手紙
(書簡 から転送)
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手紙(てがみ、英: letter)とは、用事などを書いて、人に送る文書[1]。信書(しんしょ)、書簡・書翰(しょかん)、書状(しょじょう)などとも呼ばれる。古くは消息(しょうそく、しょうそこ)、尺牘(せきとく)とも呼ばれた。
注釈
- ^ 英語のletterも同じ。封筒に入れて届けるもの。封筒に入れないものは「card カード(日本語で葉書)」と呼び分ける。
- ^ 日本における郵便ポストの2つの差し入れ口は、左「手紙・はがき」 /右「その他の郵便」などと表記されているものが大半である。この場合、「手紙」は「はがき」以外の封書を意味して用いられている。
- ^ 直接会える場合は、口頭で伝えてしまうことが一般的である。直接会えるのに、便利な会話で伝えず、わざわざ手間をかけて文字にして渡すのは、一般論として言えば、特殊な事情がある場合である。
- ^ 20世紀初頭、オーレル・スタインによる中央アジアの探検によってその実物が発掘されている(二玄社編(書道辞典) p.150)。
- ^ 1872年以前は旧暦(天保暦)併記。
- ^ エクスパックと異なり、レターパック(500/350/プラス/ライト)は第一種郵便物扱いであり信書送達できる。
出典
- ^ 『大辞泉』、手紙
- ^ https://english.stackexchange.com/questions/231429/is-it-okay-to-use-the-word-letter-instead-of-e-mail-regarding-to-e-mail-corr
- ^ https://www.lexico.com/definition/letter
- ^ 『ルミナス和英辞典第2版』研究社、2005年、146頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『日本大百科全書』(ニッポニカ)、手紙。
- ^ 書簡文学
- ^ 二玄社編(書道辞典) p.150
- ^ 2019年10月1日(火)から郵便料金などが変わりました。
- ^ 郵便法第4条、2020年1月20日閲覧
- ^ 信書のガイドライン、2017年10月19日閲覧
- ^ (詳細は「内国郵便約款」第81条『同時配達の扱い』を参照)
- ^ 郵便法第4条第3項、「信書に該当する文書に関する指針」
- ^ 郵政省『続逓信事業史』1961年、ほか。
- ^ a b “特別展「ニッポンノテガミ」の開催”. 日本郵政株式会社 郵政資料館. 2020年8月18日閲覧。
書簡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 08:32 UTC 版)
慶国の王・陽子と、雁国の学生・楽俊。かつて共に旅をした2人は、今は遠く離れ、鸞で現状を伝え合っていた。
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書簡
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投票日の4日前、10月25日になって高級紙「タイムズ」、保守的な大衆紙「デイリー・ミラー」、「デイリー・メイル」などに問題の書簡に関する記事が掲載された。これはソビエト連邦の政治家でコミンテルンの指導者でもあるグリゴリー・ジノヴィエフが執筆したイギリス共産党に対する指示書の形をとっていた。「デイリー・メイル」の記事の見出しは「社会主義者の親玉による内戦陰謀:モスクワが我が国のアカに命じる;巨大な計略が明らかに」であった。 最も注目を浴びたのは次の一節である。 A settlement of relations between the two countries will assist in the revolutionizing of the international and British proletariat not less than a successful rising in any of the working districts of England, as the establishment of close contact between the British and Russian proletariat, the exchange of delegations and workers, etc. will make it possible for us to extend and develop the propaganda of ideas of Leninism in England and the Colonies. 書簡では、「両国間のプロレタリアートを団結させる貿易協定」の批准に「ブルジョワジー」と「反動主義者」が反対していること、批准に向け圧力をかけるためにプロレタリアートたちを動員してソ連への融資が経済に有益であると主張させ社会を扇動すること、選挙では労働党を支援すること、革命に備え軍事指導者を準備することなどが書かれていた。マクドナルド首相は書簡の信頼性に疑問を呈したが徒労に終わった。首相は閣議において「ズタ袋に詰め込まれて海に投げ込まれた男の気分だ」と語っている。 選挙ではスタンリー・ボールドウィンが率いる保守党が勝利した。ボールドウィンは政権獲得後に書簡の調査委員会を作ったが、委員会は本物であると結論した。偽書ではないかとの疑問は消えなかったがそれ以上の調査は行われなかった。11月21日にボールドウィンは貿易協定を破棄した。 コミンテルンとソビエト連邦政府は当初から一貫して書簡の信頼性を否定し続けた。ジノヴィエフは10月27日に公式の否定文書を公表し、12月にイギリス共産党の機関紙「コミュニスト・レビュー」にも掲載された。 歴史家のルイス・フィッシャーは、ジノヴィエフ書簡が総選挙の結果に決定的な役割を果たし、少なくとも100選挙区の結果が影響を受けたとしている。この総選挙における労働党の敗北は必然であり、書簡は影響を与えなかったとの評価も存在する。
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書簡
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『山縣有朋関係文書〈第2巻〉』尚友倶楽部山縣有朋関係文書編纂委員会編、山川出版社、2006年3月。ISBN 4-634-51181-9。 - 山縣宛高橋書簡が1通収録されている。
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書簡
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吉田茂記念事業財団編 編 『吉田茂書翰』中央公論社、1994年2月。ISBN 9784120022937。 NCID BN10481727。全国書誌番号:94042365。 柴田紳一編 編 『吉田茂書翰』 追補巻中央公論新社、2011年3月。ISBN 9784120042089。 NCID BN10481727。全国書誌番号:21934849。 『吉田茂=マッカーサー往復書簡集(1945-1951)』、袖井林二郎編訳法政大学出版局、2000年5月。ISBN 9784588625091。 NCID BA46551312。全国書誌番号:20079345。 『吉田茂=マッカーサー往復書簡集(1945-1951)』、袖井林二郎編訳講談社〈講談社学術文庫〉、2012年7月。ISBN 9784062921190。 NCID BB09644808。全国書誌番号:22135623。
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書簡
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文化6年(1809年)、『文反故』(ふみほうぐ) - 書簡文集。
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書簡
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「デーヴィッド・ハーバート・ローレンス」の記事における「書簡」の解説
『D.H.ロレンスの手紙』織田正信訳 紀伊国屋出版部 1934 『愛と芸術の手紙』永松定訳 健文社 1936『D.H.ロレンスの手紙』オールダス・ハックスレー編、伊藤整・永松定訳 彌生書房(上下) 1956‐57、新版(全1巻)1971 『ロレンス 愛の手紙』伊藤礼訳 筑摩叢書 1976 『D.H.ロレンス書簡集』 松柏社 2005-。9巻目まで刊(2019現在)吉村宏一・田部井世志子・岩井学・北崎契縁・杉山泰・今泉晴子・霜鳥慶邦・横山三鶴・山本智弘ほか編訳 『ロレンス 愛と苦悩の手紙 ケンブリッジ版 D・H・ロレンス書簡集』 鷹書房弓プレス 2011ジェイムズ・T.ボールトン編、木村公一・倉田雅美・伊藤芳子編訳
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書簡
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彼は、イングランドの友人や、ザルツブルクの司教のアルノー(彼もまたカール大帝の助言者の一人であった。)、またカール大帝に多くの手紙を書いた。手紙は311通は現存している。主に敬虔な黙想録で満たされるが、当時の文学と社会状況がよくうかがえるもので、カロリング朝の人文主義の歴史に対する最も信頼できる資料である。 カール大帝が795年教皇レオ3世が選出された際に送った外交書簡はアルクィンの手になるものと考えられている。この書簡は、キリスト教のための戦争、信仰の擁護などをフランク国王の職務と述べ、ローマ教皇の職務は祈りを通じて国王を補佐することであると述べている。
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書簡
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青年イタリア結成に先立ち、マッツィーニはサルデーニャ王に即位したばかりのカルロ・アルベルト (Carlo Alberto) に公開書簡を送り、イタリア統一に向けて決起するよう促した。 1821年にカルボナリがトリノで蜂起した際、サルデーニャ王子であったカルロ・アルベルトは革命政府の摂政に就任した。アルベルトは決起を指導した高級将校らと親交があり、また摂政就任後には憲法制定を確約した。さらに、イタリアを脅かすオーストリアに彼が強く反発していることは周知の事実であった。こうしたことから、アルベルトは革新的君主と目されていた。 しかし、宮廷内は保守勢力が多くを占めており、必ずしもアルベルトの意のままに動くわけではなかった。また、サルデーニャは隣国フランスへの対抗措置として、オーストリアとの相互防衛に向けた交渉を進めていた。結局アルベルトは、差出人に対する逮捕命令を下した。この命令は、アルベルトが反動君主に堕したと人々に思わせるに充分であった。 書簡の主がマッツィーニなる若き弁護士であることはすぐに知れ渡り、彼が結成に向け奔走していた青年イタリアにも、にわかに注目が集まった。
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書簡
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「ベートーヴェンの関連作品」の記事における「書簡」の解説
ベートーヴェンの書簡集。出版年順。 『ベートホーヴェンの手紙』外山楢夫 訳、新しき村出版部、1926年。 『ベートー[ヴェ]ンの手紙』中西武夫 訳、啓明社、1928年。 『ベートー[ヴェ]ン書翰集』中西武夫 訳、啓明社、1930年。 『ベートーヴェンの手紙』鈴木賢之進 訳、音楽世界社〈楽聖書簡叢書〉、1936年。 『ベートーヴェン書簡集』小松雄一郎訳、岩波書店〈岩波文庫 2579-2581〉、1940年。『ベートーヴェン書簡集』小松雄一郎 選訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1950年。 『ベートーヴェン書簡集』小松雄一郎 訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1957年、改訂増補版。 - 附:ベートーヴェン重要作品年表と索引。 『新編 ベートーヴェンの手紙』上、小松雄一郎 編訳、岩波書店〈岩波文庫 青501-3〉、1982年1月16日。ISBN 4-00-335013-8。 - 原タイトル:Ludwig van Beethovens sämtliche Briefe。 『新編 ベートーヴェンの手紙』下、小松雄一郎 編訳、岩波書店〈岩波文庫 青501-4〉、1982年1月18日。ISBN 4-00-335014-6。 - 原タイトル:Ludwig van Beethovens sämtliche Briefe。 『ベートーヴェンの言葉』原田義人 訳、創元社〈創元文庫 C 第18〉、1953年。 『音楽ノート』小松雄一郎 訳編、岩波書店〈岩波文庫 青501-2〉、1957年12月5日。ISBN 4-00-335012-X。 『ベートーヴェンの恋文:新たに発見されたダイム伯夫人への13通』J・シュミット=ゲールグ 編、属啓成 訳、音楽之友社、1962年。『ベートーヴェンの恋文:新たに発見されたダイム伯夫人への13通』J・シュミット=ゲールグ 編、属啓成 訳、音楽之友社、1970年。 - 箱入。 『ハイリゲンシュタットの遺書』グスターフ・ヴァール 解説、属啓成 訳、音楽之友社、1967年。ISBN 978-4-276-00581-5。 - 別冊(袋入)遺書の複製 独文併記。 『ベートーベン』塩谷太郎 訳編、松井行正 絵、小峰書店〈世界偉人自伝全集 15〉、1968年。『ベートーベン』塩谷太郎 訳編、松井行正 絵、小峰書店〈世界偉人自伝全集 15〉、1980年。 - 図版,肖像,年表あり。 『ベートーヴェン書簡選集』上、小松雄一郎 訳編、音楽之友社、1978年6月。 『ベートーヴェン書簡選集』下、小松雄一郎 訳編、音楽之友社、1978年6月。『ベートーヴェン書簡選集』上、小松雄一郎 訳編、音楽之友社、1979年6月。 - 巻末:人名索引、作品索引あり。 『ベートーヴェン書簡選集』下、小松雄一郎 訳編、音楽之友社、1979年6月。 - ベートーヴェンの肖像あり。 『ベートーヴェンの日記』メイナード・ソロモン編、青木やよひ・久松重光 訳、岩波書店、2001年10月12日。ISBN 978-4-000-02059-6。 - 原タイトル:Beethoven's Tagebuch。 『わが不滅の恋人よ』ジークハルト・ブランデンブルグ 解説、沼屋譲 訳、日本図書刊行会、2003年7月。ISBN 4-8231-0761-6。 - 原タイトル:Beethoven:der Brief an die Unsterbliche Geliebte。原著改訂版の翻訳。『わが不滅の恋人よ』ジークハルト・ブランデンブルグ 解説、沼屋譲 訳、日本図書刊行会、2007年12月、改訂版。ISBN 978-4-8231-0846-4。 - 原タイトル:Beethoven:der Brief an die Unsterbliche Geliebte。原著改訂版の翻訳。 『新訳 ベートーヴェンの日記』沼屋譲 訳・補注、近代文藝社、2009年11月。ISBN 978-4-7733-7677-7。 - 文献あり。
※この「書簡」の解説は、「ベートーヴェンの関連作品」の解説の一部です。
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書簡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 07:30 UTC 版)
日遙が27歳の頃、朝鮮通信使(回答兼刷還使)と京都で偶然に出会う。文禄・慶長の役で日本に抑留された被虜朝鮮人の帰国を目的とした使節であった。朝鮮通信使が帰国してから13年後、日遙の友人河終男はこの報を聞きつけ、故鄕の河東郡に生存の事実が伝えられると、両親は号泣して息子の生存を喜び、急ぎ熊本に手紙を書き送った。この手紙が届いたことにより、日遙は父母の消息を知ることになる。 それから二往復の手紙のやりとりがあった。
※この「書簡」の解説は、「日遙」の解説の一部です。
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「書簡」の例文・使い方・用例・文例
- ビジネスレターは会社のレターヘッドを刷り込んだ書簡紙に書かれるべきだ。
- 私は彼から往復書簡を受け取った。
- 書簡文体.
- 書簡体小説.
- (新約聖書中の)パウロの書簡.
- (はぎ取り式の)書簡紙, 便箋.
- 全集に収録された彼の書簡は, 日常生活における作家の心の動きを教えてくれるだろう.
- 書簡紙と揃いの封筒
- 書簡用箋
- 御書簡披見仕候
- 書簡紙と似合いの封筒
- すかし入りの書簡紙
- 本月三日付の御書簡
- 書簡体の情事の終わらない場面
- 書簡体の小説
- ローマ教皇の書簡に付いている丸い鉛の封印
- 聖パウロからコリントスの教会まで最初の使徒書簡を含んでいる新約聖書
- コリントスで聖パウロから教会まで第2の書簡を含んでいる新約聖書本
- 聖パウロからガラテヤ人への書簡を含む新訳聖書
- キリストで世界に対する神の計画と、キリストのこの終焉を説明する聖パウロからエペソ人へ使徒書簡を含む新約聖書
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