天保年間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/14 14:35 UTC 版)
天保4年(1833年)、大雨による洪水や冷害が原因となり起こった天保の大飢饉は、天保10年(1839年)まで続く大規模なものであった。飢饉による米不足により、天保8年(1837年)に大坂で大塩平八郎の乱が起こる。百姓・町人による一揆とは異なる、支配階級である武士が幕府に反旗を翻したことは、社会に大きな衝撃を与えた。水野忠邦は天保5年(1834年)に老中に、天保10年(1839年)には老中首座に任じられていたが、本格的な改革が始動するまでには家斉の死去を待たねばならなかった。天保8年(1937年)に家斉は子の家慶に将軍職を譲り隠居するも、天保12年(1841年)に死去するまで大御所として親政を行った。
※この「天保年間」の解説は、「大御所時代」の解説の一部です。
「天保年間」を含む「大御所時代」の記事については、「大御所時代」の概要を参照ください。
天保年間(1830年 - 1844年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:34 UTC 版)
「大相撲優勝力士一覧」の記事における「天保年間(1830年 - 1844年)」の解説
場所番付四股名成績備考1831年(天保2年)2月 東前2 鷲ヶ濱 6勝0敗1預3休 1831年(天保2年)11月 西大関(横綱) 稲妻 8戦全勝 勧進能開催との兼ね合いにより8日間で打ち切り。 1832年(天保3年)春 - - - 開催されず。 1832年(天保3年)11月 西大関(横綱) 稲妻(頂) 8勝0敗1分1休 頂は西前頭6で9勝1敗。 1833年(天保4年)2月 西大関(横綱) 稲妻 9勝0敗1分 1833年(天保4年)11月 東前3 黒岩 5勝0敗1分1預1休 8日目で打ち切り。 1834年(天保5年)正月 東前2 小柳 8勝0敗1分1休 1834年(天保5年)11月 東小結 黒岩 7勝0敗1分2休 1835年(天保6年)正月 東大関(横綱) 阿武松 7勝0敗2分1休 1835年(天保6年)10月 東小結 黒岩(鰐石) 6勝0敗2分2休 鰐石は東前頭3、7勝1敗1分1休、のちの劔山。 1836年(天保7年)2月 東前1 鰐石 5勝0敗1休 6日目で打ち切り。 1836年(天保7年)11月 東小結 鰐石 7勝0敗1分2休 1837年(天保8年)正月 西大関(横綱) 稲妻 5勝0敗1分4休 1837年(天保8年)10月 東前1 鰐石 6勝0敗1分1無勝負2休 1838年(天保9年)2月 東前6 鏡岩 5勝1敗 6日目で打ち切り。 1838年(天保9年)10月 西前4 天津風 8勝0敗1預1休 後の岩見潟・秀の山。 1839年(天保10年)3月 西前1 天津風 7勝0敗1分2休 1839年(天保10年)11月 西小結 天津風 6勝0敗2分2休 1840年(天保11年)2月 西大関 不知火 8勝0敗2休 1840年(天保11年)10月 東関脇 稲川 7勝1敗2休 1841年(天保12年)正月 西関脇 鰐石 6勝0敗1預3休 1841年(天保12年)11月 西関脇 鰐石 8戦全勝 大雪のため8日で打ち切り。 1842年(天保13年)2月 東関脇 湖東山 7勝0敗1分2休 1842年(天保13年)10月 東大関 鰐石 5勝1敗2分3休 1843年(天保14年)正月 西関脇 岩見潟(鏡岩、小柳) 5勝0敗1分4休 前場所で天津風より改名。鏡岩は東小結7勝2敗1休、小柳東前頭2で6勝1敗1分2休。 1843年(天保14年)10月 東前2 小柳 7勝0敗1分2休 1844年(天保15年)正月 西前2 荒馬 6勝1敗3休 1844年(天保15年)10月 西大関 秀の山 8勝0敗2休 3日目から岩見潟より改名。
※この「天保年間(1830年 - 1844年)」の解説は、「大相撲優勝力士一覧」の解説の一部です。
「天保年間(1830年 - 1844年)」を含む「大相撲優勝力士一覧」の記事については、「大相撲優勝力士一覧」の概要を参照ください。
天保年間
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 08:51 UTC 版)
天保の改革の時代。 『六歌仙容彩』(ろっかせん すがたの いろどり) (天保2年・1831)『遍照』、『文屋』、『業平』、『喜撰』、『黒主』 (『小町』はない) 『弥生の花浅草祭』(やよいの はな あさくさ まつり) (天保3年・1832) 『三社祭』 『道行旅路の花聟』(みちゆき たびじの はなむこ) (天保4年・1833) 『落人』、『お軽勘平』 『忍夜恋曲者』(しのびよる こいは くせもの) (天保7年・1836) 『将門』、『滝夜叉』 『由良湊千軒長者』(ゆらの みなと せんげん ちょうじゃ) (天保8年・1837) 『三荘大夫/山荘大夫』(さんしょ だゆう)、『鶏娘』 『花舞台霞の猿曳』(はなぶたい かすみの さるひき) (天保9年・1838) 『靱猿』(うつぼ ざる) 『勧進帳』 (かんじんちょう) (天保11年・1840) 『宮島のだんまり』(みやじまの だんまり) (天保13年・1842) 『乗合船恵方万歳』(のりあいぶね えほう まんざい) (天保14年・1843)
※この「天保年間」の解説は、「歌舞伎の演目一覧」の解説の一部です。
「天保年間」を含む「歌舞伎の演目一覧」の記事については、「歌舞伎の演目一覧」の概要を参照ください。
- 天保年間のページへのリンク