没年とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 同じ種類の言葉 > 生活 > 人生 > 年齢 > 没年の意味・解説 

ぼつ‐ねん【没年/×歿年】

読み方:ぼつねん

死んだときの年次。⇔生年

死んだときの年齢享年(きょうねん)。行年(ぎょうねん)。


生没年不詳

(没年 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/30 18:42 UTC 版)

生没年不詳(せいぼつねんふしょう)とは、歴史上の人物の生没年がともに不明であることを示す。




「生没年不詳」の続きの解説一覧

没年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/30 14:20 UTC 版)

石川高信」の記事における「没年」の解説

高信は没年がはっきりしていない民間記録である『永禄日記』は、元亀2年1571年5月5日津軽為信奇襲により石川城討ち取られたと伝えている。しかし、三戸南部資料ではこの時には死なず生き延びて天正9年1581年6月8日世を去ったとも伝えているのである。また黒石市浅瀬石星田文書にも「石川左工門之介源高信南部行き未だ還らず城中支うる者なかりしかば為信は戦わずして攻略すること得たり。」「…南部高信来たり津軽総監せしが、留守中為信に攻められ落城したり。」という記述がある。さらに大行院 (弘前市)元禄15年(1702年)の書上帳に『一 十一面観音堂 寺山館ニ石川大天正二年ノ本尊長サ一尺五寸木造石川殿安置仏云』という記述もあるといい、高信生存示している

※この「没年」の解説は、「石川高信」の解説の一部です。
「没年」を含む「石川高信」の記事については、「石川高信」の概要を参照ください。


没年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 20:20 UTC 版)

蔡琰」の記事における「没年」の解説

蔡邕蔵書復元後の消息『後漢書』載らないが、『晋書』景献羊皇后伝および羊祜伝には羊衜嫁いだ蔡邕の娘の記録が残る。この蔡邕の娘が蔡琰蔡琰姉妹言及されていない。陳仲奇は『蔡琰晩年事跡献疑』において『晋書』記載される蔡邕の娘が蔡琰である可能性指摘するその場合の蔡琰の没年は249年だと述べている。一方清代の『新泰県誌』には、羊祜の母である蔡文姫の妹の蔡貞姫の名が見られるまた、1992年中国人民銀行り発行された蔡文姫銀貨には、生没年を「公元177年-254年と書かれている。なお、この銀貨中国傑出歴史人物紀念幣の第9組め記念硬貨属し同組には100元金貨の則天武后、その他5元銀貨の鄭成功綽・王昭君花木蘭がある。

※この「没年」の解説は、「蔡琰」の解説の一部です。
「没年」を含む「蔡琰」の記事については、「蔡琰」の概要を参照ください。


没年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 01:55 UTC 版)

柴任三左衛門」の記事における「没年」の解説

本庄家系譜』は任が死去したのは宝永7年1710年)閏8月20日としている。一方『武州伝来記』死亡日は宝永3年1706年丙戌8月20日である。双方4年もの隔たりがあるいずれも「閏8月20日」は合致している。当時の暦は太陰太陽暦で、2、3年ごとに閏月置いた閏月がある年は1年13箇月で同じ月が二度あり、後のほうを閏何月といった。それだけに生没年考証には印象の強い月になる。宝永年間閏月のある年は2年5年7年である。その内閏月8月の年は宝永7年だけである。これにより本庄家系譜』の宝永7年正しく『武州伝来記』宝永3年丹治峯均記憶違い判断される柴任三左衛門重矩、号固学道随、享年85

※この「没年」の解説は、「柴任三左衛門」の解説の一部です。
「没年」を含む「柴任三左衛門」の記事については、「柴任三左衛門」の概要を参照ください。


没年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 15:32 UTC 版)

上泉信綱」の記事における「没年」の解説

その最期についても諸説ある。『関八州古戦録』、『上野国志』によれば天正5年大和柳生谷で亡くなり墓があるとする。ただし柳生には墓でなく芳徳寺供養塔柳眼塔」がある。 『武芸流派事典』では、『橋林寺古文書』及び『西林寺過去帳』によって天正5年と書くが、疑う点も多いとする。まず『西林寺過去帳』には論争があり、没年を天正5年1月16日1577年)とする『西林寺過去帳』だが、これは寺にある天正5年開基墓が信綱の墓碑とする説に基づいている。しかし開基墓の解釈には異論があり、嫡男である上泉秀胤供養碑という説(天正5年1月22日1577年または天正4年1576年))に信綱が西林寺開基し信綱の十三回忌法要行なったという『武芸流派事典所収口伝基づく)もある。『定本大和柳生一族』(今村嘉雄1994年)では、天正5年に信綱が西林寺開基し秀胤の十三回忌法要行ったとして、没年を天正5年以後とする。 また気楽流伝書には天正5年4月18日とある。

※この「没年」の解説は、「上泉信綱」の解説の一部です。
「没年」を含む「上泉信綱」の記事については、「上泉信綱」の概要を参照ください。


没年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/22 03:31 UTC 版)

島津忠綱」の記事における「没年」の解説

忠綱の没年には諸説ある。『播州島津家略歴』は寛元2年1244年2月7日死去とするが、上記生涯」の項からも明らかなように誤りである。また文永2年1265年)に成立した続古今和歌集所収三男・忠景の詠歌に親の死を悼む内容ものがあることからそれ以前であるとみる説があるが、『越前島津氏正統家譜』によると「六十四歳卒」とあり、享年矛盾生じてくる(文永2年没したとして最長61歳にしかならない)。そこで、ここでいう親は忠景の母であり、忠綱文永5年1268年)頃まで存命していたとする見解もある。また、小宮系図」に千葉氏一族武石胤辰が文永5年忠綱頼って日向国志布志郷(鹿児島県志布志市)に居住したという記録もあり、忠綱存命裏付けられる。なお、『越前島津家文書』により、忠綱正室越後局も弘安2年1279年)の時点で生存していたことが確認できるため、この見解によると忠行と忠景が異母兄弟であった可能性推測できるという。

※この「没年」の解説は、「島津忠綱」の解説の一部です。
「没年」を含む「島津忠綱」の記事については、「島津忠綱」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「没年」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

没年

出典:『Wiktionary』 (2020/08/03 05:32 UTC 版)

異表記・別形

名詞

ぼつねん

  1. ある人物死亡した年。

対義語

  1. 生年

翻訳


「没年」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。



没年と同じ種類の言葉


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「没年」の関連用語

没年のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



没年のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの生没年不詳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの石川高信 (改訂履歴)、蔡琰 (改訂履歴)、柴任三左衛門 (改訂履歴)、上泉信綱 (改訂履歴)、島津忠綱 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblioに掲載されている「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」の記事は、Wiktionaryの没年 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA)もしくはGNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2023 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2023 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2023 GRAS Group, Inc.RSS