ヒジュラ‐れき【ヒジュラ暦】
読み方:ひじゅられき
ヒジュラ暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/07 15:22 UTC 版)
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ヒジュラ暦(ヒジュラれき、阿: التقويم الهجري at-taqwīm al-hijrīy、英: Hijri calendar)は、主にイスラム圏で使われている暦法である。ヒジュラ太陰暦(ヒジュラたいいんれき)、イスラム暦(イスラムれき)とも呼ばれる。
月の満ち欠けの周期のみに基づく、純粋な太陰暦(閏月を設け、季節のずれを合わせる太陰太陽暦とは異なる)。このため、季節のずれまたは太陽暦とのずれを、毎年約11日ずつ積み重ねていくこととなる[注釈 1]。
紀年法はヒジュラ紀元(ヒジュラきげん)と呼ばれる。ヨーロッパでは一般に、ラテン語で「聖遷の年」を意味する "anno Hegirae" を略してA.H.と表記される。
概要
第2代正統代理人ウマル・イブン・ハッターブが、預言者ムハンマドがマッカからマディーナへ聖遷(ヒジュラ)したユリウス暦622年を「ヒジュラの年」と定めヒジュラ暦元年とする新たな暦を制定した。なお、ヒジュラがあったとされる正確な日付は同622年7月15日(ユリウス通日では1 948 439日)である[1]。
以上の「制定」はクルアーンにおける規定に則ったものであり、それは次の通りである。
- まず、クルアーン(コーラン)の第9章36節抜粋『本当にアッラーの御許で、(1年の)月数は、12か月である。』[2]を以て、「平年の月数が12暦月である」ということが定められた。
- 次いで、同37節抜粋『本当に(聖月を)延ばすことは、不信心を増長させ、それで不信者は誤って導かれている。ある年は(聖月を)普通の月とし、(他の年は)聖月とする。』[2]を以て、「閏月の恣意的なタイミングでの挿入によって、聖月を早めたり遅らせたりすること」が禁じられた。すなわち、実質的に「閏年においても、月数を12暦月とすること」が定められた。
- 上記の2つの規定によって、その制定された暦法は、閏月を置いて季節ないし太陽暦と合わせる太陰太陽暦(日本の旧暦など)とは異なる、太陰暦(純粋太陰暦)となった。
太陰暦は約29.5日である朔望月を基準としているため、月には「29日の小の月」と「30日の大の月」とが存在する(月の大小)。これらがおおむね交互に繰り返され、ちょうど12暦月分そろったところで1暦年ができる。そうしてできた1暦年は約354暦日であるから、毎年[注釈 1]約11日ずつ、季節や太陽暦とズレていく。このように季節を反映しないので、農事暦や財務暦としては不向きで、ルーミー暦(ユリウス暦をベースにした暦)などによって補われることもあった。現代ではイスラーム圏でもグレゴリオ暦が併用されていることが多く、イラン、アフガニスタンなど、紀元をヒジュラ暦元年に置く太陽暦であるヒジュラ太陽暦(主にイラン暦と呼称される)を併用する地域もある[注釈 2]。
グレゴリオ暦 (CE[注釈 3]) とヒジュラ暦 (AH) の簡易換算式は以下の通りである[3]。
グレゴリオ暦 (CE) → ヒジュラ暦 (AH)
- When.exe Ruby版 - 古今東西あらゆる文化および言語で用いられた暦日・暦法・時法・暦年代・暦注などにユニークな名前付けを行い、統一的に扱うことを目的としたフレームワーク。イスラーム暦(30年周期)を含む相互換算にも対応。
- ヒジュラ暦と西暦の対応カレンダー
- 新月観測委員会(Ruyat-e-Hilal Committee Japan) - 日本におけるヒジュラ暦の日付を発表している。
- date converter Hijri
- 『ヒジュラ暦』 - コトバンク
- 『イスラム暦』 - コトバンク