にっソ‐ちゅうりつじょうやく〔‐チユウリツデウヤク〕【日ソ中立条約】
日ソ中立条約
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日ソ中立条約(にっソちゅうりつじょうやく、ロシア語: Пакт о нейтралите́те ме́жду СССР и Япо́нией)とは日本とソビエト連邦(以下ソ連)が1941年(昭和16年)4月13日に締結した中立条約。
注釈
- ^ 今日では「中ソ不可侵条約」の名称が一般的。
- ^ 蒋介石夫人の宋美齢の兄(=蒋介石の義兄)で、財務・外交面で国民政府の要職に就いた。本人の項目を参照。
- ^ モスクワ宣言には日本は拘束されず、国連憲章もこの時点ではまだどの国も批准していなかった(長谷川前掲書pp.348 - 349)。実際の参戦時にソ連側は単に「連合国に対する義務を忠実に果たすため」とだけ述べ、モスクワ宣言や国連憲章には触れていない。
- ^ 同年春以降、欧州西部におけるプランダー作戦及びヴァーシティー作戦が成功し、4月上旬に連合軍はドイツ北部に達し、4月25日には米ソ両軍がドイツ東部で合流する(エルベの誓い)等、ベルリン陥落も目前だった。
- ^ 3月26日から沖縄戦の最中であり、通達直後の4月7日に坊ノ岬沖海戦で大和以下6隻の撃沈により、日本海軍は組織的反攻が困難になる。
- ^ 英語でいう「judgement」
出典
- ^ 昭和16年外務省告示第23號(『官報』第4920号、昭和16年4月30日)(NDLJP:2960788/10)
- ^ “Пакт о нейтралитете между СССР и Японией (1941)”. РИА Новости (2016年4月13日). 2021年9月25日閲覧。
- ^ a b 竹尾弌 1943, p. 198(NDLJP:1044606/112)
- ^ 竹尾弌 1943, pp. 198–199(NDLJP:1044606/112)
- ^ 摺建一甫『日ソ不可侵条約論を排撃す』鶴鳴荘出版部〈かくめいパンフレツト〉、1935年。全国書誌番号:44020640。(NDLJP:1445853)
- ^ a b 小泉孝吉 1941, p. 21※原文は旧漢字(NDLJP:1437573/10)
- ^ he Paranoia That Cost Hitler The War | Warlords: Hitler vs Stalin Timeline - World History Documentaries
- ^ a b 『北洋漁業』第2巻第5号「日ソ中立条約締結」に収録(NDLJP:1554739/46)
- ^ a b 小泉孝吉 1941, p. 18(NDLJP:1437573/10)
- ^ a b 小泉孝吉 1941, p. 19(NDLJP:1437573/10)
- ^ a b 竹尾弌 1943, p. 205(NDLJP:1044606/113)
- ^ 小泉孝吉 1941, pp. 19–20.
- ^ 竹尾弌 1943, p. 206(NDLJP:1044606/114)
- ^ a b 信夫清三郎 1960, p. 107.
- ^ a b 信夫清三郎 1960, pp. 107–108.
- ^ 信夫清三郎 1960, p. 108.
- ^ a b c d e f g h 信夫清三郎 1960, p. 109.
- ^ a b 長谷川毅『暗闘(上)』中央公論新社《中公文庫》、2011年、pp.347 - 351
- ^ 萩原徹『大戦の解剖』読売新聞社、1950年、pp.261-P267、外務省『終戦史録4』北洋社、1977年
- ^ “北方領土問題に関する日露共同作成資料集”. 日本国外務省・ロシア連邦外務省 (1992年). 2022年9月10日閲覧。
- ^ 『暗闘(上)』pp.94 - 95
- ^ ボリス・スラヴィンスキー、高橋実・江沢和弘訳『考証 日ソ中立条約』岩波書店、1996年、p.313
- ^ a b c 「対日宣戦布告時、ソ連が公電遮断 英極秘文書」『産経ニュース』、2015年8月9日。2022年8月20日閲覧。※産経新聞の新聞記事の元来の出典の大部分は、『戦時日ソ交渉史』(昭和41年3月、外務省欧亜局東欧課作成)であるが、在外公館にソ連の宣戦布告を伝達する電報の傍受、解読、保管の過程は産経新聞の取材によるものである。
- ^ 信夫清三郎 1960, p. 103.
- ^ 信夫清三郎 1960, pp. 104–105.
- ^ 信夫清三郎 1960, pp. 105–106.
- ^ 信夫清三郎 1960, p. 106.
- ^ 信夫清三郎 1960, pp. 106–107.
- 1 日ソ中立条約とは
- 2 日ソ中立条約の概要
- 3 条約破棄
- 4 他の条約等との関係
- 5 外部リンク
日ソ中立条約
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「太平洋の嵐 (ゲーム)」の記事における「日ソ中立条約」の解説
開戦時、満州国とソ連の国境線には関東軍が展開している。必要であればこれを引き抜いて他方面に用いることも可能ではあるが、あまりに手薄にしてしまうと、ソ連が大日本帝国に宣戦を布告し、侵攻を開始する可能性がある。ドイツ降伏後はソ連が対日宣戦布告を行う可能性が急速に高まる。
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日ソ中立条約
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連合国にはロシア帝国の領土を継承したソビエト連邦(ソ連)も含まれていたが、日本とソ連とはすでに1941年4月に日ソ中立条約を結んでいたため、交戦状態にはなかった。
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