得度から大谷大学大学院修了迄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 02:50 UTC 版)
「福島慶道」の記事における「得度から大谷大学大学院修了迄」の解説
中学の漢文で習った「一子出家すれば九族天に生ず」という一句を思い起こし、慶道は自分が出家して2人の霊を弔おうと決心する。生家の宗旨は真言宗であったが、宝福寺の熙道に出家に関して相談した。1947年(昭和22年)14歳で熙道について得度。熙道の諱は「元享」といい、その1字を取って「元照」と名づけられた。その後高校を卒業するまでは、宝福寺で熙道老師のもと厳しい小僧生活をした。1952年(昭和27年)には南禅寺派管長の柴山全慶の勧めで、京都にある大谷大学に入学した。1956年(昭和31年)大谷大学仏教学科を卒業し大学院へ進んだ。慶道は修士課程の2年間、臨済録と取り組んだ結論として、臨済録は修行しないと読めないと認識し、その後博士課程も修了した。
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