いん‐ぼう【陰謀/隠謀】
陰謀
陰謀
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/11 03:07 UTC 版)
陰謀(いんぼう、英:plotあるいはconspiracy)とは、人に知られないように練る計画のこと[1]。
ほぼ同じ意味で「謀略」や「謀議」の語も用いられる。歴史的に古い陰謀事件は「~の変」と呼ばれていることもある。
概説
この表現には何らかの価値判断("悪い"という判断)が含まれている[2]。よって、立場によって表現が異なることがある。
計画を練っている側の人らは、通常それを「陰謀」などとは呼ばない。一般に単に「計画」や「作戦」などと呼ぶ。あるいはせいぜい「極秘作戦」などといった表現である。
また、まったく同じ事象であっても、それが「陰謀」と表現されると拒絶し、「戦略」と表現されると受け入れる人もいるという[3]。
一般に、相手にとっては不利となる行為を計画する時、人(グループ)は計画を練っていること自体を相手に伏せる。例えば、何らかの事情・目的で人を暗殺しようと考えている人やグループは、その実行計画を表立っておおっぴらに練ったりはしない。当然ながら相手側に知られないようにその計画を練る。暗殺されそうになっている(されそうになった)側から見れば、その暗殺計画は「陰謀」ということになる。
権力闘争が行われている場で、2つの派が争い、片方の計画の実行が阻止されその計画者が滅ぼされれば、その計画は「陰謀」だったと表現されるようになる。反対に計画が成功し、計画者が敵対勢力を滅ぼせば、計画から実行までを含めて「革命が成功した」などといったように表現されるようになることが多い。一例を挙げれば、中臣鎌足らが練った暗殺計画なども、結果としてそれが成功し、計画者が実権を握る側になったため、暗殺計画立案からその後の一連の行動は「大化の改新」と呼ばれるようになったが、事前に計画が漏れ逆に殺されていれば、その計画は「陰謀」と記述されるようになったことになる[4][注 1]。
上記のような歴史的な事例、特にすでに片方の勢力が滅びてしまったような例では、表現が比較的安定・定着するが、存命中の人やグループ同士の争い、決着がついていない争いなどでは(例えば進行中の、政治家同士の争いや国際紛争などでは)互いの計画・作戦・行動を「陰謀」と呼び糾弾し合っているような例は枚挙にいとまがなく、何が陰謀で何が良い計画・作戦・行動なのかはっきりしないことも多い。
また、陰謀の具体的な内容としては、暗殺などの生命を奪うこと以外にも、社会的な良識が重んじられる職務に就いている男性が標的となっている場合などでは、女性を近づけ性的に誘惑しそのスキャンダルを公表することで失脚を謀る、などといったことも行なわれることがある[注 2]。
君主にとっての陰謀
君主が命を落としたり実権を失ったりする原因は、目に見える戦争より、秘密裏に進められる計画すなわち「陰謀」によることが多いとされる[5]。君主に向かって公然と戦いを挑む実力を持つ人は少数であるが、密かに計画を練ることができる人はいくらでもいる。君主側から見れば、君主でいつづけるためには陰謀の研究が重要になるという[5]。
陰謀の原因
君主に対して陰謀が起きる原因は、他でもない、君主が人民から憎まれるようなことをすることである。人民が秘密裏に行動を起こそうとする一番の動機は「君主の支配下に苦しんでいる人々・祖国に自由を取り戻そうとする」ことである[5]。例えば、カエサルに対してブルータスが行動を起こした動機や、ローマを我がもの顔で支配したファラリス家、ディオニシオス家などを人々が武器で襲った動機も上記の動機による[5]という。
したがって、君主が「陰謀」で殺される危険を避けたかったら、まず第一にその僭主的な政治のやり方を止めるべきだとされる。それを止めることができない者は必ず「陰謀」にあい、悲惨な運命を甘受しなければならないとされる[5]。
良い君主であれば、本来、陰謀はさほど恐れる必要は無いという。だが、独裁者の多くは非常に陰謀を恐れて、人々に過酷な刑罰を課し、人々を疑い、無実の人に罪があるとし、結果として自ら「陰謀」を誘発している[6]という。ヒトラー、スターリン、毛沢東などはその例ともされる[6]。
陰謀を行う人数
陰謀は1人で行うものと数人で行うものがあるとされ、数人で行う計画は、君主に近いひとたちによるものが多いとされる。その動機としては、(1)君主から迫害されたため (2)君主から恩顧を与えられすぎ、いつしか君主の権力自体が欲しくなったためという[7]。
難しさ
計画を実行できる人は実際は多いのだが、実行に移す人はわずかで、実行に移した人の多くが失敗してしまうという[7]。計画、実行、収穫の3段階のそれぞれで危険をおかさなければならない。最大の危険は相手に知られてしまうことだという。露見は、密告によって起きる場合と、慎重さを欠く人のせいで相手に感づかれる場合があるという。1人で行う場合は、第一段階での危険は無い。だが、1人で実行する勇気がある人は比較的稀だという。数人で行う場合は、実行前に露見してしまう可能性が高いことが最大の危険だという[7]。
行政から見た陰謀
概説に説明したごとく、基本的に、ある視点から見て敵対的な人・グループによる秘密裏の計画が「陰謀」と呼ばれるので、行政府や国家は、行政府や国家の視点から見て敵対的なもののそれを真っ先に「陰謀」と表現することになる。
例えば日本の法律で言えば、内乱に関する法律(刑法第77条~第80条、内乱罪の規定)などに、「陰謀」といった表現が用いられている。
関連項目
市民から見た陰謀
近・現代になってからは、各国において、憲法などで国民・市民が主役であること、主権を持っていること(国民主権)が明記されることも増えているわけであるが、市民は、市民の視点から見て好ましくないと感じられる計画や戦略を「陰謀」と呼ぶことがある。
例えば、通常、企業の経営者や経営幹部は「経営計画」や「ビジネスモデル」などと呼ばれるものを練り上げ、それを実行に移しているが、市民の視点から見て好ましくないと思われることを企業がこっそりと計画・実行していることを「陰謀」と呼ぶ人もいる。たとえば、企業が、独占禁止法に抵触したり抵触すれすれの仕組みを市場において作りあげてしまい、価格をつりあげ荒稼ぎをし、結果として市民が高いお金を払い続けなければならないような状況になっている時、そのような状況を作り出している(企業内部の)計画や一連の行為を「陰謀」と呼ぶ人もいる。
また、現代では多くの国家がそれぞれ情報機関を抱えており、相当の予算が組まれ数千人~数万人規模の職員がおり、そこでは日夜、職務として、一般には公開しない計画(とても公開できないような計画。盗聴や買収による情報入手、破壊工作、市民の拉致や要人の誘拐、暗殺まで含む)を練り、それを実行に移しているが、一般に人々は自分が属さない国(外国)の諜報機関が練っている計画や行動に関しては、好ましくないものと感じているので、それらの計画や行動は「陰謀」と呼ばれることがある。例えば、アメリカ合衆国の市民から見れば、ロシア対外情報庁(かつてならばKGB)の職員による計画・戦略などは「陰謀」と見なされることがあるわけであるし、反対にロシアの市民や中華人民共和国の市民から見れば、アメリカ合衆国のCIAの職員による計画・戦略などは「陰謀」と見なされることがある。また、欧米諸国や中国の市民の視点から見れば、日本の軍部による秘密計画や謀略は「陰謀」と見なされることがある。
又、国際的なビジネス戦争の問題でしばしば指摘されるように、国際的な企業組織が国家の枠組みを超えて構築した権益によって得た利益の増大や保持を図って、国際政治的な信頼関係を損ねる行動を選択したり、企業の利益に国家の政策を従属させるように(政治献金や商業活動などを盾に)働きかける場合も、「陰謀」と見なされる。
関連項目
- サイクス・ピコ協定(1916年)
- ヤルタ秘密協定
- 中央情報局#CIAが主導し関与したとされる作戦・事件
- 日本軍による謀略活動
- 中国、満州、東アジア、シベリアなどでの日本の工作員による活動
- en:List of Japanese spies, 1930–45(1930~45年ころの、日本側のスパイの一覧)
- 陸軍中野学校、特務機関、731部隊
- en:Japan's Imperial Conspiracy(en:David Bergaminiによる日本帝国陰謀論の書)
- 北朝鮮による日本人拉致問題
- 金大中事件
- ケネディ大統領暗殺事件
- ロバート・ケネディ暗殺事件
- ウォーターゲート事件(ニクソン大統領が起こした陰謀事件。『大統領の陰謀』)
- 在日米軍裁判権放棄密約事件
- アレクサンドル・リトビネンコ暗殺事件およびボリス・ベレゾフスキー殺人謀議
- アメリカ同時多発テロ事件陰謀説
- ロジャー・スクルートン問題(事件)(日本たばこ産業が、ジャーナリストのロジャー・スクルートンを買収しタバコ事業者に都合のよい記事を書かせた事件)
- 大手石油会社によるカムバイチャンス製油所の稼働阻止(安宅産業倒産のきっかけとなったNRC問題にまつわる動き)
- CIAのソマリアでの活動
- キム・ジョンナム暗殺事件
- セルゲイ・スクリパルおよびユリア・スクリパル毒殺未遂事件
- ジャマル・カショギ暗殺事件
日本における歴史上の陰謀
- 乙巳の変(622年)、承和の変(842年)、応天門の変(866年)
- 正中の変(1324年10月)、元弘の変(1331年)、嘉吉の変(1441年)
- 本能寺の変(1582年)
- 慶安の変(1651年)、承応の変(1652年)
- 桜田門外の変(1860年)、坂下門外の変(1862年)、朔平門外の変(1863年)、天誅組の変(1863年)
- 関係者
職場の人間関係における「社会的陰謀」
Duffy,Ganster, & Pagon (2002年)は、社会的陰謀(social undermining)とは「好ましい人間関係、仕事に関する成功や好ましい評判を確立したり維持する可能性を妨害しようとする行動」と定義されるとしている。社会的陰謀は(ターゲットが気づかないうちに)ターゲットの評判を徐々に悪くする行為のように潜行的で陰険なものである[8]とされる。その測定尺度としてDuffy et al.(2002)によって作成された陰謀尺度(undermining items)がある[9]とされる。
陰謀という表現が比較的定着している出来事
- カティリナの陰謀(紀元前63年)
- 鹿ケ谷の陰謀(1177年)
- 癸酉靖難(1453年に朝鮮で起こった政権の奪取、および粛清事件)
- パッツィ家の陰謀(1478年)
- 火薬陰謀事件(1605年)
- カトリック陰謀事件(陰謀の捏造事件。1678年-1681年)
- ライハウス陰謀事件(1683年)
- ヴェッシェレーニ陰謀(17世紀)
- アタベリー陰謀事件(1722年)
- ミナスの陰謀(1789年に発覚したブラジル独立のための陰謀)
- 仕立屋の陰謀(1798年)
- トマス・ハインズ#北西部陰謀(1864年)
- 朝鮮陰謀事件(105人事件)(1910年)
- 右翼トロツキスト陰謀事件(陰謀のでっちあげ。1938年)
- 合同本部陰謀事件(cf. 大粛清)
その他、陰謀であった事件
人物
- ティトゥス・ユニウス・ブルトゥス(紀元前5世紀)
- ジョン・ド・ヴィアー (第13代オックスフォード伯) (1442 - 1513)
- アンリ2世 (ギーズ公)(1614 - 1664)
- サン=マール侯爵アンリ・コワフィエ・ド・リュゼ(1620 - 1642)
- ルイ・オーギュスト・ド・ブルボン(1670-1736)
- タレーラン(1754-1838)
- ルイ・アントワーヌ・ド・ブルボン=コンデ (1772 - 1804)
- チラデンチス
- スタンリー・クール・ホーンベック(1883-1966)
- ハリー・ホプキンス(1890-1946)
- サルヴァトーレ・リイナ (1930-)
- 伊東重孝
- 藤原信隆
- 薬師寺元一
- 本因坊丈和
- ジェレミー・ソープ(1929 - 2014)、ソープ事件
陰謀が関係するフィクション・作品
- 陰謀のセオリー
- 柳生一族の陰謀
- 忠臣蔵 瑤泉院の陰謀
- 大いなる陰謀
- エリザベス1世 〜愛と陰謀の王宮〜
- ハワード・ザ・ダック/暗黒魔王の陰謀
- ザ・センチネル/陰謀の星条旗 (2006年)
- ゼイリブ(マスメディアでサブリミナル技法が用いられ、人々に商品やサービスを買いお金を使うようにさせていることを戯画的に描いた作品)[注 3]
脚注
注釈
- ^ このような現象を指して「歴史は勝者が作る」などと言う。つまり、過去に関する記述・表現は、勝ち残って実権を握り記述をコントロールできるようになった側が、自分に都合よいものにしてゆく、ということである。
- ^ 例えば、ビル・クリントンが大統領であった時、モニカ・ルインスキーとの間に性的な関係(いわゆる「不適切な関係」)があったとのスキャンダルが発覚し窮地に陥った時、ヒラリー・クリントンは「これは、夫が大統領選への出馬を発表した時以来、ずっと悪巧みをめぐらせてきた"巨大な右派勢力による陰謀"だ」とテレビ番組で発言したという。(『アメリカの混迷: 原書から読み解く「情報戦」の攻防』p.135)
このヒラリー・クリントンの発言に対抗するかのように、2005年には"The Vast Left Conspiracy"(巨大な左派勢力の陰謀)というタイトルの本が出版された。 - ^ テレビでは様々な洗脳手法が用いられているので、それを見てしまうことで、我々は本当は欲しくもないものを買わされたり、幸福でもない生き方をさせられていることは、脳機能学者の苫米地英人によっても指摘されている。(苫米地英人『テレビは見てはいけない』 PHP新書、2009、ISBN 4569699936)
出典
関連項目
陰謀
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「ツァボの人食いライオン」の記事における「陰謀」の解説
人食いライオンの脅威に晒されながらも、鉄道敷設工事は進捗していた。川の直前部分に立ちはだかっていた岩の切り通し部分を広げてどんな列車でも問題なく通行できるように掘削する作業や、切り通しとツァボ駅の間にある峡谷にかける陸橋の基礎工事、給水施設などが次々と行われた。この時期は人食いライオンの襲撃が一時的に収まっていたため、野外での昼食や川のイカダ下りなど、パターソンたちにはよい気晴らしになるできごとも時折あった。ただしパターソンは相変わらず多忙で、日中は作業の監督や雑用に明け暮れ、夜には労働者たちの争いの仲裁や様々な報告や不平を聞き届けたりスワヒリ語の学習に時間をとられたりの日々であった。 ツァボ川での鉄橋架設準備は急速に進み、パターソンは川の水量などの調査や測量などの必要な仕事を一通りやり終え、橋台と橋脚の位置を選定して基礎石を水中に設置する作業が始まった。この工事は非常な難工事であり、いくら掘り続けても堅い基盤に達しなかったためにくい打ちによる工法に切り替えようかと思い始めた時に、運よく堅い岩を掘り当てることができた。もう一つの難題は、橋に使う石材に適合する岩石が周囲に見当たらないことであった。周辺に岩石は豊富に存在していたが、加工が困難な堅い石ばかりであった。パターソンが何日も探したものの見つからなかった石は、ブロックと鳥撃ちに出かけた先で幸運にも見つかり、トロッコを使って現場に運ぶことができた。 石を見つけた後、パターソンは石工の増援を本部に依頼した。本部から派遣されてきた石工の大部分はパターン人で、熟練工との触れ込みであった。しかし本物の石工はその中のごく一部に過ぎず、多くが月給12ルピーの代わりに45ルピーをもらおうと企んだただの労働者に過ぎないことが判明した。パターソンはこの事実を確認すると、石工の賃金を出来高払いに改めた。能力の高い者には月45ルピーかそれ以上を支給できるようにして、偽の石工たちの賃金を引き下げた。人数比では偽の石工たちが多数派だったため、彼らは本物の有能な石工たちを脅して出来高払いの制度をやめさせようとしたが、パターソンにはその手段は通用しなかった。 労働者たちの仮病騒ぎや喧嘩などは絶え間なく続き、ついに石工たちのサボタージュ騒動にまで発展した。この日パターソンは徹夜でライオンの見張りをした帰路に、ふと思い立って石切り場に立ち寄った。石工たちはみな持ち場を離れて木陰で休憩を取り、ある者は昼寝、別の者はトランプなど思い思いに過ごしていた。パターソンはこのありさまにあきれ果てたが、彼らの頭上に銃を放って脅かすことを思いついた。銃声に驚いた石工たちは慌てて作業を再開したが、彼らはパターソンが遠くにいるものと思い込んでいた。騒動の一部始終を見届けたパターソンは居合わせた者全員に罰金を科し、石切り場の責任者を監督不行き届きで即刻格下げ処分とした。その直後、労働者のうち2人がパターソンの銃弾が背中に当たったと訴えてきた。2人は背中に弾のあとのような穴をあけてそこから血を流していたが、これは仲間を言いくるめてつけさせたものであった。ただし、パターソンは散弾銃ではなくライフルを持っていたため、彼らの企みはすぐに露見した。しかも、2人は衣服に穴を開けることさえ忘れていたため、追加の罰金と仲間たちからの嘲りを得ただけであった。 この騒動があって間もなく、労働者たちはパターソンが支払った賃金に見合うだけの労働を求める立場を変えず、いかなる妨害も許さない人物であることを悟った。彼らが出した結論は、パターソンを「亡き者」にするということであった。ある夜、彼らは会合を開き、翌日パターソンが採石場に行ったときに殺害してその遺体を密林の中に投げ込むことに決めた。その後「ライオンに食い殺された」ということに話を合わせることにして、この提案に全員が賛成した。しかし、会合終了後1時間もしないうちに出席者の1人がパターソンのもとを訪れ、陰謀について警告した。パターソンはその警告に感謝したが、翌日は通常どおり採石場に行くことを決めた。この段階ではパターソンは陰謀について半信半疑であり、この出席者が単に彼を脅迫するために派遣されたのではないかとも考えていたからであった。 翌日(9月6日)の朝、パターソンが採石場に行く途中で、石工頭のヘーラ・シンが藪陰からひそかに声をかけてきた。ヘーラ・シンはパターソンにこの先に行ってはいけないと警告したため理由を尋ねると、「それは言うわけにはいかないが、石切り場でごたごたが起こりそうなので、自分と他の20人の石工は今日は仕事に出ない」との答えが返ってきた。ヘーラ・シンは人のよい性格だったためパターソンも昨夜の話はある程度本当だと思ったが、「ごたごたなど起こらないよ」と笑って採石場に歩き続けた。 採石場は表向き平穏で全員が忙しそうに労働についていたが、パターソンは彼らがこっそりと目配せを交わしているのに気づいた。やがて言うことを聞かない労働者を説得するという名目で、谷の上に一緒に行ってもらえないかという申し出があった。パターソンはこれは自分をおびき寄せるための罠だとすぐに悟ったが、あえて同行することに決めた。谷の上に到着したパターソンは、騒ぎを起こしたと名指しされた2人の男の名前を手帳に書きつけ、元来た道を引き返そうとした。そのとき、労働者たちが怒号をあげてパターソンに詰め寄ってきた。 追い詰められたパターソンは、労働者たちの説得にかかった。説得の大意は、『私を殺しても大勢が絞首刑になるだろうし、ライオンにさらわれたという作り話も通用しない。ほんの1人か2人の悪者の扇動によってこの愚挙を犯したこともわかっている。計画が成功しても、別の人間が新たに監督にならないという保証があるのか、その人間が私より厳しい監督でないといえるのか、まじめな職人には公正であることを知っているはずだ』というものであった。パターソンは続けて、『不満のある者はすぐにモンバサに帰ってよい、そうでない者は仕事に戻って今後このような陰謀を起こさなければ不問にする』と言うと、全員が作業に戻ることを希望した。 パターソンはいったん危地を脱したが、陰謀は彼が帰宅の途についた途端に再燃した。労働者たちは再度会合を開き、その晩にパターソンを殺す計画を立てた。労働時間の記録係をしている男が、この陰謀をパターソンに知らせた。記録係は、労働者たちが自分をも殺すと脅しつけているので点呼に行くのが怖いと打ち明けた。 パターソンは直ちに鉄道警察と地方官のホワイトヘッドに電報を打って急を知らせた。その知らせを受けて、ホワイトヘッドと部下が40キロメートルの距離から駆けつけてきた。ホワイトヘッドの機敏な行動によって、その晩パターソンは襲撃を免れた。2-3日後には鉄道警察も到着して、首謀者とその一味を逮捕した。首謀者たちはモンバサに連行されて取り調べを受け、やがて1人が口を割ったことによって陰謀のすべてが明らかになった。首謀者とその一味は全員有罪となり、さまざまな期間の懲役刑を受けた。その後のパターソンは、労働者たちの謀反に悩まされることがなくなった。
※この「陰謀」の解説は、「ツァボの人食いライオン」の解説の一部です。
「陰謀」を含む「ツァボの人食いライオン」の記事については、「ツァボの人食いライオン」の概要を参照ください。
「陰謀」の例文・使い方・用例・文例
- 政府を倒そうとする陰謀
- 政治的陰謀
- 腹黒い陰謀
- 彼らは陰謀を警察に通報した
- 陰謀をたくらむ
- 陰謀にうすうす感づく
- 陰謀を企てる
- 彼は陰謀のわなにはまった
- 大統領暗殺の陰謀
- 政府に対する陰謀を企てる
- 警察が彼らの陰謀をかぎつけた
- その陰謀を画策してる人たちを必要以上に大きく見てしまうことは、まさに彼らの思うツボだと思います。
- ハッキリ言って、この「陰謀説」はナンセンスだと思う。
- 彼らは彼を陰謀に巻き込んだ。
- 彼らのほとんどがその陰謀に加わったと思う。
- 彼らがその陰謀の黒幕であった。
- 彼は自分を暗殺しようという陰謀を知らなかった。
- 彼はその陰謀の陰の指導者だった。
陰謀と同じ種類の言葉
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