ヴァルキューレ作戦とは? わかりやすく解説

ヴァルキューレ作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 02:46 UTC 版)

ワルキューレ作戦ドイツ語: Operation Walküre オペラツィオーン・ヴァルキューレ)は、ドイツ国防軍国内予備軍第二次世界大戦中に立案した国内予備軍の結集と動員に関する命令である。1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件の際に起こったクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐らによるクーデターに利用された作戦として知られている。

作戦名はリヒャルト・ワーグナーオペラニーベルングの指環』に登場する北欧神話の女神ヴァルキューレに因む。

ヴァルキューレ作戦について

ヴァルキューレ作戦は1941年冬に国内予備軍を結集する方法として立案された。国内予備軍はドイツ国防軍の本国部隊で、前線へ送る将兵の訓練や部隊の編成・再編の役割を担う軍である。その国内予備軍を沿岸防衛や敵の空挺部隊上陸阻止などの任務に動員するための作戦がヴァルキューレ作戦だった。ヴァルキューレ作戦については国防軍以外の組織に洩らしてはならないとされていた。国内予備軍司令官、軍管区司令官、占領地域軍政長官などの金庫に封印されていた[1]

このヴァルキューレ作戦をヒトラー暗殺後のクーデターに利用できると踏んだ反ヒトラー派は、内乱鎮圧用の作戦へと修正していった。1943年7月31日に反ヒトラーグループのメンバーで国内予備軍一般軍務局長のフリードリヒ・オルブリヒト中将は「国内暴動」が発生した場合、国内予備軍と訓練部隊の一部を動員して新たな戦闘部隊を立ち上げるという修正を加えた。この命令が発動された時、各軍管区はただちに発電所、通信施設といった重要施設を確保するための措置を取らねばならないとされた[1]。表向きはドイツで強制労働させられている外国人労働者たちによる反乱に備えたものだった[2]

その後も国内予備軍参謀長になったクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐がクーデターに利用しやすいように適時修正を行っていった。

ヴァルキューレ作戦の発動権限は国内予備軍司令官にのみあった[2]

ヒトラー暗殺未遂事件後の発動

1944年7月20日ヒトラー暗殺未遂事件の中心人物クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐、フリードリヒ・オルブリヒト大将、アルブレヒト・メルツ・フォン・クイルンハイム大佐らは国内予備軍の将校であった。シュタウフェンベルク大佐が東プロイセンラステンブルクにある総統大本営ヴォルフスシャンツェ」(狼の巣) において時限爆弾によるヒトラー暗殺未遂事件を起こすと、ベルリン・ベントラー街(国防省ドイツ語版英語版)の国内予備軍司令部は「SSが総統の逝去に乗じて反乱を起こした」としてヴァルキューレ作戦を発動した。本来ヴァルキューレ作戦の発動権限があるのは国内予備軍司令官であるフリードリヒ・フロム上級大将だが、フロムはクーデター・グループへの協力を拒否したので、オルブリヒトの副官クイルンハイム大佐が独断でヴァルキューレ作戦を発動した。シュタウフェンベルクがベントラー街に到着するとフロムは監禁され、各軍管区にヴァルキューレ作戦を実行するよう指令を出し続けた。

しかし「ヴォルフスシャンツェ」からもシュタウフェンベルクの逮捕を命じる指令が出され、各軍管区は相矛盾する命令に混乱してベントラー街には問い合わせが殺到した。シュタウフェンベルクらはその電話対応に追われた。ヴァルキューレ作戦に従ってクーデターを成功させたのはパリだけだった。パリではクーデター・グループのカール=ハインリヒ・フォン・シュテュルプナーゲル大将がフランス駐留軍司令官をしていたこともあり、ヴァルキューレ作戦によるクーデターが成功した唯一の場所となった。フランス親衛隊及び警察高級指導者カール・オーベルク親衛隊中将とフランス保安警察及びSD司令官ヘルムート・クノッヘン親衛隊大佐以下1200人のフランス駐在SSが拘束された。

しかしクーデターはその日のうちに失敗に終わった。シュタウフェンベルクたちは7月21日未明にフロムの命令で銃殺刑に処せられた。

参考文献

出典

  1. ^ a b ホフマン(2010)、p.302
  2. ^ a b 成瀬・山田・木村(1997)、p.308

ヴァルキューレ作戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 16:23 UTC 版)

ヒトラー暗殺計画」の記事における「ヴァルキューレ作戦」の解説

「ヴァルキューレ作戦」も参照 大戦勃発後、ドイツ占領地から数百万人捕虜奴隷的労働者ドイツ国内連れて来たが、カナリス国防軍情報部長がヒトラーに「彼らが叛乱起こした際の対策を取る必要が有る」と進言ヒトラーはそれに同意し国内予備軍司令官フリードリヒ・フロム上級大将対策案作成を命令したフロム部下の同軍参謀長フリードリヒ・オルブリヒト大将にそれを一任し、オルブリヒトは1942年10月13日反乱鎮圧計画とその隠語名「ヴァルキューレ」を立案した国内反乱発生した際、国防軍武装親衛隊含め全ての武装集団をベルリン・ベンドラー街の国内予備軍指揮下に置き、戒厳令布告し政府の全官庁、党機関交通・通信手段放送局軍法会議設置まで全て掌握する、という計画であった発動権限国内予備軍参謀長にあり、同軍参謀長オルブリヒト大将陰謀派は、ヒトラー暗殺後「ヴァルキューレ」を発動、それをクーデター利用して国内一気掌握する計画立てた

※この「ヴァルキューレ作戦」の解説は、「ヒトラー暗殺計画」の解説の一部です。
「ヴァルキューレ作戦」を含む「ヒトラー暗殺計画」の記事については、「ヒトラー暗殺計画」の概要を参照ください。

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