大隈重信とは? わかりやすく解説

おおくま‐しげのぶ〔おほくま‐〕【大隈重信】

読み方:おおくましげのぶ

[一][1838~1922]政治家佐賀生まれ明治14年(1881)の政変下野し翌年立憲改進党組織伊藤黒田内閣外相として条約改正あたったが、爆弾投げられ片脚を失う。明治31年(1898)最初の政党内閣組織大正3年(1914)再び首相となり、第一次大戦への参戦決定東京専門学校早稲田大学前身)の創立者

[二]榛葉英治による[一]評伝副題進取の精神、学の独立」。昭和60年1985)、上下2巻刊行

大隈重信の画像
早稲田大学にある大隈重信の像
大隈重信の画像

大隈重信

作者童門冬二

収載図書日本の復興者たち
出版社光人社
刊行年月2003.2

収載図書日本の復興者たち
出版社講談社
刊行年月2006.1
シリーズ名講談社文庫


大隈重信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/26 21:22 UTC 版)

大隈 重信(おおくま しげのぶ、天保9年2月16日1838年3月11日〉- 大正11年〈1922年1月10日)は、日本政治家[1]教育者位階勲等爵位従一位大勲位侯爵菅原[2]


注釈

  1. ^ 父親は婿養子だが、母親は重信の娘
  2. ^ 佐賀藩では、藩士の禄高は「石高」ではなく「物成(実収入。石高の4割程度)」で表された[13]
  3. ^ 9月8日、明治元年へ1月1日にさかのぼって改元
  4. ^ 意見書を書いたものは福沢諭吉であるという観測が行われており、伊藤も「福沢と同一なり」と見ていたが、実際には統計院大書記官を勤めていた矢野文雄であったとみられる(伊藤之雄 & 2019上, p. 278-281)
  5. ^ 伊藤之雄は払下げのリークは大隈派官僚の矢野文雄、犬養毅尾崎行雄小野梓のいずれかではないかと推測している(伊藤之雄 & 2019上, p. 284)
  6. ^ 「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ応シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」大日本帝国憲法第19条
  7. ^ 事件直後、現場を通りかかった高木兼寛により最初の処置が行われ、その後に駆け付けたドイツ人医師のエルヴィン・フォン・ベルツ佐藤進、伊東方成、岩佐純池田謙斎らと高木による協議で右足の切断が決定された[72]。その右脚切断手術は佐藤やベルツにより行われ、その後の大隈は義足を着用した。この際に大隈が失った右脚は、アルコール漬けにされ大隈邸にて一時保管後、消費されるアルコール代が高額で手間がかかるため赤十字中央病院に寄付された。更にその後日本赤十字看護大学にて由来不明となったままでホルマリン漬けで保存(経年のため変色が認められるものの生きているかのようであったという)されていたが、1988年(昭和63年)由来判明後に早稲田大学で保管され、1999年(平成11年)に故郷である佐賀市の大隈家菩提寺の龍泰寺にて安置(保存のための樹脂加工済)されている。
  8. ^ 大隈は「留任の大命を受けた以上は自分の意志で進退を決めるわけにいかない。とやかく言うのはほとんど君主権を犯すもの」と当時述べた[150]
  9. ^ 「大隈が口舌の徒であるという評価は、明治・大正の人には常識だったようである。大隈は、しばしば、その演説を『我が輩は』で始めて、『あるんである』、時としては『あるんであるんである』で結んだ。ただの口癖と言えばそれまでであるが、少なくとも、言葉を節して、一言半句無駄なことを言うのを忌む人には、とうていできないことである」とある[178]
  10. ^ 大隈自身の回想では明治7年(1874年)頃となっているが、大隈はこの際に伊藤と井上馨に福沢を紹介してふたりとも意気投合したと記述しており、伊藤之雄は内容から見て明治3年(1870年)頃ではないかとみている(伊藤之雄 & 2019上, p. 254)

出典

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  266. ^ 『早稲田大学百年史』 第二巻、846-854頁。なお、銅像問題で学生たちはほとんど騒いでおらず、尾崎士郎の『人生劇場』には一部の誇張がある(服部嘉香 『随筆 早稲田の半世紀』 中和出版、1957年、25頁)。



大隈重信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:06 UTC 版)

王道の狗」の記事における「大隈重信」の解説

二代外務大臣明治22年1889年10月大隈条約改正案に反発する国家主義団体玄洋社来島恒喜による襲撃遭い右脚切断重傷を負う。

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「大隈重信」を含む「王道の狗」の記事については、「王道の狗」の概要を参照ください。


大隈重信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/20 03:41 UTC 版)

翔ぶが如く」の記事における「大隈重信」の解説

参議大蔵卿征韓論国家財政視点から反対する後に早稲田大学創立するが、西郷愚人としてしか見ていない人物として描かれている。

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「大隈重信」を含む「翔ぶが如く」の記事については、「翔ぶが如く」の概要を参照ください。

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