ポツダム宣言とは? わかりやすく解説

ポツダム宣言 Potsdam Declaration

1945/7/26 アメリカのH・トルーマン大統領イギリスのW・チャーチル首相途中でC・アトリー首相がかわる)、ソ連のI・スターリン首相が、降伏5/8後のドイツの処理とヨーロッパ再建議したベルリン郊外ポツダム会議(45/7/17〜8/1)の際、米英の代表間で協定され、後に中国蒋介石総統同意得たソ連は8/8の対日参戦とともに、この宣言加わり、4主要連合国宣言となりました
日本は8/14夜、本宣言受諾し連合軍降伏。ポツダム宣言は9/2の降伏文書中に取り入れられました。13項目からなり最初の五項目は、連合国圧倒的な軍事的態勢決意誇示するとともに日本人としては、潰滅か日本国軍隊無条件降伏かのいずれか選ばなければならない、と述べていました
主として軍国主義的権力および勢力除去(第6項)、戦争能力破壊新秩序成立までの日本占領(第7項)、領土制限(第8項)、軍隊武装解除および復員第9項)、戦争犯罪人処罰民主主義強化および基本的自由ならびに人権確立(第10項)、公正な実物賠償平和産業維持軍需産業廃止将来世界経済参加(第11項)、以上の諸目的の達成自由意思による平和な責任ある政府樹立条件とする占領軍撤収(第12項)など。

【ポツダム宣言】(ぽつだむせんげん)

1945年7月26日ポツダム会談において、アメリカ、イギリス中華民国後にソビエト参加)が発した対日共同宣言
日本降伏勧告し戦後対日理方針を表明した

軍国主義除去領土限定軍隊武装解除戦争犯罪人処罰日本の民主化そして連合国による占領規定した

日本政府宣言出され当初は黙殺したものの、広島・長崎への原爆投下、そしてソビエト対日参戦経て国体護持という条件の下8月14日受諾
8月15日終戦をむかえ、9月2日降伏文書調印しGHQによる占領開始する

宣言の内容

1.吾等(合衆国大統領中華民国政府主席、及び英国総理大臣)は、吾等の数億国民代表し協議の上日本国に対し戦争終結する機会を与える
2.3ヶ国軍隊増強を受け、日本最後の打撃を加える用意を既に整えた
3.世界自由な人民支持されたこの軍事力行使は、ドイツドイツ軍完全に破壊されたと同様日本日本軍完全に破壊される事を意味する
4.日本軍国主義者指導引き続き受けるかそれとも理性の道を歩むかを選ぶべき時が到来したのだ。
5.吾等の条件以下のとおりであり、これについては譲歩しない執行の遅れは認めない
6.日本世界征服へと導いた勢力除去する
7.第6条新秩序確立され戦争能力失われたことが確認されるまでの日本国領域内地点占領
8.カイロ宣言条項履行されるべき。又日本国主権本州北海道九州及び四国ならびに吾等の決定する小島限られなければならない
9.日本軍武装解除された後、各自家庭帰り和・生的に生活出来る。
10.日本人民族として奴隷化しまた日本国民滅亡させようとするものではない。一切の戦争犯罪人処罰民主主義的傾向復活強化言論宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重確立されること。
11.日本経済復興し、課され賠償義務を履行するための生産手段のみを保有出来る。戦争再軍備のためのそれは認められない
12.日本国国民自由に表明した意志による平和的傾向責任ある政府樹立。これが確認された占領解かれる
13.全日本軍の無条件降伏以上の行動に於ける日本国政府誠意について、同政府による保障提供されること。これ以外の選択肢は、迅速且つ完全なる壊滅のみ。

しかしソビエトはこの宣言第9条内容破り中国戦線戦っていた日本兵シベリア強制収容所送り多数死者出した


ポツダム宣言

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ポツダム宣言(ポツダムせんげん、: Potsdam Declaration)は、1945年昭和20年)7月26日イギリスアメリカ中華民国の名において日本に対して発された全13か条から成る宣言。日本への降伏要求の最終宣言Proclamation Defining Terms for Japanese Surrender)。宣言を発した各国の名をとって「米英支三国宣言[1]ともいう[2]ソビエト連邦は後から加わり追認した。


  1. ^ 下記邦訳、および下記外部リンク「ポツダム宣言 - 国立国会図書館」参照
  2. ^ 大東亜戦争終結ノ詔書(玉音放送の原文)では「米英中蘇」となっている。複数国による宣言や協定や条約の場合、その宣言や協定や条約に参加したからといって宣言中で定められる権利等の全てが宣言、協定、条約国全てに等しく与えられるとは限らない。権利や義務は宣言中で具体的に明示された事項について具体的に明示された参加者にのみ与えられたり負わされる。宣言参加者には宣言内で定められる事項について遵守義務が発生する
  3. ^ 首相交代による。チャーチルは7月26日まで。アトリーは27日以降(ただ前半も次席として参加)。
  4. ^ a b 山下祐志 1995, pp. 11.
  5. ^ a b c 山下祐志 1995, pp. 14.
  6. ^ 有馬哲夫『歴史問題の正解』新潮新書2016年、pp.87-88, pp.99-100
  7. ^ 有馬哲夫『歴史問題の正解』新潮新書2016年、pp.101-104
  8. ^ 山下祐志 1995, pp. 13.
  9. ^ 有馬哲夫『歴史問題の正解』新潮新書2016年、p.104
  10. ^ 有馬哲夫『歴史問題の正解』新潮新書2016年、pp.104-105
  11. ^ 有馬哲夫『歴史問題の正解』新潮新書2016年、pp.105-106
  12. ^ a b 藤田宏郎 2011, pp. 305–306.
  13. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 306.
  14. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 337.
  15. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 307.
  16. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 308–309.
  17. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 311.
  18. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 311–312.
  19. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 312.
  20. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 314.
  21. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 315.
  22. ^ a b c 藤田宏郎 2011, pp. 316.
  23. ^ a b c 藤田宏郎 2011, pp. 319.
  24. ^ a b 長谷川毅 2006, pp. 128.
  25. ^ 長谷川毅 2006, pp. 182–184.
  26. ^ a b 藤田宏郎 2011, pp. 322.
  27. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 339.
  28. ^ a b 藤田宏郎 2011, pp. 323.
  29. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 325.
  30. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 326–329.
  31. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 331.
  32. ^ a b c d e f g 山下祐志 1995, pp. 16.
  33. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 3 本土決戦とポツダム宣言』中公文庫 p.269 2012年
  34. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 3 本土決戦とポツダム宣言』中公文庫 pp.348 - 349 2012年
  35. ^ a b c d e 山下祐志 1998, pp. 2.
  36. ^ 藤田宏郎 2011, pp. 333.
  37. ^ 蔣介石のこと。当時日本は南京の汪兆銘政権を承認していたため
  38. ^ 通説では8月9日深夜に始まったとされていたが、『昭和天皇実録』において8月10日0時3分開始と確認された(「昭和天皇、苦悩の日々…実録1万2千ページ公表」 読売新聞 2014年9月9日)。
  39. ^ a b 山下祐志 1998, pp. 5.
  40. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 4 玉音放送まで』中公文庫 p.117 2012年
  41. ^ a b c d e 山下祐志 1998, pp. 6.
  42. ^ "… the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander …"
  43. ^ The ultimate form of government of Japan... government は無冠詞である(プログレッシブ英和中辞典(第4版) government)。
  44. ^ “The Decision to Use the Atomic Bomb” by Henry Stimson
  45. ^ August 10, 1945 Truman Diary
  46. ^ 翻訳を行った下田は"subject to"は「隷属する」の意味では有るが、これでは軍部が受け入れないので、「制限の下に置かれる」と意訳したと説明している。さらに、米国の回答には「日本国の最終的の政治形態は『ポツダム』宣言に遵い日本国民の自由に表明する意志に拠り決定されるべきものとす」となっていたところを、下田は「日本国の最終的の政治形態」の部分を「最終的の日本国の政府の形態」と訳し、天皇は無傷でその下の政府の形態が国民の意志で決められると取れるように改めた。(出典:下田武三/著 戦後日本外交の証言 上 1984年(昭和59年)8月、行政問題研究所)
  47. ^ a b 山下祐志 1998, pp. 7.
  48. ^ 国体護持と「八月革命」─ 戦後日本の「平和主義」の生成 ─ 波多野澄雄
  49. ^ 藤田宏郎「フランクリン・D・ローズベルトの無条件降伏論」(甲南大学法学部 甲南法学48(1)pp.1-36 20070900)[1]
  50. ^ TOP SECRETであり事前に連合国各国の同意を得たものではなく、マッカーサーがこの文書が公開されることを望んだため、公表の事前に英ソ中各国政府に知らせることを条件に大統領も同意した[要出典]。なお対日占領政策の最高意思決定機関は極東委員会であり、その諮問機関である対日理事会の第一回会合は1946年4月5日。
  51. ^ 大日本帝国議会第90回衆議院本会議7号昭和21年6月27日吉田茂(発言番号8)[2]
  52. ^ 焦点になる「契約的基礎」については第7回衆議院外務委員会昭和25年3号(2月8日並木芳雄・発言者番号117)6号(3月9日横田喜三郎・発言者番号3)、第10回参議院外務委員会昭和26年2号(1月31日黒田寿男・発言者番号83)などで論じられあるいは反論されている。第24回衆議院内閣委員会公聴会昭和31年1号(3月16日神川彦松)でも言及あり。
  53. ^ 杉田一次の回想-2-杉田一次著『情報なきミズリー号艦上の降伏調印 映像で見る占領期の日本-占領軍撮影フィルムを見る- 永井和京都大学教授
  54. ^ 日ソ中立条約のソ連邦による廃棄通告は1945年4月5日であり、同条約は1946年4月25日に失効することになっていた。なおこの条約では日ソ両国は領土保全と不可侵を相互に尊重しあう義務を負っていた(第一条)。
  55. ^ 「日露間領土問題の歴史に関する共同作成資料集」 (PDF) 外務省
  56. ^ 外務省「北方領土」HP[3][4]
  57. ^ なお、平和的に確定したと言う点では樺太・千島交換条約においても同様であり、これを根拠として日本共産党は"南樺太を除く"千島列島全島の返還を要求している。
  58. ^ 日ソ共同宣言は外交文書(条約)であり同条約の締結と批准により戦争状態は終了し両国の国交が回復、関係も正常化したが、国境確定問題は先送りされている[要出典]
  59. ^ 「三、中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」
  60. ^ ポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約についての政府の認識に関する質問主意書提出者は和田政宗
  61. ^ 参議院議員和田政宗君提出ポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約についての政府の認識に関する質問に対する答弁書
  62. ^ 読売新聞社編『昭和史の天皇 3 本土決戦とポツダム宣言』中公文庫 pp.299 - 312 2012年



ポツダム宣言

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ドイツ降伏後1945年7月17日からベルリン郊外ポツダムにおいて、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルおよびクレメント・アトリーアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンスターリン集まり第二次世界大戦戦後処理についての会議であるポツダム会談開催された。その会談期間中7月26日にポツダム宣言が米英中華民国国民政府主席蔣介石による共同声明として発表され日本伝達された。 ポツダム宣言を伝達され日本政府は対応を協議するため翌27日最高戦争指導会議閣議開催した阿南は「政府として発表する以上は断固これに対抗する意見添え国民動揺することないよう、この宣言をどう考えるべきかの方向性を示すべき」と主張し、「和平交渉の道を残しておくため、宣言拒否しないことが必要」と考えていた外務大臣東郷茂徳真っ向から対立した議論の末、一旦は日本政府として方針示さないが、各新聞コメント入り報道させて国民周知させるという結論となった。 翌28日新聞では、「笑止対日降伏条件」、「共同宣言自惚れ撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚露呈」などという新聞社による論評加えられ報じられたが、各社とも扱い小さく国民大きな影響はなかった。しかし、支那派遣軍総司令岡村寧次大将の「ポツダム宣言は滑稽というべし」という意見に代表されるように、阿南陸軍内部からの反撥もあって、再度発表する以上は宣言拒否することを明らかにすべき」と主張、この意見には和平派ながら同じく海軍突き上げにあっていた米内賛同した同日鈴木貫太郎記者会見で「共同声明カイロ会談焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺”し、我々は戦争完遂邁進する」と述べ翌日29日新聞各紙で「政府黙殺」などと報道され、さらに海外では「黙殺」が「reject拒絶)」と報道された。トルーマン7月25日日記に「日本がポツダム宣言を受諾しないことを確信していると書いているなど、日本が一旦はポツダム宣言を拒絶することを予測しており、日本への原子爆弾投下合理化する理由ともなった戦後鈴木はこの発言振り返って「この一言後々に至るまで余の誠に遺憾と思う点であり・・・」と悔やんでいる。 この報道なされて以降日本政府ソ連を通じ和平期待するという形で貴重な時間無駄に費やしていった。そして、日本側のポツダム宣言拒否大義名分として、アメリカ軍による1945年8月6日広島への原子爆弾投下が行われ、広島は1発の原子爆弾壊滅した。翌7日にはトルーマンが「我々は20ドル投じて歴史的な賭け行い、そして勝ったのである」「広島投下した爆弾戦争革命的な変化をあたえる原子爆弾であり、日本降伏応じない限り、さらに他の都市にも投下する」という声明発表した同日午後から関係閣僚会議開催され原爆について協議されたが、阿南は「たとえトルーマン原子爆弾投下したと声明しても、それは法螺かも知れぬ」と強く主張した阿南を含む軍部は、自ら原子爆弾開発行ったこともあって薄々解っていながら原爆認めて公表すれば軍と国民への士気影響大きすぎる考えて協議結果詳細な調査が必要ということになり、大本営発表では原爆ではなく新型爆弾」とされ、詳細不明報じられた。

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日本国憲法第9条立法に至る背景には大西洋憲章1941年)、ポツダム宣言(1945年)、SWNCC228文書1946年)などが挙げられるこのうち1945年昭和20年7月26日発表されたポツダム宣言では、日本軍武装解除とともに再軍備防止示唆する条項盛り込まれた。 Potsdam Declaration(7) Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan's war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth. (9) The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives. (11) Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese, participation in world trade relations shall be permitted. — Potsdam Declaration ポツダム宣言第七條右ノ如キ新秩序建設セラレ且日本国戦争遂行能力破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的達成確保スル占領セラルベシ 第九條日本国軍隊ハ完全ニ武装解除セラレタル後各自家庭復帰平和的生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ 第十一條日本国ハ其ノ経済支持シ且公正ナル実物賠償取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルベシ日本国将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ — ポツダム宣言

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ドイツ降伏後1945年7月17日からベルリン郊外ポツダムにおいて、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルおよびクレメント・アトリーアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンスターリン集まり第二次世界大戦戦後処理についての会議であるポツダム会談開催された。その会談期間中7月26日にポツダム宣言が米英中華民国国民政府主席蔣介石による共同声明として発表され日本伝達された。 ポツダム宣言を伝達され日本政府は対応を協議するため翌27日最高戦争指導会議閣議開催した阿南は「政府として発表する以上は断固これに対抗する意見添え国民動揺することないよう、この宣言をどう考えるべきかの方向性を示すべき」と主張し、「和平交渉の道を残しておくため、宣言拒否しないことが必要」と考えていた外務大臣東郷茂徳真っ向から対立した議論の末、一旦は日本政府として方針示さないが、各新聞コメント入り報道させて国民周知させるという結論となった。 翌28日新聞では、「笑止対日降伏条件」、「共同宣言自惚れ撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚露呈」などという新聞社による論評加えられ報じられたが、各社とも扱い小さく国民大きな影響はなかった。しかし、支那派遣軍総司令岡村寧次大将の「ポツダム宣言は滑稽というべし」という意見に代表されるように、阿南陸軍内部からの反撥もあって、再度発表する以上は宣言拒否することを明らかにすべき」と主張、この意見には和平派ながら同じく海軍突き上げにあっていた米内賛同した同日鈴木貫太郎記者会見で「共同声明カイロ会談焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺”し、我々は戦争完遂邁進する」と述べ翌日29日新聞各紙で「政府黙殺」などと報道され、さらに海外では「黙殺」が「reject拒絶)」と報道された。トルーマン7月25日日記に「日本がポツダム宣言を受諾しないことを確信していると書いているなど、日本が一旦はポツダム宣言を拒絶することを予測しており、日本への原子爆弾投下合理化する理由ともなった戦後鈴木はこの発言振り返って「この一言後々に至るまで余の誠に遺憾と思う点であり・・・」と悔やんでいる。 この報道なされて以降日本政府ソ連を通じ和平期待するという形で貴重な時間無駄に費やしていった。そして、日本側のポツダム宣言拒否大義名分として、アメリカ軍による1945年8月6日広島への原子爆弾投下が行われ、広島は1発の原子爆弾壊滅した。翌7日にはトルーマンが「我々は20ドル投じて歴史的な賭け行い、そして勝ったのである」「広島投下した爆弾戦争革命的な変化をあたえる原子爆弾であり、日本降伏応じない限り、さらに他の都市にも投下する」という声明発表した同日午後から関係閣僚会議開催され原爆について協議されたが、阿南は「たとえトルーマン原子爆弾投下したと声明しても、それは法螺かも知れぬ」と強く主張した阿南を含む軍部は、自ら原子爆弾開発行ったこともあって薄々解っていながら原爆認めて公表すれば軍と国民への士気影響大きすぎる考えて協議結果詳細な調査が必要ということになり、大本営発表では原爆ではなく新型爆弾」とされ、詳細不明報じられた。

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日本国憲法第9条立法に至る背景には大西洋憲章1941年)、ポツダム宣言(1945年)、SWNCC228文書1946年)などが挙げられるこのうち1945年昭和20年7月26日発表されたポツダム宣言では、日本軍武装解除とともに再軍備防止示唆する条項盛り込まれた。 Potsdam Declaration(7) Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan's war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth. (9) The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives. (11) Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese, participation in world trade relations shall be permitted. — Potsdam Declaration ポツダム宣言第七條右ノ如キ新秩序建設セラレ且日本国戦争遂行能力破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的達成確保スル占領セラルベシ 第九條日本国軍隊ハ完全ニ武装解除セラレタル後各自家庭復帰平和的生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ 第十一條日本国ハ其ノ経済支持シ且公正ナル実物賠償取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルベシ日本国将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ — ポツダム宣言

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ドイツ降伏後1945年7月17日からベルリン郊外ポツダムにおいて、イギリスの首相ウィンストン・チャーチルおよびクレメント・アトリーアメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンスターリン集まり第二次世界大戦戦後処理についての会議であるポツダム会談開催された。その会談期間中7月26日にポツダム宣言が米英中華民国国民政府主席蔣介石による共同声明として発表され日本伝達された。 ポツダム宣言を伝達され日本政府は対応を協議するため翌27日最高戦争指導会議閣議開催した阿南は「政府として発表する以上は断固これに対抗する意見添え国民動揺することないよう、この宣言をどう考えるべきかの方向性を示すべき」と主張し、「和平交渉の道を残しておくため、宣言拒否しないことが必要」と考えていた外務大臣東郷茂徳真っ向から対立した議論の末、一旦は日本政府として方針示さないが、各新聞コメント入り報道させて国民周知させるという結論となった。 翌28日新聞では、「笑止対日降伏条件」、「共同宣言自惚れ撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚露呈」などという新聞社による論評加えられ報じられたが、各社とも扱い小さく国民大きな影響はなかった。しかし、支那派遣軍総司令岡村寧次大将の「ポツダム宣言は滑稽というべし」という意見に代表されるように、阿南陸軍内部からの反撥もあって、再度発表する以上は宣言拒否することを明らかにすべき」と主張、この意見には和平派ながら同じく海軍突き上げにあっていた米内賛同した同日鈴木貫太郎記者会見で「共同声明カイロ会談焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺”し、我々は戦争完遂邁進する」と述べ翌日29日新聞各紙で「政府黙殺」などと報道され、さらに海外では「黙殺」が「reject拒絶)」と報道された。トルーマン7月25日日記に「日本がポツダム宣言を受諾しないことを確信していると書いているなど、日本が一旦はポツダム宣言を拒絶することを予測しており、日本への原子爆弾投下合理化する理由ともなった戦後鈴木はこの発言振り返って「この一言後々に至るまで余の誠に遺憾と思う点であり・・・」と悔やんでいる。 この報道なされて以降日本政府ソ連を通じ和平期待するという形で貴重な時間無駄に費やしていった。そして、日本側のポツダム宣言拒否大義名分として、アメリカ軍による1945年8月6日広島への原子爆弾投下が行われ、広島は1発の原子爆弾壊滅した。翌7日にはトルーマンが「我々は20ドル投じて歴史的な賭け行い、そして勝ったのである」「広島投下した爆弾戦争革命的な変化をあたえる原子爆弾であり、日本降伏応じない限り、さらに他の都市にも投下する」という声明発表した同日午後から関係閣僚会議開催され原爆について協議されたが、阿南は「たとえトルーマン原子爆弾投下したと声明しても、それは法螺かも知れぬ」と強く主張した阿南を含む軍部は、自ら原子爆弾開発行ったこともあって薄々解っていながら原爆認めて公表すれば軍と国民への士気影響大きすぎる考えて協議結果詳細な調査が必要ということになり、大本営発表では原爆ではなく新型爆弾」とされ、詳細不明報じられた。

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日本国憲法第9条立法に至る背景には大西洋憲章1941年)、ポツダム宣言(1945年)、SWNCC228文書1946年)などが挙げられるこのうち1945年昭和20年7月26日発表されたポツダム宣言では、日本軍武装解除とともに再軍備防止示唆する条項盛り込まれた。 Potsdam Declaration(7) Until such a new order is established and until there is convincing proof that Japan's war-making power is destroyed, points in Japanese territory to be designated by the Allies shall be occupied to secure the achievement of the basic objectives we are here setting forth. (9) The Japanese military forces, after being completely disarmed, shall be permitted to return to their homes with the opportunity to lead peaceful and productive lives. (11) Japan shall be permitted to maintain such industries as will sustain her economy and permit the exaction of just reparations in kind, but not those which would enable her to re-arm for war. To this end, access to, as distinguished from control of, raw materials shall be permitted. Eventual Japanese, participation in world trade relations shall be permitted. — Potsdam Declaration ポツダム宣言第七條右ノ如キ新秩序建設セラレ且日本国戦争遂行能力破砕セラレタルコトノ確証アルニ至ル迄ハ聯合国ノ指定スベキ日本国領域内ノ諸地点ハ吾等ノ茲ニ指示スル基本的目的達成確保スル占領セラルベシ 第九條日本国軍隊ハ完全ニ武装解除セラレタル後各自家庭復帰平和的生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ 第十一條日本国ハ其ノ経済支持シ且公正ナル実物賠償取立ヲ可能ナラシムルガ如キ産業維持スルコトヲ許サルベシ但シ日本国ヲシテ戦争ノ為再軍備ヲ為スコトヲ得シムルガ如キ産業ハ此ノ限ニ在ラズ右目的ノ為原料ノ入手(其ノ支配トハ之ヲ区別ス)ヲ許可サルベシ日本国将来世界貿易関係ヘノ参加ヲ許サルベシ — ポツダム宣言

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ポツダム宣言

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ドイツ降伏後1945年昭和20年7月17日から8月2日にかけ、アメリカ大統領トルーマン大英帝国首相チャーチルおよびクレメント・アトリーソ連書記長スターリンベルリン郊外ポツダム集まり第二次世界大戦戦後処理について協議したポツダム会談)。そして、この会談期間中1945年7月26日に、主にアメリカによって作成された後、大英帝国修正加え中華民国同意していたポツダム宣言が3か国共同声明として発表された宣言日本無条件降伏迫りその後連合国による日本占領と、日本軍国主義勢力の排除カイロ宣言履行日本の主権本州北海道九州四国および連合国決める諸小島制限すること、軍隊武装解除戦争犯罪人処罰民主主義基本的人権確立など、全13が日本に伝達された。 ポツダム宣言を伝達され日本政府は対応を協議するため翌27日最高戦争指導会議閣議開催した議論の末、一旦は日本政府として方針示さないが、各新聞コメント入り報道させて国民周知させるという結論となった。翌28日新聞では、「笑止対日降伏条件」、「共同宣言自惚れ撃破せん、聖戦飽くまで完遂」「白昼夢 錯覚露呈」などという新聞社による論評加えられ報じられたが、各社とも扱い小さく国民大きな影響はなかった。しかし、支那派遣軍総司令岡村寧次大将の「ポツダム宣言は滑稽というべし」という意見に代表されるように、首相鈴木は軍の突き上げによって、やむなく記者会見で「共同声明カイロ会談焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず黙殺”し、我々は戦争完遂邁進する」との談話発表したが、これが新聞各紙で「政府黙殺」などと報道され、さらに海外では「黙殺」が「reject拒絶)」と報道された。ポツダム会談中にトルーマンの元にトリニティ実験成功の報がもたらされると、トルーマン日本降伏促す手段として原爆使用決定したが、トルーマン7月25日日記に「日本がポツダム宣言を受諾しないことを確信していると書いているなど、一旦はポツダム宣言を拒絶されることを予測しており、鈴木の“黙殺”は日本への原子爆弾投下正当化する理由ともなった戦後鈴木はこの発言振り返って「この一言後々に至るまで余の誠に遺憾と思う点であり・・・」と悔やんでいる。

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ポツダム宣言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:12 UTC 版)

和訳原文抜粋) ポツダム宣言 八 「カイロ宣言條項履行セラルベク又日本國主權本州北海道九州四國竝ニ吾等ノ決定スル小島局限セラルベシ 現代文カイロ宣言条項履行されなければならず、また、日本国主権本州北海道九州、および四国ならびにわれらの決定する小島限られなければならない ポツダム宣言ではカイロ宣言履行されなければならないとしている。カイロ宣言では南樺太千島には言及されておらず、ポツダム宣言でも千島列島南樺太に関する言及は無い。ただし、四国よりも大き樺太が諸小島含まれるとも解釈できない宣言ではソ連への千島南樺太譲与にも言及がない

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