歴史書
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歴史書を記述するのは目的意識を持った、そして多くの場合職業的な歴史家である。執筆の目的は歴史そのものへの興味、過去を後世に伝えるため、独自の史観を表現するためなどさまざまである。為政者の支配の正統性を主張するなど、政治的動機による場合も多い。
時系列に従って事件が記述される。記述される内容は政治史・軍事史を主とすることが多い。基本的なスタイルとして、事項が時系列順に並べられたもの(編年体)と重要な個人の事績を追って記述するもの(紀伝体)の2つがある。
歴史書を記述する歴史家は既存の史料を収集・比較・批判し、ある基準によって取捨選択(史料批判)を行う。この作業がなされない場合は歴史書とは言えず単なる記述にとどまる。また、歴史家の想像はできる限り排除される。想像が勝つ場合は歴史文学となる。例えば『三国志演義』など。
原理的に歴史書は二次史料以下の史料となるが、当時の史料が失われていることも多く、その場合一次史料並みの扱いを受けることもある。
上記の例外として、歴史記述を目的としたわけではない重要事件の記録がのちに歴史書と見なされることも多い。ガイウス・ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』などは、その顕著な例である。
関連項目
歴史書
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 17:04 UTC 版)
『伊勢物語』が書かれた時代以後も、多くの文人や歌人が蔦の細道を通っており、平安時代中期の菅原孝標女の作『更級日記』、鎌倉時代に成立したといわれる軍記物語の『平家物語』や紀行文の『海道記』『十六夜日記』、同年代の歴史書である『吾妻鑑』などにも記されている。 鎌倉時代の承元4年(1210年)、将軍源実朝の御台所の女房・丹後局が東海道を通って京都から鎌倉へ下る途中で、宇都山(宇津ノ谷峠)で追い剥ぎにあう事件が起こる。それ以後、幕府は駿河以西の宿々に夜行番衆をおいて旅人の警護をするように命じ、幕府の統制力によって蛮行取り締まりが行われるようになったという。 そのような昼でも薄暗い危ないイメージは歌舞伎の「蔦紅葉宇津谷峠」(つたもみじうつのやとうげ)でも描かれている。伊丹屋十兵衛が幼い盲人の按摩文弥を殺して、100両のお金を奪うが、そのお金は文弥の姉お菊が、弟に按摩の官位を手に入れてやるため、身を売って用立てたお金だった。やがて、文弥の亡霊が十兵衛の女房に取りつき、蔦のつるのように殺しが続いていく。
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「歴史書」の例文・使い方・用例・文例
- この歴史書は小説的なスタイルで書かれている。
- 私はノンフィクションの歴史書を読むことが好きです。
- 彼は南北戦争の歴史書を書いた。
- 休日には歴史書か古典を読んで時を過ごしたものだ。
- この歴史書は高校生を対象に書かれている。
- 歴史書の中に.
- 2巻からなる歴史書
- 米国の歴史家で、米国の人々について9巻の歴史書を書いた(1852年−1932年)
- 古事記という歴史書
- 紀伝体という,歴史書の編纂形式
- 雑史を扱った歴史書
- 日本書紀という,日本最初の歴史書
- 国が編集した歴史書
- 事実をありのままに記した歴史書
- 中国歴代の,最も正統と認められた紀伝体の歴史書
- 天子一代の事蹟を書いた,紀伝体の歴史書
- 歴代天皇の御代を書き記した歴史書
- 古い時代の事を記した歴史書
- 経書と歴史書
- 史記という,中国の歴史書
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