陰謀と死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 06:08 UTC 版)
「シャー・シュジャー (ムガル皇子)」の記事における「陰謀と死」の解説
シャー・シュジャーはアラカン王に対し、メッカを経由してトルコかペルシアに向かうための外洋船のことでしきりに催促を行った。だが、アラカン王は全く相手にせず、そればかりか「シャー・シュジャーが自分に会いに来ない」と言い、冷淡に扱うようになった。 とはいえ、王の館に行けば、財宝をすべて奪われたうえで身柄を拘束され、ミール・ジュムラーに引き渡される可能性があった。実際、アウラングゼーブは莫大な財宝を見返りに、アラカン王にそうするよう要請していた。シャー・シュジャーは息子に夥しい錦や金銀財宝も持たせて王のもとに行かし、外洋船の約束を思い出すよう懇願した。 だが、アラカン王は外洋船のことは無視し、シャー・シュジャーに娘の一人を妻に欲しいという始末であった。事がうまく進まず困っていたシャー・シュジャーだったが、そこで新たな野望を持つようになる。彼はアラカン王を倒して自らその地位を得ようと、現地のイスラーム教徒とともに陰謀を張り巡らすようになる。 しかし、1661年2月7日、決行の前日にアラカン王にその陰謀が発覚し、シャー・シュジャーはアラカン王国を逃げざるを得なくなり、ペグー方面に落ち延びようとした。その日のうちに、シャー・シュジャーとその家族は首都ミョーハウン近郊のジャングルで追手に捕えられ、彼はその場で殺害された。
※この「陰謀と死」の解説は、「シャー・シュジャー (ムガル皇子)」の解説の一部です。
「陰謀と死」を含む「シャー・シュジャー (ムガル皇子)」の記事については、「シャー・シュジャー (ムガル皇子)」の概要を参照ください。
- 陰謀と死のページへのリンク