ミッドウェー海戦とは? わかりやすく解説

ミッドウェー‐かいせん【ミッドウェー海戦】


【ミッドウェー海戦】(みっどうぇーかいせん)

 
戦争太平洋戦争(大東亜戦争)
交戦年月日昭和17年6月5日7日
戦域ミッドウェー島および同島周辺海域
交戦勢力大日本帝国
アメリカ
結果アメリカ海軍勝利
指揮官日本海軍帝国海軍第一航空艦隊司令MI作戦司令):南雲忠一中将
連合艦隊司令長官山本五十六大将
米海軍米国海軍17機動部隊司令F・Jフレッチャー少将
16機動部隊司令R・Aスプルーアンス少将
戦力日本海軍空母6隻(『赤城』『加賀』『飛龍』『蒼龍』『鳳翔』『瑞鳳』)
戦艦11隻(大和型:『大和』、長門型:『長門』『陸奥』、伊勢型:『日向』『伊勢』、
扶桑型:『扶桑』『山城』、金剛型:『榛名』『霧島』『金剛』『比叡』)
重巡10隻(利根:『利根』『筑摩』、高雄:『愛宕』『鳥海』、妙高:『妙高』『羽黒』、
最上:『熊野』『鈴谷』『三隈』『最上』)
軽巡7隻(川内型:『川内』『神通』、球磨型:『北上』『大井』、長良型:『長良』『由良』、
香取型:『香取』)
駆逐艦53
吹雪型:『吹雪』『白雪』『叢雲』『初雪』『磯波』『浦波』『敷波』『綾波』『朝霧』『夕霧
天霧』『白雲
白露:『白露』『時雨』『夕立』『春雨』『五月雨』『村雨』『江風』『涼風』『山風』『海風
睦月型:『三日月
夕雲:『夕雲』『巻雲』『風雲
陽炎:『陽炎』『不知火』『黒潮』『親潮』『初風』『雪風』『天津風』『時津風』『浦風』『磯風
浜風』『谷風』『野分』『嵐』『萩風』『舞風』『秋雲
朝潮型:『朝潮』『荒潮』『朝雲』『夏雲』『峯雲』『』『
初春型:『有明』『夕暮』、峯風:『夕風』)
潜水艦15隻他
参加兵力10万
米海軍空母3隻(ヨークタウン・エンタープライズ・ホーネット)
重巡7隻(ニューオーリンズ級:『ミネアポリス』『ニュー・オーリンズ』『アストリア』『ヴィンセンス』、
ノーザンプトン級ノーザンプトン』、ペンサコラ級:『ペンサコラ』、ポートランド級:『ポートランド』)
軽巡1隻(アトランタ級:『アトランタ』)
駆逐艦15隻(シムス:『モリス』『ラッセル』『ハンマン』『アンダーソン』『ヒューズ』、
ファラガット:『デューイ』『エイルウィン』『モナハン』『ウォーデン』、グリーブス:『グウィン』、
ポーター:『フェルプス』『バルチ』、マハン:『カニンガム』、ベンハム:『ベンハム
『エレット』、グリッドレイ:『モーリー』、
フレッチャー級:『モンセン』、バッグレイ級:『ブルー』『ラルフ・タルボット』)
潜水艦20
給油艦3隻
基地航空隊
損害日本海軍空母4隻(赤城加賀飛龍蒼龍)、重巡1隻(最上重巡『三隅』)沈没
重巡1隻(最上重巡最上』)大破
駆逐艦1隻(朝潮型駆逐艦荒潮』)中破
艦載機289喪失偵4機、十二試製艦爆彗星)含む)
戦死者3,057名
米海軍空母1隻(ヨークタウン)、駆逐艦1隻(シムス駆逐艦『ハンマン』)沈没
航空機150喪失基地航空隊含む)
戦死者307
 

太平洋戦争大東亜戦争)中、日米海軍機動部隊にて交わされ海戦である。
昭和17年4月の米機動部隊による日本本土空襲ドーリットル空襲)に衝撃受けた日本海軍国家防衛線の確立と米機動部隊への牽制の為、ミッドウェー島攻略決定
6月5日には同島へ空爆開始したが、重巡洋艦利根から発進することになっていた偵察機四号機の発艦予定より30遅れたため、反撃出たアメリカ機動部隊発見が遅れ、攻撃部隊発進準備中アメリカ急降下爆撃機攻撃を受け、瞬時赤城加賀蒼龍飛行甲板破壊され、まもなく沈没した
残る飛龍は、第二航空戦隊率いていた山口多聞少将指令により、度重なる攻撃を行うが、ヨークタウン航行不能にさせるとどまり飛龍アメリカ攻撃をうけ沈没した
これを受け、連合艦隊司令長官・山本五十六これ以上作戦続行不可能と判断し撤退した

この海戦日本海軍主力である空母「赤城」加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻と重巡1隻、航空機300機と多数エースパイロット失ったのに対し米軍損害空母ヨークタウン」1隻と駆逐艦1隻、航空機150喪失とどまった


ミッドウェー海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 08:53 UTC 版)

ミッドウェー海戦(みっどうぇーかいせん、英語: Battle of Midway)は、1942年6月5日から6月7日にかけて中部太平洋ミッドウェー島周辺で行われた日本海軍アメリカ海軍による海戦である。太平洋戦争の転換点と言われ、この戦闘における敗北により日本側は制空権制海権を失い、以後は戦争の主導権がアメリカ側に移ったことで知られている[1]


注釈

  1. ^ 直接届いた手紙はないと近江従兵長は証言[31]
  2. ^ この図上演習は、AL作戦では、空母隼鷹、龍驤が濃霧の中、アメリカ軍水上部隊の襲撃を受け撃沈判定となり[53]、FS作戦では沈没した加賀が復活して参加している[55]
  3. ^ 阿部と山口はいずれも昭和13年11月に海軍少将に進級しているが[355][356]、海兵39期の阿部が海兵40期の山口より先任となる。

出典

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  • ミッドウェー海戦という戦争
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