かい‐せつ【解説】
説明
(解説 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/10/29 08:03 UTC 版)
説明(せつめい、英:explanation,account)とは、事柄の内容や意味を、よくわかるように解き明かすこと[1]。ある事柄について、よくわかるように述べること[2]。
- ^ a b c d e 広辞苑第六版【説明】
- ^ a b c d e f g デジタル大辞泉【説明】
- ^ 注 - 例えば、《記述》のほうは、「夕日は赤い」という文章である。赤い、ということを言っているに過ぎない。理由については述べていない。一方、《説明》のほうは、例えば(あくまで、一例であるが) 「夕日は橙色や赤色だが、それは、夕日のほうは日中に比べて太陽光が人の眼に届くまでに大気層を通過する距離が長く、波長の短い青色光は障害物に衝突する回数が多くなった分、吸収される率が増し、人の眼に到達しにくく、それに対して黄、橙、赤などの長波長光線は長距離を経ても届き、その結果、青色成分が(ばかりが)除かれた光となり、それが人の眼には橙色や赤色に見えるからである。」といったもので、赤(や橙)になっている理由も述べている。
- ^ a b c d e f 比留間太白『よい説明とは何か:認知主義の説明研究から社会的構成主義を経て』 関西大学出版部 2002年、ISBN 4873543487 pp.3-7.
- ^ 『岩波哲学・思想事典』【説明】
- ^ 関連書:ヘンペル著、長坂源一郎訳『科学的説明の諸問題』岩波書店、1973年
- ^ アレックス・ローゼンバーグ 著、東克明/森元良太/渡部鉄兵 訳 『科学哲学―なぜ科学が哲学の問題になるのか』春秋社、2011年、89頁。ISBN 978-4-393-32322-9。
- ^ デジタル大辞泉【記述的科学】[1]
解説(研究開発・技術)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/29 21:05 UTC 版)
「3-2 超音波CT」『テレビジョン学会誌』第35巻第1号、1981年、 31-35頁。中島真人との共著。 「自律移動のロボットにおける知能化技術 (2) ナビゲーションとガイダンス」『日本ロボット学会誌』第5巻第5号、1987年、403-406頁。 「移動体の自律化 ― 経路計画と環境地図の表現法 ―」『計測と制御』第30巻第1号、1991年1月、15-20頁。 「複数の自律移動ロボットの協調行動」『日本ロボット学会誌』第10巻第4号、1992年8月、433-438頁。 「移動ロボットの研究のためのプラットフォーム」『日本ロボット学会誌』第14巻第1号、1996年1月、14-17頁。 「生物型自律システム」『計測と制御』第35巻第4号、1996年4月、268-273頁。 「ロボットのための超音波センシング ― その限界と今後への期待 ―」『日本ロボット学会誌』第20巻第4号、2002年、 389-392頁。 「「知能ロボット用測域センサ」の商品化」『日本ロボット学会誌』第23巻第2号、2005年3月、 181-184頁。大矢晃久、嶋地直広との共著。 「ロボットの建設分野進出 ~ 建設分野でロボット技術を利用するために」 (Report). JACIC (2015-10-20) 2016年5月7日閲覧。 「無人化施工におけるヒューマンインタフェースの作業効率評価『日本ロボット学会誌』第33巻第6号、2015年7月、426-429頁、茂木正晴、藤野健一との共著。
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解説(三段目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:05 UTC 版)
二段目の最後で本蔵は馬で駆け出していったが、その理由がこの三段目で明らかとなる。すなわち機転を利かせて師直に賄賂を贈り、事を収めようとしたのである。この賄賂は功を奏し、若狭助は師直を斬る覚悟をするが師直が平謝りに謝るので拍子抜けし、結局斬ることができなかった。なお本蔵が二段目で若狭之助との話の最後に、若狭之助の刀をいきなりとって庭に降り、松の木の枝を切るが八代目坂東三津五郎によれば、これは松を切ることでそのヤニを刃に付け、それで再び刀を抜こうとしても抜きにくくしたのだという。 「進物場」は現行の文楽と歌舞伎では師直は出ず、伴内の傍らにある駕籠に乗っていることになっている。歌舞伎では伴内が、本蔵が主の師直へ仕返しに来るのだろうと思い、「エヘンバッサリ」などといいながら中間たちと本蔵を討つ稽古をする。それが仕返しではなかったと知れた後のおかしみなど、伴内を演じる役者の腕の見せ所である。 そのあとかほよから師直に宛てた文箱を、腰元のおかるが持ちやってくる。おかるをめぐって早の勘平と伴内とのやり取りがあり、伴内を追い払うと勘平とおかるの逢引となるが、この勘平とおかるの軽率さがのちの六段目の悲劇への伏線となっていき、勘平の「色に耽ったばっかりに」の悲痛な後悔の台詞に繋がってゆく。筋としては重要な場面だが、現行の歌舞伎では上演時間の都合により省略され、ほとんど演じられることがない。このあたりの件りを「どじょうぶみ」というのは、伴内がおかるの前に現われるとき「鰌(どじょう)踏む足付き鷺坂伴内」という浄瑠璃の文句があることによる。また勘平の名について「早野勘平」とすることが多いが、原作の浄瑠璃では「早の勘平」としている。 「館騒動」は通称「喧嘩場」とも言い、この場面がいわゆる「刃傷松の廊下」にあたる。原作の浄瑠璃では若狭之助が奥へ入ったあと、「程も有らさず塩冶判官、御前へ通る長廊下」と塩冶判官が現われ、そこで師直に呼び止められる。「長廊下」というのが史実の「松の廊下」を思わせるが、歌舞伎では「足利館松の間の場」と称し、大きな松が描かれた大広間の大道具となっている。また大筋では変わらぬものの、原作の浄瑠璃とは段取りやせりふが歌舞伎では変わっている。東京(江戸)式でそのおおよその段取りを述べると以下のようである。 「進物場」から舞台が廻り、「松の間の場」になると思い詰めた若狭之助が長裃姿で花道より出てくる。すると上手より師直も伴内を連れて現われる。それを見た若狭助は本舞台へと駆けて行き、刀に手をかけて師直を斬ろうとするが、「これはこれは若狭之助殿、さてさてお早いご登城…」などと言いながら師直は卑屈に謝り、伴内も若狭之助にすがりつき止める。結局気勢をそがれた若狭之助は「馬鹿な侍だ!」と、一言罵倒して引っ込む。そのあと師直は伴内と「馬鹿ほどこわいものはないなァ」「御意にござりまする」などと話し、伴内が引っ込むと塩冶判官がこれも長裃姿で花道より出てくる。それを見た師直、「遅い遅い」と若狭之助に侮辱された憤懣を判官にぶつける。 そこへ折悪しくも、その師直へかほよから求愛を断る文が届く(東京の型では、判官はかほよからの文箱を持たずに出る)。かほよから返信がきたことにいったんは気をよくしたものの、例の「さなきだに」の和歌を見てすっかり機嫌を悪くした師直は、かほよのことを引き合いに出して判官に悪口しはじめる。これにむっとするも塩冶判官は抑える。だが「ハハハハハ…師直殿には御酒召されたか」というと師直は「何だ、酒は飲んでも飲まいでも、勤むるところはきっと勤むる武蔵守。コリャお手前、酒参ったか(飲んだか)」と、以下長ぜりふで判官のことを罵り、最後は「鮒だ鮒だ、鮒侍だ」という。ついに判官が腹に据えかね刀に手をかけるが、師直がそれを見て「殿中だ!」と叫ぶ。殿中での刃傷は家の断絶と、判官は必死にこらえる。それでもなお毒づく師直に耐えかねた判官は、ついに師直へ刃傷におよぶが、下手側に立ててあった衝立の陰から本蔵が飛び出し、判官を抱き止める。師直は上手へと逃げて入り、烏帽子大紋姿の大名たちが大勢出てきて判官を取り囲み止めるところで幕となる。 上方の型では若狭之助が師直を斬るのをあきらめて立ち去ろうとするとき、「昨日鶴岡において拙者への悪口雑言、そのとき斬り捨てんと思えども…」とやや長めのせりふを言い、最後に「馬鹿な侍だ」と言い捨てて引っ込む。十三代目片岡仁左衛門はこれを「大阪式」と称している。また上でも述べたように原作では判官がかほよからの文箱を師直に直接渡すが、東京式では判官の役が安く見えるとして、茶坊主が出てその場に届けることになっている。上方では原作通りに判官が文箱を持ち、花道から出てくる段取りである。 師直が判官を罵るとき、「判官の出仕が遅れたのは、奥方のかほよにへばりついていたからだろう」と言うが、内山美樹子は判官のモデルである浅野内匠頭が女色を好み、昼夜の別なく女と居て戯れていたという『土芥寇讎記』の記事を引き、こうした風聞を踏まえた上で判官をこのように罵らせたのではないかと指摘している。 この段の師直は原作の浄瑠璃の本文にもあるように、本来は烏帽子大紋の姿であったが、歌舞伎では大紋の長袖では判官にからみにくいという理由で、現行のような着付けに長袴だけの姿となっている。ただし若狭助が引っ込んだ後、判官登場までの間に師直が舞台上に出した姿見で茶坊主や伴内たちに手伝わせ、長袴だけの姿から烏帽子大紋に着替えるという演出があった。これは「姿見の師直」と呼ばれ、三代目尾上菊五郎が創作した型だといわれるが、じつは三代目中村歌右衛門が始めたものである。師直が通りかかる大名たちに挨拶を交わしながら烏帽子大紋に着替え、のちに判官にからむくだりで烏帽子と大紋の上を取るというものだが、明治以降は五代目菊五郎と六代目菊五郎、その弟子の二代目尾上松緑が演じたくらいで、今日では全く廃れている。しかし歌舞伎における現行の師直の姿は、この「姿見の師直」の着替える前の姿がもとになっているのである。 「裏門」は「どじょうぶみ」のくだりと同様、現行の歌舞伎ではほとんど上演されることがなく、この「裏門」の代わりとして『道行旅路の花聟』がもっぱら上演されている。
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解説(四段目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:05 UTC 版)
原作の浄瑠璃では最初にかほよ御前が花を誂える「花籠の段」があり、切腹の前のほっと心の安らぐ場面といえるが、歌舞伎では「花献上」とも呼ばれるこの場面は通常省略される。ここに諸士頭の原郷右衛門と家老の斧九太夫が来て、九太夫は師直に賄賂を贈っておけばよかったなどという。この斧九太夫のモデルとなったのは赤穂藩家老の大野九郎兵衛で、判官切腹後の「評定」においても、亡君のあだ討ちより自分も含めた家中の諸士に金を配り、すみやかに屋敷を明け渡そうというなど、後の「忠臣蔵」の物語に見られる大野九郎兵衛のイメージがすでに描かれているといえよう。なお原作の浄瑠璃では、このあと五段目に出てくる九太夫のせがれ斧定九郎も「評定」に同席しているが、現行の舞台では出てこない。また現行の文楽では「評定」はふつう省略される。 この四段目は異名を「通さん場」ともいう。その名の通り、この段のみ上演開始以後は客席への出入りを禁じ、遅刻してきても途中入場は許されない。出方からの弁当なども入れない。塩冶判官切腹という厳粛な場面があるためである。成句「遅かりし由良之助」のもとになった大星由良助はここで初めて登場する。 原作の浄瑠璃では「花籠」からそのまま同じ場面で判官が切腹するように書かれているが、歌舞伎では「花献上」と「判官切腹」とは場面を分け、いったんかほよ以下の人物たちが引っ込むと襖や欄間などを「田楽返し」の手法で変え、「判官切腹」の場になった。またかほよ御前は原作では「花籠」からそのまま上使を出迎え、判官の切腹にも嘆きつつ立ち会う。そして判官が事切れそのなきがらが駕籠に乗せられると、それに付き添って館を出ることになっているが、現行の歌舞伎では上使の石堂と薬師寺が引っ込んだあと、葬礼を表す白無垢の衣類に切髪の姿ではじめて舞台に現われ、由良助に向って「推量してたもいのう」などと嘆きつつ声を掛け、そのあと焼香などあって駕籠に付き添い引っ込むという段取りとなっている。七代目尾上梅幸によれば、古くは塩冶判官役の役者は駕籠に乗せられて引っ込むと、そのまま駕籠を降りずに担がれて自宅に帰ったという。 「城明け渡し」では、原作の浄瑠璃では由良助は家中の侍たちとともに門前を立ち去るが、現行の歌舞伎では由良助は力弥を含めた諸士を説得しその場を去らせた後、一人残って紫の袱紗から主君の切腹した短刀を取りだし、切っ先についた血をなめて復讐を誓う。この場の侍たちは由良助の説得に「でも」と揃って言葉を返そうとするところから、「デモ侍」と俗称される。現行の文楽においては「デモ侍」は登場せず、歌舞伎と同じく由良助ひとりだけで立ち去る。 由良助が門前から立ち去るべく歩み始めると、表門が遠ざかってゆく。実際には表門の大道具を次第に舞台奥へと引いてゆくのであるが、上方の型では1枚の板に門を描いた大道具で、それが上半分が折れてかえすと小さく描かれた門になる「アオリ」を用い、どんどん門が遠ざかってゆく様を表す。もっとも六代目尾上梅幸によれば、表門を奥へと引くようになったのは九代目市川團十郎が由良助を演じた時に始めたことで、それまでは東京(江戸)でも上方式の「アオリ」だったという。 歌舞伎では釣鐘の音、烏の声に見送られ(これは舞台裏で烏笛という笛を吹く)、由良助は花道の七三のあたりで座って門に向かい両手を突くのが柝の頭、そのあと柝無しで幕を引く(上方は柝を打つ)。幕外、懐紙で涙をふき鼻をかみ、力なく立ちあがって、下手から登場した長唄三味線の送り三重によって花道を引っ込む。 この「城明け渡し」の表門には、太い青竹2本を門の扉に筋違いに打ちつけて出入りさせない様を見せることがあるが、これは上方の型と文楽で見られるものであり、東京の舞台ではこの青竹は江戸の昔から用いられない。閉門となった武家の表門には、実際に上記のごとく青竹を打ちつけた。江戸では旗本のほか諸藩の武士も多く集まるところから、それら武士の目に遠慮して「青竹」を見せなかったという。それは、たとえ芝居の上の絵空事であろうとも閉門を意味するこの「青竹」は、大名旗本に仕える武士にとっては目にしたくないものだったからだといわれている。大坂あたりでは町人が中心の都市だったので、これをさして気にもせず舞台で見せていたようである。当時お家(大名家)がお取り潰しになるということは、現代の大企業が倒産するといった以上の衝撃を世間に与えていたのであり、そのお取り潰しとなる様子を脚色して見せたのが『忠臣蔵』だったのである。
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解説(五段目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:05 UTC 版)
ここから、場面は京に程近い街道筋へと変わる。この五段目の舞台となるのは「山崎街道」であるが、山崎街道とは西国街道を京都側から見たときの呼び名であり、西国街道とは山陽道のことである。山崎の周辺は、古くから交通の要衝として知られ、「天下分け目の天王山」で名高い山崎の戦いなど、幾多の合戦の場にもなってきた。この段の舞台は横山峠、すなわち現在の京都府長岡京市友岡二丁目の周辺であり、大山崎町ではない。 ところで、この五段目の定九郎に惨殺される老人とは何者か。後の解説に差し障るので先に解説すると、これはおかるの父与市兵衛である。その与市兵衛が雨の降る暗い中を、五十両という大金を持って道を急いでいるのはなぜか。その仔細は六段目で明らかになる。 五段目とこのあと続く六段目の勘平の型は三代目尾上菊五郎が演じたものを濫觴としており、これを五代目菊五郎が受け継ぎ、さらにその息子の六代目菊五郎が演じて完成させたもので、現行の東京式ではこれ以外の勘平の型はない。五代目尾上菊五郎は九代目市川團十郎とともに「團菊」とならび称された名優である。 「鉄砲渡し」は上方では「濡れ合羽」ともいう。千崎弥五郎は東京の型では蓑を着ているが、上方では合羽を着ているからである。時は旧暦の「六月二十九日」(現在の真夏、7月~8月)の深夜。この日が「六月二十九日」だったというのは、のちの七段目に出てくる。旧暦(太陰太陽暦)の「二十九日」は月の出ない暗闇である。天候は強烈に打ちつける雨が降っている(舞台構成上、これは強調されていない)。幕が開いて最初は勘平が笠で顔を隠し、時の鐘で笠をどけて顔を出す。まっ暗闇の舞台に勘平の白い顔が浮かび上がる優れた演出である。 「二つ玉」のくだりについては、現行の歌舞伎においては上で紹介した原作のあらすじからはかなり違った内容となっている。大きく異なるのは定九郎と与市兵衛にかかわる部分で、東京(江戸)での型、いまひとつは上方に残る型の二つがある。三人の人物が出てくるが、まずは現行の東京式の段取りを紹介すると次のようになる。 「鉄砲渡し」で勘平と千崎が別れて引っ込んだあと、舞台が廻って舞台中央に稲束のかかった稲掛け(稲束で出来た塀のように見える)、その左右に草むら等のある舞台面となる。「又も降り来る雨の足、人の足音とぼとぼと、道の闇路に迷わねど、子ゆえの闇に突く杖も、直ぐなる心、堅親父」という床の浄瑠璃のあと、与市兵衛が花道より出てきてそのまま本舞台に行き、稲掛けの前で休もうと座る。そこでいろいろとせりふがあって、最後に与市兵衛が財布を押し頂くと、後ろの稲掛けより手が伸びて財布を奪う、与市兵衛は驚いて稲掛けの中に入ろうとする。と、与市兵衛が刺されてうめき声を上げ倒れ事切れる。そして稲掛けの中から財布を咥え、抜き身を持った定九郎が現われ、着物の裾で刀の血糊を「忍び三重」という下座音楽に合わせてぬぐい、財布の中身を探って「五十両…」というせりふ。原作と違って定九郎が与市兵衛を追いかけ、声をかけることは無い。 その場を立とうと定九郎は与市兵衛の死骸を草むらに蹴り込み、蛇の目傘を差して花道にかかるが、花道向うから猪が走ってくる様子に定九郎は慌て、本舞台に戻り稲掛けの中に隠れる。花道から猪が出て本舞台へと行き、その中をひとまわりして駆ける。猪は上手に入り消える。定九郎は猪から逃げようと稲掛けの中から後ろ向きに出かかり立ち上がる。その姿は猪のようである(猪のように見せなくてはならない)。と、ぬかるみに片足を取られてよろめく。すると鉄砲の音とともに、定九郎、血を吐きあおむけに倒れこむ。 花道から出てきたのは、今発射したばかりの鉄砲を抱えた勘平。さらに花道で鉄砲を構え、本舞台に向けて撃つ。片手で火のついた火縄の真ん中を持ち、先端をぐるぐると回しながら本舞台へと行き、鉄砲の火を消し獲物に縄をかけるも、どうやら様子が変だ。「コリャ人!」薬はないかと死者の懐を探り財布の金を探し当て、いったんは財布を戻して去ろうとするが再び戻って財布を手にし、「天の助けと押し戴き、猪より先へ逸散に、飛ぶがごとくに」の浄瑠璃通り花道を引っ込む(非常に技巧的に難しい)。 上方歌舞伎の演出はこれとはまた違っている。与市兵衛が現れて稲掛けの前にしゃがみこんだところ、突如二本の手が現れ、与市兵衛の足元をつかむ。定九郎の手である。そのまま引き込んで、与市兵衛を刺し殺す。定九郎は、やはり与市兵衛を殺すまで一言も発しない。また定九郎のなりは山賊そのもののぼろの衣装である。通常この役は端役として大部屋役者に割り当てられる。二代目實川延若は勘平、与市兵衛、定九郎三役早替りの演出を行っていた。この型は三代目實川延若を経て今日では四代目坂田藤十郎に伝わっている。上方歌舞伎らしい見せ場の多いやりかたである。 初代中村仲蔵はこの定九郎の人物設定そのものを変え、二枚目風の役にした。五段目の定九郎はもとはどてら姿のいかにも山賊らしい拵えだったのが、仲蔵は黒羽二重の着付け、月代の伸びた頭に顔も手足も白塗りにして破れ傘を持つという拵えにしたのである。そもそも定九郎は、勘当される前は家老の息子である。この仲蔵がはじめた拵えは大評判となり、以後ほかの役者もこの姿で演じ、定九郎は若手人気役者の役ともなった。また仲蔵自身も、門閥外だったにもかかわらず大きく出世する節目となる役であった。この仲蔵の創案した拵えは「仲蔵型」と呼ばれ、文楽にも逆輸入され演じられている。また、このエピソードは講談や落語においても人情噺、出世話として演じられ、仲蔵の逸話として広く知られた(→中村仲蔵 (落語))。 ただし仲蔵はその扮装を大きく変えはしたものの、実際にはおおむね上で紹介した原作の内容通りに演じたようである。定九郎が現在のように稲掛けから現れるようになったのは、四代目市川團蔵が定九郎と与市兵衛を早替りでやったときの型が伝わったもので、稲掛けの中で与市兵衛から定九郎へと早替りして出た。この早替りでの段取りを、定九郎と与市兵衛を別々の役者で演じても使うようになったのである。また『仮名手本忠臣蔵』を演じた役者たちの評を集めた『古今いろは評林』(天明5年〈1785年〉刊)には仲蔵の定九郎について、「仲蔵二度目あたりより黒羽二重の古き着物に成り、やぶれ傘さして出るなど仕はじめたり」とある。仲蔵がはじめて定九郎を演じたとき、今のような黒地の着物だったかどうか定かではなく、傘も持っていなかったらしいことが伺える。仲蔵は定九郎を生涯に八度演じたが、そのなかで回を重ねるごとに拵えなどを工夫し「仲蔵型」を作り上げたと見られ、それがのちの役者たちに受け継がれている。 この定九郎に九代目團十郎は、さらに多くの演出変更を行なった。その一つが金を数える定九郎の科白である。「五十両、かたじけない」というせりふだったのを、「かたじけない」を取り「五十両…」だけにした。つまり歌舞伎では全編を通して、定九郎の科白が「五十両」たった一つだけになったのである(現行では、四段目に定九郎は出ない)。 ところで従来から問題になっているのが、「二つ玉」についての解釈である。浄瑠璃の本文では「…あはやと見送る定九郎が、背骨をかけてどっさりと、あばらへ抜ける二つ玉」とあり、「玉」とは鉄砲の弾丸のことだが、この「二つ玉」の「二つ」が何を意味するかで解釈が分かれている。東京式では「二つ」とは回数のことだとして勘平は鉄砲を二発撃ち、二発目は花道に出て鉄砲を構え撃つ。上方では、二つ玉の意味を二つ玉の強薬(つよぐすり)、すなわち「火薬が二倍使われている威力の強い玉」と解釈し一発しか撃たず、花道で撃つこともない。『浄瑠璃集』(『新潮日本古典集成』)の注では「二つ玉」について『調積集』を引き、それによれば弾丸と火薬を二発分、銃にこめて撃つことであるとしている。なお十三代目片岡仁左衛門は上方歌舞伎の役者だが、鉄砲を東京式に二発撃っている。「出てきて、一発撃ってきまると、きっぱりする」からだという。 原作では「飛ぶがごとくに急ぎける」と、金を手にした勘平はすぐさまその場を走り去るが、歌舞伎では探り当てた財布をいったん手放して花道へと行き、しかし「あの金があれば…」と考えてまた戻り、金を手にすると花道を駆けて引っ込む。そのまま何の気兼ねも無く金を持っていったのでは、のちの六段目の勘平に同情が集まらないということで工夫された型である。これも三代目菊五郎の工夫と伝わる。
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解説(六段目)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:05 UTC 版)
勘平は前段五段目の時点で、師直への仇討ちの謀議を知っており、その仲間に加わりたがっている。そのためには活動資金が必要であることも知っていた。そこでおかるの父与市兵衛は勘平のために、勘平には内緒で京の遊郭一文字屋に行き、おかるの身を百両で売ることになった。与市兵衛は一文字屋から支払われた前金の半金五十両を手にして、京から自宅への帰途に着く。 この五十両が、そのまま勘平に渡ればなんとも無い話である。ところが与市兵衛は道中盗賊(定九郎)に襲われ、金と命を奪われる。たまたまそのとき、勘平はその付近で猟をしており、定九郎を猪と間違えて偶然に誤射し、これも死んでしまう。勘平は定九郎が大金の入った財布を持っていることに偶然気づき、持ち主を失ったその財布を横領する。かくして、金五十両は勘平に直接渡らず悪党定九郎を経由したことにより、犯罪の金となってしまう。後でそれが大変な悲劇、つまりこの六段目の勘平切腹につながる。与市兵衛の女房はその挙動と財布から勘平が夫を殺したと思い、勘平も夜の闇の中で何者であるか知らないで取った財布だけに、自身が舅与市兵衛を殺したものと思い込み気も動転してしまうのである。誤解が誤解を生む悲劇、その典型といえよう。 切腹し瀕死の勘平が後悔にふける「いかばかりか勘平は色にふけったばっかりに」という科白が有名だが、じつは原作の浄瑠璃にはこのせりふにあたる本文はなく、歌舞伎における入れ事である。またおかるの母(与市兵衛の女房)も原作の浄瑠璃では名は無く、歌舞伎では「おかや」という名が付いている。ほかにも一文字屋についても現行の歌舞伎では出てくることはなく、かわりに一文字屋の女将でお才という女が来ておかるを連れて行く。さらに判人(女衒)の源六という男もこのお才に付き添い出てくる。原作では勘平のもとを訪ねるのは千崎弥五郎と原郷右衛門であるが、郷右衛門を不破数右衛門に替えて演じることが多い。 勘平の切腹はいわゆる手負事である。原作の浄瑠璃では上でも紹介したように、勘平は郷右衛門と弥五郎に問い詰められたすえ切腹するが、歌舞伎では問い詰めたあとに郷右衛門が「かような所に長居は無用、千崎氏、もはや立ち帰りましょう」弥五郎「左様仕ろう」と両人が帰ろうとするのを勘平が必死になって引きとめ、申し開きをして最後に「…金は女房を売った金、撃ちとめたるは」郷右衛門・弥五郎「撃ちとめたるは」勘平「舅どの」のせりふで郷右衛門たちが「ヤヤ、なんと」と驚き叫ぶのをきっかけに腹を切る。 ただしこれは東京式での段取りで、上方では勘平が切腹する段取りはかなり違う。勘平が上の段取りで腹を切り、そのあと与市兵衛の傷を郷右衛門たちが改めたことにより勘平の無実が晴れる。上方では郷右衛門たちが与市兵衛の傷を改めている間、勘平の無実が晴れる寸前に勘平は腹を切る。これは「いすかの嘴の食い違い」という浄瑠璃の言葉どおりに行うという意味である。また勘平の死の演出は、「哀れ」で本釣鐘「はかなき」で喉を切りおかやに抱かれながら手を合わせ落ちいるのが現行の型だが、這って行って平服する型(二代目実川延若)もある。これは武士として最期に礼を尽くす解釈である。また上方は、勘平の衣装は木綿の衣装で、切腹ののち羽織を上にはおる。最後に武士として死ぬという意味である。東京の型では、お才らとのやりとりの間に水浅葱(水色)の紋付に着替える。この時点で武士に戻るという意味であり、明るい色の衣装で切腹するという美しさを強調している。論理的な上方と耽美的な東京(江戸)の芸風の相違点がうかがわれる。なお文楽でも勘平は紋付に着替えるが、それは郷右衛門たちが来てからの事である。 勘平は十五代目市村羽左衛門、初代中村鴈治郎、二代目實川延若、十七代目中村勘三郎がそれぞれ名舞台だったが、抜群なのは六代目尾上菊五郎の型である。菊五郎は絶望の淵に墜ちていく心理描写を卓抜した表現で勤め、現在の基本的な型となっている。おかやは老巧な脇役がつとめることで勘平の悲劇が強調されるのでかなりの難役である。戦前は初代市川延女、戦後は三代目尾上多賀之丞、五代目上村吉彌、二代目中村又五郎が得意としていた。祇園の女将お才は花車役という遊里の女を得意とする役者がつとめる。十三代目片岡我童や九代目澤村宗十郎が艶やかな雰囲気でよかった。お才につきそう判人源六は古くは名脇役四代目尾上松助の持ち役だったが、戦後は三代目尾上鯉三郎が苦み走ったよい感じを出していた。
※この「解説(六段目)」の解説は、「仮名手本忠臣蔵」の解説の一部です。
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解説(七段目)
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大石内蔵助が敵の目を欺くため、京の祇園の遊郭で遊び呆けてみせるというのは「忠臣蔵」の物語ではおなじみの場面だが、そのおおもとになったのがこの七段目である。もっともこの七段目も、初代澤村宗十郎の演じた芝居がもとになっている(後述)。 この七段目は別名「茶屋場」とも呼ばれる。六段目で暗く貧しい田舎家での悲劇を見せた後、一転して華麗な茶屋の場面に転換するその鮮やかさは、優れた作劇法である。浄瑠璃では竹本座での初演時に6人の太夫の掛合いで以ってこの七段目を語っており、現行の文楽でも複数の太夫の掛合いで上演されている。浄瑠璃は「花に遊ばば祇園あたりの色揃え…」の唄に始まり(歌舞伎でもこの唄を下座音楽にして始まる)、綺麗な茶屋の舞台が現れる。 斧九太夫は師直の内通者、いわばスパイとして鷺坂伴内とともに登場する。さらにここに足軽の寺岡平右衛門が矢間、千崎、竹森の三人を連れてくる。これを「三人侍」というが、歌舞伎では同じ塩冶浪士でも、違う人物に替えて出すこともある。茶屋の喧騒の中、これらの敵味方が入り混じって由良助の真意を探ることになる。 仲居と遊ぶ由良助は紫の衣装が映える。心中に抱いた大望を隠し遊興に耽溺する姿は、十三代目片岡仁左衛門が近年随一だった。彼自身祇園の茶屋でよく遊んでいたので、地のままに勤めることができたのである。平右衛門は、十五代目市村羽左衛門、二代目尾上松緑が双璧。おかるは、六代目尾上梅幸が一番といわれている。 前半部の由良助が九太夫と酒を飲む茶屋遊びの件りでは、仲居や幇間たちによる「見たて」が行われる。見たてとは、にぎやかな囃子にのって、小道具や衣装ある物に見たてることである。九太夫の頭を箸でつまみ「梅干とはどうじゃいな」、酒の猪口(ちょこ)を鋸の上に置き「義理チョコとはどうじゃいな」、手ぬぐいと座布団で「暫とはどうじゃいな」といった落ちをつける他愛もない内容だが、長丁場の息抜きとして観客に喜ばれる。いずれも仲居や幇間役の下回り、中堅の役者がつとめる。彼らにとっては幹部に認めてもらう機会であり、腕の見せ所となっている。 幕切れ近く「やれ待て、両人早まるな」の科白で再登場する由良助は鶯色の衣装で、性根が変わっているさまを表す。歌舞伎では幕切れは、平右衛門が九太夫を担ぎ、由良助がおかるを傍に添わせて優しく思いやる心根で、扇を開いたところで幕となる。文楽では平右衛門が、両腕で九太夫を重量上げのように持ち上げるという人形ならではの幕切れを見せる。 この七段目の由良助は、初代澤村宗十郎の演技を手本として取り入れたものと伝わっている。『古今いろは評林』には次のようにある。 「…延享四卯年(1747年)、京都中村粂太郎座本の時、大矢数四十七本と外題して澤村宗十郎〈後に助高屋高助 元祖 訥子〉大岸役にて、六月朔日より初日、出して大入りを取りし也…今の仮名手本七ツ目(七段目)は此の時澤村宗十郎が形と成りて、凡そ其の俤を手本と成り来たれり…」 これは初代宗十郎が『大矢数四十七本』という忠臣蔵物の芝居で、大石内蔵助に当る「大岸宮内」という役を勤めたときの事を記しており、また『古今いろは評林』には由良助を当り役とした役者として、二代目宗十郎と三代目宗十郎の名があげられている。大石に当る役で茶屋遊びをするという初代宗十郎の芸が源流となって浄瑠璃の七段目が成立したが、一方それが二代目宗十郎、三代目宗十郎へと七段目の由良助として伝えられたのである。 なお大星由良助ではない「大岸宮内」の系統は、『仮名手本』上演後も演じられている。寛政6年(1794年)5月、江戸都座において『花菖蒲文禄曽我』(はなあやめぶんろくそが)が上演された。これは亀山の仇討ちを題材としたもので忠臣蔵物とは関わりがないが、このとき三代目宗十郎が演じたのが桃井家の家老「大岸蔵人」で、この大岸がやはり祇園町で遊ぶ場面があったようである。このときの宗十郎扮する大岸蔵人は東洲斎写楽のほか初代歌川豊国、勝川春英などが描いているが、紋所が宗十郎の定紋である「丸にいの字」になっているほかは、いずれも七段目の由良助そのままの姿である。
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解説(八段目)
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加古川本蔵の妻戸無瀬と小波の母娘が嫁入の決意を胸に、二人きりで山科へと東海道を下る様子を見せる所作事である。その浄瑠璃の詞章には東海道の名所が織りこまれ、旅情をさそう。道具(背景)も旅程に合せて次々転換させたり、奴をからませるなどの演出がある。浄瑠璃の文句も東海道の名所旧跡を織り込み、許婚のもとに急ぐ親子の浮き浮きした気分を表す。立女形と若女形が共演する全段中最も明るい場面で、これが九段目の悲劇と好対照をなす。「八段目の道行は、九段目に続ける気持で踊れ」とは六代目中村歌右衛門の言葉である。しかし現行の歌舞伎では三段目の増補である『道行旅路の花聟』ばかりが上演され、この本来の内容である「道行旅路の嫁入」は近年の通し上演が七段目までしか出ないこともあり、ほとんど上演されることがない。 さて江戸では、義太夫狂言の道行は豊後節系の浄瑠璃で演じられるのが例であった。この八段目「道行旅路の嫁入」もその例に漏れず、曲を常磐津や清元にして上演されているが、その内容は『義経千本桜』四段目の「道行初音旅」と同様、原作の内容を増補している。たとえば『日本戯曲全集』に収録される清元所作事の『道行旅路の嫁入』(天保元年〈1830年〉4月、市村座)は、最初に原作どおり戸無瀬と小浪が出て所作があり引っ込むと、そのあとさらにお伊勢参りの喜之助と女商人のおかなというのが出てきて所作事となる。しかも肝心の戸無瀬と小浪は、子役に踊らせるという趣向であった。 ほかには文政5年(1822年)3月、中村座で八段目に常磐津を地にした『旅路の嫁入』が上演されている。このときは戸無瀬と小浪のほかに、それに従う供として関助と可内(べくない)という奴、そして女馬子のお六というのが出てくる。内容は戸無瀬と小浪が関助も交えての所作のあと、関助が悪心を起こし可内から路銀を奪おうとするのを、馬子のお六が可内に味方して立回りとなるといったものである。このときは三代目坂東三津五郎が戸無瀬と可内の二役、小浪とお六が五代目瀬川菊之丞、関助が中村傳九郎であった。この常磐津の曲は『其儘旅路の嫁入』(そのままにたびじのよめいり)と称し今に残っている。
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解説(九段目)
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「忠義にならでは捨てぬ命、子ゆえに捨つる親心」。この言葉は、娘小浪を思う加古川本蔵の親心をよく表しているといえるが、本蔵が命を捨てるのはわが子を思ってのことだけではない。 そもそも本蔵は、由良助たち塩冶浪士から見れば「部外者」である。本蔵にとっても塩冶判官がその身に咎ありとして上意により切腹、お家はお取り潰しになったからには、その家臣大星家との縁組も解消され、それらに関わるべき義理もいわれもない。大名家の家老という重い立場を思えばなおさらである。だが本蔵は、由良助たちも含めた塩冶家のことについて、無碍に切り捨てる事が出来なかった。力弥に槍で突かれた本蔵は由良助に物語る。「思へば貴殿の身の上は、本蔵の身に有るべき筈」と。つまりまかり間違えば若狭之助が師直に斬りつけ、その結果若狭之助が切腹、桃井家はお取り潰しになっていたということである。 ほんらい一触即発だったはずの若狭之助と師直とではなく、師直とは直接問題のなかったはずの塩冶判官が師直へ刃傷に及んでしまったのは、塩冶判官があるじ若狭之助の「身替り」になったようなものだとの思いが本蔵にはあった。また判官を止めたことで、却って判官とその家中にとっては事が裏目に出てしまう。塩冶家の人々に対する同情、そしてうしろめたさ。おおやけには本蔵自身に何の落ち度もないはずであるが、その同情とうしろめたさが本蔵を動かし、由良助に師直邸の図面を渡して婿の力弥にわが身を討たせる。これは主君若狭之助に対する「忠義」からの行動ではない。しかし宮仕えの侍の命は、「忠義にならでは捨てぬ命」である。だからこれは「子ゆえに捨つる親心」、すなわち娘可愛さから縁につながる婿の家に助力し、命を捨てるのだと本蔵は物語るのである。 現行の歌舞伎では上でも述べたように、通しでも七段目までしか出ないことから、八段目も含めて九段目を上演する機会は少なくなっており、上演される場合にはみどり狂言形式の興行において、一幕物の演目として出されることが多い。また現在は全く上演されないが、幕開きに由良助が仲居幇間をつれて大きな雪玉をころがして出てくる「雪転し」という端場がある。雪中の朝帰りという風情のあるもので、のちにこの雪玉が後半部、由良助が本蔵に覚悟のほどを見せる雪製の五輪塔(墓)になるのである。昭和61年(1986年)の国立劇場での通し上演ではこの場が上演されている。 戸無瀬親子が大星宅を訪れる時、下女りんが応対しとんちんかんなやりとりで観客を笑わせる。「寺子屋」の涎くり、「御殿」の豆腐買おむらのように、丸本物の悲劇には道外方が活躍する場面がある。緊張が続く場面で息抜きをするための心憎い演出である。それだけに腕達者な脇役がつとめる。古くは中村吉之丞、近年では加賀屋鶴助が持ち役にしていた。 本蔵と由良助、戸無瀬とお石との火花を散らす芸の応酬が見どころである。本蔵は十一代目片岡仁左衛門、由良助は八代目松本幸四郎、二代目實川延若がよかったといわれている。また、戸無瀬は三代目中村梅玉、お石が中村魁車。芸の上でしのぎを削りあった両優のやりとりは壮絶だった。戦後は六代目中村歌右衛門の戸無瀬、七代目尾上梅幸のお石が素晴らしかった。力弥は十五代目市村羽左衛門が一番だった。 本蔵や由良助をよく勤めた十三代目片岡仁左衛門は九段目がとても気に入っており、「本当の美しさ、劇の美しさは九段目やね。…この舞台に出てくる人間が、まず戸無瀬が緋綸子、小浪は白無垢、お石が前半ねずみで後半が黒。由良助は茶色の着付に黒の上で青竹の袴。…本蔵は渋い茶系の虚無僧姿。力弥は東京のは黄八丈で、上方だと紫の双ツ巴の紋付で出ます。みんなの衣装の取り合わせが、色彩的に言ってもこれほど理に適ったものはないですわな」と、色彩感覚の見事さを評している。 原作の浄瑠璃では由良助が庭に降り立ち、竹をたわめて雨戸を外す仕組みを本蔵に見せることになっているが、歌舞伎では由良助に代って力弥がこれを行うように変えられている。文楽は原作通り由良助である。また文楽では大道具が逆勝手となっている。文楽、歌舞伎の大道具は通常いずれも家の入り口が下手側に設けられるが、この九段目では逆の上手側に設けており、これは人形を遣う上で、力弥が本蔵に向って槍を突くときに逆の勝手にしないと具合が悪いのだという。 なおこの段では実際の赤穂事件を当て込んだ言葉があり、由良助の妻「お石」は実際の「大石内蔵助」を指し、本蔵の「浅き巧みの塩冶殿」は実際の「浅野内匠頭」と赤穂の名産「塩」を利かせている。
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解説(十段目)
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「天河屋義平は男でござる」の名科白で有名なのがこの十段目であるが、歌舞伎では天保以降幕末になるとあまり上演されなくなり、さらに戦前まではまだ上演の機会もあったが、現在ではほとんど上演されることがない。八代目坂東三津五郎は、この十段目が上演されなくなったのは幕末の世情不安から、その上演を憚る向きがあったのではないかと述べている。戦後も二代目市川猿之助、八代目三津五郎、昭和61年(1986年)12月国立劇場の通しで五代目中村富十郎が、平成22年(2010年)1月大阪松竹座の通しで五代目片岡我當が勤めたくらいである。ほとんど上演されないので、型らしい型も残っていない。 この十段目については、「作として低調」「愚作」といわれ評判が悪い。役者のほうでも、義平の心をしかも子供を枷にしてわざわざ試し、そのあと長持の中から出てくる由良助が、これでは演じていて気分が悪いと散々である。ゆえに由良助ではなく不破数右衛門をその代りとして出したこともあった。しかし寛延2年6月に中村座で上演されたときには二代目市川團十郎が義平を勤めており、しかも團十郎はこのとき義平の役ひとつだけであった。また『古今いろは評林』においても義平について、「立者の勤めし役也…海老蔵(二代目團十郎)仕内は各別なり」と記し、後半の女房の園とのやりとりをひとつの見せ場としていたことが伺える。 斧九太夫は師直に繋がる人物であり、その九太夫の掛り付けの医者だったのが義平の舅大田了竹である。九太夫は七段目の時点で死んだと見られるが、了竹はいまだ師直と繋がっている可能性があった。そこで義平は自分の女房の園から討入りの秘密が漏れぬよう、いったん自分のそばから園を遠ざけていたのである。そして案の定、離縁状を書いて渡したとき了竹は次のようにいう。 「聞けばこの間より浪人共が入り込みひそめくより、園めに問へど知らぬとぬかす。何仕出かそうも知れぬ婿、娘を添はして置くが気遣ひ。幸いさる歴々から貰ひかけられ、去り状(離縁状)取ると直ぐに嫁入りさする相談…」 要するに了竹は、義平が師直を仇と狙う塩冶浪士に加担しているのではと疑っていた。これでは園を呼び戻すことも出来ない。園がひそかに店の表に来て離縁状を持ってきたときも、義平は筋が通らぬといってそれを突き返したが、それだけではなく了竹本人のことが枷となっていたのである。しかし義平と園のあいだにはよし松という幼い子もあり、よし松のことを気遣い嘆く園を不憫であると義平も本心では思っていた。だがそうかといって今、中に入れるわけには…と、この女房とわが子をめぐる葛藤が、義平を演じる役者にとっては古くは見せ場のひとつになっていたということである。しかし初演からはるか後になるとこうした見どころも、人々の目から見れば飽き足らないものとなってしまったようである。なお「忠臣蔵」という言葉はこの段の最後に、「…末世に天(あま)を山といふ、由良助が孫呉の術、忠臣蔵ともいひはやす」と出ている。
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解説(十一段目)
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すでに述べたように、『仮名手本忠臣蔵』は全十一段の構成となっているが、これを内容の上で通常の五段続の義太夫浄瑠璃に当てはめるとすれば、次のようになる。 【大序、二段目、三段目】…初段 【四段目】…二段目 【五段目、六段目】…三段目 【七段目、八段目、九段目】…四段目 【十段目、十一段目】…五段目 五段続の浄瑠璃では五段目は物語の大団円を描くものだが、それはほんの申し訳程度の場面を付け加えたものであることが多い。ゆえに義太夫浄瑠璃の五段目はその多くが早くに廃滅し演じられなくなった。またこれは歌舞伎でも同様で、三段目の切または四段目の切まで演じてそれを「大詰」とするのが常であった。しかしこの五段目に当たる『仮名手本忠臣蔵』の十一段目は、「討入り」の場面として現在に至るも演じられている。それは後に述べるように、原作通りではない改変された内容になってはいるものの、浄瑠璃や歌舞伎の芝居の中ではこれも冒頭の「大序」と同じく、稀な例といえる。 原作の十一段目の内容は近松の『碁盤太平記』の討入りの段によるところが大きい。冒頭の「柔能く剛を制し弱能く強を制するとは、張良に石公が伝えし秘法なり」というのも、この『碁盤太平記』から取ったもので、これをはじめとして浄瑠璃の詞章にかなりの部分を借りている。最初に由良助たちが船に乗って稲村ヶ崎を過ぎ岸に上がり、師直の館に討入って以降のくだりもおおむね同じといえる。しかし『仮名手本忠臣蔵』ではこの最後の場面で早の勘平を「財布」という形で登場させ、また討入りした浪士の人数を「四十六人」としており、じつはこの勘平も加えて「四十七人」としている。 この段は、現行の歌舞伎では原作の浄瑠璃からは完全に離れた内容となる。極端にいえば、上演ごとに異なった台本や演出となるので内容が一定しない。しかし由良助たちが師直の館に討入り、師直側と大立回りのすえ最後は炭小屋に隠れていた師直を討ち取るという筋書きは変わらない。その一例として以下を掲げる。 (高家門前の場)由良助、力弥ら浪士たちは師直館の門前に居並び、館の中へと討入ろうとする。 (高家討入りの場)浪士たちと師直の家来たちとのあいだで大立回りが演じられる。清水一角などが雪の降るなか浪士たちと応戦。最後には浪士たちは炭小屋に隠れていた師直を見つけ引き出す。由良助は判官の形見の腹切り刀を差し出し自害するよう師直に勧めるが、師直はその刀で由良助に突きかかってくる。由良助は師直から刀をもぎ取り刺し殺す。そしてその首を討ち、由良助たちはついに本懐を遂げ勝どきをあげる(現行では、ここで終演となる事が多い)。 (花水橋引き揚げの場)一同は師直の館を引き揚げ、判官の墓所のある光明寺(泉岳寺)へと向う。その途中、花水橋(両国橋に相当)で騎馬の桃井若狭之助(または服部逸郎)と出会い、若狭之助は一同の労をねぎらう。由良助たちは若狭之助と別れ、花道を通って引っ込み幕。 「引き揚げの場」は嘉永2年9月、江戸中村座で初めて上演された。
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解説(ライブ・ビデオ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/14 08:14 UTC 版)
アルバム『LØVE』を携えた全国ツアーより、5月28日に行われた東京国際フォーラム ホール A公演の模様を収録している。
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解説(教育・競技ほか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/29 21:05 UTC 版)
「自立ロボットによる迷路通過競技会 ― '85マイクロマウス世界大会」『日本ロボット学会誌』第3巻第4号、1985年、395-396頁。 「マイクロマウス」『日本ロボット学会誌』第4巻第6号、1986年、657-658頁。 「ホビーロボットとマイクロマウス」『日本ロボット学会誌』第8巻第3号、1990年6月、 320-323頁。 「ロボットを通した工学教育」『日本ロボット学会誌』第16巻第4号、1998年5月、 431-435頁。 「法人化の意義と筑波大学の現状 ― 産学連携推進の立場から (PDF) 」 『筑波フォーラム』第76号、 61-64頁。 「つくばチャレンジのねらいと成果」『計測と制御』第49巻第9号、2010年9月、 572-578頁。水川真、橋本秀紀との共著 「たき火の楽しみ」『日本ロボット学会誌』第29巻第6号、2011年7月、 520-521頁。 「大学の研究活動が企業に役立つ方法 ― 大学の研究室と企業のつきあい方 ―」『日本ロボット学会誌』第33巻第4号、2015年5月、 210-214頁。
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解説(MISIAのSingle)
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「Sea of Dreams 〜Tokyo DisneySea 5th Anniversary Theme Song〜」の記事における「解説(MISIAのSingle)」の解説
その名の通り、東京ディズニーシーとのコラボレーション作品である。2006年7月14日から2007年5月31日まで開催された『東京ディズニーシー5thアニバーサリー』のテーマソングになっている。アレンジされているものやインストゥルメンタルがほとんどであるが、開催中期間は東京ディズニーシーのいたるところでBGMとして流れていた。 MISIAは東京ディズニーリゾートが大好きで、よく東京ディズニーシーにも足を運んでいた。そのことを聞いた東京ディズニーリゾート側がオファー、「夢と感動を与えたい」という両者の思いが一致し製作に着手した。 2週間連続シングル第2弾。 作曲は、アメリカ合衆国のディズニーランドやユニバーサルスタジオの音楽を手がけたテーマパーク音楽の第一人者、ジョン・カヴァーノ。カヴァーノの楽曲にMISIAが実際に東京ディズニーシーに足を運び、わかりやすい言葉で、イメージを膨らませて詞を書いた。 ジャケットには、MISIAとミッキーマウスが一緒に写っており、裏面にはメディテレーニアンハーバーにあるガリオン船に乗っているドナルドダックとデイジーダックが写っている。ミッキーマウス、ドナルドダック、デイジーダックはいずれも東京ディズニーシー5周年の衣装を着ている。 また、CDと一緒にポストカードも封入されており、全9種の中からアトランダムに3枚封入される。ポストカードはいずれも東京ディズニーシー内で撮影されたものでMISIAが写っている。 2006年から2014年にかけ公演された東京ディズニーシーの2代目レギュラーデイタイム・ハーバーショー『レジェンド・オブ・ミシカ』のエンディング・テーマでもあり、MISIAの歌うオリジナル版でフルコーラス流れていた。『東京ディズニーリゾート25thアニバーサリー』、『東京ディズニーシー10thアニバーサリー』、『東京ディズニーリゾート30thアニバーサリー』のアニバーサリー期間はアニバーサリーテーマソングが流れていた。
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解説(ドラマ)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 05:41 UTC 版)
「Sea of Dreams 〜Tokyo DisneySea 5th Anniversary Theme Song〜」の記事における「解説(ドラマ)」の解説
本曲をテーマ曲にして、東京ディズニーシー5周年を記念したオムニバスドラマが製作された。5つのショートストーリーからなり、それぞれのストーリーが登場人物を通してリンクしている。CS放送の旅チャンネルで放送もされた。東京ディズニーシーのショップ「エンポーリオ」と、東京ディズニーリゾート内のディズニーショップ「ボン・ボヤージュ」限定でDVDが販売された。
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解説(SEED)
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「Believe (玉置成実の曲)」の記事における「解説(SEED)」の解説
オリジナル・シングルのボーカル・テイクをそのままに、リプロダクション(リアレンジメント&リテイク)された2曲と、新曲「Final Memory」を収録したスペシャルエディション盤である。キャッチコピーは“もうひとつの「Believe」!!”。 カップリング曲「Final Memory」は「Believe」と同時に同テーマで制作・レコーディングされた。『機動戦士ガンダムSEED』オープニングテーマ候補曲であり、最後まで番組制作チームにどちらでオープニングを飾るか迷わせた。結果的にはリプロダクション・シングルの単なるカップリング曲に留まったが、パッケージにはリプロダクション・トラック「Final Memory -happy hardcore mix-」まで収録されている。 完全初回限定パッケージと通常盤の2形態でリリースされた。 【完全初回限定パッケージ特典】暗闇で光る!特製フラッシュジャケット(ガンダムの線画の部分が暗闇で光る) 〈フリーダムガンダム〉スーパーピクチャーCDレーベル 玉置成実×ガンダムSEEDオリジナルカレンダー封入
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解説(まだ)
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「スイミー」が主題歌に採用されたテレビドラマ『結婚できない男』の13年ぶりの続編となる『まだ結婚できない男』の制作にあたり、「『結婚できない男』といえば“スイミー”」と主演の阿部寛からの主題歌続投の熱望を受けて制作スタッフが持田へソロとしてのセルフカバーをオファー。主人公の時間経過やドラマの放送時期が秋口であることなどを反映しつつ歌詞の一部を書き換え、クラムボンのミトによる明るくキラキラしたサウンドアレンジによって仕上げられている。 なお、配信開始日は『まだ結婚できない男』の初回放送日である。
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解説(映像作品)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 04:11 UTC 版)
「Rescue me/Smile Again」の記事における「解説(映像作品)」の解説
初のシングルビデオ。 VHSのみの発売。本作はEvery Little Thingの映像作品で唯一DVD化されていない。 PVではモーフィングが多用されており、持田香織の髪型や衣装が変化していく。
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解説(単著)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 08:33 UTC 版)
「パーソナルロボットの現状と技術課題」『電気学会雑誌』第113巻第6号、1993年、 455-460頁。 「家庭用ロボットの作業移動」『日本ロボット学会誌』第13巻第7号、1995年、 937-938頁。 「ロボット教育・研究の現状と課題」『日本ロボット学会誌』第14巻第3号、1996年、 322-325頁。 「ロボットと人間の心のインタフェース」『バイオメカニズム学会誌』第21巻第1号、1997年、 21-25頁。 「バイメカとロボットの30年」『バイオメカニズム学会誌』第24巻第1号、2000年、 32-33頁。 「RTビジネスの戦略」『日本ロボット学会誌』第24巻第3号、2006年、 278-283頁。 「QOLにおけるロボティクス技術」『映像情報メディア学会誌』第61巻第8号、2007年、 1092-1095頁。 「実用になる人間共存ロボットの試作」『日本ロボット学会誌』第26巻第8号、2008年、 860-863頁。 「欧文誌(Advanced Robotics)発行の歴史」『日本ロボット学会誌』第30巻第10号、2012年、 959-961頁。
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解説(共著)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/13 08:33 UTC 版)
藤本英雄、菅野重樹「CIM/ROBOTの発展」『日本ロボット学会誌』第10巻第3号、1992年、 310-314頁。 菅野重樹、尾形哲也「“情”が作る 真のコミュニケーション」『日経サイエンス』2004年1月。 菅野重樹、尾形哲也「ロボットによるコミュニケーションの探究 ―情緒交流ロボットWAMOEBA―」『日本ロボット学会誌』第24巻第6号、2006年、 688-691頁。 菅野重樹、菅岩泰亮、岩田浩康「人間共存ロボットにおける生活支援のためのビジョン技術」『日本ロボット学会誌』第27巻第6号、2009年、 596-599頁。 菅野重樹、岩田浩康、菅岩泰亮「人間共存ロボットTWENDY-ONEによるコンプライアントマニピュレーション」『日本ロボット学会誌』第31巻第4号、2013年、 347-352頁。
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解説(みんなの)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:23 UTC 版)
「春よ、来い (松任谷由実の曲)」の記事における「解説(みんなの)」の解説
松任谷としては初の配信限定シングルとなり、本作は2011年3月11日に発生した東日本大震災を受けてのチャリティー企画としてユーミン×SONGS「(みんなの) 春よ、来い」プロジェクトで制作され、プロジェクトの第1弾として配信されたものであり、「春よ、来い」を新たにアレンジを加えた上でボーカル等も新録音されており、日本を含め、全世界23か国にて同時配信がなされ、本作の収益は「NHK」を通じて「中央共同募金会」に託され、震災で被災した人々へ全額寄付されていくのだと言う。
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解説(2011年秋編)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:23 UTC 版)
「春よ、来い (松任谷由実の曲)」の記事における「解説(2011年秋編)」の解説
本作は東日本大震災の発生を受けて立ち上がったチャリティー企画の第2弾シングルであり、松任谷が仙台にて7か月間にも及ぶロングランツアーのフィナーレを迎えた会場でファン2000人と共に合唱した「春よ、来い」を合唱したが、その合唱シーンの音源を「(みんなの) 春よ、来い」に追加した上で再配信されたもの。
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解説(2012)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 22:23 UTC 版)
「春よ、来い (松任谷由実の曲)」の記事における「解説(2012)」の解説
NHKの音楽番組『SONGS』とのコラボレーション・プロジェクトとして、前年より行われている東日本大震災チャリティー企画「(みんなの)春よ、来い」の第3弾として配信されたもの。 本作は、第1弾と第2弾に収録されていた合唱音源を合わせて、延べ1万人を越える大合唱を新たに追加録音して制作が成されている。 また、配信されるのは日本だけに留まらず、オーストラリア、オーストリア、ベルギー、カナダ、デンマーク、フィンランド、フランス、イタリア、ドイツ、アイルランド、ノルウェー、ニュージーランド、スペイン、ギリシャ、ルクセンブルク、メキシコ、オランダ、ポルトガル、スウェーデン、スイス、イギリス、アメリカ等の国々にて配信がなされた。 また、第1弾と第2弾同様、収益は東日本大震災の被災者に向けてNHKを通して「中央共同募金会」に託す形で全額寄付がなされる。
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解説(DESIRE)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 06:46 UTC 版)
「DESIRE/BABY!BABY!BABY!」の記事における「解説(DESIRE)」の解説
「DESIRE」は、サマー・ソングに分類され、また4つ打ちのビートを用いたダンス・ミュージックの楽曲構成である[要出典]。歌詞は「夏の恋」をテーマに描かれ、季節の情景描写とそこから高まる感情というその2つのリンクに重点を置いて書かれている[要出典]。「DESIRE」は音楽評論家から肯定的評価を得ており、評論家は加藤のボーカル・パフォーマンスや歌詞について言及した[要出典]。楽曲は日本のフィジカル、ダウンロード両チャートにてチャート入りしており、前者では最高位13位、後者では26位を記録している[要出典]。
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解説(JUJU盤)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 04:57 UTC 版)
「Hello, Again 〜昔からある場所〜」の記事における「解説(JUJU盤)」の解説
カバーアルバム『Request』からの先行シングルとして2010年7月28日にリリースされた。ソニー社デジカメ「α NEXシリーズ」のコマーシャルソングとして起用された。2010年6月29日付のRIAJ有料音楽配信チャートにて最高位1位を記録している。 当初は、着うたのみの配信に留める予定となっていたが、CMの放送から着うたがヒットを記録したことと、問い合わせが殺到し「CD化して欲しい」という要望を受けたことで、急遽シングルとして発売することが決定したのだという。また、CDに用いられているジャケットは、JUJU本人が実際にタイアップ先の一眼カメラである「α NEX」を使用して撮影したものが使われている。 音楽配信での累計売上は120万ダウンロードを超えた。
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解説(教育・研究)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:52 UTC 版)
岡野光夫、大和雅之「再生医工学のためのバイオマテリアル - 細胞シート工学の創成 -」『学術月報』第52巻第12号、1999年12月、 9-13頁。 原口裕次、清水達也、大和雅之、菊池明彦、岡野光夫「細胞シート工学を用いた組織再構築および再生医療への応用」『日本再生歯科医学会誌』第2号、2004年12月30日、 83-92頁。 「分厚い組織の再生のための細胞シート工学」『人工臓器』第36巻第1号、2007年6月15日、 104-107頁。 大和雅之、岡野光夫「皮膚再生医療の現状と課題(特集:化粧品科学と美容医療の接点を探る)」『フレグランスジャーナル』第35巻第8号、2007年8月、 49-54頁。 「がんとナノテクノロジー」『日本癌治療学会誌』第42巻第3号、2007年9月20日、 1127-1131頁。 「再生医療研究の現状と展望 (特集=万能細胞--人は再生できるか)」『現代思想』第36巻第8号、2008年7月、 108-120頁。 「いまこそ天然の細胞外マトリクスに学ぼう」『バイオマテリアル-生体材料- Journal of Japanese Society for Biomaterials』第26巻第6号、2008年11月18日、 409-410頁。 「(TWInsの現状<特集II>)G-COEの活動報告と計画 グローバルCOEプログラム「再生医療本格化のための集学的教育研究拠点」」『未来医学』第25巻、2010年12月20日、 62-67頁。 秋山義勝、大和雅之、岡野光夫「第74回東京女子医科大学学会総会 (シンポジウム 東京女子医科大学・早稲田大学連携先端生命医科学研究教育施設について)(1)細胞シート工学による再生医療」『東京女子医科大学雑誌』第79巻第3号、東京女子医科大学学会、 エラー: 月日を month や day に分けずに date にまとめて記入してください。、 84-89頁、 ISSN 00409022、 NAID 110007090072。 「技術&頭脳流出が日本を滅ぼす 革命的な再生医療「細胞シート」 日本を諦めフランスで治験開始」『SPA!』2013年2月19日、 24-25頁。
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解説(研究関係)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 19:42 UTC 版)
大武美保子「ゲルアクチュエータ」『日本ロボット学会誌』第21巻第7号、2003年、 713-716頁。 大武美保子「スマートゲル」『日本ロボット学会誌』第24巻第4号、2006年、 460-465頁。 加藤元一郎、大武美保子、新井航平、前田貴記、池本有助、川端邦明、高木利久、淺間一「他者の視線・意図理解および行為における意志作用感の神経機構に関する検討-社会的認知が可能なロボットの設計をめざして」『計測と制御』第46巻第12号、2007年、 940-944頁。 大武美保子「アプローチの方法 コミュニケーション障害に対する方法「共想法」」『地域リハビリテーション』第5巻第12号、2010年12月、 1049-1052頁。 大武美保子「やわらかい機械と機会を創る-ゲルロボットから認知活動支援へ-」『日本機械学会誌』第115巻第1122号、2012年5月、 327-330頁。 大武美保子「この本!~おすすめします~ 本を通して人に会い学問を創る 老年言語学,回想法,そして共想法」『情報管理』第58巻第4号、2015年、 322-325頁。
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解説(交流関係)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 19:42 UTC 版)
大武美保子、本間敬子、横井浩史、淺間一、新井民夫「Women in Robotics towards Human Science, Technology and Society at IAS-9」『日本ロボット学会誌』第24巻第5号、2006年、 564-569頁。 青井伸也、石井裕之、川原知洋、高橋正樹、成川輝真、山田浩也、栗田雄一、菅原雄介、大武美保子「僕達・私達と21世紀COE」『日本ロボット学会誌』第25巻第3号、2007年、 374-379頁。 大武美保子、佐藤知正、武市正人「神経系の双方向マルチスケールシミュレーションと100時間ワークショップ」『日本ロボット学会誌』第25巻第3号、2007年、 330-333頁。 菅原雄介、清水正宏、瀬戸文美、大武美保子、中岡慎一郎「第25回ロボット学会学術講演会一般公開セッション「ロボティクス若手ネットワーク・オープンセミナー『君と共に, ロボティクスが拓く未来』」報告」『日本ロボット学会誌』第26巻第1号、2008年、 38頁。
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解説(薬師丸ひろ子版)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 08:23 UTC 版)
「時代 (中島みゆきの曲)」の記事における「解説(薬師丸ひろ子版)」の解説
映画『ダウンタウン・ヒーローズ』のイメージ・ソングに起用されたほか、CX系列『なるほど!ザ・ワールド』のエンディング・テーマとしても使用された。 この「時代」も収録されたアルバム『Sincerely Yours』(1988年4月6日)には、中島からオリジナル楽曲「おとぎばなし」の提供も受けている。ほか、前年発売のアルバム『星紀行』(1987年7月6日)には「空港日誌」「未完成」を収録している。これら提供曲のうち、「空港日誌」「未完成」「おとぎばなし」は、後に中島がセルフカバーをしている。「空港日誌」はシングル「涙 -Made in tears-」のカップリング曲として1988年10月21日に発売(1994年4月21日には『Singles II』でアルバム収録)、「未完成」は『回帰熱』(1989年11月15日)、「おとぎばなし」は『おとぎばなし-Fairy Ring-』(2002年10月23日)にそれぞれ収録された。 「花のささやき」は、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番の第2楽章の旋律に詞を付けた曲である。アルバム『花図鑑』(1986年)にも収録されている。 オリコンチャートの登場週数は14週、チャート最高順位は週間9位、累計8.9万枚のセールスを記録した。
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解説(Geminiart High Quality版)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 08:23 UTC 版)
「時代 (中島みゆきの曲)」の記事における「解説(Geminiart High Quality版)」の解説
当時、現役音大生だったKanaとTaguによる2人組のヴァイオリン&ボーカルユニット・Geminiart High Quality(ジェミニアート・ハイ・クオリティ)の唯一のシングルとしてリリースされた。 表題曲は、テレビ東京系で放送された深夜アニメ『コスモウォーリアー零』のオープニングテーマに使用された。
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解説(德永英明版)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 08:23 UTC 版)
「時代 (中島みゆきの曲)」の記事における「解説(德永英明版)」の解説
初のカバー・アルバム『VOCALIST』先行シングル。 德永が出演した映画『旅の贈りもの 0:00発』の挿入歌。 カップリングは山口百恵「秋桜」、荒井由実「卒業写真」のカバー。
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解説(一青窈版)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 08:23 UTC 版)
「時代 (中島みゆきの曲)」の記事における「解説(一青窈版)」の解説
シングルとしては2010年の『冬めく/花のあと』より約1年9か月振りとなり、一青としては初の配信限定シングルとなる。また、本作はデビュー10周年を迎えたことにあたり、10か月連続配信企画の第1弾となる楽曲にもなっている。 一青は本作に関して「この曲はレコーディングの際、イントロ部分のストリングスパートの辺りは訪れた情景を思い出しつつ、出会った子供達の笑顔と、涙を流してくれた親御さん達を思い浮かべながら歌わせて頂きました。この曲は「時間が解決してくれる」と言う慰めだけに留まらず、もっともっと根幹を成す自力で立ち上がろうと言うそもそもの人間の持つ本来ある底力に強い信頼を寄せた力強さのある楽曲だと思っています。中島みゆきさんがこの曲を作った当初に描き出した風景とは形は異なるかもしれませんが、私なりに解釈した気持ちと風景を込めて大切に歌い継いで行きたいと思う曲ですね。」と語っている。
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解説(feat.mabanua)
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「PIECES OF A DREAM」の記事における「解説(feat.mabanua)」の解説
本作はCHEMISTRYデビュー20周年を記念し、2021年10月27日より初期発表代表曲のリアレンジ音源連続配信リリース企画の第1弾。 本作のリメイク担当は、星野源、Official髭男dism、あいみょん等、数多の楽曲を手掛けたorigami PRODUCTIONSのメンバーそれぞれ5曲のリアレンジを担当。本作を筆頭に2001年から2002年に掛け発表された初期楽曲を2020年代のスタイルに合わせたサウンドに再構築、堂珍嘉邦と川畑要の二人も今のスタイルを表現するために、ボーカルを新録音して制作。 本作のサウンドプロデュースは、プロデューサーであり、ドラマーのmabanuaが担当。配信のジャケットはオリジナルのシングル・ジャケットをイラストで再現されたものになっており、イラストレーターの朝野ペコが手掛けている。 また本作に合わせ新たにミュージック・ビデオが撮影・公開され、サウンドプロデュース担当のmabanuaも同作品に出演。デビュー当時を含む数々のライブ映像がインサートされた20年に及ぶ活動の歴史を振り返るような構成として制作された。
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解説(feat.Shingo Suzuki)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 05:39 UTC 版)
「You Go Your Way」の記事における「解説(feat.Shingo Suzuki)」の解説
本作はCHEMISTRYがデビュー20周年を記念し、2021年10月27日より初期発表の代表曲にリアレンジを施したものを連続配信リリースを行う企画の第3弾としてリリースされた。
※この「解説(feat.Shingo Suzuki)」の解説は、「You Go Your Way」の解説の一部です。
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解説(BABY!BABY!BABY!)
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「DESIRE/BABY!BABY!BABY!」の記事における「解説(BABY!BABY!BABY!)」の解説
「BABY!BABY!BABY!」は、エレクトロやダンス・ミュージックの要素を持つ楽曲であり、またザ・ブルーハーツの「リンダリンダ」がサンプリングされている[要出典]。加藤はサンプリングの使用許可を得るためにドラムンベースでアレンジをした楽曲のデモ音源を制作[要出典]。その音源を元にブルーハーツ側に申請、許諾を得た。歌詞は「リンダリンダ」の世界観を踏襲しており、加藤は"私は私"というメッセージ性とともに"人生は死ぬまで自分を探す旅"という楽曲に与えたテーマを前向きに歌っている[要出典]。 同楽曲は音楽評論家に受け入れられ、批評家の一人は楽曲の音楽性を近代的と評価した[要出典]。この楽曲は日本のフィジカル、ダウンロードチャート双方でトップ20ヒットを記録している[要出典]。フィジカルでは、日本のオリコンシングルチャートでは最高位13位を記録[要出典]。一方、デジタルではRIAJ有料音楽配信チャートにて最高位10位を記録した[要出典]。付随する楽曲のミュージック・ビデオではmoochoが監督を務め、加藤は楽曲の歌詞にある"羽"並びに"FLY"とリンクした羽を身につけている[要出典]。 「BABY!BABY!BABY!」はロックの影響を受けた、エレクトロやダンス・ミュージックの要素を持つ楽曲である。楽曲は加藤とVERBAL主宰のプロデューサー集団KOZMのMajor Dudeによって制作されている。楽曲の構成時間は3分と43秒となっている。この楽曲はザ・ブルーハーツの「リンダリンダ」がサンプリングされており、ドラムンベースでアレンジされている。歌詞は「リンダリンダ」の世界観を踏襲して書かれていった。 加藤は歌詞のインスピレーションである「リンダリンダ」と「BABY!BABY!BABY!」の関連性について、エキサイト・ミュージックに対し次のように語っている: 『「リンダリンダ」ってすごく楽しい曲というか明るい印象があるけど、明るい中に何か深いメッセージが込められているっていうことを思うと、この曲もそういう方向性にしたいなって思ったんです。要は自分をずっと探しているっていうか。人生っていうものは、一生、死ぬまで自分を探す旅なんじゃないかっていうことをポジティブに歌っている曲なんです。』 エキサイト・ミュージックは、この楽曲の歌詞を"自分の向上心着火ソング"と呼んでいる。また、同サイトは両A面シングルの片割れ「DESIRE」とこの楽曲には、共通して"FLY"という単語が出てきている点を指摘している。加藤によれば、"羽根があれば飛べるのに/僕はただの僕だ"の部分は「何かに憧れたりしても、結局は私は私。」という意味が込められているという。
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解説(鈴木雅之)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/15 03:36 UTC 版)
「愛し君へ (森山直太朗の曲)」の記事における「解説(鈴木雅之)」の解説
ソロ・デビュー25周年を記念してリリースされたカヴァー・シングル。本作は、ラヴ・ソングという鈴木雅之にとっての永遠のテーマ、日本語で歌うヴォーカリストであることのストーリーとそこにあるプライド、そして2011年 (2011)という時代への思いがコラボレーションした、“25年目の鈴木雅之”が込められた作品となった。 カップリングにはナット・キング・コール「L-O-V-E」の日本語カヴァー(日本語詞は漣健児)と、25年前のデビュー曲であり、鈴木の代表曲のセルフ・カヴァー「ガラス越しに消えた夏 〜25th Anniversary Ver.」を収録。 初回限定仕様盤はシャイニージャケット仕様となっており、『DISCOVER JAPAN』とのW購入者特典としてスペシャルグッズがもらえる応募券を封入。
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解説(ナレーション)
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「青少年のための管弦楽入門」の記事における「解説(ナレーション)」の解説
演奏は指揮者自身あるいは解説者(ナレーター)による解説付きで行われる。この解説の文章は、ブリテンの友人であったエリック・クロージャー(Eric Crozier)によって書かれている。クロージャーは本作の初演(1946年10月15日)でも解説者を務めている。ブリテンは解説ありと解説なしのどちらでも演奏できるように書いており、解説なしで演奏されることも多い。 日本語版では栗原小巻、小澤征爾、三枝成彰らがナレーションを担当した録音がある。多くは海外録音の演奏に日本でナレーションを加えているため、同じ演奏でもLPとCDでナレーターが替わっている場合もある。
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解説(宝塚)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 14:43 UTC 版)
「レッド・ホット・ラブ」の記事における「解説(宝塚)」の解説
※宝塚100年史(舞台編)の宝塚大劇場公演参考。 "レッド・ホット"は、英語で「激しい」や「熱烈な」という意味で、そんな恋というようなイメージのタイトル。アメリカ的でポップな明るさに溢れた、エキサイティングなショー作品。
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解説 (FILM LOTUS)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 07:26 UTC 版)
「FILM LOTUS」の記事における「解説 (FILM LOTUS)」の解説
1stシングル「STARS」から3rdシングル「ONE SURVIVE」までのミュージック・ビデオとメイキング映像等が収録されている。また特典としてクレジット、デビュー前の貴重なプライベート映像、ドラマ『傷だらけのラブソング』でのオーディションやドキュメンタリー映像、撮影メイキング映像も収録。 ジャケット・アートワークは、3rdシングル撮影の時のものが起用されている。 初回限定のみスリーブ・ケース仕様。
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解説(アニメ・1989年版)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:07 UTC 版)
「魔法使いサリー」の記事における「解説(アニメ・1989年版)」の解説
制作・放送は1989年(平成元年)であり、前作の放送から20年以上経っていたが、前作の最終回を踏襲し続編として制作された。ただし、ポロンが魔女に育てられた人間の子供ではなく、元々魔法の国の出身(魔女ヘルメスの娘)であることや、第1話で挿入された「サリーの別れ」が第1作と異なっていたり、1980年代後期からの時代背景や風俗が反映されるなどの相違点があり、正確には続編的内容のパラレル作品となっている。1980年代中頃から起きたレトロブーム末期だったことや1966年版を見ていた視聴者にも人気があり、前作同様2年間のロングラン放送となった。なお、本作のキャラクターは後述する"サリーちゃん足"ではない。 今作も人気はあったがあまり再放送されず(朝日放送における子供アニメ大会や秋田朝日放送での再放送の実績がある)ソフト化(ただしTVスペシャル2作、劇場版、編集オムニバス版のみ東映ビデオよりリリースされた)に恵まれなかった。しかし「東映アニメBBプレミアム」にて劇場版が2008年4月より、レギュラーシリーズ(全88話)が2008年5月より順次配信された。 1990年元日放送の2作初のスペシャル版では、冒頭でサリー・カブ・ポロンによる新年のご挨拶が放送された。魔女っ子アニメの元日放送は1968年の前作第57話から22年振りのことであり、この時は作画の関係上ご挨拶が無かった(前回第56話のラストに行った)ので、ご挨拶付きの元日放送は史上初。 本番組終了後、月曜19時30分枠のアニメは再び途絶えたが半年でアニメ枠に戻り、『クレヨンしんちゃん』が開始された。 『魔法使いサリー 魔法の国のプリンセス』(1989年版第1話:1990年7月 VHS 東映ビデオ・バンダイ)の冒頭にはパイロット版が収録されている。乙女座の最輝星、スピカが魔法の国アストレアであることをサリーが説明する内容。
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解説(アルバム)
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「ジプシー (児島未散の曲)」の記事における「解説(アルバム)」の解説
前年発売された自身最大のヒットシングル「ジプシー」と同名のアルバムで、同曲のカップリング曲「季節の終りに」も含めて本作に収録されている。
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解説(DVD)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 03:46 UTC 版)
「DOUBLE (CHAGE and ASKAのアルバム)」の記事における「解説(DVD)」の解説
PV集は、2003年発売の『MUSIC ON FILMS』以来となる。また、1枚のアルバム収録曲のみを収めたPV集としては、1994年にVHS・LDで発売した『RED HILL』以来である。 アルバム『DOUBLE』と同時発売された(別売である)。
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解説(大序)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 04:05 UTC 版)
江戸時代、文芸や戯曲においてその時々に起こった事件をそのまま取り上げることは、幕府より禁じられていた。加賀騒動をはじめとするお家騒動を記した実録本なども出版を禁じられており、写本の形でのちにまで伝わっている。赤穂事件もある意味武家社会の醜聞ともいえる事件であり、これを取り上げることは幕政批判に通じかねないことから、人形浄瑠璃や歌舞伎の芝居においても、興行する側は相当の用心を以ってこの事件を脚色し、上演していた。それは本来の時代や人物の名前などを、違う時代や人物に置き換えて脚色することで抜け道としたのである。その時代や人物も「小栗判官」や「太平記」などさまざまだったが、この『仮名手本忠臣蔵』では近松の『碁盤太平記』に見られる設定や人物名、すなわち「太平記」の「世界」を借りている。それは直接には、『太平記』巻二十一「塩冶判官讒死の事」を題材としたものである。 「塩冶判官讒死の事」のあらましは、高師直が塩冶判官高貞の妻の美しさを聞きつけこれに執心し、恋文を送るが判官の妻からは拒絶される。これに腹を立てた師直が将軍尊氏や直義に判官のことを讒言した結果、判官は謀叛の汚名を着せられ、最後は判官やその妻子も無残な死を遂げるというもので、この話をもとに『仮名手本忠臣蔵』は吉良義央を高師直、浅野長矩を塩冶判官に置き換え、師直が判官の妻に横恋慕したことを事件の発端としている。 本作の師直は「人を見下す権柄眼(まなこ)」、義貞の兜の事についてもそれが将軍尊氏の「厳命」でありながら、「御旗下の大小名清和源氏はいくらも有る。奉納の義然るべからず」と口を挟んで憚らない。自らが仕える将軍家に対してでさえこうなのだから、自分より地位の低い者等に対しても傲慢な態度に出るのは当然である。それが若輩ながらもれっきとした大名である若狭之助を口汚く罵ったり、ほんらい人妻であるはずのかほよ御前に横恋慕してしつこく言い寄るという所業に表れている。そしてこの師直の傲慢さが悲劇を生み、それに多くの人が巻き込まれることになるのである。 時代物の義太夫浄瑠璃の最初の段を「大序」(だいじょ)という。「大序」はたいていが内裏や寺社、または将軍の御所などといった重々しい場面で、そこに天皇や公卿、将軍や大名などの高位の人物が集まって話が始まる。人形浄瑠璃は古くは通しの上演が原則だったので、各作品が再演されるときには「大序」も上演されていたが、現行の文楽にまで絶えず伝承されてきたのは『仮名手本忠臣蔵』と、ほかには『菅原伝授手習鑑』の「大序」があるくらいである。歌舞伎の義太夫狂言においても、人形浄瑠璃の作品が歌舞伎に移された当初は「大序」が上演されもしたが、そのほとんどが早くに廃滅した。歌舞伎の演目として絶えることなく伝承され、今日にまで上演され続けてきた「大序」は、『仮名手本忠臣蔵』が唯一といってよいものである。 歌舞伎では必ず幕を開ける前に、「口上人形」と呼ばれる操り人形による「役人替名」(やくにんかえな)、すなわち配役を「相勤めまする役人替名…塩冶判官高定、○○○(演じる役者の名)…」と読み上げることがある。これはもと歌舞伎の芝居では、芝居の最初の幕が開く前に下級の役者が幕の前に出て、裃姿で「役人替名」を読み上げることがあり、それを人形が演じる形で残したもので、この「役人替名」の読み上げが見られるのも現在では『仮名手本忠臣蔵』の大序だけである。天王立という鳴物で幕を開ける荘重な場面であり、東西声で幕を開けた後も、登場人物たちは人形身と称して下を向いて瞳を開かず、演技をしないで、竹本に役名を呼ばれてはじめて「人形に魂が入ったように」顔を上げ、役を勤めはじめる。 六代目尾上梅幸はかほよ御前について、「この役は品格と色気で、品が七分に色気が三分というところでしょう。色気があるので、師直とのあんな事件(横恋慕されること)が出来上がる」と述べている。これは七代目澤村宗十郎も、「顔世御前の役は、品格と色気とが大切」としている。 原作の浄瑠璃では、かほよを助けたあと師直に悪口された若狭之助が、「刀の鯉口砕くる程」握り締め師直と一触即発のところ、直義が先払いの声とともに供を連れてその場に通りかかり、判官もその行列の「後押へ」すなわち最後のほうに加わってそのまま行過ぎる。これは文楽でも同様で、長柄の傘を差しかけられた直義が、判官や大名たちを従え舞台上手から下手へと通り過ぎるが、これを若狭之助が見送って立とうとすると師直が嫌がらせに袖でさえぎり「早えわ」という。この「早えわ」は、師直の人形遣いが言うのである。それで師直と若狭之助二人で幕となる。文楽の人形遣いが舞台上でせりふを言うのは珍しいことである。歌舞伎でもおおよそこの段取りであるが、幕切れは師直が二重舞台の石段、舞台下手側に勇んで刀を抜こうとする若狭之助、列から離れた判官が若狭之助を押しとどめるという『曽我の対面』の幕切れと同じ形式となる。また若狭之助が刀に手をかけ師直を斬ろうとすると、そこで直義の帰館を知らせる「還御」の声がかかり、師直と若狭之助ふたりだけで幕になることもある。 現行の舞台では直義以下の人物が大銀杏のある八幡宮の境内にいて、その中で「兜改め」が行われるが、上のあらすじでも紹介したように原作の浄瑠璃の本文には「馬場先に幕打廻し。威儀を正して相詰むる」とあり、直義たちは参詣者が下馬するための「馬場」、すなわち境内の外の幕を張った場所にいる。要するに原作の本文に従えば、「兜改め」をする場所は八幡宮の境内ではないということである。これは「兜改め」が済んだあとで直義が判官と若狭之助を率いて兜を社に納めようとするときにも、「段かづらを過ぎ給へば」とある。「段かづら」は今も鶴岡八幡宮の鳥居前に残る参道である(段葛の項参照)。 『仮名手本忠臣蔵』の歌舞伎における上演では、原作の浄瑠璃とは違った内容が見られる。これは大筋では違いは無いものの、脚本や演出などに各時代の役者たちの工夫が入れられるなどしたことにより、それが歌舞伎における型(演技・演出等)となって残り、芝居の演出やせりふなどが原作の浄瑠璃のものとは相違するようになったのである。さらに東京(江戸)と上方においても、同じ段の同じ場面で型に相違がある。そうした原作、東京、上方、また文楽における型の違いについても以下触れることにする。
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解説(二段目)
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桃井若狭之助安近は、その若さもあって気の短いお殿様である。その気短なお殿様が師直のような人間に、大名たちが居並ぶ公の場で「すっこんでろこのバカ!」などのように罵倒されては収まらない。そんな若狭之助には加古川本蔵という「年も五十の分別盛り」の家老が仕えていたが、その「分別盛り」であるはずの男が後先の考え無しに師直を斬ってしまえばよいと、無分別なことを主君に勧めて憚らない。まして家老という重い立場であれば、必死になって諌めるのが筋である。さらに本蔵はその話のすぐ後に、馬に乗ってどこかへ駆け出してゆく。「分別盛り」の男が血気にはやる主君を諌めもせず、大急ぎでどこへ行くつもりなのか。その答えは、このあとの三段目で明らかになるのである。 この段で、実説の大石内蔵助に当たる大星由良助の名がはじめて出てくる。その息子の力弥というのも実説の大石主税のことである。ただし由良助が姿を現すのは四段目になってからである。 なお歌舞伎の二段目については台本が二種類あり、ひとつは上のあらすじで紹介した原作の浄瑠璃にもとづくものだが、もうひとつこれを書き替えた「建長寺の場」というものがあり、これを「二段目」として上演することがある。これは七代目市川團十郎が初演し、その台本が上方の中村宗十郎に伝わったものだという。内容は、大序の鶴岡八幡で師直に罵られた翌日の夜、若狭之助が鎌倉建長寺に仏参ののち寺の書院で休息している。そこへ若狭之助を迎えに来た本蔵が、床の間の掛け軸に記されている文字をめぐって若狭之助とやりとりをし、その中で師直を斬るという若狭之助をやはり本蔵が諌めることなく、松の枝を切ってそれを勧めるというものである。ただしこの「建長寺」では舞台面が室内をあらわす平舞台の大道具なので、松を切るくだりでは床の間にある盆栽の松を切ることになっている。また七代目團十郎がはじめてこの「建長寺」を演じたときには、まず建長寺の住職となって若狭之助との禅問答があり、そのあと本蔵に替わって出たという。しかしいずれにしても現行の歌舞伎では、この二段目は通し上演の際にも省略しほとんど上演されることがない。文楽では松切りの段に比べて力弥使者の段の上演回数が少ない。
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解説
「解説」の例文・使い方・用例・文例
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