てんぽう‐れき【天▽保暦】
天保暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 05:09 UTC 版)
天保暦(てんぽうれき)は、かつて日本において使用された太陰太陽暦の暦法である。過去に中国に同名の「天保暦」が存在するため、「天保壬寅元暦(てんぽうじんいんげんれき)」と呼ぶこともある。太陰太陽暦は、日本において改暦を繰り返しながら何度か採用されたが、天保暦はそれらの中で最後に使用された暦法である。
注釈
- ^ なお明治維新の際、陰陽頭・土御門晴雄が太陽暦導入に反対して太陰太陽暦に基づく改暦を企図したが、晴雄の急逝により計画が中止されたため、天保暦に代わる太陰太陽暦への改暦は実施されなかった。
- ^ 改暦の年月日を、「弘化元年1月1日」としている場合もあるが、天保15年は、12月1日(1845年1月8日)までで、弘化元年は、12月2日(1845年1月9日)に改元される。しかし、改元が布告された時点でその年の元日にさかのぼって新元号の元年と見なす場合(改元#種類を参照)があり、改暦を「天保15年」とする文献と、さかのぼって「弘化元年」とする文献があるので注意が必要である。
- ^ 2015年の場合、2月2日に発行された「官報」第6463号の25ページ〜26ページに「平成28年(2016)暦要項」が「告示」(=掲載)されている。
- ^ 「暦要項」は、「国民の祝日」、「日曜表」、「二十四節気および雑節」、「朔弦望」、「東京の日出入」、「日食・月食など」などの各節から構成されている。
- ^ 中国では現在も公的に太陰太陽暦である時憲暦がメンテナンスされており、これを基準として春節が祝われる。
出典
天保暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/19 20:40 UTC 版)
1844年の天保暦では入梅は「太陽黄経80°の日」とされた。以前の(貞享暦以来の)入梅の定義には十干が使われていたため10日幅の変動があったが、それを均した日にほぼ一致する。
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