哲学
哲学(てつがく)とは、語弊を恐れずにわかりやすく言えば「真理を探究する知的営み」のことです。世界の根源や本質を見極めるための知的探究的な取組み、および、その知的探究を方法的に進めるための学問です。
ただし、この「哲学は真理を探究する知的営みである」という見解は、ある程度は妥当としても、決定的な定義ではありません。「哲学とは何か」という問いに対する回答は、哲学的立場によっても微妙に異なり、統一的見解は見出せない、その意味では極めて哲学的な話題です。
哲学は、一般的には、《感覚的経験を超越した「形而上」の世界を対象とし、概念と論理とに依拠する、時代や文化などに左右されない、普遍的な真理への到達を目指す学問》として理解されます。あるいは、《世界のあらゆる事象を論理的に説明すること》である、ともいえるでしょう。
哲学は英語では philosophy(フィロソフィー)といいます。この語源はギリシア語の φιλοσοφία (philosophía)であり、もともとは「知を愛する」(loving knowledge)という意味の言葉です。このため、「哲学とは何か」という問いに対しては今日でも「哲学とは知を愛する営みのことである」といった回答が多く採用されています。はぐらかしのような趣もありますが、なにしろ「哲学とは?」の問いに対して確定的に言えることがこの語源だけなので致し方ありません。
哲学の「哲」の字は「明らか」「賢い」「聡い」といった字義があります。「哲学」という言葉は明治初頭の碩学・西周が、《 philosophy =知を愛する学問=希哲学 → 略して「哲学」》 という流れで考案し定着した訳語として知られています。
学問としての哲学は、もっぱら「思弁」によって、あくまでも論理性を重視し、誤謬や臆見を慎重に排除しつつ、物事の本質に迫ろうとする知的営みです。主な研究対象は「精神」「神」「真理」といった、感覚的経験を通じて直接的に捉えることのできない(=形而上の)対象です。その意味で哲学は、ほぼ「形而上学」と言い換え可能です。とはいえ、世界の一切がっさいを物質的な(形而下の)存在として捉える哲学的立場もあり、一概に「哲学=形而上学」と言い切ってしまうこともできません。
日常の通俗的な場面では「人生哲学」や「経営哲学」のような言い方で「哲学」の語が用いられます。こうした文脈で用いられる「哲学」は、多分に「個人や組織が長きにわたって探究を続けた末に到達した物の見方や考え方」といったニュアンスが込められて用いられています。人生哲学は、素朴に「人生観」と言い換えてしまえる場合も多いとはいえ、その人が見出したその人なりの真理であり、叡智であり、世界を正しく認識するための思考体系ですから、やはり人生哲学も「真理を探究する営み」であるといえるでしょう。
てつ‐がく【哲学】
てつがく 【哲学】
哲学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/28 10:17 UTC 版)
哲学(てつがく、フィロソフィー[1] 英: philosophy[1][注 1])とは、原義的には「愛知」を意味する学問分野、または活動[2] である。現代英語のフィロソフィー(philosophy)は「哲学」・「哲学専攻コース」・「哲学説」・「人生[世界]観」・「達観」・「あきらめ」などを意味する[3]。「愛知としての哲学」は知識欲に根ざす根源的活動の一つだが[4]、19世紀以降は自然科学が急発展して哲学から独立し[4]、哲学は主に美学・倫理学・認識論という三つで形作られるようになった[4][注 2]。哲学に従事する人物は哲学者(てつがくしゃ、フィロソファー[5] 英: philosopher)と呼ばれる[注 3]。
注釈
- ^ 希: Φιλοσοφία(フィロソフィア)、羅: philosophia、仏: philosophie、独: Philosophie
- ^
- ^ 希: φιλόσοφος(フィロソフォス)
- ^ 紀元前の古代ギリシア哲学から19世紀前半頃にかけて[要出典]
- ^ アイザック・ニュートンのようにかつて哲学者と呼ばれていたが、現代では哲学者とは看做されない人物がいる一方で、ゴットフリート・ライプニッツのように依然として哲学者と看做される人物もいる[要出典]。
- ^ 19世紀以降、特に19世紀後半あたりから大学制度内で知識の位置づけの再編が行われるようになり、ドイツなどでは文化科学・自然科学などの分類が採用され、それまで学問の総称であった哲学は文化科学のひとつと、かなり限定的であると同時に具体的な位置づけになった[要出典]。
- ^ 哲学に関する学問は人文科学に含まれる。出典は広辞苑。
- ^ 哲学は「自然および社会,人間の思考,その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」である。出典は、青木書店『哲学事典』。
- ^ 『百一新論』 - 国立国会図書館
- ^ 西周は主觀・客觀・概念・觀念・歸納・演繹・命題・肯定・否定・理性・悟性・現象・藝術(リベラルアーツの訳語)・技術など、西欧語のそれぞれの単語に対応する日本語を創生した。
- ^ 実存哲学とも呼ばれる。
- ^ 例えば、「神とは何か」
- ^ 例えば、「理性は人間にとって生与のものか」
- ^ 例えば、「諸存在の本質はひとつであるとする立場と、諸存在の本質は多様であるとする立場の主な争点は何か」
- ^ 主題の追求の方法として、「頭の中で、言葉なくして思考し、言葉を表出させる」、つまり現代で言えば言葉による象徴化の作用を伴う明晰化や、ソクラテス的な問答法、対話、弁証法、観想等がある。
- ^ 今日では神の存在の合理的な説明の試みも迷信的に映るのが大部分であるが、数学理論や観測技術の発展など時代の制約を考慮する必要がある。また、根源的・本質的な部分においてこの問いは解明されたとすることはできないだろう。
- ^ そもそも教義を持たない宗教[要出典]もあるので、全ての宗教がドグマを絶対視するわけではない。
- ^ 仏教ではその成立期においては(原始仏教)、外の超越者を持たなかったため「神」へのタブーそのものが無く、内観など別の形で哲学的思考が発達したとされる。一方、仏陀は神々なる存在を徐々に観念に置き換えようとする試みをしていた、という心理学者の意見[要出典]もある。また日本の仏教では、例えば親鸞が、理屈抜きに阿弥陀如来の救いを信じるよう説いていた。
- ^ もっとも、哲学にも師の考え・言葉をそのまま数百年間継承した歴史もあることや、神学の中で様々な論争があったり、新たな宗派・教派が生まれ続けていたりすることもあり、単純化して比較することは困難である。
- ^ 不思議なことに、脳の特定の箇所を刺激すると、「白い光に包まれたような感じがした」、「キリストの姿を見た」等と被験者が告げる現象が、脳科学者[誰?]から多数報告されている。たいていそれらは、いわゆる宗教的な高揚感を伴っていた。脳科学者の中には必ずしも「神」を否定しない人、肯定する人もおり、彼らは宗教者むけに「神が己の恩寵を感知する器官を人に授けた」のかもしれない、といった解釈を伝える。
- ^ 著作をものさず、主に討論に時間を費やしたソクラテスの思想は彼の死後弟子達の著作によって残り、またプラトン・アリストテレスの影響力は中世ヨーロッパに至るまで、分野によっては近代まで、多大なものがあった。
- ^ プラトンは数学・幾何を重要視し、フランシス・ベーコンは科学的な発見・発明を重んじた。
- ^ デカルトは、懐疑主義のどのような途方もない想定をもってきても、「わたしは考える、故にわたしは存在する」という彼にとっての真理は覆せず、よって彼はこれを哲学の第一原理とした。
- ^ 例えば太陽の周りを惑星が円軌道を描いて回転しているというアリスタルコスの仮説は、後世のコペルニクスによって(おそらくそうと意識してではないだろうが)復活させられた。後のケプラーが、軌道が太陽を中心としてではなく焦点とした楕円状であることを見いだし、次いでニュートンが、軌道が厳密には楕円でさえないことを発見した。仮説は、どんなに突飛に見えようと、自然を新たな見方でとらえることを可能にし、ある程度まで科学の進歩に寄与することが'ありうる'。
- ^ もっとも、物理学の哲学の一分野としての時空論においては、哲学者と物理学者のより密接なコラボレーションが実現している。
- ^ ただし近年では数学基礎論やコンピュータサイエンスとの学際化が進展しており、哲学の一分野とは言いにくい状態になりつつある。
- ^ アリストテレスは論理学において長い間至高の地位を占め続けた。彼のもっとも重要な業績は三段論法の説である。古代ギリシャ人は演繹を重要視する半面、帰納を軽視した。帰納法の発展は近代においても真に遅々たるものであった。
- ^ 日本哲学会における女性会員の比率は1割に満たない。男女共同参画ワーキンググループ (2006年3月4日). “日本の文系学会における女性役員等比率”. 日本哲学会. 2008年8月6日閲覧。
- ^ 川村院長が言うには、ほとんど全ての生物が持っているPEA(リン酸エタノールアミン)は「喜びなどの感情」に関係する物質であり、これが主に存在する場所は脳神経細胞の軸索や細胞膜で、その他には肝臓、動脈、心筋等[65]。脳と血中物質の関係は非常に密接であり、PTSD患者の場合も「PTSDの原因となるトラウマを経験してから10年以上が経っていたにもかかわらず、免疫力が通常の4分の1にまで低下していた」と院長は言う[66]。
- ^ フランセーンはストックホルム大学で哲学を専攻し、1987年に「Ph.D.(哲学)」を取得[67]。ルレオ工科大学でのフランセーンのページによると、「(哲学における)自分の博士論文 “my PhD thesis (in philosophy)”」は世界各国の大学図書館で閲覧できる[70]。
- ^ 原文は"Es gibt allerdings Unaussprechliches. Dies zeigt sich, es ist das Mystische"[81].
- ^ 邦訳題は『ヒトラーと哲学者:哲学はナチズムとどう関わったか』。
- ^ 「ハイデッガー」とも。
- ^ "rejecting Heidegger's interpretivism which blinds us to the political and cultural aspects"[130].
- ^ また、森岡正博は「現代において哲学するとはどのようなことなのか」において、次のようなことも述べている。 「もし、現代社会とそこに生きる人間の姿を問うことをその中心に据える哲学があるとすれば、それは文献学・解釈学を中心に据える哲学ではなく、自分自身がこの社会を生きるその実践のプロセスのただ中において思索を深めていくという形の実践学を中心に据える哲学になるはずだ」(p.25)「実践学としての哲学においては、テキスト読解のかわりに、実人生と実社会の読解が入り口となる」「重視されるのは、テキスト解釈ではなく、『フィールドワーク』である。」「『私がよりよく生き、よりよく死ぬ』ために哲学をしている」「それをめざすためにはいくらテキストを読んでも解釈していてもだめなんだということが分かった」「そこから足を洗い、そのかわりに、自分の人生そのものをフィールドとして、自己とは何か、現代社会とは何か、他者とは何かを自分の頭とことばで気の済むまで探究しているのである」「われわれが知らない過去の無数の哲学者たちは、なんのことはない、こういう営みを日々続けていたのだろうから、私もまたそれをするだけのことなのである。」(p.27)「私がいう実践学というのは『実践』についての哲学的議論をするということではない。」「そうではなくて、この私やあなたが、実際に、この世界のなかで実践していくということだ」(p.27)
- ^ 哲学者タレスが貧乏であったために、フィロソフィアと貧困を勝手に結び付け、哲学は役に立たないとの印象を誤って持つ者が現れた。だからタレスは自分の知識を応用してたくさんお金を儲けて見せることで、フィロソフィアは全てに関するものを(実用的な知識まで含めて)含んでいて、哲学者はそれを活かすことができるのであって、自分の利便や金儲けなどが一番重要だと感じている、その感情、考え方が実はおかしいことを哲学者は知っており、その重要なこと、別の意味で本当に役に立つこと、を探求しなければならないから探求しているのだ、ということを示したのである。それは、例えば、古代ギリシャにおいては倫理的な探求だったのだ。
出典
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- ^ 「現代において哲学するとはどのようなことなのか」森岡正博(森岡正博全集第一巻P19-28 1999年)
- ^ Politics,1259a
- ^ 参考文献:バートランド・ラッセル『西洋哲学史1』市川三郎訳,みすず書房、p.35
哲学
出典:『Wiktionary』 (2021/09/21 12:41 UTC 版)
名詞
語源
ギリシア語 φιλοσοφια(philosophia; philo-=愛する、sophia=知)に由来する 英語 philosophy を西周が訳したもの。当初は「希哲学」と訳されたが、のちに「哲学」となる。「希」は「こいねがう」、「哲」は「明らか」>「賢い」の意。
翻訳
- チェコ語: filozofie (cs) 女性
- イタリア語: filosofia (it) 女性
- ドイツ語: Philosophie (de) 女性
- 英語: philosophy (en)
- フランス語: philosophie (fr) 女性
- スペイン語: filosofía (es) 女性
- 中国語: 哲学 (zh)/哲學 (zh)
- 朝鮮語: 철학 (ko)
- ポーランド語: filozofia (pl) 女性
- ポルトガル語: filosofia (pt) 女性
- ルーマニア語: filozofie (ro), înţelepciune (ro)
- ロシア語: философия (ru) 女性
関連語
動詞
哲学する(てつがく-する)
活用
翻訳
「哲学」の例文・使い方・用例・文例
- 彼の考えは私の哲学に合致した
- 哲学者ぶるのはよせ
- 哲学の講義をする
- アリストテレスの哲学
- 哲学者ぶる
- 彼の英知は他の現代哲学者のものよりも卓越している
- その年に私はこの3人の哲学者に会いました.彼らは私のその後の人生に大きな影響を及ぼしました
- ソクラテス以前の哲学者
- 彼は哲学の伝統主義者としての手法で著名である。
- デモクリトスの原子論はギリシア哲学の主流派からは受け入れられませんでした。
- 理神論的視点を持った哲学者
- その哲学者はヘーゲル哲学の信奉者として有名だ。
- 古代ギリシア哲学の本質の概念について理解するのは難しい。
- 彼女はカント派の哲学者だ。
- ソロンは最も有名なギリシア哲学者のひとりだ。
- その哲学者は唯心論者とみなされている。
- 彼の歴史哲学は千年説に基づいている。
- カントの哲学では、物自体は現象の原因であるとされる。
- 彼の哲学はとても否定的なものだ。
- 彼の絵は哲学や絵の描かれた時代の社会的思想も含んでいる。
哲学と同じ種類の言葉
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