とく‐ど【得度】
得度
得度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/25 07:49 UTC 版)
弘安9年(1286年)、奈良興福寺一乗院にて、出家・受戒し「覚如房宗昭」と号され、行覚に学ぶ。 弘安10年(1287年)、親鸞の祥月忌の為に上洛した如信(親鸞の孫)より、宗義(法然・親鸞の教え)を学ぶ。(この後も、如信が上洛した際には、宗義を学んだ。) 正応元年(1288年)、上洛した河和田の唯円より宗義を学ぶ。 正応3年(1290年)6月4日、長子存覚(尊覚)生まれる。同年より、父覚惠、浄賀法眼(じょうがほうげん)らと共に、東国(関東)の親鸞の遺跡を巡拝し、遺弟に教えを受ける。 正応5年(1292年)、西山義の安養寺、阿日房彰空から「五部・『大経』・註論・『念仏鏡』など」を学ぶ。一念義の慈光寺、勝縁から幸西の凡頓一乗・略観経義・略料簡・措心偈・持玄鈔を教わる。 清水坂主典辻子の光明寺、自性房了然から三論宗の宗義を聴講する。
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得度
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 08:56 UTC 版)
治承5年(1181年)9歳、叔父である日野範綱に伴われて京都青蓮院に入り、後の天台座主・慈円(慈鎮和尚)のもと得度して「範宴」(はんねん)と称する。 伝説によれば、慈円が得度を翌日に延期しようとしたところ、わずか9歳の範宴が、 「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」 と詠んだという。無常観を非常に文学的に表現した歌である。
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