こう‐か〔カウ‐〕【校歌】
校歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/01 05:33 UTC 版)

校歌(こうか)は、学校で建学の思想をうたい、校風を発揚するために制定した歌[1]のことである。
概説
日本や中国、韓国など東アジア諸国にはほぼ共通の校歌の概念がある。欧米やオーストラリアでは小学校レベルで校歌のある学校はめったにみられない[2]。
学校にはその学校固有の寮歌や学生歌、応援歌などが制定されている例もあり、英語のSchool Songでは応援歌を指すこともあるが、日本では一般的に特にその学校を代表する「校歌」として制定されているもののみを指す。東京大学のように応援歌や学生歌、寮歌は存在しても校歌が存在しない学校もある。
なお、聴覚障害者(聴覚障害児)を入学対象とする聾学校にも校歌が制定されていることは少なくない。中には、手話を使う校歌も存在する。
日本の校歌
日本の初等教育・中等教育ではほとんどの学校で校歌が制定されており、入学式、始業式・終業式、卒業式など学校の式典や祭典において歌われる[3]。幼稚園でも「園歌」が制定されている例もある。
一方、高等教育では正式な校歌がない例は珍しくない。ただし、校歌の代わりに「学歌(大学歌)」・「学園歌」・「学生歌」・「カレッジソング」、さらにまれな例として学校法人名・学校名が「院」「塾」「館」で終わるなどの特殊性から「院歌」[4]、「塾歌」[5]、「館歌」[6]を制定している例もある。例えば、旧帝国大学においては「校歌」を制定しているのは北海道大学(永遠の幸・札幌農学校校歌)のみであり、東北大学、名古屋大学、大阪大学、九州大学は「学生歌」として、京都大学は「学歌」としてそれぞれ校歌に準じる歌が1つまたは複数制定されている。
日本における校歌の発生は、音楽的な高まりというよりも、明治政府の教育改革の一環に位置付けられていたとされる。明治時代になると教育の門戸は一斉に開け放たれ、小学校や中学校には広い地域から身分を問わず様々な生徒が集まるようになった。さらに大学や専門学校ともなれば日本全国から学生が集まる。多士済々な面々が集まる学校で必要となったのが価値観や思想を統一する訓練手段であり、その有効な手段の一つが校歌であった。祝典や行進の際に皆で同じ歌を合唱することは、集団生活において統制心を養う。初等教育の段階からこの訓練を繰り返し、学校教育における重要なカリキュラムの一つとして定着していった[7]。また、一説ではフランス革命の民衆の高揚に倣う形で、集団意識の高揚を目的として作曲され、それが徐々に全国に広まって定着したと言われている(2019年4月12日に地上波で放送された『チコちゃんに叱られる!』では、元東京大学教授の渡辺裕によるこのフランス革命説が紹介された[8])。
1945年(昭和20年)までは、校歌を作成した場合には作詞者名、作曲者名、歌詞、楽譜、歌詞の説明などを添えて文部省へ認可申請を行わなければならず、この手続きを経て初めて正式に校歌として認められることとなっていた[9][注釈 1]。
曲と歌詞

メロディは作られた時代や作曲者などによって違いは様々であり、歌詞も同様である。だが、メロディと異なり、歌詞については一定の類型が存在する。よく歌われる内容として、次のようなものが挙げられる。
- 学校の所在地周辺の自然や地理、風土、具体的な地名など
- 学校の標語や校訓、教育理念、校風など
- 学校や学校の所在地の歴史
- 社会や未来への貢献、新しい社会の建設などを語るモットーやスローガン
- 学校名。校名が変わると歌詞も変わることがある
調は、日本の小学校においてはハ長調とヘ長調が大半を占める。一方日本の大学においてはヘ長調が最も多く、次いで変ホ長調、ト長調、ハ長調と続く。特に変ホ長調については、小学校では比較的少なく、高等学校や大学では好んで採用されているという現象が見られる。校歌を多く手掛けた山田耕筰の作品は特に高等学校以上でト長調を多用している[10]。
日本の学校の歌詞は大半が日本語だが、国際基督教大学や西南学院大学などのミッション系大学とその付属学校では英語の歌詞、朝鮮学校や韓国学校では朝鮮語の歌詞による校歌が歌われる。
歌われる行事
日本の学校では校歌は学生・生徒・児童や教職員が学校行事の際に歌うことが一般的である。
ただし、すべての学校で、あるいはすべての学校行事で校歌が必ず歌われるというわけではない。
校歌の記録
- 日本最初の校歌 - お茶の水女子大学校歌。1875年(明治8年)に前身の東京女子師範学校が開校した際、昭憲皇太后より下賜された御製の和歌にメロディを付けたもの[11]。もっともこれには異説もあり、現代の校歌に連なる「学校の教育理念」を歌詞に盛り込んだ校歌としては1904年(明治37年)の旧制愛知一中(現・愛知県立旭丘高等学校)が初とされる[12]。
- 日本一歌詞が多い校歌 - 長野県諏訪清陵高等学校校歌。第一校歌と第二校歌より構成され、合わせると18番(第二校歌には、別に序章と終章が付く)よりなる[13]。
- 日本一歌詞が短い校歌 - 上宮高等学校校歌。法然上人の詠んだ歌で、「月影」と呼ばれている。
校歌の改廃
校歌が改変されたり、廃止されたりする理由として、次のようなものが挙げられる[14]。
- 戦前戦中に作られた軍国調の校歌が新時代にふさわしくないとの理由で、戦後になって新校歌に置き換えられたり[15]、歌詞を一部改変されたりするケース[16]。
- 少子化の影響による学校の統廃合。
- 男女共学化。
- 校舎移転などの教育環境の変化[15]。
- 校名変更[17]。
その一方で統廃合後も複数の校歌を存続させたり、校歌をも統合するようなケースも存在する[18]。
校歌と高校野球
高校野球の全国大会(甲子園)で校歌斉唱が始まったのは、選抜高等学校野球大会(春のセンバツ)では1929年の第6回大会から、全国高等学校野球選手権大会(夏の大会)では1957年の第39回大会からである。初めて校歌が演奏された学校は、春のセンバツでは大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)、夏の大会では香川県立坂出商業高等学校である。
放送される校歌は、春のセンバツでは各学校が録音して提出した音源をそのまま放送する。夏の大会では各学校は校歌の楽譜を提出し、それを基に主催者から委嘱された音楽家による録音を放送する。
1999年の第71回選抜高等学校野球大会から初戦の2回表と2回裏に対戦相手(2チーム)の校歌が場内放送で歌付きで演奏(斉唱)される。したがってこの大会以降、すべての高校野球全国大会に出場した高校は最低1度は聞くことになる。選手交代のアナウンスは校歌の後で行われる。なおNHKでは2回の校歌演奏の際は勝利校の校歌演奏(斉唱)と同じように歌詞の字幕が表示される。また、NHKでニュースの放送時間の時は2回裏終了後に放送される。ただし、MBS系列や、ABC系列ではCMの関係で最後まで流すことは少ない。雨や雪が強い場合、試合終了後の校歌が流れないことがある[注釈 2]。これは選手や観客の体調面などを考慮したものである。全国高等学校野球選手権大会およびその地方大会では、校歌がない学校が勝利した場合『栄冠は君に輝く』が校歌の代わりとなる。転じて、試合に勝つことを、「校歌を歌う(った)」と表現する場合もある。
各試合の終了後に勝利校の校歌が流れ、全国的にテレビ中継されるため、出場回数の多い高校や、メロディや歌詞が印象的な高校の校歌を覚えている人も多い。また、有償で校歌の入ったCDの配布を行ったところもある。
校歌ダンス
校歌ダンス(こうかダンス)は、校歌に合わせて踊られるダンスで、運動会などの学校行事の際に踊られる。沖縄県や長野県では多くの小学校で行われており、富山県[19]、岐阜県[20]の一部の小学校でも行われている例がある。
一般に、振り付けは各学校でそれぞれ考えられたもので、両手に手旗やボンボンを持って踊るものが多い。
沖縄県の離島などでは、地域の出身者であれば老若男女だれでも踊ることができるところもある。また、校歌ダンスが行われる機会も、運動会以外に限らず、学校行事としては創立記念日、送別会などで踊られるほか、学校外でも豊年祭や敬老の日などの地域のイベントで披露されることも多い。
著名な作詞家・作曲家
作詞家
作曲家
欧米の校歌
欧米では小学校レベルで校歌が制定されている例はめったになく[3]、高校でも校歌が制定されていない学校もある[21]。また校歌が制定されている学校でも、校歌の位置づけは国や地域によって異なっている[21]。
アメリカ合衆国の高校でスクールソング(School Song)が制定されている例は少なくない。ただし、日本の学校のように校内行事で唱和するというより、高校対抗試合などで自校の応援歌として歌う楽曲として認識されていることが多い[21]。
脚注
注釈
出典
- ^ 広辞苑の記述による。
- ^ 杉本 良夫 著『超管理列島ニッポン』カッパ・ブックス、134・135頁
- ^ a b 杉本 良夫 著『超管理列島ニッポン』カッパ・ブックス、134頁
- ^ 学習院歌 - 学習院大学
- ^ 慶應義塾塾歌
- ^ 修猷の歌 - 福岡県立修猷館高等学校の校歌
- ^ 「発掘!校歌なるほど雑学事典」p.12~14
- ^ gooテレビ番組 チコちゃんに叱られる! 2019年4月12日
- ^ 「発掘!校歌なるほど雑学事典」p.21~23
- ^ 「発掘!校歌なるほど雑学事典」p.127~135
- ^ 校歌「みがかずば」 ~お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ~
- ^ 「発掘!校歌なるほど雑学事典」p.10~11
- ^ (8)長~い校歌 延々20番…長野・県立諏訪清陵高 : ふるさと“地”慢 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
- ^ 『発掘! 校歌なるほど雑学事典』p.23-25、p.144
- ^ a b 『中央大学の歌-白門に栄光あれ-』 中央大学広報部、2017年(初版1995年)、1-13頁
- ^ 『歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ』 159-160頁
- ^ “大学の校歌”. 東京都立大学 公式サイト. 2023年4月28日閲覧。
- ^ 『発掘! 校歌なるほど雑学事典』p.144
- ^ うんどうかい - 富山県射水市立中伏木小学校
- ^ 鷺山小学校沿革 - 岐阜県岐阜市立鷺山小学校
- ^ a b c 杉本 良夫 著『超管理列島ニッポン』カッパ・ブックス、135頁
参考文献
- 朝倉隆太郎『山と校歌』二宮書店、1999年2月、ISBN 481760168X
- 浅見雅子・北村眞一『校歌 心の原風景』学文社、1996年3月、ISBN 476200636X
- 校歌こだわり調査隊 『発掘! 校歌なるほど雑学事典』 ヤマハミュージックメディア、2004年11月、ISBN 4636203569
- 渡辺裕 『歌う国民 唱歌、校歌、うたごえ』 中央公論新社、2010年9月、ISBN 978-4121020758
関連項目
- 小学校祝日大祭日儀式規程
- 祝日大祭日歌詞並楽譜
- 文部省唱歌
- 寮歌
- 学生歌
- 応援歌
- 校章
- 学生
- Wikipedia:ウィキプロジェクト 大学/大学歌記事独立基準
校歌(幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・専門学校)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:05 UTC 版)
「芥川也寸志」の記事における「校歌(幼稚園・小学校・中学校・高校・大学・専門学校)」の解説
鳴海ヶ丘幼稚園 弘前大学教育学部附属小学校 新潟県長岡市立大河津小学校 詞:片桐顕智 新潟県柏崎市立鯨波小学校 詞:保坂弘司 新潟小学校/詞:西條八十 群馬県前橋市立若宮小学校 詞:有川美亀男 千葉市立稲毛小学校 詞:松原至夫/1953 千葉県市川市立宮田小学校 詞:西條八十/1955 千葉県市原市立平三小学校 詞:松原至大 2016年閉校 埼玉県皆野町立皆野小学校 詞:金子伊昔紅 埼玉県越谷市立蒲生小学校(作詞:下山つとむ) 東京都足立区立舎人第一小学校 詞:片岡輝 東京都足立区立皿沼小学校 詞:片岡輝 東京都足立区立辰沼小学校 詞:村山俊幸 東京都葛飾区立道上小学校 詞:勝承夫 東京都世田谷区立東玉川小学校 詞:栗原源七 東京都渋谷区立富谷小学校 詞:PTA 東京都立川市立第七小学校 詞:原田重久/1963 東京都西東京(田無)市立谷戸小学校 詞:宮田重雄/1958 長野県松本市立鎌田小学校 詞:亀井勝一郎/1957 長野県松本市立島内小学校 詞:臼井吉見/1969 長野県塩尻市立片丘小学校 詞:西岡実/1968 信州大学教育学部附属松本小学校 詞:臼井吉見/1958 三重県渡会郡南勢町迫間小学校 詞:楠井不二/1972/廃校 長野県平谷小学校・中学校 詞:臼井吉見/1964 青森県中津軽郡大浦村外二ケ村学校組合津軽中学校(現:岩木町立津軽中学校)詞:横山武夫/1952 宮城県気仙沼市立津谷中学校 詞:水上不二/1958 宮城県気仙沼市立大島中学校 詞:水上不二 秋田県羽後町立羽後中学校 詞:井上靖/1975 福島県石川郡石川町立石川中学校 詞:栗原一登 新潟県両津市立東中学校 詞:佐藤春夫(平成24年より統合され、佐渡市立両津中学校となり新校歌が公募され現在は使われていない) 新潟県春日村(現:上越市)春日中学校/詞:亀井勝一郎/1957 廃校 千葉県千葉市立緑町中学校 詞:松原至大 千葉県市原市立八幡中学校 詞:松原至大 千葉県市原市東海中学校 詞:市原三郎 千葉県君津市立周南中学校 埼玉県川口市立元郷中学校 詞:服部嘉香 埼玉県さいたま市立本太中学校 詞:本太中学校/1953 慶應義塾中等部 詞:折口信夫/1948 東京都文京区立第八中学校 詞:校歌選定委員会 東京都墨田区立両国中学校 詞:佐藤義美/1950 東京都にしみたか学園三鷹市立第二中学校詞:服部嘉香/1957 神奈川県藤沢市立長後中学校 詞:草野心平 神奈川県相模原市立上溝南中学校 詞:宮沢章二/1983 神奈川県箱根町立仙石原中学校 詞:谷馨 2008年閉校 長野県東筑摩郡波田町立波田中学校 詞:西尾実/1963 長野県安曇野市立堀金中学校 詞:臼井吉見/1953 名古屋市立桜丘中学校『天地の』詞:柏木義雄/1986 京都教育大学附属京都小中学校中・高等部 詞:伊吹武彦/1957 愛媛県大洲市立大洲北中学校 詞:小山龍之輔(北中と南中は同じ学校が分かれて2つになったため同じ歌詞・同じ作曲の校歌を持つ) 愛媛県大洲市立大洲南中学校 詞:小山龍之輔(北中と南中は同じ学校が分かれて2つになったため同じ歌詞・同じ作曲の校歌を持つ) 長野県 阿南町立阿南第一中学校 詞:西尾実、山下宏/1967 広島県廿日市市立大野東中学校 詞:石本美由起 北海道赤平茂尻高等学校/詞:藤島宇内/1958?/現在は閉校 青森県立弘前南高等学校/詞:小野正文 東陵高等学校(宮城県)/詞:佐藤朔 山形県立寒河江高等学校 常総学院中学校・高等学校(茨城県)/詞:西澤爽 群馬県立高崎高等学校/詞:草野心平/1957 群馬県立富岡東高等学校/詞:佐藤春夫/1952 樹徳高等学校(群馬県) 千葉県立鎌ケ谷西高等学校/詞:大賀初太/1981 千葉県立佐倉高等学校『第二応援歌』 東京都立井草高等学校 東京都立竹台高等学校/詞:土岐善麿/1955 日体荏原高等学校・桜華女学院(東京都)/詞:室生犀星 山梨県立甲府昭和高等学校/金田一春彦/1984 静岡県立修善寺工業高等学校/詞:井上靖/1957 2010年、統合により校歌変更。 静岡県立吉原工業高等学校 三重県立尾鷲高等学校長島校/詞:津坂忍/1958 2008年閉校 岐阜県立東濃高等学校/詞:佐藤春夫/1951 京都府立洛北高等学校・附属中学校/詞:吉川幸次郎 京都府立北稜高等学校/詞:佐藤孝雄 京都府立莵道高等学校詞:吉田金彦/1987 岡山県立吉備北陵高等学校/詞:楠田清毅 2008年に岡山県立高梁高等学校に統合された。 岡山県立矢掛高等学校/詞:小川博史 岡山県立琴浦高等学校(2005年岡山県立倉敷鷲羽高等学校に統合し閉校)/詞:柏野勝子 岡山県玉野市立玉野商業高等学校(現:玉野市立玉野商工高等学校) 徳島県立小松島高等学校校歌/詞:神保光太郎 香川県立高松高等学校/詞:川西新太郎 鹿児島市立鹿児島女子高等学校/詞:菅原杜子雄/1960 高崎商科大学/詞:依光良馨 早稲田大学『早稲田の栄光』詞:岩崎巌 法政大学学生歌『未来圏から吹く風』/詞:條達夫 流通経済大学応援歌「われらが勇者」詞:北耕平 紅陵大学(現:拓殖大学)新応援歌/詞:大木敦夫/1949 京都府立大学「曙」/詞:小谷勝一 大阪産業大学 労働大学の歌「われら労大の仲間」/詞:清水克二 武蔵野短期大学/詞:田健一 大阪社会事業短期大学(1982年廃止)/詞:小野十三郎 埼玉県警察学校寮歌/詞:中村彬之助 中央協同組合学園/詞:西澤爽/2000年に廃校 武蔵野看護専門学校/詞:草野心平/1953 魚菜学園 自由が丘お料理学校/詞:佐藤沙羅夫
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