陰謀と処刑とは? わかりやすく解説

陰謀と処刑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 00:50 UTC 版)

エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン」の記事における「陰謀と処刑」の解説

1944年7月20日の、ルートヴィヒ・ベック参謀総長クラウス・フォン・シュタウフェンベルク中心とするヒトラー暗殺計画ヴァルキューレ作戦」において、ヴィッツレーベンはクーデター成功暁には国防軍総司令官就任予定されていた。「ヴァルキューレ発動に伴う作戦命令は、ヴィッツレーベンの名によって出された。彼はクーデター派軍事的最高位人物であったが、当日積極性欠いていて出遅れた感が有ったのは否定できないだろう。正装して元帥杖持ちクーデター派の“作戦遂行司令部”ベルリン・ベンドラー街の国内予備軍司令部現れたのは、ようやく午後8時頃。その頃にはクーデター失敗明らかになっていた。彼はシュタウフェンベルクらの不手際非難し、これ以後協力拒否し1時間ほどで司令部から退去ベルリンから約80kmほど離れた友人荘園潜伏したが、翌21日正午頃そこで逮捕された。 軍籍にある者は、民間人対象とする普通裁判ではなく軍法会議裁かれるのが通常である。ヒトラー被告人全てローラント・フライスラー裁判長務め人民裁判所公判付すように命令したこのため軍籍にある被告人は、先ず8月2日設置されドイツ国防軍名誉法廷(de)で審問されて軍籍剥奪された上、ナチス党の特別裁判である人民裁判所委ねられた。国防軍名誉法廷に関わった軍人ルントシュテット元帥を長としてカイテル、シュロート、キルヒハイム、クリーベル、グデーリアンである。ここでフォン・ヴィッツレーベン元帥を含む55名が軍籍剥奪された。 1944年8月7日、ヴィッツレーベンとヘプナーハーゼ、シュティーフ、ベルナルディス、ハーゲン、クラウジング、ヴァルテンブルクの合計8人は共に人民裁判所での最初見せしめ報復裁判かけられ、その裁判模様映像残っている。裁判長フライスラーは開廷にあたり、ヴィッツレーベンに「名誉ある国民のみに許されるナチス式敬礼をすることを禁じた獄中ゲシュタポ厳し取調べ受けて痩せたヴィッツレーベンは、わざとサスペンダーベルト外して出廷させられ始終ズボンを腰のところで押さえてなくてはならなかった。その姿をフライスラーは「見苦しい!何故ズボンを弄くっているのかね?この薄汚い老いぼれめ!!」と嘲笑した。翌8月8日、ヴィッツレーベンは死刑判決受けたが、その際フライスラーに向かってこう言い返した。 「 君は我々を死刑執行人引き渡す事が出来る。だが3カ月もすれば怒り苦しめられ民衆君にツケを払わせ、君は生きたまま路上引きずり回される事になるだろう 」 8月8日夕刻ベルリンのプレッツェンゼー刑務所処刑場レールのようなに肉を吊るす鉤とピアノ線のようなワイヤーロープ垂れ下がる7月20日事件関し人民裁判所死刑判決受けた被告人のうち、ヴィッツレーベンは最初に絞首刑にされた。ヒトラーはあらかじめ「陰謀者たちの死の苦しみできるだけ長くせよ。連中にはいかなる慰め与えてならない連中家畜生肉様に吊るせ。」と命令し神父牧師など宗教関係者立会い禁じた目撃者の証言によると、部屋の隅のテーブルにはブランデーの瓶とコップ置いてある。さらに映像撮影カメラ強烈なライト用意されていた。執行上半身裸にし、ピアノ線の輪に首を通し時間をかけて首を絞め、さらに執行人たちは苦しみもがく被処刑者ズボン脱がすなど、徹底して人間としての尊厳傷付ける、非常に残忍な方法処刑したという。そのような残忍な方法処刑されにも関わらず、ヴィッツレーベンは取り乱す事無くドイツ帝国軍人として最高位元帥として終始威厳保ったという。続いてヘプナーら7人も順番一人ずつ同様な方法処刑された。 処刑模様ヒトラー見せるため撮影された。また見せしめのため陸軍士官学校上映されたが、それは激し反発巻き起こした処刑映像見てヒトラー楽しんだという説と、嫌がったという説の両方がある。いずれにせよドイツ敗戦間近にヒトラーフィルム廃棄厳命し、戦後連合軍関係者捜索したが、今日に至るまで発見されていない戦後ドイツではヴィッツレーベンは反ナチ闘士として顕彰されており、その名を冠した通り学校数多く存在する。ベルリン・プレッツェンゼーの処刑場跡は現在、反ナチ抵抗運動記念館となり、と鉤が保存されている。

※この「陰謀と処刑」の解説は、「エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン」の解説の一部です。
「陰謀と処刑」を含む「エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン」の記事については、「エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン」の概要を参照ください。

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