1843年とは? わかりやすく解説

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天保14年 (みずのとう 癸卯)

天保14年
年(年号)
1825年 (文政8年) 異国船打払令
1828年 (文政11年) シーボルト事件
1829年 (文政12年) 江戸大火
1830年 (天保元年) 伊勢御蔭参り大流行
1837年 (天保8年) 大塩平八郎の乱
1839年 (天保10年) 蛮社の獄
天保14年
1853年 (嘉永6年) 黒船来航
1855年 (安政2年) 安政江戸地震
1858年 (安政5年) 安政の大獄
1860年 (万延元年) 桜田門外の変
1862年 (文久2年) 生麦事件
1863年 (文久3年) 薩英戦争


天保14年
葛飾 北斎 1760年1849年(宝暦10年嘉永2年) 83
滝沢 馬琴 1767年1848年(明和4年嘉永元年) 76
佐藤 信淵 1769年1850年(明和6年嘉永3年) 74
間宮 林蔵 1775年1844年(安永4年弘化元年) 68
為永 春水 1790年〜1843年(寛政2年〜天保14年) 53
徳川 家慶 1793年1853年(寛政5年嘉永6年) 50
遠山 金四郎 1793年1855年(寛政5年安政2年) 50
水野 忠邦 1794年1851年(寛政6年嘉永4年) 49
千葉 周作 1794年1855年(寛政6年安政2年) 49
Siebold Philipp Von 1796年1866年(寛政8年慶応2年) 47
歌川 広重 1797年1858年(寛政9年安政5年) 46
高島 秋帆 1798年1866年(寛政10年慶応2年) 45
男谷 精一郎 1798年1864年(寛政10年元治元年) 45
Harris Townsend 1804年1878年(文化元年明治11年) 39
緒方 洪庵 1810年1863年(文化7年文久3年) 33才
井伊 直弼 1815年1860年(文化12年万延元年) 28
Hepburn J. 1815年1911年(文化12年明治44年) 28
河竹 黙阿弥 1816年1893年(文化13年明治26年) 27
安藤 信正 1819年1871年(文政2年明治4年) 24
阿部 正弘 1819年1857年(文政2年安政4年) 24
勝 海舟 1823年1899年(文政6年明治32年) 20才
Boissonade G. E. 1825年1910年(文政8年明治43年) 18
梅若  実 1828年1909年(文政11年明治42年) 15才
松平 春嶽 1828年1890年(文政11年明治23年) 15才
高橋 由一 1828年1894年(文政11年明治27年) 15才
仮名垣 魯文 1829年1894年(文政12年明治27年) 14才
吉田 松陰 1830年1859年(天保元年安政6年) 13
中村 正直 1832年1891年(天保3年明治24年) 11
近藤 勇 1834年1868年(天保5年明治元年) 9才
Roesler K. 1834年1894年(天保5年明治27年) 9才
橋本 雅邦 1835年1908年(天保6年明治41年) 8才
土方 歳三 1835年1869年(天保6年明治2年) 8才
榎本 武揚 1836年1908年(天保7年明治41年) 7才
徳川(一橋) 慶喜 1837年1913年(天保8年大正2年) 6才
Morse E. S. 1838年1925年(天保9年大正14年) 5才
三遊亭 円朝(初代) 1839年1900年(天保10年明治33年) 4才
渋沢 栄一 1840年1931年(天保11年昭和6年) 3才
Morel E. 1841年1871年(天保12年明治4年) 2才
沼間 守一 1843年〜1890年(天保14年〜明治23年) 0才
Griffis William Eliot 1843年〜1928年(天保14年〜昭和3年) 0才

1843年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/12 05:39 UTC 版)

1843年(1843 ねん)は、西暦グレゴリオ暦)による、日曜日から始まる平年


  1. ^ ファータド 2013, p. 522『最初の「カートゥーン(漫画)」発表』


「1843年」の続きの解説一覧

1843年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 03:47 UTC 版)

十勝沖地震」の記事における「1843年」の解説

天保十勝沖地震天保14年3月26日明方(1843年4月25日)。マグニチュード地震カタログによって異なり、M 7.5 - 8.0津波マグニチュード (Mt) 8.0。『國泰寺日鑑』、『釧路郡役所報告』などに記録がある。ロシアでは南千島地震としている。釧路から根室にかけて強く揺れ厚岸八幡神社4-5尺ずれ、地割れがあり、江戸で有感であった津波北海道太平洋側から千島列島襲来し厚岸波高4-5m、番屋アイヌ家屋流失し45名の溺死者を記録した根室国後島でも溺死者を出した。 この地震による津波の波源域1894年根室半島沖地震重なると推定されることから、十勝沖根室沖の領域連動して発生したプレート間地震推定されている。 発生日時:1843年(天保15年4月25日12時震源の深さ:20km(推定地震規模:M8.0 震央域:千島海溝 種類海溝型地震 最大震度:6 死者43津波厚岸で7m程度

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1843年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/24 06:24 UTC 版)

スロバキア語の歴史」の記事における「1843年」の解説

詳細は「リュドヴィート・シュトゥール」を参照 若いスロバキア人ルター派プロテスタントらが、リュドヴィート・シュトゥール主導で、中央スロバキア方言新しく標準スロバキア語とする事を決定したカトリック用いられていたベルノラーク語と年長スロバキア人ルター派プロテスタントにより用いられていたチェコ語両方に代わって)。この新し言語もヤーン・ホリーの主導によりベルノラーク語の利用者にも受け入れられたが(1851年の項も参照)、ヤーン・コラール1852年没)主導年長ルター派プロテスタントには初め批判された。この言語標準スロバキア語として「現在ももちいられて」いる(1851年の項参照)。これは1844年8月新し標準語として公式に宣言された。この新しスロバキア語初めての文法書1846年リュドヴィート・シュトゥールにより出版された。

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1843年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 06:04 UTC 版)

根室半島沖地震」の記事における「1843年」の解説

1843年十勝沖地震は、津波記録震度分布から根室半島沖の領域活動していた可能性指摘されている。但し、17世紀初頭イベントのような巨大津波発生していない。

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1843年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 18:13 UTC 版)

サロン・ド・パリ」の記事における「1843年」の解説

シャルル・グレール夕べ失われた幻想)』油彩キャンバス157 × 238 cmルーヴル美術館

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1843年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:45 UTC 版)

ギリシャ王国」の記事における「1843年」の解説

1841年7月オソン1世閣僚から提案され立憲制への移行拒否提案行ったギリシャ人外相アレクサンドロス・マヴロコルダトス (en) を解任した。しかし、この行為によりギリシャ人軽んじられ、さらに借款返済のために財政引き締められたことにより、オソン1世への不満がさらに高まり見せることになったバイエルン人摂政らによるギリシャ支配ギリシャ人らの不満を惹き起こしていた。そしてギリシャ独立後にギリシャ移住した「ヘテロフソン」らが王国政府の高い地位独占していたため、独立戦争戦い抜いた軍人らは自らの地位奪い取られたとして不満を抱いていた。 さらにギリシャ破産状態であったため、税金過酷であり、軍事支出への法外な負担列強からの借款利払い費やされたため、世論も不満が高まっていた。そして列強三国もこの状態に不満を抱いており、不満を持つギリシャ人らの反体制運動に対して支援行なっていた。特にイギリス強く支援行なっており、イギリス総督府はその司令部化していた。 さらにイギリス当時統治していたイオニア諸島において自由主義的改革行ないイオニア議会下院ではギリシャにおいて代議制導入することを討議したが、これはギリシャ立憲主義者を刺激することになった。 1843年、1840年始まったヨーロッパ経済不況のあおりを受けていたギリシャ政府破産宣言列強三国信用貸し行なうよう申し出たが、列強はこれに対してギリシャ資産借金補填することを決定した。しかし、この条約批准され予定であった1843年9月3日アテネにおいてヤニス・マクリイアニス (en) 、デミトリオス・カレルギス (en) 、アンドレアス・メタクサス (en) 、マブロコルダトス、コレッティスらによる無血革命 (en) が発生民衆もこれを支持した革命軍宮殿包囲した上で参事院召集オソン1世に対して憲法制定することを求め要望書提出したオソン1世はこれに対して小さな抵抗行なったものの、結局、これを認めた。そのため国民議会憲法制定のために召集された。国民議会イギリス首相ロバート・ピールフランス外相ギゾー助言勧告受けておりイギリス派であるマブロコルダトスとフランス派であるコレッティスらが主導権握った。そのためイギリスフランス両国同意していた国王拒否権大臣の任命認められ、さらにギゾー主張していた王によって任命される終身議員構成される上院創設されることが議論された。結局半年に及ぶ議論の後、1844年3月憲法公布された。 ζήτω το σύνταγμα(憲法歳) 憲法制定後、歳の代わりに何年国民らが叫んだその意味深く知る事はなかった。 憲法 (en) には市民平等、個人の自由出版の自由団体権利保障され税金納付制限付き男性のみではあったが実質的普通選挙認められた。しかし立法権大臣の任命裁判権は王に付随しており、さらに選挙選ばれる下院(ブゥリイ、βουλη)だけではなく、王が任命する上院(ゲルゥシア、γερυσια)との二院制規定されたため、著しく王に権利付随する極端に保守的なものであった憲法制定された後、ギリシャ人首相の座につくことになったが、歴代首相であるフォアナリオティスのマブロコルダトス、ワラキア出身コレッティスアルバニア人のクンドゥリオティスらは名目上ギリシャ人でしかなかった。そして、彼らのほとんどは憲法に関心払わず、マブロコルダトスに至って憲法制定後初の首相であった憲法裏切行為のために辞職追い込まれた。さらにイオアニス・コレッティス首相に就任した際にも憲法重視しなかったため、オソン1世憲法に従うそぶりをみせることはなかった。 しかし、この憲法制定によりギリシャ王国立憲君主制化した

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1843年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/10/03 13:15 UTC 版)

1840年代の航空」の記事における「1843年」の解説

イギリスウィリアム・ヘンソン蒸気動力飛行機構想をたて、フレデリック・マリオットD・Eコロンバイン (D. E. Colombine)と共に特許取得し資金集め目的同年イングランドで「空中輸送会社」 (Aerial Transit Company) を起業した

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