大平正芳とは? わかりやすく解説

おおひら‐まさよし〔おほひら‐〕【大平正芳】

読み方:おおひらまさよし

[1910〜1980政治家香川生まれ外相蔵相などを経て昭和53年1978首相2年後不信任案可決衆議院解散総選挙中に死去。→鈴木善幸


大平正芳

大平正芳
総理在職期間
第1次昭53.12. 7~昭54.11. 9338
第2次昭54.11. 9~昭55. 6.12217
在職通算日数554
総理就任時年齢:68歳69歳

大平正芳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/13 08:33 UTC 版)

大平 正芳(おおひら まさよし、1910年明治43年〉3月12日 - 1980年昭和55年〉6月12日)は、日本大蔵官僚政治家位階正二位勲等大勲位菊花大綬章


注釈

  1. ^ サブロックは潜水艦用の核弾頭付ミサイルである。対談でも触れられているが、当時サブロックはまだ開発中であった。
  2. ^ なお、サブロックに関する発言での小見出しは「核兵器と潜水艦とは別の問題」である。
  3. ^ 当時東京工業大学理学博士。専門は放射線防御工学。
  4. ^ ただし、福田は著書『私の履歴書』で「大福密約」は存在しなかったとしている。
  5. ^ 福田47万2499票に対し大平55万0889票。
  6. ^ 内閣総理大臣と自民党総裁に別人が就くこと。ここでは大平総理、福田総裁の案が示された。それに対して大平は「福田総裁代行」案を提示したが、反主流派の容れるところとはならなかった。
  7. ^ 新自由クラブを除く野党は欠席した。
  8. ^ この138票というのが首班に指名された者が獲得した最も少ない票の記録となっている。
  9. ^ 外相会議と全体会議には急遽同行させた佐々木義武通商産業大臣を大来の代理として出席させた。なお、大平の急死を受けて首脳会議はまず大平に対する黙祷から始められている。
  10. ^ 1932年5月15日に五・一五事件犬養毅が官邸で青年将校に暗殺されて以来、また病死としては1926年1月22日に加藤高明が心臓麻痺で急死して以来。
  11. ^ 大平を伝記で好意的に評価している福永文夫などもこの観点で記述し、野党の一つ、社民連もその党史にて自民党が弔い合戦に努めたことを敗因に挙げている。'80参議院選挙~ダブル選挙 『社民連十年史』
  12. ^ この選挙については上記のような「同情票」といった見方が少なくないが、今日の政治学では1977年参院選から始まった自民党の党勢回復の一環であったと位置づけるものが多い[135][136]
  13. ^ 総理大臣との兼任を含めると吉田茂が1位。
  14. ^ 大平はこう述べた。「私が娘に対しまして、早く嫁に行けということを申し上げたのは事実でございます。私は、娘を持つ父親といたしまして、できるだけ早く良縁を得て、身を固めてもらいたいという念願を持っておりましたので、「女に学問は要らない、早く嫁に行け」という言葉は、熟しない御批判をいただく余地が十分あると思いますけれども、父親といたしまして、早く嫁に行って、全体として女の幸せを追求してもらいたいという父親の気持ちはおくみ取りいただけるのではないかと思います。婦人に対しましてどう考えておるかということでございますが、私は、婦人は――ここに男性の方が多いようでございますけれども――男性よりは物事に誠実でございます。道義の感覚に鋭敏でございます。とりわけ、子供をもうけるなどという手ごたえのある人生経験は、男にはできないことでございます。私は女性を尊敬いたしております」

出典

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大平正芳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/13 07:00 UTC 版)

後藤田正晴」の記事における「大平正芳」の解説

後藤田内務省地方局在任していたときの大蔵省給与課長大平であり、大平の方が年次が上であったことから指導を受けていた。最初の参院選後で後藤田落選お詫び党本部行ったとき、幹事長であった大平後藤田暖かく迎えて激励している。落選後に多くのから手のひらを返すような態度取られ後藤田は、大平に対して本当にこの人情誼の厚い人だな」という思い持った大平後藤田のことを「あれは本物だね。角サンとの結びつきは深いが、角サン抜きで十分に乱世生きて行ける人材だな」と評価している。 総裁選勝利したときに後藤田から警察での経験を踏まえた身辺警戒仕方忠実に実行したことが、実際に大平暴漢襲われた際の護身役立っている

※この「大平正芳」の解説は、「後藤田正晴」の解説の一部です。
「大平正芳」を含む「後藤田正晴」の記事については、「後藤田正晴」の概要を参照ください。

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