荒舩清十郎とは? わかりやすく解説

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荒舩清十郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/17 02:55 UTC 版)

荒舩 清十郎(あらふね せいじゅうろう、1907年明治40年)3月9日[1] - 1980年昭和55年)11月25日[1])は、日本政治家実業家運輸大臣(第33代)、行政管理庁長官(第40・42代)、衆議院副議長(第49代)。衆議院議員(13期)。位階正三位勲等は勲一等。東映フライヤーズのプロ野球選手(1970年 - 1972年)、埼玉県議会議員(1期、1979年4月 - 1983年3月)であった荒舩洋資は甥であり後に養子となる[2]


注釈

  1. ^ このとき停車することになったのは、上野発長野行「第3信州」、長野発上野行「第1信州」、上野 - 水上間往復「奥利根2号」の4本だった。なお、国会での荒舩の釈明によれば、深谷駅はかつて1956年3月に急行停車駅となったことがあるが、1961年2月ごろから停車しなくなったという[14]
  2. ^ 9月4日付『朝日新聞』では「ひと駅ぐらい、いいじゃないか」、9月5日付『朝日新聞』の「天声人語」では「国鉄もひとつぐらいオレのいうことを聞いてくれてもいいじゃないか」。荒舩は後に国会で、「何か一つくらいおれの言うことを聞いてもいいじゃないかと〔引用者注:国鉄に対して〕言ったように新聞には出ておりますが、全くそういうことではございません」[14]と発言しているが、実際は「一つくらい…」は国鉄相手ではなく、記者に対する発言である。
  3. ^ この時の荒舩から国鉄に対する陳情は 1. 深谷駅からの始発列車を設ける事 2. 深谷駅に裏口を設ける事 3. 八高線の輸送力増強 4. 新駅設置 などで、これに対し国鉄は予算措置を伴わず他への影響も少ない事から急行停車を認めたとされる。
  4. ^ 『続近世畸人伝』に紹介されている、滝野瓢水が、知人が遊女を身請けしようとしたのを諫めて詠んだとされる句「手に取るなやはり野に置け蓮華草」を引用したもの。
  5. ^ 荒舩がどの事件を念頭に置いていたのかは不明だが、革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)が、11月14日に渋谷暴動事件、19日に日比谷暴動事件(松本楼が炎上)を引き起こしている。
  6. ^ 『赤旗』紙は「発言の間合いをはじめ列車のゴトン、ゴトンという音のリズムなどからみて、なんら作為をほどこしたものでないことが明らかです」[28]と反論している。

出典

  1. ^ a b c d e f g h 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』28頁。
  2. ^ 「深谷商高出・東映入団した荒舩清十郎副議長の甥」『週刊文春』12(5)、1970年。
  3. ^ a b 第廿一版 人事興信録 1961年(昭和36年)、あ一一七。
  4. ^ a b c d e f g h 第94回国会 衆議院 本会議 第4号 昭和56年1月29日
  5. ^ a b c d e 小川 1985, p. 189.
  6. ^ 荒舩清十郎『ロッキード問題と51年度予算』政財界、1976年。 
  7. ^ a b 小川 1985, p. 204.
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第22回』431頁。
  9. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年、61頁。
  10. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』80頁。
  11. ^ 渡辺恒雄『派閥ー保守党の解剖ー』弘文堂、1958年、140頁。 
  12. ^ 『官報』第9099号598頁 昭和32年4月25日号
  13. ^ 大野明男 (1976). “続・虚人列伝ー荒舩清十郎ーロッキード国会で声を売った放言士”. 現代の眼 17: 235頁. 
  14. ^ a b 第52回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号” (1966年9月12日). 2020年12月9日閲覧。
  15. ^ 「汽笛一声選挙区に 運輸大臣、急行とめる」『毎日新聞』、1966年9月4日、15面。
  16. ^ 第52回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号” (1966年9月12日). 2020年12月9日閲覧。
  17. ^ 『朝日年鑑 1967年版』朝日新聞社、1967年2月15日、253-254頁。 
  18. ^ 第52回国会 参議院 法務委員会 閉会後第1号” (1966年9月10日). 2020年12月9日閲覧。
  19. ^ 第52回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号” (1966年9月12日). 2020年12月9日閲覧。
  20. ^ 第52回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号” (1966年9月27日). 2020年12月9日閲覧。
  21. ^ 第52回国会 衆議院 運輸委員会 第4号” (1966年10月11日). 2020年12月9日閲覧。
  22. ^ 第52回国会 参議院 法務委員会 閉会後第3号” (1966年10月11日). 2020年12月9日閲覧。
  23. ^ 「「悪い事をしたと思わぬ」 開き直った荒船〔ママ〕氏」『朝日新聞』、1966年10月12日、15面。
  24. ^ 「“野におけレンゲ草だった”荒船〔ママ〕氏更迭 川島氏、帰国して語る」『朝日新聞』、1966年10月20日、1面。
  25. ^ 「「急行止めて何が悪い」 荒船〔ママ〕 清十郎氏」『朝日新聞』、1967年1月9日、15面。
  26. ^ 「暴力学生問題で公党ひぼうの暴言 またも荒船〔ママ〕衆院副議長」『赤旗』、1972年1月23日、1面。
  27. ^ 「「過激派をおだてた社・共」荒船〔ママ〕発言 共産党、追及の方針」『朝日新聞(夕刊)』、1972年1月24日、1面。
  28. ^ a b 「新幹線問題認める 荒船〔ママ〕氏 苦しい言いのがれ」『赤旗』、1972年1月25日、1面。
  29. ^ 「荒船〔ママ〕副議長が辞表」『朝日新聞』、1972年1月26日、1面。
  30. ^ 『官報』号外第29号1頁 昭和52年5月2日号
  31. ^ 『官報』第16162号12-13頁 昭和55年12月5日号
  32. ^ 「〈森敦対談〉荒舩清十郎『政府高官は必ず出る』」『サンデー毎日』55(19)、1976年。
  33. ^ 荒舩清十郎『ロッキード問題と51年度予算』政財界、1976年。 
  34. ^ 第77回国会 衆議院 予算委員会 第7号” (1971年2月4日). 2023年2月14日閲覧。
  35. ^ 第77回国会 衆議院 予算委員会 第7号” (1976年2月4日). 2024年2月14日閲覧。
  36. ^ 荒舩清十郎『ロッキード問題と51年度予算』政財界、1976年、29-30頁。 
  37. ^ 小林吉弥 (1975). “荒舩清十郎一代記”. 宝石 3(6): 191. 
  38. ^ 荒舩清十郎『ロッキード問題と51年度予算』政財界、1976年。 
  39. ^ 荒舩清十郎、細川隆元 (1976). “『反三木派』『親三木派』の思惑”. 宝石 4(7). 
  40. ^ 『荒舩清十郎写真集』両神興業、1985、64頁。 
  41. ^ 小畑伸一によると、1965年(昭和40年)の第1次佐藤(第1次改造)内閣発足の際のこととされるが、赤城が総務会長から農林大臣に横滑りしたのは、1963年(昭和38年)の第2次池田(第3次改造)内閣の際であり、時期については著者の記憶違いが存在する。
  42. ^ 小畑伸一『政界一寸先は闇 : ある川島担当記者の手記』黄帆社、1972年、108-109頁。 
  43. ^ 「吹き替えに荒船〔ママ〕代議士」『朝日新聞』、1976年2月29日、20面。
  44. ^ 「“声優”荒船〔ママ〕 味なセリフ」『朝日新聞』、1976年4月13日、24面。
  45. ^ a b 小川 1985, p. 192.
  46. ^ 荒舩清十郎 (1978). “私の怒り”. 経営コンサルタント 351: 36頁. 
  47. ^ 歴代ベストドレッサー賞受賞者一覧”. ベストドレッサー賞公式サイト. 2020年12月9日閲覧。
  48. ^ 竹下登『政治とは何か 竹下登回顧録』 第7章2節 pp. 189-190.
  49. ^ 「グラビアー目で見る私の履歴書ー衆議院議員荒舩清十郎」”. 『政経人』 25(7). (1978).
  50. ^ 小畑伸一『政界一寸先は闇 : ある川島担当記者の手記』黄帆社、1972年、109頁。 
  51. ^ a b 「無競争当選は27名 あす多額議員選挙施行/多額議員無競争当選者<表>」『朝日新聞』1939年9月9日、2面
  52. ^ 荒舩清十郎「親不孝な子」『川島正次郎』交友クラブ、1971年、23-24頁。
  53. ^ 小畑伸一『政界一寸先は闇 : ある川島担当記者の手記』黄帆社、1972年、185-186頁。
  54. ^ 小畑伸一『政界一寸先は闇 : ある川島担当記者の手記』黄帆社、1972年、43-44頁。
  55. ^ 『荒舩清十郎写真集』両神興業、1985、180頁。 
  56. ^ 「[政界メモ]荒船委員長、本会議も止める」『『読売新聞』』、1969年2月15日。
  57. ^ a b 「日韓経済閣僚懇談会ひらく ソウル 借款1億5000万ドル」『読売新聞』、1966年9月8日、夕刊、1面。
  58. ^ 「荒舩運輸相また国会でもまれる 韓国(閣僚懇談会)へ業者随行」『読売新聞』、1966年10月11日、夕刊、1面。


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