐり出している」と解説している。 松本鶴雄は、二転三転するどんでん返しが「実に巧妙」で、「松村片桐対立凄絶心理劇定石通り緊迫して進行する」と高評価しながら、「本当の美は悪魔的状況中に、あるいは人間不信絶望背徳の中から花開くという、三島文学一貫したテーマがここにもいかんなく描かれている」と解説している。 村松剛は、三島次の戯曲『恋の帆影』の解説の中で、ヒロインが嵐の一夜の後に、〈実存的な目ざめ〉をし、〈それまで彼女を縛めてゐた「純潔」の観念が、実は真の実存からの逃避であつたこと、生の「本来的な憂慮ゾルゲ)の様相」の拒否であつたことを、つひに彼女は知るにいたる。(この点では、「恋の帆影」の女主人公純潔は、「喜びの琴」の主人公純潔と、まるでちがつたもののやうに見えながら、実は相照応してゐる)〉と述べていることを鑑みて、『喜びの琴』の琴の音には、ヘルダーリンの詩『帰郷』に現れる故郷へ回帰もたらす喜びの「絃の弾奏」の影響をあるのではないか推察している。 大久保典夫は、敗戦後2年目書かれ太宰治短編トカトントン』と、安保騒動3年後書かれた『喜びの琴』が共に、「きわめてアクチュアル作品」であり、「トカトントン」という金槌の音と同じく、「コロリンシャン」という琴の音も、「いっさい信頼情熱そのもの空無化する作用」を果たしているとし、太宰の『トカトントン』が、「ミリタリズム幻影剥落した敗戦直後」と対応しているのと同様に三島の『喜びの琴』は、「戦後革命幻想崩壊した60年安保後の現実」を捉えていると考察している。

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百万円煎餅」の記事における「作品評価・研究」の解説

百万円煎餅』は、三島自身自作解説からも見られるように、〈知的操作のみにたよるコント型式〉が骨格となっており、佐渡谷重信も「ノンセンス世界支えられ一つコントみられる」と解説しているが、この物語の結末オチには、単に小説形式だけでは説明できない問題孕み引き破ることのできない〈湿つた煎餅〉が何を象徴しているかの不可解性も指摘されている。 中元さおりは、「新世界」という舞台が「俗悪なキッチュさ」を帯びながらも、欲望かき立てる玩具見世物が並ぶ「大衆理想的な生活」を模倣したコピー的な空間」だとし、その「人工的な模倣空間」で戯れる健造と清子夫婦コピー化され世界手に入れようとする消費者)の求め理想の夢は、大衆消費社会におけるメディア流布する〈生活の夢〉を模したコピー化された夢」だと考察している。 そして健造と清子がその夢を手に入れるために、自らの性を商品化夫婦の性の形態コピー)し、ショー商品としてのコピー化した性を何度も反復しているが、そこでは、健造が信念としていた〈夫婦の睦み合ひ〉の基本の〈自然を崇拝すべき〉という本来の意味はなく、オリジナルの〈宗教的信条〉が消滅しているために、2人容易に自らを商品化できていると、中元ボードリヤール的な視点解説している。 (健造らが)階級闘争目を向けるではなく、自らもコピーとして消費されるとともにコピー氾濫によって成立する大衆消費的生活を欲望していくという消費活動の方へ目を向けていることは、もはやマルクス主義的な二項対立無効となり、大衆消費社会化へと大きく変貌していく日本の戦後社会転回点の様相捉えたものとして指摘できようコピー戯れていた自分たちが、コピーとして商品化記号化)され消費されていく健造と清子存在は、コピー戯れ消費する人間主体性そのもの揺らぎ物語っているのではないだろうか。 — 中元さおり「三島由紀夫百万円煎餅』論 : コピー化していく世界田中美代子は、浅草底辺生き百万円煎餅の粉を口に付けながら「新世界」見世物小屋廻っているアウトローの健造と清子夫婦の「無邪気天真爛漫、さらに実直さ生真面目、単純、それらもろもろ小市民健全性」が、「そっくりそのまま裏返しされた小市民不健全の上成立しているというアイロニイ」を示しているとしている。 この物語の残酷は、二人無辜覆いかくしていたその暗黒ユーモアを、或る夜突然上品な婦人客のいやらしさによって目ざまされるところにあるだろう。(中略)こうしてアウト・サイダーたちは、社会の様々の角度から、その詩的真実開顕する。 — 田中美代子三島文学理想像完結橋本治は、他の三島短編』の孤独で優しい主人公パン屋若い衆〉と、『百万円煎餅』の主人公・健造との類似性や、「白黒ショー演じ健全な主人公」の健造と、『憂国』の主人公共通性を見ながら、『憂国』と『百万円煎餅』は、「ある行為演じ男女」という同じモチーフの「時代世話書き分け」だとして、この同モチーフを「時代狂言」として処理すれば憂国』であり、「世話物」と処理すると『百万円煎餅』になると考察している。 『百万円煎餅』に続いて執筆された『憂国』との関連については、相思相愛若い夫婦恋情描写類似性中元さおりや池内紀指摘しており、池内は、「二つ小説トランプのジョーカー表と裏のようにつくってある」として、「鬼才三島にのみできた高度な文学遊戯である」と高評している。

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屋上の狂人」の記事における「作品評価・研究」の解説

菊池寛作品随筆内からの文章引用は〈 〉にしています(論者評者論文からの引用部との区別のため)。 『屋上の狂人』は菊池寛戯曲代表する作品であるが、第四次新思潮発表当時には、同人久米正雄などが個人的に褒めていたくらいで、特に何の反響もない作品であった翌年に同誌に発表した父帰る』も弘田親愛感心していたという話を菊池久米から間接的に聞いたのみで、菊池戯曲自体がほとんど無視されていた。 菊池当時振り返って、「『屋上の狂人』は久米感心してくれたと云ふだけで、まだ原稿売れさうな曙光はおろか一縷の望みもなかつた」と述懐している。当時、『新思潮』の同人では芥川龍之介いち早く文壇認められ、その次に久米続いていたが、菊池はまった認められていなかった。そのため、その後菊池戯曲よりも小説執筆重点を置くようになったが、それを勧めたともされる友人江口渙は、当時文壇には戯曲をあまり尊重しない傾向があったと語っている。 それは彼が小説よりもより多く戯曲かいていたせいでもあり、その頃文壇では戯曲をあまり尊重しない傾向がつよいためでもあった。だから『父帰る』や『屋上の狂人のような名作を誰ひとり問題にする人がいなかった。そして、菊池寛少なからず不遇であった。 — 江口渙その頃菊池寛 二 『忠直卿行状記』その他」 しかし、菊池小説家として文壇内で確かな地位築いた後の1921年大正10年2月に『屋上の狂人』が舞台劇として14代目 守田勘彌2代目 市川猿之助らにより25日間の興行で初上演されると、高評価博し一躍人気演目となっていった。歌舞伎でもなく新派でもない新し現代劇長期興行対象となるのは当時珍しいことであった田中良による屋根などの舞台セット当時としてはリアルで、三宅周太郎から好意的に劇評され、新鮮な感動観客たちに与えたことが伝えられている。 江口渙は『新思潮誌面読んだ時には父帰る』よりも優れている思った屋上の狂人』の初演舞台に関しては、俳優演技のまずさもあり、あまり感動しなかったとして、非常に感激した父帰る』の初上演上回るものではなかったとしている。 巫女になった村田嘉久子ふん装が、へんにこぎれいすぎて、まるで奈良春日神社のみこみたいで、原作あるよう田舎っぽい野性的な素朴なすごみを出せなかったのは失敗だった。その上守田勘弥屋根の上狂人も、原作あるよう人間社会から一歩天上の世界逸脱したようなあの狂人のもつ独特な人間性美しさがなく、むしろ、何か痴ほう症みたいな感じがつよかった。 — 江口渙その頃菊池寛 三 『父帰る』の初上演菊池自身は初上演前から、『屋上の狂人』を〈自分として得意な作〉だとしており、自分戯曲の中で〈厭でないもの〉としても、まず『屋上の狂人』を筆頭にあげ、続いて茅の屋根』『時の氏神』『恩讐の彼方に』『義民甚兵衛』『父帰る』を挙げている。 「屋上の狂人」は、自分として得意な作である。「藤十郎の恋」や「敵討以上」で自分の「戯曲家として価値」を判断して呉れては困まる。が、「屋上の狂人」は、自分戯曲家として立つ時の第一礎石である。自分が、どんな戯曲を書かうと思つて居るかは、これを読んで呉れゝば解る思ふ。 — 菊池寛自作序跋」 森田草平は、『屋上の狂人』初上演から5年後批評した中で、この作品菊池が書くにあたって人生の幸福は幻影中にあらずして真実を見る所に在り」という真理気づいていなかったのは情けないと批判した菊池はこれに対して〈いくら先輩でも無礼である〉とし、その「真理」を持つ近代劇基調知った上でそうした現実過重〉の弊害反動としてイェイツシングなどの〈幻影復興現実忌避〉の戯曲出てきたことを指摘しながら反駁した。 こんな真理近代劇基調であり、殊にバアナアド・ショウの如き幻影破壊を以て第一信条にしてゐるではないか。さうした現実過重の弊に対して起つたものが、幻影復興現実忌避イエイツシングの徒ではないか。この二つ近代劇第一波第二波ではないか第二波乗じてゐるものに、第一波知らないだらうなどと、めちやくちやである。二階にゐるものは当然一階を通つてゐるのだ。 — 菊池寛劇壇時事」(大正15年5月) また自然主義作家田山花袋が、菊池その後戯曲恋愛病患者』(1924年8月)について、「作者父親方に重きを置いてゐるが、あゝでなしに若い時代方に共鳴した方が、ぐつと力を持つて来はしないか」と、父の立場ではなく若き恋愛者の立場から書いたらもっと力強い作品になっただろうと批評したことにも菊池触れて若き恋愛者の立場書かれ近代劇が多いことへの〈反動〉で書いたものが『恋愛病患者』なのだと反論し、『屋上の狂人』もシングの〈反動〉に習ったものだと述べている。 「人生の幸福は幻影中に在らずして真実を見るに在り」と、いかに、それについて多く近代劇作られたゞらうか。シングが「聖者の泉」をかき自分が(不倫をゆるせ)「屋上の狂人」を書くのはその反動だ。二階居ないからと云つて、一階にゐるのぢやないのだ。三階へ上つてゐるのだ。 — 菊池寛劇壇時事」(大正15年5月鈴木暁世は、森田草平田山花袋など、社会人間「真実」そのままあからさまに自然主義的に描くことを信条とした作家らの立場からは『屋上の狂人』は、それに逆行するものとして捉えられたと解説し森田田山対す菊池こうした反駁や、シング対す菊池の〈幻影復興〉への共鳴をみた上で日本近代劇に〈現実過重の弊〉を感じていた菊池が、それを超克するため〈幻影復興現実忌避〉のイェイツシングの劇を「理論的支柱とした」と考察している。 翻訳者グレンW. ショーにより菊池戯曲集『Tōrō's love and four other plays』が1925年大正14年)に出版されると、翌年3月のモーニング・ポスト紙に「A Dramatist of Japan」と題する菊池紹介する記事掲載され、「日本独自伝統継承」している菊池独自性好意的に評価されて「西洋はこれらの驚嘆すべき小戯曲から何かを学ぶべきであり、偉大な芸術意義と美とがそれらにつまっている」と報じられた。菊池その評価に対して自身戯曲シング影響受けていることを述べている。 矢野峰人1926年大正15年秋に初めイェイツ会った際に、イェイツが「今最も深い興味を以て眺めて居る戯曲家世界菊池ピランデルロ二人あるのみだ」と言い、特に『屋上の狂人』に感心した旨を告げられたことを述懐しながら、後日イェイツ夫妻主宰する小劇団で『屋上の狂人』の英訳劇が上演され成功収めたことを語っている。 イエイツが特に「屋上の狂人」に感心したのは、この作の中に真の叡智とか天啓とかは、現世的な理知煩わされざる霊に宿るという彼一流哲学発見したためであるかも知れない。ともかく、イエイツがこれを非常に高く評価していた事は、その翌年私がダブリン訪れた時、これが彼夫妻主宰する素人玄人協同小劇団によって上演され事実発見した事によっても知られよう。 — 矢野峰人菊池寛氏を憶うイェイツ矢野会った年の11月29日アビー座でダブリン・ドラマ・リーグ公演として『屋上の狂人』を上演した。ダブリン・ドラマ・リーグは街の商業劇場取り上げないような「同時代すぐれた外国劇作家作品アイルランド人々紹介することを目的」としたもので、菊池日本的な劇作家としてイェイツ高評価されたことを意味するものであったテネシー・ウィリアムズ菊池の『屋上の狂人』を非常に気に入っていた外国戯曲家1人で、1959年昭和34年9月来日し三島由紀夫対談した折に、『屋上の狂人』を自分演出しアメリカで上演したい旨を伝えている。ウィリアムズ菊池の『屋上の狂人』と、三島の『近代能楽集』の中のどれか1曲を三島自作演出したものとを同時に併演すれば面白いのではないかと話をもちかけ三島菊池戯曲の「シンプリファイされているところ」が好きだ応じている。 三島菊池寛芝居は、非常にシンプリファイされているところが好きですたしかにテネシーの好きそうな芝居ですね。あの狂人感受性の純粋性と、それを守ろうとする弟の純情とは、あなたの芝居モチーフとしても決しおかしくないウィリアムズ:「屋上の狂人」は読んだばかりなのだけれども、大へん気に入った読みながらぜひアメリカで上演したいと思った。 — テネシー・ウィリアムズ三島由紀夫対談劇作家のみたニッポンドナルド・キーンは、菊池の『父帰る』と『屋上の狂人』では、初演の成功イプセンの『ヨーン・ガブリエル・ボルクマン』に匹敵するほどの感動日本観客たちに与えた父帰る』の方が日本近代劇として一般的には人気が非常に高いが、作品テーマ芸術性では『屋上の狂人』の方が優れている評価しながら、「夕日美しさ堪能できる狂人は、正気の男よりも幸せである」としている。 早川正信は、シング同様に菊池傾倒した作家グレゴリー喜劇『ヒヤシンス・ハルヴエィ』(Hyacinth Halvey)の後日譚作品満月』(The Full Moon)の中で描かれている「狂人」と、菊池いくつかの作品の中で描かれている「狂人」の主題との関連性について、菊池が〈愛蘭土劇場教母〉と賞揚したグレゴリーへの「深い理解愛情」を検証しながら、『満月』に見られる狂気」と「正気」といった世俗的価値観逆転させる位置逆転」「立場逆転の手法が、菊池戯曲創作もたらした影響論じている。 早川は、まず『屋上の狂人』より前に執筆された菊池の『恐ろしい父、恐ろしい娘』(1914年9月)や『狂ふ人々』(1915年2月)での「狂人」の主題見た上で、その「狂人」をめぐる主題より一層まとまった形で仕上がっている『屋上の狂人』における、グレゴリー作品から菊池感得した「位置逆転」(人生人間をみる視点逆転)を解説し結末部での「狂人」の美し幻想や「『狂人』という幻覚生きることへの幸せ」の両者の共通主題看取している。そしてそのグレゴリーから受けた逆転視点発想は、その後書かれる菊池小説(『身投救助業』『病人と健康者』など)にも、多少変形されながらも生き続けていると論考している。 井上ひさしは、菊池前半生除籍退学など様々なハプニングがあったものの、その際に必ずと言っていいほど「ところが」の幸運助け船出現によって運命好転していったことに触れながら、「そのうちなんとかなるだろう」という処世訓菊池読者共有していたと解説し菊池テーマ主義的作品共通する結末明るさ」を指摘している。 そして井上は、菊池自身の作品を読む人たちが「ごく普通の生活者」であることを知っていたとして、そうした大正近代の「教育受けた大衆」が、文学青年悩みひけらかしのような自然主義私小説好まずどんなに悲しい話でもおもしろく語られ結末に「一条の光明」がさしている菊池作品好んだ背景語り当時時代から『父帰る』や『屋上の狂人』などの戯曲方言讃岐弁使用していたことに感心している。 菊池寛芝居は、どんなに悲しい話でも、最後人間信じられるところがあるんじゃないですか。『屋上の狂人のような悲惨なでも、弟がきっと一生お兄さんの面倒をみながら何とか頑張って行くに違いないという救いがある。『父帰るでも、父親引き取ることに徹底して反対していた長男が、最後にお父さん探して来い」と叫ぶ。そういうのが好きなんです。「人間というのは信用出来ないよ」と言いながら、最後は、それでも信用しようと決断する。これが菊池寛基本的なドラマツルギーです。別に言うと、これは、観客を不幸のまま帰さないというドラマツルギーで、これに僕は賛成なんです。 — 井上ひさし菊池寛今日的意味(解説にかえて)」 小久保武は、『屋上の狂人』や『父帰る』などの菊池戯曲当時大人気となった理由について、それらが従来歌舞伎劇新派劇からは得られなかった「現代的なリアリズム」や、新劇欠けていた「大衆性」を「簡潔な構成平明なテーマ通じて観客提供したから」だと考察しそうした人生問題触れた主題を持つ菊池の『屋上の狂人』や『父帰る』は「大正後期において新鮮に感じられたのと同様に現代においてもなおその新鮮さ失わずにいる」と評価している。 『屋上の狂人』や『父帰る』は、菊池戯曲代表する作品となり、中学高校演劇部などの素人舞台などでもよく演じられていた戯曲であるが、昭和時代にも文士劇定番演目にもなり、三島由紀夫石原慎太郎らも舞台で演じていた。

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命売ります」の記事における「作品評価・研究」の解説

命売ります』の発表当時は、「通俗小説」と見なされたため文壇から注目されなかった。三島死後も、サービス精神満載軽快タッチ娯楽小説で「作者にとっては、楽々と書き流したものであろう」といった松尾瞭に代表される主旨評価傾向であった。しかし、そういった一般的な評価以外に、その通俗的な作品込められていた三島内心吐露着目する評価いくつか現われた。 奥野健男は、『命売ります』の主人公羽仁男を「作者三島由紀夫秘められた本心覚悟が、劇画的ではあるが、仮託された人物」だと捉え栗栖真人も、三島本来のモチーフ(死へ傾斜する心)が描かれている作品だと解説している。 種村季弘は、『命売ります』のように、純文学作品ではなく、そこに誰も「魂の告白期待していない」エンタメ作品にこそ、三島の「本音」が漏らされていたのではないか推測し作中後半で、命を狙われの裏町や飯能逃げ惑う羽仁男を襲う「荒涼たる孤独感」や「寄る辺のない不安」と、その果て行きつく一度捨てたはずの「生」への執着、「凡庸な生に対する餓渇に近いあこがれ感情」には、作中羽仁男の心境というよりも、「小説家三島由紀夫その人生身の魂の告白が、あからさまに吐露されている」ようにみえる考察している。 島田雅彦は、言動思想など各方面で「多面的」だった三島本業小説において果たした役割も「実に多彩なもの」だったとし、「変態オンパレード」とも言える「癖のある人間揃い作家という職業は、その予測不可能言動の「意外性」から「芸人仲間のようなイメージもあるが、三島場合はさらに複雑で「一筋縄」では行かず、その「多種多様性」では筆頭存在であったとしている。 そして島田は、「“純文学”と“大衆文学”の両方律儀対応した極めて稀有作家」である三島多彩さの一側面であった大衆文学の『命売ります』が大好きだとして、「命を安く投げ出そう決めたごく普通の若者が、いかにアナーキーになれるか、そういう主人公利用しようとする人間がどんな悪知恵を絞るか」という、そのストーリー面白さ説明しながら、『命売ります』がなければ自作自由死刑』が生まれなかったことを告白し、「三島由紀夫氏に感謝の念捧げたい」と述べている。

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絹と明察」の記事における「作品評価・研究」の解説

発表時の高評価比べ、『絹と明察』への本格的な論究少ないが、副人物の岡野作者三島との関係性や、三島他作品比較類推する研究実際の事件近江絹糸争議」をモデルにした小説という観点からの考察、「日本」という問題から捉える論などが見られる野口武彦は、岡野存在を、「作者のイロニカルな情念共有するもっとも親密分身」として捉え三島岡野通じてヘルダーリン的な〈故郷〉は地上のどこにもない」という「まぎれもない空白感告白」や「イロニイ的漂遊の疲れ訴え」をしているとし、その「疲れた魂」が想う故郷へ帰りゆくこと〉〈帰郷〉は、三島が『林房雄論』で示した〈もつとも古くもつとも暗く、かつ無意識的革新的であるところの、本質的原初的な“日本人のこころ”〉 に酷似し三島が自らの〈根源への近接〉の結果、〈日本人史的本質到来〉にまで行きついたと解説している。 杉本和弘は、『絹と明察』の全体を、駒沢物語観察者岡野との重層構造捉えて駒沢日本主義時代遅れとなり敗北してゆく中、岡野軽侮していた駒沢的な「日本」を最後に感受してしまうという、その交差する様に根源的な日本」を浮かび上がらせている小説だと解説している。また杉本は、三島駒沢は〈天皇〉を象徴させていると語っていたという複数証言がある点から(村松剛奥野健男など)、三島天皇観との関係からの考察必要だとしている。 佐渡谷重信は、シニカルな岡野の「政治的ロマン主義」に惹かれる三島心情読み取ることが肝心だとし、〈明察〉を代表する人物である岡野より、「東洋的諦念と無を至上の幸福」として死んだ駒沢の方が「人生における勝利者」であり、「おのずから読者共感駒沢向けられるとき〈明察〉は駒沢の純粋性の中に輝いている。こうした二重構造の〈明察〉を描きえたことによってこの作品傑作一つ加えることができる」と解説している。 田中美代子は、『絹と明察』は、その後流行する「“企業小説”のはしり」の趣があるしながら経済戦争で「西欧諸国ヒステリックな敵意むき出しにする」駒沢流の日本型経営が〈勝つ〉理由を、「それは、北斎広重がその核心つかんでたように苛酷な〈自然の理法〉を会得し、これを具現していたからであろうそれこそ彼我自然観相違ひいては文明相違であろう」と説明し、その考え方は、作者三島が「当時理想だった近代個人主義破産」をすでに見透かして予言していたと論考している。 松本徹は、三島が『林房雄論』『午後の曳航』『剣』などに見られる虚無抗して、〈思想〉でなく〈心情〉を追求する姿勢」が『絹と明察』にも通底しているとし、ハイデッカー思想傾倒しヘルダーリンの詩を愛唱する岡野人物像」に着目して『鏡子の家』商社マン出世階段駆け登った「杉本清一郎」と「岡野」が似通っていると分析している。ただし岡野は一旦挫折味わい、「裏社会回った清一郎」だと松本説明し、そこから復活を果たすまでの岡野の「虚無主義踏まえて行動は、怜悧ありながらひどく屈折し、悪の色」を帯びると解説している。 奥野健男三島から、駒沢天皇象徴的に書いたものだと直接聞いたとし、「青春ほとばしりのように社長信じ、あるいはだまされたと怒る若い女性労働者組合員たちは、戦時中の若い日本国民違いない」と考察している。 竹松良明は、この奥野見解に『絹と明察』を読み取る上で極めて重要な示唆」が含まれているとし、「三島はこの作品巧みに過去時間充填させ、それによって発現する物語特異な窯変狙った考えてよい」と述べ、「駒沢昭和天皇その人という以上に天皇奉じて生き死にした戦時下国民感情総和表象する存在として描かれている」と考察している。そして竹松は、「駒沢死による岡野喪失感が、取りも直さず行き暮れた精神最後に回帰べき根源的な〈故郷〉への逢着意味すること」に、「天皇制関わる国民感情文学的形象化という一つ大胆な試み結語がある」とし、逆に岡野近似していたはずの菊乃が、駒沢女になり〈幸福〉を得て使い古したみたいな誠実だけ〉を露わにし、いぎたない鼾をかき、最後に駒沢から嫌われることについては以下のように論考している。 菊乃転落遠因は、その生半可な文学好きに求めることが可能であり、それは作家自覚頽落意味している。ついに駒沢の女となることで、永年習い性となっていた身じまい確かさ忘れて色褪せていく菊乃の姿からは、天皇制関わる戦時下国民感情への無節操な馴れ合い、ほとんど淫らな感のあるその野合様相想起されるはずである。このようにして岡野菊乃との対照形における各々明暗とその振幅のうちに、いかにも三島作品らしい迷彩の中から一つ確固たる紋様浮かび上がってくる。 — 竹松良明「『絹と明察』論―天皇制にかかわる形象化をめぐって柴田勝二は、『絹と明察同様に『鏡子の家』美しい星』『午後の曳航』がいずれも、「一家ないしそれに見立てられ共同体の長たろうとし、しかもそれに失敗する人物」が描かれ、これらが皆、三島自身父親になった以降作品だという背景はあるが、実のところ血縁関係息子父親物語はなく、三島意図には、〈男性的権威の一番支配的なもの〉という意味での〈父親〉の滅びの姿を書くことにあった説明しながら、いずれも「天皇」寓意的描いている作品だと解説している。 そして、『午後の曳航』の龍二は〈海〉に象徴されるロマン世界」を捨て世俗現実世界一角に「登録」されたゆえに、ロマン世界執着する少年たちにより殺され龍二変容は「〈神〉から〈人間〉に移行した戦後天皇」と照応すると柴田指摘し、『絹と明察』の駒沢は、資本主義論理社員支配しているにもかかわらず、〈父親的〉に振る舞うという「欺瞞」を岡野によって暴かれ、その軌跡込められている寓意には、「超越性帯びた家長存在しえない状況」が描かれ駒沢も「戦後天皇への相対化」だと考察しつつ、これ以降作品では、「超越性帯びた存在現実世界彼岸にしか生きえないこと」が、三島の中でより明確化されていくこととなり、「そこから三島独自の理念のなかで超越的な彼岸性を帯びた天皇の像が構築されていく」と柴田論考している。

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鏡子の家」の記事における「作品評価・研究」の解説

『鏡子の家』発表当時同時代評では評価低調であったが、その評価如何を問わず様々な観点からの論究見られ三島由紀夫という作家生涯全体パースペクティブ可能になった現在において、重要な意味を持つ作品である。三島存命時においても、野口武彦は、三島戦後民主主義社会敵意公然と表明することになる時期直前作品として『鏡子の家』位置づけ江藤淳も、『鏡子の家』長編小説として失敗作だとしながらも、成功作の『宴のあと』より、「はるかに豊かな問題含んでいる」とし、後世文学史家は、『宴のあと』では「プライバシー裁判」の件で数行をさくだろうが、『鏡子の家』は「数十行さかねばならぬ作品で、三島評伝作家は、「この大作無視して氏を論ずることは不可能」だと予言していた。 その江藤淳は、『鏡子の家』には、三島少年時代書いた詩『凶ごと』の「〈椿事〉の期待生きる」という「主調音」が強く、「個人的世代的」でありすぎ、三島に「華麗な仮面劇」を期待した読者にとっては、三島が「自己語ろうとしすぎた」とし、あまり支持得られなかった理由は、石原慎太郎出現以来同世代の者たちがすでに、「〈椿事〉の期待生きるというストイシズム捨てて、〈椿事〉の主体になろうとする渇望抑えかねていたからだ」と評しながら、以下のように解説している。 (三島)氏が描こうとした時代とは、もののかたちもなければ色彩もないひとつの巨大な空白」の時代あたかも「鏡」に映じた碧い夏空のような時代ではなかったか。このような時代壁画は、「鏡」以外のものではありえない。そこには「空白以外のものがあってはならないのであるこのように考えれば、「鏡子の家」はいかにも燦然たる成功ではないかすくなくとも三島自身と、氏と趣味同じくする少数人間――あの「椿事」の期待生きる窓辺立った人間たちにとっては。 —  江藤淳三島由紀夫の家」 『鏡子の家』は、作者三島自らが気に入っている作品であり、三島世代等しくする評者にも好まれていた傾向がある。澁澤龍彦三島死後も、出口裕弘異口同音にこの作品好きだとし、「共感感じる人、われわれの世代だったらいっぱいいる」と述べ徳岡孝夫も、「『鏡子の家』が、実は、私は大好きである」と述べている。しかしそういった共感の評とは裏腹に同時代評にもあるように、人物同士間のドラマがないという批評が主であり、エドワード・G・サイデンステッカーも、人物たちが「空虚な群像終わっている」とし、「空虚さ小説自体はみ出している。つまり作者小説の関係、小説内容対す作者把握にまで及んでいる」、「作中人物たちのシニシズム暴力は、青っぽく空虚なもの」に見えると評している。 なお、人物間の絡み合いがないといった類の批評に関しては、三島は「創作ノート」で、人物間の絡み合う場面いくつも構想しており、それらはあえて全て廃案されているため、井上隆史は、「人物複雑に絡み合うことのない展開は、相応考え抜かれ構成なのであって、この点を考慮することなしには、『鏡子の家』対す充分に行き届いた理解も、意味のある批判不可能」に思えるとし、当時高度経済成長下の読み手には、三島がそこで描いたニヒリズム問題」や「戦後社会対す呪詛」も切実なテーマとして届かなかったため、「三島『鏡子の家』広く読者に問おうとしたニヒリズム戦後社会対す違和感を、たった一人担ってゆかなければならなくなった」と解説している。 佐藤秀明も、「四人人間干渉し合わないというのも、今の目から見れば現代的な人間関係あり方早くも捉えていたと言える」とし、同時代評に散見されるような、「四人人物圧迫するような他者がいない」という指摘は、「作品表層撫でただけ」のように思うとし、当時評者たちが述べたそうした一様な批判は、登場人物の〈危機〉に物足りなさ感じたことの別の表現ではないか考察しながら、4人の青年たちの〈危機〉には一般とは異なる「甘美なもの」、「自ら待ち望んでいた危機のように見えてしまう性質」(『凶ごと』と同様のもの)の「ニヒリズム」があるため、それを評者たちが「作者が力を尽くして取り組むべき危機」とは認めず理解しなかったのではないか解説している。また佐藤は、三島が「批判的な他者」を設定しなかったのは、〈鏡子の家〉が「もっと曖昧なもの」(〈壁〉と表現される時代〉)によって崩壊しなければならず、それが彼らの〈方法〉を蝕むというテーマであり、三島が「(主人公たちを)取り込む復活した生真面目日常予見していたから」だとし、それがまさに三島意図した「〈時代〉を描くということ」だと考察している。 三島と同じ戦中世代橋川文三は、同世代観点から作品解説し、『鏡子の家』描かれている主人公たちは、「ある秘められた存在秩序属す倒錯的な疎外者の結社」を構成し、彼らの「いつき祭るもの」は「〈廃墟〉のイメージ」であり、それは三島が〈兇暴な抒情的一時期〉と呼んだ季節のことだと説明し、その〈廃墟〉の季節は、日本人にとり「稀有時間」で、「不思議に歴史的で、永遠的な要素がそこにはあった」と振り返っている。そしてその記憶は、現在の高層建築も車も、「一片瓦礫変えてしまう」ような「呪詛的」な意味を帯び、それを感受した者にとっては、〈廃墟〉の消失した戦後終焉」と、それに伴う「正常な社会過程復帰」の方が、「不可解異様」にも見え三島がどこかの座談会で、〈廃墟〉の不在化した平和の時期には、「どこか〈異常〉でうろんなところがある」と語った感覚に、「痛切な共感をさそう」としながら、「〈鏡子の家〉の繁栄没落過程」は、まさにその「戦後終えん過程」と重なり、「その終えんのための鎮魂歌の意味含んでいる解説している。 奥野健男三島同世代だが、作品の構成文体などの点からも『鏡子の家』を、『仮面の告白以来の「三島最高傑作」だと絶賛し登場人物心理が「明晰な文章」で裁断される古典的心理小説」のその手法は、それまで日本作家誰も成し得なかったものだとし、成功描かれる第一部と、挫折破滅描かれる第二部の「シンメトリック」な構成も「精巧な設計図」のようで、「戦中戦後の混乱期に心をつくり、見る目をひらいた世代が、このにせもの現代中にどのように生きて行きどのように破滅し解体し繰り込まれて行くかをシニカルな態度で描く」というモチーフの「芸術的完成度」が、大江健三郎の『われらの時代』や石原慎太郎の『亀裂』よりも格段に上だと評している。また奥野は、三島『鏡子の家』証明しようとしていたのは、自身得た今日成功と幸福」「類い稀な栄光」が実は、「敗戦による廃墟の中の絶望的なニヒリズムから生まれたアナルヒーの心情による幻影であること」だったとし、「敗戦真夏青空」に原体験、「稀有原風景」を感じていた奥野らの世代にとり『鏡子の家』は身近過ぎ、その挫折物語は、「まるでぼくたち世代戦後体験完璧な造型として感動せずにはいられなかった」と述べている。 松本徹『鏡子の家』文体について、「三島今迄文章をはっきり越えた見事な成熟をみせている」とし、「いささかも乱れぬ呼吸と、ひたひたと素足でゆく確かな歩み感じられて、目立った華麗さ奇警さといったものはほとんど見られなくなったかわりに、その揺るぎないリズムが読む者の心を強く捉えてくる」と評しつつ、その成熟した文体逆に外界への通路閉ざしている要素にもなっているとしている。また、その筆運びの「練達」さは「間違いなく大家のもの」だが、その主人公たちの姿勢心理描き方は、「すべてを知的に了解できるものと捉え不可知なものの存在退け傾き帯び現実強調しながら、現実性希薄にする」と松本考察している。 西本匡克は、三島論的な興味から三島小説判定されるのでなく、作品文章構成完成度から評価されるべきだとし、『鏡子の家』その意味で、三島の「知的構成人工美が傑出したこれまでの作品群での集大成といって過言ではない」とし、「不安や孤独無秩序ストイシズム等が中心概念として内在し作者哲学が、抑えられ文体でもって劇的に知的に構成され傑作」だと評して最後大作豊饒の海』への「大きなステップ」の作品だと解説している。 伊藤勝彦は、後半描かれている夏雄水仙対峙する情景が、『金閣寺』の中の「夏菊蜜蜂」の関係を「主人公夢みた」場面と相呼応しているとし、その水仙対峙できた「幸福感」の境地が、当時の「三島ところに贈られてきたのだろう」と考察しながら、9章10章の「すがすがしさ」が感じられる「素静かな文体」が、「ぼくの心を落ちつかせてくれる」と評している。そしてこういった「自然な文章美しさ」が醸し出されている『鏡子の家』失敗作断定されたことに疑問呈しつつ、この時の三島が、戦後日常を〈生きよう〉としていたと考察し三島大島渚との対談で、〈(川の中に)僕が赤ん坊捨てようとしてるのに誰もふり向きもしなかった〉 と以下のように言った点に触れながら、この〈赤ん坊〉とは三島自身のことだったと解説している。 「鏡子の家」でね、僕そんなこというと恥だけど、あれで皆に非常に解ってほしかったですよ。それで、自分はいま川の中に赤ん坊捨てようとしていると、皆とめないのかというんでの上立ってるんですよ。誰もとめに来てくれなかった。それで絶望して川の中に赤ん坊投げこんでそれでもうおしまいですよ、僕はもう。あれはすんだことだ。まだ、逮捕されない。だから今度逮捕されるようにいろいろやってるんですよ。しかし、その時文壇冷たさってなかったんですよ。僕が赤ん坊捨てようとしてるのに誰もふり向きもしなかった。 — 三島由紀夫大島渚との対談)「ファシスト革命家か」 中元さおりは、なぜ三島冒頭場面を、〈勝鬨橋〉から〈晴海埋立地〉にし、鏡子の目が強く惹きつけられる空間に〈明治神宮外苑〉を置いているのかという歴史的観点から考察し、そこが戦前戦中日本支えた場所(勝鬨橋国家威光の〈帝都の門〉として皇紀2600年昭和15年)に建設され万博会場へのゲートとして位置づけられていた)だった変遷などを鑑みながら、鏡子たちが晴海訪れた時期、そこは未だ米軍占領地で、敗戦記憶生々しく残り、「敗戦期にその絶対者天皇)は退場余儀なくされ、アメリカ支配のもと不在中心抱えることとなった戦後の日本の姿が、この空間刻み込まれている」と解説している、そしてその場所がやがて、日本復興高度成長期到来シンボルである公団住宅晴海高層アパート)へと変貌してゆくことを予感する鏡子たちにとって、それは「戦後の混乱期」から「高度成長」へと大きく転換していく社会人々の「緩慢ありながら、どこか不敵な様相」の「静かにゆっくりと忍び寄る大きなうねり」であり、「〈いつまでたつても、アナルヒーを常態〉とした戦後混沌と無秩序に満ちた祝祭的な空間〉、〈廃墟〉の時代とどまり続けようとする峻吉や鏡子たちを脅かすものの影」だと中元解説している。 また、中元は、新たな時代昭和30年代)の到来は、「昭和20年代焼跡時代暴力的なまでの圧力葬送するとともに、これらの空間刻みこまれた日本近代の歴史すらも大きく変質させ」てゆき、そこに「〈アナルヒーを常態〉としていたような廃墟の〈祝祭空間〉はもはやどこにもないこと」を、鏡子痛感する解説し、以下のように論考している。 焼跡時代であった戦後は、敗戦記憶未だ残っていた時代である。(中略そのような戦後切り捨てようとしたのが、昭和30年代という新たなディケイドにむかう時代の空気であり、『鏡子の家』はまさにそのような変化トポス反映させているのである。(中略『鏡子の家』は、新し時代到来による戦後空間変容だけではなく人々内面空間刻みこまれた日本の歴史までもが否応なく塗り替えられていこうとするポスト戦後という時代への不信感満ちている。 — 中元さおり「古層に秘められた空間記憶――『鏡子の家』における戦前戦後猪瀬直樹は、最後に4人の青年たちが〈鏡子の家〉から姿を消して鏡子の夫が七匹洋犬伴って戻ってくる場面について、「岸が蘇り、“官”が計画練り欲望消費の“黄金1960年代”の始まり歩調合わせて」と両者入れ替わり、夫は「岸信介象徴していた」という「深読み」をしている。

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作品評価・研究

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蘭陵王 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

蘭陵王』は発表当時、あまり反響のなかった作品であるが、「生命極点に姿をあらわす死」という「三島美学原型」を指摘する佐伯彰一の評や、作中の〈敵〉という言葉の「なまなましさ」の問題触れつつ、「小説」と「現実」を反転させて見せ三島文体について言及している安岡章太郎の評がある。 高橋英夫は、安岡の評に対し、〈敵〉という言葉が重要ではなく最後一行の中の「拒否」または「否定形」が着目点で、それが「三島由紀夫演劇性といかなる関係を有するか」、つまり「拒まれてあること」という三島文学特有の位相ポイントだとしている。そして高橋は、三島がそこから「自分に対して向けられ拒否逆に拒否しかえすことによって、それをドラマ中に持ちこむ」ことと、「拒まれてあること」を受け入れてドラマ放棄すること、という2つの道を選んだとし、それがこの作品方法であって、〈音楽〉もそこに誕生する考察している。 島内景二は、以下の作中文章を引きながら、三島自衛隊での暮らしぶりは、「中世遁世者たちや芭蕉求めた草庵”での心静かな生活そのもの」であり、文壇忙しく活躍する三島にとって「体験入隊」は、一種の「出家」だったとし、体験入隊が終わると、再び都会文壇の喧操の中へ戻ってくるのを「還俗」に喩えながら、そうした擬似的出家還俗」を繰り返しているうち、三島少しずつ現実生活を出家生活へ近づけようとし始めた解説している。 部屋おちつくと、私はここへ来てはじめてきく虫の音が、窓外の闇に起るのを知つた。何一つ装飾のないこの部屋が私の気に入つてゐた。一つ一つベッド、壁に掛けられてゐるのは、雨衣と、迷彩服と、鉄帽と、水筒と、……余計なものは何一つなかつた。開け放たれた窓のむかうには、営庭の闇の彼方に富士裾野がひろがつてゐるのが感じられる存在密度を以て息をひそめて真黒に、この兵舎の灯を取り囲んでゐる。永年欲してゐた荒々しく簡素な生活は、今私の物である。私は爪のわきの小さな笹くれに、沃度丁幾を塗つた。ほかに塗るべき傷はなく、痛みもなかつた。肉体銃器のやうに細心に管理されてゐた。要するに私は幸福だつた。 — 三島由紀夫蘭陵王」 そして島内は、「正式な出家をしたわけではないが、仏教に心を深く染めている男」を、「優婆塞」と呼ぶと説明しつつ、三島自衛隊での「草庵暮らし憧れあまりに、「優婆塞としての生活」を自身課し、それが楯の会での活動となったとして、「自衛隊にせよ、楯の会にせよ、集団規律重んじるだけの団体ではなかった。三島にとっては、“理性草庵”を求め精神活動一環だったのである」と論考している。 小田実は、三島すぐれた文学者で、絢爛たる才能の持ち主であったことを述懐し、「たとえば、自決前年の『蘭陵王』――ああいう作品はなかなか書けるものではない」と述べている。また、「“文”においても、今や“商”あっての“文”。私は三島の“文” “武”に賭けた純情なつかしく思う」と回顧し当時思想的敵対関係ありながらも、三島への敬意示している。 田中美代子は、三島である〈私〉が、仮面をつけた蘭陵王出陣に〈二種の抒情の、絶対的なすがた〉を見出し、それを〈きりきりと引きしぼられた弓のやうな澄んだ絶対的抒情と言う場面に、「絶対青春頂点のぼりつめ、やがてくる死の予感息をひそめている、充実した生命一瞬が、ここに凝縮している」と評している。 磯田光一は、作中の〈息もたえだえ瀕死抒情と、あふれる生命奔逸する抒情と、相反する二つのものに〉の箇所着目して、「〈二種の抒情の、絶対的なすがた〉としてあらわれた〈仮面〉」に、三島文学秘か主題をも暗示されていると考察している。 青海健は、『荒野より』や『独楽』と同じく三島心情素直に吐露されている『蘭陵王』に着目し、『荒野より』で〈荒野〉から来た〈あいつ〉の問い、『独楽』の少年問いである「死の世界へいざない」が、『蘭陵王』では、言葉ではなく笛の音という「純粋な音楽」として〈私〉与えられ、「絶対へと肉薄」しようとするとし、青年Sが横笛を習うきっかけとして、能『清経のような最期を遂げたい〉と言ったことは、妻を思う清経重ねたSの〈女〉(恋人)への「恋慕の情」であり、それは三島の「文学への思い」の暗喩だと考察しつつ、「作者三島由紀夫は、文学という〈女〉に思い残しつつ、言葉ではない表現(ここでは音楽)つまり“行動”という形を贈与することによって、その〈最期を遂げようとしている」と論考している。 そして青海は、『蘭陵王』が書かれ時点が、まだ自衛隊治安出動希望三島持っていた1969年昭和44年)の新宿デモ以前であり、まだ三島事件自死定まっていない時期であるものの、作品世界では「無意識的な死への予感」が明瞭に開示され三島心境小説として自己語っているのに成功しているとし、蘭陵王仮面の下の素面の〈やさしい顔立ち〉の世界は、「恐るべき荒野〉(死)」と同じ地点でもあり、同時にそこは「人間存在回帰していくべき〈やさしい〉故郷」であり、「すべての存在究極在る極み絶対」であると解説しながら、常に二つのもの(二元論的世界観)の分裂つきまとわれていた三島は、それを統合する「絶対」地点現出したとしている。 「独楽」における作者語り手峻別、つまり純粋な澄んだ世界に住む少年と、文学という虚構賭けしかない「私」との距離、また、荒野より」の「私」生活する賑やかな都会と、青年故郷である、それを取り囲む孤独な荒野とのへだたり。「蘭陵王」では、それは冒頭の「私ども」という言い回しによって、楯の会青年たちと「私」との連携夢見られるのだが、しかし青年Sの吹く横笛の音は、言葉ではない行動世界と、言葉によって組み立てられている文学世界との別を、「私」に識らせるに過ぎない。この横笛の音に先導されつつ、「私」言葉世界をのり超えた「死」へと、一歩一歩近づいていくのである。「死」は、これら二つのものを、一つ絶対へと繋ぐ架橋である。逆の見方をするなら、「死」を目前にすることではじめて、文学者三島は、その晩年において、二つのものの統合としての絶対現出させることに成功した。そこは「仮面」そのもの「告白」化す、あの不思議な二元論統合一元的世界である。 — 青海健異界からの呼び声――三島由紀夫晩年心境小説」 また青海は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』に見られるように、〈〉は「永劫回帰」のメタファーであり、〈言葉もなかつた〉ディオニュソスの笛が奏でる蘭陵王〉の音楽に、「〈生〉の本質永遠な存在無垢」(生の根源としての存在故郷、つまり死)が開示され蘭陵王の〈やさしい顔〉こそがディオニュソス正体だとして、その「存在無垢」へ三島が「永劫回帰」を遂げようとしていたこと、「文学終わり」が『天人五衰』の自意識イロニー主題率直な純化された形で、『蘭陵王』で示されていたことを指摘している。 ディオニュソスの笛はその極限において言葉とのズレをおのが身に浴びねばならない、というイロニー孕んでいる。晩年三島がそのイロニーによって、言葉文学という仮面を脱ぎ捨て行動という最後の手段に訴えたのは、「言語表現対極にある」(『太陽と鉄』)ところのもの夢見たからである。「われわれは言葉用ひて、『言ふ言はれぬもの』を表現しようなどいふ望みを起」こすが、「言葉もなかつた」その場ディオニュソスを、あえて言葉でなぞろうとすることほど虚しいものはない。それは自意識ウロボロス悪循環であり、『天人五衰』のテーマである。『蘭陵王』の特異性は、もはやそれを言葉でなぞろうとせず、「言葉もなかつた」と、すなおに言語敗北提言してはばからない点にある。存在無垢境地は、三島にとって、書かれた「物語」からの逸脱地平においてしか語り得ないのだ。それは書かれた「物語ではなく生きられた「物語」を欲している。 — 青海健三島由紀夫ニーチェ――悲劇的文化イロニー

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草の花」の記事における「作品評価・研究」の解説

草の花』は福永作品の中で最も読まれたものとされ、現在に至るまで多く研究存在する。だが発表当初は「大し注目されるともなく営業的にも再刷が一千部ほど出ただけで、意気銷沈せざるを得なかった」「その私を憐れんでくれたのか、「草の花」は発行後二年で新潮文庫加えられ少しずつでも売れることによって今日まで命脈保って来た」と福永記している。 当初はまた評価芳しくなく、「若い人々の抱きがちな感傷」「無益な孤独」などと酷評受けた。だが福永が「友情の中の愛」を発表し弁明行ってのちは、作中の人物孤独は「エゴの持つ闘い武器」などとして評価変わっていった。福永はこの文章の中で「あの小説の中で同性対する愛が異性対すそれよりも鋭くかつ豊饒描かれているからといって、僕が友情恋愛よりも特に重んじているわけではない。僕の書いた友情は特殊のケースだし、それはあらゆる場合当てはまるとは限らない」とした上で次のように述べていた。 しかし僕は今でも十代終りごろに人の経験する友情、殆ど異性への愛と同じ情熱苦悩とが、プラトニックであるだけに一層純粋な観念として体験され友情に、深い意義覚えている。愛というものはすべてエゴ働きだが、このような友情無償の行為というに等しい。この殆ど無意味とも思われる愛、相手同性であるだけに一種疚しさと心苦しさとを感じ、その愛の充足どのようになされるのか、それさえもさだかではないような愛の中で、人は自分の魂の位置測定する。 — 福永武彦友情の中の愛」 先行研究では、福永自身による自己解説効果もあり、「愛」「孤独」「死」「青春」などのキーワードを用いて考察されることが多い。他作品との類似性については、水谷昭夫が、残された者が遺書を読むことでその死を受領するという点で夏目漱石の『こゝろ』との類似指摘している。鳥居真知子は更に踏み込んで福永漱石意識していた筈であるとし、一方で『こゝろ』に於ける「私」「先生」ほどに汐見との絆が醸成されていなかった「私」には、ノート読んで汐見真意理解できなかったこと、「私」から手紙受け取った千枝子ノート受け取り拒むことなどから、「汐見死しても、なお〈孤独〉である」と指摘している。

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十日の菊」の記事における「作品評価・研究」の解説

十日の菊発表当時反応はほぼ好意的なものが多く読売文学賞戯曲部門)も受賞しているが、第3幕の展開に疑問を呈する声もある。評価わりには本格的な論究少な作品である。 江藤淳は、「登場人物固定観念ズレおかしさ」の表出によったまことに小味気の利いたファルス」だと評し平野謙も、「知的な回転速度いくえにも逆転するその喜劇性」の高さを高評している。 堂本正樹は、最後第3幕で、森家に留まろうとする意味が不明瞭に見えることや、愚連隊乱入することに対して辛い評価をしている。松尾瞭は、戦後社会への鋭い批判込められているとし、「すぐれて知的な高度な作品」だと評している。 倉橋健は、喜劇性悲劇性巧妙な交錯評価しつつも、舞台で悲劇性表れがちであることを指摘し、「喜劇性演出において、もう一息アクセント」を要求している。また主題については、「森家宮廷おきかえ行動のなかに皇室対す戦後国民の反応推移のアイロニイを見ればよい」と解説している。 柴田勝二は、『十日の菊』を、二・二六事件よりも、「戦後日本への意識」の方に視角当てられている作品だとし、森重臣が〈天皇〉の比喩として位置づけられるとし、そのが〈生ける屍として、魂の荒廃そのものを餌にして〉、〈生きのび〉ている存在として描かれている点を鑑みて同じように「空虚抱えて生きのび〉た人物」が描かれた『朱雀家の滅亡』との比較研究今後重要であると考察している。 石原慎太郎は、昭和39年3月行われた三島由紀夫との対談の中で、「『十日の菊』の兵隊生き残りがいるでしょう、むすこが。あそこなんか…。ぼくは三島さん芝居の中で、あれ、いちばんうそだと思うんですよ。」と述べている。それに対し三島は、「うそだね。」と返し、「あれ、おれのいちばん信じていない人物だね。あれ、もっと戯画化すればよかったんです。なまじシリアス書いたので、なおおかしい。」と述べている。

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作品評価・研究

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鍵のかかる部屋」の記事における「作品評価・研究」の解説

鍵のかかる部屋』は、作者三島曰く、〈後世の人は、ここに、大江氏エロティシズム観の一つ小さな予兆見出すかもしれない〉との見解だったが、奥野健男はこれを受け、「大江文学政治情況とかかわるデスペレート性的人間主張予兆的な先駆的作品という彼(三島自身指摘は正確」であり、自己の作品を「見事に客観的に認識している」としている。そしてその、「現代人みじめさ政治との必然的なかかわりあいサディスト心理ファシズム心理との関係でとらえている」と解説している。 また、その後三島文学が、同時期に書かれ反対の趣の『潮騒』の方向にも進まず、『鍵のかかる部屋』の作品傾向深化させる方向にも進まなかった点に触れ、この時期作品は「夭折あきらめ生を全うすること」にしていた戦後三島が、現代文学主流になるために試行錯誤実験をしていた地盤固め作品群であった論じている。そして実験作の『鍵のかかる部屋』の失敗教訓から、三島は「表面硬質美だけに真実がある」と信じる本来の文体立ち返ることになったが、この異色作の『鍵のかかる部屋』を奥野高評価している。 それにせよ、『鍵のかかる部屋』ほど三島由紀夫隠され内面本質的に表現された作品少なく、また頽廃した不吉な現代社会への照応も確かであった。ぼくは三島由紀夫が、こういう試みをこれ一作終えて二度と試みなかったことが不思議ならない。この時期三島由紀夫純文学者として評価は、ベストセラーの『潮騒』によってではなくこの陰気な『鍵のかかる部屋』によって、期待され支えられていたのだから。 — 奥野健男「『潮騒』と『鍵のかかる部屋』の矛盾田中美代子は、『鍵のかかる部屋』に登場する人物も、同時期の『江口初女覚書』(1953年)や『果実』(1950年)などの主人公同様、様々な局面において「日本社会共同体集合的魂の顕現であり、時代精神体現者」であるとし、父親不在の「鍵のかかる部屋」へ若い男呼び入れ、「奇妙な秘密の遊び」を続け母親と幼い少女もその例外ではないと解説している。 また、三島自身関連性言及してたように田中は、『鍵のかかる部屋』が、その後『鏡子の家』1959年)の原型であるとしながら、以下のように解説している。 「鍵のかかる部屋」には観念死に絶えた戦後の時代の影が色濃く映じているが、成長恐怖は、また外界対す恐怖アナロジーである。九歳の女の子は、淫奔な母親情事を見おぼえ、子供肉体持ちながら、同時に成熟した女の心を持つに到っている。 — 田中美代子「“言葉肉体”の主題

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作品評価・研究

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美しい星 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

美しい星』を成功作とするかどうか賛否両論あるが、論究様々な観点から多くなされ、三島ユングアドラーとの関わりニーチェとの類比トドロフサルトルトーマス・マン引き合いにした論、三島他作品主人公との関係性考察したものなどがあり、「政治小説」「思想小説」「芸術家小説」「前衛小説」といった様々なレッテルが貼られ、定まったものはない傾向にある。 高山鉄男は、『美しい星』の主題を、「現実拒否」「彼岸へのあくことのない憧憬」だと考察し種村季弘は、〈空飛ぶ円盤〉との介在を軸にして三島ユング関わり指摘し、この論はさらにアドラー引き合いにした矢吹省二に受け継がれている。 大久保典夫は、トーマス・マンの『トーニオ・クレーガー』的な「芸術家市民二律背反」のテーマ底流にある「イロニックな芸術家小説」だとして、サブストーリーである顕子や一雄の挿話にも着目し片岡文雄も、「芸術家小説」の面を看取している。 野口武彦は、大杉羽黒らの論争を、「作者才気機智をたっぷり効かした愉しい哲学的饒舌といった筋合いのもの」だとしながらも、ロマン派的「イロニイ」を描いている点を評価し三島文学主人公たちに看取できる「アンジェリスム」(ロマン主義人間の魂の輪郭)の反映である〈宇宙人〉の大杉や暁子に、胃癌妊娠など「痛烈残酷な諷刺(サタイヤ)」が加味され、「(三島)が自分自身対する皮肉を利かして」いると解説しそういった客観性により「二律背反の上あやうく均衡得て構築されている」ゆえに、ラスト場面の「美しさ」が確保されていると考察している。 松本徹は、作品見られる虚無」(ニヒリズム)に、ニーチェとの類似点指摘しまた、水爆によってもたらされる人類滅亡危機踏まえて発想され主題観点から、『鏡子の家』ニヒリスト杉本清一郎」の考え方発展が、主人公大杉重一郎」だとして、大杉杉本より「もう一歩先をうかがい見ようとしている」と指摘しながらも、世界を救う鍵が〈母なる虚無宇宙雛型〉を自覚することで生まれる〈連帯〉だとする考えが、十分に展開されないままに終り傑作になりきらなかったと考察している。 佐藤秀明は、暁子に代表される大杉家家族は、三島中にずっと育まれていた「現実許容しない詩」を生きる登場人物で、現実がその「詩」を許容しかったにかかわらず、「現実」として認めさせ、生き延びさせる小説だとして、「政治小説としての美しい星』の意義は、非政治的な詩の世界生き抜くことで現実という名の政治〉と対抗せざるをえなくなったことを、非政治的な世界側から描いたところに生ずる」と解説している。そしてこの三島文学通底する「現実許容しない詩」は、『豊饒の海』の唯識により相対化反転しながら引き継がれて、「小説成立」の不可能な地点三島自刃へ向っていくと佐藤論考している。 有元伸子は、〈宇宙人〉を、拒まれ人間の「共同幻想」として捉えつつ、金星人・暁子のサブストーリーにおける美青年竹宮の「二重透視美学」に着目し、『豊饒の海』の本多や透の〈認識〉と関連させて考察している。久保田裕子は、「社会から孤立し未来への希望」を奪われてしまった一家前に、ついに円盤現われるという終結部について、「認識によって現実変容させる者の栄光と挫折という三島文学テーマが、SFという形式の中で、ここでは一場の夢として実現されている」と解説している。 奥野健男は、大杉羽黒らが論争する場面を、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』の大審問官のくだりに匹敵する賞讃しつつ、それは戦中戦後通じ広島原爆投下に〈世界の終り〉を見、敗戦現実秩序価値観転換に「人間からくり虚しさ」を見てしまった三島だからこそ抱き続けてきた「美の本質」「人類滅亡」「政治」「文明」「思想」「人類」のテーマを「自己の宇宙中に入れ込み小説化」できたとし、こういった文学元来的な主題あるべき人類根源的なテーマ」を日本作家がやれずに三島だけに抽出可能たらしめたのは、従来小説リアリズム三島囚われず、宇宙人から見た視点という「コロンブスの卵」的な大胆な方法発見したからだと解説している。 そして『美しい星』は、「政治思想状況の中で文学考えていた従来小説」とは異なり、「自己の文学世界の中で政治思想考える」という画期的な政治文学コペルニクス的転回」であるとして、奥野は顕子のサブストーリー見られる美的宇宙」なども考慮入れながら以下のように高評価している。 三島はもっとも汚れた醜い世俗的現実の上に、美を信じ内的妄想において、超越した完璧の美を形成しようとする。それは大杉重一郎主張する人間五つ美徳照応する。思想と美、この二つ主題フーガのごとく協奏され、作品緊張はたかまり、ついに大杉一家緑色に、又あざやかな橙色息づく円盤とともに昇天して行くのである。これは母親から伝わった加賀藩の能の美につながる幻想の美であり、空飛ぶ円盤照合しあう。(中略) 『美しい星』は、日本における画期的なディスカッション小説であり、人類運命洞察した思想小説であり、世界現代文学最前列位置する傑作と言ってよい。 — 奥野健男三島由紀夫伝説美しい星』――人類滅亡議論する思想小説岡山典弘は、暁子が金沢市に住む竹宮に会う挿話中に金沢藩では人々の生活謡曲深く浸透していることが綴られ自分金星人であるという認識端緒つかんだのが『道成寺』の披キでからだと竹宮が暁子に語って能舞台金星世界変貌する様が鮮やかに描かれる以下のような場面着目しながら、三島13歳の時、金沢出身母方祖母トミに連れられ初めて能『三輪』を観たことに触れている。また作中で、金沢駅香林坊犀川武家屋敷尾山神社兼六公園浅野川卯辰山隣接する内灘などが描かれているが、卯辰山には、三島祖父橋健堂がかつて教鞭をとった「集学所」が設けられていた。 どこで竹宮が星を予感してゐたかといふと、この笛の音をきいた時からだつたと思はれる。細い笛の音は、宇宙の闇を伝はつてくる一條星の光りのやうで、しかも竹宮には、その音がときどきかすれるさまが、星のあきらかな光りが曙の光り薄れるやうに聴きなされた。それならその笛の音は、暁の明星光りにちがひない。彼は少しづつ彼の紛ふ方な故郷眺めに近づいてゐた。つひにそこに到達した能面の目からのぞかれた世界は、燦然としてゐた。そこは金星世界だつたのである。 —三島由紀夫美しい星細江英公は、三島作品をどれも好みつつ、とりわけ美しい星』には、「今まではまった異な不思議な世界描いていて、ただならぬ戦慄感じた」とし、三島割腹自決したときに書き残した檄文」を見た瞬間とっさに美しい星』を思い浮かべたとしている。そして改めて『美しい星』を読み返した感慨として、「この小説は、核爆弾という究極大量破壊殺兵器つくってしまった20世紀人類への“哀れみの書”ではないか」と述べている。 九内悠水子は、空飛ぶ円盤飛来する地の東生田が、かつて旧陸軍科学研究所登戸研究所であり、戦後GHQにより取引封印された場所であることや、暁子が見た円盤飛来地・内灘村で、内灘闘争のことを想起する場面があることを取り上げて、『美しい星』の円盤飛来地が、「戦争占領という歴史忘却された地」であり、それらの空間が「(戦後の)空虚な日本の姿の象徴」として示されていると解説している。 また九内は、三島が、明治天皇御幸によって改められた「天覧山」とせず、あえて〈羅漢山〉と記したことに触れ三島林房雄との対談などで、「天皇制揺らぎ」の始まり明治時代からと見ていたことと関連させながら指摘している。さらに、三島ヒトラー国民車構想知っていたことと、大杉一家自家用車フォルクスワーゲンであることに九内は注目し、実は、「宇宙人であるという優越感大衆対峙ようとしていた」大杉一家こそ、「マイカーブームを先取りする大衆」でもあったというアイロニー秘められているとし、三島大衆化危機芸術家もまた晒されていることをとの対談語っていたことも合わせて論考している。

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作品評価・研究

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蘭陵王 (三島由紀夫)」の記事における「作品評価・研究」の解説

蘭陵王』は発表当時、あまり反響のなかった作品であるが、「生命極点に姿をあらわす死」という「三島美学原型」を指摘する佐伯彰一の評や、作中の〈敵〉という言葉の「なまなましさ」の問題触れつつ、「小説」と「現実」を反転させて見せ三島文体について言及している安岡章太郎の評がある。 高橋英夫は、安岡の評に対し、〈敵〉という言葉が重要ではなく最後一行の中の「拒否」または「否定形」が着目点で、それが「三島由紀夫演劇性といかなる関係を有するか」、つまり「拒まれてあること」という三島文学特有の位相ポイントだとしている。そして高橋は、三島がそこから「自分に対して向けられ拒否逆に拒否しかえすことによって、それをドラマ中に持ちこむ」ことと、「拒まれてあること」を受け入れてドラマ放棄すること、という2つの道を選んだとし、それがこの作品方法であって、〈音楽〉もそこに誕生する考察している。 島内景二は、以下の作中文章を引きながら、三島自衛隊での暮らしぶりは、「中世遁世者たちや芭蕉求めた草庵”での心静かな生活そのもの」であり、文壇忙しく活躍する三島にとって「体験入隊」は、一種の「出家」だったとし、体験入隊が終わると、再び都会文壇の喧操の中へ戻ってくるのを「還俗」に喩えながら、そうした擬似的出家還俗」を繰り返しているうち、三島少しずつ現実生活を出家生活へ近づけようとし始めた解説している。 部屋おちつくと、私はここへ来てはじめてきく虫の音が、窓外の闇に起るのを知つた。何一つ装飾のないこの部屋が私の気に入つてゐた。一つ一つベッド、壁に掛けられてゐるのは、雨衣と、迷彩服と、鉄帽と、水筒と、……余計なものは何一つなかつた。開け放たれた窓のむかうには、営庭の闇の彼方に富士裾野がひろがつてゐるのが感じられる存在密度を以て息をひそめて真黒に、この兵舎の灯を取り囲んでゐる。永年欲してゐた荒々しく簡素な生活は、今私の物である。私は爪のわきの小さな笹くれに、沃度丁幾を塗つた。ほかに塗るべき傷はなく、痛みもなかつた。肉体銃器のやうに細心に管理されてゐた。要するに私は幸福だつた。 — 三島由紀夫蘭陵王」 そして島内は、「正式な出家をしたわけではないが、仏教に心を深く染めている男」を、「優婆塞」と呼ぶと説明しつつ、三島自衛隊での「草庵暮らし憧れあまりに、「優婆塞としての生活」を自身課し、それが楯の会での活動となったとして、「自衛隊にせよ、楯の会にせよ、集団規律重んじるだけの団体ではなかった。三島にとっては、“理性草庵”を求め精神活動一環だったのである」と論考している。 小田実は、三島すぐれた文学者で、絢爛たる才能の持ち主であったことを述懐し、「たとえば、自決前年の『蘭陵王』――ああいう作品はなかなか書けるものではない」と述べている。また、「“文”においても、今や“商”あっての“文”。私は三島の“文” “武”に賭けた純情なつかしく思う」と回顧し当時思想的敵対関係ありながらも、三島への敬意示している。 田中美代子は、三島である〈私〉が、仮面をつけた蘭陵王出陣に〈二種の抒情の、絶対的なすがた〉を見出し、それを〈きりきりと引きしぼられた弓のやうな澄んだ絶対的抒情と言う場面に、「絶対青春頂点のぼりつめ、やがてくる死の予感息をひそめている、充実した生命一瞬が、ここに凝縮している」と評している。 磯田光一は、作中の〈息もたえだえ瀕死抒情と、あふれる生命奔逸する抒情と、相反する二つのものに〉の箇所着目して、「〈二種の抒情の、絶対的なすがた〉としてあらわれた〈仮面〉」に、三島文学秘か主題をも暗示されていると考察している。 青海健は、『荒野より』や『独楽』と同じく三島心情素直に吐露されている『蘭陵王』に着目し、『荒野より』で〈荒野〉から来た〈あいつ〉の問い、『独楽』の少年問いである「死の世界へいざない」が、『蘭陵王』では、言葉ではなく笛の音という「純粋な音楽」として〈私〉与えられ、「絶対へと肉薄」しようとするとし、青年Sが横笛を習うきっかけとして、能『清経のような最期を遂げたい〉と言ったことは、妻を思う清経重ねたSの〈女〉(恋人)への「恋慕の情」であり、それは三島の「文学への思い」の暗喩だと考察しつつ、「作者三島由紀夫は、文学という〈女〉に思い残しつつ、言葉ではない表現(ここでは音楽)つまり“行動”という形を贈与することによって、その〈最期を遂げようとしている」と論考している。 そして青海は、『蘭陵王』が書かれ時点が、まだ自衛隊治安出動希望三島持っていた1969年昭和44年)の新宿デモ以前であり、まだ三島事件自死定まっていない時期であるものの、作品世界では「無意識的な死への予感」が明瞭に開示され三島心境小説として自己語っているのに成功しているとし、蘭陵王仮面の下の素面の〈やさしい顔立ち〉の世界は、「恐るべき荒野〉(死)」と同じ地点でもあり、同時にそこは「人間存在回帰していくべき〈やさしい〉故郷」であり、「すべての存在究極在る極み絶対」であると解説しながら、常に二つのもの(二元論的世界観)の分裂つきまとわれていた三島は、それを統合する「絶対」地点現出したとしている。 「独楽」における作者語り手峻別、つまり純粋な澄んだ世界に住む少年と、文学という虚構賭けしかない「私」との距離、また、荒野より」の「私」生活する賑やかな都会と、青年故郷である、それを取り囲む孤独な荒野とのへだたり。「蘭陵王」では、それは冒頭の「私ども」という言い回しによって、楯の会青年たちと「私」との連携夢見られるのだが、しかし青年Sの吹く横笛の音は、言葉ではない行動世界と、言葉によって組み立てられている文学世界との別を、「私」に識らせるに過ぎない。この横笛の音に先導されつつ、「私」言葉世界をのり超えた「死」へと、一歩一歩近づいていくのである。「死」は、これら二つのものを、一つ絶対へと繋ぐ架橋である。逆の見方をするなら、「死」を目前にすることではじめて、文学者三島は、その晩年において、二つのものの統合としての絶対現出させることに成功した。そこは「仮面」そのもの「告白」化す、あの不思議な二元論統合一元的世界である。 — 青海健異界からの呼び声――三島由紀夫晩年心境小説」 また青海は、ニーチェの『ツァラトゥストラ』に見られるように、〈〉は「永劫回帰」のメタファーであり、〈言葉もなかつた〉ディオニュソスの笛が奏でる蘭陵王〉の音楽に、「〈生〉の本質永遠な存在無垢」(生の根源としての存在故郷、つまり死)が開示され蘭陵王の〈やさしい顔〉こそがディオニュソス正体だとして、その「存在無垢」へ三島が「永劫回帰」を遂げようとしていたこと、「文学終わり」が『天人五衰』の自意識イロニー主題率直な純化された形で、『蘭陵王』で示されていたことを指摘している。 ディオニュソスの笛はその極限において言葉とのズレをおのが身に浴びねばならない、というイロニー孕んでいる。晩年三島がそのイロニーによって、言葉文学という仮面を脱ぎ捨て行動という最後の手段に訴えたのは、「言語表現対極にある」(『太陽と鉄』)ところのもの夢見たからである。「われわれは言葉用ひて、『言ふ言はれぬもの』を表現しようなどいふ望みを起」こすが、「言葉もなかつた」その場ディオニュソスを、あえて言葉でなぞろうとすることほど虚しいものはない。それは自意識ウロボロス悪循環であり、『天人五衰』のテーマである。『蘭陵王』の特異性は、もはやそれを言葉でなぞろうとせず、「言葉もなかつた」と、すなおに言語敗北提言してはばからない点にある。存在無垢境地は、三島にとって、書かれた「物語」からの逸脱地平においてしか語り得ないのだ。それは書かれた「物語ではなく生きられた「物語」を欲している。 — 青海健三島由紀夫ニーチェ――悲劇的文化イロニー

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若きサムライのための精神講話」の記事における「作品評価・研究」の解説

若きサムラヒのための精神講話』について巖谷大四は、「惰弱なイージー人間社会」への「スマートな警世の書」と評し筑波常治は、「日本人一般があしき意味の女性的感覚毒されている」ことへの「男性的習俗復権説いたもの」と見ている。 高橋博史は、三島討とうとしているのは、平和が続く中で社会が「平準化」し社会的規範弱体化していくことだとし、その三島の主張の背後には、〈人間性の底には救ひがたい悪がひそんで〉おり、〈人間の自然の姿〉が〈動物〉に他ならないという認識があり、社会的規範弱体化は、恋愛始めとした美や快楽空洞化を招くため、けじめや節度復権説かれていると解説している。 しかし社会的階級規範存在のみでは、〈生の輝き〉は保証できず、死との接触により初めて〈生のかたさ、強さ〉が発見され、〈激し純粋な行為〉こそが、人間おぞましさを〈乗り越える〉ものだと三島物語っていると高橋説明しながら、『若きサムラヒのための精神講話』には、「望ましい社会具体像に関わるレベルと、人間存在そのもの関わるレベルとの、次元異な二つ議論含まれている」とし、その二つ三島の中で、どのように区別され、結びついているかを検討する必要がある考察している。

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複雑な彼」の記事における「作品評価・研究」の解説

複雑な彼』はエンターテイメント的な小説で、文学的な論究見られないが、主人公譲二日本人としての誇り自信の高さと、ラスト冴子結ばれるではなく、〈アジアを救ふ〉ために〈冒険と戦ひの日々〉を選ぶという点に、作者三島由紀夫行動三島事件)との関連性があることを杉本和弘指摘している。 菱山修三は、『複雑な彼』の「展開の巧妙さ」を、他の三島作品同様にいかにもソツがなく“名手”という感じを受ける」と評し、「この作者には、現代特殊な青春の“若ものの怒り”の感覚もあるし、大胆で、行動的な面もあるようである」と述べている 小坂部元秀は、「娯楽小説だが、すばらしく魅力的な制服の下の卑俗な刺青という手品の種の、最終場面における種明しに、いかにも三島的な機知うかがえる」と評している。

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近代能楽集」の記事における「作品評価・研究」の解説

三島近代能は、能を世界紹介した、という点においてその功績大きい。中でも卒塔婆小町』への評価国内同様に高く、『班女』も海外人気が高い。ドイツでも『邯鄲』が高く評価され、「三島ブーム」が起きたドナルド・キーンは、郡虎彦の「近代能」は能の構造空間無視していたために「近代的であったが「能」ではないとし、三島の能は原典詞章や筋に拘ってはいないが、その伝統を受け継ぎ翻案というよりも「能のココロインスパイアされた新作」で、「すばらし二十世紀文学拵えた」と解説している。 特に『卒塔婆小町』は、ドナルド・キーンも「日本新劇最高峰」と評しているように、総じて傑作」と称されることが多く詩人台詞の〈やつと思い出した。うん。……さうだ、君は九十九おばあさんだつたんだ〉では、時間の流れ逆転させ、80年先の未来記憶」がるといった斬新な世界を創り出していると松本徹解説している。 (三島は)現実復元なり模写ベースするところを完全に排除考えられることなら何でも起こり得る空間設定時間さえ逆流する世界現出させ、われわれ人間遠い昔から切望し続けてきている永遠美女を、また、永遠美女呼び出す詩人を、出現させたのです。これは三島という驚くべき才能が、能に拠ることによって、初め達成したまことにブリリアント出来事だと思いますすぐれて前衛的ありながら、そこを越えていると言ってよいでしょう。 — 松本徹舞台多彩な魅力」(『三島由紀夫読み解く』)

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仲間 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

仲間』は三島代表作はないため、本格的な研究あまりないが、謎めいた幻想小説として一般的に高く評価されており、中には三島作品ベストワン評価する作家もいるなど、珍重偏愛される傾向のある作品となっている。開高健選んだアンソロジー集の中では、「芸術思想忠実に生きた著者の、美しく妖しい幻想小説」と紹介されている。なお、三島自身は『仲間』のテーマを〈化物異類〉と記している。 澁澤龍彦は、「父子連れは『死』の仲間なのか」と付しつつ、物語にどんな「寓意」を読むのかは読者自由だとし、「三島由紀夫これほど無造作スタイル書き流したことはめずらしくその意味でも、これは珍重するに足る作品であろう」と解説している。 村松剛は、三島短編荒野より』を論じた後、同じく仲間』や『時計』の主人公についても、「孤独な荒野に棲んでいる」とし、ポオ短編想起させる幻想的な仲間』は、薄明世界が「明晰な何気ない文体」で語られていると評している。 そして、何気ない語り口から読者見過ごしてしまいがちな、〈お父さん〉が部屋を〈上下自由に歩いたり、〈高い箪笥の上に〉腰かけられるという「奇態さ」に村松触れ父親教会の鐘の音を嫌うことが3度書かれている点などから、父子が「大小悪魔か、悪魔ではないまでも冥界存在」だと考えられるし、また〈僕〉外套が2か月たっても濡れたまであることから、「つまりここでは時間の流れ停止している」として、「仲間になったあの人〉と絡めながら以下のように考察している。 悪魔に生活も時間譲り渡すことによって、孤独な紳士市民社会棄てて彼らの「仲間」となるほかにみちがないところに追い込まれる。「仲間」は、「荒野より」よりも九箇月まえに執筆された。発表戯曲サド侯爵夫人」の完成つづいていて、悪魔十字を切ったサド侯爵面影が、ここには何ほど投影されているだろう。シュールレアリスム的なこういう作品三島氏にはほかになく、掌篇ながら忘れがたい輝き放っている。 — 村松剛解説長谷川泉は、『仲間』を「幻想幻覚満ちた作品」として、「子供観念現実疎外して、あの人の家を自己の家として構想する」という見解持ち、「〈僕〉にとっては、煙草現実幻想との媒介である。そして酒をもてなされる父が、〈あの人〉と〈僕〉との媒介になっているメルヘン的なタッチ作品である」と評している。 高橋睦郎は、『仲間』を「童話スタイル」とし、主人公親子を「化物親子」と呼んで、「およそおどろおどろしいところが微塵もなく、しかも一読背筋寒さ覚えさせる点、小品ながらみごとな出来というほかない」と評している。 東雅夫は、末尾父親が言う、〈今夜から私たち三人になるんだよ、坊や〉という言葉示唆する意味は、「さまざまな解釈誘発することで名高い」と解説しその最後言葉真相には、「異界よりおとなうモノの翳は色濃い」と評している。また、作中では「吸血鬼」という言葉使用されてはいないが、「化物父子不可解な挙動を解く鍵語」として「吸血鬼」を当てはめてみるのも興味深い試みだとして、東は以下のように考察している。 眠らないはずの父親が、よく眠れるための家を探しているのは何故なのか。父子そろって外套を身にまとっているのは? 鐘の音神経質なのは? 唐突とも思える結語暗示するものは…… わずかな枚数のうちに、各人各様吸血鬼妄想許容する懐の深さ示しえた作者の手腕はさすがというほかありません。 — 東雅夫解説――三島由紀夫仲間』」 竹田日出夫は、ロンドンの「憂愁イメージ」を背景にして、「人間嫌い、鋭い悲哀無秩序虚無変容への偏愛憧憬」が描かれているとし、「湿った外套を纏った人物イメージは、「孤独な自我の姿」を象徴し、「虚無倦怠孤独」を増す煙草匂いの中で、「分裂した自我が、優しく影のように寄り添う幻想世界」が展開されていると考察している。 森内俊雄は、『仲間』を三島作品ベストワンだとし、以下のように高評価している。 モーツァルトグレゴリウス聖歌たった一曲自分全集交換してもよい、と断言しました。三島由紀夫全生涯文業と、このわずか十たらずの短篇についても同じことが言える思います三島嫌悪し太宰治に「駈込み訴へ」、氏が愛した坂口安吾に「桜の森の満開の下」があるように、「仲間」は白鳥の歌です。ワイルドの「幸福な王子」に匹敵する傑作です。 — 森内俊雄アンケート――三島由紀夫と私」 加藤典洋は、雑誌初出掲載読んだ時に、「つくづく三島というのは天才かもしれない」と思った作品が『仲間』だとして、その時雑誌からこの作品の頁を引きちぎってポケット入れ降る東北の町の中、何日持ち歩いて読み返した述懐しながら、『仲間』を三島作品ベストワン選んでいる。加藤はこの作品から、三島人工的な文体とは違う、自然な「資質的な文体」の持主であることも垣間見えるとし、「わたしは端的にこういう文体雰囲気小説好きだが、三島そういうものをほとんど書くことがなかった。たぶん、簡単すぎたのだろうか」と考察している。

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作品評価・研究

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わが友ヒットラー」の記事における「作品評価・研究」の解説

わが友ヒットラー』は、戯曲としての出来悪くはないが、ヒットラー扱っているというタブーから、海外では上演が行われない傾向がある。発表当時作品自体ことよりも、俳優観客ウケるためカーテンコール挨拶やっているナチス式敬礼」について批判し、「今通じ洒落通じない洒落がある」と秋山安三郎述べている。しかし、そのような中でも小島信夫は、「古典演劇のようなレトリックの多い文章でしゃべらせているので、福田恆存氏訳のシェークスピアを読むような感じがするが、非常に充実感がある」と評価している。 マイコウィッチ・ミナコ・Kは、三島ヒットラーへの興味よりもレーム事件興味持ち、〈レームに私はもつとも感情移入して、日本的心情主義彼の性格塗り込めた〉と説明している創作意図鑑み、「この戯曲はかなり日本化されたヒットラー劇という特性備えている」と説明しながら、この劇のヤマ場第2場の、レーム断固としてヒットラー信じ場面だとし、「それだからこそ、〈わが友ヒットラー〉という表題意義大きく浮かび上がるわけである」と解説し最後ヒットラー台詞を「三島技倆遺憾なく発揮したもの」と評している。 佐藤秀明は、ヒットラーに厚い友情を抱く突撃隊レームと、ナチス私兵突撃隊処分考えていたヒットラー比較し全体主義移行のために一旦中道政治の方向示して国民の支持取りつけようとするヒットラーよりも、私兵楯の会」を率い三島は当然突撃隊レーム重なるとし、そこに必然的に浮上してくる「政治的敗北ということ考え併せ、「三島政治的な敗北予言しただろうか」と疑問呈しながら、むしろ三島告白しようとしたのは、「政治的勝利政治的権謀術数への訣別意志」であり、「粛清される側に立つ三島」が、ヒットラーを「わが友」と呼んだのは、レームの言う「軍隊への郷愁」を、敗者になることでそのまま享受しようという「心情」があったからだと考察している。 伊藤勝彦は、三島死後彼の親友」を自認するエセ親友」がぞくぞく出てきたことから、三島生前そういった多く取り巻きの者たちの媚態偽善見抜き華やか社交的な振舞い中でも孤独感じて真の友」を欲していた人であり、いわばシュトラッサーのようにヒットラーの裏切りを事前に敏感に察知できるような「明察」の人だったとして、それゆえ三島は、自身とは異質他者である「愚直で、誠実で、人を信じきることができる男」であるレームなりたい思い愚直に美に邁進してそれを体現する悲劇的な人物憧れていたと考察している。そして三島造型したそのレーム像について伊藤は以下のように解説しレーム同様に楯の会」を率いていた三島も、「戦士共同体再現はもはや帰らぬ夢であることを知りぬいていた」が、それにもかかわらず、「それを信じることにいのちを賭けてたかった」のだとしている。 レームにしてもまるっきりバカではない。ヒットラーの裏切りの可能性知らないわけではなかった。(中略)しかし、“わが友ヒットラー”を裏切ることだけは絶対にできない。彼はいわば戦士共同体夢みる男だった。その夢が無残にこわされるくらいなら潔く死んだほうがましだった。(中略)たとえ裏切られてもいい最後まで“わが友ヒットラー”を信じヒットラー信頼応えるような、誠実な行動とりつづけたい。こう考えたからこそシュトラッサー同調しなかった。そうして見事に裏切られ壮烈な死をとげたのである。 — 伊藤勝彦わが友ヒットラー」(『最後ロマンティーク 三島由紀夫』) また伊藤は、ヒットラー造型については、決して「狂気の人」ではなく、「冷酷無残政治的人間」であり、そこに「現実政治実態」を三島描いているとして、その観点でいくと、「ヒットラー異常性格狂人にひとしい存在であるという常識」に妥協していた公演石沢秀二演出平幹二朗演技)は、三島原作の「真精神裏切っていた」と劇評している。 そして、「もっとも冷静で、正気人間のうちにも、狂人上の冷酷無残ひそんでいる」という「正気という名の狂気」がこの劇の主題であり、三島言いたかったのも、「あなたはヒットラー自分と無縁な特殊人間仕立てあげ、ヒューマニズム中に安住していたいのだろうが、そのあなたの中にもヒットラー生きている。あなた自身、“ヒットラーの友”なのかもしれませんよ」ということだろうと伊藤考察ししかしながら演出家強調点が三島真意噛み合っていないにもかかわらず、『わが友ヒットラー』で交わされる台詞には、三島精神躍動し演劇空間中に三島が甦り、「三島由紀夫生きている」と実感できるとして、「すぐれた芸術作品はかくも不出来な演出中においてすら、真価を発揮する」と評している。

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作品評価・研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 14:30 UTC 版)

美しい日本の私―その序説」の記事における「作品評価・研究」の解説

美しい日本の私―その序説』には、「美しい日本の心」が語られていると同時に、それと交感する「私」川端康成)の文学基本心情述べられた論であるが、自身随筆末期の眼』の、〈もの思ふ人、誰か自殺を思はざる〉を引くなど、単に分かりやすい美しい日本」を語ったけでないものを内包させていると保昌正夫解説している。また、明治以降日本文化論大半が、程度の差はあっても西欧文化意識し対抗する姿勢があるが、『美しい日本の私―その序説』には、その姿勢がさらに前面表れており、川端は、記念講演という儀礼的な雰囲気限られた中で、できうる限り日本文学芸術広く紹介しながら、西欧とは根本的に異な伝統的な日本人の「心性特質」を説き川端自らもそれを「日本人宿命」として引き受けようという姿勢を「悲愴なまでの調子」で表していると大久保喬樹解説している。 川端そういった強調姿勢見せた理由について大久保は、「単に日本人初のノーベル文学賞受賞だからという理由以上にそこまで強く彼我落差優劣ではない―を強調しなければすまない切迫した心情」があったとし、川端戦中から敗戦通じて生き、〈私は日本古来悲しみ中に帰つてゆくばかりである〉と決意してきたその作品経過鑑みながら以下のように考察している。 川端戦中および敗戦経験通じて日本人というものが、どれだけ近代化しようとも、結局のところは、そうした近代化以前の、『源氏物語』集約されるような〈あわれ〉の世界深く根ざしているのであり、もしこの〈あわれ〉の世界歴史必然によって近代的世界にとって代わらなければならないのなら、日本人は、少なくとも、自分は、この滅びていく世界殉じるかないと覚悟し、その覚悟を常に念頭に置いて戦後生きてきたが、その心情を、敗戦から20年あまり経たこの時点で、西欧に対して公然と告白するのである。 — 大久保喬樹文人たちの美学――川端康成美しい日本の私』」 また、この日本独自文化世界として自らを主張対峙したことは、日本社会において歴史的に「ひとつの分岐点であった大久保述べ、「このあたりから、日本社会は、さまざまなレベル自国文化システムの独自性自覚し西欧社会とは異質な構造社会であることを積極的に肯定」するようになった分析している。そしてこうした傾向を「一種鎖国化」として警戒する側からは、のちの大江健三郎の『あいまいな日本の私』という皮肉的批判がなされ、他方ではそれを推進しようとする側もあり、川端自身は本来、「政治的動きとは別の次元人間であったが、この受賞記念講演は、そういった政治的な動きにまで連動するような波紋があった「歴史的事件」だったと解説している。 江藤淳は、川端演説の中で語った花のつぼみの譬え鑑みながら、受賞講演を以下のように評している。 スウェーデン学士院は、あるいは川端氏が、東と西のあいだに論理構築することを期待していたのかもしれない。しかし彼らの見たものは、おそらく黒々としたみぞであり、そのかなたに咲きはじめ一輪の花、むしろつぼみであった。そしてそのつぼみには白く輝く小さな露が寄りそうていた。それが川端氏の「美しい日本の私」である。 — 江藤淳「『美しい日本の私』について」 また江藤は、良寛辞世の歌をめぐる川端解釈に対して、「川端氏にとって〈自分〉と〈自然〉とを媒介するものは、いうまでもなく、〈無〉である」としている。これは江藤婉曲的川端の、「表現主体表現対象との差異が無化する万物一如思想〉的な問題」に触れていると小菅健一説明している。 清水文雄は、道を照らす冬の月明恵上人三十一文字呼びかけた心を、川端が〈自然、そして人間にたいする、あたたかく、深い、こまやかな思ひやり〉、〈しみじみとやさしい日本人の心〉と述べたことに触れ、その心は、「〈もののあはれ〉をしる心と別ではない」とし、「〈もののあはれ〉は女の心に咲いた花である」という和辻哲郎言葉を引きながら、〈もののあはれ〉は「苦悩にみちた王朝女性心から生まれた生活理想であり、美的理念」であり、その「優柔体でありながら同時に、どこか一筋厳しいものが貫いている」〈もののあはれ〉の心を「しる」ことが、「人間評価規準」とされ、その心を持たない者は、「王朝貴族社会では人間としてだめな人であるという烙印押されたも同然であった」と解説し、以下のように川端講演評している。 明恵上人が、禅堂行き帰りする道を照らしてくれる冬の月へ、三十一文字あたたかく呼びかけた心を、とくに「日本人の心」として、川端氏がその講演最初に取り上げたことは意義の深いことと思う。これは、機械文明急激な進歩人間心とギャップに、深刻に苦悩をつづける世界人々とりわけ西欧人々対する、「美しい日本の私」からの問いかけであったと思うと同時に日本人一人一人に、「脚下照顧」の喫緊であることを啓示したものともうけとれるのである。 — 清水文雄日本人の心」

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十六歳の日記」の記事における「作品評価・研究」の解説

十六歳の日記』は、無名少年時代書かれ川端最古執筆作で実質的な処女作とされ、川端貴重な記録自伝であり、川端文学独特の才覚萌芽見られる作品とされている。また川端自身中学2、3年ごろから作家志望であったとしていることから、この日記自体を、「小説家志望している少年試作」と捉える向きもある。 立原正秋は、祖父痛み訴えながら苦しげに、尿瓶放尿する音を、〈しびんの底には谷川清水の音〉と描写するところに、「醜いものを最後まで視つめ、それをかならず美に転じてしまう」という川端姿勢見られ、その態度川端晩年に至るまで変化しなかったものと解説している。 伊藤整は、川端のこういった、醜いものを美しいものに転化させてしまう特徴最初に指摘し、その表現方法を、「残忍な直視の眼が、醜の最後まで見落とさずにゐて、その最後行きつくまでに必ず一片の清い美しいものを掴み、その醜に復讐せずにはやまない川端の「逞しい力」と捉えている。 そして伊藤は、「苦痛汚れ少年悲しみ」を描いた介護状況の中で、〈チンチン清らかな音がする〉、〈苦しい息も絶えさうな声と共に、しびんの底には谷川清水の音〉と書くことは、「作者生来のものの現われ」だとし、それは「世の常文章道においては大きな弱点になり得たかもしれない」が、川端はそれを「自然な構え」により棄てずに成長し、その一点から「氏にのみ特有なあの無類の真と美との交錯し地点いたっている」と分析している。 どんな苦痛心痛中にあっても、瓶に水の滴り落ちる音の清らかな響きには変りがないのである。これを、その水音始まった一瞬から、ちゃんと聞き分けているのは、容易に雰囲気から切り離され水音美にのみに集中できる認識力強さなのか、それとも、雰囲気対す心情の冷たい一点露出なのかは、区別しがたいことでもあり、区別する必要もないことである。ただその水音雰囲気もともに生きていて、相互連絡不完全だということのために、作者少年時代のこの記録は、合金になっていない二つ金属手にとるような、珍しい印象産んでいるのである。 — 伊藤整川端康成芸術山本健吉は、少年祖父介護する場面について、「祖父十六歳の少年との交渉が、完結的確に一つイメージとして造型されている」とし、〈しびんの底には谷川清水の音〉という「一瞬別天地イメージ」は、俳人石田波郷の〈秋の暮溲瓶泉のこゑをなす〉という句のイメージよりも、『十六歳の日記』の方が先取りしていたと解説している。 小林秀雄は、「日記の一番優れた鑑賞者は川端康成自身」であり、川端自身日記から読み取った啓示」は、「子供といふものの恐ろしさなのだ」とし、「祖父老醜孤独絶望憤懣も亦滑稽さも善良さ慈悲心も」すべて解っている孫の「真摯な子供の愛や悲しみの動くところ、人間肝腎なもので何が看破されずにゐようか」と述べつつ、これが川端の中で「童話といふ言葉独特な形で育つて来る土台」だと分析している。 彼にとつて童話の国は、天上にあるのではない。大人認識果てにあり、彼方にあるのではなく寧ろこちら側にあるのである常識が、何かにつけ憧れてみせる天真爛漫な子供天国といふ様なものは、この作家が一番信用しないのである。(中略少年が、たゞ真摯に生きてゐるといふ最小限度才能を以つて描き出したものが、人間の病や死や活計永遠の姿であるとは驚くべき事ではないのか。そして、何故この少年世界が、あらゆる意見理論解釈批評の下に、理想幻滅とが乱れ合ふ大人複雑に加工され世界抗議して立ち上つてはいけないのか。 — 小林秀雄川端康成板垣信は、『十六歳の日記』に見られる写実的な筆致を、「対象いささか感傷混じえずに凝視する川端冷徹な眼、いわば〈末期の眼〉はすでにここに確立している」とし、また同時にそこには、哀れな祖父に対して涙ぐむ少年感傷もあるとしている。そして板垣は、「見聞した事物ありのまま描写して対象鮮明に形象化しようとする」、その「写生文の手法」には、正岡子規高浜虚子などの写生文通い合うものがあるのは明らかだとし、〈しびんの底には谷川清水の音〉という一文を、「醜悪なイメージ一瞬のうちに清澄なイメージ美化してしまう、いいかえれば現実たくみに非現実化する川端独得発想法表現方法のごく早いあらわれ」と見ることもできる解説している。 かれは五月五日日記に、「学校出た学校は私の楽園である」としるしているが、「十六歳の日記」は、「寂しさ悲しさ」とに彩られ川端幼少期端的に伝え作品として、またその資質形成に強い影響与えた思われる祖父人となりを、さまざまなエピソード通じて明らかにした作品として、さらには川端家が北条氏出であるらしいことを、川端が自ら語った最初作品として注目される。 — 板垣信「川端康成 人と作品20 第一評伝川端康成――孤児川嶋至は、この『十六歳の日記』を「二十七歳の日記」だとして、「十六歳の少年日記として読みとらせるべく巧みに演出し見事に成功」した作品だと評して多分にフィクションが後から加わったものではないか考察している。これについて川端本人は、〈私にはどちらでもいいやうなことである〉としながら虚構ではないと反論している。 奥野健男は、『十六歳の日記』を、川端少年期書いた貴重な生い立ち記録であり、心情である」とし、後年自己の生活をほとんど語らなかった川端の「なま身の心」に接し得るものとしている。そして、この日記10年後に川端本人により、伯父の倉から発見され、「あとがき」などが付され発表されたことを説明しながら、以下のように解説している。 当時作者の手のこんだ戯作とも思われかねない不思議な発表のされ方の作品であるが、やはり十五歳少年の作であることは疑えない。祖父への少年らしい愛情と死への嫌悪小便世話をする汚い看護中に、しびんの底に清水の音を感じ才能は異常であり、はやくも醜の中に美を見つけるこの異能文学者才能感覚あらわれている。 — 奥野健男鮮やかな感覚表現林武志は、寝たきりで下の始末も自らできずに死んでいった祖父介護した少年期体験川端人生及ぼした影響鑑み川端老醜強く意識させ恐れさせた「でき得るならば思い出したくない存在」が「祖父の幻映」だったかもしれないしながら晩年川端自殺触れて三島由紀夫一霊四魂主題にした最後長編豊饒の海』の中で本多繁邦老い醜さ描いて自決した時、川端意識浮かんだのは「老いた己が姿」だったと推察し、「その自覚恐怖させた“ひと魂”の怪物は、祖父の死態であったかも知れない」としている。 そしては、「(川端にとり)父母の死は〈夢〉に昇化し得ても、祖父の死はことごとくを見とどけたことの動かし難さがあった。死は美しいものだけではなく祖父の死もまた死であり、事実であった」と考察し川端作品見られる死に対す抽象性具体性、あるいは相対性絶対性」が、その文学の「となっていることを解説している。 江藤淳は、川端が『禽獣』を嫌い、この処女作十六歳の日記』を生涯偏愛続けた理由を、「ここに死んで行く祖父の姿を借りて、氏にのこされ最後現実重み定着されているため」とし、『十六歳の日記』は一見、「喪失記録」のように見えるが、「実は最後所有記録にほかならなかった」と考察して川端最後肉親との情念中に確実に自分生きたことを「所有」する思考があったことを指摘している。 竹西寛子は、『十六歳の日記』をその「瑞々しさ」の点で、『伊豆の踊子』と並ぶ作品だと評し川端作品特徴的な姿勢萌芽がそこに現われているという意味で、「門を閉ざした家で、死期迫っているただ一人肉親を看ては中学に通う少年の目には、涙も怒り眠りもあるのに妥協はなく、当事者ありながら同時に傍観者でありつづけるという目と物との関係は、この日記においてすでに定まっている」と解説している。

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金閣寺 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

三島文学金字塔近代日本文学傑作として評価定着している『金閣寺』には、数多く評論研究分析尽きことなく文芸的なもの、三島気質人生との関係から捉えたもの、実際放火事件比較したもの、精神分析的な見地のもの、語り性質小説構造論理解明したもの、など多岐にわたっている。まとまった論文最初のものは、三島同時代作家中村光夫評論があり、三島破滅願望やそれが不可となった戦後社会対す反感看取しながら分析したものの先駆としては野口武彦磯田光一の論がある。 『金閣寺』を三島作品中でも出色の作」「傑作」と評する中村光夫は、三島自身で、本職小説を書くときより戯曲の方が〈はるかに大胆素直に告白できる〉とし、それが〈現在の私にとつて、詩作代用をしてゐるからであらう〉と語っていることから、三島従来常識とは逆に、「のしっかりきめられた」形式の方が、「ポエジー(詩)」=「告白」できること鑑み実際に起った事件という明確な輪郭」の制約も、同じくその形式役割をなすとし、『金閣寺』も「金閣寺放火事件」という「事実」(ノンフィクション)の「仮面」により、三島の「大胆素直な告白」を可能にしていると解説している。 そして、この事件に「自己含めた時代狂気の象徴〉」を見出し、それを「確実に所有するために、この〈象徴〉を芸術によって再現すること」を希った三島にとって、「現代正気を保つ方法は、その狂気芸術的に生きて見るほかはなかった」と中村考察し三島放火僧の青年同時代人としての連帯感」を感じ、その狂気に「挫折した英雄行為」を見ているゆえに、主人公の「内面生活」を、自身の「内面論理代償することほど自然なこと」はなく、「自分文体彼に告白させている」ため、そこには三島自身も「なかばし意識しない〈詩〉が生まれている」とし、この三島試みた偽者告白」ともいえる「自我社会化」は、「日本の小説方法の上でひとつのすぐれた達成である」と解説している。 佐伯彰一は、三島諸作品に見られる敗戦による断絶意識」は『金閣寺』の中にも、「重要な劇的な契機」としてあり、「日本の伝統美の象徴」を放火するに至る主人公の「内的な動因」の中に、「敗戦欠くべからざる重要な一環」としてしっかり組みこまれ、それが主人公にとって、金閣の「永続的な伝統美を一きわ魅力的なもの」とすると同時に、「やり切れぬ反撥をもかき立てずにおかぬもの」とする要因一つになる解説している。そしてそれは、敗戦下の「頼るべきものを失った日本人」にとり、「自国美的伝統」が、「自信回復のためのほとんど唯一の手掛りであった同時に、「焦ら立たしいかぎりの内的呪縛象徴」と映った奇妙な二重性」とも重なり、「そうした伝統対す愛憎共存微妙なアンビヴァレンス」を、三島は『金閣寺』において、まことに鮮やかに小説化して見せた」と佐伯評している。 伊藤勝彦は、「戦時下非日常」と「戦後日常性」とで、金閣の像が大きく変貌する点から三島問題性捉え主人公終戦の日に〈金閣と私との関係は絶たれた〉と実感し、〈美がそこにをり、私はこちらにゐるといふ事態〉が再現され戦後金閣に、〈不満と焦燥覚え〉、〈疎外された〉ことに着目しながら、戦時下における軍人たち求めた自我滅却栄光根拠」である「絶対者」への帰一が、「一つ世界全体象徴しうるようなもの」(「神格天皇」)という形であったことを鑑みつつ、そういった性質の「自分超えた絶対者」「絶対他者」という存在が、常に三島前に厳然とあり、その「他者自己との間の見いだすこと」が、三島の「唯一の文学的課題」だったとし、「自分こちら側におり、向うには永遠に自分拒みつづけている世界」があり、「それから隔てられてある」ことは三島にとって耐えがたくそれゆえに、「相手こわしていいから、その中に没入してゆきたいと思う」のが、『金閣寺』のテーマだと考察している。 そして「完璧な全体性」はこの世絶対不可能であり、三島にとって「神としての天皇」も、「自分がそれから拒まれているところの〈なにものか〉」であり、〈金閣寺(美)と私〉という関係は、〈天皇と私〉という関係に置き換えられる伊藤考察し三島実人生鑑みて、「三島はずっと戦時下理念を引きずって生きてきた男であった」と述べ、以下のように論じている。 天皇は私の側へ、つまり人間へと近づいてきては絶対にならないものであった。なぜなら、天皇は神であることによってのみ、ある全体象徴することができ、私もまた、その天皇との関わりにおいて全体性参与することができるからである。もちろん、そのような全体性がもはや再現不可能な幻影にすぎないことを彼も充分承知している。けれども、戦争中では、すべての人が死によって天皇帰一することを願っていた、あの死の共同体ともいうべきものの中に生きること願わずにはおれなかった。戦時下において、彼自身はそれに参加することを逸してしまったのであるから、それだけに、よけいに、あの集団的悲劇参与することの苦痛恍惚大いなるもの想像せずにおれなかったのである。 — 伊藤勝彦三島由紀夫問題作」(『最後ロマンティーク 三島由紀夫』) 田坂昂は、〈美〉が〈金閣〉、〈人生〉が〈女〉によって象徴され主人公が「人生における異常者異端者」の象徴となり、その構造が『仮面の告白』と相似性があることや、「〈金閣〉と〈私〉との関係」が「〈私〉存在根本的規定を示すメルクマール指標)」であり、それがまた「〈世界〉〈私〉との関係」と相関関係中にあるという視点から『金閣寺』の論理考察し、美の象徴である金閣が、「現実金閣」と「心象金閣」とに分裂するのと同様、世界〈私〉の「内界」と「外界」に分裂し、「それらが統一的にあらわれるためには何かの契機必要なのである」と説明しながら、「世界滅びる日」といった「危機的状況」こそが、〈私〉から疎外感消し去り、「現実金閣」が「心象金閣」と重なり美しく光り輝くとなると論考している。 そして金閣放火される直前に、〈虚無この美構造だつたのだ〉と記され溝口金閣の前で、米兵の女を踏んだ時の記憶を〈悪の煌めき〉と呼んでいることから田坂は、「美とは虚無であり、虚無金閣の美の構造であり、美とはまた悪」でもあるとし、「美・悪・虚無三位一体のうえにそれを象徴して立つ建築」が金閣であり、その「美の世界」に完全に縛られしまえば、「完全に自閉して、現実人生とは完全に絶たれ世界住人」となるが、〈私〉は〈美〉に惹かれながらも、その「呪縛」を脱し、〈人生〉へ行きたいという欲求持ち、そこに「〈私〉金閣にたいする愛憎併存」があると解説している。 また田坂は、主人公人生(女)への〈関門〉をくぐろうとすると現れる金閣は、〈人生への渇望虚しさ〉を知らせ告知者であり、その出現により、人生は〈塵のやうに飛び立つ〉てしまうのは、美の目から見た人生が「俗塵」にすぎず、金閣出現の意味は、「〈美の永遠的な存在真にわれわれの人生拒み、生を毒する〉ものとしてあらわれること」であり、その毒は〈生そのものも、滅亡白茶けた光りの下に露呈してしまふ〉という」構図解説し、結びの一句生きようと私は思つた〉の「生」については、作中主人公溝口が言う〈別誂への、私特製の、未開の生がはじまるだらう〉という「掴みどころがない生の意味を、「ほとんど人生とは無縁」に思えるとし、「〈生きる〉としても、それは生なのか死なのかわかちがたいような〈生きる〉なのである」と考察している。 橋川文三は、自身三島同世代だという立場から、三島が「戦中戦後青年血腥い精神史」、「自己の精神史」を精確「告白」する見事な語り手であり、稀な存在だという視点考察し戦時中少年青年であった者にとり戦争は、「あるやましい浄福感情なしには思いおこせないもの」で、それは「異教的な秘宴(オルギア)の記憶聖別され犯罪陶酔感をともなう回想」であり、「永遠につづく休日印象」だったと振り返り、その「倒錯した恣意時代」では、三島海軍工廠の寮で〈小さな孤独な美的趣味熱中〉することも、何ら非愛国的異端」でありえなかったとし、以下の『金閣寺』の記述を引きながら、少年たちにとり敗戦は「不吉な啓示」であり、「死の共同体」から「日常的無意味なもう一つの死――いわば相対化された市民的な死がおとずれるまで、生活を支配する人間的な時間」が始まり、その平和は「どこか〈異常〉で明晰さ欠いていた」と当時分析しながら、徐々に確立する平和の「底意知れぬ支配」により、「三島美学権利感じ始める」と解説している。 敗戦は私にとつては、かうした絶望体験に他ならなかつた。今も私の前には、八月十五日の焔のやうな夏の光りが見える。すべての価値崩壊したと人は言ふが、私の内にはその逆に永遠目ざめ蘇り、その権利主張した。 —三島由紀夫金閣寺』 そして川は、「金閣寺主人公共生」が断たれ敗戦の日金閣寺は、「失われた恩寵時間凝縮して永遠呪詛のような美に化生」し、主人公は、「美の此岸とりのこされ、もはや何ごととも共生することができない」という関係性描かれているところは、「戦中から戦後へかけての青年絶望孤独の姿が、比類ない正確さ描き出されて」いるとし、以下のように解説している。 金閣=美を戦中耽美的ナルシシズムおきかえるならば、戦後もなお主人公を支配する金閣幻影が、青年にとって何であったかを類推するに困難ではないであろう。そこから、金閣寺を焼かねばならないという決意誕生また、戦後三島精神史あらわれた裏がえし自殺」の決意ほかならないことも明らかになるであろう。こうして、この作品は、実際の事件仮託しながら、三島美に対す壮大な観念的告白集大成したような観を呈しており、美の亡び芸術家誕生とを、厳密な内的法則性支配する作品中にみごとに定着している。『仮面の告白』に遙かに呼応する記念碑的な作品である。 — 橋川文三主要作品解説 金閣寺」(『現代日本文学館42 三島由紀夫』) ※上節と同様、解説文において三島自身言葉引用部は〈 〉にしています(他の作家評者論文からの引用部との区別のため)。

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櫻の樹の下には」の記事における「作品評価・研究」の解説

櫻の樹の下には』は、基次郎作品の中では短い方であるが、〈桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!〉という冒頭文章印象に残る人気作で、他の作品比べ、「かなり強いイメージ比喩」が多用されている。鈴木貞美は、「美に醜を対置し、美のうちに“惨劇”を見出すデカダンス美意識とその心理」が描かれている作品だと解説している。 伊藤整は、実際に次郎から直接語られ内容がとても衝撃的素晴らしかったために、整理短縮されていた発表作失望感抱き、「日光浴真黒になつた目の細い顔から白い歯を出して語る梶井自身の姿の魅力がなくなつてゐた」と思ったが、それは『櫻の樹の下には』が「凡作だといふことでは決して無い」と解説し日本人観念には珍しい印象ありながらも、「読了感じは、やつぱりなにかしら植物性のものであり、植物の美しさこれほどみなぎらした作品を私は知らない」と高評している。 日本近代作家の中でこんな美し幻想散文描いたのは、あるひは谷崎潤一郎の「母を恋ふるの記」にのみ較べられるやうなことではないかと思はれる。日本の小説家作れない種類美しイメージがこの作品にはある。最もボオドレエル的な精神書かれてゐながら、その類型ボオドレエルの「散文詩」の中に全く見当らないことも、彼のために書いておかねばならないだらう。しかし私は失望した彼の話しかたがあまり素晴らしかつたのである。そして今では彼のこの作品をあの話の輪郭として見、話の味を思ひ出糸口としてやつぱり美しいと思つてゐる。 — 伊藤整小説作法第一話)」 柏倉康夫は、刊行本檸檬収録時に削除された〈剃刀の刃〉の話の最終章について、「これがないと作品整合性崩れるのだが、その一方で話がボードレール散文詩のように作り物じみてしまうきらいがあって、梶井はあえて削除したであろう」と考察している。 桐山金吾は、話者〈俺〉が、華麗に咲く満開桜の花のあまりの美しさに、逆に〈不安〉と〈憂鬱〉に陥るが、〈桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる〉と信じることにより、〈不安がらせた神秘〉から解放され心が和むことから、「美に対す心象明確なかたちを浮びあがらせてくる、生と死平衡感覚描いた作品である」と解説している。 『櫻の樹の下には』の末尾の〈今こそ俺は、あの櫻の樹の下で酒宴ひらいてゐる村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めさうな気がする〉の一節について相馬庸郎は、「庶民」を「芸術的に発見」したのだと位置づけている。これに対し飛高隆夫反論して、「生活者論理対抗し得る芸術論理獲得」を意味していると解説している。 吉川将弘は『櫻の樹の下には』が「物語小説」だということ重視しながら、〈俺〉が〈わかつた〉と感じたのは、「生命の誕生終わり表裏一体の物である」ということだとし、「誕生どんなに美しくとも、裏側壮絶な死を隠しており、死はどんなに汚らわしくとも、美し誕生繋がっているということである」と考察しながら、話者〈俺〉が〈お前〉に求めているのは、単なる理解だけでなく、自分と〈お前〉を重ね合わせようとしているとし、「その思想を、二人で共有しようという願い共同体作ろうという願いが、そこにはある」と論考している。

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母の初恋」の記事における「作品評価・研究」の解説

母の初恋』や、同時期に書かれた『夜のさいころ』『ゆくひと』『年の暮』などの短編群は、本格的な論究をされることはほとんどないが、いずれも川端自身深く愛している幸福な作品とされ、それらに登場するヒロインたちは、みな「純潔な少女」という共通点がある。 三島由紀夫は『母の初恋』について、川端自身第4章母の死の章)に愛着があると述べていることを受け、その章で「少女可憐さ」がよく表現されている一節の、〈雪子はまた溝の縁を歩くのである。「真中歩けよ。」と、佐山言ふと、雪子はびつくりして、ぴつたり寄り添つて来た〉を「大事な数行」として挙げ、それを「中世象徴図めいた神秘な構図」と呼んで以下のように解説している。 「雪子はびつくりして……」。さうだ。彼女は何も知らず何も意識してゐないのである。溝の縁を歩くといふ、彼女の生い立ち運命とがそこから残らず読みとられてしまふやうな悲しい癖も、「われしらず」してゐることであれば一方吃驚して佐山にぴつたり寄り添つて来ることも「われしらず」なのである。溝の縁と佐山との二つ運命のあひだにぽつねんとこの可憐な少女置かれてをり、その彼方には星のやうに死せる母の眼が夜の奥から娘の運命みつめてゐるのである。かうしてこの作品象徴の鍵が簡素な構図によつて示される。 — 三島由紀夫「『夜のさいころ』などについて」 また、「母の思ひ神秘な力で娘の生(いのち)をくぐつて伝はつてゆく」という『母の初恋』の主題は、『夜のさいころ』にも関わりがあり、そこでは「純粋な無為の形にまで高められ」て、「さいころの目を思ふがままに出してみせた母の手業は、やがて娘の手五つさいころが一ばかり出る〈美し花火〉のやうな奇蹟成就させるよすがとなる」と三島説明し、その前段川端が〈みち子の全身には、なにか神聖なよろこびあふれてゐた〉と書いていることを鑑みながら、この「奇蹟」の語られ方の「簡素な正確さ」は、古い宗教的な説話が持つような迫力伴いつつ、「受胎告知静けさに近づいてゐる」と解説している。 『ゆくひと』について三島は、「きはめてささやかな小さな水晶耳飾りのやうな小品」だとし、「浅間噴火が、無機質生命(と謂はうか)の遣瀬ない怒りをたえず投げかけて、齢やうやく思春期に入つた少年苦しみ呼び交はしてゐる」と評している。そして、この小説読んで、「自分の肩に、誰しもこの少年年頃夢みたであらう一人年上の娘の掌の柔らかさ温かさ感じ、更にをののく自分少年期の肩のかよわさをありありと思ひ起こさない人」は、川端文学十分な読者とは言えず、ましてや最後の行の「純潔な怒り」は分からないだろうと解説している。また、年の暮』については、川端芸術論見られるエッセイ風な小説で、その「語られる方法」にも耳を澄ます必要があるとし、それは川端の「こころ」が、「言葉字面からよりも、言葉組み立ててゐる糸の張りや、その糸が弾かれ立てる音からひびいて来る場合ままあるからである」と説明している。 そして、『母の初恋』の雪子をはじめ、『夜のさいころ』のみち子や『ゆくひと』の弘子らが、「純潔な少女」であることを三島指摘しつつ、その少女川端の「全作品をつらぬく主題象徴」であり、川端作品大事な主題の「嘗て内面が窺ひ知られたことのない生の或る現はれ」であり、それは川端軽々に心理の沼」へ足を踏み入れることのない「一つ純潔な決心象徴のやうなもの」でもあると解説している。そして川端が『文学的自叙伝』の中で、〈好奇触覚繊弱物見車乗せて人生文学素通りして来た。素通りありがたさ〉と語っている部分に「薫り高い操持」の秘か決心三島看取して、以下のように語っている。 人は内面に入るとき、いかに多くのものを失つたかに気づかない。その失はれたものを、川端さんはしばしば「こころ」といふ優しい言葉でとらへて来てをられる。それをとらへる力は、啻(ただ)に感覚といふやうなものではない。日頃死んでゐるやうに見えるわれわれのいはば絶対的な生が、少女や花や小鳥のやうな「生それ自身」――いはば絶対的な生――に行き合ふときに、覚えずにはゐられない瞬間まぶしさ、これにつづく何事をも願はない清冽なためらひ、さういふものから生れ出てくる力かと思はれる。時として私たちさういふ絶対的な生をも、相対的な生の物差割り切ることを理性と考へ、自分が揺ぐまいとする努力のすべてを失ふ。しかし川端さんの文学態度は、たえず無偏なものをうけ入れ仕度をしてゐる。いはば虚しさの裡にあふれた待つことの充溢であり、虚空ふりそそぐ美酒待ち設けてさし出された盃であり、神々の饗宴にそなへた純白卓布のやうでもある。それはまた今のやうな雑然たる時代との対照に於てリルケ羅馬或る庭園見たあのふしぎなアネモネの花を思はせるものがある。 — 三島由紀夫「『夜のさいころ』などについて」 高見順は、『母の初恋』に感動し雪子が溝の縁を歩く姿が「永く心に残ったものだ」と述べ、『夜のさいころ』も心にしみ、「さいころを降る踊子忘れられないものに成りそうだ」としながら、そこには、『伊豆の踊子』とは違ったニュアンスがあり、川端浅草踊子物の中で、特に気に入ったものの一つとなった評している。また『年の暮』については、気持ち楽にした仕事とは違う「にがい」「からい」小説だと評し主人公・泉太が娘の声を聞き、〈ああ〉と思い、その思いを〈説明しにくかつた〉と言う個所が、川端小説読んで「ああ」と感じ、その思い解説しにくいことと共通しまた、泉太が娘の声を久しぶり聞き、〈ぱつと花が開いたかのやうに〉感じて驚く個所は、川端小説から与えられる喜ばしい驚き」と同じよう感覚だと解説しながら、泉太の中には川端の「一種自己批評のようなもの」あり、小説自体中に解説含まれているとも言える高見指摘している。 森本穫は、伊藤初代との再会という川端実体験作品成立の経緯となっている点から鑑みて初代の突然の婚約破棄で、「不可解なままに愛を喪った」川端だったが、「その真剣な思慕は、ちゃんと初代通じていた」とし、「康成の愛は初代によって思い出され次第大切な思い出となって苦境にある初代の心の支えとなった」と考察しながら、初々しさ美しさ失われた初代との再会に「美神」の像は崩壊し川端内部から「伊藤初代」は去ってしまったが、その娘から愛されたいという願望が、『母の初恋』を生んだとして、以下のように解説している。 康成のなかに回復した伊藤初代という〈美神〉は、いったん崩壊しても、そのままでは終わらなかったのである。康成の内部に、痛切な希求として生きつづけ、ひそかに成長しつづけた。それが母の愛が娘のなかに生きつづけるという発想つながったのである別れたのちも想いつづけてくれた初代の愛は、娘に受け継がれるという思いがけないかたちで、ふたたび蘇ったのだ。〈美神〉の誕生――「母の初恋」は、そのような康成の悲痛なまでのねがいが成就された作品のである。 — 森本穫魔界の住人 川端康成 第三章 恋の墓標と〈美神〉の蘇生――自己確立へ」 そして森本は、川端が『母の初恋』を具体化していた時期は、従兄黒田秀孝の三女政子養女として引き取ることを考えていた時期で、それが作品影響しているとして、「政子養女として引き取ることによって、康成は、かつての伊藤初代代わる新しい〈美神〉を獲得したではないか」とし、川端先験的愛情傾け少女共通する要素として、「いずれも市民社会での定着した生活的基盤持っていなかったこと」、「寄る辺少な身の上であったこと」を挙げている田中保隆の論を敷衍しながら政子モデルにした『故園』の少女民子5歳実の父と別れ母子家庭育った病弱な少女)が、「(川端と)血縁少女だが、伊藤初代踊子共通する寄る辺少な身の上〉の少女」であり、川端が『伊豆の踊子』の薫から寄せられ無償の愛、無心好意共通性が、『故園』の「民子」にもあることを指摘し、その名前の点からも、「『母の初恋』は、まるで『故園』の少女との邂逅予期したのような作品」だと論考している。

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作品評価・研究

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ある心の風景」の記事における「作品評価・研究」の解説

ある心の風景』は、それまでの『檸檬』に見られたように創造力により現実変貌させるものとして対象レモン)と関わっていたのとは異なり、見つめる対象風景など)との交感融合により心が解放されるという受動的なものに変化しており、苦悩凝視する作家的な眼や、後継作品群に連なる自我分離テーマや死の意識萌芽見られる転換的な意味を持つ作品として位置づけられている。また、作中の「視ること、それはもうなにかなのだ。…」から始まる「存在認識交換」「内部外部相互滲透」的な感覚体験顕著に示している一節梶井論でよく引かれるが、『ある心の風景』もこの感覚体験中心に論じられることが多い。 『ある心の風景』は初出当時も『青空同人の間で非常に評判がよく、それまで次郎作品辛かった友人中谷孝雄絶賛し外村茂も「苦悩凝視して動ぜぬ作家の眼と精神ができている」と評している。中谷その後にも、「頽廃の生活を描いて秋天のやうに澄み切つた傑作」だとしている。 これは素晴らし作品である。私たちは、ここまで来て作者背丈がぐつと伸びたことに打たれるのであるゆるぎない芸術家の姿がここにはある。これまでの彼の作品には、妙に作者力んでゐるところが眼についた。ここが見せ場ですよと、見得を切つてゐるやうなところがあつた。(中略)すべてそうした欠点がこの作品に於いては見事に超克され、作者人工絶した天造傑作となつてゐる。 — 中谷孝雄梶井基次郎井上良雄は、第4章顕著な、見つめる対象一体化し眺め一切風景が〈心の風景〉となる基次郎の「稀有な」特性について、「対象を見るとは、対象中に生きること以外ではない」とし、その「原始人様に感覚だけで世界交渉するあり方に、「自我世界との分離」という「近代知性苦悶敗北」を乗り超える活路見出し、「(梶井)氏の憂鬱とは原始人憂鬱に他ならない」と考察している。 恐らく原始人だけがこの様風景を知つてゐた。石の中にも中にも、己の中と同じ酔うに蠢いてゐる精霊感じて、それと闘ひ、怖れ、火を焚いて祈つた、あの原始人だけがこの様感覚の初発性を持つてゐた。(中略近代人にあつては観察とは常に飽くことのない自己意識意味した。不安と焦燥がいつもそこから生れて来る。併し梶井氏にあつては、見るとは常に完全な自己喪失である。意識対象の中へ吸ひ取られてしまふ。自分死んで対象生きて来る。 — 井上良雄新刊檸檬』」 さらに井上は、『ある心の風景』の〈視る行為、「自己喪失」の状態と連なるある崖上の感情』での主人公の見る行為、〈恍惚〉の心の状態に触れて、「事実梶井氏にとつては、見ること――己れを放棄して対象中に更生すること、これ丈唯一つの生き生きした生き方であつて、これ以外の生き方は、ただ〈見ること〉に還元されてはじめ光彩を放つことが出来るのだ」とも解説している。 ちなみに、この井上の評(詩と散文 1931年6月号に掲載)を読んだ次郎は非常に注目し、〈この人は僕がながい間自覚しようとして自覚出来なかつたことを剔出してはつきりさせてくれた。僕の観照仕方に「対象の中へ自己再生さす」といふ言葉を与へてくれただけでも、僕は非常に有難いことだつた〉と少し言葉変えて北川冬彦語っている。 越前実は、井上良雄見解の「自分死んで対象生きて来る」という表現よりも、基次郎本人井上共鳴しつつ自身感覚を〈対象のなかへ自已を再生さす〉と言い表している方が的を射ているとして、基次郎もまた病める近代人であり、安東次男梶井論で指摘したように、近代倦怠味わった者が持つ「物質不可浸性を無視する態度を基次郎持っていたとし、「梶井にとって、殆ど唯一の休息呼べ時間は、対象入り込んでいて、対象一如になってしまう、ほんの短い時間だった」と考察している。 病んだ自己は、その心のはけ口求めて対象へと突入して行き観念対象充溢した時、始めて動きをとめる。そこでは、落ちつきと静譜が支配しており、憂うつが、「ある距り」をもって眺められるのであるその時やっと、梶井は、自已を取り戻す。そうした一連の動きは、神秘的と言ってもよい。だからこそ梶井は、自己の動乱する心を、どうしても言表たかった。しかし、神秘的な心の様相言語化することは難しい。梶井は、「心の裡のなにか」としか言えないし、「視ることそれはもうなにかなのだ」と言い、「自分の魂の一部分或いは全部がそれに乗り移ることなのだ。」と言ってはみるが、この対象との不可思議な合体を、十分に言い尽くせない思いをしているだろう。ただ、梶井にとって、確実なのは、「ある距り」を置くことのできる心が、平隠さを取り戻し憂うつから解き放たれているということである。 — 越前実「梶井基次郎研究(1):『檸檬』『城のある町にて』『ある心の風景』」 谷彰は、作中夢に見られる母親対する基次郎深層意識について、八木恵子指摘した母子関係見解敷衍し、「夢の中で母親は、加害者であると同時に治療者でもある、という二面性をもって喬の前に現れている」という特性から、基次郎三高時代の「デカダンス」の要因根幹厳格抑圧的であった母親対す背反意識があったのではないかとして、基次郎放蕩は「母権からの離脱」であり、その意味母親は基次郎を「デカダンスへと追いやった加害者であったとしている。 しかしその放蕩生活で神経衰弱に陥ってしまった基次郎が、「心身癒やしてくれる、治療者である母親像」を求めていたことが諸所習作散見でき、その両方母親像が象徴的に現れているのが『ある心の風景』の夢の描写だと谷は解説している。また、母の治療でも不安が解消されないのは、その根本が〈女を買ふ〉という母への裏切り行為であるためだとし、その裏切りは喬自身の「自己の無垢な精神対する、堕落した肉体の裏切り」でもあり、「精神の純粋性という一つ自我拠点」が奪われたことをも意味するしながら、さらにそこから喬(基次郎)が「精神肉体分離」「自然と一体化」によりカタルシス得ていく内発性を谷は考察している。 母権背反する行為により母から自立した青年は、現実苦難堪えかねて母胎回帰夢みても、幼児期のような完全な母との一体化望み得ないそういう青年期における母子関係を、喬の性病という設定は、最も端的に浮び上らせる効果有している。喬の病鬱の淵源に、このような青年期特有の孤独不安定な心理があることを見過ごしてなるまい。(中略)喬の感じている〈堪らない自己嫌悪〉とは、倫理意識とする自己同一性喪失した自我不安定さの謂に他ならない。(中略そのような喬が選ぶべく残され唯一の手段は、精神肉体分離図り堕落刻印され肉体自己から排除することによって、精神無垢性を回復させることである。 — 谷彰「梶井基次郎ある心の風景』論――光と影せめぎ合い」 そして谷は、朝鮮の鈴によってカタルシス最高潮達した第5章終わらず終章で〈一点燐光〉に象徴される〈私の病んでゐる生き物〉が現実として直視され、カタルシス相対化されている点を重視し、この時期の基次郎自身の病(結核)の背後に「死」を強く意識し始めた背景鑑みながら、病という「明確な存在」に意識注がれている『ある心の風景』を、「青年期精神病理から〈死〉の意識へと、梶井危機的現実認識移行していく、過渡期作品一つ」として位置づけ、〈えたいの知れない不安な塊〉を見つめていた『檸檬』の流れからの一つの「ターニングポイントになっている解説している。 「病い」は、もう決して〈えたいの知れない存在などではなく、〈死〉という絶望的な闇へと通じる、過酷なほど明瞭な現実として、梶井目に映った考えられるのである。「ある心の風景以後梶井が、魂は昇天する肉体水死するという霊肉分離極限描いたKの昇天」や、〈死〉を直視せざるを得ない絶望感全面出した冬の日」等の作品で、死に対す傾斜深めていることが、そのこと物語っている。(中略)「ある心の風景」から立ちのぼってくる〈死〉の気配は、また微かなものに過ぎないが、それは、湯ヶ島時代梶井発見する絶望的な闇の深さに、確かに通じるものだと言えるのである。 — 谷彰「梶井基次郎ある心の風景』論――光と影せめぎ合い高橋英夫は、梶井文学感じる「暗さ明るさ」「明るさ暗さ」という「両義性」について、「両義的というにしては痛切にある一つのものを目ざし一つのものに届いている」気がするとし、基次郎が「両義的あるようでいて、唯一なるもの」に達していたことが示されている代表的な箇所が、『ある心の風景』の〈視ること、それはもうなにかなのだ。…〉から始まるモノローグだとし、その「内部外部一致」「存在認識交換」的な不思議な感覚もたらされる時、主人公(基次郎)にはそれが「歓喜なのか苦悩なのか」、「自分が暗いのか明るいのか」を「見届けきれないような場所にいま立っている」と思うしかなかったろうと考察している。 強いてうならば、それは梶井青春とか病気とかに捉われ人間であったことによって、日ざしとかとか木立などのものの世界発見し心と感情とか感覚となって揺れ動いている自己というものをも発見したということ意味していた。捉われたことにおいて不幸であり、発見において至福を得るという経験を、短命予知してであろうか、ほとんど瞬時のうちに同時に実現してしまった痕跡が、いたるところから読み取れる。 — 高橋英夫存在一元性を凝視する」 そして高橋は、基次郎実現していた「存在人間との一元化」(既成の神の観念思想とは関係なく、感性意識内部から起きている)に、「五官が溶かされて融合し一つ透明な感性祝祭導き出している」ようなもの、「視覚聴覚の渾然一体への希求」を感じるとして、『ある心の風景』の梶井文学における意味について以下のように解説している。 それらは超越的な状態への夢および実現意味してもいたが、それと共に人間的には深い危機の底に近づいてゆくことでもあったかしれない。「ある心の風景以後、この危機兆し顕著になっていったことは、「筧の話」「蒼穹」といった伊豆湯ヶ島題材にした小品にも、幻聴自意識追求した器楽的幻覚」や、透視想像力作品桜の樹の下には」にも見出される。あるいはロマネスク情景遠景窓の中発見してゆく「ある崖上の感情にしてもそういうものの一つだと思う。 — 高橋英夫存在一元性を凝視する柏倉康夫は、『ある心の風景』で基次郎描こうとした主眼は、いつの間にか身についていた〈凝視る〉という自身習慣の意味を問うことにあったとし、「間然するところのない精緻な文章」により「情景と心の動き」が描き出され、〈見る〉という行為からもたらされる至福瞬間、その歓び」が物語られていると解説し、『城のある町にて』で城跡から景色眺め主人公感慨や、「澄んだ音が主人公波立つ心を鎮める」という同質性についても指摘している。 喬は周囲景物自己投射し、情景は喬の内面投影となり、二つ混然として一つ風景つくりだす。(中略)しかもこうした心の状態にあっては自分眺めもう一つ視線がうまれる。内的な距離をもって自己をみつめる眼差しによって、心は穏やかさをとりもどすのである。(中略)「夾竹桃そのまま彼の憂鬱であつた」とは、見る主体と見られる対象真の合一状態の表現のである。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」 また柏倉は、第5章で、コロコロと鳴る朝鮮の鈴の〈美し枯れた音〉により救済予感得て心を鎮めた喬が、〈とことはの過ぎゆく者〉と自身感じるのは、「己を眺め余裕」を取り戻したからだとし、「この感慨こそ梶井好んで用いる〈旅情〉にほかならない」と解説している。そして最後の第6章での〈青い燐光燃しながら〉、喬の眠った後も起きているものについては、「闇の中にやがて消えてゆく自我睡眠あるいは死までを予感させる)と、いつまで目覚めていて、そうした自分眺めているもう一つ自我分離語っている」として、その「自我分裂」が後の梶井文学主要テーマとして発展することを見て、『ある心の風景』を「まちがいなく一つ頂点画す作品」だと位置づけている。

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ある崖上の感情」の記事における「作品評価・研究」の解説

ある崖上の感情』は、『冬の日』から『冬の蠅』までの作品散見される絶望的苛烈ニュアンスから比べると、俯瞰的穏やかな心境見ていく姿勢変化しているため、その後の作品に繋がる新たな一つ転機見られるものとして位置づけられている。また元『青空同人以外の井伏鱒二舟橋聖一などからも注目され、その界隈での存在感強まった作品でもある。 井伏鱒二風の噂で、「梶井基次郎といふ素敵なやつがゐる」という話を聞きその後文藝都市』の同人となった際に、そこに掲載された基次郎の『ある崖上の感情』を初め読んで、「なるほど梶井は噂にたがはぬやつに違ひない」と確信するほどこの作品感銘している。その時同人崎山猷逸も、「夜霧のことなんか書いてなくつても、夜霧書けてゐるんだ」と喩えて高評していた。 そして、その号の『文藝都市』の同人合評会の意見の中で、「生活が書けていない」「イデオロギイの洗礼受けてない」などという否定的な評もあったが、浅見淵が、「無論それは梶井君の作品醍醐味認めた上での慾だらう」と執りなしたという。ちなみに、それらの批評聞いていた基次郎様子について井伏は、「梶井君はむつとしてゐるやうに見え、あるひは超然としてゐるやうにも見え、ほんの一言、何かちよつと発言した」と振り返っている。 舟橋聖一も、作中の〈空の空なる恍惚歳〉を引用しながら激賞し淀野隆三は、「抑制され瑞々しいエロティシズム感じさせる作品」だと好評している。 井上良雄は、他人ベッドシーン実際に見ることよりも、〈心を集めてそこを見てゐる〉状態に恍惚となる生島が、何の刺激もない己の性交に、その陶酔感加えるため崖上に二重人格空想自身を立たせ、その二重人格に己のベッドシーン見させるというメカニズム(「自己喪失の状態」「自我世界とが一如になつた状態」)を作ることについて考察し、「事実梶井氏にとつては、見ること――己れを放棄して対象中に更生すること、これ丈唯一つの生き生きした生き方であつて、これ以外の生き方は、ただ〈見ること〉に還元されてはじめ光彩を放つことが出来るのだ」と解説している。 小林秀雄は、「『ある崖上の感情』で生と死感情果敢に結びつけられ表現されてゐる様に梶井氏の暗鬱明朗から直接流れ出たのである」と評しエピローグの〈ある意力ある無常感〉という言葉にも着目している。 柏倉康夫は、エピローグ石田達した〈ある意力ある無常感〉を、『冬の蠅』の最後主人公感じた人間超えたある力」と同質だとしながらも、その同じ「到達点」が異な立ち位置から示されているとして、その意味考察している。 「ある崖上の感情」は「冬の蠅」と同じ到達点を示している。ただ二つ作品微妙に異なるのは、「ある崖上の感情」では、石田が性や死を含む人間営み俯瞰するの上立っていることである。だがそうした場に立つことが、現実生きていく人間にはたして許されるだろうか。それはいわば神の視座であって人間は死ぬまで崖下世界にとどまるように運命づけられているのではないのか。それとも梶井病を得おかげで現実の世界から一歩抜け出す境地踏み込んでいたというのであろうか。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」

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闇の絵巻」の記事における「作品評価・研究」の解説

闇の絵巻』は、初出掲載時に新聞文芸時評高評され、基次郎作品公に文壇認められ最初作品といえるのである三好達治からも、「天下の人が如何様申そうともこの一編名作なることは小生太鼓判を押す」と励まされていたため、基次郎にとって自信と安心を得た作品でもある。文学史的にも評価が高い作品で、名作短編としてしばしばアンソロジー取り上げられている。 川端康成新聞文芸時評において、舟橋聖一の『海のほくろ』や堀辰雄の『窓』、吉行エイスケの『新種族ノラ』の作品論じた後、基次郎の『闇の絵巻』を取り上げ高評価している。 それから短いものでは、梶井基次郎氏の「闇の絵巻」(詩・現実)がこの前の「愛撫」に続いて、やはり深く澄んだ心境見せてゐる。新興芸術派お祭り騒ぎの底に、怪しい光りを放つ一個の眼である。彼の作品を見ると、私は厳かな寒気感じる。 — 川端康成芸術派作品評す――新作家の作品大谷晃一は、前方の闇に消えていく1人の男の描写触れ、この闇は「死」を意味しているとして、「その風景死んで行く人そのものの姿」を表現していると解説している。また、闇の絵巻』が闘病苦しみの中で書かれながらも、それは絶望そのものではなく、基次郎が「ゆとり」を持って回想しているとして、「悟り境地見つけたかのよう」に眺め描かれていると考察している。 菱山修三は、この男が登場する箇所語り手が、〈自分も暫らくすればあの男のやうに闇のなかへ消えてゆくのだ。誰かがここに立つて見てゐればやはりあんな風に消えてゆくのであらう〉という感慨抱いていることについて、以下のように論じている。 まさしく氏はその肩の上に担つてゐるシメエルの顰め面眺め返へしたことであらう。しかしそれを顧みたときでさへも、氏の眼の写したものは、氏自らの宿命踏み越えた、悲哀心情絶した、美のきつい一つ表情であつた。人々は氏の精密な構造を備へた眼に常に愕くであらう。しかしなほ、愕くべきことはその先にあるのだ。そのいづれの精神的遺産に於いても、氏の眼がこのやうに必ず美の形態を捉へずに措かなかつたことを人々愕くべきだ。(中略屡々諦め」に違い観想が氏の重い病苦の胸のなかを去来したに違ひない。けれどもその結果は必ず、もともと氏の肉体深く根ざしてゐる強い意欲となつて還つて来た。(中略)氏は純粋に感性作家であつた。と共に怖るべき意欲的作家であつた。まことに氏の如く病苦と闘ひながら、いはゞその生の論理一律確信を以て貫かれてゐるのは稀有場合であらう。 — 菱山修三 「再びこの人を見よ――故梶井基次郎氏」 佐々木基一は、「梶井イメージ局限の形」を『闇の絵巻』にみることができるとし、「闇のなかで、彼の感受性全開して、すべてを自らのうちに吸収し尽くそうとする」という特性論じながら、「これほど闇の造型熱中した作家詩人が、かつてあったろうか」と述べ、『闇の絵巻』の冒頭部語られる裸足踏んづける〉という「絶望情熱」を美しいと評して、「梶井基次郎たしかに一匹悪魔背中背負った作家であったにちがいない」としている。 鈴木二三雄は、湯ヶ島時代眠れぬ夜過ごし自殺まで考えていた基次郎の〈絶望への情熱〉を昇華させた「その結晶度の最高を示すもの」、「梶井文学華麗な金字塔というべき傑作」と『闇の絵巻』を高評し、基次郎3年前湯ヶ島からの〈絶望への情熱〉を脱却し、「冷静な境地において過去感動昇華し凝縮して,絢たる絵巻となした」作品だと考察している。 鈴木沙那美は、『闇の絵巻』において基次郎が、「闇に身をまかせ、闇の溶け入ろうとする濁りのない情念を、闇の道を歩いていくときの透明な緊張感を、回想する形式の下にゆったりとした語り口で」綴っていると解説している。 柏倉康夫は、『闇の絵巻』で「梶井の闇の体験」が「不安と安息のあいだを振れ動く」とし、電燈の光をシンバルの音に喩え、石をぶつけ〈芳烈の匂ひ〉を嗅ぐなど、語り手が「暗闇のなかで研ぎ澄まされ視覚聴覚嗅覚総動員して闇の実態つかもうと」していると解説している。また、次郎実際湯ヶ島街道の距離を約半分長さ縮めたことで、「闇の中灯り瀬音匂い、それらに連れて変化する心の状態を、緊迫感をもって描いた」と評している。 そして柏倉は、『蒼穹』でも描かれている光から闇に消えていく前景の男の挿話対す語り手(基次郎)の心境微妙な差異触れて、〈深い悲しみ似た感情が私を突刺した〉、〈彼の肉体喪失してしまつたのではないか〉と記されている草稿第1稿では、〈闇〉は「死と同義語」として捉えられ語り手が「この光景から死を予感している」とし、そこから〈云ひ知れぬ恐怖情熱覚えた〉となる『蒼穹本文では、「自己の消滅から恐怖とともにある種情熱感じている」と解説しながら、『闇の絵巻』ではそれが、〈一種異様な感動〉となることを、「この感情には一種諦念こめられており、それは安らぎ通じるものである」と考察している。 横山明弘は、『冬の蝿』や『蒼穹』では、〈絶望駆られた情熱〉〈闇への情熱〉が主題となっているのに比し、『闇の絵巻』ではそれが退いているが、『冬の蝿』や『蒼穹』の〈死〉や〈絶望〉、〈不安〉や〈恐怖〉の感情はまだ払拭されてはいないとし、〈安堵〉や〈安息〉との間を交錯しているものと考察している。 この作品教材価値は,死がすでに予定として組み込まれてしまった人問の心情理解にあると言える死に対する〈恐怖〉と、死ねば楽になり〈安息〉が得られるという〈諦念〉と〈慰撫〉、それらの交錆する微細な心情を、表面上闇への心情として象徴的に描き出している。われわれ読者は闇の美しさ魅了されながら、作者深刻な内面触れざるを得ないのである。 — 横山明弘「『闇の絵巻』の教材分析飯島正浅野晃は、『城のある町にて』の描写法同様に、『闇の絵巻』にも映画的カメラアングル角度変えて移動ズーム近づく)が見られる評している。 五十嵐誠毅は、黒々とした山の中腹にある電燈閃光に対して感じた視覚的な恐怖〉の印象を、聴覚的比喩表現している〈バアーンとシンバル叩いたやうな〉という箇所について、「共感覚的な換位性」と呼んで解説している。

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癩王のテラス」の記事における「作品評価・研究」の解説

癩王のテラス』は三島主題が、より色濃く示されている最後戯曲として重要な作品であり、エキゾチック華やかな戯曲として評価悪くないが、それにもかかわらず本格的な論究があまりされていない向きがある。 当時反響としては、「華麗異様な物語」、「不滅青春対す作者かぎりないあこがれせつないほどにあふれた格調高い娯楽作品」といった新聞評をはじめ、奥野健男戸板康二磯田光一などが好評し、磯田は、同時代政治的な暗喩を読むことも可能な「〈自己否定〉の宿命を負うた人間の、極限的なドラマ」と解説している。 佐藤秀明は、病魔冒された王の寺院建立は、「芸術家自己の存在賭けて作品作るのとアナロジカルな関係にある」とし、しかしながらバイヨン建設企図した「精神」が死んで完成したバイヨンとしての永遠肉体」が不死を誇るという、死期迎えた王の前に健康な若者の王」が出現するラストシーンに、その逆説的関係が生かされていると解説している。 辻井喬は、『癩王のテラス』の中の以下のような台詞言葉には、三島自身戦後心境生き残ってしまった青年としての自分思い戦争死んだ同世代兵士たちへの鎮魂)が述べられていると考察している。 「今の王様にとつては、ただこのお寺完成だけがお望みなのだ。そしてお寺の名も、共に戦つて死んだ英霊たちのみ魂を迎へるバイヨン名づけられた。バイヨン王様はあの目ざましい戦の間に、討死してゐればよかつたとお考へなのだらう」 —三島由紀夫癩王のテラス」 なお、三島自死前に恩師清水文雄宛て送った最後書簡で、執筆中のライフワーク豊饒の海』を〈小生にとつては、これが終ることが世界の終り他ならない〉とし、この小説バイヨン喩えながら、以下のように語っている。 カンボジアバイヨン寺院のことを、かつて「癩王のテラス」といふ芝居書きましたが、この小説こそ私にとつてのバイヨンでした。書いたあとで、一知半解連中から、とやかく批評されることに小生は耐へられません。又、他の連中の好加減な小説と、一ト並べにされることにも耐へられません。いはば増上慢限りでありませうが……。 — 三島由紀夫清水文雄宛て書簡」(昭和45年11月17日付) 松本徹は、『癩王のテラス』には、「芸術家たるものは滅びるより外はないのだということ」が示されながらも、その〈肉体〉の永遠には「唯識論」が踏まえられているとし、〈肉体〉の一刹那強調には、三島の「敗戦前の日々生々しい記憶」への関連があると考察している。 小埜裕二は、三島が〈自分の全存在芸術作品移譲し滅びてゆく芸術家人生比喩と言った滅び〉に、どういった意味を読み取るかが論究主眼なるとしながら、その〈滅び〉は「宿命であり、栄光でもあったのではないか」とし、「三島にとってのバイヨンである〈作品〉は、若々しい肉体の美を理想として象られていったものであり、生身肉体滅び引き換え理想の〈肉体〉は現実のものとなるのである」と解説している。

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作品評価・研究

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檸檬 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

檸檬』は、梶井代表作というだけでなく、日本文学傑作名品として多く作家たちに高く評価されているが、同人雑誌初出当初注目されておらず、6年後に単行本化され、井上良雄や、その翌年小林秀雄が『檸檬』を本格的に論じて高く評価してから、梶井文壇認められるきっかけとなった小林秀雄は、『檸檬』は「(梶井の)観念的焦燥追求する単純性や自然性象徴ではない」とし、それは、むしろ梶井自身の「資質」だと指摘しながら、梶井という作家は「観念上空疎な過剰や、苛立たしい飛躍を全く知らぬ。或ひは必要とせぬ作家」であり、その「焦燥」は、「知的といふよりも鋭敏な感受性強ひられた一種胸苦しさ」だと表現して以下のように評している。 これは言ふまでもなく近代知識人頽廃、或ひは衰弱表現であるが(尤も今日頽廃或ひは衰弱の苦い味をなめた事のない似而非エセ知的作家充満を、私は一層頽廃或ひは衰弱現象であると考へてゐる)、この小説の味はいには何等頽廃衰弱を思はせるものがない切迫した心情童話の様な生々とした風味をたたへてゐる。頽廃通有する誇示もない。衰弱の陥り易い虚飾もない。飽くまでも自然であり平常である。読者はこの小話で「檸檬」の発見語られ作者古くからもつてゐた「檸檬」を感ずる、或ひは作者いつまでも失ふまいと思はれる古くならない檸檬」を感ずる。 — 小林秀雄梶井基次郎嘉村礒多」 『檸檬』は主人公のおかれている境遇性格描写などが省かれ、ただ感覚世界だけを描き出しているが、鈴木貞美はこれについて、梶井習作瀬山の話』で「自身内面全体定着しようとする試みに挫折」し、『檸檬』において「束の間精神愉悦リアルに再構成する方法選びとったとき、梶井基次郎世界礎石築かれた」と考察しながら、鬱屈した心の状態で一個レモン出会ったときの梶井の「感覚のよろこび」について以下のように解説している。 そこに、たかだか一個レモンを、この世すべての善いもの」「美しいもの」に匹敵する感じ倒錯した心理浮き彫りになる。そして梶井は、レモン爆弾見立てることに、自分圧迫する現実破砕してしまいたいという夢を刻みつけた。(中略)この感覚的経験再構成というある意味では全く素朴な方法は、近代小説意匠からは遠くそれゆえにこそ彼は作品固有の形態与えるための独自な模索続けてゆくことになるのである。 — 鈴木貞美檸檬を書く」 三島由紀夫は、中島敦牧野信一と共に梶井基次郎を、「夜空尾を引いて没した星のやうに、純粋なコンパクトな硬い個性的独創的な、それ自体十分一ヶの小宇宙成し得る作品群残した作家位置づけ、「梶井基次郎くらゐの詩的結晶成就すれば、立派に現代小説活路になりうる」とし、梶井は「感覚的なものと知的なものとを綜合する稀れな詩人文体創始した」と考察している。 そして三島は『檸檬』を日本短編の最高のものとし、「一個レモン読者眼の前放り出されたような鮮やかな感覚的印象をもって終わる作品」と解説し、『檸檬』に代表される梶井文学について、以下のように評している。 デカダンスの詩と古典端正との稀な結合、熱つぽい額と冷たい檸檬との絶妙な取り合はせであつて、その肉感的な理智結晶ともいふべき作品は、いつまで新鮮さ保ち、おそらく現代粗雑な小説中に置いたら、その新らしさと高貴によつて、ほかの現代文学忽ち古ぼけた情ないものに見せるであらう。 — 三島由紀夫「新らしさと高貴推薦文)」 石井和夫は、『檸檬』の原型の『瀬山の話』の中に、「ポオの耳へ十三時を打つて聞かせたのもおそらくはこの輩の悪戯ではなかつたろうか」という一文があることから、『瀬山の話』の挿話檸檬」と、『檸檬』が、エドガー・アラン・ポーの『鐘楼の悪魔』(悪魔正午13時の鐘鳴らし美しい町を破壊する話)のモチーフから発想されたのではないか考察し、そのモチーフが、美し金閣寺放火してしまう三島由紀夫の『金閣寺』にも通底していることを指摘しながら、三島梶井を「日本には稀少、美が常に否定形によってアナーキー描かれねばならぬことを先験的に知る」先駆者見ていたゆえに、梶井高く評価していたのだと解説している。

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作品評価・研究

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純白の夜」の記事における「作品評価・研究」の解説

純白の夜』は、単なる女性雑誌向けの娯楽小説ではなく主人公男女の「心理分析彫琢」によって「古典的心理小説」とも言える小坂部元秀評し、「とくに最後破局へのヤマ場つくり方結末シニシズム注目したい」と解説している。 蘆原英了は、『クレーヴの奥方』から『ドルジェル伯の舞踏会』に至るフランス心理小説流れを『純白の夜』は明確にくんでいるとし、チボオデのいう「心理ロマネスク」を扱った作品であると解説している。また題名は、フランス語の「ラ・ニュイ・ブランシュ」から思いついたのではないかしながら「白夜」の意味は「眠れぬ夜」だと説明し、「これはこの小説最後部分の、郁子のそれを現しているのであろう忖度する」と述べている。 小池真理子は、「いかに天賦の才恵まれていた作家とはいえ、わずか二十五歳の若さで、かくも緻密完璧な恋愛心理小説書くことができるものだろうか」と驚嘆し不倫などの男女愛憎といった「卑俗」な題材が、一旦三島という作家の手にかかると、その「華麗な文章」で「美し悲劇」に仕立てられ、「軽蔑すべき卑俗中に隠されていた気高い真実見せつけられる」とし、三島バルザック以上に、「卑俗なものを悲劇高め続けた作家だと考察している。 そして、その心理描写の「緻密完璧」な表現力を、「怪物才能」と小池評しながら、夫を裏切っていないと言い訳しながらも惹かれていく郁子と、郁子ほどの美しい女諦めるのは「神に対す冒涜」だと考え心理を描く三島表現方法を以下のように解説している。 三島由紀夫は、優雅な手さばきで、男と女の、それぞれの魂の外科手術行ってみせる。メス正確に切り開かれた魂の断面見えてくる。作品中に言葉化した血じぶきが飛び散る。それらの表現の、何と美しく明晰であることか。 — 小池真理子解説村松剛は、ヒロイン郁子」の名前にまつわるものとして、三島短編『罪びと』では、リヤカー荷物運搬中に飲んだ原因チフス亡くなるミッション・スクール女学生郁子」(IKUKO)を妹・美津子MITSUKO)をモデルにし、その「郁子」が、主人公青年許婚という設定となっていることと、「郁子」にを飲むことを勧めた同級生が、主人公夏休み避暑地あやまち犯したという設定で、三島軽井沢接吻をした三谷邦子(KUNIKO)(『仮面の告白』の園子)がモデルとなっていることを考察しつつ、戯曲熱帯樹』では、兄と心中する妹が「郁子」という名前で、『純白の夜』では人妻の「郁子」で登場することから、「妹の死」と「失恋」という2つ主題が、これらの作品群では混ぜ合わされていると解説している。

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作品評価・研究

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宴のあと」の記事における「作品評価・研究」の解説

宴のあと』は三島作品の中では比較的、主題分かりやすく、「社会的現実」を直接的に文学作品取り入れている作品である。発表当時の評価総じて高く臼井吉見平野謙河上徹太郎中村光夫らから推奨された。 佐藤秀明は『宴のあと』について、保守政治家選挙やり口熟知しているヒロインかづが、「無骨な正義漢」の夫のために選挙違反もやり、「火の玉のような応援」に邁進するという、そういったかづの愛情情熱の方が、「戦後の政治理想主義」よりも、現実政治を動かすという主題となっているとし、「現実濁り」が描かれていて、そこが作品魅力だと解説している。 西尾幹二は『宴のあと』の主題の「明晰」さと堅牢な構成力を指摘し、「〈知識人〉の空想的な理想より、〈民衆〉の生命力に富む現実感覚の方がより政治的であったという皮肉」が描かれていると考察しながら、作者三島は「政治世界」を垣間見て、日本に「西洋風に様式化された政治現実」が欠けていることを意識し、「日本の非政治的風土正確に観察している」と解説している。また、登場人物2人の「組合せの妙」や、「はてしなく行動しないではいられない活力孤独〉を知っているヒロインかづの魅力のある人物造形、〈墓〉などの「いくつかの鍵となるモチーフ」が作品に厚みを加え、それらが重なり、「〈宴〉が終ったことのたる巨大な空白」が象徴的に表現されているとし、芸術的完成度の高い作品だと評価している。 ドナルド・キーンは、小説としての宴のあと』の価値を、「有名人をめぐるゴシップ面白さとは無関係」とし、以下のように評している。 三島素材巧みに用いて面白小説創出しなかんずく雪後庵の女将福沢かづという立体性ある人物をつくるのに成功した。この小説により、三島19世紀フランス小説の手法で書くことのできる能力実証したと言える。かづは、バルザック中に登場して場違いでない人物である。近現代日本文学中に3次元ふくらみ持った人物がいかに少ないかを思うとき、これは刮目するに足る現象であろう。 — ドナルド・キーン私の好きな三島作品野口武彦は、脇役選挙参謀山崎素一三島性格にもっとも近く、「政治的ロマン主義者」の人物だとし、政治附随する〈激し喜怒哀楽〉や〈本物灼熱〉〈政治特有の熱さ〉を好む山崎重な三島の「政治的イロニー(皮肉)」を考察し政治家やることを〈芸者のやるやうなこと〉、〈政治情事とは瓜二つだつた〉という一種侮蔑帯びた寝業」的な考えを持つ福沢かづ山崎素一認識が、「その対極としてテロリズム肯定につながる純粋心情主義生み出すことになる」とし、三島林房雄との対談発していた〈本来、政治芸術といふのは同じ泉から出てゐるのではないか〉という認識も、精神が「政治次元そのもの」から乖離遊離し、それは「政治」が「現実人間とその社会素材にして制作される芸術」であるという認識だと解説している。 そして野口は、『宴のあと』で描かれる理想主義終焉〉、〈虚しい理想巨大な廻り燈籠〉が、三島終戦体験から胚胎しているものである同時に、その〈終焉絵図が、「三島氏がその内部で十五年間遍塞してきた戦後世界領導していた諸理想終末画面として描いたもの」であり、その「斜陽寂寥基本色調」が、一種の〈宴〉だった安保闘争敗北感抱いた者たちの「内面浮かび出心象風景」と酷似するしながら、『宴のあと』の寂寥感イロニーが、後継作品(『美しい星』『絹と明察』『英霊の聲』など)につながっていくことを論考している。 『宴のあと』をしめくくる山崎の手紙は、だから、一種ふてぶてしい三島氏の宣言の観さえ呈していないでもない。そしてこの確信根底にあるものが、戦後指導理念崩壊、たとえば民主主義形骸化マルクス主義思想保守化に、氏の持論たる「いつも日本ではアイロニカルな形で社会現象が起こつてゐる」という信念重ね合わせ結果であることは疑いない。氏はいう。「いちばん先鋭な近代をめざすものが、いちばん保守的な反動的な形態をとつたり、一見進歩的形態をとつてゐるものが、いちばん反動的なのである場合がある。」(『対談日本人論』)そして、まさにそのような政治のイロニイの復活三島氏は昭和三十五年の戦後史の断層のうちに発見したのである果然、氏は新たな火山活動期を迎えたかのように活気づく。(中略戦後あらゆる時期三島文学地底からのように陰々響いて来ていた「死」の形而上学地謡のように低くおどろに呟かれていた世界破滅頌歌は、いまや鼓声もするどくまじって高らかに謡いつつ舞うシテの口から吟じられはじめるのである。そして、このシテの面が、たとえば『英霊の聲』の主人公たちのそれのように、軍神あるいは死神奇怪な恍惚表情刻んでいることはいうまでもないだろう。 — 野口武彦三島由紀夫世界

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作品評価・研究

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交尾 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

交尾』は、前作の『闇の絵巻』に引き続き初出掲載当時から評判がよく、多く作家から高評価された。今日でも名作短編としてアンソロジー収録取り上げられることが多い。作品研究としては、他の梶井文学同様に、見る者と、見られる対象との関係を軸にした論考中心となっている。 菱山修三は、三好達治がきちんと座して交尾』を読みながら、「比類のない美し笑い方」をしていたのを見て、それを「神の笑い」と感じ辻野久憲も『交尾』に感銘を受け、先輩石田孝太郎宅を訪問した際に、これについて賞讃し合い、基次郎への尊敬の念深まったという。 井伏鱒二は、永井龍男今日出海から『交尾』を傑作だ勧められ速読み、「実によかつた。水際だつてゐる」、「真に神わざの小説」と賞讃し、「河鹿鳴く声や谷川水音は私の骨髄に徹してまことに恍惚なる限りであつた。言葉では捕捉できない絶対の無限。かういふ快楽煩悩具足われ等一生のうちに、さうたびたび感得できるものではない」と評している。 どんな具合にいゝかといふことは、僕は論理的に言へないやうだが、誰もとがめはしないだらう。「罪と罰」の作者は、ソーニャのことをあまり精密に書いてゐないが、ソーニャ純情鮮明に表現されてゐる。どんな具合純情表現されてゐて、どんな具合にそれでもつて僕がうたれたかといふことを、僕は論理的に言へないのである。うたれさへすれば、僕は論理棄てゝかゝる方がいゝ。こんな方法では邪道にはいる心配はないかどうかといへば、僕は平気だ答へる。かういふ一本調子気持を、梶井君は更らに高揚された心持で「交尾」を書いたのであらうと思ふ。あの作品を書くには、腹に力をいれて前に坐り心臓動悸をうたせながらでなくては書けないだらうと思はれる。梶井君はにむかつてゐるとき、小刻みに息をしてゐるかどうか告白してゐないだらうか? — 井伏鱒二交尾大谷晃一は、「性は、生そのものつながっている」として、「河鹿交尾をながめる基次郎のなかに、幸福な結婚の夢を断たれようとしている青年の、性へのノスタルジアがある」と解説している。また、次郎1つ木立に1羽しか居ないという縄張り意識の強い瑠璃鳴声惹かれ作中で〈ニシビラへ行けばニシビラの瑠璃、セコノタキへ来ればセコノタキの瑠璃〉と口ずさむ場面には、この時に世古の滝の「湯川屋」にいた基次郎が、西平の「湯本館」にいる川端康成から作品への反応がまだ何も得られていなかった時の微妙な気持反映されているとして、敬愛する先輩だと川端思いつつも「あの人あの人、おれはおれだ」という深層心理垣間見られると考察している。 藤村猛は、多く論者指摘されているように、〈私〉という人物が「(病気により)生から死へ移動させられる途中旅人」として捉えることができるとし、「その一」では朽ちかけた破船乗客のように港を眺めその夜世界死と生交錯していると解説している。そして、〈私〉と〈〉と〈夜警〉の3者間の関係について、〈私〉が〈涯しのない快楽〉を〈紡ぎ出すこと〉を可能にするために、夜警猫の目寄り添い自身夜警に「見られる」ことも半ば期待している節があるとして、「劇場化」による「見る」という行為の「重層化」が潜在し、「快楽独奏からシンフォニーとなり、立体化して持続する」と考察している。 つまり、夜警が「」と「私」見られ、かつ、「私」夜警乗り移ろうとすることにより、「彼・私」という同一化幻想を紡ごうとするのである。これらの独特なメカニズムこそが、「交尾」「その一」の世界底流する「死」と拮抗しつつ、「生(性)」の高み到達しようとする「私」有り様である。だが、それも夜警の音により、猫たち逃げ去って終わりになる。(中略)この「つまらなささうに」は夜警だけではあるまい猫たち夜警から与えられ幻想快楽「私」その時、「生」を実感している。 — 藤村猛「梶井基次郎交尾』論」 また藤村は、五十嵐誠毅が〈夜警〉の葬儀屋という職業から「死の代理人」のイメージ指摘したことを敷衍し、「死神」イメージ垣間見える夜警と、「生」の象徴である猫たちとの対決に、「キリスト」(生と死両方介在する立場)の〈私〉という構図見て〈私〉がその対決に「ドラマ」を期待していたとして、前述の「劇場化による自己解放快楽」の背後に、「キリスト想う〈私〉訪れ生きることへの悲しみ」が複合的にあると考察している。そして「その二」の河鹿では、基次郎淀野隆三への書簡伝えていた〈グロテスク〉さが回避され、「自然と一体化」が計られ新し感動的な世界」が展開されているとしている。 「交尾」「その一」の「私」は、「キリスト」の如く人々悲しみ背負おうとしつつ、交尾夜警登場によって、想像駆使して「生」を夢見て自己解放しようとする。これは「私」の秘やかな、未完快楽である。「その二」では、太古の昔から繰り返された「生(愛)」の感動自己の存在変容させ、彼らの世界自己没入して同化し、時を超えて陶酔する。これは時間・場所を越えて世界と共に味わう快楽である。 — 藤村猛「梶井基次郎交尾』論」 柏倉康夫は、「その二」で、夜警〈私〉に気づかずに立ち去ったことは、「〈私〉存在希薄なものにし、ついいましがた味わった生の恍惚あやふやなものにしてしまう」としながらも、もしも夜警〈私〉存在に気づいたならば、〈私〉の「精神高揚」は、「見られることで客体化されその事実が保障される一方で他人分有されることで通俗的なものに堕す危険があった」としている。そして、そのいずれに〈私〉気持ちが傾くかという命題は、遺稿となったその三」において、鼈の交尾を見つめる〈私〉と、水槽前に来る見物客への関心移行する〈私〉の心の変化描こうとしていることから、ここで基次郎はその命題検証しようとしていたと考察している。

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作品評価・研究

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抒情歌 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

抒情歌』は神秘的難解とされ、早い時期から「死後の生存」といったことを考えていた川端の「死生観集成」が見られる作品として着目され、主要作品として認知されている。また現世的な愛欲「美」昇華する方法看取され、佐伯彰一はそれを、「人間くさい煩悩のかたちを美しく謳い上げるという能の戦略相似形をなすもの」と解説している。 三島由紀夫は、『抒情歌』を「川端康成論ずる人が再読三読しなければならぬ重要な作品」だとし、「清麗たぐひない」と高評しながら、「明治の女のきりりとした着附を思はせるやうな文体」によって描かれた「(川端の)つつましやかな独白」、切実な童話」(最も純粋に語られ告白)であるとして、そこで語られる稀な真昼幻想」こそが本来的に日本の風土に深く根ざしたもので、小泉八雲が「東洋希臘人」と呼ぶ「日本人のよき面」、「素朴にして豊かな情緒包容力兼ねそなえた真昼精神」であるとしている。 そして、その精神では「理智霊感も同じ白光のもとに照らし出され、凡ゆる悲劇破滅妥協のいづれにも与(くみ)しない超自然健やかさを具へる」に至って神秘がはじめて「本然神秘そのものであること」が可能となっていると三島考察している。 このユウトピア(その言葉自身一つ逆説あるかの物語は、抽象壮大さ遥かに離れて微風のやうな悲しみ包まれ肉体のかげにひつそりと息づいてゐるやうだ。明らさまな心理の詩である前に思ひふかい身の音楽である。ふと触れた琴が立て天界妙音にも似た気高い響きは、金属的な抽象化された心理の上には生れず、潔らかな身に守られて伝はるのだ。(中略霊肉一致といふ痛ましい努力で追ひまはされた理想はかうした童話めいた明るさ豊かさ真昼一刹那に、ふと叶へられてしまふものではなからうか。 — 三島由紀夫川端氏の『抒情歌』について」 三枝康高は、『抒情歌』における「神秘的ともいうべき魂の呼応」は、すでに掌の小説の『心中』(1926年)で現われたものの再現であるとし、『浅草紅団』(1929年-1930年)のヒロイン弓子も、「死んだ姉の恋人たずねて歩く不良少女であった点を指摘しつつ、「川端のこの種の志向は、『抒情歌』の女主人公によっては、“汎神論”という言葉言い表されている」と解説している。そしてそれを川端に即せば、「おそらくはフロイド心理学深化であり、きわめて日本的な実存主義である」ともいえるとし、汎神論的な魂の呼応について論考している。 海珠は『抒情歌』の進行について、その「経糸」は「心霊現象中心」となり、その肉付けとしての緯糸」は主に「レイモンド霊界通信仏教の説話、東西古今神話キリスト教挿話などを中心」にして織り込まれているとし、その展開様式は「広く心霊現象万物一如が、狭く愛欲悟り限り無い葛藤をする様式になっていくと解説している。そしてヒロイン「私」は、「霊魂不滅自他一如輪廻転生童話自由連想反復という方法」で語り、「非現実世界の中でなどで何回重ねてそういう抒情の歌をほのぼのと謳い上げた」と作品要約している。 さらに海珠は、ヒロインは「仏教因果応報と業による輪廻転生ではなく仏教以前インドのヴェダ経による倫理的・宗教色彩払拭された、あるがままでよい転生」を願っているとして、そうした東方の心」のアニミズムは、西方にもギリシア神話花物語などの動植物への転生多くあることを鑑みながら、竜は、「一休禅師精霊祭の心や太古の民の汎神論自分死生観受け入れていった」と解説している。そして、東洋西洋そういった草木転生国土転生悉皆転生通ず万物一如宇宙論的汎神論的哲学観」を自分自身死生観として受け入れたは、「夢の中の夢のような童話ほのぼのと読み上げ」、その「抒情詩」は、「原始的転生による万物一如汎神論死生観吟じている」と海珠考察している。 今村潤子は、三島が『抒情歌』を川端の「切実な童話』」「最も純粋に語られ告白」と論じたことを受け、川端伊藤初代との失恋体験での「心情本心」を『抒情歌』というフィクションの「仮面の下」で語っているとして、この作品は、三島の『仮面の告白』に相当する考察している。そしてこれまでの伊藤初代題材とした自伝作品(ちよもの)では、初代への「思慕憧憬」が主であったが、『抒情歌』では、彼女への怨み嫉妬などの「愛の呪い」が告白されているとし、主人公輪廻転生に〈おとぎばなし〉を見出し救いを見つける意味が、作家方法論繋がっていることを解説している。 龍の「おとぎばなし」の発見は、「寂しさ」からの脱却のためであり、具体的には「火中蓮華」、即ち、愛の煩悩美に昇華する方法発見であるが、そこに川端作家として自覚告白されている。要するに、「おとぎばなし」を紡ぎ出すことが作家仕事だという認識到達したのであるこれまで自己の体験としての孤児や、失恋素材作品構築することが多かった川端が、「抒情歌においてはおとぎばなし」をこしらえ得たのである。即ち、個人的な素材から脱却し失恋観念的な愛の問題として扱い得たのである。 — 今村潤子川端康成研究 第三章抒情歌の意味

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作品評価・研究

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三島由紀夫レター教室」の記事における「作品評価・研究」の解説

三島由紀夫レター教室』は、三島由紀夫作品中でも娯楽色の強い小説で特に深遠なテーマというものは見られないが、三島エンターテイナーとしての才能発揮されている作品である。 竹山雅子は、「極めてセキュリティの高いメディア」である手紙特質が、物語内容の展開において生かされているとし、また本音隠して駆け引き」「策略」を意図するトビの手紙などを挙げつつ、「ある感情伝え側面と、隠す側面両方」を持つ手紙特性触れ素直な感情率直に伝えトラの手紙よりも、「隠す側面」を持つ手紙の方がはるかに読者スリル興奮与え」るという点などを指摘しながら、「感情伝え手紙には模範的な形式などないという、書簡文例集自体への批判として読むこともできる」と考察している。 群ようこは、大学生だった時の初読から『三島由紀夫レター教室』を「再読するたびに心にずしっとくる本」だとし、自分が氷ママ子の年齢近づき若い頃恐れていたママ子の「中年おばさんいやらしさ」を自覚する歳になり、他人事ではなくなってきたと述べつつ、登場人物男性たちのキャラクターが「単純な設定」なのに比し女性たちは「なかなかの策略家」であることも指摘している。 そしてそれは、作者三島が、世間の「鼻持ちならない多く女性に対して、「あなたたち女性という存在は、清純乙女だろうが、裕福な中年婦人だろうが、こんなに嫌らしい部分持っているんですよ」というメッセージを、登場人物の手紙の形式託して伝えたかったのだろうと群ようこ考察し読み手年齢立場によって、読み方楽しみ方変化する万華鏡みたいな本」でもあると評している。

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作品評価・研究

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 08:28 UTC 版)

お嬢さん (三島由紀夫の小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

お嬢さん』は、『永すぎた春』などと同様、昭和30年代社会風俗小説として位置づけられている作品ではあるが、ありきたりな恋愛風俗小説とはやや一線を画している。晴雄は、『お嬢さん』は軽い読み物ありながらも、「ものを考えない青年」である沢井への憧れや、恋敵であった浅子から、〈気取って内攻して、インテリ誇り自分を抑へて、まはりの罪のない人たちをみんな疑つて〉かかるような〈本当に困つたお嬢さんと言われるかすみに、三島の「インテリへの批判」が看取されると解説している。 市川真人は、「少女小説的なエンターテインメント」として扱われるお嬢さん』と、「後世に残る文学作品」として語られる宴のあと』を比較しどちらもストーリー展開的に見れば、「エンターテイニング」であるが、その「描きうる心理の幅や深み」の差や、『お嬢さん』の楽天的なハッピーエンドと、読後に「わりきれなさ」を残す『宴のあと』とでは、「考え続けさせる熱量」が全く違うのは確かではあるとしつつも、ファッション料理を楽しむ若い女性向けの雑誌若い女性掲載という条件限定下で書かれて「通俗小説」と呼ばれるお嬢さん』も、ただの「娯楽的なだけ」ではなかったとしている。 市川は、『お嬢さん』の設定人物造形は「劇画めいて」見えるものの、ヒロイン・かすみの「小悪魔的奔放さ魅力そのじつ男性知らぬがゆえの小心」が、結婚を境に「弱さ」へと変化し自分書いた創作日記記述によって、疑心暗鬼に陥ってゆくところには、「作品内フィクション読んだ登場人物自身存在影響を及ぼす」という現代でも行われている「メタ・フィクション」の試み見られる解説しそうしたヒロイン心理移行に伴い、「登場人物同士役割鮮やかに入れ代わってゆく鏡像的な物語構造は、単なる娯楽小説には納まりきらない」としている。そして市川そのこと押し進めて難解に見え小説でも、それを解読することは読者には一種の「愉楽」であり、全ての小説何らかのかたちで読者を「エンターテイン」し、また思弁的」でありうる考察しながら、「よしんばお嬢さん』に紋切型女子像しか感じられなかったとしても、ならば『豊饒の海』を書きもする三島がなぜわざわざそんな女子像を書いたか、について飽かず考え続けることはできる」としている。 竹内清己は、『お嬢さん』の「作中の〈アメリカ人家庭生活〉、〈ブルジョア的幸福の漫画〉が可能になった戦後日本の経済成長」と、それに対する「文学防衛問題」が作品から看取できるとし、「恋愛心理ドラマによる〈月並みな幸福〉の破綻、〈常識的安逸〉からの一点しての悲劇」という「虚構プロット読者を導く結末予測」を裏切っているところに三島意図隠されていると考察しながら、以下のように解説している。 心理的に追い詰められ一族悲劇を引きおこそうとしたかすみは、かつてかすみと景一の新婚家庭乗り込んできて投身自殺試みようとした洋品店エル・ドラドオの女店員浅子忠告によって、家出思いとどまる。この結末風俗小説妥協三島らしい観念的操作読み取ることも誤りとしない。しかし逆に一太郎の〈かすみも本当に幸福な結婚をしたね。あれは実に幸福な夫婦だ〉という言葉に、経済成長生きる会社社長楽天性に隠れたしたたかさ読み、〈人生壊れやすい模型〉として本当悲劇はおきていたこと、おきたと同じことが措定されていることに、かえって三島の反時代性表出積極的に読み取るともできる。 — 竹内清己研究」(お嬢さん

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