明治37年 (きのえたつ 甲辰)
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年(年号) | |
●1889年 (明治22年) | ■大日本帝国憲法発布 |
●1894年 (明治27年) | ■日清戦争 |
●1903年 (明治36年) | ■江戸開府300年 |
●1904年 (明治37年) | ■日露戦争 |
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●1907年 (明治40年) | ■足尾銅山で暴動 |
●1910年 (明治43年) | ■韓国併合 |
●1918年 (大正7年) | ■米騒動 |
●1923年 (大正12年) | ■関東大震災 |
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1904年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/16 03:36 UTC 版)
1904年(1904 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、金曜日から始まる閏年。明治37年。
- ^ チャロナー 2011, p. 535.
- 1 1904年とは
- 2 1904年の概要
- 3 他の紀年法
- 4 誕生
- 5 死去
- 6 ノーベル賞
1904年(明治37年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 14:26 UTC 版)
「高松市の歴史」の記事における「1904年(明治37年)」の解説
日露戦争による善通寺第11師団の動員令がくだる。 第二次高松港拡張工事が竣工する。 山陽鉄道と讃岐鉄道が合併する(11月28日)。
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1904年(明治37年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 02:05 UTC 版)
日露戦争(- 1905年〔明治38年〕)、第9回衆議院議員総選挙。
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1904年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:48 UTC 版)
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1904年(明治37年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 13:55 UTC 版)
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1904年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 23:45 UTC 版)
1901年に新イギリス王に即位したエドワード7世は親仏派だった。ドイツを敵視したフランスは、既にロシアとの間で露仏同盟を結んでいたが、1904年の春に長年の宿敵であったイギリスと和解して英仏協商を締結した。 フライングフォックスは、フランスを代表する生産者・馬主となるエドモン・ブラン氏(Edmond Blanc)によってフランスに輸入されて種牡馬になった。その最初の世代が1903年にデビューするといきなり名競走馬が登場し、フライングフォックスはたちまち成功種牡馬となった。 最初に頭角を表したのはグーヴェルナン(Gouvernant)で、2歳戦のラロシェト賞(en:Prix_La_Rochette)を勝った。3歳になると、4月のはじめにフランスダービーの前哨戦の一つであるジャンプラ賞に勝った。5月にはフランス2000ギニー(プール・デッセ・デ・プーラン)に勝ち、イギリスダービーへ乗り込んだ。 この年のイギリス3歳牡馬の3強、2000ギニー優勝のセントアマント(St.Amant)、ヘンリー1世(Henry the First)、ジョンノゴーント(John o'Gaunt)をおさえ、グーヴェルナンは2.75倍で本命に迎えられた。レース前から降り始めた雨が強くなって競馬場は水浸しになり、レースは激しい雷雨の中で行われた。スタートとともに先頭に立ったセントアマントは、最後までそのまま逃げ切って二冠馬となった。初めて雷雨に遭遇したグーヴェルナンはまるで走ろうとせず、後ろから2頭目の7着でゴールした。。パリに戻ったグーヴェルナンは、パリ大賞典で8倍の2番人気になった。 フライングフォックスを父に持つもう1頭の活躍馬がアジャックス(Ajax)である。アジャックスは2歳のうちは1戦しかしなかったが、3歳になるとノアイユ賞、リュパン賞、フランスダービーと勝って4戦全勝でパリ大賞典に出てきた。 グーヴェルナンと差のない3番人気(9倍)にはフォンテーヌブロー賞に勝ったロロー(Lorlot)。フランスダービーで2着に敗れたマクドナルド(Macdonald II)はベイロナルドの子で、パリ大賞典では12倍の4番人気だった。 スタート前にプロファネ(Profane)が、この頃普及し始めた新型の発馬バリヤーに抵抗を示したため、レースの開始は大きくずれ込んだ。最初にチュレンヌ(Turenne)が飛び出し、グーヴェルナンやアジャックスは後方に控えた。坂の下りでプロファネが先頭を奪ってペースを上げると、アジャックスやグーヴェルナンも上がっていったが、1マイルを過ぎる頃にはグーヴェルナンは苦しくなって後退を始めた。最後はチュレンヌが再び先頭に立ったが、アジャックスはこれを難なくかわして楽勝した。2着のチュレンヌから2馬身半遅れた3着にマクドナルドが入り、さらに1馬身遅れてグーヴェルナンが4着だった。 勝ったアジャックスは、母の父クラマール(Clamart)も1891年のパリ大賞典の優勝馬である。 アジャックスはその後、調教中に怪我をして引退し、種牡馬となった。種牡馬になるとすぐにフランスのクラシック勝ち馬を出し始めたが、1914年に第一次世界大戦が始まり、フランス国内の競馬はほとんど開催できなくなってしまった。アジャックスはこの年早逝してしまうが、残された子のうち、テディがスペインで走って良績を残し、種牡馬になって大成功した。 2着のチュレンヌ(Turenne)はその後8月にドーヴィル大賞典(en:Grand Prix de Deauville)を勝った。3着のマクドナルドは秋にロワイヤルオーク賞を勝った。 一方のグーヴェルナンはパリ大賞典の翌週に、新設された共和国大統領賞で古馬と初対戦して勝った。グーヴェルナンは翌年もカドラン賞やドイツのバーデン大賞典に勝ち、1905年の古馬チャンピオンになった。 この年のイギリスとフランスの3歳馬のフリーハンデで、アジャックスはフランス馬としては最上位となる4位にランクされた。首位はプリティポリー、イギリス二冠馬セントアマントが2位、何度かセントアマントを破ったヘンリーザファーストが3位で、セントレジャーで両馬をまとめて負かしたプリティポリーが首位だった。
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1904年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:37 UTC 版)
「エトムント・フッサール」の記事における「1904年」の解説
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1904年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 07:36 UTC 版)
詳細は「1904年」を参照 1904年から1905年にかけて日露戦争。
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1904年(明治37年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/11/14 03:41 UTC 版)
「1872年-1907年の国鉄ダイヤ改正」の記事における「1904年(明治37年)」の解説
この年2月10日に日露戦争が勃発し、それに伴う形で鉄道も兵員・軍需輸送を優先する「臨戦態勢」へと突入することとなった。その4日後になる2月14日実施の改正では東海道線の急行が全て各駅停車へ格下げされ、全線の所要時間は26時間余りを要するようになった。戦局の状況に応じて以後も改正が繰り返され、7月26日 - 9月23日には一時的に全区間を19時間余りで走る急行が復活している。
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「1904年」の例文・使い方・用例・文例
- ロシアとの戦いでの日本の勝利は、日本に韓国と満州に対する支配力を与えた(1904年−1905年)
- 米国のダンサー、振付師(ロシア生まれ)で、抽象的で形式的な作品で知られる(1904年−1983年)
- 米国の外交官で国連当局者(1904年−1971年)
- 米国の神話学者(1904年−1987年)
- ロシアの劇作家で、劇で人の間のコミュニケーションの難しさを取り扱った(1860年−1904年)
- 米国の作家で、ルイジアナでのクレオールの生活について記述した(1851年−1904年)
- 米国の歌手で映画俳優(1904年−1977年)
- 超現実的なスペインの画家(1904年−1989年)
- 米国の画家(オランダ生まれ)で、抽象表現主義の主要なアメリカの主唱者(1904年−1997年)
- 中国の共産主義の政治家(1904年−1997年)
- チェコの作曲家で、民俗音楽要素を店頭的な形と結合した(1841年−1904年)
- 米国の作家で、小説で知られる(1904年−1979年)
- 米国の物理学者(ロシア生まれ)で、ビッグバン理論の提案者であり、放射能を研究し、DNAのトリプレット暗号を提唱した(1904年−1968年)
- 児童書を書いた米国の作家(1904年−1991年)
- 英国のシェークスピアの役を演じる俳優で、映画出演でも知られる(1904年−2000年)
- ポーランドの作家(1904年−1969年)
- 米国の俳優(英国生まれ)で、多くの映画の上品な主演男優(1904年−1986年)
- 英国の小説家でカトリック教徒(1904年−1991年)
- 米国の劇作家で、ジョージ・S・カウフマンと合作した(1904年−1961年)
- 米国のジャズのサックス奏者(1904年−1969年)
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