野坂浩賢とは? わかりやすく解説

野坂浩賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 18:04 UTC 版)

野坂浩賢
のさか こうけん
1994年村山内閣入閣時の記念撮影にて
生年月日 1924年(大正13年)9月17日
出生地 日本 鳥取県
没年月日 (2004-04-18) 2004年4月18日(79歳没)
死没地 日本 鳥取県米子市
出身校 法政大学専門部
前職 日本通運従業員
所属政党 日本社会党→)
社会民主党
称号 正三位
勲一等旭日大綬章
配偶者 妻・野坂恵美子

内閣 村山改造内閣
在任期間 1995年8月8日 - 1996年1月11日

第61代 建設大臣
内閣 村山内閣
在任期間 1994年6月30日 - 1995年8月8日

選挙区 鳥取県全県区
当選回数 7回
在任期間 1972年12月11日 - 1983年11月28日
1986年7月8日 - 1996年9月27日
テンプレートを表示

野坂 浩賢(のさか こうけん、1924年(大正13年)9月17日 - 2004年(平成16年)4月18日[1])は、日本政治家

衆議院議員(7期)、建設大臣第61代)、内閣官房長官第59代)、日本社会党国会対策委員長社会民主党副党首・国会対策委員長、鳥取県議会議員等を歴任した。

概要

労働運動に入り、鳥取県総評議長、同事務局長、西部地評議長を歴任[2]1955年(昭和30年)から鳥取県議4期[2]1969年(昭和44年)から社会党鳥取県本部委員長を2期務めた後、1972年(昭和47年)衆院議員に当選[2]1994年(平成6年)村山内閣の建設相に就任[2]

1995年(平成7年)の改造内閣では官房長官となる[2]。通算7期つとめ、1996年(平成8年)引退[2]

来歴・人物

顕彰碑(鳥取県西伯郡伯耆町

鳥取県西伯郡岸本町(現在の伯耆町)出身[1][2][3]

1945年に法政大学専門部卒業後、日本通運に入社し米子支店勤務[1][2][4]。労働運動に入り、鳥取県総評議長・同事務局長・西部地評議長を歴任した[1]

1955年鳥取県議会議員当選[1]。若くして社会党の地域組織をまとめ上げ、自衛隊美保基地反対闘争を指導し、鳥取県警察本部警務部部長亀井静香と政治的立場を超えて盟友になり、亀井は「あの時、(野坂と)出会っていなかったら自社さ政権は誕生してなかっただろう。二人の間に政策協定はなかった。野坂と俺が合意すればそれが政策になった。幹事長森喜朗と(副総裁の)小渕恵三さんに任されていたから、俺に権力が集中しすぎていた。」と述べている[5]

1972年第33回衆議院議員総選挙旧鳥取全県区より立候補し初当選。当選7回(通算)[6]日本社会党に所属。社会党内の派閥「新生研究会」の代表を務める。この間、党農漁民局長・全日農会長[6]・日本社会党国会対策委員長等歴任。

村山富市の側近であり、党国対委員長として1994年(平成6年)に自民党さきがけとの連立政権である村山内閣を実現させ[6][7]建設大臣に就任した[1]長良川河口堰を巡っては、円卓会議を開催したほか竣工後も運用開始を延期するなどしたが[8]、最終的に従来の党見解に反して本格運用を決断して建設反対派や党内からの批判を招いた[1]。翌年の内閣改造内閣官房長官に横滑りした[6]保守合同した1955年以降珍しい、自民党在籍記録が無い官房長官の一人である。

1996年(平成8年)日本社会党の社会民主党への新党移行により、同党副党首[6]・国会対策委員長に就任した。同年の第41回衆議院議員総選挙には出馬せず、政界を引退[6]。同年、勲一等旭日大綬章受章[1][9]

2004年(平成16年)4月18日、腎不全のため、鳥取県米子市の病院で死去。79歳没。

エピソード

部落解放運動

部落解放運動とも深く関わり、「人権擁護施策推進法」制定への道筋をつくったことでも知られる。『野中広務 差別と権力』、256頁に野坂の秘書だった松原和範の証言が出ている。

松原によれば、「野坂は解放運動をやっていたから、部落解放基本法をつくるかどうかの問題をめぐって野中(広務)さんと地下水脈で付き合いがあったんです。自社さ政権の絵を描いてそれを実行していったのが亀井(静香)さんなら、野中さんは裏の掃除役。他の派閥は個人プレーで動いていたのに、旧竹下派は反小沢(一郎)で結集して自社連立のために組織的な動きをしていましたから、その意味でも野中さんは(野坂の)カウンターパートとして重要な存在だったんです」という。

その他

選挙歴

当落 選挙 執行日 年齢 選挙区 政党 得票数 得票率 定数 得票順位
/候補者数
政党内比例順位
/政党当選者数
第33回衆議院議員総選挙 1972年12月10日 48 鳥取県全県区 日本社会党 5万3192票 15.8% 4 4/7 /
第34回衆議院議員総選挙 1976年12月05日 52 鳥取県全県区 日本社会党 4万9594票 13.5% 4 4/9 /
第35回衆議院議員総選挙 1979年10月07日 55 鳥取県全県区 日本社会党 6万705票 16.9% 4 3/8 /
第36回衆議院議員総選挙 1980年06月22日 55 鳥取県全県区 日本社会党 6万3847票 17.8% 4 2/7 /
第37回衆議院議員総選挙 1983年12月18日 59 鳥取県全県区 日本社会党 6万1752票 17.4% 4 5/7 /
第38回衆議院議員総選挙 1986年07月06日 61 鳥取県全県区 日本社会党 6万6067票 17.3% 4 3/8 /
第39回衆議院議員総選挙 1990年02月18日 65 鳥取県全県区 日本社会党 7万5439票 19.8% 4 2/8 /
第40回衆議院議員総選挙 1993年07月18日 68 鳥取県全県区 日本社会党 5万9497票 17.5% 4 3/5 /

家族

義父山本磯吉の略歴 - 明治31年(1898年)3月6日生[10]。大和村小波・松井亀治郎二男[10]倉吉農学校[10]。養良校教員、選挙管理委員歴任、幼少より書道を愛し磯峰と書道に精進す[10]。【書道華道園芸【研】日本書道に関する研究【日蓮宗[10]
  • 息子、娘[4]

参考文献

  • 『新日本人物大観』(鳥取県版)人事調査通信社 1958年 ノ…216頁
  • 『政治家人名事典』(1990年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)402頁
  • 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』(2003年、編集・発行 - 日外アソシエーツ)473頁
  • 魚住昭 『野中広務 差別と権力』 講談社 240-241頁、251-259頁

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 野坂 浩賢とは”. コトバンク. 20世紀日本人名事典. 2021年4月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 新訂 政治家人名事典 明治~昭和』473頁
  3. ^ 資料詳細 | とっとりデジタルコレクション”. digital-collection.pref.tottori.lg.jp. 2025年4月28日閲覧。
  4. ^ a b c d 『新日本人物大観』(鳥取県版) 人事調査通信社 1958年 ノ…216頁
  5. ^ 週刊現代2019年1月26日号、亀井静香の政界交差点第12回、野坂浩賢-「この男と地獄まで行く」と覚悟を決めた、82-83頁
  6. ^ a b c d e f 野坂浩賢とは”. コトバンク. 日本人名大辞典+Plus. 2021年4月3日閲覧。
  7. ^ “禁じ手「自社さ」村山政権の意義と限界 平成政治の興亡 私が見た権力者たち(7)星浩 政治ジャーナリスト”. webronza. (2019年1月5日). https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019010300001.html 2019年1月12日閲覧。 
  8. ^ 長良川河口堰とは”. コトバンク. 日本大百科全書(ニッポニカ). 2021年4月3日閲覧。
  9. ^ 「96秋の叙勲受章者 勳一等・勳二等」『読売新聞』1996年11月3日朝刊
  10. ^ a b c d e 『新日本人物大観』(鳥取県版) 人事調査通信社 1958年 ヤ…285頁

関連項目

外部リンク

公職
先代
五十嵐広三
内閣官房長官
第59代:1995年 - 1996年
次代
梶山静六
先代
森本晃司
建設大臣
第61代:1994年 - 1995年
次代
森喜朗
議会
先代
新村勝雄
衆議院物価問題等に関する特別委員長
1990年 - 1991年
次代
岩垂寿喜男
党職
先代
村山富市
日本社会党国会対策委員長
第17代:1993年 - 1994年
次代
森井忠良

野坂浩賢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:10 UTC 版)

村山富市」の記事における「野坂浩賢」の解説

村山改造内閣官房長官務めた野坂浩賢は、村山側近存在少数与党羽田内閣頓挫し政局混迷する中、古くから面識があった自民党亀井静香水面下交渉重ねて自社さ連立政権成立尽力した。しかし村山本人は、1994年6月首班指名選挙で、自民党村山への投票で話をまとめたことは知らされておらず、投票が進む中で、前の席に座る野坂に「わしが当選したどうするんじゃ」と言ったという。野坂村山から首相退陣意向打ち明けられると「これが総理と私の唯一の戦いだと言う程、徹底的に退陣反対した。

※この「野坂浩賢」の解説は、「村山富市」の解説の一部です。
「野坂浩賢」を含む「村山富市」の記事については、「村山富市」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「野坂浩賢」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「野坂浩賢」の関連用語

野坂浩賢のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



野坂浩賢のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの野坂浩賢 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの村山富市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS