作品評価・研究とは? わかりやすく解説

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作品評価・研究

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伊豆の踊子」の記事における「作品評価・研究」の解説

伊豆の踊子』は川端康成初期代表する名作というだけでなく、川端作品の中でも最も人気高く、その評論膨大な数上るそれらの論評は、様々なニュアンス差異持ちながら川端孤児生い立ち青春体験視点伊藤初代との婚約破談事件との絡みから論考するものや、主人公語り構造分析から作品世界論じるものなど多岐にわたっているが、川端という作家を語る際の、この作品の持つ重み大きさへの認識はみな共通している。 竹西寛子は、『伊豆の踊子』は川端作品の中で比較爽やかなもので、そこでは「自力を超えるものとの格闘真摯な若者だけが経験する人生初期この世との和解」がかなめになっているとし、この作品が「青春文学と言われる理由を、「この和解切実さ」にあると解説している。そして別れの場面の〈私〉の涙は「感傷ではなくてそれまであった「過剰な自意識」が吹き払われ表われであり、それゆえに〈私〉が、少年の親切を自然に受け入れ融け合って感じるような経験を読者もまた共有できうると考察している。 奥野健男は、川端幼くして肉親次々と亡くし死者親しみ両親温かい庇護のなかった淋しい孤児生い立ちがその作風影響及ぼしていることを鑑みながら、川端心にある、「この世の中で虐げられ差別され卑しめられている人々、特にそういう少女へのいとおしというか殆んど同一化するような感情」が、文学大きなモチーフになっているとし、そういった川端要素顕著な伊豆の踊子』を、「温泉町ひなびた風土と、日本人誰でも心の底抱いている(そこが日本人不思議さであるのだが)世間からさげすまれている芸人その中美少女への殆んど判官びいきとも言える憧憬同一化という魂の琴線に触れた名作」と高評している。 そして芸人徳川時代に「河原者」と蔑まれた反面白拍子愛で後白河法皇『梁塵秘抄』編纂したように、古くから芸人上流貴族とは「不思議な交歓」があり、能、狂言歌舞伎などが上流階級にとりいられてきた芸能史奥野解説しつつ、『伊豆の踊子』は、そういった芸人に対する特別のひいき、さらには憧憬という日本人古来から心情」が生かされ、その「秘密の心情」は「日本の美隠れた源泉」であると論じている。 北野昭彦は、この奥野の論を、数ある伊豆の踊子』論の中で日本の芸能史、「旅芸人フォークロア」をよく踏まえているものとして敷衍し、漂流者芸人定住者との関係性マレビトである漂泊芸人来訪が「神あるいは乞食」の訪れとして定住民とらえられ芸能演ずる彼らの姿に「神の面影」を認めながらも乞食と呼ぶこともためらわない両者の関係性に発展させた論究展開しながら、「異界」への入り口象徴である〈峠〉や〈〉で旅芸人一行遍歴民)と再会した〈私〉トンネル抜け、彼らと同行することで「遍歴人生疑似体験」をするが、芸と旅が日常である彼らと、それが非日常である〈私〉とは「別の時空生きながら道連れになっている」と解説している。 また北野は、この物語進行するにつれ、主人公が「娘芸人ペルソナ外した少女の〈美〉」自体語ることが主となり、小説タイトル通り踊子そのものを語る展開になることに触れ踊子〈私〉に対するはにかみや羞らい天真爛漫な幼さ花のような笑顔〈私〉の袴の裾を払ってくれたり下駄直してくれたりする甲斐甲斐しさなどを挙げながら、踊子何気ない言葉で〈私〉が「本来の自己回復していたこと」に気づく解説し、「〈私〉踊子像」がその都度多面的に変容する」ことの意味ユングの『コレー像心理学的位相について』 を引きつ説明している彼女はユング元型的形象の一つとしてあげた「コレー像に似ている。コレーとは、少女、母、花嫁三重の相において現れる永遠の乙女である。「コレー像未知の若い少女として登場」し、「しばしば微妙なニュアンスを持つのが踊り子である」 とされている。 — 北野昭彦「『伊豆の踊子』の〈物乞旅芸人〉の背後――定住遍歴役者演劇青年、娘芸人学生三島由紀夫は、川端全作品に通じる重要なテーマである「処女主題」の端緒あらわれている伊豆の踊子』において、〈私〉観察する踊子の様々な描写の「静的な、また動的なデッサンによつて的確に組み立てられ処女内面」が「一切読者想像委ねられてゐる」性質指摘し、この特性のため、川端同時代他作家が陥ったような「浅はかな似非近代的心理主義感染」を免かれている考察しつつ、「処女内面は、本来表現対象たりうるものではない」として、以下のようにその「処女主題」を解説している。 処女犯した男は、決し処女について知ることはできない処女犯さない男も、処女について十分に知ることはできないしからば処女といふものはそもそも存在しうるものであらうか。この不可知の苦い認識、人が川端氏の抒情といふのは、実はこの苦い認識を不可知のものへ押しすすめようとする精神の或る純潔な焦燥なのである焦燥あるため一見あいまいな語法必要とされる。しかしこのあいまいさ正確なあいまいさだ。ここにいたつて、処女性秘密は、芸術作品この世存在することの秘密の形代かたしろ)になるのである。表現そのもの不可知作用に関する表現努力ここから生れる。 — 三島由紀夫「『伊豆の踊子』について」 勝又浩は、物語導入部天城峠茶屋で〈到底生物とは思へない山怪奇のような醜い老人の姿が描かれる意味を、『雪国』で主人公が〈トンネル〉を抜けて駒子に会うように、『伊豆の踊子』でも踊子に会うために越えなければならなかった「試練」であり、「異界」への入り口である天城峠の〈暗いトンネル〉を抜けることは「タイムマシンとしての儀式」を暗示させるとして、こういった川端文学幻想的な一面泉鏡花永井荷風とも異なる点を説明して幻想世界伝える「媒介者」(主人公)が、鏡花の場合は物語世界同様「稗史的なまま」で、荷風は「近代住人」であり「知識人全能存在」だが、川端の場合は川端自身が「異界」の人物であり「幽霊のような人物」「まれびと」だとしている。 天下一高生が、たまたま鬼の番するトンネル潜り抜けて、遠い島から来た舞姫邂逅して魂を浄化する物語と読むのが鏡花風だが、世を拗ね一人インテリ田舎の旅芸人関心を持って現代都市では失われた古きよき時代純朴な娘を発見して旅情慰めるというのが荷風式、そして川端文学の場合は異界はむしろ主人公側にある。「私」は、トンネル向こうの人々にとっては神秘的なまれびとであって彼は訪れ先々で歓迎されるが、そのことによって、健気に生きる人々祝福し彼自身は、その民俗的約束に従って村々の不幸を、汚濁なるものを身に受けて去って行かなければならないそれ故伊豆の踊子』には、その結末至ってもう一度老人登場するであろう。 — 勝又浩「人の文学――川端文学源郷」 そして勝又は、この小説表面的には孤児意識脱却物語」であるにもかかわらず最後にまた老人登場し3人孤児道連れにすることを村人から合掌懇願される箇所に、川端の「孤児宿命」が垣間見えるとし、「〈孤児根性〉、〈息苦しい孤児意識からは解放されたかもしれないが、孤児としての宿命そのもの決して彼を解き放ちはしなかったはず」だと解説している。また、三島由紀夫川端を「永遠の旅人」と称したことや、川端処女作から諸作に至るまで見られる心霊的要素を鑑みながら、こうしたこの世定住の地を持たない川端が、トンネル越えまれびととなって人界訪れ」て、「踊子純情」をより輝かせられる特異性考察している。 橋本治恋愛的な観点から伊豆の踊子』を捉え主人公青年最後に泣き続ける意味について、「いやしい旅芸人」と「エリートの卵」という「身分の差」の垣根さえも越え冷静に相手をじっと観察する余裕もなくなって「ただその人ひれ伏すしかなくなってしまう、恋という感情」を主人公内心認めたくなく、冷静に別れたつもりが、遠ざかる船に向ってはしけから一心に白いハンカチを振る踊子正直な姿を見て、「プライドの高い〈私〉は、ついに恋という感情認めた」と解説している。 そして橋本は、主人公が「ただ彼女といられて幸福だった」という真実の感情認め自分と同じエリートコース少年を「踊子とつながる人間でもあるかのように思い、その好意包まれ終わ結末は、「恋という垣根目の前にして、そして越えられるはずの垣根に足を取られ自分というものを改め見詰めなければどうにもならないのだという、苦い事実」を突きつけられ、その「青春自意識のつらさ」を描いているため『伊豆の踊子』は「永遠の作品となっていると評している。 川嶋至細川皓)は、『伊豆の踊子』の底流に、みち子(伊藤初代仮名)の「面影」があるとして、初代から婚約解消され川端動転綴った私小説『非常』との関連性看取し、川端初代の元へ向か汽車の中で別れの手紙を一心に読み返している時に落とした財布マント拾ってくれ、〈寝ずの番〉までしてくれた〈学生〉(高校受験生)の好意甘えて身を委ねる場面と、下田港踊子別れた帰り汽船で、〈親切〉な〈少年〉のマント包まれて素直に泣く共通項指摘しながら、「一見素朴な青春淡い思い出」を描いた伊豆の踊子』は、「実生活における失恋という貴重な体験代償として生まれた作品」だとして、踊子は、「古風な髪を結い旅芸人身をやつした、みち子に他ならなかった」と考察している。 ちなみに川端本人はこの川嶋至論考に関し、〈まつたく作者意識にはなかつた〉として、草稿湯ヶ島での思ひ出』を書いた時には伊藤初代のことが〈強く心にあつた〉が、『伊豆の踊子』を書いた時に初代は〈浮んで来なかつた〉としている。そして『非常』での汽車の場面との類似指摘されたことについては、以下のように語っている。 「伊豆の踊子」の時、「非常」に受験生好意書いたのは忘れてゐた。細川氏川嶋至)に二つならべてみせられて私はこれほどおどろいた批評めづらしいが、それよりもさらに、これは二つとも事実あつた通りなので、いはば人生の「非常」の時に二度、偶然の乗合客受験生が、私をいたはつてくれたのは、いつたいどういうことなのだらうか、と私は考えさせられるのである。ふしぎである。 — 川端康成「『伊豆の踊子』の作者林武は、川端伊豆踊子会った頃には、中学時代後輩同性愛的愛情を持っていた小笠原義人文通続いていたことと、草稿湯ヶ島での思ひ出』での踊子記述が、清野少年小笠原義人)の「序曲的なものになっていることから、『伊豆の踊子』での「踊子」像には小笠原少年の心象が「陰画的に投影されているとしている。 事実川端多くの作品で、少女あるいはそれに近い女に少年イメージ探し求めている。それ故清野少年の俤を心に抱く川端が、大正七年伊豆での初旅途中実在踊り子清野少年イメージ探し求め大正十一年の「湯ヶ島での思ひ出執筆時に清野少年登場序曲存在としての踊り子部分において、「踊子」に清野少年イメージオーバーラップさせていたとしても不思議ではない。即ち、両性混入による「踊子」の一方からの中性化である。 — 林武「『伊豆の踊子』論」

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城のある町にて」の記事における「作品評価・研究」の解説

城のある町にて』は基次郎存命中発表された作品の中では最も長く比較明る作品である。三島由紀夫はこの作品を、基次郎小説の中で最も好きな作品だとしている。 飯島正浅野晃は、『城のある町にて』の描写各所に映画的カメラアングル角度を変えて移動ズーム近づく)が見られるとし、遠くに見え花火上がるころなどなどを挙げている。そして映画的手法ダンテ『神曲』など古典にも胚胎していることなどを語りながら、基次郎の場合はそれよりもカラフルであり、色彩映画的だとしている。 柏倉康夫は、『城のある町にて』の風景描写特性を、「最初無音だった梶井のパーンニング・ショットに、やがて音がついてくる」とし、コオロギの声、往診から帰ってくる医者オートバイの音に反応する子供たちの〈ハリケンハッチのオートバ〉という喚声など、その「音の伴奏風景一段と生彩あるもの」にしていると評している。 そしてその基次郎の「感性」が感知するものは単に、「目に見える静止した光景」だけではなく、「その光景時間の経過とともにみせる、ごく微妙な変化」こそが、時や自然の移り変わり敏感な次郎「心」を最も深く捉えたものであり、基次郎この土地で「視覚聴覚触覚のすべてを働かせさらには想像力動員して周囲とことん堪能する術を会得しつつあった」と解説している。 また、観察没頭するだけでなく、法師蝉鳴き声を〈文法語尾変化〉のように聴き分け瞬間ら変貌する情景、以下のうな子供たちの場面で、基次郎が「感覚の微妙なずれから生ずる、現実歪曲」を楽しみ、それが「幻視者梶井面目」だとし、「感覚の一部肥大してそれだけ機能する」という基次郎特異な感性がこの作品にも看取され、「現実を一層興味深いものにしている」と評している。 取竿や虫籠持った子どもたちあちこちする動きが、ふとした拍子に舞台上の無言劇のように見え、そう感じたとたんに無類面白いものに思えてくるといった箇所である。このとき峻の耳には、子どもの叫び声も、降るような蝉しぐれ聞こえていず、子どもたち動作だけが、まるで音を消したテレビ画面のように見えている。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」 そして柏倉は、基次郎惹かれる単純で平明で、健康な世界〉の象徴である、井戸洗濯に励む若い女たちの瑞々しい描写の場面や、京都鴨川河原スケッチから鑑みられる基次郎の「観察者としての立ち位置を、「結核という病のせいで現実世界関与できないという諦念悲哀そのためにいつしか現実距離をおいて眺め地点」だと考察している。 美しく健全なこうした生活は、かつては梶井のものでもあった。しかし胸を患い、その不安を退けるために、頽廃的世界へ足を踏み入れてしまった者にとっては、もはや何くわぬ顔で自分のものとして生きるのが不可能な世界であることを、梶井いやでも自覚させられている。それだからこそ、なお一層うらやましく心ひかれる世界なのだ。梶井一個観察者としてじっと目を注ぎつつ、それが不可能と知りつつ、その営み共有しようとする。単純で平明な、生活にしっかりと根をおろした女たちありさまが、かけがえもなく貴いものに思われるのだった。 — 柏倉康夫評伝 梶井基次郎――視ること、それはもうなにかなのだ」 なお、印度人の三流手品や、観客をからかう下品な笑い不遜な態度腹を立てた峻(基次郎)が、次第心を鎮めて不愉快な場面を非人情に見る、――さうすると反対に面白く見えて来る――その気持がものになりかけ来た〉という心構えを習慣づけていることについて柏倉は、基次郎愛読していた夏目漱石の『草枕の中の、「おのれの感じ、其物を、おのが前に据ゑつけて、其感じから一歩退いて有体落ち付いて他人らしく之を検査する余地さへ作ればいゝのである」という意識転換からの影響ではないか考察し、その〈非人情〉の境地は「詩的な態度維持することにほかならない」としている。 阿部昭は、『城のある町にて』で梶井表現した〈今、空は悲しいまで晴れてゐた〉という文章について、今日ではこういう類の表現法珍しくはなく、誰もが簡単に書くであろうが、その巷に溢れている類似の文章には、もはや「梶井希求し精神」が見失われ、「通俗化した修辞パターンだけが普及した」ものになってしまったと考察している。

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幸福号出帆」の記事における「作品評価・研究」の解説

幸福号出帆』は、過去の栄光生きる芸術家醜悪さ混血児密輸オペラ世界など、様々な要素盛りだくさん描いた娯楽小説であるが、反響少なく、ほとんど論究なされていなかった作品であるが、近年になってフランス文学影響や、『鏡子の家』との関連性で、その価値問い直されている作品である。なお、三島自身は幸福号出帆』について、〈完全に失敗した新聞小説であるが、自分ではどうしても悪い作品と思へない〉と述べている。 遠藤伸治は、三島を「方法意識明確な作家」とした上で、「彼が新聞掲載エンターテイメント小説に関してどのような小説技法戦略意識し実践したのかを究明することは、三島文学におけるエンターテイメント性の問題につながる」と提起している。 鹿島茂は、三島が「大衆小説という隠蓑」を利用し西欧近代小説から学んだ様々な技法理念密かに幸福号出帆』で「実験」していたとし、そこで有効性確認した技法様式は、次作純文学作品『鏡子の家』パースペクティブ入れて実験されたものだった指摘している。しかしそれはそのまま移行し利用されたのではなく『鏡子の家』では「それと一目で見抜けぬほどソフィスティケイト洗練)されたもの」になり、「『幸福号出帆』は、『鏡子の家』に対してプルーストの『楽しみと日々』が『失われた時を求めてに対するのと同じような関係」を持ち前者実験なければ後者生まれなかった関係だと鹿島解説し、「舞台使われているのが、晴海月島勝鬨橋など、共通しているのも、両者類縁性を感じさせる」と述べている。 藤田三男は、主人公兄妹について、「兄妹近親相姦的な、ほとんど性愛によって結ばれた関係とも思えるほどに親密である。そこに三島由紀夫終戦直後に妹美津子失い、その死を『敗戦より痛恨事』とした思い深さ重ねることができる」と述べている。そして、ヒロイン三津子が兄・敏夫との「絶対的な関係」を失いかけると、自分の純潔」を他の男に与えると、兄に宣言することに触れ、「この異形の兄妹愛がこの物語の〈幸福〉のキイワードである」と解説している。 鈴木靖子は、『幸福号出帆』の主人公兄妹愛と、三島短編水音』で綴られている兄・正一郎と妹・喜久子の、〈この兄妹の愛は恋愛に近いもので、二人の間妨げてゐるものは、羞恥怖れ他ならぬ思はれた〉という関係と同じであるとし、「敏夫と三津子近親相姦的危険な兄妹愛は、真の兄妹であると信じて疑わないところに成りたっているのである。だから、最後に明かされる〈敏夫は歌子の子であったという事実を、兄妹が知ることがないかぎり二人は、甘美な危険な〈愛〉を生き続けることができるのである」と解説している。

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軽王子と衣通姫」の記事における「作品評価・研究」の解説

軽王子と衣通姫』は、発表当時一般読者などから好評だたようであるが、文壇からは「時代ばなれの歴史小説」「皇室関係のことを忌憚なく書いた好奇好古作品」と受け取られてほとんど注目されなかった作品である。 本多秋五は、『軽王子と衣通姫』が発表当時文壇から注目されなかったことに言及しつつ、『三島由紀夫選集』にも収録されなかったことを不思議がり、「これは芥川歴史小説伍して毫も遜色のない天晴作品であった」と高評価し、以下のように解説している。 「軽王子と衣通姫」は、時代錯誤作品であったとしても、それは故意に時代錯誤意図した戦後の作品であった。そこには恋愛まじり気ない陶酔絶頂あらわれ死の願望語られている。これは三島主題である。なんの人生経験のない少年三島由紀夫が、空想絵の具空想ものがたり彩った夢想浮遊小説苧菟と瑪耶」にそれは糸ひくものといえる。これはずっと後の話になるが、深沢七郎『楢山節考』原稿を、あの新人募集選者として三島夜中によんでいて、ぞっと背筋寒くなった、と選考座談会語っているのをみて、それはそうだろう、三島はあれで虚をつかれたのだろう、と思ったことがあったが、それは私の間違いであった。「軽王子と衣通姫」のなかで、三島古代「神」という観念ふくまれる恐怖とらえている。 — 本多秋五物語 戦後文学史田坂昂は、父帝寵姫であり叔母である姫と密通する禁を犯すのは罪ではあるが、罪であるがゆえに逆に極めて美しいこと」=「無垢の喜悦」であるという構造となっており、その論理アイロニカルにもう一歩進めれば、「禁を犯すことの喜悦」は、「禁あればこそたのしさもあるという逆説生む」とし、さらにそれを極限的進めれば、禁を犯してしまえば、そこにあるのは「死」だけであるという構造いきつく論考している。そして、こういった論理構造含みながら展開する軽王子と衣通姫』の主題は、三島のいう「欠乏自覚としてのエロス論理」に繋がってゆくと田坂解説している。 また田坂は、軽王子生きた時代が、神代人の世移り変って、「死と愛への神の支配がやうやく疑はれて来た時代であり、「祭事軍事が恋と共に心の中親しく住うた」時代ではなくなり、王子の心には「人の世虚しさと死への希い」だけがある考察し、母皇后託宣を、「柔らかな甘美な死」への誘いの声と王子聞いたことに関して夜見の国黄泉の国)が「妣(はは)の国」を意味し、「怖ろしい国であるが、また懐かしい国でもあるということ触れながらそこから呼びかけてくる声は、『仮面の告白』の「根の母の悪意ある愛」の声と同じ場所から聞こえてくるものだと論考し、それは、「存在母たちの国からの声」であり、「死とはその国へかえりゆくこと」だと解説している。 そして、その王子時代に、戦後社会における、「悲劇的な死の希み絶たれている」という三島の苦い感慨寓意的重ね合わされ、託されていると田坂考察しながら、『軽王子と衣通姫』は「“悲劇的なもの”を可能にした時代への挽歌」とみることができると解説している。そして、王子最後に剣で咽喉を貫く直前言伝には、「悲劇理会しあった過ぎし時代への記憶殉じ、もはや悲劇的な死を死になくなった時代に矜りたかく別れ告げて黄泉の国旅立っていった者の声がきかれる」と田坂述べている。 またそこには、敗戦と同時に訪れたしらじらしい虚無感」で、「日常生活復帰支配時代」が一層耐えがたいという、戦後社会へのアイロニー重ねられ、「愛をものりこえこの世夢みるなにもなくなった時代への訣別の声をひびかせながら死んでいった軽王子のように、ただ王者の矜りをもって死ぬことだけが残されている」と三島語っているのようだ田坂考察しながら、『軽王子と衣通姫』は一見「反時代的」だが、「意外にも時代の影を陰画的に宿している」作品だとし、「戦中虚無感敗戦によるもう一つ虚無感との、いわば虚無感自乗のなかで、三島氏の身に迫ってきた戦後の人生重さとの格闘はじまりつつあった」と論考している。 小埜裕二は、この田坂の論を敷衍し、さらに三島評論日本文学小史』や、『軽王子序詩』を分析しながら、『軽王子と衣通姫』には「戦後天皇に対する三島切実なある思い込められている」と推測できるとし、「戦争参加における〈死の甘美な夢想〉から即日帰郷および敗戦といった〈弛緩した日常〉に移ることにより生じた自己の空洞埋めるために」、三島自身を「貴種流離譚主人公」として創作した作品だと考察している。 そして小林和子は、その小埜の論を踏まえながら、「昭和天皇人間宣言」という戦後現実や、「自らが王子たちのような陶酔のなかで死にゆくことも叶わなくなった現実の中で三島は、軽王子と衣通姫思い託し、〈激しく急湍のやうに生きて年若くみまかつた美しい〉王子や姫に英霊たち重ねて、彼らへの思いを胸にし、自らは、皇后純粋な生と死に対して羨望秘め亡き天皇への「常住の愛」を抱いている)のように生きてゆくことより他ないことを、この作品の中で描こうしたのではないか論考している。

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真夏の死」の記事における「作品評価・研究」の解説

真夏の死』は発表当時に、創作合評などで「小説らしい小説」、「時間人間事件」の「三つの関係を直覚的につかんでいる」として好評され、同時代的に総じて高く評価された作品である。本格的な論究としては、主人公朝子仮託された三島内面主題考察するものが多い。 野口武彦は、三島世界旅行から帰国したばかりで、エーゲ海耀き明るさの「陰画のような海と〈死〉の影がさした『真夏の死』を書いたことに触れ三島にとり「終戦の日」が「終末にして始まりの年の〈夏〉」のイメージとして刻印されているとし、「三島由紀夫氏の内面世界にあっては、〈夏〉は〈死〉を触媒にして永遠の季節にまで明るく凍結してしまった」と考察している。そして『真夏の死』というタイトルは、「夏の訪れる死」という意味でなく、「〈夏〉と〈死〉とはこの作家辞書のなかでは、たとえ同義語ではないにもせよ、完全な等価なのである」と野口論じている。 さらに野口は、三島戦争末期青空夏雲見た死神の姿」が作品描写の中で告白されているとし、作品として「戦後社会平凡な死事件をいわば形而上化して見せること」で、改め三島自らの「〈死〉の主題」を「再確認」していると考察し、『真夏の死』をその後三島後継作品系譜の「予感作品」として位置づけている。 『真夏の死』で緻密に語り進められている心理綾目、「死」の追憶がいつか「死」の待望へと、微妙にさりげなく転調されてゆく心の経緯は、その実何を隠そう、『愛の渇き』・『青の時代』・『禁色』などの一連の仕事戦後作家として確固たる地位築いた三島氏が、さてその戦後世界内部で自己の本来の主題をいかに追尋するかの原型獲得したことを表白する一箇里程標だったのである戦後平穏無事な日常世界、平和と物質的繁栄堅固な支配確立したに見える日本の市民社会に「死」の強烈なレントゲン光線透過して見せ、そこに立ちあらわれる異形の者たちを妖しくも美しくも発光させること――そうした三島氏の文学的主題がいまここに明瞭な輪郭をとるにいたるのである。 — 野口武彦三島由紀夫世界田坂昂は、ヒロイン朝子最後の場面で、海岸波打際に立って見つめ夏空印象的な描写について、それは単なる風景描写だけではなく、「作者本然心象風景」だとし、それは『仮面の告白』で見られ夏の海沖の想起される風景であり、「三島文学の最も根源的な方法内容形態と構造」を語っているようにみえる論考しながら、〈何事かを待つてゐる〉朝子三島自身でもあるとし、朝子もう一度味わいたい無意識のうちに待っている死の強ひ一瞬感動〉は、戦争末期おぼえた作者三島自らの死の恐怖甘美〉の忘れことのできない記憶通いあうのではないか考察している。 そして、夏空中に一度あらわれた怖ろしい大理石彫像〉は、三島戦時にみた怖ろしい死の魔神の姿〉であり、朝子一家をおそった〈真夏の死が日常生活の支配的な時代のなかで薄れながらも記憶の中呼び覚まされるのは、三島にとっての「敗戦真近酷烈な死」を湛えた夏の記憶蘇り象徴している解説しボードレールの『人工楽園』の一節〈夏の豪華な真盛間には、われらはより深く死に動かされる〉がエピグラフ掲げられている『真夏の死』を支配しているのは、〈怖ろしい風姿〉の「死の魔神から放射される死の視線」だと評している。 「真夏の死」とは、いかにも象徴的題名である。夏と死と、しかも背景海である。「花ざかりの森以来くりかえしあらわれてくる三島文学の原イメージ。そして日本の敗戦が夏であったことは、これまたなにかの暗号でもあるのようだ。夏と海のイメージあらわれてくるときは、この作者最深情念死の魅惑にゆすぶられているときである。そこにはしばし敗戦の年の夏のイメージダブされているにちがいない。たとえば、「夏といふ言葉そのものが、死と糜爛聯想を伴つてゐた。かがやかし晩夏の光りには糜爛火照りがあつた。」というような表現には、作中朝子内面をこえて、戦争末期苛烈空襲の火に焦土化した廃墟のうえに充満する「死と糜爛」の終末の日のような光景記憶投射みられるように思えるからだ。 — 田坂昂「三島由紀夫論西本匡克は、磯田光一三島文学における基本的テーマ一つとして指摘した現実の〈人生〉が不完全かつ曖昧なもので、華麗な〈死〉においてこそ〈美〉と〈完成〉が具現する」という考察を踏まえながら、戦争中動乱中に召集を受け、「死を賭けた戦い情念」や、医師誤診による「即日帰郷という運命」に出逢った三島が、「御国の為に命を投げ出す純粋なあの時心境」を再び見つめようとしたのが、『真夏の死』の主題ではないか論考し、「日本の敗戦という事実を知った時のあの「挫折感」は、青年三島にとってあまりにも大きすぎのである解説している。 そして西本は、戦後繁栄平和な日常生活安定して確立しだした1952年昭和27年)の執筆当時の「小市民社会」の中、敗戦夏の日の「沸き立つ入道雲」の中、世界旅行中のギリシャエーゲ海」の中、海をバック逆なでするような『真夏の死』の「逆構成の知的場面」の中に三島が「〈死〉をダブルイメージ化して形象化」したと考察しながら、それは、極限状態における「生の実在感」であり、死を描くことによって「生の現象的な意味」を探ろうしたものだとし、「死によって、生を可能ならしめるという論理は、三島そのもの気質と体験の見事な結晶」であると論じ、『真夏の死』の脱稿日が1952年昭和27年)の「8月15日であることも指摘している。

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作品評価・研究

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雨のなかの噴水」の記事における「作品評価・研究」の解説

雨のなかの噴水』は三島作品の中で目立たないものではあるが、完成度の高い洒落た短編コント)として多くのアンソロジー採用されている作品である。 佐渡谷重信は、巧みに描かれた少年の「一人よがりな心理的側面」や、少女の涙と噴水対比雨の中風景相まってロマンチックな味」が醸し出されている評し、「最後に雅子の涙が英雄的別れ話無関係であったというオチによって人生というものはこうしたコミュニケーションの欠落によって支えられていることを教えている」と解説している。 佐藤秀明は、噴水が「皇太子ご成婚記念噴水塔」であることから、男女の別れ話と噴水の意味との皮肉の効果について言及している。また、明男の別れの言葉聞えなかった雅子態度を「意図的」なものとして捉え、彼女の可愛らしさに「したたかな奥行き」を看取し、「光彩している陸離たる人生夢見た明男だったが、人は不如意を知ることで大人になるという主題がここにはある」と解説している。 川村湊は『雨のなかの噴水』について、三島の『潮騒のような典型的な青春小説」や、『春の雪のような古典的な恋愛小説長編とは、また違った趣の、「しゃれた都会的なコントスケッチのような青春恋愛」を扱った短編一つだとしている。そして、安岡章太郎の『ガラスの靴』や『ジングルベルと同じように、「繊細で、脆いガラスの器のような青春の日々一齣映されている」作品だと評している。 川本三郎は、現代作家の描く男の子少年像は従来のものよりも、「複雑で屈折」し、子どもながらすでに「大人社会悲しみ」を知って、「心のなかに闇を抱えこんで」いるとし、その理由は、現代社会における子どもの生活環境厳しくなったことや、子ども(少年)が「保護すべき対象」だというイメージ作家自身からなくなり多様化しているからだと前置きしつつ、子ども時代は、それがたとえ苦い思い出だったにせよ、「安定した距離」を持ちながら懐かしくその時代が大人連続性ありながらその一方で、「子どもと大人連続性断ち切られている」という見方や、少年他者未知なるものとして捉える見方もあると論考し、『雨のなかの噴水』も、「〈子ども=未知なるもの〉というイメージの濃い作品」だと評している。 そして川本は、作家にとって子ども(少年)は、「未熟的、未成形」ゆえに興味深くまた、多様に変幻し、浮遊し大人常識意表を突くからこそ想像力掻き立てられる存在だとし、『雨のなかの噴水』は、「そういう子どもに刺激され大人想像戯れから生まれた作品」だと解説しながら、三島が、冷静に子ども(少年)を「実験動物眺めるように」観察し、「不可解な他者」として見つめ、そこでは「大人と子どもの連続性」は明確に断ち切られ、「大人誰でもかつて子どもだった」ゆえに「大人は子どもの喜び悲しみ」が理解出来るという「安易な連続性」が否定されていると考察している。 『雨のなかの噴水』の中には高みをめざす噴水の力の動き詳細に描写している以下のような一節があるが、松本徹はその一節を、「三島重要なモチーフ」とし、「噴水喩えて絶えざる挫折描いている」としている。 一見、大噴は、水の作り成した彫塑のやうに、きちんと身じまひを正して静止してゐるかのやうである。しかし目を凝らすと、その柱のなかに、たえず下方から上方へ馳せ昇つてゆく透明な運動の霊が見える。それは一つ棒状空間を、下から上へ凄い速度順々に充たしてゆき、一瞬毎に、今欠けたものを補つて、たえず同じ充実を保つてゐる。それは結局天の高み挫折することがわかつてゐるのだが、こんなにたえまのない挫折支へてゐる力の持続は、すばらしい。 — 三島由紀夫雨のなかの噴水

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作品評価・研究

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愛の渇き」の記事における「作品評価・研究」の解説

愛の渇き』は、その「完成充実」の高さの評価大方一致しており、松本徹は、三島の「24歳若書きといったところが、文章端々に見られないわけでは」ないとしながらも、「古典的ともいってもいい緊密な構成持ち最後に訪れ破局力強さは、文句つけよう」がないと解説している。そして、当時文壇では、「自分厳しく描き、女を魅力的に描いてこそ、作家として一人前」だという暗黙の了解事項があったと松本前置きしつつ、ヒロイン悦子のような嫉妬激しい女描いた三島は、「それに十二分に応えた」と評している。 吉田健一は『愛の渇き』について、三島作品の中でも、「最も纏ったものの一つである」、「この作品は、我々に小説というものそのものについて考えさせる気品備えている」と評している。そして三島がそこで試みているのは、「一つ持続を廻っての実験」であり、ヒロイン悦子が「幸福を求めている」ことは、「彼女が退屈しているということ同じなのである」と提示しながら、それを描くことは容易ではなく、「退屈の正体」である「忍耐」に費やされる力が烈しけれ烈しいほど、その表現は「退屈」を生々したものとして感じさせることができ、悦子を廻一家の生活は、彼女の「幸福に対す欲求絶え堰き止めて、自分生きているという意識を一層烈しく掻き立てるための装置となっていると吉田解説している。 そして吉田は、〈何かの抵抗なければ芸術作品生れない〉というヴァレリー言葉引きつつ、「抵抗なければ人間自分生きているという実感を持つこともできない」とし、その点で作者三島は、「一人の女が生きて行く上で完璧な条件」を実現したことになると解説して、「しかしそれを完璧にしているのは悦子自身の性格の強さなので、それだけ彼女は特異な存在なのであるが、この人物とその環境取合せから起る生命の実感があまりに新鮮なので、個人的な特色などというものを我々は忘れてしまうのである」と、その構成巧みさ説明している松井忠や富岡幸一郎は、現実世界から「拒まれた者」であった仮面の告白』から、『愛の渇き』では、現実世界を「拒む者」へ移行していることを指摘し富岡は、その悦子行為認識の距離に二律背反見て秋元潔は、「精神肉体葛藤」があること考察している。 『愛の渇き』を初期の作品で最も完成度が高い長編だと評する田坂昂は、悦子は「外界にたいしては無限に受容的」であり、彼女の存在自体が「虚無であり無神」であり、その内部で育てた「幸福の観念」は、「幸福の固定観念」〈ロマネスク固定観念〉にまで成長して、それにひたすら縋って悦子生きている解説している。そして「目的のない情熱」(虚無情熱)こそが、「戦国のある武将の血をうけつい末裔としての無意識の矜り」を持つ悦子の「幸福」であり、それは「実存的自にまでゆきつく漂白された情熱」だとし、三郎背中を〈深い底知れない海のやうに思ひ、そこへ身を投げたいとねがつた〉悦子には、「超人間的世界へ渇望」、「死への希み」にまで繋がものがある考察しながら、悦子が、鍬の刃先自分へ向かって落ちてくる危険を空想する場面と、悦子周りの「退屈な日常生活を鑑みながら、『愛の渇き』には、戦中と戦後状況変化とらえているところがありはしないか」と述べている。 柴田勝二は、『愛の渇き』と、モーリヤックの『テレーズ・デスケイルゥ(フランス語版)』を比較しテレーズの「受容性に対し悦子現実受容性自意識強く、「自身外界違和意識的に封じ込める」という対自的イロニストの面があることを考察し、そのアイロニー外界応じながらも悦子三郎には惹かれるという分裂した空無存在であり、その空無化した情念が、『テレーズ・デスケイルゥ』の影響下にある自由間接話法的な文体表現されていると解説している。 花﨑育代は、悦子が〈何も希はない〉、〈渇いてなぞゐはしなかつた〉人物として描かれ第一章冒頭付近から頻繁に出てくる〈何事もない〉という言葉が、最後の一行にも出てくることに触れ、これは、花田清輝言及していた「絶望者といふものの凄惨な在り方としての悦子の「平静さ」 の分析なるもの孕んでいると解説している。

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作品評価・研究

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煙草 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

雑誌人間』に掲載された当時の評判としては、川端康成友人でもあった横光利一がしきりに『煙草』を褒めていたとされるしかしながら、この賞讃三島の耳には届いていなかった様子で、他の文壇人から論評も特になかった。そのため三島は、〈評判はといふと、まるで問題にもされなかつた〉とがっかりしている。 ただし、村松定孝当時煙草を初め読んだ時の衝撃を、「年少者先き越され歯がゆさ」、「しまったと狼狽した気持」だったと振り返り、「俺だって、こういうものを嘗て書いてみたいとおもったこともあるのに、時代不向きだというおもわくから捨ててしまって、……一生の不覚だったと、もう居ても立ってもいられないくらい取乱した」と吐露している。 本多秋五には村松定孝受けたような衝撃的な感動はなく、作者三島何を狙っているのか判定できなかったが、「素直な虚偽分子のない作品思えた」と述べている。そして本多は、筑摩書房三島原稿持ち込んだ時に臼井吉見いくらか評価し中村光夫が全く見向きもしなかったエピソード触れつつ、戦後まだ無名だった三島に対してそうした見方一般的だったろうとした上で、「無名の大学生三島の『煙草』を、あえて『人間』に推薦した川端康成は、さすがに新人発見名人だけのことが、どこかあったのである」と述べている。ちなみに川端はこの三島の『煙草』を推薦した2年後1948年昭和23年5月号から、自身大阪府茨木中学校現・大阪府茨木高等学校時代同性愛的初恋の思い出綴った作品少年』を同誌で連載開始している。 三島没後の作品研究としては、「生命力反逆兆し」を看取ようとしている田中美代子評価をはじめ、「学習院背景とした精神的自伝」だとして、「大人への精神構造変換と、同性愛一本煙草微妙に象徴されている」と評価する長谷川泉や、「戦後耽美派としての三島側面から論考している山内由紀人と評価などがある。 山内由紀人は、三島本格的な小説出発点1940年昭和15年11月執筆の『彩絵硝子』だとみて、「『彩絵硝子』の世界戦後になってさらに洗練され一つ文学的結実をみせたのが『煙草』」であるとしている。そして、『煙草』には「戦後耽美派としての三島側面が「最も理想的なかたちであらわれている」と評価した上で、「デカダンス雰囲気淫蕩的な気分同性愛的な匂い、そして変身願望ストイックな文体描かれるその世界」が、のちの中井英夫作品世界に通底しているとしながら三島述べた純然たる現代小説は、むしろ『彩絵硝子』から『煙草』への線上にある〉という言葉補記して解説している。 その他の高橋新太郎は、末尾段落火事眺め描写表現を、「夢か現か定かならぬ境位表現は、きわめて象徴的でもあり、美しい」と評価し校内散歩する場面みられる静謐〉の感覚など、この頃三島初期作品(『花ざかりの森』など)に共通してみられる「〈静謐〉への志向」に注目している渡部芳紀解説もある。 なお、『煙草』には異稿があり、伊村との後日談などが書かれ続き原稿存在している。その異稿には、春以後伊村すれちがうこともあったが伊村手を上げ合図する程度挨拶となり、「私」4年生になった伊村高等科3年)ある初夏の日、森の中で伊村1人セーラー服女学生一緒にいるところを見てしまい、烈しい嫉妬苦しめられる心理描かれている。 ※上節と同様三島自身の言葉の引用部は〈 〉にしています他の作家評者論文からの引用部との区別のため)。

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作品評価・研究

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青の時代 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

青の時代』は、三島他の大作問題作比べると注目度低く小ぶりなものとなっているために相対的に評価はあまり高くなく、三島自身失敗作だと認めている作品である。肯定的な論としては、「貴重な同時代の証言であり記念碑なのである」という日野啓三評価や、「充実した〈生〉を喪失した戦後青年自意識自己の贋物性を自覚する過程」を書く作品意図看取しつつ、「戦後一時期知的青春の姿」を鮮明に描いていると述べ磯田光一の評があるが、総じて作品完成度からの観点評価は辛いものが主で少年期から戦後間を結ぶ6年間の空白と、それによる前半後半分裂指摘する声が多い。 当時文壇評価低めで、中村光夫は、前半生い立ち描き方はいいが、後半になると、「剥製みたい」と評し臼井吉見も「同情よりも、ひどくひやかし半分にやっつけてしまってるという感じがする」と述べている。本多秋五は、「中途半端な作品」としている。 西尾幹二も、前半における「心理小説典型」を思わせる生い立ち分析が「性格悲劇」の序章として「ヴィヴィッド」で「新鮮」に描かれているにもかかわらずに、その明晰さ後半において徹底されておらず、「戦後青年虚無感」という一般的な主題混じり込んでしまっているとし、本来の主題であった贋物英雄譚」という「抽象的情熱」が埋没してしまい、「完璧な観念小説になり得ていない」と解説している。しかし、この作品中に、「ふんだんに投げこまれているアフォリズム切れ味」の良さ魅力的であると西尾評し三島余裕を持って縦横シニシズムたのしんでいる作品」だと評している。松本徹も、作品出来不出来越えて、その「野心的な若々しさ」が魅力的だとしている。 守谷亜紀子は、『青の時代』の当時の評価否定的なものが多いのは、同じ「光クラブ事件」を題材とした北原武夫の『悪の華』や、田村泰次郎の『東京の門』などが、戦争傷痕負い破滅的な人生向う主人公悲劇を「痛ましく同情的描いているのに比し、『青の時代』の主人公は、「滑稽で喜劇的」に描かれている箇所見受けられるためだとし、北原武夫田村泰次郎もっぱら、「時代悲劇性」に重点置いているのに対し三島は、時代性によらない人間の「本質的な〈生〉の問題性」を主題にしていると解説している。そして守谷は、三島が、悲劇性帯びた自明のストーリーから「〈悲劇としての印象」をあえて取り去り、反対の意味を表現したり、逆に資料にある卑俗性の挿話真摯にアレンジしたりして、その底の真意相対性示そうとしている「アイロニー性」の構造論考しながら、『青の時代』は、「人間性そのものまでも虚偽とする世界観が、悲劇喜劇混合内に描かれていると解説している。 柴田勝二は、『青の時代』でモデル消化しきれていないという評価が多いのは、「山崎晃嗣という素材に対して三島が、「取り込みつつ否定する二面的な距離の取り方をしている」からだとし、三島山崎という「時代生きつつ時代生かされてしまった人間」を作中造型する際、「この時代との密着超克する方向性」をあえて付与しているため、「素材生かし方が〈中途半端〉」だとする本多秋五印象は三島が「意図して仕組んだ属性そのものであり、あえて「山崎逆行する側面」を、三島主人公誠に色濃く付与していると解説している。 そして実際の山崎が「哲学的なの権化ではなく、「世俗的な欲望多量に抱えた青年であり、軍隊では物資横流しをし、戦後の混乱珍しくもなかった闇金融の「物欲担い手であったその反面で、「数量刑法学」の学究意欲を持つという「清濁両面」の人間であったが、『青の時代』の誠には、そういった多方面にわたる欲望感受する体制」はなく、「物質的な欲望」が捨象されている人物造型となっている違い柴田指摘し、誠は山崎異なり、「自己複数欲求相互に相殺することによって、それらのいずれにも没入しいとする人間であり、その主観操作によって〈人々は生活を夢見てゐた〉と規定される1940年代後半〉という時代対峙ようとしている」と考察している また、前半で誠が、自発的な欲望物事決定しない性格造型されている一方、「数量刑法学」の主張では、〈主観的幸福〉にこだわり見せているといった、「観念的な主体としての〈主観〉」と、「外部価値観排する的な実感としての〈主観〉」が野合されているため、『青の時代』の「不統一印象」がもたらされていると柴田説明しながらも、その両者西尾幹二が言うような「別個のもの」でなく、誠は「矛盾はらんだ存在」としてあり、「内面指向性無関係に外界事象惹かれてしまう傾向」が見られるとし、それは『愛の渇き』の悦子や、『親切な機械』の猪口と同様に、〈主観的幸福〉(主観的不孝)に敏感な傷つきやすい人間だと考察している。そして柴田は、後半での誠の行動無目的でなく、山崎という実在人物下敷きにすることで、「時代背景裏打ちされた動機の層を濃密に備えている」とし、野口武彦主張するような、「距離をもって現実世界眺め下ろす視線に、(三島の)ロマンティック・アイロニーの表出」を見る解釈疑問呈しつつ、以下のように論考している。 おそらく三島意図は、時代の波に身を託しつつ、そこで超越的な自己保持しようとする人物の像を仮構することにあっただろう。この時期の他の作品当為としての道徳律」を備えた人間登場させているのはそのためである。けれどもそのためには青の時代』の主人公あまりにも外側世界動かされやすい人間であった。(中略三島内面託され人物たちは、現実世界に距離を取ろうしながら我知らず外界魅せられてしまうのであり、その不如意分裂のなかに彼らは生きている川崎誠分裂示しているものは、まさにその主観的な距離が外界牽引によって崩壊させられるアイロニーほかならないのである。 — 柴田勝二跳梁する主観――『青の時代』論――」 山中剛史は、『青の時代』はアプレゲールによる「悪漢小説」でなく、主人公・誠は「金の亡者でも、貫一(『金色夜叉』の主人公)のようなセンチメンタリズム」でもなく、そこに描かれているのは、金という紙束に何の価値すら認めていない「虚無直面した青年破滅譚」だとして以下のように解説している。 三島が、戦後の混乱と不安とに満ちた中で大層傷つきやすい孤独な青春描いて川崎にまとわせたのが合理主義という鎧であった川崎の「合理拘束する」という金科玉条である。他者から身を守るために誂えられたそれは、外界から身を守る代わりに己をも束縛する外界から自己律しようとすればするほど、ますますそれは川崎自身自己統御ストイシズム要求することになる。そこでは金も女も合理主義要求する自己統御の証明としての意味しかないのであり、果ては自らの命さえも差し出すことになる。 — 山中剛史「『青の時代』――事件定着させた自らの青春

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作品評価・研究

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盗賊 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

盗賊』は発表当時にほとんど反響がなかった作品で、敗戦直後乱世時代には「他愛のないお話”」の人工的な物語としか見なされずに低評であった個別作品論ほとんど無い傾向にあり、包括的な作家論一端として言及される場合が多い。 武田泰淳三島自評言葉を受け、「決して〈無慙結果〉ではない」とそれを否定しつつ、「稚心などという単語と、これほど無縁な作品はない」として、小説技術である「作家自己の精神吟味し表現する操作に関して豊富な手がかり提出している点では、『仮面の告白より大切な長編だとも言える」と考察している。そして『盗賊』は「やや神経過敏のため、肉色が蒼ざめたきらいがある」とし、論理説明主張警句才智である「骨」があらわとなっているため、「骨をあらわに示さずに、肉づきだけでよく骨格知らせる」ようなツルゲーネフ『初恋』の域には至っていないが、「骨なし小説多すぎる日本にあっては多少骨のきしみが耳ざわりでも、三島氏の長編の骨格の正しさ尊重し宣揚したい」と評している。 磯田光一は、戦後直後三島中に青年期異性に対する喪失感世代内包されていた喪失感とが交錯」していたとし、「〈金閣と共に滅びうる〉という幸福」(完璧な愛の実現)が無くなった戦後三島にとって、『盗賊』の主人公たちは、「三島思いえがいた理想生の形式」であり、過ぎ去った「〈愛〉と〈死〉との饗宴」を「人工的に構築しようとした作品」だと解説している。そして磯田は、『盗賊』の創作自体が「エゴイズムヒューマニズム旗印をおし立てた戦後進歩主義思想に対する逆説にみちた兇悪復讐行為」であり、「エゴイズム抹殺する楽しさ描いた作品」だとして、「戦後進歩主義思想根底にあった有効性〉の観念への果敢な挑戦」だと考察している。 川端康成は、三島最初の長編小説で、「恋人結婚その日心中するといふ心理」に陥りその作品を『盗賊』と名づけた創作意図触れつつ、「自殺する二人盗み去つたもの」は、「すべて架空であり、あるひはすべて真実であらう」とし、以下のように語っている。 私は三島君の早成才華眩しくもあり、痛ましくもある。三島君の新しさ容易には理解されない三島自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。三島君は自分の作品によつてなんの傷も負はないかのやうに見る人もあらう。しかし三島君の数々の深い傷から作品出てゐると見る人もあらう。この冷たさうな毒は決して人に飲ませるものではないやうな強さもある。この脆そうな造花生花の髄を編み合せたやうな生々しさもある。 — 川端康成「序」(『盗賊』) また、川端は、三島作家として将来について、「人生確実にし、古典近代虚空の花と内心悩みとを結実するやう、かねて望んでゐる」と述べながら、「『盗賊』のやうに青春神秘と美とを心理構図盗み切らうとする試みも、三島君の歩みには必然の嘆き呼吸であらうか」と評している。 なお、これらの川端評言は、三島中に半歩間違えば、あちらの世界へ行ってしまう」ようなものを、川端直感し、「脆そうな造花」は、三島を「生に繋げる細い細い糸」と見ていたと松本徹解説している。この川端文章は、その後三島作家活動運命暗示していたものとして、三島死後数多く三島論で引用されている。

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岬にての物語」の記事における「作品評価・研究」の解説

渡邊一夫は、『岬にての物語初出当時文芸時評において、「三島氏のふしぎなくらゐ幻想充ち字句用ひかたも、その配列も、実に美しいものを持つてゐた」として、時折ランボーの詩を思わせる高評価している。 野口武彦は、『岬にての物語』を「戦争期に培われた三島氏の作家心情、その美学主導動機をじつにストレートに語った小説」だとして、三島投影である主人公体験に、「まぎれもないロマン派情動初心」を見てとり、「〈死〉―〈夏〉―〈海〉」という三島文学主題が、その後の作品に連なっていくことを指摘している。 田坂昂は、〈美〉と〈海〉と〈死〉という要素を鑑みながら『岬にての物語』を考察し主人公が〈神々の笑ひ〉の中に見い出した〈一つ真実〉が、『花ざかりの森』で言及される秀麗な奔馬の美〉と同義であるとしている。 渡辺広士は『岬にての物語』の、「自己省察から飛翔への移行」(現実から夢想への移行)の構成は、「すでに少年習作ではなく物語として見事に組み立てられている」とし、その導入部における自己分析明晰さ可能にしているのは、「〈私の本来のものなる飛翔〉への信頼というプリズム」だと解説している。そして「その〈憂愁のこもつた典雅な風光〉にふさわし古典的な文体」で海や岬の自然が描かれ作中少女には、同じ三島作の『苧菟と瑪耶』の瑪耶と同じように永遠のマリヤ面影があるとし、〈青年少女頬笑みには甚く相似たものがあつた〉というくだりには、「兄と妹の愛」が暗示されているという神秘化があると考察している。 売野雅勇は、『美徳のよろめき以来三島作品馴染んできたと語りつつ、「主人公たちの耳にも聴こえる音楽といえば、『岬にての物語』の「一音だけ鳴らない音がある壊れたオルガン思い出す」として、「聴こえない音楽を聴くことが、三島由紀夫作品を読む最大の快楽のひとつになっている。言葉の音楽である」としている。 三島作品接してきたが、主人公たちの耳にも聴こえる音楽といえば即座に岬にての物語」で海岸断崖に近い草叢を歩きながら少年聴いた一音だけ鳴らない音がある壊れたオルガン思い出す。最初に読んだときから、少年聴いたその音を想像するよりも、聴こえない音の方に想像力働いた陰画を光にかざして眼を凝らすおなじ身振りで、その失われた音に意識集中してしまう性癖のようなものがこころのうちにあるのだろうか、――あるいは、そのように意識誘導する意図のもとに書かれたものなのだろうか。 —  売野雅勇言葉の音楽村松剛は、『岬にての物語』で主人公遭遇する事件が、ガブリエーレ・ダンヌンツィオの『死の勝利』を思わせ少女百合の花を摘む場面似ていること指摘し三島蔵書にも『死の勝利』があることから、三島執筆する上でその作品への意識があったと考察している。 三島の『岬にての物語』の少女清純そのものであり、相手の男も少女と「眼の涼しさを争」う青年であり、肉慾はここにはかげもない。『岬にての物語』は、いわば南国富裕階級倦怠感肉慾とを捨象した『死の勝利』だった。媚薬マルク王介在しない『トリスタンとイゾルデ』、という形容も可能かも知れない。 — 村松剛三島由紀夫世界筒井康隆もまた村松指摘踏襲し、『岬にての物語』がダンヌンツィオの『死の勝利』の文体描写ディテールなどの影響を受けているとして、両者どちらも男女情死扱い心中方法断崖から海へ投身である共通点挙げている。しかし、『死の勝利の方無理心中であり、「世紀末懐疑主義頽廃的な作品なのに対し、『岬にての物語の方は、「極めてロマンチックなもの」で、三島自身モデルある少年の眼で、美し若い男女情死行を、「日常のようになごやかに眺めている」と解説している。

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作品評価・研究

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海と夕焼」の記事における「作品評価・研究」の解説

海と夕焼』は、三島自解で〈私にとつてもつとも切実な問題秘めたもの〉と述べていたが、三島死後もあまり本格的な論究なされていない傾向にある。ちなみに三島後年、『海と夕焼』を振り返って、「あの作品がもし、発表当時から正確に理解されていたら、それ以後自分の生きかたも変ったかもしれない」と虫明亜呂無語っている。 鈴木晴夫は、三島作品では〈海〉が多く描かれているが、『海と夕焼』の〈海〉は自然背景として海ではなく、「人間暗い情念呼び醒ます黙示役割負っている」として、その〈海〉は真昼暁の光り輝く海とは違う「神秘的な暗さ」を湛え異郷日本回想して生きている老人ふさわしい〈海〉となっていると解説している。 佐藤秀明は、『海と夕焼』の〈奇蹟〉を、「現実許容しない詩の幸福」(奇蹟信じて疑わない〈詩〉の〈幸福〉)のことだとし、これは『詩を書く少年』での〈詩〉を紡ぎ出す時の〈幸福〉であり、「〈現実〉と相渉らない〈言葉〉の〈幸福〉」と同じだ解説している。そして、この「現実許容しない詩」は、三島がしばしば〈人生〉と対比して芸術〉と呼び、〈小説固有の問題〉だと言っていたものだとして、奇蹟待望とその挫折を〈私の一生を貫く主題〉と吐露し三島が、『豊饒の海に至るまであらゆる作品でこの主題描いていることを指摘しながら、「三島の言う小説とは、人生現実)と詩(「現実許容しない詩」)との対立含み、それを描いたもの」と論考している。 石井和夫は、『海と夕焼』の主題を、〈いくら祈つても分れなかつた夕映えの海不思議〉、〈奇蹟幻影よりも一層不可解なその事実〉にあるとして、その主題は『真夏の死』で朝子最後に再び悲劇を〈待つ〉思いに通じるものがある考察し安里語り2年後に「文永の役」があることなども鑑みながら、安里が〈不思議〉の再来待ち望んでいるとしている。一方根岸一成は、安里の〈不思議〉に捉われ続ける姿に、「神の死せる世界で神を探し求めることの必然的挫折」、「絶対者不在深淵追いやられた虚無」を看取している。 田中美代子は、遠藤周作の『沈黙』の主題転換(「あの人沈黙していたのではなかつた」とした所)について三島疑問呈し、〈神の沈黙沈黙のまま描いて突つ放すのが文学〉としつつも、別のエッセイで、〈「神」といふ沈黙言語化〉こそ〈小説家最大の野望〉だと吐露していた複雑な心理挙げて、『海と夕焼』の主題について考察している。 近代末世にあって奇蹟などありえないのが当然の合理的科学的現実であるのに、なぜ人は飽かず奇蹟待望し、神の不在自明なのに、神への祈りをやめることができないのか。それはただ、人間絶望的な祈りだけが逆に神を証かす唯一の行為だという信仰秘儀ではないのか? — 田中美代子海と夕焼」 また田中は、この三島の〈一生を貫く主題〉が『豊饒の海』の第2巻奔馬』の神風連挫折にまで繋がっていくことに触れながらも、『海と夕焼』で注目する点として、「安里が、現実失墜を経ながらも、再び現在の境遇に、慎ましいある安らぎ感じていること」を指摘し三島作品の変遷を鑑みている。 執筆当時三島文学十全開花して時代迎えられて、作家生活頂点きわめていた。だが彼にとってはどんな地上の幸福も魂を癒す十分でありえない呼べこたえぬ神の似姿こそ耳もきこえず言葉発せぬ安里傍ら無心な少年存在であろう。 — 田中美代子海と夕焼」 小埜裕二は、従来の論で〈海〉と〈夕焼〉が一対取り合わせとして、主人公過去想起なされている捉えられていることにやや異論唱え2つ異な概念表わしているとして、〈夕焼〉は「奇蹟待望抱かせる象徴」(キリスト教的世界観における「永遠」の象徴)で〈有限性〉を表わし、〈海〉は「奇蹟的世界へ誘いつつもそれを拒むもの」(仏教的世界観における「久遠」の象徴)で〈無限性〉を表わしていると解説している。さらに、西洋キリスト教的世界観有限性に対し東洋仏教的(禅的)世界観・無限性時間優位示され預言者発した東へ行くんだよ〉という言葉もそれを暗示するものと考察している。 〈夕焼〉は終末という〈有限性〉のなかで最後の輝き復活後の永遠)をしめすキリスト教的世界観象徴として理解できる一方仏教的世界観にはものごとには始め終わりもないという縁起考え方がある。マルセイユの〈海〉が示した沈黙は〈無限性〉を基とする仏教的世界観響きあう。本作結末おいても安里回想終了時に〈夕焼〉が終わり「闇」とともに梵鐘の音」が響く。その音は「久遠」へとすべてのものを導いていく。(中略三島解説奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議といふ主題」は、作中において「不思議」へのこだわり消し去ろう周到に用意された仏教的世界観枠組みのなかで捉え返される必要がある。「奇蹟自体よりもさらにふしぎな不思議」を現出させるのも〈海〉であれば、「不思議」への思い消し去ろうとするのも〈海〉なのである。 — 小埜裕二三島由紀夫海と夕焼』論:「不思議」を消し去るもの」 そして最後の少年眠りが、「安里回想への執着相対化する役目」を担い聾唖少年感覚がここで全て閉ざされている意味は禅宗における「ものにこだわらない自由な精神」「無の境地」を示している解説し最後の場面臨済宗禅問答ともなっているとしている。また、少年は能のワキ役どころでもあり、シテ安里語りは「死後の時点から生の時間眺め夢幻能回想形式に似ていると小埜は述べている。 禅では忘れること捨て去ることが大切となる。とらわれのない心を禅は目指すのであり、そうした境地仏教説く諸行無常教え輪廻転生教え与えペシミズムニヒリズム断ち切るものとなる。(中略過去に体験した不思議」を呼び返す山頂での安里語りは、〈眼の少年に向けて語るところから始まった。〈眼の少年〉が安里過去引き出させるスイッチであったとすれば、〈眠る少年〉は安里を再び現在へ連れ返すスイッチとなった。 — 小埜裕二三島由紀夫海と夕焼』論:「不思議」を消し去るもの」 また小埜は、『海と夕焼』の翌年に『金閣寺』が発表された繋がりの意味辿りつつ、『金閣寺』の終盤で、溝口放火後に突然と究竟頂で死のうとすることに触れ、そこに「『海と夕焼』の語り手安里語り現在の設定に際して秘かに示した奇蹟待望祈念同じもの」が読み取れるとしても、その三島の「延命せられた〈不思議〉の到来を願う思い」が重要な意味を帯びてくるのは後年の作品においてだとして、2作品書かれ昭和30年頃の三島には、「〈不思議〉へのこだわり消し去り乗り越えていく自信満ちあふれていた」と考察している。 「不思議」の到来をもはや願わなくてもよいと言いうる枠組み物語内部に構築しえた力業を、三島奇蹟待望不可避であることの告白以上に戦後一貫して感受性化け物コントロールしようとしてき努力の成果として読み手理解してもらいたかったではなかろうか。「不思議」へのこだわりをいかに制御するかが三島にとっての「切実な問題であった。 — 小埜裕二三島由紀夫海と夕焼』論:「不思議」を消し去るもの」

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作品評価・研究

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夏子の冒険」の記事における「作品評価・研究」の解説

夏子の冒険』は軽いタッチ恋愛コメディ娯楽小説として楽しめる作品で、冒頭から突然ヒロイン修道院入り決意するという突飛な展開に特徴がある少女小説古典文学では、波乱万丈運命翻弄された末、ヒロインが世を儚んで修道院尼寺へ入るという結末珍しくはないが、『夏子の冒険』では「出家決意」から物語始まって結末向かっていくところに独自性がある。 夏子願望は、『仮面の告白』の〈私〉や、『愛の渇き』の悦子欲望反復して発展させたものだと見ている千野帽子は、夏子前半見せていた「わけのわからないことをする人物」の魅力中盤において、恋敵不二子嫉妬したりするなど、「わけのわかることをする女」となり、逆にミステリアスな不二子の方魅力的に描かれるが、最後のどんでん返しで再び夏子が「わけのわからないことをする女」となり、「正→反→合」の作用物語与えていると解説している。 木村康男は、夏子が「熊狩りという冒険」に恋し自身の情熱の対象が「〈ますらおぶり〉を喪失した男性にはないこと」に気づくという主題解説しつつ、「恋の本質冒険であり、冒険終わ時に恋も終わる」としている。松本鶴雄は、「井田を見る夏子の眼に三島ロマンチシズムイロニー横溢している」と解説している。 十返肇は、『夏子の冒険発表から約3年後に、「若く溌溂とした夏子魅力」は、そのまま作者三島魅力だとし、以下のように解説している。 死を決意した彼女の演ずる生へ冒険を、三島由紀夫は心にくいまでにまでに巧みに描いてゆく。彼女をめぐる風変りな環境私たち笑はせ、彼女が燃やす恋の情熱私たち蠱惑する。原始的な風土の中で都会夏子冒険結果生きる歓びを知る。若い女性読者は、みんな自分の中に一人づつ夏子棲んでゐることを痛感するであらう。そして、新し青春生き方をここに見るに違ひない。 — 十返肇青春生き方」 『夏子の冒険』は2000年代以降村上春樹の『羊をめぐる冒険』(1982年)との関係性文学的に論及されることも多く佐藤幹夫は、村上が「熊をめぐる冒険」である『夏子の冒険』から『羊をめぐる冒険』を着想し、〈女秘書のやうなまじめ顔つきになつて拝聴〉する夏子相当するのが、「耳のガールフレンド」だとし、〈導き〉という言葉や、今や村上専売特許となっている〈やれやれ〉という言葉も、すでに三島がこの作中使っていることを指摘している。 高澤秀次また、村上の『羊をめぐる冒険』は三島の『夏子の冒険』の「書き換え」であると唱え大澤真幸も、高澤秀次の論を敷衍して、三島村上関連について論じ、「三島自殺こそ、理想時代行き詰まりに対する、最も先鋭な行動である。このことを考慮すると、三島村上こうした繋がりは、実に暗示的である」と述べている。 大澤真幸は、夏子の〈冒険〉が、「〈植民地的なエキゾチシズムを誘う土地」である北海道向けられることに着眼し東京(の青年)に倦怠していた夏子が、修道院への旅の途上仇討ち青年共鳴し、「逆説的な仕方で、冒険理想)を発見」することを、「〈復讐〉というネガティヴ形態でのみ、理想活きているのだ」とし、以下のように考察している。 したがって、青年が熊を倒したとたんに夏子青年への情熱醒めてしまう。三島のこの小説は、すでに、理想理想として維持することの困難を表現している解釈することができる。この約20年後三島は、実際に理想時代破綻自らの自殺をもって体現することになるわけだが、そこへと向か問題意識は、この時点で、無意識の内に孕まれていたとも言えるだろう。 — 大澤真幸不可能性時代」 そして大澤は、村上が『羊をめぐる冒険』の冒頭の章「1970/11/25」で、三島事件を、〈我々にとってどうでもいいこと〉としてのみ言及していることについて、「無論、それは〈どうでもいいこと〉ではないからこそ言及されるのである」とし、主人公〈彼〉が、二人の女性の死を契機に、やはり『夏子の冒険』同様、北海道へ冒険に出ることを指摘しながら、以下のようにまとめている。 「我々はおだやかな引き伸ばされた袋小路中にいた」という表現示唆するように、『羊をめぐる冒険』は、冒険の──理想主義的なユートピアの──不可能性をめぐる冒険である。この自己言及的・自己否定的な冒険内容は、複雑をきわめるが、目下の文脈において重要なことは、小説タイトル暗示しているように、それが、幻想的フィクショナル冒険という形態取っていることである。要するに、村上の『羊をめぐる冒険』は、三島から直接にバトン受け取るように小説書き三島作品中に孕まれていた可能性徹底させることで、理想から虚構への移行果たしているのだ。 — 大澤真幸不可能性時代

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恋の都」の記事における「作品評価・研究」の解説

恋の都』は娯楽的な恋愛小説ありながらその背景には、国粋主義者だった青年敗戦によりアメリカスパイ要員となっていたという展開にも表われているように、戦後の日本アメリカ関係性色濃く随所描かれヒロイン・まゆみが、ホテル監禁された楽団員松原を救うため、〈口髭たくはへいかにも正義派的〉な〈恰幅のよい米国人マシュウズ威光借りて事件解決しそういった自身のことを〈日本政府みたいな遣口〉だと考え見返りをまゆみに求めたマシュウズ出方を、〈アメリカ人一般の例洩れずMSA式なやり方〉と思うなど、寓意が所々にちりばめられている。 こういった恋の都』で描かれている寓意について武内佳代は、「帝国西洋)と植民地東洋)の関係がジェンダー非対称性」として表象され、その挿話には、「GHQ撤退後戦後日本がいまだ米国植民地であることが前景化」されているため、「まゆみの貞操死守はまゆみ個人的な復讐劇を超え、「戦後日本における米国支配への抵抗そのもの寓意」と読解できるとし説明している。そしてそれは、『潮騒の中で新治沖縄荒波で船の危機救った挿話見られる寓意同じだ武内考察し、まゆみが下心のある米国人たちから処女守りつつ、見事に賃上げ交渉成功させた時の楽団員たちの反応(まゆみへの尊敬信頼)に明白なように、「貞操死守という占領国への抵抗こそ、彼ら敗戦国男性を〈喜ばせ元気づけ〉」、胸に五郎への「弔合戦」を続けるまゆみの「イマジナリー領土では、いまなお戦中天皇の〈法〉は命脈を」保ち、「いまだ戦争終わらない」とし、『恋の都』は『潮騒』よりもさらに明瞭に、「純愛天皇の〈法〉との連繋や、そうしたものと米国支配の影と対立関係」が描かれていると解説している。 そして武内は、〈五郎さん肉体抱きしめるやうに〉、その思想抱きしめてきたまゆみが、〈フランク・近藤〉という米国スパイとなってしまった五郎再会し五郎への純愛との葛藤末に、そのプロポーズ(「米国人男性自らの性を奪われること」)を承諾したのは、まゆみの心中においては「〈日本〉の敗北」をも意味し同時に、「〈天皇陛下への絶対の愛日本人としての絶対の矜り〉という〈生きる糧〉を喪失し本当の敗戦〉を迎える」とし、まゆみが結末で〈イエスですわ〉と返事をする場面には、「米国受け入れて敗北抱きしめ〉た当時戦後日本趨勢そのまま透視することができる」と解説している。また、英語混じり承諾したまゆみの態度には、「占領国」(男)「被占領国」(女)というジェンダー配置比喩にすれば、「米国救済によって存続した、矛盾満ちた戦後天皇それ自体表象」に換言され、その承諾を感情をまじへないはつきりした声〉と三島表現し、まるで交渉臨んでいるかのようにまゆみに仮託させているのは、「まゆみの諦念」だけでなく、「作者諷刺的眼差しをも滲ませている」と武内考察している。 油野良子は、右翼青年丸山五郎アメリカスパイ転向するという設定他の三島作品にはなく、後の三島文学描かれる「純粋右翼青年悲劇」と一見違うようではあるものの、三島が『林房雄論』の中で右翼とは、思想ではなくて純粋に心情問題である〉 と言っていたことを鑑みれば、「矛盾するものではない」と解説している。 田中美代子は、アメリカ人になることで辛うじて生き延びている丸山五郎は、姿を変えてその後『鏡子の家』深井峻吉や『奔馬』の飯沼勲繋が系譜人物であるとし、三島占領時代振り返り、〈しかし占領時代が、青年精神的成長に、今から考へると、或るおづおづした、不透明な制約加へてゐたやうにも思はれる〉 と言っていたことを見て五郎生き方を「精一杯のこれが抵抗だった」と考察できるとしている。 そして作中の〈大東亜塾〉のモデルであろう大東塾」について三島が〈終戦時における大東塾集団自決が、一体何を意味するかといふことは、私の念頭離れなかつた〉、〈神風連攻撃であり、大東塾は身をつつしん自決である。しかしこの二つ事件背景相違を考へると、いづれも同じ重さ持ち、同じ思想根から生れ日本人心性にもつとも深く根ざし、同じ文化本質的な問題触れた行動である〉、〈剣を失へば詩は詩ではなくなり、詩を失へば剣は剣でなくなる……こんな簡単なことに、明治以降日本人は、その文明開化のおかげで久しく気づかなかつた〉と述べていた『一貫不惑』 に触れつつ、田中は以下のように論考している。 大東塾は、「恋の都」の宮原大東亜塾のモデルになったものと思われるが、彼(三島)にとってそれは、〈西欧に対する日本の最後の果敢な抵抗としての文明史意義有するものであり、〈日本人心性にもつとも深く根ざし、同じ文化本質的な問題触れた行動〉 と考えられのである追い詰められた日本人魂の抵抗――それはいぜんとして戦後思想史背後隠されたままであった。敵はむしろ祖国内部にあった。〈大正以降西欧教養主義がこの病気拍車をかけ、さらに戦後偽善的な平和主義は、文化のもつとも本質的なものを暗示するこの考へ方を、異端思想として抹殺するにいたつたのである〉 — 田中美代子三島由紀夫 神の影法師――夢の疲れ――『潮騒』『恋の都』『につぽん製』」 千野帽子は、『恋の都』の中に込められていた「国家」と「処女」の帯びる意味は現在の日本社会では様変わりしてしまったが、『恋の都』は今でも純粋に恋愛小説として楽しめるとし、作中盛り込まれている当時時事ネタや、〈ハニー・紙〉というトニー谷をもじったコンサート司会者ギャグ流行語などの風俗について触れ、「〈古くなった〉と思われがちな『恋の都』が、いまとなってはなんと愛おしく見えることか」と懐古している。また、帝国ホテル行なわれるハロウィーン仮装舞踏会の場面で、まゆみが束髪と袴の明治の女学生扮して優勝するという皮肉に触れながら三島がそこで、「民主化なんて、しょせん敗戦忘れるために」、「日本の世間〉に米国文化植えつけているだけではないか」という「哄笑」が文脈無視して聞えてきそうな場面だとし、「発表時期が近いだけで一見接点なさそう娯楽小説恋の都』と戯曲鹿鳴館』を並べてみると、明治近代化戦後民主化との共通するトホホ感が、浮かび上がってくるではありませんか」と解説している。

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女神 (三島由紀夫の小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

女神』は、一見通俗的な筋で展開するが、その深層にある主題三島文学全体に関わる要素含まれている作品である。当時新聞評では、成功作とはいえないものの作者ゆたかな空想力才気は、だれも否定出来ないだろう」と評している。 奥野健男は、「日本的湿潤から全く隔離された乾燥したふん囲気と論理は、矢張り新し世代先駆者として際立っている」と評し作者長所と短所はっきりした作品だと解説している。 十返肇は『女神』の主題を、「物質のように堅牢な美の存在確認しようとするもの」とし、それは「作者観念中にのみ存在する」と考察しながら、三島が、滅びゆく生命中にではなく生き続けてゆく生命中に〈美〉の存在があると考えているとし、その意味で、三島特質顕現している作品だと解説している。 『女神』は初出誌では、激昂した周伍がピストルで俊二を叩きのめそうとして弾が暴発し、俊二を撃ち殺してしまうという筋書きとなっていたが、初版単行本刊行際に大幅に書き換えがなされ、その改稿により、終結部が単に偶発的な外的事件によってではなくヒロインの「内的必然性純化」によってもたらされることで、心理小説として、より完成度の高いものとなった田中美代子解説している。また田中は、三島が「まわりの選良たちを劇画化し、嘲笑するため」に、上流社会作品素材としたと考察し馬場重行は、それを敷衍して、「上流社会社交中に自閉し、美を観念の中で変形させ、その歪んだ鏡に映る像に固執する周伍の醜さ」は、〈劇画化〉するため背景として巧みに機能していると解説している。 また田中美代子は、妻や娘を「生きた芸術作品仕立てようとする怖ろしい審美家」の周伍には谷崎潤一郎イメージされ、一方彼女たち人生を「体当たり」で「攻略しようとする破滅型」の芸術家には太宰治イメージされるとし、男たちから独立して化身する朝子の姿には、両作家の方法論への三島批評重ねられている解説しつつ、暗い家環境や不幸をくぐり抜け精錬窯変して永遠の「美の彫像」となる朝子の姿には、作者である三島分身的に移乗されている考察している。 自然に介入し人生懐柔し、理想鋳型にはめこもうとする芸術家二人それぞれの仕方夢想の城を築こうとして敗退する。それまで男たちなすがままに教育されていた美し生き人形は、このとき客体であることをやめ、意志をもち、敗北踏みこえて雄々しく立ち上がる。不死鳥のやうに。……ここに三島文学の、両先輩作家へささやかな方法論的批評含まれているのだろう。 — 田中美代子三島由紀夫 神の影法師――女人変幻――『沈める滝』『女神』『幸福号出帆』」 磯田光一は『女神』の主題について、周伍の芸術家情熱を単に「非人間的」と捉えてしまうのは容易なことで、「人間性という名の無定形のものに理想の様式を与えようとする願望は、だれの心にも多少は宿っている」とし、〈文化〉は〈自然〉と対立し、「〈自然〉を否定克服したところに成立するもの」であり、「女性美創出理想化も、人間の反自然的情熱所産」だともいえると考察し、「女を“女神”になるようにつくりあげるということは、女を不可侵存在にしてしまうことであって、じつは奇妙なことに女の本質とは矛盾してしまうことなのである」と解説している。 そして朝子が、〈パパ教へてくれたのは、心の形骸の生活の作法だけだつたんだわ。しかもそれが今の私の唯一の支へになつてゐるなんて、本当に妙だこと〉と思うのは、その女としてのディレンマ告白」であり、朝子は、斑鳩一婚約者・俊二との「心理的な絆を断ち切られる体験」を経ることで、「人間悲劇愛慾などに決し蝕まれない、大理石のやうに固く明澄な、香はしい存在」に化身する磯田説明しながら、以下のように解説している。 人間界を超えて“女神”に化身するという主題は、日常性を超え大理石彫像のような美に現実人間以上の意味与えということである。芸術家にはつねにそういう願望があるであろうとし、芸術作品人間界を超えているといえばいえる。しかし「芸術」の絶対美からみれば「人生」は卑俗であるかしれないが、逆に人生」の側からみれば「芸術」にとりつかれた人間社会生活不適格者ならざるをえまい。 — 磯田光一解説」(文庫版女神』)

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白蟻の巣」の記事における「作品評価・研究」の解説

白蟻の巣』は三島書いた初の長編戯曲であるが、総じて高い評価なされている福田恆存は、「三島氏の小説と同じ水準達した作品」と高評価をし、北原武夫も、「三島君はこの作品初め戯曲書いたと思うんです」と述べている。吉田貞司は、「小説劣らぬ豪華なモラル開花見せてくれた」と評しヘンリー・スコット・ストークスは、「この作で三島劇作家として地位確立された」としている。 荻久保泰幸は、〈白蟻の巣〉とは「安直人道主義世俗的美徳むしばまれ真に人間的なものを喪失した状態の象徴」であり、やがてその後世人気づく戦後民主主義もたらした精神的頽廃マルクーゼいわゆる寛容抑圧象徴でもあるとし、「戦後10年という曲がり角における反時代的考察」がなされている作品だと解説している。越次倶子は、荻久保の論を敷衍し、〈白蟻の巣〉とは日本の国の象徴であり、「戦後十年にして、白蟻の巣見てしまったところに予見三島悲劇がある」と解説している。 佐藤秀明は、寛容な刈屋義郎内実無気力倦怠感を、執筆当時昭和30年代)の三島の「空虚感」に裏打ちされたものとし、それは『鏡子の家』の鏡子が担う「空虚な中心形成する役割に通じ、贅沢な社交場の〈鏡子の家〉が実は敗戦後廃墟に通じているのと同様刈屋邸の食堂もそうだと考察している。 山中正樹は、佐藤の論を敷衍し、三島が『太陽と鉄の中で自身の言葉蝕まれ肉体〉を、〈白蟻蝕まれ白木〉に喩えて自身の言葉と〈特攻隊美し遺書〉を対比させていることを鑑みて、三島の様々な作品の〈言葉肉体〉、〈認識行為〉という「根本問題」に関連した主題として論究することも可能だ考察している。 また作中で、刈屋義郎が〈生ける屍〉、百島健次が〈古い死んだ鼠〉など、啓子以外の人物はすでに〈死人〉と表現されていることに、「散華することができずに生き残った三島の〈絶望幻滅〉が看取できるとし、刈屋夫婦渇望しつつも拒否されている〈太陽大地の意味も、三島が、〈自分の小説はソラリスムというか太陽崇拝というのが主人公行動決定する太陽崇拝は母であり天照大神である。そこへ向っていつも最後に飛んでいくのですが、したがって、それを唆すのはいつも母的なものなんです〉と語っていたことから、「三島終生求め続けていたもの」は何だったのか、〈白蟻の巣〉とは何なのか含め三島敗戦から自決に至る過程において、『白蟻の巣』の位置づけ考察する方法もあると山中解説している。

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愛の疾走」の記事における「作品評価・研究」の解説

愛の疾走』は、登場人物の関係図も『禁色』の配置類似したもの見られ小説家大島十之助青年田所修一目を付けて裏から観察して操ろうとするところや、大島夫人修一庇護者として配置させているところなどにも共通項がある。また、読物として娯楽的な趣向中にも三島人生観文学観がさりげなく書かれており、最終章には、〈かういふ天才若死するのが普通だが、四十七歳になつてまだ生きてゐるところを見ると、何事にも例外といふものはあるらしい〉などという意味深な文も散見される清水義範は、「三人称」で進行する通常の章に間に登場人物のうちの3人が「一人称」で語る章が入れ込んでいる点に着目し、その普通の小説には見られない形式を、「これだけでも、ちょっとした実験である」と述べその人違いの章を、うまく書き分けるだけでもかなり難しく、それを、「破綻なく小説中に組みこむのは至難の技である」と解説している。 また清水は、主人公2人と、彼らをモデル小説書こうとする作者と、作者思い通りになりたくないと考え主人公という、「メタ・フィクション的な複雑な二重構造について説明しながら、「どう考えてもこれは、三島由紀夫にしてはい通恋愛小説なのだが、この構造を持っているところが只物ではないわけだ」と述べ例えば、小説ヒロイン美代作者大島意識し、「くそっ、作者が私を観察してやがる、と思う登場人物心理」を、「ゾクゾクしてしまうところ」だとして挙げて、以下のように評している。 こういう手はほかにはあまり見たことがないうまいものです。そういうきわどい遊びをやりながら、物語最後までよくできた恋愛物として成立している。うまいと言えば風俗時代性取り入れ方も見事なものである都会と田舎問題時代の変化という社会性までもが、実に巧みに組みこまれている。素直に脱帽するしかない。 — 清水義範二重構造小説のたくらみ」 横尾忠則は、三島随筆ポップコーン心霊術横尾忠則論』の中で幼い頃便所見ていた片脳油樟脳白油防臭殺虫液)の壜のレッテルついて回想している以下のような箇所を引きながら、この『愛の疾走』という小説が、登場人物大島十之助書いている小説だという「入れ子構造になっている点に触れて三島の「モノマニアック趣味」が導入されているとし、そこがこの小説に「不思議なマジカル空間張り巡らしている」と評している。 片脳油レッテルには、子供にとつて最大の宇宙的無限の謎を誘起する当時はやりのデザインがあつたかもしれない。それは、人が何か手にもつてゐる図柄中に、又、人がそれを持つてゐる図柄があり、その中に又、人がそれを持つてゐる図柄がある、といふ無限小数的なデザインである。さういふ悲しくなるほど永遠に遠ざかり深まつてゆくものを暗示したデザインこそ、あの糞臭と片脳油匂ひのなかで鑑賞すべきものであつたのだ。 — 三島由紀夫ポップコーン心霊術横尾忠則論」 また横尾は、主人公修一美代が、小説家大島の策略思惑から逃げてやろうと企むところは、作者三島自身様々な小説執筆中、思惑通り登場人物動いてくれず、彼らが独自の行動し始めるという体験を、図らずも告白してしまっているようだ考察している。そしてこの小説の「最大の見せ場」は、この「十之助小説題名」を、「三島由紀夫愛の疾走』」と、三島自身が「パクって」しまうところだとし、それを、「歌舞伎舞台で三島由紀夫扮する大泥棒石川五右衛門大見得切ったように思える」と喩えてそういった三島遊び心おちゃめ性格垣間見られ、同じ小説家大島十之助という登場人物弄ぶところが面白いと評しながら、それは、三島大嫌いな想像力欠落した私小説作家カリカチュアライズして皮肉っている」と説明している

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夜会服 (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

夜会服』は作品全体としての評価はあまり芳しくなく、娯楽小説として分類されているが、登場人物心理描写力評価されている傾向がある松本鶴雄は、『夜会服』を「上流階級扱った心理葛藤劇で、所々クレーヴの奥方』を思わせる光った描写もあるが、全体メロドラマ通俗小説」と評し鈴木靖子は、「人物の心理的葛藤巧みに描かれているが、カタカナ外国語随所にみられ、括弧付き解説施されていて、それが文章生硬感じ与えているのは否めない」と述べている。 篠田一士は、登場人物描き方扱い方見られる三島の「劇的才能」を評価し、特に最後の花山宮妃の登場を、「作劇術で、デウス・エクス・マキーナという、便利だが、きわめて危険な方法」と解説し演劇の演出関連させている。 田中和生は、「勤勉な作家であった三島を、「敗戦後日本焼け跡から回復して高度成長実現し、〈東洋の奇跡〉と呼ばれる戦後復興なしとげたことを思わせるようなきまじめでひたむきな勤勉さだった」と表現し、それは明治期森鷗外さながら、「敗戦後日本生きた三島由紀夫はおそらく自分原稿用紙に記す一字一字戦後日本つくりあげていくという使命感をもっていた」と述べ、そんな三島の「勤勉さ惜しげもなく注がれ純文学としての短編長編」の次に21世紀において新し読み方期待されるのが、三島純文学余剰気軽に執筆した娯楽小説」かもしれないとして、『夜会服』もその一冊だとしている。 そして『夜会服』の〈俊男〉は、母の〈滝川夫人〉の生き甲斐である〈夜会服〉の世界日本の近代化象徴する場)に批判的で、〈絢子〉との結婚を機にそこから自由にろうとしているが、「近代そのもの」から逃れることは不可能であり、〈俊男〉の「どこか虚無的ありながら近代社会における万能の力をもっているように見える男性魅力は、日本の近代化矛盾体現するかたちで造形されているところ」にあり、〈俊男〉の万能西欧文化模倣した世界で得られたもので、彼自身がその〈夜会服〉の世界建前としての日本)における「本音を奪われロボット」を意味している田中説明しこうした〈俊男〉の人物造形には、「三島由紀夫自己イメージ」が投影され三島は〈俊男〉を描きつつ、「戦後日本という〈夜会服〉の世界ら出ることができず、本音を隠して建前をなぞるかのように生きざるをえない自らの存在悲哀深く感じていたかもしれない」と考察している。 また、そうした現実的すぎる悲哀和らげる場面」が、世界で翻訳されうる三島純文学では書かないような造形方法で、西欧人たちが「醜悪で滑稽なもの」として描かれているところに散見され、彼らが一様に欺瞞耐えがたい特徴そなえた人物たち」となっているのを田中指摘し、さらにもう一つの「現実的すぎる悲哀和らげる場面」は、物語末尾で〈俊男〉と〈絢子〉を救い、「〈俊男〉の本音を聞き届けてくれる〈宮様〉の存在」だとし、以下のように解説している。 そこにはおそらく、戦前の二・二六事件敗戦後人間宣言によって昭和天皇に対して生涯屈折した感情抱きつづけた三島由紀夫夢想した戦前から戦後へと変わらずにつづく近代化という建前強いられる世界において日本人本音を守ってくれる天皇という、理想的なイメージ投影されている。こうした本音をさらけ出し心の避難場所愛すべき娯楽小説のなかにつくりながら、現実に三島由紀夫辿りついたのは1970年割腹自殺だった。「俊男」とその孤独理解する絢子」の「愛」が成就される『夜会服』の甘すぎる末尾わたしたち突きつけるのは、そうしたとりのすぐれた作家自死させてしまった日本の現実に欠けていたものなにかという問いである。 — 田中和生愛すべき三島由紀夫避難場所

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作品評価・研究

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おわりの美学」の記事における「作品評価・研究」の解説

『をはりの美学』は、日常的に女性関心のある話題題材にして、その〈をはり〉をユーモラスに軽い文体綴ったもので、若い女性向けの人生恋愛の手引書的な趣のあるエッセイであるが、その中には三島本音垣間見られ、随所死に方についても語られており、「男の美学」も盛り込まれている人生論となっている。 荻久保泰幸は、「三島一流の皮肉・警句適当に糖衣包んだ行間に、現代社会への怒り噴出している」のが、〈満天下青年男女よ、一日も早く動物卒業して日本文化本質にかへりたまへ〉と三島言うところ見られるとし、さらに、「笑いくすぐりをふりまきながらいか生きるべきかを語っているようにみえて、実はいかに死ぬべきかを語っている」と解説している。 中野裕子は、三島が〈芝居のをはり〉の中で、〈人生のをはりと芝居のをはり〉を比較しながら、芝居成功の後の幕が下りた舞台に立つ劇作家として自身の感慨を〈何か人生大きなガランとした虚無とつながつてゐる〉と語るくだりは、三島創造した芸術作品と、実生活虚無との関係が暗示されているとし、〈童貞のをはり〉の中で性交後に雌に食い殺されるカマキリの〈雄の宿命〉や、特攻隊死の前夜女を知る例えから〈男にとつては生へぶつかつてゆくのは、死へぶつかつてゆくのと同じことだ〉と語る論理は、三島影響を受けたバタイユエロティシズムの形」(生と性と死を結ぶもの)であると解説している。

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作品評価・研究

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反貞女大学」の記事における「作品評価・研究」の解説

反貞女大学』は、〈反貞女〉とはどういうものであるかを、その条件など考察して面白く説いたエッセイであるが、同時代評としては、〈貞女〉観に縛られていた「動脈硬化的な女性たちの肩を揉みほぐすような意図として受け入れられ評価されている。 田中美代子は、三島終始一貫し、「見えざる婦徳しばられ貞女たちに対してできる限りリラックスして夫の呪縛放れ精神的な自由を獲得し活きいきと生活をたのしむよう」に教授していると解説している。なお、『反貞女大学』が執筆された同時期には、小島信夫の『抱擁家族』などが発表され夫婦関係文学的に社会的に話題されていた背景があると広瀬正浩解説している。 ちなみに三島は、産経新聞連載第32回目の「第11同性学{2}」に筆者によるコメントとして、〈連載途中から突然あらはれるといふのは、気の利かないお化けみたいな出方恐縮〉としながら、以下のように述べている。 わけても、この万事正道をゆく「反貞女大学」のうち、もつとも逆説的な同性学」の講義途中から入つてこなければならない方々は、めんくらつてばうぜんとされるではないかと心配します。しかし、どうか、講師のいふことにしばらく静かに耳を傾け教室ドタバタ足を踏み鳴らすやうなことはないやうにお願ひます。日本全部とりすましたPTAムード傾いていかうとするとき、私だけは「反貞女大学」の名のもとに、何とか退屈な常識に足をとられないやう、そして笑ひながら人間真実を語るやう、これ努めてゐる良心的講師をもつて、自ら任じてゐるのです。 — 三島由紀夫新しく読まれる読者に」

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作品評価・研究

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葉隠入門」の記事における「作品評価・研究」の解説

葉隠入門』は、三島美意識思念を知る上で重要な随筆一つであるが、同時代評でも「三島文学入門」の書であると林房雄評し村上兵衛も、三島らしい見解が表れているとみなしている。山本太郎は、「死と凝視」「生の尊厳」が書かれている解説している。 野口武彦は、三島が『葉隠入門の中で〈このいはゆる戦後文学時代は、わたしに何らの思想的共感も、文学的共感も与へなかつた。ただ、わたしと違つた思想的経歴持ち、わたしと違つた文学的感受性を持つ人がちの、エネルギーバイタリティーだけが、嵐のやうにわたしのそばを擦過していつた〉と述べていることに着目し、「(三島が)その時代を否定するために作家として時代関係した」と考察しながら、その唯美主義的あるいは反語逆説的な作品世界現実対峙した三島が、「自己の異端者的なエステティック〉に固執することで時代否定し、その否定において〈連続性〉と〈論理的一貫性〉(すなわちモラル・アイデンティティ)とを堅持した」とし、三島を「勇敢な否定的なもの形而上学的騎士〉だった」と、キルケゴール表現用いて解説している。 山本常朝の『葉隠』を、「戦国戦士死にぞこないが、天平世にその失われたユートピアへの哀切憧憬託した倫理書」だとする橋川文三は、三島剣道五段取得し、〈剣道七段の実力〉を目指す姿勢に、『葉隠』で説かれる作法と「三島ダンディズム」の共通性見て、「様式化された倫理への哀切あこがれを示すもの」とし、三島アンケートで「あなたが欲しいもの三つ?」と問われ、〈もう一つの目、もう一つの心、もう一つの命〉と答えたことの背後暗示されるロマン的な変身への熱情世界崩壊へのいたましい傾倒」を、「『葉隠』の倫理相補関係をなすもの」だと、1964年昭和39年時点で考察している。 そして川は、三島が『林房雄論』(1963年)において示した歴史との対決」の姿勢が、「晩年芥川龍之介似た場所」あるいは「明治終焉期森鷗外」の境遇に通じるものかは予測できないしながら、それはむしろ『葉隠の中の一種透徹し恐怖感」を湛えている一節引いた方がいいとし、〈道すがら考ふれば、何とよくからくつた人形ではなきや。糸をつけてもなきに、歩いたり飛んだりはねたり言語迄も云ふは上手の細工なり。来年の盆には客にぞなるべき。さてもあだな世界かな。忘れてばかり居るぞと〉という現世の幻を説いている部分との共通性見出している田中美代子は『葉隠入門』を、三島が「現代社会病根深く洞察診断し身をもってその打開心を砕いた体験的臨床的処方箋」、「万人にとって最後の現実である『死』を凝視」した書物だとし、その現代文化特徴を、「従来まで人々人生向かって鼓舞していた様々な幻想が(どんな理想規範イデオロギーも)ことごとく潰え去ったこと」、「かつてモラル基礎形成していた絶対観念失われ人間すべての意匠剥ぎとられた等身大の、赤裸かの、即物的自然的な生命直面することを強いられている」ことだと説明しながら、そのことが「現代社会侵している救いがたいニヒリズム」の原因であり、「人生いかに生くべきか、というかつての求道倫理的な問題」の代わりに、「日進月歩する科学的な生活改良健康法姑息な処世技術」といった「瑣末な日常生活への関心ばかりになってしまった現代は、「博学多識と、細分化された『ハウツウもの』の全盛時代」だと田中三島言わんとすることを敷衍しながら考察している。 さらに田中三島が、「われわれは西洋から、あらゆる生の哲学学んだと言ったことを受け、実際のわれわれの「生活自体への関心」は結局、「利殖保身享楽追求」に終わり、「与えられた生の哲学』によって十全人間性の自然を解放し、富益を求め奢侈飽食放埓に身をゆだねたのちに、やがて等しく老衰死にきわまる運命にさだめられて」、「生とはついに死に到る不治の病だとすれば病んでいるのは『生の哲学そのものだ」と言えなくもないと考察しつつ、「民族国家社会」などの一つの「共同体」が、他文化侵蝕受けた場合に、「人々の生活支柱をなしていた掟や慣習がすたれ、道徳的精神的に荒廃して、その共同体徐々に崩壊解体してゆく」という現実考慮すれ、人がそれぞれの、「生の充実」にいかに励んでも、「生そ自身の自壊作用くいとめる手立てありえない」とし、そういった近代合理主義人文主義偏重危機を『葉隠入門の中で示唆していた三島は、「敗戦後日本人魂の危機と『生の哲学』の行きつく果てを、いち早く予言した」と解説している。

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作品評価・研究

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第一の性」の記事における「作品評価・研究」の解説

第一の性』は、女性にとって謎の多い男性的な原理の解明平易な文章で分かりやすい例を挙げて説明しているエッセイであるが、〈男らしさ〉が女性から見た理想的男性ではなくて元来本質含めての〈男らしさであることを女性たち問いかけていると中野裕子解説している。 奥野健男は、『第一の性』を書いた三島について、「齢毎に若くたくましい男になって行くようだ」として、以下のように語っている。 十七年前はじめて会った時は、貧血症青白い顔をした、ハンサムではあったが、髪を七三にわけた柔弱な文学者であった。しかし無名の学生であるぼくに、おたがいに筒っぽ書生として交際しようなと、男らしいこまやかな心づかい示してくれた。その頃腕角力しても負けはしなかったのだが、ボデイビルや剣道自衛隊鍛えた最近の彼には、口惜しいけれど中年肥りのぼくはかないそうもない自らの哲学忠実に不屈の意志文武両道の達人自己つくりあげた胸毛三島は、精神的に肉体的に今や男性中の男性の「第一の性」にふさわしい爽やかさとりりしさを体顕している。 — 奥野健男男性中の男性田中美代子は、三島が『第一の性の中で、〈男は一人のこらず英雄であります〉と教授していることに触れ、この〈一人のこらず〉というところが重要だとし、それは「たとえそれが潜在化しているとしても、〈男はとにかくむしように偉い〉」のでなければならず、「彼の個人としてプライド問題」であり、お互いに男同士がこれを尊重しなければ、「男は男として自立しえない」ということ意味している解説している。そして今やこの「男の英雄性」は、「女性平等主義踏みつけられて泥にまみれ、そのため、セクシャルハラスメントなどに内攻して、反動化しているのかもしれない」と考察している。 また田中は、三島の言うように男の英雄ごつこ〉は、世界政治・経済思想芸術哲学事業生み出した元で、それが善かれ悪しかれ、「男性築き上げてきた文化本質であり、ボーヴォワール女史をして、甘んじて自から女性を〈第二の性〉と呼ばしめたところのもの」だと考察しながら、それゆえ女性が「性差別」をなくすことに躍起になり、「男性男性なるが故に突出する奇癖や、精神的偏向撲滅しようとばかりするのは、ある意味暴挙というべきかもしれない」とし、『第一の性』は、そういったことの「反省」を女性促し、「女性理解寛容訴えている」と解説している。

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サーカス (小説)」の記事における「作品評価・研究」の解説

サーカス』は、団長心理焦点当てられ少年と少女心理描写ないものの、その童話風の人的な作風サーカスの世界相まっているため、概ね好評得ている作品である。渡部芳紀は、「〈危機〉〈死〉、こころの〈かがや〉きへの憧憬語った小品」と解説している。 村松剛は、三島初稿執筆当時の「召集まぬがれて帰って来たばかり」の心境顧慮し、「令状はまた来るかも知れかったけれど、ともかくもしばらくの猶予得たという解放感が、『中世』にくらべればスタイルの上はるかに明る童話風の物語へと、三島導いただろうか」として、即日帰郷前に遺書として書かれた『中世』と比較考察し、また、〈少女〉には、その当時三島心を寄せていた三谷邦子三谷信の妹で『仮面の告白』の園子モデル)が投影されていると見るのが自然だとしている。 K子嬢への慕情は、前年の秋いらい彼の心の中に根を降していた。手紙のやりとりこの段階ではまだ少かったにしても、その脳裡に影を落す少女はほかにはいなかった。『サーカス』はK子嬢を思い浮かべながら書かれた、と考えるのが自然だろう。べつの角度からいえばK子嬢という実在恋人また、三島童話中の一人物にしてしまった。『サーカス』の少女は、眼下横たわる少年の胸に緋色百合の紋章見たとき、「王子」に殉じて死へと跳躍する貧し少年少女は「王子」「王女」として死にそのことによって二人の恋は気高く完成されるのである三島由紀夫作中曲馬団とともに夢みたのは、生をこえたところに輝く愛の姿だった。 — 村松剛三島由紀夫世界」 小埜裕二は、団長の〈大興安嶺〉での経験と、最後の〈俺もサーカスから逃げ出すことができるんだ。「王子」が死んでしまつた今では〉という台詞検討しながら、三島即日帰郷直後に初稿書いていたことを考え合わせ三島の「戦争抱いていた死のイメージ即日帰郷取り残された体験形象化」が団長重ねられているではないかとして、三島文学における『サーカス』の重要性考察している。 興安嶺での同時代若者の死とそれに取残された団長構図は、三島戦争抱いていた死のイメージ即日帰郷取り残された体験形象化ではなかつたか。(中略即日帰郷の後、夢想王国破壊を「サーカス」で宣言した三島は、終戦以前から、すでに空虚な気持ちいだいたまま、戦後スタートをきっていたことになる。 — 小埜裕二三島由紀夫即日帰郷――『サーカス』論」 井上隆史は、2005年平成17年)に発見され三島の「会計日記」が、三谷邦子別の男性永井邦夫永井松三息子)と結婚した1週間後からつけ始められ、『サーカス』の完成記してその脱稿日で終っていることと、三島三谷邦子と偶然再会したことを記したノート書かれていた今後執筆方針自伝小説に向けて過去幼年少年・青年時代自作資料再読して総括着手する抱負) に着目しこの時期に精神的危機」に陥っていた三島がそれを乗り越える打開策探っていたことを検討しつつ『仮面の告白』の成立背景探り、『サーカス』の初稿から決定稿への改稿変容に、『仮面の告白』に繋が前駆的な