津田真道とは? わかりやすく解説

つだ‐まみち【津田真道】

読み方:つだまみち

[1829〜1903]法学者美作(みまさか)の人。名は「しんどう」「まさみち」とも。西周(にしあまね)とともにオランダに留学帰国後、開成所教授明治新政府法律整備尽力また、明六社同人として、啓蒙活動行った日本最初西洋法律書泰西国法論」を刊行

津田真道の画像

津田真道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/21 08:42 UTC 版)

津田 真道
生年月日 1829年7月25日
没年月日 (1903-09-03) 1903年9月3日(74歳没)
称号 錦鶏間祗候
男爵
法学博士
勲一等瑞宝章

在任期間 1890年11月26日 - 1891年12月25日
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津山洋学資料館の津田真道像

津田 真道(つだ まみち[1]文政12年6月25日1829年7月25日) - 明治36年(1903年9月3日)は、日本武士幕臣)、官僚政治家啓蒙学者福澤諭吉森有礼西周中村正直加藤弘之西村茂樹らと明六社を結成。岡山県出身。

来歴

美作国津山藩上之町(現:岡山県津山市)の生まれ[1]。幼名は喜久治。後に真一郎、行彦とも名乗った。嘉永3年(1850年)に江戸に出て箕作阮甫伊東玄朴蘭学を、佐久間象山兵学を学ぶ[1]

藩籍を脱して苦学したが、安政4年(1857年蕃書調所に雇用されて、文久2年(1862年)には西周オランダに留学し[1]ライデン大学シモン・フィッセリングドイツ語版に学ぶ。オランダ留学中の1864年元治元年)にライデンフリーメイソンリーの「ラ・ベルトゥ・ロッジ・ナンバー7」に入会している[2]。4年後に帰国する。その講義録を慶応2年(1866年)に『泰西国法論』と題して訳出する。これは日本初の西洋法学の紹介となる。その後、幕府陸軍騎兵差図役頭取を経て、目付に就任。大政奉還に際しては徳川家中心の憲法案を構想した(『日本国総制度』[3])。

明治維新後は新政府の司法省に出仕して『新律綱領』の編纂に参画。明治2年(1869年)、人身売買禁止を建議[1]。明治4年(1871年)、外務権大丞となり日清修好条規提携に全権・伊達宗城の副使として清国へ行く。のち陸軍省で陸軍刑法を作成。さらに裁判官元老院議官。明治6年(1873年)に明六社の結成に関わり、明治23年(1890年)には第1回衆議院議員総選挙東京府第8区から立候補して当選、大成会に属して初代衆議院副議長に就任。同年10月20日、元老院が廃止され議官を非職となり[4]錦鶏間祗候を仰せ付けられた[5]。明治24年(1891年)12月17日に商法及び商法施行条例の一部施行に関する法律案の第三読会開催案が可否同数になると、衆議院副議長として日本政治史上初の国会の議長決裁を行い、消極的に決した(否決)。

明治29年(1896年)1月31日に貴族院議員に勅選されて[6]、翌年には請われて京華中学校校長となる。男爵法学博士

1903年死去[1]

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f 『最新版倫理資料集』清水書院、2023年2月20日、153頁。ISBN 978-4-389-21890-4 
  2. ^ Japanese Page”. 2024年5月10日閲覧。
  3. ^ 奥田晴樹. “明治維新と立憲政体構想”. 金沢大学. p. 6. 2023年12月20日閲覧。 “まず、津田が慶応 3 年の 9 月に「日本国総制度」と題する政治制度改革の提言を幕府に提出します。(中略)諸藩の存続を前提として,立憲君主制の連邦国家を組み立てるというものでした。連邦を構成する最大の国家は「関東領」で,幕府の直轄地や譜代大名の支配地を領域とし,徳川宗家の当主(慶喜)を戴く立憲君主制を採っています。(中略)連邦国家の立法権は,政府と国会で共有します。政府は江戸に置き,国会は二院制を採り,上院は大名を議員とし,下院は 10 万人に 1 人の割で士農工商から選ばれた者を議員とします。これらを「根本律法」という憲法で定めるのです。 この構想のミソは,行政権を握る政府の首班である「大頭( ママ)領」の選任方法が明示されていないところです。その一方で,譜代大名領を取り込んだ広大な「関東領」から選出される議員が下院の多数を占めることは明白です。また,上院の議員に譜代大名を含むかどうか不明ですが,仮に含まないとしても,親藩に加えて外様の一部の大名を取り込めば、徳川宗家が上院も支配できる可能性は高いと言えましょう。そうなれば、「大頭領」に誰が選任されるかは言わずもがなでしょう。”
  4. ^ 我部 & 広瀬 (1995, p. 300)
  5. ^ 『官報』第2195号、1890年(明治23年)10月22日。
  6. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、6頁。
  7. ^ 『太政官日誌』明治6年、第152号
  8. ^ 『官報』第678号「賞勲叙任」1885年10月2日。
  9. ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
  10. ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年(明治27年)5月22日。
  11. ^ 『官報』第1473号「叙任及辞令」1888年5月30日。
  12. ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
  13. ^ 『官報』号外「授爵叙任及辞令」1900年5月9日。
  14. ^ 中野文庫 - 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧(戦前の部)
  15. ^ 『平成新修旧華族家系大成』下巻、104頁。

参考文献

関連項目

外部リンク


その他の役職
先代
(新設)
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1899年 - 1903年
京華尋常中学校長
1897年 - 1899年
次代
磯江潤
先代
(新設)
本郷区教育会会長
1890年 - 1902年
次代
田口卯吉
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
津田(真道)家初代
1900年 - 1903年
次代
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