細井平洲とは? わかりやすく解説

ほそい‐へいしゅう〔ほそゐヘイシウ〕【細井平洲】

読み方:ほそいへいしゅう

1728〜1801]江戸中期儒学者尾張の人。名は徳民。字(あざな)は世馨。米沢藩主上鷹山(うえすぎようざん)に招かれ藩校興譲館教え、のち、尾張藩藩校明倫堂で藩内教化に努めた。著「嚶鳴館遺稿」「詩経古伝」など。


ほそいへいしゅう 【細井平洲】

江戸中−後期儒学者尾張豪農の子。名は徳民。折衷学を学び江戸で塾を開く。米沢藩上杉鷹山招かれ、また尾張藩儒官。(一七二八一八〇一)→ 折衷学派

細井平洲

読み方ほそい へいしゅう

江戸中・後期儒者尾張生。名は徳民、字は世馨、通称甚三郎別号如来山人中西淡淵の門。江戸出て私塾嚶鳴館を開き、また藩校明倫館再興尽力した著書に『嚶鳴館詩集』『嚶鳴文集』等。享和元年(1801)歿、74才。

細井平洲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 13:47 UTC 版)

細井 平洲(ほそい へいしゅう、享保13年6月28日1728年8月3日[1] - 享和元年6月29日1801年8月8日[1])は、江戸時代儒学者。本姓は紀氏折衷学派。平洲または如来山人とす、は徳民、通称は甚三郎。字は世馨。尾張国知多郡平島村(現・愛知県東海市)出身。弟子には寛政の三奇人として有名な高山彦九郎などがいる。また、米沢藩藩校興譲館の学則には『紀徳民』とある。


注釈

  1. ^ いかに高名な大学者といえども、屋敷に呼びつけるのが礼儀として正しい当然の時代であり、大藩の藩主が自ら師を郊外まで出迎えるなどというのは他ではありえないことであった。上杉鷹山の謙虚で真摯な姿勢がうかがえる。ただし、指定にはやはり大戦前の時局が影響しており、現在の価値観からはあまり注目されない史跡となっている。[要出典]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 細井平洲”. www.city.tokai.aichi.jp. 東海市. 2022年8月20日閲覧。
  2. ^ 『三百藩藩主人名事典一』参照
  3. ^ 田尻佐 編『贈位諸賢伝 増補版 上』(近藤出版社、1975年)特旨贈位年表 p.31
  4. ^ 学思行賞表彰式


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