中・後期(1809年 - )
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「フリードリヒ・シェリング」の記事における「中・後期(1809年 - )」の解説
1809年に出版された『人間的自由の本質』は、シェリングの思想の大きな転換点とみなされている。 シェリングはこの著作で人間的自由の根拠を問い、悪への積極的な可能性を人間のうちにみる。シェリングによれば、人間は悪を行う自由をもっている、それが人間的自由の本質であり、もって人間をすべての存在者の頂点においている。これはキリスト教また西洋思想における「悪をしない自由」としての自由把握とは正反対にある。そのような自由が人間に可能である根拠として、シェリングは神の存在様態について考える(神はここで人間の存在根拠に他ならない)。神のうちには、神の部分であって神そのものではない「神のうちの自然」があり、神自身と対立している。自らを隠し閉ざそうとする神のうちの自然は、自らを現そうとする神自身にとっての「根底」(Grund) であって、生まれ出ようとする憧憬と隠れようとする力との二つの方向性が神のうちに相争う。神は、自身のうちなるこの対立を自ら克服し、愛をもってこれを覆う。かくして神とその被造物は顕れ出る。そして被造物の頂点である人間のなかに、この目もくらむ対立は自由の可能性として再び現れてくるのである。 ここでシェリングは、彼がそれまで積極的に肯定してこなかった神の人格性を強く主張している。また、いまやシェリングにとって、必然性と自由の対立は、同一期においてそうであったように、たんに絶対者において、したがって本質においては無差別である観念的対立とはいわれていない。実在するもののうちにたしかに対立はあって、その対立を可能にする場とそのありよう、さらにはそのような対立を超えるものの可能性が、いまや問題とされてくるのである。 『自由論』は、シェリングがフリードリヒ・クリストフ・エーティンガーおよびカトリック神学者フランツ・フォン・バーダーを介して知ったヤーコプ・ベーメの思想に大きく影響されているといわれる。『自由論』の術語「神のうちの自然」「根底」「無底(底なし)」はベーメの用語法に由来する。シェリングは神秘思想には比較的好意的で、すでに同一哲学期から新プラトン主義との近親性も指摘されている(『ブルーノ』など)。また1812年の未発表の対話篇『クラーラ』では、エマヌエル・スヴェーデンボリの思想を好意的に紹介している。しかしシェリングはあくまでも神秘主義を全肯定しているのではなく、悟性的・論弁的理性主義が把握できない前理性的ないし非合理なものを神秘思想家が保持していることを評価し、しかし同時に、そのような表現自体は哲学の立場からみて限界があると考えていた。 シェリングは『世界諸世代』(未完)をはじめとする未刊行草稿の著述に努めるとともに、いくつかの講義を行っている。シュトゥットガルト私講義、エアランゲン講義などは、この時期のシェリングの体系を知る上で重要な意義をもつ。この時期、シェリングは『自由論』の思想を発展させ、神そのものの生成と自己展開の歴史としての世界叙述という壮大な構想に取り組んでいた。『世界諸世代』は世界の歴史をその原理である神の歴史として「神になる前の神」である「プリウス」(Prius) から説き起こす試みであり、過去・現在・未来の三部構成からなる予定であったが、実際に書かれたのは過去篇だけであった。過去篇の草稿は複数あることが現在知られている。いわば挫折したこの構想は、しかし後期哲学の『神話の哲学』『啓示の哲学』へとつながっていく。 1841年に、ヘーゲルの死後空席となったベルリン大学哲学教授として招聘され、同地で『啓示の哲学』等を講じた。シェリングは保守的な思想家と考えられており、ヘーゲル主義者による急進的思想に対するいわば防壁となることをプロイセン王家は期待していたと考えられている。しかし思想界では実証科学が隆盛に向かい、ヘーゲル主義哲学が広まっていた当時のベルリンの思想界に、シェリングは実質的な影響を与えなかった。彼の『啓示の哲学』をフリードリヒ・エンゲルスとセーレン・キェルケゴールが聴講していたことが知られているが、二人とも、違った観点から失望を表明している。キェルケゴールの失望に関しては、キェルケゴールが関心をもっていたのは人間の実存であるが、シェリングの関心は神の実存にのみあった、とも評される。 シェリングの後期思想は、同時代人にはほとんど理解者をもたず、ベルリンの彼の講義にはほとんど聴講者がいなかった。その後期思想が評価されるのは、ほぼ100年を待たねばならない。
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中 - 後期(タモリ、2代目総合司会就任後から現在)
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「ミュージックステーション」の記事における「中 - 後期(タモリ、2代目総合司会就任後から現在)」の解説
1987年(昭和62年)4月3日より、タモリが2代目総合司会に就任した。タモリのテレビ朝日の生放送の歌番組の司会就任は、『夢のビッグスタジオ』以来5年ぶりであった。 これと前後して、光GENJI、そして1990年代以降は光GENJIが所属していたジャニーズ事務所所属の男性アイドルグループのレギュラー出演が定着したことなどにより、明確に「若年層向け」の音楽番組へと路線を転換した。 関口からタモリに総合司会交代後も、1989年の放送回では二桁を記録した回が6回のみと低空飛行が続いた。1989年に入ると、音楽自体の多様化に拍車がかかり、同年10月には『ザ・ベストテン』が、翌1990年3月には『歌のトップテン』が、10月には『夜のヒットスタジオ』が相次いで終了するも、ゴールデン・プライムタイムで唯一の歌番組として継続した。その理由について、新聞記事のインタビューで当時の三倉文宏プロデューサーは、「歌番組には、セット作りや照明など、独特のノウハウが必要。一度絶やしてしまうと次の体制づくりが大変なので、できるだけ続けようという社内的コンセンサスがあった」と答え、同じく山本たかおプロデューサーは「10代、20代にターゲットを絞った」ことが続いた理由と語っている。1990年代中盤には、裏番組で当時番組内から誕生したユニットであるポケットビスケッツ(略してポケビ)、ブラックビスケッツ(同じくブラビ)等の人気により、全盛期に入っていた日本テレビ系列『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』に苦戦を強いられた時期もあったものの、1999年に後述の宇多田ヒカル人気もあり、視聴率が再び20%台に乗った。金曜20時台は一時期、日本テレビ対テレビ朝日で2強状態が長らく続き、最終的に2002年3月には最大の相手であった同番組を終了に追い込んでいる。また、同時に他局でもゴールデン・プライムタイムで歌番組が復活するようにもなった。 金曜20時台の末期(2010年代後半)では、通常放送の平均視聴率が6~9%台とやや低調な傾向にあった。また、番組内容は、従来のスタジオライブ・トークのほか、バラエティテイストなVTR企画も増えていった。 2019年(令和元年)10月18日から、放送時間が21:00 - 21:54に繰り下がった。18日の3時間SPの視聴率は10%台であり、21時開始となった最初の放送である2019年10月25日の視聴率は6.7%であった。2020年1月以降は、移動前と同等の6~8%台で推移している。 2021年(令和3年)10月14日、同年9月17日放送時点でタモリが司会に就任してからの在任期間が34年168日、放送回数が1365回に達し、「同一司会者による生放送音楽番組の最長放送」としてギネス世界記録に認定されたことが発表された。タモリとしては、フジテレビ『森田一義アワー 笑っていいとも!』以来2度目のギネス認定となる。
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中後期
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「RADIO BERRY WEEKEND REQUEST」の記事における「中後期」の解説
改編期を前に突如降板することになった栗原に代わり、当時「ボキャブラ天国」で頭角を表していたアリtoキリギリスが2代目DJに就任。 リスナーからのネタハガキを募集するコーナーなどお笑い色の濃い内容となった。なお、ハガキでネタを投稿し採用されたリスナーには官製はがきの裏にパーソナリティの似顔絵が書かれたものなどが送られた(なお、イラストは「ミエノヒトミ」)アリtoキリギリスがパーソナリティーの際には、「体育祭(たいいくまつり)」や「文化祭(ぶんかまつり=お笑いライブ)」などを番組企画としてリスナー参加で行うなどした。なお、アリtoキリギリスの石井正則が結婚発表をしたのもこの番組内である。 RADIO BERRY開局15周年記念特番「セレブレイト15」の企画として、2代目DJのアリtoキリギリスをパーソナリティに迎えて2008年12月6日に一夜限りの復活(ただし19:00-20:55の2時間枠)をした。
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