イラワジ会戦とは? わかりやすく解説

イラワジ会戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/18 05:51 UTC 版)

イラワジ会戦は1944年12月から1945年3月28日にかけて行われた日本軍イギリス連邦軍との戦い。英軍が勝利した。イラワジ会戦は狭義ではメイクテーラ会戦を含まないが、本稿ではメイクテーラ会戦も併せて述べる。




  1. ^ 防衛庁防衛研修所戦史部(1969a),p. 308.
  2. ^ 防衛庁防衛研修所戦史部(1969a),p. 344.
  3. ^ a b スリム(1958),p. 189.
  4. ^ 防衛庁防衛研修所戦史部(1969a),p. 483.
  5. ^ 三沢錬一(1972),p. 35.
  6. ^ 第33師団はミッタ河谷において英機甲部隊が前進中であることを第15軍を通じて方面軍に報告したが、方面軍はこれを無視した。磯部卓男(1991),pp. 286-289.
  7. ^ 陸戦史集は歩兵第214連隊第1大隊(片桐大隊)がスレゴンにおいて「まな板戦法」によってイギリス軍を撃退したと特筆している。まな板戦法とは、「歩兵が地下に潜ってまな板となり、砲兵が包丁となって、まな板に乗った敵を切る」戦法である。三沢錬一(1972),pp. 89-93.
  8. ^ 戦史叢書や陸戦史集は敵機甲部隊の大群が突然現れたように記述している。しかし磯部卓男(1988),pp. 179-200.および磯部卓男(1991),pp. 286-306.によれば、パコック方面に前進するイギリス第4軍団に関する情報はたびたび報告されていたが上級司令部は鑑みなかったとしている。
  9. ^ a b 防衛庁防衛研修所戦史部(1969a),p. 589.
  10. ^ 防衛庁防衛研修所戦史部(1969a),pp. 592-593.
  11. ^ イギリス軍は文字通り死守する日本兵に感嘆している。磯部卓男(1988),p. 220.
  12. ^ Young(2004),p. 67. 英軍の損害は戦車6両、死傷者約2百名。戦車の損害に修理されて再び戦闘に投入されたものは含まれない。
  13. ^ 三沢錬一(1972),p. 205.
  14. ^ 三沢錬一(1972),pp. 212-213.
  15. ^ 防衛庁防衛研修所戦史部(1969a),p. 645.
  16. ^ スリム(1958),p. 203.
  17. ^ スリム(1958),p. 276.
  18. ^ 磯部卓男(1988),pp. 280-284.
  19. ^ Young(2004),pp. 17-18.
  20. ^ Young(2004),p. 86. の原文では"In general, in battle one engages in the orthodox and gains victory through the unorthodox"となっている。
  21. ^ Young(2004),p. 86.
  22. ^ イラワジ会戦中、ビルマ方面軍参謀部は第1課(作戦)、第2課(情報)、第3課(後方)、第4課(政務)と分かれていた。1-3課は田中参謀長が統括し、4課は一田次郎参謀副長が統括していた。防衛庁防衛研修所戦史部(1969a),p. 484. に図示されている。
  23. ^ 防衛庁防衛研修所戦史部(1969a),pp. 589-590.
  24. ^ 三沢錬一(1972),p. 164.
  25. ^ 磯部卓男(1988),pp. 189-200; 後勝(2000),pp. 224-229.
  26. ^ 後勝(1991),p.227
  27. ^ 磯部卓男(1988),p. 195. 後勝は、清書係だった松本俊彦に書き直させたとしている。
  28. ^ 磯部卓男(1988),p. 196.


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