つだ‐まみち【津田真道】
つだまさみち 【津田真道】
津田真道
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津田 真道(つだ まさみち、文政12年6月25日(1829年7月25日) - 明治36年(1903年)9月3日)は、日本の武士(幕臣)、官僚、政治家、啓蒙学者。福澤諭吉、森有礼、西周、中村正直、加藤弘之、西村茂樹らと明六社を結成。岡山県出身。
- ^ “Japanese Page”. 2024年5月10日閲覧。
- ^ 奥田晴樹. “明治維新と立憲政体構想”. 金沢大学. p. 6. 2023年12月20日閲覧。 “まず、津田が慶応 3 年の 9 月に「日本国総制度」と題する政治制度改革の提言を幕府に提出します。(中略)諸藩の存続を前提として,立憲君主制の連邦国家を組み立てるというものでした。連邦を構成する最大の国家は「関東領」で,幕府の直轄地や譜代大名の支配地を領域とし,徳川宗家の当主(慶喜)を戴く立憲君主制を採っています。(中略)連邦国家の立法権は,政府と国会で共有します。政府は江戸に置き,国会は二院制を採り,上院は大名を議員とし,下院は 10 万人に 1 人の割で士農工商から選ばれた者を議員とします。これらを「根本律法」という憲法で定めるのです。 この構想のミソは,行政権を握る政府の首班である「大頭( ママ)領」の選任方法が明示されていないところです。その一方で,譜代大名領を取り込んだ広大な「関東領」から選出される議員が下院の多数を占めることは明白です。また,上院の議員に譜代大名を含むかどうか不明ですが,仮に含まないとしても,親藩に加えて外様の一部の大名を取り込めば、徳川宗家が上院も支配できる可能性は高いと言えましょう。そうなれば、「大頭領」に誰が選任されるかは言わずもがなでしょう。”
- ^ 我部 & 広瀬 (1995, p. 300)
- ^ 『官報』第2195号、1890年(明治23年)10月22日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、6頁。
- ^ 『太政官日誌』明治6年、第152号
- ^ 『官報』第678号「賞勲叙任」1885年10月2日。
- ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年(明治27年)5月22日。
- ^ 『官報』第1473号「叙任及辞令」1888年5月30日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。
- ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)
- ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、104頁。
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