日中国交正常化とは?

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日中国交正常化

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/14 07:18 UTC 版)

日中国交正常化(にっちゅうこっこうせいじょうか)とは、1972年9月に日中共同声明を発表して、日本国中華人民共和国が国交を結んだことである。


  1. ^ 講和条約の批准が米国議会で難しくなると指摘を受けた。この時は日本はまだアメリカや中華民国、イギリスやソビエト連邦をはじめとする連合国軍による占領下にあり、自主外交はできなかった。
  2. ^ この背景には、アメリカの中華民国支持の強い姿勢と同時に、アメリカの後押しで講和条約発効までに日本と国交成立をめざし、合わせて戦争賠償に関する戦後処理を急ぐ中華民国の狙いがあったと言われている。講和条約発効後の二国間交渉になると中華民国の立場が弱くなるとしていたからである。
  3. ^ このような中華人民共和国側の政策を「以民促官」政策といい、民間交流によって政府レベルの関係へと昇華させていこうとするものであった。「日中関係史」62P  有斐閣 
  4. ^ この日、長崎市の浜屋デパートの4階催事場で行われた中国商品展示会でその会場に掲げられた五星紅旗を1人の青年が引き摺り降ろした事件。日本の警察が「旗を破損した」器物破損という軽微な事件として犯人をすぐに釈放した。
  5. ^ この池田政権の事実上の「二つの中国」政策は、積極的に中華人民共和国との国交樹立を図るというよりも、むしろ国連での中国代表権問題でいずれ中華民国が常任理事国の地位のみならず議席も失うとの予測から、その国際的地位を守り国連での議席を確保する方策として考えられた側面が大きい。この10年後にリチャード・ニクソン大統領が佐藤首相の頭越しに対中関係の樹立に踏み切り(ニクソンショック)、その後中華民国が国連から追放される事態となった
  6. ^ この間の動きは日中共産党の関係を参照のこと。
  7. ^ これをMT貿易と表記される向きがあるが、MTとはMemorandum Tradeで覚書貿易の英語訳の略称であり、それにわざわざ貿易をつけると重言表現であり、当時は普通に覚書貿易と呼称されていたものである。
  8. ^ これは当時まだニクソン訪問が実現する前に、西欧各国が中国を承認する動きが出てきた頃に、いずれアメリカも承認せざるを得ないのではとの声から、日本が世界から取り残されるジョークとして週刊誌などで述べられていた。しかし由来はもっと古く、1957年から1963年まで駐米大使を務めた朝海浩一郎が、「日本にとって最大の外交的悪夢は、日本の知らない間に頭越しに米中両国が手を握る状態が訪れることだ。」と語ったことである。ニクソンショックはまさにこのジョークや悪夢が現実に起こったこととなった。
  9. ^ 前年まで中華人民共和国の加盟は重要事項で三分の二の賛成が必要という案(1960年頃に中華人民共和国加盟案を審議する際にアメリカが反対するための方策として考えられたものであった)をずっと提出していたが、この年は中華民国の議席の追放が重要事項で三分の二が必要という案に変った。
  10. ^ 当初は両国の議席を認めたうえで、国連安保理の常任理事国をそれまでの中華民国を継続させる案であったが、やがて中華人民共和国支持派の増加で結局中華人民共和国が安保理の常任理事国になることを認めたうえで、中華民国は総会での議席を認める内容に変更した。
  11. ^ 「政客列伝」~保利茂~ 283~284P 安藤俊裕著 日本経済新聞出版
  12. ^ 「政客列伝」~保利茂~ 283~284P 安藤俊裕著 日本経済新聞出版
  13. ^ 竹入委員長の訪中は政府の特使でもなければ、田中首相の意を受けたメッセンジャーでもなかった。紹介状も田中首相は書かなかった。竹入が後に「特使もどき」と自ら述べているが、実際には中華人民共和国側が田中首相の「伝言」を持ってきたと勘違いしていたところを竹入がうまく橋渡し役としての役割を果たし、田中首相への伝言をうまくまとめたものであったと言える。
  14. ^ 後に竹入は交渉のやり取りを詳細に記したメモと会談記録を作成して、このメモは後に竹入メモと呼ばれている。
  15. ^ 当時の外務省条約局長栗山尚一条約課長は、後にこの対日賠償請求を放棄する意向を示さなかったら、中華人民共和国との国交正常化は国家財政上不可能であった、と述べている。「外交証言録 沖縄返還・日中国交正常化・日米密約」栗山尚一著 参照 
  16. ^ 竹入委員長は実際に周恩来から「賠償請求を放棄する」と聞いて体が震えたという。500億ドル程度は支払わなけらばならないと思っていたからである。 中華民国との間で戦後の賠償交渉が終わっている(金銭による賠償はなかった)こともあり、中華人民共和国側には賠償問題を言い出せば自民党内が纏まらなくなることも見抜いていた。「日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉」201~202P 証言 歴史の歯車が回った 流れを決めた周首相の判断  竹入義勝
  17. ^ この時に密かに竹入と周恩来は、「この内容で訪中することに決したならば、合図として近く来日を予定している廖承志訪日団の来日を延期することを発表すること。これで田中訪中を了解したと受け取ります。」と打ち合わせしていた。翌日の新聞に中華人民共和国代表団の訪日延期が掲載されて、これが中華人民共和国当局には田中訪中のシグナルであると了解していた。「国交正常化交渉~北京の5日間~」第2章 竹入メモ 52P 鬼頭春樹著 
  18. ^ この廖承志訪日団の延期を本来の招待者であった佐々木社会党元委員長に事前連絡することなく竹入委員長が記者会見ですぐに発表して、佐々木が怒鳴り込んできて、平謝りする一幕があった。「日中国交正常化・日中平和友好条約締結交渉」206~207P 証言 歴史の歯車が回った 流れを決めた周首相の判断  竹入義勝
  19. ^ また一部に先に承認したことをキッシンジャーが怒ったという話があるが、皮肉にも米中関係の正常化が日中関係の正常化を促進したことは明らかであり、彼の日米安保条約の解釈を周恩来が理解したことも大きく貢献している。またこれより3ヶ月前の6月にキッシンジャーが訪中して(この時は東京から北京に飛んでいる)、周恩来が日中正常化に反対かと尋ねた時に、キッシンジャーは反対ではなくむしろ促進をと思っていると語っている。しかし彼はもともと日本嫌いで不信感を持っている。軍事的に独立した日本を全く信用せず、軍事力を持つと簡単に1930年代の政策を繰り返すと考えている。皮肉にもこの警戒心は周恩来も共有していることで、怒ったかどうかは全く問題にする話ではない。
  20. ^ 「求道存異」。日本では小異を捨てて大同につく、という表現になるが、この場合は「小異を残して大同につく」とさらに「大同を求め、小異を克服する」ことにつながることを意味して、周恩来首相が初日の首脳会談で「求道存異」を交渉の基本方針として提起して、この日中首脳会談のキーワードとなった。「国交正常化交渉~北京の5日間~」 114~115p 鬼頭春樹著
  21. ^ この「ご迷惑」を通訳が「添了麻煩」と訳して中華人民共和国側が猛反発した。「添了麻煩」とは日本語で「ゴメン」、英語で「ソーリー」にあたる軽い表現で小さなことでしか使われない言葉であった。
  22. ^ この当時日本と中華人民共和国との間には平和条約が結ばれず、法的には戦争状態が続いていることとなった。しかし中華民国とはすでに日華平和条約を結び、戦争状態の終結と国家賠償の請求を放棄することで決着がついていた。この時点で戦争が終結したと謳えばそれまでの日華平和条約の存在自体を過去に遡って否定するという論理的な袋小路に陥るので避けたいとの考えが外務省にあり、このことがこの26日に日中間での緊張したやり取りになった。結果的には「戦争状態」でなく「不正常な状態」が終結したことで決着し、最終日の声明によって日華平和条約はこの日に終了したことになった。
  23. ^ この席で高島条約局長が日華平和条約との関係から戦争終結と賠償放棄についての整合性に言及して中国側から反発を受けた。周恩来は顔色を変えるほど高島局長を面罵したが田中は、自分と大平に伝えようと分かるほどだったとしている
  24. ^ ここで唐突に出てきた文言であるが、この時点では米国でさえ認めていない中華人民共和国が唯一合法政府であることを日本が認めてしまうと、アメリカと中華民国との関係をも損なうことになり、日本としては絶対に避けなければならないことであった。そこで栗山尚一条約課長が出した案が「ポツダム宣言の堅持」でこれで日本が中華民国が「中国を代表する唯一の政府」であるとみなすことを支持しないことを間接的に示す表現であった。
  25. ^ 国交正常化当時の中国外交部アジア局長の陸維釗、中日備忘録貿易弁事所東京連絡所首席代表の肖向前、日本特派員の王泰平、会談の通訳、中日友好協会副会長の王効賢、日本側では、田川誠一加藤紘一森田一〔大平正芳の娘婿、秘書官、元運輸大臣〕、真鍋賢二〔大平正芳代議士の秘書官、元環境庁長官〕、中江要介〔元アジア局長、中国大使〕、橋本恕〔元アジア局長、中国大使〕、佐藤嘉恭〔元大平内閣首相補佐官、中国大使〕、谷野作太郎〔元中国課長、中国大使〕等。
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  1. ^ 日本民社党訪中団中国中日友好協会代表団共同声明
  2. ^ a b 武田晴人 『高度成長 シリーズ日本近代史(8)』 岩波書店〈岩波新書(新赤版)1049〉、2008年、196–199。ISBN 9784004310495
  3. ^ 「日中関係史」41P 国分良成・添谷芳秀・高原明生・川島真[著] 有斐閣 2013年12月発行 
  4. ^ 「日中関係史」48P  有斐閣 
  5. ^ 「日中関係史」49P  有斐閣 
  6. ^ 「日中関係史」60P  有斐閣 
  7. ^ 原彬久『岸信介証言録』p.160.
  8. ^ 衆議院会議録情報 第024回国会 本会議 第29号昭和31年3月30日
  9. ^ 衆議院会議録情報 第025回国会 本会議 第17号昭和31年12月12日
  10. ^ 岸信介・矢次一夫・伊藤隆『岸信介の回想』185頁、文藝春秋社、1981年
  11. ^ 権容奭『日中貿易断絶とナショナリズムの相克』第4章
  12. ^ 参議院会議録情報第028回国会外務委員会第11号昭和33年3月20日
  13. ^ 衆議院会議録情報第028回国会外務委員会第20号昭和33年4月9日
  14. ^ 衆議院会議録情報第031回国会予算委員会第3号
  15. ^ 衆議院会議録情報第029回国会本会議第4号昭和33年4月9日
  16. ^ a b 原彬久『岸信介証言録』p.159.
  17. ^ 岸信介、矢次一夫、伊藤隆『岸信介の回想』211頁、文藝春秋、1981年
  18. ^ 「日中関係史」69P 有斐閣
  19. ^ 「日中関係史」78P 有斐閣
  20. ^ 「日中関係史」79P 有斐閣
  21. ^ 「日中関係史」82P 有斐閣
  22. ^ 「日中関係史」95~97P 有斐閣
  23. ^ 「日中関係史」97P 有斐閣
  24. ^ 「国交正常化交渉~北京の5日間~」1972年北京の5日間交渉内容 105P 鬼頭春樹著
  25. ^ 賛成55、反対59、棄権15、欠席2。「ニクソン訪中と冷戦構造」第5章 米中接近と日本 139P 増田弘 編著 慶応義塾大学出版会 2006年6月発行
  26. ^ 賛成76、反対35、棄権17、欠席3。「ニクソン訪中と冷戦構造」第5章 米中接近と日本 139P
  27. ^ 過去の主な事業 - 日中経済貿易センター
  28. ^ a b 第十一章 民間経済外交の多角的展開 - 経済同友会567-572頁。
  29. ^ a b c 「木村一三日中経済貿易センター専務理事」『永野重雄追想集』 「永野重雄追想集」刊行会 日本商工会議所東京商工会議所1985年、126-127頁。
  30. ^ a b 戦後の大阪商工会議所(2)
  31. ^ a b c 山下静一 『戦後経営者の群像 私の「経済同友会」史』 日本経済新聞社1992年、117-123頁。ISBN 4-532-16045-6
  32. ^ 劉徳有・宋堅之 『忘れ難き歳月 記者たちの見た中日両国関係』 五洲伝播出版社、2007年、73頁。ISBN 9787508511504
  33. ^ 第180回国会 決算行政監視委員会 第5号(平成24年6月11日)石原知事記者会見(平成24年8月24日)|東京都石原慎太郎×田原総一朗(4) 「世論とは何か。我欲の塊ではないか」
  34. ^ (4)第68回国会における佐藤内閣総理大臣施政方針演説
  35. ^ 日中国交回復 水面下の交渉を託された一人の男の姿”. 2017年9月26日閲覧。
  36. ^ 「国交正常化交渉~北京の5日間~」第2章 竹入メモ 50~53P 鬼頭春樹著 2012年10月発行 NHK出版
  37. ^ 「国交正常化交渉~北京の5日間~」第2章 竹入メモ 74P 鬼頭春樹著
  38. ^ 「田中政権・886日」89~107P 中野士朗 著 1982年12月発行 行政問題研究所
  39. ^ 9月25日から29日までの内容については全て以下のページを参照「国交正常化交渉~北京の5日間~」1972年北京の5日間交渉内容 260~265P 鬼頭春樹著
  40. ^ <中国首相訪日>温首相、「未来志向、それは憎しみを後代に伝えないこと」と強調」 『Record China』、2010年5月31日。


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