させぼ‐し【佐世保市】
読み方:させぼし
⇒佐世保
佐世保市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/01 02:02 UTC 版)
佐世保市(させぼし、させほし[1])は、長崎県の北部地方にある市。 県北部の中心都市で、長崎県では長崎市に次いで2番目、九州では9番目に多い人口を擁し[注釈 1]、中核市及び保健所政令市の指定を受けている。 明治時代に入り東彼杵郡最北端の寒村にすぎなかった佐世保村 [2]に日本海軍の鎮守府(佐世保鎮守府)や海軍工廠(佐世保海軍工廠)が設置され、それ以降は造船および軍港の町・軍都として発展した。第二次世界大戦終結後から現在にいたるまでも、海上自衛隊佐世保基地及び在日米海軍佐世保基地が所在しており、海上防衛の重要な拠点となっている。 また、西海国立公園(烏帽子岳・弓張岳)や日本最大級のテーマパークであるハウステンボスに代表される観光都市でもある。市制施行当時の市域は旧東彼杵郡佐世保村のみで[3][4]、その後の合併により旧東彼杵郡の一部、旧北松浦郡の一部地域も市域に含む。市制施行時、市民の8割が隣の佐賀県からの移住者であった[5]。長崎市とは離れているため、経済圏は異なる。
注釈
出典
- ^ 佐世保市公式ウェブサイト
- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1889年4月1日
- ^ a b 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1902年4月1日
- ^ 長崎県 郡変遷 1889年4月1日. 市町村変遷パラパラ地図 完全版
- ^ させぼ夢大学 『させぼ 歴史・文化 夢紀行 』 芸文堂、2001年10月15日、35頁。
- ^ 佐世保市. “アカハラダカとハチクマの渡り~烏帽子岳園地・冷水岳園地~”. 佐世保市. 2020年10月28日閲覧。
- ^ 佐世保市. “マナヅルとナベヅルの北帰行~石岳展望台園地・冷水岳園地~”. 佐世保市. 2020年10月28日閲覧。
- ^ “気象庁|過去の気象データ検索”. www.data.jma.go.jp. 2020年7月3日閲覧。
- ^ “平年値ダウンロード”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
- ^ “観測史上1?10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2024年3月閲覧。
- ^ 佐世保市の町(310町)平成22年3月31日 佐世保市例規集
- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1889年4月1日
- ^ 長崎縣告示第四十四號 『佐世保村分村に関する件〔1〕、〔2〕』長崎県公報 明治35年3月18日付号外
- ^ 各地域における出先機関の再編に係る基本方針
- ^ 佐世保市. “西九州させぼ広域都市圏ポータルサイト”. 佐世保市. 2020年3月19日閲覧。
- ^ 佐世保市ホームページ 歴代市長
- ^ a b 議員定数と選挙/佐世保市議会
- ^ 任期満了一覧 | 長崎県
- ^ 鳥居達也 (2017年6月30日). “天然マダイ漁獲、5年連続日本一 糸島市、ブランド化向け課題も”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 福岡版
- ^ 具志堅直 (2016年12月2日). “九十九島とらふぐ、地元でPR 佐世保・鹿町で出荷式”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 長崎版
- ^ 『全国遊廓案内』437 - 439頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年4月7日閲覧。
- ^ “〈ひと〉国土交通省自動車局旅客課長に就任した 鶴田浩久氏”. 日刊自動車新聞電子版 (日刊自動車新聞社). (2015年8月7日) 2024年3月21日閲覧。
- ^ “株式会社えがお・最高経営責任者に原田永幸が就任”. プレスリリース・ニュースリリース配信シェアNo.1|PR TIMES. 2022年12月21日閲覧。
- ^ “衆議院歴代議長・副議長一覧”. 衆議院ホームページ. 衆議院事務局庶務部広報課. 2023年10月13日閲覧。
- ^ 北村章二「連載ドキュメント・シリーズ妻たちの闘い 小西俊夫氏( 元にっかつ関西支社営業部次長)夫人白川和子さん(38歳) 『子宮がんで心細かった…。そのとき頭に浮かんだのがかつての夫でした』」『週刊平凡』1986年6月6日号、平凡出版、35-39頁。
- ^ “テレビ東京の取材を受けました(*^▽^*)”. 学校法人聖和女子学院. 2022年2月3日閲覧。
- ^ Google+田島芽瑠 - 2017年5月4日閲覧
- ^ 死亡記事 『産経新聞』 2022年5月14日。
- ^ “柔道タイ代表として東京五輪出場濃厚 佐世保出身 深見利佐子(筑波大大学院)「私史上一番のハイライト」”. 長崎新聞 (2021年6月1日). 2021年8月1日閲覧。
- ^ “月9ドラマ「君が心をくれたから」長崎ロケ地MAPを公開しました!”. 【公式】長崎観光/旅行ポータルサイト ながさき旅ネット. 2024年2月19日閲覧。
- ^ “永遠の1/2”. 映画.com. 2022年6月4日閲覧。
- ^ “こはく”. 映画.com. 2022年6月4日閲覧。
- ^ “https://twitter.com/sasebokanko/status/970479106440638465”. Twitter. 2022年12月21日閲覧。
- ^ 佐世保三ヶ町商店街 (2018年2月26日). “坂道のアポロン3.10Roadshow | 佐世保三ヶ町商店街振興組合”. 2022年12月21日閲覧。
- ^ “SIGHTさせぼ いち押しトピックス”. 佐世保観光情報センター. 2012年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月28日閲覧。
- ^ “明治座創業150周年記念羽世保スウィングボーイズ - 明治座 公式サイト”. 2024年2月19日閲覧。
佐世保市
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佐世保市では全域で町名変更、または「免」の文字を削除している。詳細は佐世保市の地名を参照。
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佐世保市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:40 UTC 版)
佐世保線と並行しながら県境を越えて佐世保市三川内地区に入る。三川内地区を通過して早岐地区に入り、陣の内町交差点を右折し、佐世保線と並行して北西に進み、佐世保市中心部よりやや南側の田の浦町交差点で左折して国道35号と分岐し、田子の浦交差点へと至る。田子の浦交差点を右折し、早岐瀬戸を渡る。なお、陣の内町交差点と田子の浦交差点の間は国道202号では大幅な遠回りであり、陣の内町交差点を直進して市道を通るのが最短である。田子の浦交差点は朝・夕を中心に混雑しやすい状況であったが、瀬戸中央橋の開通で幾分改善されている。
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佐世保市
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「長崎県の軍事遺跡一覧」の記事における「佐世保市」の解説
旧海軍佐世保鎮守府凱旋記念館 - 平瀬町 第一次世界大戦で活躍した佐世保鎮守府所属の艦船の功績を讃え建設された記念館で、大日本帝国海軍の催事などに使用された戦勝凱旋記念館であり、現在は佐世保市民文化ホールとして利用されている。 国の登録有形文化財。 佐世保海軍工廠 - 佐世保港周辺 1899年(明治22年)、佐世保鎮守府開庁に伴い設置された大日本帝国海軍の海軍工廠で、太平洋戦争敗戦後に閉鎖されたものの、戦後の1946年(昭和21年)に佐世保船舶工業株式会社(現佐世保重工業)として工廠施設を流用し現存している(1913年(大正2年)竣工の250トンクレーンなど)。 佐世保重工業敷地内は民間企業のため見学不可であるものの、第一船渠などが現存している。 佐世保要塞 - 佐世保市内 大日本帝国陸軍が築いた、佐世保鎮守府の防衛のために築かれた要塞の各施設遺構。 田島岳砲台跡 - 小野町 弓張岳(大日本帝国海軍の呼称は田島岳)に1938年(昭和13年)から本格的に整備された高射砲台の跡地で、周辺に16か所の高射砲台と18か所の機銃砲台を指揮しており、近年の調査では砲座以外にもレーダー跡、指揮所、弾薬庫、発電所などが残っていることが判明している。 針尾無線塔 - 針尾中町 真珠湾攻撃開始の暗号文である「ニイタカヤマノボレ1208」を中継した無線電信所。 国重要文化財。 砲兵連隊跡 - 佐世保市内 万徳町、佐世保弾薬本庫(須佐町)のほか、、特に俵ヶ浦町周辺に丸出山観測所跡、馬川兵舎跡・演習砲台跡、小首砲台跡・地区司令所跡、高後崎砲台跡の5遺構が現存している。 後に佐賀県伊万里市付近に築かれていた同種要塞である長崎要塞に合併し司令部は廃庁した。 無窮洞 - 城間町 1943年(昭和17年)に宮村国民学校の教職員および小学生たちが共同で掘った幅約5メートル、奥行き約20メートルの巨大な人工地下防空壕の跡。
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「佐世保市」の例文・使い方・用例・文例
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