第二次世界大戦とは?

だいにじ‐せかいたいせん【第二次世界大戦】

日本・ドイツ・イタリアなどの枢軸国とアメリカ・イギリス・フランス・ソ連などの連合国との間で行われ世界的規模戦争1939年ドイツポーランド侵入によって始まり、イギリス・フランスの対独戦争独ソ戦争太平洋戦争拡大した。初め枢軸国優勢であったが、のち、連合国優位に立ち、1943年イタリア降伏1945年5月ドイツ降伏また、日本ソ連の対日参戦アメリカによる広島長崎への原子爆弾投下によって、同年8月降伏し、大戦終結した。第二次大戦WWⅡ(World War Ⅱ)。


だいにじ‐せかいたいせん【第二次世界大戦】


【第二次世界大戦】(だいにじせかいたいせん)

1939年から1945年にかけて、日独伊枢軸国米英ソの連合国との間で行われ世界大戦
一般的には特に欧州戦線指し太平洋戦線太平洋戦争もしくは大東亜戦争呼称される事も多い。

1939年9月ドイツ第三帝国ポーランド侵攻し、ポーランド同盟を結んでいたイギリスフランスドイツに対して宣戦布告し、戦争勃発した。(ほぼ同時期にソビエトポーランド侵攻した)
1940年ドイツ北欧デンマークフランスなどへ侵攻し、6月にはそれらをほぼ制圧した。
その後イギリス本土の上陸を目指しバトル・オブ・ブリテン呼ばれる航空戦になった。
1941年6月ドイツは対ソ侵攻作戦バルバロッサ開始、これを受けソビエト連合国参加した。
1941年12月日本真珠湾攻撃行いアメリカとその同盟国に対し宣戦布告東南アジア欧州からの解放旗印侵攻開始した。

当初劣勢であった連合軍だが、1942年エル・アラメインスターリングラード勝利したころから優勢に転じた。
1943年イタリア連合国降伏し、ドイツ宣戦布告する。
1944年6月フランスノルマンディー連合軍上陸米英軍が西から、ソ連軍は東からベルリン侵攻した。
12月ドイツアルデンヌ米英軍に最後攻勢をかけるが、敗北する。
1945年4月ソ連軍ベルリン包囲ドイツアドルフ・ヒトラー総統自殺
1945年5月ドイツ連合国無条件降伏欧州戦線終結した。
1945年8月日本に対し世界ではじめ核兵器使用され、さらにソ連軍対日参戦する。
15日日本連合国に対しポツダム宣言受諾条件付降伏して終結となった。

出来事一覧

事件
193991ドイツ軍ポーランド侵攻
193993英国フランスドイツ宣戦布告
1939917ソ連軍ポーランド侵攻
1939106ポーランド軍降伏、独ソ両国分割される
1940514ドイツ軍 アルデンヌの森突破フランス領内侵入
1940526英仏連合軍ダンケルクからイギリス撤退ダイナモ作戦
1940614ドイツ軍 パリ入城
1940714ドイツ軍英国侵攻作戦(アシカ作戦)開始
19401111イギリスタラント軍港イタリア)を空襲
1941622ドイツ軍 ソ連領内侵入独ソ戦開始
1941128真珠湾攻撃大東亜戦争勃発
19411210マレー沖海戦
戦艦プリンス・オブ・ウェールズ巡洋戦艦レパルス日本海軍航空隊により撃沈
194265ミッドウェイ海戦日本機動部隊壊滅
19428スターリングラード攻防戦
1943512連合軍アッツ島上陸ランドクラブ作戦
1943529アッツ島日本軍守備隊玉砕
1943710連合軍シチリア島上陸(ハスキー作戦)
194398イタリア連合国無条件降伏
19431013イタリアドイツ宣戦布告
1944217機動部隊トラック島空襲
194465ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)
1944615米軍サイパン上陸
19441025レイテ海戦捷一号作戦)。日本連合艦隊壊滅
1945219米海兵隊硫黄島上陸硫黄島戦が始まる
1945310東京大空襲
1945313大阪大空襲
1945317硫黄島守備隊玉砕神戸大空襲
1945326米軍慶良間列島上陸沖縄戦が始まる
194541米軍沖縄島上陸沖縄戦本格化
194547坊ノ岬沖海戦戦艦大和撃沈
1945430ヒトラー総統自殺
194557ドイツ対米降伏
194558ドイツ、対ソ降伏
1945623沖縄日本軍守備隊玉砕沖縄諸島陥落
194586広島原爆投下
194588ソ連日ソ不可侵条約破棄して対日参戦し、満州国侵攻
194589長崎原爆投下
1945814日本ポツダム宣言受諾
連合国軍最高司令官総司令部GHQ設立
1945815玉音放送
1945826連合国軍日本本土進駐開始
194592日本降伏文書に調印。大戦終結
1947210パリ条約(対イタリア講和条約締結
195198日本国との平和条約対日講和条約締結
1952428日本国との平和条約発効GHQ機能停止
1990912ドイツ最終規定条約締結
1991315ドイツ最終規定条約発効

第二次世界大戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:55 UTC 版)

第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、: World War II、略称:WWII)は、1939年から1945年までの6年余りにわたって、大日本帝国ドイツイタリア日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリスソビエト連邦フランスポーランド中華民国オランダベルギーアメリカ合衆国オーストラリアブラジルギリシャやそれらの植民地などの連合国陣営との間で戦われた戦争で、第一次世界大戦以来の世界大戦となった。


注釈

  1. ^ 実際にソ連領として併合されてしまうと、そこからの出国は、ソビエト体制に不満を持つ反革命分子として摘発されるおそれがあったので、避難民たちは出国を急いでいた。西方からのドイツの脅威と東方からのソ連軍の進駐によって、難民たちは窮地に陥っていたのである。
  2. ^ この調印に際してドイツ軍は第一次世界大戦時に当時のドイツ帝国が連合軍に対する降伏文書に調印した食堂車を特別に調印場所として用意させた。
  3. ^ アフリカ大陸では、広大な植民地を持つフランスが降伏し、北部のフランス植民地、アルジェリアチュニジアモロッコ、アフリカの東沖マダガスカル島などがヴィシー政権の管理下となった。
  4. ^ イギリスのウィンストン・チャーチル首相は地中海地域を「ヨーロッパの下腹」と呼んだ。
  5. ^ ソ連書記長スターリンは情報部からドイツ軍の動向を繰り返し警告されていたが、それらはイギリスが意図的に流した偽情報と考え、侵攻に備えていなかった。
  6. ^ 奇しくも3年前の独ソ戦開始、バルバロッサ作戦発動日と同じ日付である。
  7. ^ なお、国民の士気低下を恐れて陸軍の英雄、ロンメルの死の真相は公にされず、戦傷によるものと発表され10月18日、盛大な国葬が営まれた。
  8. ^ さらに、戦時国際法では期限のない最後通牒を、事実上の宣戦布告と見なすことは可能、とするのが通説であることに鑑みれば、ハル・ノートを突きつけられたと勝手に日本が判断した時点で、これは宣戦布告に等しい、と見なす考えもある。最後通牒の項も参照。
  9. ^ 1940年3月、日本の協力の元に汪兆銘を首班として南京に設立された政権
  10. ^ しかし後にポルトガル政府は暗黙の下、両地を事実上統治下に置いた。
  11. ^ 当時はイギリスとオランダの植民地
  12. ^ オランダの植民地
  13. ^ 現在のスリランカ
  14. ^ 正式にはドイツ占領下のフランス
  15. ^ その後ブリティッシュ・ロイヤルティは浮揚修理され、アッドゥ環礁に移動。同地でドイツ軍のUボートU-183の雷撃を受けて大破。応急修理後燃料油貯蔵船となり、戦後の1946年1月5日に浸水により沈没した。
  16. ^ 戦死後海軍元帥となる。
  17. ^ 「インディアナポリス」はこの損害の修理のためにアメリカ本土に曳航され、修理完了後前線に復帰する際、原爆輸送の極秘任務をこなし、原爆を揚陸後に日本海軍の潜水艦「伊58」に撃沈された。
  18. ^ 原爆死没者名簿の人数は2020年8月5日現在で32万4129人。
  19. ^ 林航空隊は東北民主連軍航空学校として中国人民解放軍空軍創立に尽力した。
  20. ^ 永井和によれば、重光の具申により方針を撤回させたことは重要であり、無条件降伏があくまで日本軍に対するものであって国に対するものではないことに基づくとする。
  21. ^ カティンの森事件については、1990年にソ連政府がスターリンの指示による犯行を認め遺憾の意を表明した。
  22. ^ 日本兵のシベリア抑留については、1992年にロシアのエリツィン大統領が謝罪した。
  23. ^ Joint Army - Navy Assessment Committee
  24. ^ スタッズ・ターケル『よい戦争』中山容訳、晶文社、1985年7月。ISBN 4794959761
  25. ^ 実際の戦闘に参加したものは5%に過ぎなかった。
  26. ^ アメリカ政府によるアフリカ系アメリカ人に対する法的な差別の解消は、1960年代に活発化した公民権運動とそれの結果による公民権法の成立を経なければならなかった。ただし、現実の差別解消はその後数十年経った現在もなお完全に実現されたとは言い難く、法の下では平等であっても、社会の生活階層や職業階層に占める人種割合に差が残るなど世俗慣習として差別は依然として残っている。アメリカ政府はアメリカは自由で平等な国であるので、差別は国内には存在しないとしている。
  27. ^ ナバホ族の難解な言語をそのまま暗号として用いた。コードトーカー参照。

出典

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