青木一男
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青木 一男(あおき かずお、1889年〈明治22年〉11月28日 - 1982年〈昭和57年〉6月25日)は、日本の大蔵官僚・政治家。
- ^ 『官報』第5698号、昭和21年1月14日。
- ^ a b 『人事興信録』第14版 上、ア41頁。
- ^ この外国為替管理法は典型的な委任立法の先駆けであり、実行行為者のほか業務主体たる法人や本人にも罰金刑を科す両罰規定は、刑事立法の新例を開いたものである。『青木一男 その信念と行動』(青木一男後援会、1970年6月30日) P21~P22、『昭和大蔵外史 上巻』(昭和大蔵省外史刊行会、財経詳報社 発行、1967年) P446 などを参照。
- ^ この外為法は、当時いずれの国もドル不足に悩んでいたことから、日本でも1931年(昭和6年)の金解禁停止に対応して外貨管理上必要な措置だったが、これによって輸入は政府の外貨割り当てをうけねばならなかった。ただし役人は優先分野を特定した「必要な輸入」を機械的に考えるため、のちの素材生産や兵器生産の深刻な立ち遅れにつながったと指摘されている(重要産業統制法も参照)。別宮暖朗『帝国陸軍の栄光と転落』(文春新書、2010年4月) P219 ~ P220
- ^ 『官報』第3795号、昭和14年8月29日。
- ^ 東亜の人文・自然を研究、会長は近衛首相『東京朝日新聞』1938年(昭和13年)9月2日夕刊
- ^ 梨本宮・平沼・平田ら五十九人に逮捕命令(昭和20年12月4日 毎日新聞(東京))『昭和ニュース辞典 第8巻 昭和17年-昭和20年』p341
- ^ 『コンサイス日本人名辞典 第5版』上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰編集委員、三省堂出版、2009年 4頁。
- ^ 青木一男『わが九十年の生涯を顧みて』、p.308
- ^ 「税理士会長を逮捕 全国区青木派違反」『日本経済新聞』昭和40年7月14日15面
- ^ 『官報』第16628号10頁 昭和57年7月5日号
- ^ 『官報』第2431号「授爵・叙任及辞令」1920年9月8日。
- ^ a b 「沢本頼外五名」 アジア歴史資料センター Ref.A10113476300
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