ほうせい‐だいがく〔ハフセイ‐〕【法政大学】
法政大学
法政大学
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「革命的共産主義者同盟全国委員会」の記事における「法政大学」の解説
「法政大学文化連盟」も参照 2006年3月14日、法政大学事務局による立て看板撤去に抗議していた中核派活動家など29人(内、法政大学の学生など大学関係者は5人)が建造物侵入と威力業務妨害の容疑で逮捕された。逮捕時には約200人の公安警察が動員された。中核派はこの事件を「2006・3・14法政大学弾圧事件」として強く反発した。 2006年3月25日には、29人全員が釈放され、そのうち法政大学の学生の5人は法政大学から停学や退学処分が下された。その後、処分を受けた学生5人や法政大学の無関係者も含む逮捕者を中心に「3・14法大弾圧を許さない法大生の会」が結成され、現在でも、学内外で抗議活動が行われている。この中核派の動きに対し、法政大学は警備員を常駐させて対処している。2006年(平成18年)と2007年(平成19年)には、法政大学は停学者に対して無期停学や退学など追加処分を出した。今回の事件では、(大学無関係者含めて)逮捕者は延べ126名。うち、起訴されたのは34名となった。 2007年4月27日、法政大学の退学処分に対して中核派などがデモ活動を行ってる中、中核派全学連活動家の学生ら2名が法政大学職員への暴行容疑で警察に逮捕された。しかし、デモに参加した外山恒一によると、この逮捕は「転び公妨」の変形で、職員が事前の打ち合わせ通り首を絞められたと騒ぎ立て、警察が逮捕の口実にしたという。 2009年4月24日、東京地裁による「情宣活動禁止等仮処分命令」及び、法政大学側よる学生処分などに対して、中核派は抗議集会とデモ活動で対抗した。そして、中核派全学連活動家の学生ら6人が公務執行妨害などの容疑で逮捕(集会中に5人、デモ後に警察署前で行われた抗議行動で1人)された。 2012年以降は、中核派は法政大学校内での活動は行っておらず、市ヶ谷キャンパス門前や飯田橋駅周辺で街頭宣伝を行っている。 2015年6月、法政大学から無期停学処分を受けた法政大学の男子学生が、法政大学に対し、「大学の処分は懲戒権の乱用だ!」と訴えていた裁判では判決は大学側の処分を全面支持し、原告・学生側の請求を棄却した。この判決が言い渡されると傍聴席にいた支援者たちは、「死ね!あほ!ぼけ!」「説明ないんかい!ぼけたれ!」「あほんだら!くそぼけ!説明しろ!」「ばかにしとるんやろ!」、と怒りの罵声を浴びせ、法廷内は騒然となった。この法政大学の男子学生は日頃から中核派系活動家らと共に行動し、大学内での講演会の妨害活動や教職員に対する侮辱的な発言を繰り返していたとして、法政大学から厳しい処分を受けていた。 中核派にとってこの「法大闘争」は、「学生の最大の団結破壊=処分に対し、『一人の仲間も見捨てない』のスローガンで、さらに強固な団結をうち立ててきた。学生と大学当局の非和解性を明らかにしてきた。人間的共同性を奪還する闘いとして、積極的攻勢的に闘われてきた」 ものであり、「法大闘争の地平の上に」活動することが度々宣言されている。 2019年4月の統一地方選挙では、中核派の活動家、洞口朋子(当時、30歳)が杉並区議会議員に初当選した。洞口が中核派の活動家になろうと思ったきっかけは、2008年に法政大学で学生が一斉に逮捕される事件をみて、当時19歳だった洞口は学生運動がしたくなったという。その後、洞口は法政大学に入学したが、1年半で無期停学処分になり、その後は中核派の活動家として活動していた。
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