死去
死去(しきょ)とは、人が死んでこの世を去ることである。
「死去」の「死」は「命がなくなること、生物の生命活動がなくなること」を指す。「去」は「さ(る)」とも訓じ、「その場所からいなくなる」といった意味合いで用いられる。「死去」は、尊敬・謙譲のニュアンスを含めずに「人の命がなくなった」という事実を公に伝える場合など、幅広い場面において使われる。
「死去」は病気や老衰などが死因の場合に用いられることが多い。「死亡」は事件や事故によって亡くなった事実をニュース等で報じる場合などに用いられる。
・(ニュースの見出しなど)俳優、田中太郎が死去
・(ニュース文など)心不全のため、都内の病院で死去、72歳。
・歌手のウイリアム・ブラウンが5日、突発性血虚心不全で死去した。
「死去」の類語には「逝去(せいきょ)」「急逝(きゅうせい)」「死亡(しぼう)」などがある。「逝去」は身内以外が亡くなった場合の敬語表現として使用される(例:六月七日、ご逝去されました)。「急逝」は身内・他人を問わず、前触れなく突発的に亡くなった場合に用いられるほか、若い世代や働き盛りの人が急に亡くなった場合にも使われる(例:先週お会いした取引先の担当者が急逝されたと聞いた)。「死亡」は事件や事故の結果、人が亡くなったことを報道機関が伝える場合に使われることが多い(例:脱線事故で3名が死亡した)。
「死去」の対義語には、「誕生(たんじょう)」「生誕(せいたん)」などがある。「誕生」は「妹が誕生した」「合同会社が誕生した」のように、人や物が新しく生まれた時に使われる。「生誕」は故人が生まれた当時について述べる際に用いられる(例:ここは初代大統領生誕の地だ)。
死去
死去 (1852年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 10:09 UTC 版)
「アーサー・ウェルズリー (初代ウェリントン公爵)」の記事における「死去 (1852年)」の解説
1852年9月14日にケントのウェルマー(英語版)の城で死去。83年の生涯だった。葬儀は11月18日にセント・ポール大聖堂で行われた 。 死の11日ほど前に友人に「戦争するということと生きていくことは同じことだ。それは知らないことを知ろうと努めること、つまり丘の向こうにあるものを知ろうとすることだからだ」という言葉を残した。
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死去
「死去」の例文・使い方・用例・文例
- 級友の死去を悼む
- 今年は明治天皇が死去して100年目の年です。
- そして彼は最後の言葉を残して死去した。
- 彼は死去いたしました。
- 三村・泰之氏(みむら・やすゆき=コニチカ株式会社取締役)三日、心不全で死去。45歳。
- 私は新聞で彼の死去のことを知った。
- 国民全体は国王死去の報を聞いて悲しんだ。
- ノーベル賞受賞者湯川博士は1981年に死去した。
- 原氏は昨日池袋の自宅で死去された. 享年 75 歳.
- 祖母の死去を知り, 子供の頃のさまざまな思い出が脳裡に去来した.
- 久々病気のところ養生かなわず昨夜死去致し候
- 医薬その效無くて昨夜死去しました
- 御尊父様御死去の由新聞紙にて承知仕り候
- インカの帝国が最も広い範囲に達したインカの統治者(1525年に死去)
- それまでの神を拒絶し、彼らを太陽崇拝と取り替えたエジプトの初期の統治者(紀元前1358年に死去)
- バーバリの海賊(1546年に死去)
- ユリウス・カエサルに対する陰謀の原動力(紀元前42年に死去)
- イタリア人の1080年から1100年までの対立教皇で、作品がローマ法王としてローマ教皇の改革における活動一貫して反対した神聖ローマ帝国皇帝のヘンリー4世によって任命された(1100年に死去)
- 彼の兄弟エドガーを支持し、ノーサンブリアにより縁を絶たれたイングランドの王(959年に死去)
- 副大統領に選出され、テーラーが在職中に死去すると、米国の第13代大統領に就任した(1800年−1874年)
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