遠藤三郎_(政治家)とは? わかりやすく解説

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遠藤三郎 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/11 01:23 UTC 版)

遠藤三郎の銅像(裾野市運動公園内)。

遠藤 三郎(えんどう さぶろう、1904年4月15日 - 1971年12月27日)は、昭和時代の農林官僚政治家建設大臣(第17代)、衆議院議員(9期)。

来歴・人物

静岡県出身。農業、遠藤儀市郎の五男として生まれる。静岡県立沼津中学校第一高等学校を経て、1930年3月、東京帝国大学法学部法律学科を卒業。1929年10月、高等試験行政科試験に合格。1930年4月、農林省に入省し嘱託となる。

以後、水産局水産課長、同監督課長、食品局特殊食品課長、食料管理局第1部企画課長、同部総務課長、第2部官吏課長などを経て、和歌山県経済部長となる。農商務省となってからは生活物資局監理課長、綜合計画局参事官を務めた。戦後は、内閣調査局調査官、内閣参事官、農林省官房会計課長、総務局長、畜産局長などを務め、1948年9月に退官した。

1949年1月、第24回衆議院議員総選挙静岡県第2区民主自由党から出馬し初当選。その後、自由民主党に所属、1969年12月の第32回総選挙まで連続9回の当選を果たし、1971年12月27日、現職のまま死去、67歳。死没日をもって勲一等瑞宝章追贈(勲五等からの昇叙)、正五位から正三位に叙される[1]

自民党では岸信介藤山愛一郎派(愛正会)に所属。第1次鳩山一郎内閣大蔵政務次官第2次岸内閣建設大臣となった。その他、自由民主党の副幹事長、政調会副会長などを歴任した。

運輸大臣経済産業大臣自由民主党幹事長などを歴任した二階俊博は元秘書。

脚注

  1. ^ 『官報』第13510号23頁 昭和47年1月6日号

参考文献

  • 秦郁彦編『日本近現代人物履歴事典』東京大学出版会、2002年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。

関連項目

公職
先代
根本龍太郎
建設大臣
第17代:1958年 - 1959年
次代
村上勇
議会
先代
前田正男
衆議院経済安定委員長
1952年 - 1953年
次代
佐伯宗義



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