佐々木氏とは? わかりやすく解説

佐々木氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/10 15:58 UTC 版)

佐々木氏
本姓 宇多源氏扶義流[1]
家祖 源経方
種別 武家
華族侯爵)-分流
出身地 近江国蒲生郡佐々木庄[1]
主な根拠地 越後国
近江国
山城国
出雲国
隠岐国
東京
著名な人物 佐々木秀義
佐々木定綱
佐々木盛綱
佐々木高綱
佐々木義清
支流、分家

六角氏(武家)
  佐佐木家(武家,侯爵)
京極氏(武家,子爵)
野木氏(武家)
  乃木家(武家,伯爵)
  竹腰氏(武家)
大山氏(武家,公爵)
大原氏(武家)
高島氏(武家)
伊庭氏(武家)
加地氏(武家)
高柳氏(武家)
今井氏(武家)

松山氏(武家)
凡例 / Category:日本の氏族

佐々木氏(ささきし)は、日本氏族

概要

家系宇多天皇の第8皇子敦実親王の流れをくむ宇多源氏源成頼の孫・佐々木経方を祖とする一族[2]近江国蒲生郡佐々木荘を発祥に、後に源平合戦(治承・寿永の乱)で活躍し全国に勢力を広げた[1]

佐々木氏は、近江国を発祥の地とする宇多源氏の一流である[1]。宇多天皇の玄孫である源成頼が近江国佐々木庄に下向し、その地に土着した孫の経方が佐々木を名乗ったことから始まるとされるが[3]、これには異説もあり現在も議論されている。

宇多源氏の中でも佐々木氏は特に近江源氏あるいは佐々木源氏と呼ばれて繁栄し、各地に支族を広げた。 目結紋系を持つ家系は佐々木氏族の末裔と言われる[要出典]

祖の佐々木秀義保元元年(1156年)に崇徳上皇後白河天皇が争った保元の乱において、天皇方の源義朝軍に属して戦った。平治元年(1159年)の平治の乱でも義朝軍に属して戦うが、義朝方の敗北により伯母の夫である藤原秀衡を頼って奥州へと落ち延びる途中、相模国渋谷重国に引き止められ、その庇護を受ける。秀義の4人の子定綱経高盛綱高綱は、乱後に伊豆国へ流罪となった義朝の嫡子源頼朝家人として仕えた。

治承4年(1180年)に頼朝が伊豆国平家打倒の兵を挙げると、佐々木4兄弟はそれに参じて活躍し、鎌倉幕府創設の功臣として頼朝に重用され、本領であった近江を始め17か国の守護へと補せられる。また、奥州合戦に従軍した一門の者は奥州に土着し広がっていったとされる。

承久3年(1221年)に後鳥羽上皇と幕府が争った承久の乱が起こると、京に近い近江に在り検非違使山城守に任ぜられていた定綱の嫡子である佐々木広綱を始め一門の大半は上皇方へと属し、鎌倉に在り執権北条義時の婿となっていた[要出典]広綱の弟の佐々木信綱は幕府方へと属した。幕府方の勝利により乱が収まると、敗れた上皇方の広綱は信綱に斬首され信綱が総領となる。

近江本領の佐々木嫡流は、信綱の死後、近江は4人の息子に分けて継がれ、三男の佐々木泰綱宗家となる佐々木六角氏の祖となり、四男の佐々木氏信が佐々木京極氏の祖となる。鎌倉政権において、嫡流の六角氏は近江守護を世襲して六波羅を中心に活動し、六波羅評定衆などを務める一方、庶流の京極氏は鎌倉を拠点として評定衆東使など幕府要職を務め、北条得宗被官に近い活動をしており、嫡流に勝る有力な家となる。京極氏の系統である佐々木道誉は、足利高氏の幕府離反に同調して北条氏打倒に加わり、足利政権における有力者となる。

また、治承4年(1180年)の頼朝挙兵時に平氏方につき、後に頼朝に従った佐々木義清(佐々木秀義の五男)は、初め「源氏仇方」であったため平氏追討以後も任国を拝領しなかったが、長年の功と承久の乱の時に幕府方についたため、初めて出雲隠岐の両国守護職を賜い、彼国に下向し、分派して出雲国に土着したため、この一族を出雲源氏という。

系譜

宇多天皇
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
皇室
 
 
 
敦実親王
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
源雅信
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
扶義
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1成頼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2佐々木義経
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
3経方
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4為俊
 
 
 
行実
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5秀義
 
 
 
実高
伊庭氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
6定綱
 
 
 
経高盛綱
加地氏
高綱
野木氏
義清
出雲源氏
厳秀
吉田氏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7広綱8信綱
 
 
 
高重
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
重綱
大原氏
高信
高島氏
9泰綱
六角氏
氏信
京極氏
阿波国で帰農

出自

宇多源氏
従来唱えられてきた説で、史料としては『尊卑分脈』や『佐々木系図』(沙沙貴神社蔵)などが挙げられる[2]。宇多源氏である源成頼が近江佐々木庄に下向し、その孫の源経方が佐々木氏を名乗ったことに始まるとされる説。この説では、古代豪族説にある沙沙貴山君の一族は源平争乱後、衰退して宇多源氏佐々木氏に同化したとされる。
古代豪族
明治久米邦武によって提唱された説で、古代から平安時代中期まで近江の国に勢力を持っていた沙沙貴山君こそが佐々木氏の祖先ではないかという説。太田亮はこの説を採用し、著書『姓氏家系大辞典』では佐々木氏の出自を阿倍朝臣としている[1]
2系列説
上記2説の中間説で、佐々木氏には宇多源氏系の佐々木氏と沙沙貴山君系の佐々木氏の2つの系列が存在するという説。史料としては『吾妻鏡』などが挙げられる。1987年林屋辰三郎らが編纂した『新修大津市史』[要文献特定詳細情報]では、この説を採用している。また、宇多源氏を男系祖先とし沙沙貴山君を母系祖先とした可能性(逆もまた然り)もある。

人物

室町時代から戦国時代
江戸時代
幕末から近現代

脚注

  1. ^ a b c d e 太田 1934, p. 2575.
  2. ^ a b 太田 1934, pp. 2575–2576.
  3. ^ 太田 1934, p. 2576.

参考文献

関連項目

外部リンク


佐々木氏

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小諸藩牧野氏の家臣団」の記事における「佐々木氏」の解説

'数代前の先祖創業期家臣であったという浪人者仕官させて、突然異例厚遇。その上長男太田氏別家相続庶子小諸家臣佐々木氏2代目相続するなど謎が多い。幕末家老牧野隼人成聖の弟や、家老真木要人則道の弟が、佐々木氏に養子入りをして家名存続牧野主鈴成裕3男の佐々木守人道貞は、常在戦場第一家訓掲げ小諸藩において、その役職職責省みず火災発生時に持ち場離れて所在不明という失態演じた後に、若くして死亡幕末2代続けて婿取りによらない養子相続が行われているため、幕末・維新期の佐々木氏は、戦慄非行不行跡内容具体的に書いた一次史料に、牧野求馬と共に、名を刻んだ佐々木司の名跡上、直系子孫であったとしても、血縁上は、その子孫となるとは、限らない維新前から廃藩までは、真木左衛門則義の庶子当主の家となっていたが、小諸騒動渦中に、実兄(則道)を斬首追い込んだ加藤牧野馬派からの懐柔を受け、藩主命令により、やむなく参政加判)に就任して辛酸を嘗める

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