焼け跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/25 09:31 UTC 版)
第二次世界大戦の間は敵から主要な標的とされ、原料を供給する水素化工場を爆撃された。それでもヒュルスは生産を続けた。連合軍がヒュルスを占拠する直前に、ヒトラーがヒュルスを跡形もなく吹き飛ばせと命令したが、その特命部隊は社内のパウル・バウマン博士に説き伏せられ、ヒュルスはそのまま残された。1945年に英軍が来て博士をヒュルス会長にした。ヒュルスはイギリスのため安価なブナを生産した。しかし、ポツダム宣言によりドイツ国内でのブナ生産を禁止されてしまった。許可の出た品目はたとえば柔軟剤、人口樹脂、各種洗剤、ガソリン、染料、アンチフリーズ、薬剤などであったが、主要な生産物は酢酸であった。1948年からはイギリスでもブナ生産がストップされてしまい、代わりに塩化ビニル、プロピレンオキシド、乳化剤、ポリ塩化ビニルをつくるようになった。さらに、少しばかり製法を変えたブナを「プロダクト1973」という名前で売り出した。これは戦間期から国際カルテルのあるリノリウムの材料としてつくられたから、規制をかいくぐった以上の良策であった。それでもヒュルスは翌年大幅にリストラした。連合軍がブタジエンを完全に禁止したのである。それでも他の企業と比べて甘くあつかわれたのは、同社のレパートリーふくむ適応力と肥料の生産力が高いからであった。
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