享和元年 (かのととり 辛酉)
年(年号) |
|
| ●1783年 (天明3年) | ■浅間山噴火 |
| ●1789年 (寛政元年) | ■棄捐令 |
| ●1790年 (寛政2年) | ■石川島に人足寄場を設置 |
| ●1791年 (寛政3年) | ■江戸市中銭湯の男女混浴を禁止 |
| ●1797年 (寛政9年) | ■湯島聖堂を昌平坂学問所と改称 |
| ●1803年 (享和3年) | ■江戸開府200年 |
| ●1806年 (文化3年) | ■芝の大火 |
| ●1808年 (文化5年) | ■フェートン号事件 |
1801年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/10/10 06:06 UTC 版)
| 千年紀: | 2千年紀 |
|---|---|
| 世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
| 十年紀: | 1780年代 1790年代 1800年代 1810年代 1820年代 |
| 年: | 1798年 1799年 1800年 1801年 1802年 1803年 1804年 |
1801年(1801 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、木曜日から始まる平年。19世紀最初の年である。
他の紀年法
カレンダー
できごと
- 1月1日
- 2月9日 - リュネヴィルの和約締結。フランスとオーストリアが講和しライン川左岸の割譲を承認、第二次対仏大同盟が事実上崩壊[4]。
- 3月4日 - トーマス・ジェファーソンが第3代アメリカ合衆国大統領に就任(民主共和党による初の平和的政権交代)[5]。
- 3月14日 - イギリスでヘンリー・アディントン内閣成立(アイルランドのカトリック解放問題を巡る小ピット辞任を受け就任、対仏融和へ)[6]。
- 3月19日(寛政13年2月5日) - 日本で辛酉革命説に基づき「享和」に改元[7]。
- 3月23日 - ロシア皇帝パーヴェル1世がクーデタで暗殺され、アレクサンドル1世が即位[8]。
- 5月14日 - 第一次バーバリ戦争(トリポリ戦争)勃発。北アフリカの海賊取締りを巡りトリポリがアメリカ合衆国に宣戦布告(合衆国が独立後、西半球外で展開した初の対外戦争)[9]。
- 7月15日 - フランス統領政府(ナポレオン)と教皇ピウス7世の間で宗教協約(1801年のコンコルダート)締結。革命以来の対立を解消しカトリック教会を公認[10]。
- 8月7日(享和元年6月28日) - 幕臣の富山元十郎らが得撫島に「天長地久大日本属島」の標柱を建立[11]。
- 9月8日〜10月7日頃(享和元年8月) - 元オランダ通詞の志筑忠雄がケンペル『日本誌』を重訳し『鎖国論』を脱稿。「鎖国」の語の嚆矢となる[12]。
- 9月12日 - ロシア皇帝アレクサンドル1世が東ジョージアのカルトリ・カヘティ王国併合を宣言(ロシアのカフカス征服・南下政策が本格化)[13][14]。
日付不詳
- 李氏朝鮮でキリスト教(天主教)に対する弾圧(辛酉教獄)が起こり、李承薫らが処刑される[15][16]。
- イギリスのジョン・ドルトンが混合気体の分圧に関する「ドルトンの法則」を発表[17]。
- スイスのペスタロッチが『ゲルトルートはいかにその子を教えるか』を刊行。ルソーの思想を発展させ、直観教授や生活陶冶を体系化[18]。
- ドイツのガウスが『整数論の研究』を刊行。合同式の記法や平方剰余の相互法則の証明、正十七角形の作図法などを体系化し、近代数論の礎を築く[19]。
- 廻船業者高田屋嘉兵衛が幕府から「蝦夷地定雇船頭」に任じられ、択捉航路の定着と漁場開発を本格化[20]。
- 尊皇論者の蒲生君平が『山陵志』を起草・脱稿。「前方後円墳」の墳形呼称を史学史上初めて提唱[21]。
誕生
- 1月10日 - ティエリー・エルメス[22]、フランスの馬具職人(+ 1878年)
- 2月1日 - トマス・コール[23]、アメリカの風景画家(+ 1848年)
- 2月11日(寛政12年12月28日) - 伊東玄朴[24]、蘭方医(+ 1871年)
- 2月21日 - ジョン・ヘンリー・ニューマン[25]、イギリスの神学者・枢機卿(+ 1890年)
- 4月5日 - ヴィンチェンツォ・ジョベルティ[26]、イタリア統一運動時代の哲学者、政治家(+ 1852年)
- 4月8日 - ウジェーヌ・ビュルヌフ[27]、フランスの言語学者、東洋学者(+ 1852年)
- 4月19日 - グスタフ・フェヒナー[28]、ドイツの物理学者、哲学者、心理学者(+ 1887年)
- 4月28日 - アントニー・アシュリー=クーパー (第7代シャフツベリ伯爵)[29][30][31]、イギリスの社会改良運動家(+ 1885年)
- 5月11日 - アンリ・ラブルースト[32][33]、フランスの建築家(+ 1875年)
- 5月16日 - ウィリアム・スワード[34][35][36]、アメリカの政治家、国務長官、アラスカを購入(+ 1872年)
- 6月1日 - ブリガム・ヤング[37]、アメリカのモルモン教会の第2代会長(+ 1877年)
- 6月6日(享和元年4月25日) - 川路聖謨[38]、幕臣、日露和親条約に調印(+ 1868年)
- 6月15日 - カルロ・カッターネオ[39][40]、イタリアの歴史家、政治家(+ 1869年)
- 6月16日 - ユリウス・プリュッカー[41]、ドイツの数学者、物理学者(+ 1868年)
- 6月23日(享和元年5月13日) - 江川英龍(江川太郎左衛門[42])、幕臣・代官(+ 1855年)
- 6月25日(享和元年5月15日) - 大槻磐渓[43]、儒学者(+ 1878年)
- 7月5日(享和元年5月25日) - 近藤芳樹[44]、国学者、歌人(+ 1880年)
- 7月14日 - ヨハネス・ペーター・ミュラー[45]、ドイツの生理学、解剖学者(+ 1858年)
- 7月14日(享和元年6月4日) - 椿椿山[46]、文人画家(+ 1854年)
- 8月3日(享和元年6月24日) - 色川三中[47]、国学者(+ 1855年)
- 8月28日 - アントワーヌ・オーギュスタン・クールノー[48]、フランスの数学者、経済学者(+ 1877年)
- 9月21日 - モーリッツ・フォン・ヤコビ[49][50]、ロシアの電気物理学者(+ 1874年)
- 10月16日 - ヨシップ・イェラチッチ[51]、クロアチア総督(バン)(+ 1859年)
- 11月3日 - ヴィンチェンツォ・ベッリーニ[52][53]、イタリアの作曲家(+ 1835年)
- 11月10日 - ウラジーミル・ダーリ[54]、ロシアの民俗学者、辞書編纂者(+ 1872年)
- 11月21日(享和元年10月16日) - 大原重徳[55]、公家(+ 1879年)
- 12月11日 - クリスティアン・ディートリヒ・グラッベ[56]、ドイツの劇作家(+ 1836年)
- 月日不詳
死去
- 1月2日 - ヨハン・カスパー・ラヴァーター[60]、スイスの牧師(* 1741年)
- 1月11日 - ドメニコ・チマローザ[61]、イタリアの作曲家(* 1749年)
- 1月24日(寛政12年12月10日) - 工藤平助[62]、医師、経世家(* 1734年)
- 3月14日 - イグナツィ・クラシツキ[63]、ポーランド啓蒙期の詩人、小説家(* 1735年)
- 3月22日(享和元年2月8日)- 大典顕常[64](梅荘顕常[65])、臨済宗の僧(* 1719年)
- 3月23日 - パーヴェル1世[66]、ロシア皇帝(* 1754年)
- 3月25日 - ノヴァーリス[67][68]、ドイツの詩人、小説家(* 1772年)
- 4月28日(享和元年3月16日) - 慈周(六如[69])、天台宗の僧侶、漢詩人(*1734年)
- 5月11日(享和元年3月29日) - 澤村宗十郎 (3代目)[70]、歌舞伎俳優(* 1753年)
- 5月27日(享和元年4月14日) - 三宅嘯山[71][72]、俳人、儒学者(*1718年)
- 7月11日(享和元年6月1日) - 本間光丘(本間四郎三郎[73])、豪商(*1732年)
- 7月12日(享和元年6月2日) - 銅脈先生[74][75]、狂詩作者(* 1752年)
- 8月1日(享和元年6月22日) - 荻野検校[76]、平曲家(* 1731年)
- 8月8日(享和元年6月29日) - 細井平洲[77]、儒学者(* 1728年)
- 8月19日(享和元年7月11日) - 小沢蘆庵[78]、歌人(* 1723年)
- 8月31日(享和元年7月23日) - 長久保赤水[79]、地理学者(* 1717年)
- 11月5日(享和元年9月29日) - 本居宣長[80]、国学者・文献学者・医師(* 1730年)
- 11月26日 -デオダ・ドゥ・ドロミュー[81]、フランスの地質学者・鉱物学者(* 1750年)
- 月日不詳
脚注
注釈
出典
- ↑ "Act of Union" - Encyclopædia Britannica
- ↑ 『ケレス』 - コトバンク
- ↑ 『ガウス』 - コトバンク
- ↑ 『リュネヴィルの和』 - コトバンク
- ↑ "Thomas Jefferson: Presidency" - Encyclopædia Britannica
- ↑ "Henry Addington, 1st Viscount Sidmouth" - Encyclopædia Britannica
- ↑ 『享和』 - コトバンク
- ↑ "Alexander I" - Encyclopædia Britannica
- ↑ 『バーバリ戦争』 - コトバンク
- ↑ "Concordat of 1801" - Encyclopædia Britannica
- ↑ 『富山元十郎』 - コトバンク
- ↑ 『鎖国論』 - コトバンク
- ↑ 『ジョージア』 - コトバンク
- ↑ 『グルジア』 - コトバンク
- ↑ 『辛酉教獄』 - コトバンク
- ↑ 『朝鮮史』 - コトバンク
- ↑ 『ドルトンの法則』 - コトバンク
- ↑ 『ペスタロッチ』 - コトバンク
- ↑ 『整数論』 - コトバンク
- ↑ 『高田屋嘉兵衛』 - コトバンク
- ↑ 『山陵志』 - コトバンク
- ↑ 『エルメス』 - コトバンク
- ↑ 『コール』 - コトバンク
- ↑ 『伊東玄朴』 - コトバンク
- ↑ 『ニューマン』 - コトバンク
- ↑ 『ジョベルティ』 - コトバンク
- ↑ 『ビュルヌフ』 - コトバンク
- ↑ 『フェヒナー』 - コトバンク
- ↑ 『シャフツベリ』 - コトバンク
- ↑ 『シャフツベリー伯』 - コトバンク
- ↑ 『シャフツベリ伯』 - コトバンク
- ↑ 『ラブルースト』 - コトバンク
- ↑ 『ラブルスト』 - コトバンク
- ↑ 『シューアード』 - コトバンク
- ↑ 『シュアード』 - コトバンク
- ↑ William-H-Seward - ブリタニカ百科事典
- ↑ 『ヤング』 - コトバンク
- ↑ 『川路聖謨』 - コトバンク
- ↑ 『カッターネオ』 - コトバンク
- ↑ 『カッタネオ』 - コトバンク
- ↑ 『プリュッカー』 - コトバンク
- ↑ 『江川太郎左衛門』 - コトバンク
- ↑ 『大槻磐渓』 - コトバンク
- ↑ 『近藤芳樹』 - コトバンク
- ↑ 『ミュラー』 - コトバンク
- ↑ 『椿椿山』 - コトバンク
- ↑ 『色川三中』 - コトバンク
- ↑ 『クールノー』 - コトバンク
- ↑ 『ヤコビ』 - コトバンク
- ↑ 『ヤコービ』 - コトバンク
- ↑ 『イェラチッチ』 - コトバンク
- ↑ 『ベッリーニ』 - コトバンク
- ↑ 『ベリーニ』 - コトバンク
- ↑ 『ダーリ』 - コトバンク
- ↑ 『大原重徳』 - コトバンク
- ↑ 『グラッベ』 - コトバンク
- ↑ 『生田万』 - コトバンク
- ↑ 『不知火諾右衛門』 - コトバンク
- ↑ 『鈴木春山』 - コトバンク
- ↑ 『ラーバター』 - コトバンク
- ↑ 『チマローザ』 - コトバンク
- ↑ 『工藤平助』 - コトバンク
- ↑ 『クラシツキ』 - コトバンク
- ↑ 『大典』 - コトバンク
- ↑ 『梅荘顕常』 - コトバンク
- ↑ 『パーベル1世』 - コトバンク
- ↑ 『ノバーリス』 - コトバンク
- ↑ 『ノヴァーリス』 - コトバンク
- ↑ 『六如』 - コトバンク
- ↑ 『沢村宗十郎』 - コトバンク
- ↑ 『三宅嘯山』 - コトバンク
- ↑ 『嘯山』 - コトバンク
- ↑ 『本間四郎三郎』 - コトバンク
- ↑ 『銅脈先生』 - コトバンク
- ↑ 『銅脈』 - コトバンク
- ↑ 『荻野検校』 - コトバンク
- ↑ 『細井平洲』 - コトバンク
- ↑ 『小沢蘆庵』 - コトバンク
- ↑ 『長久保赤水』 - コトバンク
- ↑ 『本居宣長』 - コトバンク
- ↑ 『ドロミュー』 - コトバンク
- ↑ 『章学誠』 - コトバンク
- ↑ 『李承薫』 - コトバンク
関連項目
1801年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/12/02 03:54 UTC 版)
「1800年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事における「1801年」の解説
2月1日:大統領選挙人による投票を開票。 2月11日 ~ 2月17日:下院による投票。大統領および副大統領当選者が正式決定。
※この「1801年」の解説は、「1800年アメリカ合衆国大統領選挙」の解説の一部です。
「1801年」を含む「1800年アメリカ合衆国大統領選挙」の記事については、「1800年アメリカ合衆国大統領選挙」の概要を参照ください。
「1801年」の例文・使い方・用例・文例
- ドイツの一連の旅行ガイドブックの出版社(1801年−1859年)
- イタリアのオペラの作曲家(1801年−1835年)
- 米国の海軍大将で、アメリカ南北戦争の時に北軍の船を率いた(1801年−1870年)
- フランスの建築家で、金属構造の使用に初めて成功した一人(1801年−1875年)
- フランス人の辞書編集者(1801年−1881年)
- ドイツ人の生理学者で解剖学者(1801年−1858年)
- 英国の建築家(1801年−1865年)
- 1867年に国務長官としてのロシア(スワードの愚行の時期として知られる)からアラスカの購入を手配した米国の政治家(1801年−1872年)
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