楠本端山とは? わかりやすく解説

楠本端山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/24 06:46 UTC 版)

楠本 端山(くすもと たんざん、1828年2月29日文政11年1月15日[1]) - 1883年明治16年)3月18日)は、江戸時代末期から明治時代にかけての儒学者。名は確蔵、のちに後覚、は伯暁、端山と号した[1]。弟は儒学者の楠本碩水。妻は近藤氏。弟とともに「西海の二程」と呼ばれた。


注釈

  1. ^ 端山はその頃の維新館の教えがもっぱら解釈や暗記に偏向していることを指摘し、人の徳を育みものの道理を知るという朱子学古来の姿に近づけるべく改革を唱えた[2]
  2. ^ 松浦詮は端山を厚く信頼していた[4]
  3. ^ 「鳳鳴」には治世となってから賢才が現れるという意味も持つ[2]
  4. ^ 端山、碩水兄弟の門人は私塾時代から含めると全体では千数百名に及ぶとされる[3]

出典

  1. ^ a b 松崎賜、吉田仁士、林浩俊「楠本端山の世界-『端山先生遺書』詩 訳注(その一)」『都城工業高等専門学校研究報告』第36巻、2002年1月、 29-40頁、 ISSN 0286116XNAID 1100002141352015年10月2日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 幕末の儒学者 楠本端山 楠本端山の儒教式の墓”. ふたたび、佐世保の歴史を歩く。. ライフ企画社 (2004年7月). 2015年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月2日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h 平戸藩2”. 旅する長崎学. 長崎県文化振興課 (2014年). 2015年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月2日閲覧。
  4. ^ a b c d 2 楠本端山、碩水と鳳鳴書院”. 佐世保の歴史. 佐世保市. 2004年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月2日閲覧。
  5. ^ 楠本端山旧宅(くすもとたんざんきゅうたく)”. 佐世保市教育研究会 (2005年8月). 2015年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月2日閲覧。
  6. ^ 長崎県の文化財
  7. ^ 旧宅(佐世保市オープンデータサイト)
  8. ^ 墓地(佐世保市オープンデータサイト)


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