広島市への原子爆弾投下とは?

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広島市への原子爆弾投下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/25 14:18 UTC 版)

広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)は、第二次世界大戦太平洋戦争)末期の1945年昭和20年)8月6日午前8時15分、アメリカ軍が日本の広島市に対して世界で初めて核兵器リトルボーイ」を実戦使用した出来事である。これは、人類史上初の都市に対する核攻撃である。この核攻撃により当時の広島市の人口35万人(推定)のうち9万 - 16万6千人が被爆から2 - 4か月以内に死亡したとされる[2]




注釈

  1. ^ ヴィクターナンバー#82。
  2. ^ 現在のテニアン島ハゴイ飛行場に当たる
  3. ^ この7分後に広島では空襲警報が発令されている。
  4. ^ (この迎撃の背景情報)日本軍戦闘機は高高度性能に劣り、ターボチャージャーや与圧キャビンを装備して成層圏を飛行する「空の要塞」B-29に対して戦闘機動を行うのは極めて困難であった。エノラ・ゲイ号に関しては尾部砲塔以外の防御火器を廃止して9,000ポンドの原爆を搭載しており、鈍重で無防備な状態だった。このため、低空飛行では日本軍戦闘機や高射砲により撃墜される危険が大きかった。
  5. ^ 電文は「00V670 V 21V675 - 0522[**]Z BT Y3Q3K[*]B2Z[*]X[*]C1R[*] BT IMI 00V670 V 21V675 - 0522[**]Z BT Y3Q3K[*]B2Z[*]X[*]C1R[*] BT AR」(第313航空団対空地上局(在テニアン)、(こちらは)第1目標気象観測機、グリニッジ標準時(8月)5日22時[**]分、本文、低い雲:雲量4-7/10で小さい、中高度の雲:雲量4-7/10で薄い、雲頂高度:[*]、高い雲:雲量1-3/10で薄い、雲底高度:[*]、雲頂高度:[*]、助言:第1目標を爆撃せよ、透明な空気中の視界:[*]、本文終わり、繰り返し(以下略))。[ ]の部分は不詳。
  6. ^ 投下目標の気象報告の方法については、第20航空軍の野戦命令13号に明記されている。
  7. ^ 原爆の第一報を伝えた新聞の見出しでも『落下傘付き』とあり、新型爆弾(原爆)は一発でなく少数の爆弾の投下による被害と報じられている(参照1945年8月8日付朝日新聞)。また戦後発表された原爆を題材とした作品においても原爆に落下傘をつけて投下している描写があり(『はだしのゲン』など)、多くの人に誤解を招いていた。
  8. ^ 厳密な爆発時刻に関する注釈。広島市および日本では、投下時刻である午前8時15分を原爆の爆発時刻として採用している。一方、米軍資料では投下された原爆が落下した後に炸裂した同16分を公式な爆発時刻としており、日本以外ではこの時刻が採用されていることも多い。また、中条一雄は自著において、「8時6分説」を主張している[13]
  9. ^ 原子爆弾の爆発高度・位置の注釈。2002年の放射線影響研究所の調査で、上空600メートル・島病院の南西側とされた。それまで利用されてきた被曝線量を推知するために用いられていた「DS86」(1969年制定)では、爆発高度580m・島病院の南東側で爆発したとされていたが、「DS86」算出当時に用いられた米軍地図にゆがみ・ずれがあったことから見直された[14]
  10. ^ 戦争末期の当時は成年男子の多くが徴兵されたため、路面電車の運転手を女学生も勤めていた。広島電鉄家政女学校もあわせて参照[16]
  11. ^ NHK広島放送局から被爆直後に「大阪さん、大阪さん」とNHK大阪放送局に向けて助けを求めるラジオ放送を聞いた」という証言が多数あった。原放送所の放送設備は無事であり、原放送所には予備演奏所、自家発電設備が設けられていたこと、当時は技術員等の常駐する有人放送所であったことから、放送そのものは被爆直後からでも可能であった。この証言については、放送プロデューサーの白井久夫によって詳細なルポルタージュが以下の書籍にまとめられている。これは2013年、事実であったことが、従事した技手(番組制作技術者=現在のラジオミキシングエンジニア)森川寛の日記「兎糞録」より明らかになった。森川は中波と短波の両放送波、さらに大阪打合線(局間連絡電話)で大阪放送局を呼んでいた。このとき打合線で応答したのは岡山放送局であった(局間連絡電話はいわゆる同報電話であり、当時から一つの回線に複数の放送局が並列につながれていた。当時は東京と大阪に現在でいうところのキー局がそれぞれ設けられており、大阪から西の局、東京から東の局がそれぞれ一つの回線につながれており、したがって大阪打合線で岡山放送局が広島放送局の呼びかけに対して応答できた)。すなわち局間連絡電話は生きており、森川は概ねの被害状況を伝達、併せて救援を要請、岡山放送局より大阪放送局に情報をリレー、大阪からの短波放送を依頼していた。一般に聴取されたのはこのうちの中波放送である。「兎糞録」は広島原爆資料館に寄贈されている[23]
  12. ^ 現在も当時の放送鉄塔が現役で使われ続けている。郊外といえどもかなりの爆風を受けたが、風圧抵抗の少ないスケルトン型、支線式であるため、倒壊を免れた。「NHK広島放送局の歴史」より。
  13. ^ 通報の内容は記憶によるため、伝聞により揺らぎがある。また中村敏がどうやって岡山支社に第一報を入れたのか、永らく謎であったが(当時、記者の利用できる一般電話回線は南回り、すなわち広島市中心部を経由しており壊滅状態、原放送所にある一般電話からの連絡はできなかったはずであるため)2013年、上流川町の演奏所で生き残った技手、森川寛が原爆投下直後、炎をかいくぐりながら直ちに原放送所に移動し、局間連絡線で岡山放送局との連絡に成功していたことが明らかになった(局間連絡線は専用線である。この専用線は対戦用に軍用電話回線と同じルート、特別の北まわりとしてあり、近隣各県に通じていた。広島の場合、戦後も永らく専用線はこの北回り回線が使用された)ことから、同盟通信社岡山支社に第一報が送られたことが裏付けられた。また第一報は当日昼過ぎに大本営に上がっており、16時の説と永らく矛盾していたが、森川寛の日記より、第一報と救援要請は森川の原放送所到着直後、すなわち当日の午前中に発せられ、岡山放送局でリレーされて大阪放送局に届けられ、大阪放送局より短波で放送されていたことが明らかになり、東京の大本営は、昼過ぎには複数のルートでかなり正確な内容の第一報を受け取ることが可能であったことが分かった[24]
  14. ^ 報道の前半は通例全国中継であり、広島空襲のニュースも全国中継された可能性があるが、東京などでこれを聞いたという記録は見つかっていない。
  15. ^ 理化学研究所仁科芳雄博士をはじめとする頓挫した日本の原子爆弾開発計画「ニ号研究」のスタッフらを含んだ原子物理学の専門家集団であった。
  16. ^ 原爆報道は戦後になって連合国軍最高司令官総司令部によって禁止されたのであるが、被爆直後の広島からの生々しいルポは、戦時中のプロパガンダを含むにせよ資料的価値は大きいとされる。
  17. ^ 音速は温度に依存するため、真夏の気温30℃を想定した音速を記した。
  18. ^ 質量M、風速V、空気の密度ρ、風が当たる面積Sならば、エネルギー E = 1/2MV2 = 1/2ρSV3
  19. ^ ただし、1細胞の生死、異常を本人が認識できない以上、原爆からの放射線こそが決定的な発病要因であるとは言えず、「原爆の後遺障害」の全てを原爆によるものと断定することはできない。
  20. ^ 「敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル」
  21. ^ このフィルムは1967年(昭和42年)に米国国立公文書館にコピーが収められた後パブリックドメイン扱いとなり、映像の断片がさまざまな報道や作品に繰り返し引用されることになる。
  22. ^ その後、この出来事はニュースで取り上げられ、さらにその年の夏、伝言を書いた教師とその児童が54年振りに再会し、話題を盛り上げた。この壁は、袋町小学校平和記念資料館に保存されている。この記事は三省堂出版の中学2年の国語教科書『現代の国語2』に載っている。

出典

  1. ^ a b カメラ較正法に基づくきのこ雲の形状を推定する研究”. 2016年12月31日閲覧。
  2. ^ Q&A よくある質問 原爆によって亡くなった人の数はどのくらいですか?”. 2016年12月31日閲覧。
  3. ^ 中国新聞2017年8月4日朝刊30面
  4. ^ 資料マンハッタン計画 1993, pp. [要ページ番号].
  5. ^ 原爆投下報告書 1993, pp. [要ページ番号].
  6. ^ 奥住喜重 & 工藤洋三 2002, pp. [要ページ番号].
  7. ^ 原爆投下の経緯 1996, pp. [要ページ番号].
  8. ^ 白井久夫 1992, pp. [要ページ番号].
  9. ^ NHK 戦争証言アーカイブ あの日 昭和20年の記憶「原爆で焼かれた広島をさまよう」平山郁夫さん(画家)
  10. ^ 淵田美津雄 2007, p. 239.
  11. ^ 淵田美津雄 2007, p. 240.
  12. ^ “原爆投下計画図に450万円=エノラ・ゲイ搭乗員の手書き”. 時事ドットコム. 時事通信社. (2015年4月30日). オリジナル2015年6月19日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20150619144756/http://www.jiji.com/jc/zc?k=201504/2015043000224 2016年12月31日閲覧。  図によると投下地点は目標より2マイル離れた地点の上空となるよう計画されていたことが分かる。
  13. ^ 中条一雄 2001, pp. [要ページ番号].
  14. ^ “広島原爆 爆心地は16m西 放影研調査 米軍地図にずれ”. 中国新聞: p. 1. (2002年9月10日) 
  15. ^ Timeline #2- the 509th; The Hiroshima Mission” (英語). 2006年10月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年12月31日閲覧。
  16. ^ 堀川惠子 & 小笠原信之 2005, pp. [要ページ番号].
  17. ^ 車両の紹介:単車”. 2016年12月31日閲覧。
  18. ^ 広島市編「原爆体験記」冒頭、野村英三の手記「爆心にあびる」より
  19. ^ 爆心地の惨状書き残す 170メートルで被爆の野村英三さん 追悼祈念館が収集へ
  20. ^ 被爆70年 <13> 直後の 伝えるヒロシマ 被爆70年 ⑬ 直後の船防作命 救援 原爆と知らぬまま
  21. ^ NHKスペシャル 封印された原爆報告書”. NHK平和アーカイブス. 2016年12月31日閲覧。
  22. ^ 証言は旧比治山高女第五期生の会『炎のなかに』(1969年)に収録されている(広島原爆戦災誌 第5巻資料編 (PDF)” (1971年12月8日). 2016年12月31日閲覧。に再録)。
  23. ^ 白井久夫 1992, pp. [要ページ番号].
  24. ^ a b c “「原爆投下直後の放送」奮闘録 NHK技手・故森川さんの日記公開”. 中国新聞. 中国新聞社. (2013年8月5日). http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=10793 2016年12月31日閲覧。 
  25. ^ 角家文雄著 『昭和時代「15年戦争」の資料集』
  26. ^ 北山節郎 1996, pp. 130-131.
  27. ^ 北山節郎 1996, pp. 131-132.
  28. ^ 「朝日新聞(東京版)」昭和20年8月7日付 1面
  29. ^ 「朝日新聞(大阪版)」昭和20年8月7日付 1面
  30. ^ 白井久夫 1992, pp. 172-173.
  31. ^ 「朝日新聞(東京版)」昭和20年8月8日付 1面など
  32. ^ 原爆投下報告書 1993, pp. [要ページ番号].
  33. ^ 奥住喜重 & 工藤洋三 2002, pp. [要ページ番号].
  34. ^ 朝日新聞 [1945年8月11日]
  35. ^ 新型爆弾投下関係 国立公文書館アジア歴史資料センター レファレンスコード B02032435900
  36. ^ “きのこ雲 高さ16キロか 広島市立大調査 市など推定の2倍”. 中国新聞. 中国新聞社. (2010年2月27日). http://www.hiroshimapeacemedia.jp/?p=2318 2016年12月31日閲覧。 
  37. ^ この現象は、松重美人が撮影した写真を検証したNHKスペシャル『きのこ雲の下で何が起きていたのか』(2015年8月6日放送)で詳細に取り上げられた
  38. ^ Electron spin resonance (ESR) dose measurement in bone of Hiroshima A-bomb victim”. PLOS ONE. 2018年2月6日閲覧。
  39. ^ ふるさと発スペシャル『はだしのゲンは終わらない 幻の続編からのメッセージ』日本放送協会広島放送局制作、2010年7月30日放送。
  40. ^ a b 『きのこ雲の下から、あしたへ』中国放送制作、2009年8月6日放送。
  41. ^ 広島市『原爆体験者等健康意識調査報告書』2010年5月。
  42. ^ 被爆二世健康影響調査報告 (PDF)” (2007年3月). 2016年12月31日閲覧。
  43. ^ “放射線の影響 広島・長崎の長期調査からわかったこと”. asahi.com. 朝日新聞社. (2011年4月7日). http://www.asahi.com/special/10005/TKY201104070102.html 2016年12月31日閲覧。 
  44. ^ 「広島原爆被爆者の子どもにおける白血病発生について」第53回原子爆弾後障害研究会、鎌田七男広島大学名誉教授代表発表。
  45. ^ 訪米から帰国後の記者会見。日本記者クラブ「特記すべき記者会見」特記すべき記者会見”. 2010年7月15日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2016年12月31日閲覧。 “天皇・皇后記者会見 1975年10月31日”
  46. ^ 『戦士の証言』元第343海軍航空隊 少尉 本田稔氏に聞く Part3〔桜H24/8/13〕




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