同一哲学期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 10:01 UTC 版)
「フリードリヒ・シェリング」の記事における「同一哲学期」の解説
1801年、研究者によっては1800年に、シェリング哲学の新たな時期がはじまる。無差別同一性 (Identität) を原理とし、絶対者の自己展開の叙述の学として遂行される哲学、いわゆる「同一哲学」である。 ところで研究者によっては同一哲学の端緒に分類される『超越論的観念論の体系』は、フィヒテとシェリングの間に、重大な亀裂を生じせしめるに至った。もともとフィヒテはシェリングの自然哲学への関心を好意的には受け止めていなかったのであるが、いまやシェリングは自然哲学と超越論的哲学を併置する。そのようなシェリングに対し、自然を他我とみなし従って哲学の対象とは原理的にみなさないフィヒテは、シェリングにあてた書簡などでシェリングの哲学理解に危惧を表明した。自著『私の哲学体系の叙述』(1801年)にフィヒテが加えた批判を契機に、シェリングのほうでも次第にフィヒテと自己との哲学的差異を自覚し、両者は完全に決裂する。フィヒテの転居を期にはじまったふたりの文通は1801年をもって止み、シェリングは対話篇『ブルーノ』(1802年)などの公刊著作で暗にフィヒテを批判した。1806年にはシェリングは名指しでフィヒテを批判するようになる。 同一哲学期にも、シェリングは自然哲学に関する著作を続けたが、それに加えて、芸術についての哲学的思索が集中的になされた。すでに『超越論的観念論の体系』で、芸術は超越論的哲学の系列の終極に位置づけられ、「哲学の真のまた永遠の証書であり機関」と呼ばれている。『ブルーノ』『学問論第14講』(1802/1803年夏講義)『芸術の哲学』(1802/1803年冬講義)では、この立場が、同一哲学の理論的前提の上で改めて展開されてくる。観念的なものの系列において、主観的な学、客観的な行為に対し、芸術は観念的なものの絶対的なポテンツとして、「芸術の宇宙において全を展示する」。このような芸術は、実在的な自然に対しては観念的な自然の像として優越性を保ちつつ併置され、また絶対的な哲学に対しては対像としてその完成の姿に予示を与える、いわば人間の最高の精神的所産かつ生産活動として理解される。そのような最高度の芸術は、ただ自然の十分な把握からのみ可能であるとシェリングは考え、古代人がもっていたそして近代人にとっては失われている神話に換わるものとして(シェリングはここで神話の理想的な姿をギリシア神話のうちに見出す)、まだ生み出されていない「新しい神話」を要請する。ここでの新しい神話の内実には諸説があるが、山口和子は、教訓詩としての自然哲学にその可能性をみており、またシェリングが自身そのような自然哲学を完成させる意欲をもっていたとしている(山口和子『未完の神話』晃洋書房)。
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