天保年間頃の天王祭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/13 13:55 UTC 版)
「館林の牛頭天王信仰」の記事における「天保年間頃の天王祭」の解説
江戸時代も末期となると、祭礼のしきたりも大分乱れてきたらしく、天保4年(1833年)の『天王祭礼之儀ニ付申渡』では、新たに町惣代や名主の間で取り決めができた。これによると、綱吉時代の御供米6俵が半分の3俵に減らされているが、初穂料は従前どおり1社あたり1貫文、3社で3貫文であった。 また町内での八丁注連(はっちょうしめ)や仮屋の場所も記録に残されている。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}町内八丁注連、五月晦日より六月十五日迄左の通 片町・並木町 入り口壱ヶ所 片町・連雀町 入り口壱ヶ所 片町・鍛冶町 入り口壱ヶ所 加法師 入り口壱ヶ所 台宿町・足利町 入り口壱ヶ所 塚場町・鞘町 入り口壱ヶ所 塚場町、太田口内 入り口壱ヶ所 竪町・材木町 入り口壱ヶ所 目車町・新紺屋町 入り口壱ヶ所 新紺屋町・本紺屋町 入り口壱ヶ所 肴町 入り口壱ヶ所 江戸口 壱ヶ所 佐野口 壱ヶ所 材木町、高徳寺前 壱ヶ所 新紺屋町、加納院前 壱ヶ所 木挽町、山神前 壱ヶ所天王仮家、六月朔日より六月十五日迄左の通 竪町、定使(じょうづかい)屋敷前 材木町、市右衛門前 谷越町、四ヶ所 足利町、小辻
※この「天保年間頃の天王祭」の解説は、「館林の牛頭天王信仰」の解説の一部です。
「天保年間頃の天王祭」を含む「館林の牛頭天王信仰」の記事については、「館林の牛頭天王信仰」の概要を参照ください。
- 天保年間頃の天王祭のページへのリンク