楠本端山
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楠本 端山(くすもと たんざん、1828年2月29日(文政11年1月15日[1]) - 1883年(明治16年)3月18日)は、江戸時代末期から明治時代にかけての儒学者。名は確蔵、のちに後覚、字は伯暁、端山と号した[1]。弟は儒学者の楠本碩水。妻は近藤氏。弟とともに「西海の二程」と呼ばれた。
注釈
出典
- ^ a b 松崎賜、吉田仁士、林浩俊「楠本端山の世界-『端山先生遺書』詩 訳注(その一)」『都城工業高等専門学校研究報告』第36巻、2002年1月、 29-40頁、 ISSN 0286116X、 NAID 110000214135、2015年10月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g “幕末の儒学者 楠本端山 楠本端山の儒教式の墓”. ふたたび、佐世保の歴史を歩く。. ライフ企画社 (2004年7月). 2015年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月2日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “平戸藩2”. 旅する長崎学. 長崎県文化振興課 (2014年). 2015年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月2日閲覧。
- ^ a b c d “2 楠本端山、碩水と鳳鳴書院”. 佐世保の歴史. 佐世保市. 2004年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月2日閲覧。
- ^ “楠本端山旧宅(くすもとたんざんきゅうたく)”. 佐世保市教育研究会 (2005年8月). 2015年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年10月2日閲覧。
- ^ 長崎県の文化財
- ^ 旧宅(佐世保市オープンデータサイト)
- ^ 墓地(佐世保市オープンデータサイト)
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