軍郷
(軍都 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/09 15:10 UTC 版)
軍郷(ぐんごう、ぐんきょう)とは、多くの軍事拠点を擁する地域を漠然とさして呼ぶ言葉。特に近現代において、国民国家が擁する軍隊とその関連施設の集中をこのように表現した。字面は、「軍隊の故郷」・「軍隊の町」を意味する。類似表現として、軍都(ぐんと)も使用され、こちらは「軍隊の都市」を意味する。
この語句が指す地域は、中世・近世の日本においては軍事拠点である城を中心に発展した城下町という語句が指す地域と類似した特長を持ち、主に時代によってその呼び名を変化させる。
概要
日本では、第二次世界大戦の終戦までは、師団・連隊の駐屯地、陸軍学校、陸軍病院、工廠・軍需工場など、多くの軍関連施設が点在する地域を「軍の故郷」として「軍郷」と呼んでいた。特に首都東京の関東近郊をはじめ、海軍の拠点が置かれた名古屋市、大阪市、広島市などの主要都市には、多くの軍関係施設が設けられ、軍郷○○○(軍郷習志野)、軍都○○(軍都廣島)と呼ばれた地域が存在した。このような都市では、軍隊が地域の産業に大きな影響を及ぼしている場合が多く、軍旗祭や地域の恒例行事を通じて、住民生活に密接に関わっていた場合が多い。これらの都市は、戦時中には、本土空襲の標的にされ、名古屋大空襲のように大規模な空襲が加えられたり、広島や長崎のように原子爆弾が投下され、多大な被害を出した地域もある。
「軍郷」・「軍都」の言葉は、第二次世界大戦の終戦以降、軍の解体にともに使われなくなったが、相模原市(相模原市#終戦時の軍事施設)の都市計画の事例のように旧軍施設の区画割りが戦後の土地利用[1]に反映されることも多く、現在の都市の成り立ちに大きな影響を及ぼしている。
軍郷・軍都と呼ばれた都市
- 大湊(おおみなと)- 青森県むつ市 - 海軍
- 弘前(ひろさき)- 青森県弘前市 - 陸軍
- 盛岡(もりおか)- 岩手県盛岡市 - 陸軍
- 仙台(せんだい)- 宮城県仙台市 - 陸軍
- 秋田(あきた)- 秋田県秋田市 - 陸軍
- 山形(やまがた) - 山形県山形市 - 陸軍
- 郡山(こおりやま) - 福島県郡山市 - 陸軍
- 若松(わかまつ) - 福島県会津若松市 - 陸軍
- 水戸(みと)- 茨城県水戸市 - 陸軍
- 宇都宮(うつのみや) - 栃木県宇都宮市 - 陸軍
- 前橋(まえばし) - 群馬県前橋市 - 陸軍
- 高崎(たかさき) - 群馬県高崎市 - 陸軍
- 熊谷(くまがや)- 埼玉県熊谷市 - 陸軍
- 所沢(ところざわ)- 埼玉県所沢市 - 陸軍
- 佐倉(さくら) - 千葉県佐倉市 - 陸軍
- 四街道(よつかいどう) - 千葉県四街道市 - 陸軍
- 千葉(ちば) - 千葉県千葉市 - 陸軍
- 習志野(ならしの) - 千葉県船橋市・習志野市・八千代市にまたがる地域 - 陸軍
- 柏(かしわ) - 千葉県柏市 - 陸軍
- 松戸(まつど) - 千葉県松戸市 - 陸軍
- 国府台(こうのだい)- 千葉県市川市 - 陸軍
- 木更津(きさらづ) - 千葉県木更津市 - 海軍
- 館山(たてやま)- 千葉県館山市 - 海軍
- 麻布(あざぶ)- 東京都港区 - 海軍
- 赤羽(あかばね)・赤羽台(あかばねだい) - 東京都北区 - 陸軍 (東京兵器補給廠)
- 立川(たちかわ) - 東京都立川市 - 陸軍 (陸軍航空工廠、立川陸軍航空廠)
- 町田・相模原(まちだ・さがみはら) - 東京都町田市・神奈川県相模原市 - 陸軍 (相模陸軍造兵廠) … 原町田および相模原駅を中心に、両市と座間市・大和市・綾瀬市・横浜市瀬谷区旭区・愛川町にまたがる地域で、大規模な軍都計画があった
- 溝ノ口(みぞのくち) -神奈川県川崎市 - 陸軍
- 横須賀(よこすか) - 神奈川県横須賀市 - 海軍 (横須賀鎮守府、横須賀海軍工廠)
- 大船(おおふな) - 神奈川県鎌倉市 - 海軍
- 平塚(ひらつか) - 神奈川県平塚市 - 海軍 (海軍火薬廠)
- 新発田(しばた) - 新潟県新発田市 - 陸軍
- 高田(たかだ) - 新潟県上越市 - 陸軍
- 富山(とやま) - 富山県富山市 - 陸軍
- 金沢(かなざわ) - 石川県金沢市 - 陸軍
- 敦賀(つるが) - 福井県敦賀市 - 陸軍
- 鯖江(さばえ) - 福井県鯖江市 - 陸軍
- 甲府(こうふ) - 山梨県甲府市 - 陸軍
- 松本(まつもと) - 長野県松本市 - 陸軍
- 岐阜(ぎふ) - 岐阜県岐阜市 - 陸軍
- 富士宮(ふじのみや)-静岡県富士宮市
- 静岡(しずおか) - 静岡県静岡市 - 陸軍
- 浜松(はままつ) - 静岡県浜松市 - 陸軍
- 名古屋(なごや) - 愛知県名古屋市 - 陸軍 (名古屋陸軍造兵廠)
- 豊橋(とよはし) - 愛知県豊橋市 - 陸軍
- 豊川(とよかわ) - 愛知県豊川市 - 海軍 (豊川海軍工廠)
- 鈴鹿(すずか) - 三重県鈴鹿市 - 海軍
- 久居(ひさい) - 三重県津市 - 陸軍
- 大津(おおつ) - 滋賀県大津市 - 陸軍
- 舞鶴(まいづる) - 京都府舞鶴市 - 海軍 (舞鶴鎮守府、舞鶴海軍工廠)
- 伏見(ふしみ) - 京都府京都市 - 陸軍
- 福知山(ふくちやま) - 京都府福知山市 - 陸軍
- 大阪(おおさか) - 大阪府大阪市 - 陸軍 (大阪砲兵工廠)
- 篠山(ささやま) - 兵庫県丹波篠山市 - 陸軍
- 姫路(ひめじ) - 兵庫県姫路市 - 陸軍
- 奈良(なら) - 奈良県奈良市 - 陸軍
- 和歌山(わかやま) - 和歌山県和歌山市 - 陸軍
- 鳥取(とっとり) - 鳥取県鳥取市 - 陸軍
- 松江(まつえ) - 島根県松江市 - 陸軍
- 浜田(はまだ) - 島根県浜田市 - 陸軍
- 岡山(おかやま) - 岡山県岡山市 - 陸軍
- 廣島(ひろしま) - 広島県広島市 - 陸軍
- 福山(ふくやま) - 広島県福山市 - 陸軍
- 呉(くれ) - 広島県呉市 - 海軍 (呉鎮守府、呉海軍工廠)
- 山口(やまぐち) - 山口県山口市 - 陸軍
- 徳島(とくしま) - 徳島県徳島市 - 陸軍
- 松山(まつやま) - 愛媛県松山市 - 陸軍
- 丸亀(まるがめ) - 香川県丸亀市 - 陸軍
- 善通寺(ぜんつうじ) - 香川県善通寺市 - 陸軍
- 高知(こうち) - 高知県高知市 - 陸軍
- 小倉(こくら) - 福岡県北九州市- 陸軍 (小倉陸軍造兵廠)
- 久留米(くるめ) - 福岡県久留米市- 陸軍[2]
- 佐世保(させぼ) - 長崎県佐世保市 - 海軍(佐世保鎮守府、佐世保海軍工廠)
- 大村(おおむら) - 長崎県大村市 - 陸軍
- 熊本(くまもと) - 熊本県熊本市 - 陸軍
- 大分(おおいた) - 大分県大分市 - 陸軍
- 都城(みやこのじょう) - 宮崎県都城市 - 陸軍
- 鹿児島(かごしま) - 鹿児島県鹿児島市 - 陸軍・海軍
- 鹿屋(かのや) - 鹿児島県鹿屋市 - 海軍(航空隊)
- 知覧(ちらん) - 鹿児島県南九州市 - 陸軍(航空隊)
- 与那原(よなばる) - 沖縄県島尻郡与那原町 - 陸軍
- 台北(たいほく) - 台北市- 陸軍
- 台南(たいなん) - 台南市- 陸軍
- 高雄(たかお) - 高雄市- 海軍・陸軍
- 鳳山(ほうざん) - 高雄市鳳山区- 海軍・陸軍
- 大邱 (たいきゅう) - 大韓民国大邱広域市- 陸軍
- 龍山(りゅうさん) - 大韓民国ソウル特別市- 陸軍
- 羅南(らなん) - 朝鮮咸鏡北道清津市羅南区域- 陸軍
- 平壌(へいじょう) - 朝鮮平壌市- 陸軍
注釈
- ^ アメリカ軍に接収され、返還後に自衛隊の駐屯地となったケース、自治体によって学校施設や大型団地、公園などのに転用されたケース、道路や橋が当時のまま活用されているケースなど
- ^ 久留米市市民文化部文化財保護課 (2018年3月31日). “歴史散歩No.43 平和への願い・久留米の戦争遺跡(4) 軍都久留米編”. 久留米市. 2023年7月10日閲覧。
参考図書
- 『帝都と軍隊―地域と民衆の視点から』首都圏史叢書 上山 和雄 日本経済評論社 ISBN 4818813974 2002年
- 第2編 地域のなかの軍隊(「軍郷」における軍隊と人々―下総台地の場合 ほか)
- 『図説千葉県の歴史』三浦 茂一 (編集)河出書房新社 ; ISBN 4309611133 ; 図説 日本の歴史13 巻 (1989
関連項目
外部リンク
- 「軍郷習志野-庶民の生活-2」軍郷の経済(習志野市ホームページ)
- 「陸軍歩兵学校跡地」~作草部公園~[リンク切れ](千葉市 緑と水辺のホームページ[リンク切れ])
- 柏市のおいたち(柏市役所 柏再発見) - ウェイバックマシン(2005年11月25日アーカイブ分)
- 千葉県の戦争遺跡
軍都
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 08:28 UTC 版)
1873年(明治6年)城内に広島鎮台が置かれ、のち1888年(明治21年)第5師団となり、城郭一体は大部分を大日本帝国陸軍が占有し、諸部隊が編成されその関連施設が建設された。1894年(明治27年)日清戦争勃発、戦況の変化に対応するため城内に広島大本営が設置され明治天皇が行幸され戦争が終わるまでの7ヶ月間滞在、政府高官も広島に移動し、第7回帝国議会が招集され広島臨時仮議事堂が建設された。日清・日露戦争から軍施設が広島市全域にも広がっていった。 Clip 1930年頃の地図 こうして基町の全域が軍用地となり、一種の不可侵領域であったと推定されている。城の櫓などは軍施設建設と引き換えに壊されていった。市中心部にありながら行政機関はその外に置かれ、広島県発足後広島県庁舎は元々広島城内にあったが鎮台が置かれて以降城外へ移転し、1889年(明治22年)広島市が市制施行した際には広島市役所は中島新町に置かれた。一方で近世の架橋制限は近代に入ってから解かれ、1878年(明治11年)相生橋が、1912年(明治45年)三篠橋が架橋する。また1911年(明治44年)までに城の外堀が埋め立てられ、民間の宅地や相生通り・白島通り(現京口門通り)が整備され、その道を広島電鉄本線や広島電鉄白島線が通った。1928年(昭和3年)広島市で初めて都市計画が策定されたが、この段階では基町内を縦横断する道路計画はなかった。 ただ軍事色の強い地であったが、市民に開かれた場所でもあり憩いの場でもあった。西練兵場で行われていた軍事訓練を見学することができ、軍の許可を得れば大本営跡も見学することができた。また軍の許可があれば西練兵場で催し物を開催でき、1929年(昭和4年)昭和産業博覧会ではここがメイン会場の一つとなった。 1945年広島市への原子爆弾投下では破壊目標地点となり、ここに近い相生橋が原爆投下標準点に選ばれた。基町は全域が爆心地から1km以内に位置し、広島城の天守も倒壊するなどほぼすべての建物が壊滅的な被害を受ける。 基町はそのまま1945年末まで野ざらしの状況が続いた。1946年春頃から引揚者が住み着いて旧西練兵場の紙屋町側を開墾し出し、戦後の食糧難の中で他の者もそれに続いた。
※この「軍都」の解説は、「基町」の解説の一部です。
「軍都」を含む「基町」の記事については、「基町」の概要を参照ください。
軍都
軍都と同じ種類の言葉
- >> 「軍都」を含む用語の索引
- 軍都のページへのリンク