得宗被官平氏一族の苗字についてとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 得宗被官平氏一族の苗字についての意味・解説 

得宗被官平氏一族の苗字について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:12 UTC 版)

長崎氏」の記事における「得宗被官平氏一族の苗字について」の解説

鎌倉時代は、姓に代わって名字一般化した時代であった。これは、鎌倉幕府草創時に初代将軍源頼朝が、自己の直属家臣である御家人に、支配者たる自己とその近親者と、被支配者たる御家人とを明確に区別するため、また、朝臣ではなく将軍家臣であることを強く認識させるため、姓ではなく苗字名乗るよう要求したためである(姓とは基本的に朝廷から与えられるものであり、苗字将軍から与えられ領地の名称に発することが多い、ということ注意されたい)。この結果例え北条時宗正式な名乗りである「平時宗」を用いるのは、官位を受ける時などの公式の場に限られることとなった。しかし、このことは北条氏被官のような非御家人には求められてはいなかった。鎌倉時代通じて非御家人も姓ではなく例え長崎氏楠木氏といった苗字名乗るようになっていくが、これは徐々に浸透して行ったのであり、苗字由来となる要素領地与えられた、ある土地移住した一族惣領苗字名乗った)がなければ苗字を名乗らなかった(従って姓を名乗り続けた)ことは想像に難くない盛綱長崎氏称したとの説は近世の史料にあるのみであり、同時代の史料にはそのような記述はない。盛綱の孫・頼綱についても同様である。長崎氏長崎郷を領したのも、盛綱・頼綱よりも後の時代であると考えられている。よって、盛綱、頼綱と長崎という苗字とを結びつけるものはない。かといって盛綱、頼綱が長崎とは別の苗字名乗っていたという記録もない。盛綱、頼綱が生前長崎氏称したとがない以上、長崎盛綱長崎頼綱という言い方は、一族の中で彼らよりも後の世代が長崎氏称したことから遡ってつけた呼称ということになり、完全に誤りというわけではないが問題が残る。そこで現在は、盛綱、頼綱は本姓の平から、平盛綱平頼綱表記する場合が多い。これはもちろん、盛綱、頼綱が生きていた時代平盛綱平頼綱呼ばれていたという意味ではない。

※この「得宗被官平氏一族の苗字について」の解説は、「長崎氏」の解説の一部です。
「得宗被官平氏一族の苗字について」を含む「長崎氏」の記事については、「長崎氏」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「得宗被官平氏一族の苗字について」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「得宗被官平氏一族の苗字について」の関連用語

1
12% |||||

得宗被官平氏一族の苗字についてのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



得宗被官平氏一族の苗字についてのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの長崎氏 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS