侯爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/12 16:40 UTC 版)
侯爵(こうしゃく)は、近代日本や中国で用いられた爵位(五爵)の第2位。公爵の下位、伯爵の上位に相当する[1]。ヨーロッパ諸国の貴族の称号の日本語訳に使われる。英語でmarquessまたはmarquisと呼ばれるヨーロッパ各国の爵位や、ドイツの爵位のFürstの訳語に充てられる。公爵と発音が同じことから、俗に字体が似ている「候」から「そうろう-こうしゃく」と呼ばれ、区別される。
- ^ 新村出編『広辞苑 第六版』(岩波書店、2011年)942頁および松村明編『大辞林 第三版』(三省堂、2006年)849頁参照。
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- ^ 浅見雅男 1994, p. 87-88.
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- ^ 浅見雅男 1994, p. 74-77.
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- ^ 小田部雄次 2006, p. 167.
- ^ 小田部雄次 2006, p. 172.
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- ^ https://www.boe.es/datos/pdfs/BOE//1931/153/A01122-01123.pdf
- ^ https://www.boe.es/buscar/act.php?id=BOE-A-1948-3512
- ^ “Guía de Títulos”. www.diputaciondelagrandeza.es. 2021年3月24日閲覧。
- ^ 石黒ひさ子 2006, p. 2-3.
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- ^ 石黒ひさ子 2006, p. 4.
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- ^ 袴田郁一 2014, p. 93.
- ^ 今堀誠二, p. 422-423.
- ^ 袴田郁一 2014, p. 103.
- ^ a b 袴田郁一 2014, p. 100.
- ^ 袴田郁一 2014, p. 88-89、118.
- ^ 袴田郁一 2014, p. 88-89、107.
- ^ 張華は後に公に陞爵
- ^ 袴田郁一 2014, p. 89.
- ^ 袴田郁一 2014, p. 118.
侯爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 00:46 UTC 版)
「オーバーロード (小説)」の記事における「侯爵」の解説
南部の大貴族である侯爵。80歳。聖王家への忠勤を評価され、紫色を与えられた。南部の貴族が軍勢を率いカリンシャに合流した際にはその姿は無かった。ボディポは当人は体調が悪く北部支援軍への参加は見送ったとカスポンドに報告したが、ボディポやカスポンドのその後の描写から、死亡している可能性もある。
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侯爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 05:38 UTC 版)
領地内に、領民が住む地上世界を持つ。通常、領地内の領民数が1億人を超え、なおかつある程度以上の領地経営の手腕が認められていることが必要。
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侯爵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 04:00 UTC 版)
李載完 興宣大院君の甥。 李達鎔(朝鮮語版) 李載完の相続人。1922年襲爵。 李載覚 荘献世子の玄孫。 李徳鎔(朝鮮語版) 李載覚の相続人。1935年襲爵。 李海昌 昌山君。 李徳柱(朝鮮語版) 李海昌の相続人。1945年襲爵。 李海昇(朝鮮語版) 全渓大院君の玄孫。 尹沢栄 海豊府院君。純宗の舅。 尹毅燮(朝鮮語版) 尹沢栄の相続人。1935年襲爵。 朴泳孝 哲宗の壻。宮内府大臣。併合後、1926年(大正15年)に中枢院議長、1932年(昭和7年)に貴族院議員となる。 朴賛汎(朝鮮語版) 朴泳孝の相続人。1939年襲爵。 李完用 李允用男爵(朝鮮貴族)の弟。1907年(明治40年)に大韓帝国内閣総理大臣に就任する。同年第三次日韓協約に調印する。1909年(明治42年)12月に李在明のテロに遭うが、命拾いする。1910年(明治43年)8月13日、寺内正毅から韓国併合決定を伝えられた場で、韓国の名称を旧称である朝鮮に改めるように要望し、承認される。8月22日に韓国併合ニ関スル条約に調印する。1920年に伯爵より陞爵して侯爵となった。 李丙吉 李完用の相続人。1926年(大正15年)3月15日襲爵。
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侯爵
出典:『Wiktionary』 (2018/07/08 10:42 UTC 版)
名詞
関連語
翻訳
- カタルーニャ語: marquès (ca) 男性
- チェコ語: markýz (cs) 男性
- ドイツ語: Marquis (de) 男性
- ギリシア語: μαρκήσιος (el) 男性
- 英語: marquess (en)、marquis (en)
- スペイン語: marqués (es) 男性
- フィンランド語: markiisi (fi)
- フランス語: marquis (fr) 男性
- ハンガリー語: márki (hu), őrgróf (hu)
- アルメニア語: մարկիզ (hy) (markiz)
- アイスランド語: markgreifi (is) 男性
- イタリア語: marchese (it) 男性
「侯爵」の例文・使い方・用例・文例
- 彼は侯爵夫人にダンスを申し込んだ。
- その女侯爵は広大な領地を所有していた。
- 侯爵は男爵の上に位する.
- 侯爵夫人
- 殿下には某侯爵家へご降嫁あらせらるるはず
- 侯爵に叙せらる
- 大隈侯爵邸
- 1745年の戦争で、サクセ元帥率いるフランス軍がカンバーランド侯爵率いる英国軍とその同盟軍を破った
- ゴヤは彼の愛人であるアルバ侯爵夫人を描きたかった
- 王は侯爵の邸宅を訪問する予定だ
- 英国の身分、侯爵より下で子爵より上
- 侯爵の妻または未亡人
- 英国の貴族階級に属する貴族(公爵、侯爵、伯爵、子爵または男爵)
- ノルウェーの指導者で、作品がノルマンディーの最初の侯爵になった(860年−931年)
- 侯爵
- 公爵という身分と侯爵という身分
- 公爵と侯爵と伯爵と子爵と男爵という爵位
- 侯爵と伯爵
- 明治憲法下における公爵,侯爵,伯爵,子爵,男爵
侯爵と同じ種類の言葉
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