だいにじ‐せかいたいせん【第二次世界大戦】
【第二次世界大戦】(だいにじせかいたいせん)
1939年から1945年にかけて、日独伊の枢軸国と米英ソの連合国との間で行われた世界大戦。
一般的には特に欧州戦線を指し、太平洋戦線は太平洋戦争もしくは大東亜戦争と呼称される事も多い。
1939年9月、ドイツ第三帝国がポーランドに侵攻し、ポーランドと同盟を結んでいたイギリスとフランスがドイツに対して宣戦布告し、戦争が勃発した。(ほぼ同時期にソビエトもポーランドへ侵攻した)
1940年、ドイツは北欧、デンマーク、フランスなどへ侵攻し、6月にはそれらをほぼ制圧した。
その後イギリス本土への上陸を目指し、バトル・オブ・ブリテンと呼ばれる航空戦になった。
1941年6月、ドイツは対ソ侵攻作戦バルバロッサを開始、これを受けソビエトが連合国に参加した。
1941年12月、日本が真珠湾攻撃を行い、アメリカとその同盟国に対し宣戦布告。東南アジアの欧州からの解放を旗印に侵攻を開始した。
当初は劣勢であった連合軍だが、1942年にエル・アラメインとスターリングラードで勝利したころから優勢に転じた。
1943年、イタリアは連合国に降伏し、ドイツに宣戦布告する。
1944年6月、フランスのノルマンディーに連合軍が上陸、米英軍が西から、ソ連軍は東からベルリンへ侵攻した。
12月にドイツはアルデンヌで米英軍に最後の攻勢をかけるが、敗北する。
1945年4月、ソ連軍がベルリンを包囲。ドイツのアドルフ・ヒトラー総統が自殺。
1945年5月、ドイツは連合国に無条件降伏。欧州戦線が終結した。
1945年8月、日本に対し世界ではじめて核兵器が使用され、さらにソ連軍が対日参戦する。
15日、日本は連合国に対しポツダム宣言を受諾、条件付降伏して終結となった。
出来事一覧
第二次世界大戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/17 01:16 UTC 版)
第二次世界大戦(だいにじせかいたいせん、英: World War II、略称:WWII、中国語: (繁体字)第二次世界大戰、ドイツ語: Zweiter Weltkrieg、イタリア語: Seconda guerra mondiale、フランス語: Seconde Guerre mondiale、ロシア語: Вторая мировая война)は、1939年から1945年までの6年余りにわたって、日本、ドイツ、イタリアの日独伊三国同盟を中心とする枢軸国陣営と、イギリス、ソビエト連邦、フランス、ポーランド、中華民国、アメリカ、オランダ、ベルギーやそれらの植民地などの連合国陣営との間で戦われた戦争で、第一次世界大戦以来の世界大戦となった。
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注釈
- ^ チェンバレン首相は「イギリスに戦争を強いたのは、アメリカとユダヤ人である」と語っていた。
- ^ 実際にソ連領として併合されてしまうと、そこからの出国は、ソビエト体制に不満を持つ反革命分子として摘発されるおそれがあったので、避難民たちは出国を急いでいた。西方からのドイツの脅威と東方からのソ連軍の進駐によって、難民たちは窮地に陥っていたのである。
- ^ この調印に際してドイツ軍は第一次世界大戦時に当時のドイツ帝国が連合軍に対する降伏文書に調印した食堂車を特別に調印場所として用意させた。
- ^ アフリカ方面では、アフリカ大陸に広大な植民地を持つフランスが降伏し、北部のフランス植民地、アルジェリアとチュニジア、モロッコ、アフリカの東沖マダガスカル島などがヴィシー政権の管理下となった。
- ^ イギリスのウィンストン・チャーチル首相は地中海地域を「ヨーロッパの下腹」と呼んだ。
- ^ ソ連書記長スターリンは情報部からドイツ軍の動向を繰り返し警告されていたが、それらはイギリスが意図的に流した偽情報と考え、侵攻に備えていなかった。
- ^ 奇しくも3年前の独ソ戦開始、バルバロッサ作戦発動日と同じ日付である
- ^ なお、国民の士気低下を恐れて陸軍の英雄、ロンメルの死の真相は公にされず、戦傷によるものと発表され10月18日、盛大な国葬が営まれた。
- ^ さらに、戦時国際法では期限のない最後通牒を、事実上の宣戦布告とみなすことは可能、とするのが通説であることに鑑みれば、ハル・ノートを突きつけられたと勝手に日本が判断した時点で、これは宣戦布告に等しい、とみなす考えもある。最後通牒の項も参照。
- ^ 1940年3月、日本の協力の元に汪兆銘を首班として南京に設立された政権。
- ^ しかし後にポルトガル政府の暗黙のもと、両地を事実上統治下においた
- ^ 当時はイギリスとオランダの植民地
- ^ オランダの植民地。
- ^ 現在のスリランカ
- ^ 正式にはドイツ占領下のフランス。
- ^ その後ブリティッシュ・ロイヤルティーは浮揚修理され、アッドゥ環礁に移動。同地でドイツ軍のUボートU-183の雷撃を受けて大破。応急修理後燃料油貯蔵船となり、戦後の1946年1月5日に浸水により沈没した
- ^ 戦死後海軍元帥となる。
- ^ 「インディアナポリス」はこの損害の修理のためにアメリカ本土に曳航され、修理完了後前線に復帰する際、原爆輸送の極秘任務をこなし、原爆を揚陸後に日本海軍の潜水艦「伊58」に撃沈された。
- ^ 原爆死没者名簿の人数は2009年8月9日現在で14万9266人。
- ^ 林航空隊は東北民主連軍航空学校として中国人民解放軍空軍創立に尽力した
- ^ 永井和によれば、重光の具申により方針を撤回させたことは重要であり、無条件降伏があくまで日本軍に対するものであって国に対するものではないことに基づくとする。
- ^ カティンの森事件については1990年にソ連政府がスターリンの指示による犯行を認め遺憾の意を表明した。
- ^ 日本兵のシベリア抑留については1992年にロシアのエリツィン大統領が謝罪した
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- ^ スタッズ・ターケル(著)、中山容(訳)『よい戦争』晶文社、1985年7月。ISBN 4794959761。
- ^ 実際の戦闘に参加したものは5%に過ぎなかった。
- ^ アメリカ政府によるアフリカ系アメリカ人に対する法的な差別の解消は、1960年代に活発化した公民権運動とそれの結果による公民権法の成立を経なければならなかった。ただし、現実の差別解消はその後数十年経った現在もなお完全に実現されたとは言い難く法の下では平等であっても社会的な生活階層に占める人種割合や下位の社会階層から抜け出ることが人種により差が残るなど世俗慣習として差別は依然として残っている。アメリカ政府はアメリカは自由で平等な国であるので、差別は国内には存在しないとしている。
- ^ ナバホ族の難解な言語をそのまま暗号としてを用いた。コードトーカー参照。
出典
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- ^ 聯盟理事會ノ報告書カ【紛爭當事國ノ代表者ヲ除キ】他ノ聯盟理事會員全部ノ同意ヲ得タルモノナルトキハ聯盟國ハ該報告書ノ勸告ニ應スル紛爭當事國ニ對シ戰爭ニ訴ヘサルヘキコトヲ約ス(報告書が当事国を除く理事会全部の同意を得たときは連盟国はその勧告に応じた紛争当事国に対しては戦争に訴えない)
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- ^ 「アイアコッカ自伝」P.143 リー・アイアコッカ著 ダイヤモンド社刊 1986年
- ^ a b “Rationed Goods in the USA During the Second World War”. ameshistoricalsociety.org. 2013年9月4日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年6月19日閲覧。
- ^ 「マリリン」 グロリア・スタイネム著 草思社刊 1987年
- ^ 「ゲイ兵士差別はもういらない」 ニューズウィーク日本版 2009年04月22日
- ^ a b 『最後の特派員』P.14 衣奈多喜男著 朝日ソノラマ刊
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