北白川宮能久親王
北白川宮能久親王
北白川宮能久親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 05:48 UTC 版)
2代能久親王は伏見宮邦家親王の第9王子で、嘉言親王の弟宮、智成親王の兄宮に当たる。1848年(弘化4年)に誕生。1858年(安政5年)に仁孝天皇の猶子として11歳で親王宣下。上野の輪王寺に入寺得度し、公現入道親王と名乗る。戊辰戦争の時、幕府側に附く。彰義隊に担がれて上野戦争に巻き込まれ、その後 奥羽列藩同盟に擁立され仙台に赴いた(東武皇帝として即位したとする説あり)。維新後、蟄居・伏見宮家預りとなる。 1869年(明治2年)に許されて伏見宮に復帰する。1870年(明治3年)にドイツに留学。1872年(明治5年)に北白川宮を相続し、1877年(明治10年)に帰国した。帰国後は陸軍に勤務。 陸軍中将にまで進む。日清戦争では近衛師団長として出征。戦後、台湾守備の命令を受け、台湾征討軍の指揮にあたったが、1895年(明治28年)、現地で戦病死した。48歳没。
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北白川宮能久親王
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/14 14:00 UTC 版)
台湾平定に近衛師団長として出征して戦病死し、台湾神宮が創建されて祀られた。修身教科書にも「能久親王」として、皇室への忠誠を高めるための教材として取り上げられる。
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