天保山町の設置以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 14:06 UTC 版)
「天保山町 (鹿児島市)」の記事における「天保山町の設置以降」の解説
1934年(昭和9年)2月に下荒田町に属していた天保山の区域が分割され鹿児島市の町「天保山町」として設置された。但し、町として設置された時期については「角川日本地名大辞典」においては、1911年(明治44年)に天保山の区域が鹿児島市に編入された際に「天保山町」が設置されたと記述されている。 1934年(昭和9年)に失業救済事業として行われていた鹿児島湾の天保山護岸工事が2年の月日を費やして完成した。1935年(昭和10年)には日本放送協会の鹿児島放送局の局舎が天保山に設置されることが決定し、局舎の建設に着手、同年10月26日にラジオ放送を開始した。また同年までに天保山にあった池沼が埋立てられた。1935年(昭和10年)には洲崎町(現在の錦江町など)との間に天保山橋が開通し、1967年(昭和42年)には天保山大橋が開通した。 1973年(昭和48年)12月3日には天保山町、鴨池町(現在の鴨池)、下荒田町の各一部にあたる下荒田・天保山地区において住居表示が実施されるのに伴い町域の再編が行われた。下荒田町、天保山町、上荒田町の各一部より下荒田一丁目、下荒田町、天保山町の各一部より下荒田二丁目が設置され、下荒田町の一部が天保山町に編入された。また同時に天保山町の全域で住居表示が実施された。 第二次世界大戦終戦後から戦災復興地区として土地区画整理事業が天保山地区で行われていたが、1981年(昭和56年)までに完了した。1984年(昭和59年)には鹿児島市消防局中央消防署が天保山町に庁舎を新築移転した。 2006年(平成18年)には、1935年(昭和10年)の開局以来天保山に設置されていた日本放送協会鹿児島放送局が本港新町に新築移転した。
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