嘉永4年 (かのとい 辛亥)
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年(年号) |
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●1837年 (天保8年) | ■大塩平八郎の乱 |
●1839年 (天保10年) | ■蛮社の獄 |
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●1853年 (嘉永6年) | ■黒船来航 |
●1855年 (安政2年) | ■安政江戸地震 |
●1858年 (安政5年) | ■安政の大獄 |
●1860年 (万延元年) | ■桜田門外の変 |
●1862年 (文久2年) | ■生麦事件 |
●1863年 (文久3年) | ■薩英戦争 |
●1867年 (慶応3年) | ■大政奉還 |
●1868年 (明治元年) | ■鳥羽・伏見の戦い |
●1869年 (明治2年) | ■版籍奉還 |
●1871年 (明治4年) | ■廃藩置県 |
●1871年 (明治4年) | ■解放令 |
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1851年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/12 15:57 UTC 版)
千年紀: | 2千年紀 |
---|---|
世紀: | 18世紀 - 19世紀 - 20世紀 |
十年紀: | 1830年代 1840年代 1850年代 1860年代 1870年代 |
年: | 1848年 1849年 1850年 1851年 1852年 1853年 1854年 |
1851年(1851 ねん)は、西暦(グレゴリオ暦)による、水曜日から始まる平年。
他の紀年法
- 干支:辛亥
- 日本(天保暦)
- 中国
- 朝鮮
- ベトナム
- 仏滅紀元:2393年 - 2394年
- イスラム暦:1267年2月27日 - 1268年3月7日
- ユダヤ暦:5611年4月27日 - 5612年4月8日
- 修正ユリウス日(MJD):-2877 - -2513
- リリウス日(LD):97964 - 98328
カレンダー
できごと
- 1月11日(道光30年12月10日) - 清の洪秀全が太平天国の乱を起こす。
- 4月10日(旧暦3月9日) - 日本で株仲間再興令。
- 5月1日 - 第1回万国博覧会であるロンドン万国博覧会がロンドンのハイド・パークで開幕(〜10月15日)
- 7月25日 - 露清間にイリ通商条約成立。
- 8月12日 - アイザック・メリット・シンガーがミシンの特許を取得。
- 9月18日 - ヘンリ・レイモンドを編集者として、ニューヨーク・タイムズ紙が創刊される。
- 12月2日 - フランス大統領ルイ=ナポレオン・ボナパルト(後の皇帝ナポレオン3世)、議会に対してクーデターを起こし、独裁権力掌握。
- 12月19日 - 英外相第3代パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル、独断でルイ・ナポレオンのクーデタを支持表明した廉で罷免。以降ホイッグ党はラッセル派とパーマストン派に分裂。
誕生
- 1月2日(嘉永3年12月1日) - 矢野龍渓、ジャーナリスト・著作家・民権運動家(+ 1931年)
- 1月19日 - ヨハン・エイクマン、薬学者・化学者(+ 1915年)
- 2月6日(嘉永4年1月6日) - 那珂通世、歴史学者(+ 1908年)
- 2月8日(嘉永4年1月6日) - 岩崎弥之助、実業家(+ 1908年)
- 2月27日 - ジェームズ・チャーチワード、作家 ムー大陸説を唱えた人物。(+ 1936年)
- 3月21日 - アドルフ・ブロツキー、ヴァイオリニスト(+ 1929年)
- 4月4日(嘉永4年3月3日) - 荻野吟子、女性運動家、女医第1号(+ 1913年)
- 5月20日(嘉永4年4月20日) - 山葉寅楠、ヤマハ創業者(+ 1916年)
- 5月20日 - エミール・ベルリナー、発明家(+ 1929年)
- 6月13日 - ジム・マトリー、メジャーリーグ監督(+ 1938年)
- 6月16日 - ゲオルグ・イェリネック、公法学者(+ 1911年)
- 6月30日(嘉永4年6月2日)- 伊沢修二、教育者・教育学者(+ 1917年)
- 7月10日 - フリードリヒ・フォン・ヴィーザー、経済学者(+ 1926年)
- 9月13日 - シャルル・ルルー、作曲家(+ 1926年)
- 10月13日(嘉永4年9月19日) - 矢田部良吉、植物学者・詩人 (+ 1899年)
- 11月5日(嘉永4年10月12日) - 浅田信興、陸軍軍人(+ 1927年)
- 11月6日 - チャールズ・ダウ、ジャーナリスト・経済アナリスト(+ 1902年)
- 11月7日 - クリス・フォン・デア・アーエ、メジャーリーグ監督、オーナー(+ 1913年)
- 11月19日 - ウィリアム・ブルックス、農学者(+ 1938年)
- 11月21日 - ボビー・マシューズ、メジャーリーガー(+ 1898年)
- 11月30日(嘉永4年11月8日) - 井上光、陸軍軍人(+ 1908年)
- 12月8日 - エミール・シェフネッケル、画家(+ 1934年)
- 12月20日 - クヌート・ヴィクセル[1]、経済学者(+ 1926年)
- 生年不詳 - オレーター・シェーファー、メジャーリーガー(+ 1922年)
死去
- 1月22日(嘉永3年12月21日) - 国定忠治、侠客(* 1810年)
- 1月27日 - ジョン・ジェームズ・オーデュボン、アメリカの画家・鳥類研究家(* 1785年)
- 2月1日 - メアリー・シェリー、イギリスの小説家、『フランケンシュタイン』著者(* 1797年)
- 3月9日 - ハンス・クリスティアン・エルステッド、デンマークの物理学者、化学者(* 1777年)
- 3月12日(嘉永4年2月10日) - 水野忠邦、江戸幕府老中(* 1794年)
- 6月7日(嘉永4年5月8日 )- 篠崎小竹、儒学者・書家(* 1781年)
- 6月10日 - ルイ・ジャック・マンデ・ダゲール、フランスの画家・写真家(* 1787年)
- 8月9日 - カール・ギュツラフ、中国で活躍したドイツ人宣教師(* 1803年)
- 9月2日 - ウィリアム・ニコル、スコットランドの物理学者(* 1770年)
- 9月14日 - ジェイムズ・フェニモア・クーパー、アメリカの作家・批評家、『モヒカン族の最後』著者(* 1789年)
- 12月19日 - ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー、イギリスのロマン主義の画家(* 1775年)
脚注
注釈
出典
関連項目
1851年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/01/24 06:24 UTC 版)
シュトゥール語(1843年)およびベルノラーク語(1787年)の支持者らは、共通の標準語に関して同意した。この標準語は基本的にシュトゥール語と同じであるが、綴りは音韻によるものから語源を重視したものに変更し(例えば、いくつかの単語においてiの代わりにyを導入し、de、te等を書き、ハーチェクを取る、など)、いくつかの点でベルノラーク語支持者に譲歩している(例えば、過去分詞の語尾を-ouの代わりに-lにする、ľの導入、など)。これらの変更のほとんどは1850年にスロバキア人言語学者マルチン・ハッタラ(Martin Hattala)により提案され、1852年に彼によりスロバキア語の系統的文法書『Krátka mluvnice slovenská(スロバキア語概説)』において公式に確立された。この言語は、1902年、1931年、1940年、1953年および1991年の改訂を経て、現在まで用いられている。
※この「1851年」の解説は、「スロバキア語の歴史」の解説の一部です。
「1851年」を含む「スロバキア語の歴史」の記事については、「スロバキア語の歴史」の概要を参照ください。
「1851年」の例文・使い方・用例・文例
- 米国の鳥類学者、芸術家(ハイチ生まれ)で、アメリカの鳥の絵で有名(1785年−1851年)
- 米国の作家で、ルイジアナでのクレオールの生活について記述した(1851年−1904年)
- 米国の小説家で、アメリカインディアンと辺境の生活の話で知られる(1789年−1851年)
- フランスの発明者で、最初の実用的な写真処理、銀板写真の(1789年−1851年)
- 米国の司書で、十進分類法を確立した(1851年−1931年)
- 英国の考古学者で、ミノア文明と呼んだ文明を見つけるためにクレタ島のクノッソスの宮殿を掘削した(1851年−1941年)
- 米国の教育者で、聴覚障害者のために米国初のフリースクールを設立した(1787年−1851年)
- ドイツの数学者(1804年−1851年)
- 英国の物理学者で、電磁放射線を研究し無線電信の先駆者(1851年−1940年)
- デンマーク人の物理学者(1777年−1851年)
- ドイツの自然主義者で、動植物が小さい生物『滴虫類』で作られるという推測が細胞説につながった(1779年−1851年)
- 米国の医師で、黄熱病は蚊が媒介することを証明した(1851年−1902年)
- 英国の作家で、フランケンシュタインの怪物を作り、パーシー・ビッシュ・シェリーと結婚した(1797年−1851年)
- 英国の風景画家で、光と色の取り扱いはフランスの印象派画家に影響した(1775年−1851年)
- 英国の小説家で、女性参政権運動の活発な反対者(1851年−1920年)
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