寛政3年 (かのとい 辛亥)
年(年号) | |
●1772年 (安永元年) | ■目黒行人坂火事 |
●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 |
●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 |
●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 |
●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 |
●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 |
●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 |
●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 |
●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 |
・ 杉田 玄白 | 1733年〜1817年(享保18年〜文化14年) | 58才 |
・ 伊能 忠敬 | 1745年〜1818年(延享2年〜文政元年) | 46才 |
・ 長谷川 平蔵 | 1745年〜1795年(延享2年〜寛政7年) | 46才 |
・ 塙 保己一 | 1746年〜1821年(延享3年〜文政4年) | 45才 |
・ 司馬 江漢 | 1747年〜1818年(延享4年〜文政元年) | 44才 |
・ 並木 五瓶 | 1747年〜1808年(延享4年〜文化5年) | 44才 |
・ 大田 南畝 | 1749年〜1823年(寛延2年〜文政6年) | 42才 |
・ 蔦谷 重三郎 | 1750年〜1797年(寛延3年〜寛政9年) | 41才 |
・ 笠森 お仙 | 1751年〜1827年(宝暦元年〜文政10年) | 40才 |
・ 桂川 甫周 | 1751年〜1809年(宝暦元年〜文化6年) | 40才 |
・ 喜多川 歌麿 | 1753年〜1806年(宝暦3年〜文化3年) | 38才 |
・ 鶴屋 南北 | 1755年〜1829年(宝暦5年〜文政12年) | 36才 |
・ 大槻 玄沢 | 1757年〜1827年(宝暦7年〜文政10年) | 34才 |
・ 松平 定信 | 1758年〜1829年(宝暦8年〜文政12年) | 33才 |
・ 葛飾 北斎 | 1760年〜1849年(宝暦10年〜嘉永2年) | 31才 |
・ 山東 京伝 | 1761年〜1816年(宝暦11年〜文化13年) | 30才 |
・ 酒井 抱一 | 1761年〜1828年(宝暦11年〜文政11年) | 30才 |
・ 高橋 至時 | 1764年〜1804年(明和元年〜文化元年) | 27才 |
・ 十返舎 一九 | 1765年〜1839年(明和2年〜天保10年) | 26才 |
・ 滝沢 馬琴 | 1767年〜1848年(明和4年〜嘉永元年) | 24才 |
・ 雷電 為衛門 | 1767年〜1825年(明和4年〜文政8年) | 24才 |
・ 佐藤 信淵 | 1769年〜1850年(明和6年〜嘉永3年) | 22才 |
・ 近藤 重蔵 | 1771年〜1829年(明和8年〜文政12年) | 20才 |
・ 徳川 家斉 | 1773年〜1841年(安永2年〜天保12年) | 18才 |
・ 間宮 林蔵 | 1775年〜1844年(安永4年〜弘化元年) | 16才 |
・ 式亭 三馬 | 1776年〜1822年(安永5年〜文政5年) | 15才 |
・ 柳亭 種彦 | 1783年〜1842年(天明3年〜天保13年) | 8才 |
・ 為永 春水 | 1790年〜1843年(寛政2年〜天保14年) | 1才 |
1791年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/16 03:58 UTC 版)
1791年(1791 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、土曜日から始まる平年。
- 1 1791年とは
- 2 1791年の概要
- 3 誕生
- 4 死去
1791年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 06:10 UTC 版)
詳細は「1791年」を参照 6月20日 - ルイ16世一家が国外逃亡を図るヴァレンヌ事件が勃発。 長さの単位メートルが規定される。
※この「1791年」の解説は、「1790年代」の解説の一部です。
「1791年」を含む「1790年代」の記事については、「1790年代」の概要を参照ください。
1791年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 20:44 UTC 版)
この時期の革命は、ミラボー、ラファイエットら立憲君主制派によって指導されていた。市民軍は自由主義貴族のラファイエットを総司令官に任命し、1790年、彼の提案により三色旗(現在のフランスの国旗)が革命の旗となった。 詳細は「ヴァレンヌ事件」を参照 革命勃発により、貴族や聖職者など特権階級の多くが国外へ亡命を始めていた。1791年、国王と民衆との仲介者であったミラボーが死ぬと、過激化する革命を嫌ったルイ16世は、マリー・アントワネットの愛人とされるスウェーデン貴族フェルセンの助けを借り、王妃の実家であるオーストリアへ逃亡しようと企てた。 6月20日、ルイ16世一家はパリを脱出するが、国境の手前のヴァレンヌで国民に見つかり、6月25日にパリへ連れ戻される。この事件はフランス国民に衝撃を与え、同時にルイ16世の反革命思考が暴露される。革命の波及を恐れるオーストリアとプロイセンとがピルニッツ宣言を発表し(8月27日)、ルイ16世の地位を保証しないと戦争をしかけると脅したので、ルイ16世は国王に留まることとなった。しかし、それまでは比較的多数を占めていた国王擁護の国民からの支持を失う。 9月、正式に憲法が制定された(1791年憲法)。この憲法は君主制のもとで、平民であっても一定以上の税金を納めたものには選挙権を認めた。10月になると最初の選挙が行われ、新しい議会「立法議会」が成立した。立法議会では、立憲君主制を守ろうとするフイヤン派と、共和制を主張するジロンド派の2派が力を持った。ジロンド派は裕福な商工業者をはじめとした上層・中層の市民(ブルジョワジー)を支持層としていた。 詳細は「フランス革命戦争」を参照 ピルニッツ宣言や王党派亡命貴族(エミグレ:移民という意味)による扇動活動は、革命政府に対する重大な脅迫であると受け止められた。ジロンド派内閣は革命維持のため対外戦争に踏み切る。1792年4月、革命政府はオーストリアに対して宣戦布告し、フランス革命戦争が勃発した。しかしフランス軍の士官達は貴族階級であるので革命政府に協力的ではなく、フランス軍は各地で戦いに敗れた。マリー・アントワネットは敵方にフランス軍の作戦を漏らしていた。 3月2日アラルド法(商業の自由・同業者組合(ギルド)禁止) クロード・シャップが腕木通信を発明 3月10日:ピウス6世、聖職者民事基本法を批判して改めて人権宣言を攻撃(反革命) 3月20日:徴税請負制(フェルム・ジェネラル)廃止 3月23日:オランダの女権論者エッタ・パルムがパリで初の女性団体「真実の友同盟」結成 4月2日:ミラボー死去。国王と議会の連絡役が不在に 4月18日:国王一家が復活祭のミサのためにサン=クルーに行くのを拒絶される 5月1日:入市関税廃止 5月16日:ロベスピエールの提案で立憲議員の次期議会での再選禁止決議 6月14日:ル・シャプリエ法(労働者団結禁止法)が可決 6月20日〜25日 : ヴァレンヌ事件 7月5日:レオポルド2世、パドヴァ回状を発す 7月14日 : 第二回全国連盟祭 7月15日:ジャコバン・クラブでルイ16世廃位請願運動を決議 7月16日ジャコバン・クラブから立憲派が脱退し、フイヤン・クラブを設立 フイヤン派主導の立憲議会、ヴァレンヌ事件はルイ16世が誘拐されたものとして免責を宣言 7月17日 : シャン・ド・マルスの虐殺 8月14日:サン=ドマングでハイチ革命が勃発(〜1804年) 8月27日:ピルニッツ宣言 9月:オランプ・ド・グージュが「女性および女性市民の権利宣言(女権宣言)」を発表 9月3日 : 1791年憲法の制定。立憲君主制への移行始まる 9月14日 : 国王が新憲法に宣誓 9月25日:刑法制定(旧刑法) 9月27日:ユダヤ人同権化法令 9月28日:農事基本法可決(囲い込みの自由承認) 9月30日 : 憲法制定国民議会が解散 10月1日 : 立法議会の召集 11月9日:亡命者処罰法が成立(亡命貴族は翌年1月1日までに帰国しなければ死罪) 11月14日:ペティヨンがパリ市長に当選 12月9日:フイヤン派内閣成立(第一次) 12月21日:ロベスピエール、反戦演説 12月31日:ブリッソー、「新しい自由の十字軍」を主張(革命の輸出)
※この「1791年」の解説は、「フランス革命の年表」の解説の一部です。
「1791年」を含む「フランス革命の年表」の記事については、「フランス革命の年表」の概要を参照ください。
1791年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 18:13 UTC 版)
1791年、フランス革命の「自由と平等」のスローガンの下、無審査で誰もが出品できる自由サロンが開催され、1798年に再び審査制度がとられるまで続いた。アンシャン・レジーム期と異なり、サロンに出品することができるのはアカデミーの正会員と準会員に限られるわけではなく、公募制になった。
※この「1791年」の解説は、「サロン・ド・パリ」の解説の一部です。
「1791年」を含む「サロン・ド・パリ」の記事については、「サロン・ド・パリ」の概要を参照ください。
「1791年」の例文・使い方・用例・文例
- フランスの穏健派の政党で、フランス革命の間に政権を握っていた(1791年−1793年)
- 英国の物理学者、化学者で、電磁誘導を発見した(1791年−1867年)
- 米国の物理学者で、電磁気の現象を研究した(1791年−1878年)
- 英国のプリントされたキャラコ布の製作者で、マーセル加工を発明した(1791年−1866年)
- ドイツのオペラの作曲家で、そのスタイルがリヒャルト・ワグナーに影響を及ぼした(1791年−1864年)
- フランスの革命家で、フランス革命の初期に著名であった(1749年−1791年)
- 米国の似顔絵画家で、電報の特許を取り、モールス符号を開発した(1791年−1872年)
- フランスの劇作家(1791年−1861年)
- 英国の聖職者で、メソジスト派の創立者(1703年−1791年)
- 1791年のページへのリンク